nameress −改訂版−   作:兎一号

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如月結城は協力者を得る

 人としての尊厳を失ったかつての私は、ただ命令を聞く正しい兵士だった。その在り方はこれ以上ないほどに従順であったと思う。そこに思考は無く、ただ命令を遂行するだけのトリオン兵と何も変わりなかった。

 でも、もしこの在り方を『情けない』と『祖国に不誠実』と糾弾するものがいるのならば、私はきっと一生その者を軽蔑する事だろう。

 

 躊躇したら殺される。

 戸惑ったら殺される。

 矛盾したら殺される。

 

 だからこそ、私達はその国に従順でいなければならないのだ。愛した祖国に帰る為に。

 決して、その事が正しいと思っていた訳ではない。それで良いと、受け入れていた訳では無いのだ。だのに、奪われた事のない人間はそこに理解がない。

 

 あぁ、その事がとても恨めしい。

 

 自由の中で生きてきた者達は、自身がどれ程恵まれ居るのか理解していない。好きな物も嫌いな物も持てる自由を彼らは押し付けられるというのだ。嫌いな事をやりたくないというのだ。

 

 自由とはほとほと恐ろしい物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 強いて言うならば。

 私の行動にあえて意味を与えるのだとするのならば、気まぐれだった。

 

 その日、朝から土砂降りの雨が降り続いており、学校に来ていた生徒たちが『たいふうがきている』なんて言っていた。こんな日に屋上に出れば制服が濡れてしまってすぐに先生にばれてしまうだろう。でもそうであるからこそ毎日飽きずに喧嘩している彼らもきっと今日はお休みしていることだ。

 しかし、そのせいですっかり手持無沙汰になってしまった少女は校舎の中を探検していた。その手持無沙汰でさえ、仕方なし、と受け入れられる程度に少女の心は余裕を持てていた。それは昨日薄暗い闇の中で見つけた一つの書類。そこに書かれた文字を読んだからに他ならなかった。

 たどり着いたのは体育館へと向かう渡り廊下。外の雨音がよく聞こえてきた。雨はいい。スナイパーの視界が悪くなるから好んで誰も撃たなくなる。砂嵐が一番好ましいのだけれど、砂漠のないこの国では起こりうる可能性のないおとぎ話だ。

 そうで無くとも、雨は好きだ。彼女が死んだ日は、それは美しい晴れた夜のことだった。それでも、少女の心境の変化は数日前と比べて凄まじい物だった。いまこの雨の音でさえ落ち着いて聞いていられるのは、心残りが無くなったからだろう。これで少女は本当の意味でこの世にしがみつく理由がなくなった。かすかに残る騒めきも、その爽快感に打ち消された。

 

 予鈴が鳴ったので少女は教室に戻ろうとすると体育館から人が出てきた。どれほど気を抜いていたのか、と少女は自身を殴りたくなるのを抑えて数人の男子と入れ違うように体育館の中に入った。別段、意味はなかった。ただ、自分がどうにも平和ボケしたようで少女は嫌だったのだ。その場から逃げ出したかっただけなのだ。

 

 深呼吸を一つ。

 

 走馬灯のように過去を振り返っていたからだろうか、設定に見合わない行動を取ってしまった。

 

 気を紛らわせるために直近の出来事に思いを巡らせた。そういえばさき程の生徒たちはボロボロだった。1人は肩を貸してもらっていたし、数人は口の端が切れていた。聞いていた以上に日本も治安が悪いものだ、と思案する。喧嘩の相手が奥から出てくる前に立ち去ろうと、扉を開けた。それから急いで教室に戻ろうとした時、ガツンと大きな音がした。それから何回も金属製の扉を蹴る音が聞こえてきた。その音の正体を知る為、少女はその扉に手をかけた。しかし、扉が開く事は無かった。辺りを見回すと、扉が開かない様につっかえ棒がしてあった。

 

「おい、誰かいるのか?」

 

 扉の向こうから声が聞こえた。若い、少年の声だ。少年の声はどこか切羽詰まっており、一種の生命の危機を感じているのかもしれない。

 

「いる、ちょっと待ってて。」

 

 これが気の迷いだった。先程の事もありどうにも設定が疎かになってしまっていたようだ。滅多に顔を見せない、素顔が溢れてしまった。かすかにこじ開けられた扉を閉め、そのつっかえ棒を取り除いた。それから扉を開けると綺麗なアンバー色の瞳を持った少年がいた。

 目つきは悪いし、黒い髪はボサボサ。じっとこちらを見る目は警戒の色がとても濃い。

 

 アンバー色の目が狼の目と呼ばれるように、この少年の気性もきっと狼に近いのだろう。その様子が少女の心を微かに擽ったのだ。それを人は『愛情』なんて言ったりするのだが、少女にその言葉を教えた人間はだれ一人いない。ただ、少女には初めてでは無かったが。

 

