nameress −改訂版−   作:兎一号

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如月結城は覚えていない

 大きく口を開けて彼女は欠伸をした。最近はから風が吹き、屋上もだいぶん寒くなってきた。夜中、歩き回っている彼女の体は疲労を訴えていた。それでも彼女が休暇を作らなかった。

 地図を開き、彼女は今日通るルートを検討する。監視カメラの位置、ここ数日で見つけることのできた隊員と思われる人間の配置、行動先をルートに盛り込む。

 

「やっぱり、ここに行くのは難しい。」

 

 現状、一番ボーダーの建物に近い丸の場所はそれなり警備が厳しく、監視カメラのいくつかを壊すしかない。しかし、それでは少女の爪痕を残すことになる。少女のプライドがそれをよしとはしなかった。

 

「このやろう!」

 

 少女はまたか、と思いながら殴り合いの音のした方を見た。毎日行われる殴り合い。対立している人間の一方はいつも同じ少年だった。くしゃくしゃの黒髪の少年はいつも一人で誰かに突っかかりに行くのだ。

 早死するタイプだなぁ、と思いながら少年たちを見下ろした。いつもギリギリで黒髪の少年の方が勝つ。しかし、何時もやられっぱなしでは男の恥だと思ったのだろうか。今日は五人連れてきたらしい。6体1だ。6人で相手を追い詰めようとする方も、それに一人で立ち向かおうとする方も全くどうしようもなくバカだと思う。

 

 つい最近、一国家vs一人を繰り広げた少女には言われたくないだろう。

 

 この乱闘の音を聞きながら屋上で次の探索の算段を考えるのが日課となっていた。しかし少女の方は手詰まり気味で、これはもうボーダーに潜入でもしないと行動できないのではないか、と思い始めていた。その日は偶々手詰まり感が否めず、気分転換に下の風景を見た時だった。

 

 少女は思わず息を飲んだ。

 

 

 

 

「おら、早く来い!」

 

 あの時、私はまだ日本語が達者では無く、指揮官の命令をいまいち理解できていない頃の事だった。彼らの言葉に理解が無く、その事実など彼らに届く筈も無かった。彼らに取って玄界に住んでいる人間は燃料か、奴隷でしかなかったのだから。奴隷がどんな言葉を話そうが、彼らにはあまり関係ない。しかし、奴隷が自分たちの言葉を理解せず無駄な犠牲を出す事が彼らは我慢ならなかった。少なくともその無駄な犠牲の中には自国民が含まれているからだ。

 それでも彼らが私を処分しなかったのは、私には多少の犠牲に目を瞑っても利用したい何かがあったからだ。利用せざるを得なかった、とも考えられるが。

 そんな時、私の代わりに連れて来られるのは私と一緒に連れて来られた男の人だった。彼は私の前で頭を掴まれ、そのまま水の張ったバケツの中に押し込まれた。男は苦しそうにひどく暴れたが、その度に鞭で打たれ殴られていた。バタバタと辺りに当たり散らした腕は次第に力無く地面にへたり込む。ピクリピクリと動く指先、しかし、それ以外はピクリとも動かない。そうなれば、彼らは男をバケツから出し私の目の前で放置する。恐怖で慄いた私はその場所からピクリとも動くことも出来なかった。息を吐きだしているのか、吸い込んでいるのか。そんな単純な反射でさえ分からなくなっている事にさえ気づく事無く、私は目の前で起こった悲劇に見詰める事しかできなかった。

 酷く濁った瞳が、焦点の合っていない黒い瞳が、こちらを見ている様な気がして思わず目を背けたくなるのに、それが許されなくて。口からポコポコと白い泡を吹き、床を汚す。

 

 泣き出すことも出来ず、ただ私の中で何かが軋み音だけを響かせていた。本来なら吐きだすべき言葉は一切音にならず、ただ、空気の擦れる音だけが私の口から漏れていた。

 

 

 

 

「先生!! 男の子が裏庭で喧嘩してまぁす!」

 

 それは、どうして出たのか分からない言葉だった。あの黒髪の少年を助ける意図も無く、ただただ口から出た言葉だった。その言葉を吐きだした後、下からは何か慌ただしい声が聞こえてきた。私は急いで地図を拾い上げ、屋上から立ち去った。それから適当な空き教室の中に駆け込んだ。ただの空き教室は用具室としての用途も兼ね備えていたようで、私は体育で使った白く少し固いマットの上に倒れ込んだ。

 私は歯を噛み締めて溢れだしそうになった涙を必死に堪えていた。地図をぐしゃぐしゃにしながら自身を抱えるように縮こまる。一度思いだすと中々忘れてくれない記憶に、ただ私は耐える事しかできなかった。左手に噛みつき、その痛みから自身の精神の正常化を図る。

 

「ふぅ、ふぅ。」

 

 荒っぽい息は落ち着きを取り戻す事は無く、ただ少し重たくなって行き意識の中で必死に耐えるしかなかった。少女が少女自身を守るための最大の自衛だった。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、聞いてる?」

