nameress −改訂版−   作:兎一号

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nameressと撃ち落とす

 私たちは、仲が良かったわけではない。当然の事だ。だって私の言葉が彼女に通じたことなど一度たりともなかったのだから。互いに互いが異国の民で、邪魔者だった。私たちは、同じところはなかった。私は人を殺せず、彼女は人を殺せた。私は言葉を話せたが、彼女は言葉を話せなかった。

 彼女が私の監視員でないと知ったのは、彼女と出会って半年がたった時だった。私たちは、いや、私は誤解をしていた。敵だと思っていたから。だから、あんなに叩いたのに。あなたは、敵ではなかったから。あなたは、あの地獄の中で脈打つ心臓だった。

 死ぬ間際、私は願った。私の頬を優しくなでる、初めて泣きそうな彼女の顔を見て、せめて貴方の心臓になりたい、と。あの地獄の中であなたが私の心臓であったように、これから訪れる地獄で貴方の心臓でありたいと。

 あの時から私はずっとあなたの心臓の中で息をしている。

 

 

 

 

 ボーダー本部の屋上で見慣れた金色の髪の少女は、双眼鏡で空を見上げていた。その隣には身長と同じくらいの大きさのスナイパーライフルを構えた東がいた。彼が構えているトリガーには2本のケーブルが接続されている。一本は基地に、もう一本は少女が持っている双眼鏡に繋がっていた。東は少女の指示を待っていた。

 

「左に6、上に……2。」

 

 少女の言葉に東はスナイパーライフルのスコープの下にある摘みを回す。普段とは違い、重力を鑑みて撃たなければならない仕様らしい。それに東の心が落ち着かないのは、隣にいる少女が原因である。

 上空に今も浮遊し続けているトリガーを撃ち壊す作戦の概要を説明されているときに、迅によって連れてこられた少女。彼女の持っていたトリガーを使って行われることになった作戦。どうして少女がトリガーを持っていたのか、それは確認するまでもなく彼女があちら側の人間だから、と答えが出た。

 

 

 

 「君が、ネームレスか?」

 「まぁ、近界民(ネイバー)がそう呼んでいるだけなのだけれど。そうよ。」

 

 

 

 作戦会議中に城戸司令と交わされた言葉。少女は嘘をついている風ではなかった。

 

「君は、近界民(ネイバー)なのか?」

 

 思わず尋ねた言葉に「違う」と少女は答えた。しかし、そのあと顔をしかめて言葉と続けた。

 

「いや、微妙なところかな。生まれはロシアだけど、3年くらいしかいなかったから。記憶がない。どんなところだったのか、さっぱり覚えていないわ。」

 

 少女はそう続けた。その言葉通り、少女は玄界(ミデン)を故郷だとは思っていない。彼女にとっての故郷とは、自ら滅ぼしたあの国だったのかもしれない、と考えるほどだった。

 

「上にもう1ポイント。」

 

 少女の言葉に東はスコープについている摘みカチッと捻る。

 

「貴方の言う近界民(ネイバー)は、遺伝子がそうなら? それともその文化に馴染んでいたら? それとも戸籍を持っていたら?」

「それは、」

「残念なことに、私は近界民(ネイバー)ではない、と言える証拠は何もない。」

 

 東はその言葉を聞いて尋ねてみた。

 

「君は、何方がいいんだ? 近界民(ネイバー)と地球人。」

 

 東の問いに少女はじっと双眼鏡越しに空を見上げていた。その問いに少女は答えを持ち合わせていなかった。彼女は望んで怪物になろうとしている。いや、そうあり続けようとしている。

 今回、女狐によって横やりをさされ、詰まらない殺しをさせられたとしても、少女は最早どうしようもなく怪物である。どんなに彼女の中にある心臓がそれを否定しようとも、その事実は変らない。それは彼女が怪物と呼ばれているからではない。人の視線を気にして生きていられるほど、彼女の生は平凡ではなかった。

 

「私は、名前の無い女怪物(nameress)。どちらであろうと思ったことはないわ。」

 

 少女は望遠鏡を覗いていた瞳を伏せている東へと向ける。

 

「だから、勘違いをしないでほしいの。私は、貴方達玄界(ミデン)の味方ってわけじゃない。」

「なぜだ?」

 

 その言葉に東は納得できなかった。少女は三輪と同じように確実に近界民(ネイバー)という存在を恨んでいる。少なくとも、東は彼女の心情をそう分析していた。

 

「気に入らないからよ。」

 

 少女は吐き捨ているように言った。そして「だってそうでしょう?」と続けた。

 

