nameress −改訂版−   作:兎一号

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namelessは語る

 少年・影浦雅人にとって目の前の少女はとても異質だった。日本人らしからぬその容姿もそうだが、何より何を考えているのか分からない瞳を普通とは思えなかった。薄暗く、湿っぽい。それのせいか、隠しきれない冷たさが非常に心地悪い。しかし、彼女から刺さるそれはそこまで不快な物では無かったからこそ、彼は少女の提案を飲んだ。

 

「探している人は、如月結城という生きていれば14歳になる少女の両親よ。」

 

 彼女は遠い目をして、そう言った。思い出に浸る様に目を閉じて、少しだけ笑みを零した。

 

「生きていれば?」

「えぇ、彼女は死んでしまったから。私が届けたいのは如月結城が持っていたこれ。」

 

 少女はずぶ濡れの鞄の中からジップロックに入ったネームプレートを彼に見せた。煤けたそれは確かに平仮名で『きさらぎゆうき』と書かれていた。

 

「あとはこれ。」

 

 そう言って彼女は首元から出したチョーカー。底から外された十字型の黒い物体。

 

「何だ、それ。」

「彼女から作られた、武器よ。」

「武器? そんな小さいのが?」

 

 彼は訝し気に彼女にそう尋ねた。少女は難しい顔をした。そのことから少女もこれを渡すのが本意ではない事がうかがえた。「そうなんなけど」と少女は言った。

 

「それでも、これも遺品だから。遺品は家族の元に返されるべき。もしは私の話を聞いて両親が手に負えないと思ったのならこのまま私が持って帰る。」

 

 彼には少女が持っているそれがそこまで恐ろしい物には見えなかった。一見お祭りにでも売ってそうなそれがどうしてそんな危ないものになるのか彼は分からなかった。

 

 二人で麓台町付近をぶらぶらと歩いていると表札に如月という文字を見つけた。中からは人の気配を感じず、チャイムを鳴らしても誰かが出て来ることはなかった。

 

「平日の昼間だから、誰もいねぇんじゃねぇのか?」

 

 ここに来て、自身の言葉にどうして気が付かなかったのか、と若干憂鬱な気分になりながらも彼は少女にそう言った。

 

「でも、こんな雨だから外に出る事なんてないと思ったのだけれど……。そう、私の読みは外れたのね。しかし、全く仕事熱心な物ね。こんな雨の中でさえ仕事に行くなんて。まるで戦場だわ。」

 

 眉を寄せて少女はそう苦々しく答えた。それから少女は彼の方を向いた。

 

「一先ず、家が分かれば後は私が彼女の両親に接触できればいい。道案内、ありがとう。」

「別に、道案内なんてほとんどして無かっただろう。」

 

 彼の言う通り、ここが麓台町だと伝えてからは少女が一軒一軒見て回っていただけだった。彼はそんな少女の後ろを付いて回っていただけだった。

 

「それでも、よ。さて、今度は貴方に情報を伝えるわ。どうせ何も知らないのだろうから、少し話が長くなるわ。私の家でも良いのだけれど、帰りが遅くなるとご両親が心配するだろうし。どうする? 今日は聞くのやめておく?」

「いや、今日聞く。テメェ、用事が済んだらこの街からいなくなんだろ。何時いなくなるか分からない奴に待ってなんていう訳ねぇだろ。」

 

 「そう」と彼女は答えた。それから彼は踵を返して歩き出した。少女は彼の行動に続くように後ろを歩き始めた。傘を打つ雨は相変わらず音は強く、時折雷の音も聞こえて来る。打ち付けられた雨は高低差によって道路端の排水溝へと流れ込んでいった。その勢いはすさまじく、その内許容量を超えるのではないか、と少女は現実逃避気味にそう思っていた。

 今日中に終わると思っていた仕事はもう少しで終わると思っていたが、どうやら計画通りとはいかないようだ。元々、綿密に組み上げられた計画でもないから崩れた程度でどうという事は無い。どうという事は無いのだが、終わりが見えるとどうも早く終わらせたくなってしまうのは良くない事だ。最後の最後まで油断しない事が大事だ、と少女は言い聞かせる。

 