 

 その言葉に少女は曖昧な笑みを浮かべた。そっと視線を動かせば外はすっかり赤く染まり、少女は帰路についてた。隣には女生徒が立っていてこちらを心配そうに窺っている。

 

「えっと、何の話でしたか?」

 

 取り敢えず、その女性とにそう尋ねた。女生徒は未だ心配そうな表情を浮かべながら「ボーダーの事だよ。」ともう一度教えてくれた。

 

「あぁ、そうでしたね。えっと、刈谷さんは興味あるんですか? ボーダーとか、近界民とか。」

「ん~、興味と言うか。私の家、壊されちゃったから。ほら、ボーダーに入るとお金貰えるんでしょ。」

「家が……。それは大変ですね。ご両親はその事を知っているんですか? 刈谷さんがボーダーに入りたがっている事を。」

 

 尋ねると彼女は苦笑いを浮かべながら首を横に振った。少女は刈谷の考え無しの行動に小さく溜息を零した。実際刈谷の行動はあまりにも考え無しだった。戦争経験者の少女としては似たような理由で傭兵になった者達の末路を沢山見てきた。そう言った意味では刈谷は直ぐに死んでいなくなるだろう、と思った。

 

「まだ、いってないんだ。絶対反対されるだろうから。」

「それが分かっているのに、ボーダーに入ろうとしているのですか?」

 

 お金の為だけという感じがしなかった。刈谷は酷く生き急いでいるように思えて仕方がなかったのだ。別段、この女生徒が生きようが死んでしまおうが少女には関係なかった。少女の目的には一切の障害になりえなかった。ただ自ら死地へと向かう刈谷の行動理念を知りたいと思い、少女は刈谷に疑問を投げかけた。刈谷の行動はあまりにも馬鹿馬鹿しく思えたからだ。

 

 刈谷は元々東三門にある中学校に通っていたらしい。しかし、この前の大規模侵攻で学校が壊れ、家も壊れてしまった。そのらめ、こちらに引っ越してきたらしい。引っ越してきたと言うよりは避難所に住んでいるらしい。あまり長い間避難所で生活するわけにもいかない。避難所に住んでいる人にとってやらなければならない事は、仕事を探す事と家を探す事。家が無ければ、仕事を貰えないがの日本の常識だからだ。

 

「それで、もしよかったらなんだけどね。如月さんも一緒にどうかなって。」

「私、ですか?」

「うん、その良かったら一緒にボーダーに行ってみない? 人員募集してたの見たんだ。」

 

 少女はこの時、好都合だと思った。彼女が目的の物を手にする為にはボーダーの内部事情を少しばかり知る必要があったからだ。しかし、それは自身の姿を仮想敵に晒す事になる。それが本当に良い事なのだろうか、と少女は思案する。(ゲート)を開いてからあまり時間が経っていない。しかし、背に腹は代えられないのは事実だ。

 

「まぁ、行ってみるだけなら。」

「本当! ありがとう。」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべる刈谷に少女は少し困ったように笑みを浮かべるだけだった。彼女と別れて少女は家路つくのではなく、適当にその辺を歩いていた。それはずっと少女の後ろを付いて来ている人たちについて知りたいと思っていたからだ。カーブミラーをちらりと見ると体育館裏で喧嘩していた少年たちだ。

 恨まれる理由は何となく理解が出来る。ただ、彼らは一体どうやって少女が悲鳴の犯人だと気が付いたのか、見当がつかなかった。

 

 時々記憶が無くなる時がある。それは総じてトラウマを掘り返された時の事だ。気が付くと隠れ家に帰っている事は珍しくなかった。仲間がいたわけじゃない。自分が何していたのかなんて確認のしようがなかった。ただ、怪我が増えている訳でもないから気にしないでいた。血を被っていた事なら多々あるのだが。

 今回も記憶がない時間があるからその時に何かあったのかな、なんて軽く考えていた。しかし、相手が生身の人間となると少しやり辛い。近界民なら何の気も無く殺したが、人間となるとそうもいかない。十分に痛めつけ、二度と反抗しようと思わない様にと言う訳にもいかない。

 

「殺さないって、難しいんだけどなぁ。」

 

 人の急所は多く在る。例えば首にある動脈も上手くやれば人の爪で引き千切る事が可能である。敵を素早く殺す事だけを考えてきた少女には、人を生かして無力化する術をあまりにも持ち合わせていなかった。彼女の通った道には生きている物は一人もいない。捕虜など彼女の前では、そこから家畜よりも意味が無かった。近界民に取って玄界の人間がそうであったように、少女の黒トリガーに取って近界民はただの燃料でしかないのだから。

 だからこそ、少女は逃走を視野に入れていた。寧ろ、それ以外有用な策は無かった。危険区域の地形情報はほぼ頭の中に入っている。地上を歩くしかない人間を巻くのは簡単な事だ。路地を何度も曲がりながら、私は丁度角を曲がる直前で走り出した。そのまま家の塀を乗り越えて壊れた民家の中に姿を隠した。