「確かに玄界(ミデン)に来る前は、貴方達の味方をしようと思っていたわ。それも吝かではなかった。でもここにきて一か月。私はこの平和ボケした玄界(ミデン)の人間に失望したの。近界民(ネイバー)に責められたって言っていたから少しは人間が危機感を持って過ごしていると思ってた。」

 

 しかし、どうだろうか。夜になっても明るいまま、出歩き続ける危機感のかけらも感じられない国民たち。トリオン兵と近界民(ネイバー)の違いも知らない無知さ。そしてこれがボーダーによる情報秘匿によるものだ。

 

「でも、違った。貴方達は、何も教えていない。隣人が今も誘拐されている事実を、彼らは知らないの。」

「しかし、今は(ゲート)はこの周辺にしか開かない。それに、必ず混乱が起きる。」

「そうね、貴方達にとっては目に見える範囲の人間が守れればいいのでしょうね。その結果が、これよ。」

 

 そう言って彼女が懐から取り出したのは、バッカス・クロスアンジュを撃ち殺した拳銃だった。

 

「これは、アメリカ人が作ったの。私はアメリカがどこにあるのか知らないけれど、この国にはないのでしょう? わかる? 貴方達の目に見えないところで連れていかれている人がいるの。何かをなすためには、犠牲は付き物でしょう。どうしようもないときだってある。それは認めるわ。でも、貴方達にとって私やジャックのような者を犠牲者と数えたことが1回でもあるかしら?」

 

 それは、酷く冷めた声だった。いや、温度を感じられない。怒っている訳でも、苛立っている訳でも、況してや悲しんでいるわけでもない。その言葉とそれに乗せる感情があまりにも不釣り合いだ。しかし、機械的というにはあまりにも恐ろしい。東はそんなことを思いながらスコープを覗いていた。

 

「貴方達のような者が戦争を起こすのよ。」

「……。」

「そう、戦争はね、自分の目に見える範囲の人たちが少しでも豊かで健やかで、幸せでありますようにっていう素敵な願いから生まれるものなのよ。だからこそ、気を付けるべきだわ。今、この瞬間でさえ、私と貴方達との間で戦争が起こっても可笑しくない。たとえ、私にとって貴方達が目の届くの人であったとしても、貴方達にとって私が目の届く範囲の人間であるとは限らないのだから。」

 

 幸せ、というものは個人の尺度で決まるものだ。最初の国は、その幸せが統一されていた。だから、あの負け戦に対して声をあげる人は誰も現れなかった。彼らにとっての幸せとは布教だ。自らが敬愛している存在をその国に色濃く残せればそれでよかった。連れてこられた人たちはそのための布石であった。

 しかし、そんなことまで少女たちは彼らのせいにするつもりはない。少女は彼らにとって目に見えない範囲に住んでいた住民だ。だからこそ、少女は、拳銃の持ち主であったジャックとて自身が誘拐されたことで他者を責めるつもりはなかった。自分の人生に悲嘆することはあれど、少女たちが何も覚えていないとはいえ、目の届かない・手の届かない範囲の人間まで守れなどと言うつもりはない。自分達の行動の責任まで彼らに押し付けるつもりはない。

 少女がこれほどまでに彼らに対して冷たく当たるのは、目の届く範囲内に居たであろう如月有紀が殺されるに至ったその事実を見逃したからだ。

 近界民(ネイバー)との友和を否定するつもりはない。少女たちとて仲のいい、使い勝手のいい近界民(ネイバー)がいないわけではない。しかし、その結果目の届く、手を伸ばせば届くはずの場所にいた少女が誘拐され、嬲り殺しにあった。口に出さないその事実が少女の存在を認められない心を凍てつかせている。決して少女たちは認めないだろうが、確かに憤っている。それが、誰に影響されたものなのか、と少女は考えていた。

 

「後1分。」

 

 撃ち落としたところでその残骸が町に降り注ぐことには変わりない。そのため、迅悠一の指示により今すぐ落とすのではなく、危険区域内に入ったところを狙うことになった。危険区域内ではあるものの、市内に近いため狙いを外すわけにはいかない。だから、少女は観測手として東の隣にいる。

 オペレーターがやってもよかったのだが、何分、重力計算まで加味しなければならない本物の狙撃銃の性能を模したそれの仕様についていけなかった。オペレーターには風や重力の影響による弾道の補正を任せるには些か知識不足だ。元々、トリオンで作られたものにそんな物が必要ないと言えばそれまでなのだが。

 このトリガーは本物を撃つことになったときのための練習用のトリガーだった。だからスコープの補正も重力を加味する設定も風に煽られる銃弾も、いちいち必要となるコッキングも、リロードも。そのすべてが本物の狙撃銃を意識して作られていた。