 少女はハッとした。何故こんな事をしているのか、一瞬の自問自答に自分でさえ答えてはくれなかった。もともと、面倒見のいい性格の少女だ。そうでなければ、あの戦場で年下の子供を相手にはしないだろう。

 しかし、心の切り替えの早さには自信があった。切り捨てることには自信があった。

 

「私、貴方の事助けたよわね。」

 

 少女の言葉に狼の少年は不機嫌そうに「あぁ?」と声をあげた。出口に少女が立っているから、彼は中々機材庫の中から出てこれない。勿論、少女は自身が満足のいくお礼を貰うまで避ける気は毛頭なかった。

 

「お礼をして欲しいの。」

 

 彼は怪訝そうな表情で少女を観察した。

 

「難しいことではないの。ただ、道案内をして欲しいだけ。」

「道案内、だぁ?」

「えぇ、三門市麓台町って所に案内して欲しいの。そこに用があるんだけど、見ての通り日本に慣れてなくって。」

 

 彼は少女の事を足先から頭の先までじっくりと観察した。お互い何も言わずにいると本鈴がなってしまった。少女はチャイムの音が鳴るスピーカーに目を向けた

 

「麓台町に何の用事があんだよ。」

「落とし物を届けに行くだけよ。直接渡したいの。」

 

 彼は頭をガシガシと掻いた後、大きく舌打ちをした。それから「わかったよ」と根負けした事を気に喰わないのかこちらを向かずにそう答えた。少女はその答えに満足したのか手を合わせて「ありがとう」と言った。少女は出口から退いた。しかし、彼はそこから出る事は無かった。積まれたマットの上に腰を掛けた。

 

「授業、出ないの?」

「うっせぇ、出られなかったのはテメェのせいだろう。」

「今から行けばいいじゃない。何なら私が迷惑をかけたって貴方の担任に話すわ。」

 

 「めんどくせぇ」と彼は呟いた。少女から視線から逃げるように背を向けてマットの上に横になった。マットに入りきらない膝から下はブラブラと揺れている。少女は首を傾げて彼を見た。

 

「行けよ、授業に遅れるぞ。」

 

 少女は迷っていた。はっきり言ってこのまま授業に戻ると彼に逃げられる恐れがあるからだ。別に道案内に刈谷裕子を使えばいいのだろうが、予備策(スペア)として彼を取り逃がすのはあまり気乗りしなかった。それに何より、この仕事が終わればもう二度と学校などと言うしち面倒臭いこの場所からもおさらば出来るのだ。ならば、それは確実に行いたい。

 少女は早く近界(ネイバーフット)()()()()と思っていた。少女にとって多少ざらつきはあれど、滑らかに流れる平和の空気がとことん肌に合わないと思っていた。今まで殺伐とした空気の中で生きてきた少女には、平和は慣れない物で非日常だった。血の臭いが漂う戦場の方がまだましだと思えるほどに、少女の感覚は玄界の日常からかけ離れていた。

 

 少女は小さく溜息を零すと鉄のドアを閉めて立ち去った。その音を聞いて彼は小さく舌打ちをした。

 彼には人には言えない悩みがあった。過敏症の如く皮膚を這いずる感覚。今までかかった医院では、何一つ解明できなかった不愉快な感覚。共感してくれる同族はおらず、抱え込んだこれを捨てることも出来なかった。10数年生きて来てこの感覚がどんな時に現れるのか、彼は大まかに把握していた。彼はよく我慢している。それでも、我慢ならないときが多々あった。それだけのことなのだ。

 

 ギギっと金属が摩擦する音を立てた。彼は億劫そうに背後の扉を開けた人間を確認した。そこには鞄を二つ持った先程の少女が立っていた。そのかばんの一つは彼には見覚えがありすぎるものだった。

 

「テメェ、どういうつもりだ。」

「貴方、これから授業に出るつもりはないのでしょう? なら、今から案内してもらおうと思って。」

 

 少女の言葉に彼は眉を顰めた。来年度には受験が控えているのだ。大事な時期と担任が口を酸っぱくするのに、目の前の女はどうやって鞄を取ってきたか知らないが、堂々とサボり宣言をしたのだ。

 

「受験、良いのかよ。」

「じゅけん? それが何か良く知らないけれど、私はいいのよ。どうせ、今日事が済めばいなくなるから。」

「あぁ?」

「私は、この忘れ物を届ける為にこの街に来たの。用事が終われば帰る、そうでしょう?」

 

 彼は少女の姿をじろじろと観察した。彼は目の前の少女を図りかねていた。擦りガラス越しの様なはっきりしない彼女の視線。ぼやけていて、今まで感じた事のない視線だった。彼はむず痒い首筋をガシガシと掻いた。

 

 気まぐれだった。

 ぼやけて形がつかめない少女の視線は、気にならない程度に弱々しいものだった。彼は少女から自身の鞄を引っ手繰った。少女は何一つ言う事無く、彼の後ろについて来た。

 