 彼が立ち止まったのは、賑わいを見せる店。

 

 香ばしい匂いはなんと食欲をそそる事だろうか。

 

 彼はその店の横道を通った。トタンに打ち付ける雨は一種の楽器のように様々な音階を響かせている。彼はとある家のドアに手をかけた。家の中を伺うように左右を見渡してから「着いてこい」と小さな声で言った。その様子からどうやら彼自身がここにいることを知られたくないようだ。

 水に濡れて大変なことになっている靴を脱いで二階へ上がった。木の軋む音にも細心の注意を払い、二階のとある部屋に入った。漫画の雑誌などが多少床に置いてある、男性の部屋というべき部屋だ。少女は恐る恐るその部屋に足を踏み入れた。

 

「取り敢えず、これで拭いとけ。」

 

 そう言ってこちらに投げられた黒のタオル。彼は床に落ちた雫を拭きに出て行った。少女は軽く髪を乾かすと、後は面倒だ、と思つ他のだろう。トリオン体に換装した。流石に黒トリガーでいるのは憚られたので、通常トリガーの方を換装した。

 

 緑色の軍服に袖を通すのは、一体、何年振りだろうか。

 

「っ!? びっくりしたじゃねぇか。」

「あぁ、これはトリオン体というのよ。分かり易く言うなら戦闘する為の体。『かめんらいだー』よりは『うるとらまん』だったかしら? あちらに近いわね。」

 

 廊下を拭き終わった彼がそう言って怒った。彼はベッドに腰掛けると「話せ」と催促して来た。

 

「まずは自己紹介から始めましょう。私は近界(ネイバーフッド)からこちらに戻って来た元一般人。名前は忘れてしまったわ。あちらではnamelessとか呼ばれていたけれど、まぁ、好きに呼んで。」

「影浦雅人だ。」

「そう。では、影浦君。貴方に副作用(サイドエフェクト)について解説したいと思うわ。」

 

 少女はまずトリオンの説明から始めた。

 

「まず、体の中にはトリオン器官という目に見えない臓器が存在していることを理解して。目に見えないから、形も色も大きさもわからない。」

「どうやってそれがあるって知ったんだよ。」

 

 彼はとても疑問だ、とそんな表情を浮かべていた。しかし、少女にはその問いに答えることは出来ない。何分、そんな事どうでも良かったのだ。

 

「さあ、知らないわ。生憎とあちら側の歴史に詳しいわけではないの。その臓器はトリオンというエネルギーを生成できる。そのエネルギーを工夫して使えば、体だって作ることが出来る。」

「生身にしか見えねぇけどなぁ。」

「生身に見えるように作られているからね。この軍服も全てトリオンで出来ているわ。この町を襲っている白い奴も全てトリオンで作られた兵器よ。」

 

 少女はそこで言葉を切った。

 

「貴方の抱える問題は、トリオン器官が引き起こしていると考えられる。トリオンを生成できる能力の高いトリオン器官は、時々人の感覚を鋭くしてしまう事があるの。これを副作用(サイドエフェクト)と言うわ。」

「サイド、エフェクト……。」

「そう、貴方の視線が刺さると言うのは、副作用(サイドエフェクト)によって触覚が過敏になっているからじゃないか、と。そう思うだけ。実際にトリオン器官を測定するための機械があるけれど、私は持っていないから立てられるのは仮設だけ。ボーダーに行けば、はっきりと答えが出るでしょう。」

 

 影浦雅人は自身の手をじっと見つめて何も言わない。

 

 戦場でなんと有利な副作用(サイドエフェクト)だろうか、と思いはしたが、平和なこの国では煩わしいだけだ。それにこの街の人口をよく知らないが、人が多いのは確かだ。それに彼は素行が悪い。見た目も善人ではない。これがもう少し大人しい見て呉れをしていたならば、多少の印象も違っていただろう。

 

「治るのか?」

「さぁ? 治そうとした例は聞いたことはないわね。」

 

