nameress −改訂版−   作:兎一号

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女狐は恨んでいる。

 バッカス・クロスアンジュ。この名前を聞いたのは、藤茉莉が死んだ直後の事だった。彼女から離れる前、もし私が死んだら、なんて下らない話をされた後、彼女を殺した犯人としてスラムの人が教えてくれた名前だった。高潔な貴族の青年はその国のために、連れ去らわれた子どもを取り返し、野蛮な玄界(ミデン)の女を殺したと高らかに宣言した。

 救われた子どもはこれからこの国に貢献することを約束したと、そう言っていたらしい。実をいうと私は少しの間悩んだ。連れ去らわれた子どもを助けるか否か。そんなことを私は1時間ほど悩んだ。人でなし、と言われるかもしれないが、元々私は怪物だ。人ではないから仕方ない、と言い訳だってしてみた。

 しかし、それでも居心地の悪さが消えない。あの死体が、同じように殺された少女と被って仕方がないのだ。異郷の地で脱走兵として人間の尊厳も無く死んでいしまった少女と同じ見えてしまう。

 

―――私みたいに、助けてよ。

 

 如月有紀の言葉が、バカみたいに私の中をグルグルと這いずった。

 私は彼にそう言ったことはないものの、彼を助けるのを諦めた。目を逸らした。逃げ出したのだ。この町を、この国を出るために一度は飛空艇の乗り場まで差し掛かった。必死に目を逸らして、そうしていたら、心から必死に目を逸らし続けていたら、如月有紀がいた。

 

―――助けないの?

 

 目の前に転がる死体が私にそう語りかけてきた。青黒い肌に服を赤黒く染める血の色は少量。気が付けば、目の前には似た死体が転がっていた。

 手の中にあったチケットは握りつぶされており、心拍数の上昇を知覚できた。頬を伝うしずくが何なのか、私は理解できなかった。

 

―――助けてくれないの?

 

 そうして、少女はいくつもの言い訳を経て、少年を助けた。

 

 

 

 

 

 転がり、起き上がると腕に痛みが走る。先ほどの爆風でトリオン体が壊れたらしい。左腕から滴り落ちる赤い血液を確認した。しかし、それはどうやらあちらも同じようで少女の姿から元の男の姿になっている。

 

「どうだ、nameress。味方だと思っていた奴に裏切られる気分は? お前に殺された奴らは、こんなもんじゃないんだぜ。」

「なるほど、お前に手を貸した奴の事が分かった。バッカス・クロスアンジュ、お前、狐に化かされたな。」

 

 お互いに生身。こうなってしまっては私の方が圧倒的に不利だ。相手が呪いに体を蝕まれ、片足を負傷している。しかし、それでも向こうは正規兵。私のような使い捨ての駒とは違い、生身の対人訓練も熟していた職業軍人だ。それは先ほどの華奢で少女らしい体からはかけ離れた全盛期には劣るものの、その鍛え上げられた肉体を視ればよくわかる。

 

「彼女は、そんなんじゃない。俺と志を同じくした人だ。」

「確かに、彼はそんなんじゃないな。」

「彼? どうやら君の予想は外れているらしいぞ。」

 

 私はその男の言葉に弁明はしない。私はあの人間のことを彼と称しはしたが、実際に男としての性別を望んでいるのか私には知る由もないのだ。私に名前の付いた感情が無いように、その人間には名前の付いた性別がない。それだけの事だ。だから、バッカスの言う通り彼女でもあるのかもしれない。

 私が近界(ネイバーフッド)に帰るためにあの小型トリオン兵を手配した人間が今回彼をここに送った首謀者なのだろう。どうやら直接手を下すことはしないらしい。それは、未だに優しい性格が抜けきらない彼の性格故なのか。それとも私への当てつけなのだろうか。

 

 私たちは殺し合いを再開した。結果は言うまでもない。身長150㎝強の少女が身長190㎝弱の男に勝てるのならばあちらの世界でトリオンなる技術があそこまで進歩することはなかっただろう。

 

「ゲホっ。」

 