 

「どこ行きやがった!」

 

 なんてどこの国でも早死する奴はこう言うのだ。埃まみれのリビングのソファに座った。なんやかんやで危険区域の奥まで来てしまった。ほこりまみれの部屋で小さく溜息を吐きだした。家の中はガラス片が散らばり、壊されてから何もしていない事が良く分かった。

 多少の気まぐれが少女を突き動かした。埃を被った机の上をするりと撫でた。記憶の奥底にもない、自身の家の風景が過ぎて行く。

 

「昔は……。」

 

 昔は家の中でも靴を履いていた気がする。

 

 こんっと硬い靴底がフローリングを蹴り、音を立てた。少女は足元にあったそれを持ち上げた。埃をかぶりどんなものが飾ってあったのか判別がつかない写真立て。手でほこりを払うとそこには20代の女性の姿が映っていた。椅子に座って着物を着ている女性の両脇には、両親と思われる男女が立っていた。

 

「この人……。」

 

 少女はその写真立てを鞄の中に仕舞った。それからその家の場所を地図に書き込み、その場から離れた。その表情は無表情に見えて、どこかワクワクしている様にも見える。この事を誰かに話せばきっと喜ぶだろうと、まるでテストで100点を取った小学生が母親にそのテストを見せる時の心境に近いかもしれない。

 危険区域内から出た時、けたたましい音が鳴った。人の危機感を煽る様なサイレンに少女は、咄嗟に空を見上げた。昔からの癖のようなものだ。敵はいつも空からやってくる。一つの星に一つの国と言うのがポピュラーな近界では敵は(ゲート)を潜って現れる。

 

 黒い球体が現れたのを確認すると少女はその場から走って立ち去った。(ゲート)が出現したという事で今夜は危険区域内の監視が強固になるかもしれない。ボーダーに入るまでは彼らとの接触は控えた方が良いと思い、大人しく家に帰る事にした。帰路につく中、少女は先ほどの写真に写っていた女性の事を思い出した。

 

 黒い髪に黒い瞳。幸せそうに笑う顔は、本当に幸福を感じていた時期だったのだろう。

 

 それに関して、羨ましいと思ったから少女はあの写真を持って出たわけでは無い。少女はそれを羨ましいと思うほど柔軟な心を持ち合わせてはいなかった。ただ、この写真を見て幸せな気持ちになるかもしれない人がいるから、少女はその写真をあえて持ち去ったのだ。

 

「……ろう。」

 

 少女が発した微かに音になった言葉は、辺りの雑音にかき消された。車が少女の横を通り過ぎていく。鉄の壁から漏れる大きな音がひどく耳障りで眉をひそめた。少女が気になったのは、生活音の大きさだ。侵略を受け甚大な被害を被ったとは考えにくいほど、玄界の人間は悠長に過ごしていた。近界での生活期間が長い少女にとって、夜中灯を灯したままだなんて考えられなかった。爆音を立てて生活するなど、考えられなかった。

 明るい場所には人がいる。それを知られてイルガーでも落とされれば大打撃だ。だから戦時中は、夜になれば明かりを消す。地下に潜る。どんな犯罪者でもそれは変わらない。少女であってもだ。それでも一般人がここまでのほほんとしていられるのは、やはりボーダーのおかげなのだろう。

 後方から小さく聞こえて来る爆発音に少女は立ち止まり振り返った。黒い(ゲート)は消えており、何が出てきたのかは知らないがトリオン兵は倒されたらしい。

 本日も犠牲者なし、なんて確認していないのでどうこう言う事も無いのだけれど。

 少女は再び帰路についた。

 

 寝床に帰り、少女は持ってきた写真立てを床に置いた。大きな窓から入ってくる西日を遮り、四角い影を作った。日の光を遮る布は無く、この眩しさが少し鬱陶しい。固いフローリングの上に座り、背を壁に預けた。小さく息を吐きだし、少女は目を瞑った。今日は仕方がないのだと言い聞かせ、久方ぶりの休息を少女は取る事にした。

 

 瞼の奥の明るい景色はいつからか薄暗い闇に変わっていった。あたりは静まり返り、静寂が訪れる。少女は小さく声を漏らした。

 

「ごめんなさい。」

 

 誰に対しての謝罪なのか、誰にも検討がつかなかった。それは夢を見ている少女にしかわからない事だった。




お疲れ様でした。

寒い、とにかく寒い。

雪だるまシーンの二宮さんがいくら作っても追い付かなくらいには雪が降ってます。中間距離が苦手な蓮奈ちゃんとの絡みが少ない二宮さんですが、私は好きですよ。

ワートリ二期やんないかな……。

戦争中の光源は、第二次世界大戦を元に書いています。ワートリの中の戦争はまだあまり描かれていないのでただの想像です。ただ、ピリピリしてそうという事で書いています。

あと読み直しているとお前精神力ヤバすぎ、と思ったので精神の耐性に下方修正が入りました。30%オフで書き直します。

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