 少女は首を横に振った。その様子に影浦雅人は眉を寄せた。影浦雅人にとって治したい身体症状はあちら側では重宝される物だった。副作用(サイドエフェクト)を持つ人間は、国によっては徴兵の対象だ。少女は一度、長平の対象だった少年をその国から連れ出す手伝いをした事がある。強力な副作用(サイドエフェクト)は彼の母親を殺してしまった。影浦雅人の家族は死んではいないが、副作用(サイドエフェクト)が出るという事は兵士になるには十分のトリオン量を持っているという事だ。

 

副作用(サイドエフェクト)を持った人間はとても貴重なの。トリオン器官が優れている人間皆が副作用(サイドエフェクト)を持っているわけじゃない。これは体質。上手く付き合って行くしかないと思うわ。」

「そうか……。」

 

 影浦雅人の愕然とした表情を見て、少女は少しだけ気まずくなる。その表情は、一人の少年にとてもよく似ていた。あの少年は、幼さからかぷっくりと頬を膨らませることの方が多いが。

 

 少女は気持ちを切り替えるために数秒瞳を閉じる。そこにはやはり悲しそうな表情の影浦雅人がいる。しかし、先程までと変わりさほど気にならない。少女は「他に聞きたい事は?」と尋ねた。

 

「……、ちょっと待て。近界民(ネイバー)って、あの白いのじゃないのか?」

「あれはただの兵器。あれを作っているのは同じ人の形をした異星人。」

 

 彼は驚愕の表情を浮かべた。大きく目を見開き数回瞬きの後、何度か何かを言おうとしてやめるを繰り返した。

 

「ボーダーがその事実をひた隠しにしている理由は知らないけれど、この事は公言しない方が良い。秘密を知っているとなると、最悪殺される。」

 

 この言葉は少女の中の常識に当てはめた時の言葉だ。少女は日本が法治国家であることなんか知った事では無いし、実際に興味はない。法治国家だろうが、独裁国家だろうが。どの道出て行くのだ。

 

「お前は、あっちに戻るんだよな。」

「そうよ。」

「何でだ?」

 

 少女は首を傾げた。彼の質問の意図が理解出来なかったのだ。少女には、逆にここに残るだけの理由が無かったからだ。少女にとって玄界に対しての執着は、両親でも親友でもない。たった一人の彼女の願いだ。少女が持っていた執着は、少女自身の思いから派生した物では無い。元々そこまで確固たる意志を持っていた訳では無いのだ。

 

「両親はいない、のかな。玄界より近界の方が私にとっては住み易い場所……。いいえ、住み慣れた場所なの。だから、私はあっちに()()のよ。」

「変な奴。こっちで生まれたのに。」

「そう、なのかしら。私には分らないわ。私はまだ私と同じ様にこちらに帰ってきた人間を見た事が無いもの。でもきっと、私にとっての故郷ってここではないの。」

 

 多くの傷を負った。それは身体的な物だけでは無い。精神的にも傷ついた。少女はそれに慣れている節があった。

 

 だって辛いじゃないか。

 

 ふと、そんな事を隅に追いやっていた心がそう呟く。胸裏に隠していた傷がじくじくと疼いた。それでも脳裏ではそんな事を考える余地はなかった。

 少女は立ち上がり、「帰るわ」と言って窓を開けた。少女はそのまま土砂降りの中に飛び降りた。影浦雅人は雨の中を傘もささず、通りを走って行く少女をじっと見た。それから窓を閉めてから「アイツ、靴忘れて行きやがった」と小さく呟いた。

 

 こそこそと一階に降り、彼は濡れた革靴を回収した。彼はそれを仕方ない、と自分の部屋のハンガーにかけた。

 

 

―――それは、受け入れるしかない。

 

 

 彼女は、そう言った。治す術はない、と。

 

 他人と違う、という事はそれだけで心を摩耗するものだ。自身の居場所は決して心の底から馴染めない。それは生まれ持ったものがあらかじめ決める。持たぬものには、それを考えなくてよいという特権を持つ。考えなければならいと言う特権を背負わされて生きる者の苦痛は、誰にも理解されない。

 

 しかし、それは一体他に生きる者と何が違うのだろうか。

 

 誰もが共通するものを持ち、誰もが共有できないものを持っている。その種類の違いで人間は苦しむ。それをいつか自分なのだと受け入れなければならない日が必ず来る。若い彼らには、まだ難しい話なのかもしれない。

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