 腹に入った強烈な蹴りに、息がむせ返る。腹の中のものがこみ上げるが吐き出しているような時間はない。顔面目掛けて飛んでくる拳の前に腕を出し、何とかガードをする。しかし、そのまま後方へと吹っ飛んでいく。瓦礫に足を取られ地面にひっくり返る。

 

「彼女はどう行動すればお前を殺せるのか、全て教えてくれた。お前のおびき出し方も何もかもだ。彼女は未来が見えているようだったよ。」

「そんな怪しい奴の言葉をよく信じる気になったな。」

 

 ふらつきながらもなんとか立ち上がろうとするものの、彼は私の胸の踏みつける。気道が塞がり、息が出ていくことも入っていくこともできない。私の言葉にバッカスは嬉しそうに答えた。

 

「俺だって最初から信じていたわけじゃない。でも、こうまでうまくいくと信じざるを得ないじゃないか!」

「ゲホ、ゲホっ。なるほど、狸に化かされたらしい。」

「彼女をそんな風に言うなよ。彼女は、名前の無い女怪物(nameress)とは全く異なる存在だ!」

「当たり前だ、私は怪物だ。獲物を食い散らかす獣に落ちるつもりもなければ、誰かに飼われる犬畜生なんて真っ平ごめんだね!」

 

 馬乗りになり、私を何度も殴りつけるその男は正しく獣だった。理性は捨て去り、目の前にあるすべてのものに噛みつかんとするその男の姿は正しく手負いの獣だ。その姿を見て、私は自然と笑みを浮かべていた。

 

「何がおかしい!?」

 

 そう言われて初めて私は自分が笑っていることに気が付いた。しかし、何が、と言われても具体的な答えなど出てこない。しいて言うならば、この獣性を殺す瞬間が楽しみでたまらなかった。

 私の突き上げた拳はいとも簡単にいなされる。トリオン体であるならば筋力が変わらないのに、生身とはどうにも儘ならないものだ。左腕で男の拳を受ける。体が重力に逆らい吹っ飛ぶ。

 男がズルズルと左足を引きずりながら私に近づく。当たり所が悪かったらしい、骨折したらしい左腕はこの状況では使い物にならないだろう。

 

「これで終わりだ、怪物!」

 

 右手で手ごろなコンクリートブロックを握りしめ、勢いのままに男の脇腹に叩きつけた。バッカスの下から何とか抜け出し、私は服の下に隠していた銃を抜いた。骨折したのが利き手である右でなくてよかった、とそんなことを考えながら片腕だけで銃を構える。

 

―――さようならだ、バッカス・クロスアンジュ。

 

 しかし、その銃弾をあの男は何とかかわした。キンッと金属音がした後、こちらに向かって笑みを浮かべようとした男の喉笛を弾丸が貫いた。

 

「ガ、ァ……。」

 

 喉を貫いた銃弾が私の頬を掠りどこかへと飛んでいった。焼けたような痛みが残る頬を撫で、手についた血をなめる。そのまま地面に倒れこんだ男は、喉からコポコポと血液を垂れ流しながらこちらを恨めしそうに睨み上げている。そんなことをしたところで彼がこれから自分の血液で窒息死をするのだから。

 彼は視線を何とか自分の背後へと向ける。そこには何もない。ただの瓦礫塗れの住宅と先ほど彼のせいで拉げた道路標識だけだ。

 

「そんなに、不思議かしら。」

 

 彼の前に落ちている丁度いい瓦礫に腰を下ろし、足を組んで彼を見下ろした。

 

「貴方達は、トリオンの技術ばかりで金属の技術に対しては頓珍漢だものね。良い事を一つ教えてあげる。金属でできた銃弾はそれより硬い金属にあたるとエネルギーを逃がすために跳ねることがあるの。これをね、跳弾っていうのよ。」

 

 手に持っていた拳銃を見せながら、私は得意げにそう告げる。

 

「貴方がさっきいていた女性についてだけど、彼はね、昔貴方が殺した女性の息子なの。貴方が国に、国民に彼の事を見せびらかしたから、ありのままの姿では生きていけなくなった。だからなのか、今でも女性らしい振る舞いを続けているわ。貴方だって覚えているでしょう? 貴女の国を滅ぼした原因となった、争いの火種となった、あの少年を。」