 少女とて一発撃つのが精いっぱいなのだから、この処置は仕方ない。

 

「30。」

 

 誰にも告げることはしないが、今、この瞬間でさえ少女たちは飛翔物を撃ち落とすことに躊躇っていた。やけくそ気味に死んでしまえばいいと呪いたくなる無知な人間どもをそれでも、と少女は助けるべきかと迷っていた。

 少女たちが少なくともこの計画について協力的であるのは、今、彼ら(ボーダー)と戦争するのは本意でないということと、それによって如月有紀の両親に何かあっては困るという理由からだ。

 少女が迅悠一にそう告げたように、刈谷裕子がどうなろうと構わないと今でも思っている。少女の中にある面倒な破滅願望にも似た一面が垣間見えただけで、少女の中でそれは名前の付いた捨てがたい何かではない。一般的に友情だのなんだのと言うものだとしても、少女たちがそれを肯定する未来など訪れない。少女たちは頑なにそれに名前を付けることなどないのだから。それは所詮他人のものだ。現に、彼女から離れたとたん、気持ちの悪い毛虫のようなそれは少女たちの中には残っていないのだから。

 ただ、約束を違える事はするべきではないと結論が出ていた。如月有紀との約束だけは、家に帰りたいという願いだけは、違えたくないとそう思ってしまったからだ。そのためならば、どんな景色でも見て前に進む覚悟はできている。だからこそ、死んでしまえと呪わずにはいられない、好ましくない人間たちを少女は救うことしか選ばない。

 

 そして、彼女は怪物だ。そんなものを殺すにしても、感情で殺したりはしない。殺すとき愉悦を感じるから殺すのではない。殺すとき恐怖をねじ伏せるために

 その自己矛盾が自らの首をかき切ろうと、なんともないと少女は言わなければならない。それこそが、彼女の目指す生き方であるのだから。

 

「10。」

 

 少女は10秒からカウントを始めた。そして「1」の後に「撃て!」と命令した。その言葉通り、東は引き金を引いた。放たれた銃弾はそのトリオン使用量に見合った凄まじい威力をもって上空に浮かんでいたトリガーを破壊した。爆発音と共に光と強い風が吹いた。床に伏せ、何とか地面にしがみ付き爆風をやり過ごした。

 再び空を見上げたとき、疎らにあった雲は風によってぽっかりと空いた穴から青い空が窺うことが出来た。バラバラと落ちる破片は廃墟の上に降り注いでいる。作戦は成功したようだ。

 

「ふぅ。」

 

 隣から安堵のため息の声が聞こえた。胸を撫でおろすその仕草に少女は「お疲れ様」と声をかけた。東は少し戸惑いながらも頷いた。

 

「お疲れ、東さん、名前の無い女怪物(nameress)。」

「迅。」

「これで作戦は終了。後片付けは別の隊員を向かわせる。」

「いいわよ。」

 

 少女は東の隣を通り、迅の方へと向かっていった。そして「あ」と小さな声を漏らした後、東の方を振り返った。それから右手を差し出して「トリガー返して」と言った。東は迅の方を一瞥した後、換装を解きボーダーのそれと同じような形状のトリガーを彼女の手の上に乗せた。

 

「それじゃあ、行きましょうか。」

 

 そう言って少女は、再び東に背を向けて歩き出した。暫くおとなしく迅の後ろについて歩く少女は、誰も歩いていない廊下でふと一つの疑問を投げかけた。

 

「貴方のそのエンブレム。ここのとは違うわよね。」

 

 少女は迅の肩を指さしながらそう尋ねた。

 

「これは……、旧ボーダーのエンブレム。今は玉狛支部が使ってるんだ。」

 

 迅は少し言いあぐねてからそう答えた。その言葉に少女は「そうなんだ、やっぱり」と答えた。その表情は彼と会ったときと同じようにニコニコと笑みを浮かべている。迅は立ち止まり、少女の顔を伺った。少女はその行動に可愛く首を傾げて見せた。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもない。」

「そう? 言いたいことはきちんと言った方がいいと思うけど。」

 

 そう感想を零したが、それに迅は答えることなくまた歩き始めた。それから彼らの間に会話が始まることはなかった。少女は欲しいと思った情報は手に入れることは出来たし、迅は現段階で彼女と親しくなることが不可能であることを知っていたからだ。

 

「失礼します。」

 

 そう言って開けた扉の向こうには男が6人座っていた。座っている面々は先ほどと変わりない。違うの東がいないくらいだろう。

 

「作戦は、成功したようだな。」

「ええ、恙無く。」

 

 少女はそう答えた。

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