 下駄箱で靴を履き替え、外を見る。滝のように流れ落ちている雨の中を行くのか、と彼は一瞬立ち止まった。靴を履き替えた彼女はそれを鞄の中に仕舞い、ガラス戸を開けた。校舎内に流れ込んできた湿度の高い涼しげな風。彼女は赤い傘をさして彼の方を向いた。彼に対して早く来いと催促しているようだった。彼は大きな溜息を吐きだした。それから風が強い中、こんなビニール傘が役に立つものだろうか、と考えた。

 傘をさして外に出れば、案の定風に煽られる。少女はそれが面白いらしい。フラフラと覚束ない足取りで赤い傘を振り回していた。

 

「コイツ、これから人に会うんだよな……。」

 

 雨なんて見た事無いと言うように楽しむ少女に彼は眉を顰めた。閉まっている校門を勝手に開けるとそのまま道を進み始めた。彼は、本当に自分がいるのか、と疑いを抱えながら彼女の後を歩いた。数分もしないうちに靴の中は雨で濡れて気持ちの悪い事になっている。水たまりを避けたって何一つ無駄なこの状況に溜息を吐きだす。

 

「っ!?」

 

 背中を細い針で突き刺された様な痛みが走る。雨で濡れてしまったからか、途端に背中が冷える。振り返っても、そこには閑静な住宅街があるだけで原因を見つける事は出来ない。

 

「何かあったの?」

 

 少女は歩かなくなった彼にそう尋ねた。彼は振り返ったまま少女の言葉に答えない。

 

「いや、何でも無い。」

 

 彼の言葉に少女は良い顔をしなかった。そして「そう」と流す事をしなかった。それは戦場で生きてきた少女が培ってきた勘だった。

 

「いいから、言って。何を感じて立ち止まったの?」

 

 少女の言葉に彼は眉を顰めた。そして面倒くさいとも思った。少女が何を思って彼にそんな事を言っているのか、彼には当然理解できないのだ。彼らはお互いにお互いの抱えた事情について一切の理解がないのだから。

 

「何でもねぇって言ってるだろ。」

 

 それでも少女は納得しないと言った顔で彼を見た。数回瞬きの後、彼女は口元に手を当てて考え込んだ。

 

「信頼関係がないから、話してもらえない。困った。まぁ、近界民が出れば警報が鳴るし、システム的には警戒区域外から出て来ることはまずないんだから、ここまで警戒する必要もない、のかな。」

 

 少女は日本の平和が一体どれほどの物なのか測りあぐねていた。何しろ、ここの住民は誰もが平和ボケしているようであったからだ。彼らはトリオンと言う物自体を知らない。何故彼らが襲ってきているのか、正しい認識がないのだ。況してや、トリオン兵を近界民と呼んでいる事から情報統制がなされているのは明らかだった。ボーダーからも一般人に対して不必要な情報を流さないなどの誓約書を書かされた。

 

「止めろ、気持ち悪い視線を向けるなよ。」

「気持ち悪い、視線? 何それ。」

「視線が、刺さるんだよ。」

「刺さる? 何処に?」

 

 少女の興味を引いた言葉それは、彼にとって本意では無かったらしく視線を逸らした。

 

「何だって良いだろう。」

 

 少女はもしや、思案する。

 

 視線が刺さる、なんて言葉を聞いた事はある。しかし、それは実際い痛覚を刺激する事は無い。それを感じ取れるという事は、「副作用(サイドエフェクト)」。

 

「と言っても、私はトリオン図る機械なんて持ってないからなぁ。」

 

 少女の零す独り言について行けない彼は眉を顰めた。少女が自身の抱える問題について何か心当たりがあるようなのは、理解した。しかし、当の本人はそれを彼に理解できる様に話さないのだ。彼は彼女の言葉を理解する必要があった。なんだかんだ言って、彼は自身の今までの行動が両親や兄弟に迷惑をかけている事を気にしていたからだ。何か改善する術があるのなら、それを聞きたいと思ったのだ。

 

「さっきから、何言ってんだ。テメェ。」

「貴方のその体質についての考察。」

「それは分かってんだよ。俺にもわかる様に話せ。」

 

 彼の言葉に少女は少し困った。なにせ、余計な事を一般人に話すな、と言われている。態々守る必要も感じないが、それでも一応所属している団体のルールを無視するのは、所属するものとして些かな罪悪感を感じていた。しかし、それも些か程度。罪悪感なんかより、先に達せられる目標を彼女は優先させた。

 

「良いわよ。その代わり、まずは私の探し人の手伝いをしてくれる? その報奨として、副作用(サイドエフェクト)についての情報を私の知りうる全てを貴方に伝えと、約束するわ。」

 

 彼にその言葉が嘘か本当かを判断することは出来なかった。しかし、彼女からのすりガラス越しの視線は決して悪い感じはしなかった。




お疲れ様です。
4月に投稿できて良かった。

桜の開花宣言が全国各地で言われている中、雪降ってんよ。
寒い……。

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