 

 当時から女性ものの服を着て過ごしていた少年をバッカスはその性別が男であることを知っていた。そしてそのような服装を着ている原因が母親にあることも知っていた。男に対して恐怖症を持っている女は、自分の産んだ子どもが男であるがゆえに愛せなかった。いや、戸惑い躊躇っていた。そのため、少年は母親に愛されるために少女の振る舞いを覚えその隣にいることを選んだ。

 しかし、彼の認識からすると家庭内で暴力を振るわれている少年を助けたに過ぎない。本来の正しい性を受け入れてもらえず、女性であることを強要された可哀想な少年に救いの手を差し伸べたに過ぎない。

 そう、子どもを愛せず暴力を振るう野蛮な玄界(ミデン)の女から、トリオン能力の高い副作用(サイドエフェクト)を持った子どもを保護した。その子どもは自分たちの行いに感謝し、助けてくれたこの国のために尽くす。そういう筋書きだったのかもしれない。

 もし、少年がその女性の子ではなく別の血を継いだ子どもであったのならば、そうなっていたかもしれない。ただ、あの少年は愛情深かった。母親の病を子どもなりに理解を示し、それに寄り添おうと努力していた。それに対して母親もその優しさに救われていただろう。そしてその愛情に彼女なりに応えようとしていた。

 そうでなければ、最初に私と出会ったとき、母親は少年を庇うことなどしなかっただろう。あのまま私に嬲り殺されていく様を黙ってみていたかもしれない。あの少年にあの副作用(サイドエフェクト)が無ければ、私は絶対に少年を見捨てたはずだ。

 

「貴方達の間違いはたった一つ。母親は殺さずに生かしていればよかった。いや、少年の目の前で殺すことさえしなければ、こんな事にはならなかったのよ。そうでなければ、あの少年は私を呼び寄せる餌を蒔くことは出来なかったのだから。」

「ぁ、いぶつ、め。」

「ええ、そうよ。私は怪物。だからこそ、貴方は私の手で殺したかった。私はまた、仇を討つことが出来なかった。」

 

 懐かしさにふけっているとピクリとも動かなくなったその男に気が付き、大きくため息を吐き出した。

 

「嗚呼、今回はとても詰まらなかったわ。」

 

 不快と言って差し支えないだろう、胸の中で渦巻く何かに思わず舌打ちをしたくなる。考えなければならないことは多い。この死体の処理だ。

 

―――私があの子たちを置いてきたと思っていたけれど、置いて行かれたのは私の方だったのかもしれない。

 

 死体を見つめながらこれからの事を考えていると自分の影が濃くなった。空を見上げると光が降ってきた。それは先ほど私を撃ち降ろしてきた場所とは微妙にずれており、それは今でもずれているらしい。光は地面をえぐりながら基地の方へと向かっていく。だんだんとずれていくその様子から恐らく押し出されているのだろう。どうやって場所を指示されているのかわからないが、攻撃をするたびに上空のトリガーは位置がずれるのだ。それを修正するような指示をバッカスが行うはずなのに、それが行われずトリガーはそういう設定なのか暴走しているのか。

 

「これは、測定の範囲内なのかしらね?」

 

 そう、独り言を零して近づいてくる足音の方へと視線を向けた。そこには真剣な顔をした迅悠一がいた。

 

「余計なことをしてくれたわね。」

「気に入らなかったか?」

「ええ、シールドなんてあのトリガーには必要ないものよ。」

「どうかな?」

 

 彼の言葉に私は肩をすくめた。

 

「君に頼みたいことがあるんだ。」

 

 それはあまりにも唐突だった。前置きなどは存在せず、こちらとあまり会話をする気がないのか矢継ぎ早に彼は言葉をつづけようとしていた。

 

「頼み、ですか?」

「嗚呼、如月結城に、じゃない。名前の無い女怪物(nameress)として。」

 

 その言葉に私はつい、眉を顰めてしまった。バレていないとどこかで高をくくっていたらしい。彼から久しぶりに呼ばれたその名前。そういえばそんな名前も持っていた、と名無しだからこそ頓着のない感想を心の中で零した。

 

「聞くだけ聞いとくわ。」

 

 言ってみなさい、と言うと彼は私の持っているトリガーを借り受けたいと言ってきた。それは有紀のトリガーではなく、普通のトリガー。貸した人からは扱いづらいとの定評のあるトリガーだった。

 

「なぜ?」

「今の俺達には、あの上空にあるトリガーを撃ち落とす術がない。今から開発するにしても時間がかかる。だから、君の持っているトリガーを借りたい。」

「……、嫌よ。」

 

 条件を聞く前に断った。彼とて私が名前の無い女怪物(nameress)だと知っているのならば、あちらに帰ることが出来たかもしれない。それでも、それはいざとなればトリオン兵が通ってきたゲートに突っ込めばいいだけの話だ。

 

「絶対に嫌。」

「もちろん、無条件ってわけじゃない。」

「そんなのは当たり前でしょう? どんな条件を並べられても、嫌だって言ってるの。」

「このままだと、あのトリガーは町に落ちる。大勢の人が死ぬことになるんだ。」

 

 彼はその恐ろしさを必死に私に伝えようとしていた。あのトリガーは確かにあのままの軌道を通れば、町の上を通るだろう。だからといって彼はなぜ町に落ちるとわかったのだろうか。

 

 いや、彼は三門市に落ちると言ったわけじゃない。それこそ、この星のどこかに落ちる可能性なんていくらでもある。

 

「だから? 私には関係ない事ね。」

「あの近界民(ネイバー)を連れてきたのは、君だろ。」

 

 否定は出来なかった。広義的に解釈すれば、私が玄界(ミデン)に訪れなければ彼はここに来ることはなかった。それは否定することは出来ない。ただ、だからといってそんなことを私のせいにされるのは堪ったものじゃない。

 

「だからなに? 君たちの準備不足は、君たちの責任だ。防衛機関を謳うならこの程度の事、想定の範囲内に入れておきなさい。そんな言い訳が通るわけないでしょう。」

「俺をここに行くように言った子。刈谷さんっていう子の事だけど、彼女、記憶の処置が終わった後、そのまま家に帰される。」

「そこで彼女が死ぬことになるっていうの? それが私に対して脅しになると思っているのなら残念ね。私はそんなことどうでもいいの。」

 

 私はそう彼の言葉に返した。私は断固としてこの町の人間を助ける気などなかった。それは、この町に1か月近くいる中で私の中に堪った憎悪にも似た薄暗い絶望が出した答えだった。頼られれば助けたいと思うのは、あくまでも契約であって、私の意思ではない。あくまでも誰かを助けようとするのは仮想人格の彼女であり、私ではない。

 

「あのトリガーは麓台町に落ちる。」

「それは、大変だわ!」

 

 少女は口元に手を当てて言った。雰囲気が唐突に変化した少女を怪訝な表情で見ている迅悠一は、勝手に盛り上がっている少女を見ていた。

 

「それはとっても困ることだわ。だって、契約は絶対だもの。傭兵として信用にかかわるわ。貴方もそう思うでしょう?」

 

 にっこりと笑みを浮かべた少女は、小さく首を傾げてそう尋ねた。恐ろしい顔をしていた先ほどとは打って変わり、少女はニコニコと笑みを浮かべている。しかし、迅悠一は驚くことなく「そうじゃないかな」とあいまいな返事を返す。その反応に少女は一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、「それで?」と尋ねた。

 

「私はトリガーを貸してあげるだけでいいの?」

「いや、観測手を任せたい。大分、癖の強いトリガーだろ?」

「えぇ!? そんなことまで知っているの?」

 

 少女は驚いて見せた。口元に手を当てて目を大きく見開いた。それでも、手からちらりと見えている口角は依然と上向きで笑みを浮かべているように見える。

 

「あれは、戦場で滅多に使わないのに。貴方、私の事誰かから聞いているの?」

「いや、俺の副作用(サイドエフェクト)がそう言ってる。」

 

 その言葉に笑みを浮かべる少女は納得はしていないが、腑に落ちたようで「そう」と返事を返した。

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