五席目の少女 作:今更とじみこにハマったマン
沙耶香ちゃんとの戦いをどう書くかを悩み、そこに私用が重なり、更にドルフロに浮気していたら、こんなに時間がかかってしまいました。ちなみに遅れた主原因は最初の奴です。戦闘描写難しい……。
それにしても、ドルフロって面白いですね。ソシャゲなのに設定凝ってるし、私の大好物なACみを感じる世界観がビンビン来ました。正直書きたい。
あ、今回の話は普段より文字数多めなので、私の拙い文章を細部まで読む物好きな御方は途中で休憩を挟むといいと思われます。
会場には緊迫感が満ちていた。先程まで隣の友人と喋っていた刀使たちは、今は皆一様に緊張を顔に出して、とある一点を見つめている。
その張り詰めるような感覚は、全国のテレビの前の者にも伝わっていた。見られている筈はないのに、なぜか自分の事を見られているような錯覚を覚えた。
そのとある一点とは、親衛隊を従えて建物の奥からカメラの前に現れた紫であった。
その場に居るだけで人々を圧倒する威圧感を、さも当然のように雰囲気として身に纏っている紫は、5人の親衛隊に頭を下げられながら用意された椅子に座った。
……普段は不真面目な結芽も、この時ばかりは真面目にするらしい。横で礼儀正しく頭を下げている結芽の珍しい姿に、京奈は場違いにもそんな感想を抱く。
京奈が戦う会場は、毎年春に御前試合の決勝戦で会場としても使われる広い場所だ。建物の方には親衛隊達が居て、反対側の門の方には高津学長と一人の刀使がいる。
どうやらこの戦いは、御前試合という伝統と名誉ある大会の決勝戦と同等か、もしかするとそれより上の価値があると判断されているようだ。
(あの子が沙耶香ちゃん……)
高津学長と何かを話している……というよりは、一方的に高津学長が話しかけているように見えた。
しかし、そんな様子を詳しく観察する間もなく、審判の声が静寂を切り裂くように響く。
「双方、前へ」
その言葉に、とうとう始まるのかと他人事のように京奈は思った。
「ベストを尽くしてくるといい」
「応援していますわよ」
「お気をつけて」
「頑張れー」
他人に聞こえない程度に小さく、しかし京奈には聞こえるように応援の言葉も貰った。
京奈はそれに頷き、地面に敷かれた
「お互いに礼」
頭を下げた京奈の脳裏には、テレビを通して自分を見てくれているであろう祖父の顔が浮かんでいた。
(おじいちゃん……見ててくれてるかな)
京奈の実家では、吾朗がテレビの向こうに映る京奈を心配そうに見ている。孫の晴れ姿であると同時に、彼女が傷つく戦いの様子を見る彼の内心は複雑だった。
「抜刀」
言われた通りに御刀を抜く。使い慣れた母親の形見であるそれを握っていると、さっきまでガチガチに緊張していた気持ちが解れていくような気がした。
「写シ」
ほぼ同時に白いベールのような写シを纏う。これで死ぬ事は殆ど無くなり、存分に暴れられる。……痛くはあるが。
ぴん、と糸が張り詰めたような静寂に満ちた緊張が最高潮に達する。誰かが息を吐く音すら聞こえてきそうな静けさは、審判が腕を振り下ろす一瞬しか持たなかった。
「始めっ!」
開始と同時に動いて先手を取ったのは沙耶香だった。
まずは小手調べと言わんばかりの迅移を使った直線的な攻撃は危なげなく京奈に受け止められる。
そのまま弾かれた勢いで僅かに後退した沙耶香は、しかし再び正面から攻撃を行った。
受け流すために前に詰めたり後ろに下がったりという、京奈にとってはいつもの行動をしながら上半身の色んな場所を狙ってくる斬撃を受け止め流していると…………なんだか、ものすごい目線が集まっているのが分かった。もし目線で穴が開くのなら、今頃は原型を残さぬくらい穴だらけだったに違いない。
攻撃を受けた後の僅かな余裕で視界に映る観客の方を観察してみると、そこには身を乗り出さんばかりの勢いで食い入るように京奈を見つめる観客の姿があった。
皆が京奈の戦いを品定めするような目で見ながらも、盗めるところは盗もうという向上心も込められたものだ。ただ見に来ただけではない辺り、やはり生粋のエリートが集まっているのだろう。
まるで動物園のパンダのような気分になりながら沙耶香の方へと意識を戻す。
京奈は沙耶香の何かを探るような目に気付いていた。
(どこまで対応するかを探られてる……?)
手応えを確かめているというか、守りが甘い場所を探すために雑に打ち込んでいるというような感じだった。その証拠に、狙われている場所がバラバラで落ち着きが無い。
(まだロクに迅移も使ってこないし、弱いところを見つけたら一気に来るのかな)
上段からの振り下ろしをサクッと躱して、直後の切り上げは軽く弾く。
このように考え事をしながら京奈は御刀を振り回しているが、こんな事が出来るのは今が序盤だからだ。
戦いが過熱すれば悠長に物を考える余裕なんて無くなるが、序盤ともいえる現在、お互いに様子見の体が濃く宿っている。お互いを使ったウォーミングアップの最中といえば良いだろうか。
つまり、こうして考え事をしても問題のないくらい内容が薄い状態だった。結芽と同じくスピードタイプだという沙耶香がまだ数回しか迅移を使っていないのがその証拠だ。
ただ、向こうが段々とその気配を鋭く尖らせてきているから、もうそろそろ本格的な戦いが始まるのは間違いなかった。
沙耶香が気配を尖らせるのに呼応するように、京奈の目つきが厳しくなっていく。溢れ出た緊張が、序盤の終わりを告げる。
そのまま十合……つまりは御刀が十回ぶつかり合った直後のタイミングで、沙耶香が仕掛けた。
(迅移、来るっ!)
軽やかだった沙耶香の足が、気をつけなければ見過ごしてしまう程度の重さで踏み込んだ。
そして直後に──先程までの雑なものとは違う、洗練された必殺の一撃が京奈を襲った。
(やっぱり早い!)
想定よりも遥かに早い突きが喉を貫こうする。それを辛うじて受け流した京奈に沙耶香は更に追撃をかける。
(右薙ぎ、左薙ぎ、突きから袈裟斬り……いや、これはフェイント)
沙耶香の猛攻に押されるようにして若干後退しながら速さに目を慣らしていると、京奈はある事に気がついた。
「迅移を常に使ってる……?」
思わず漏れた声に沙耶香は何の反応も返さず、しかし、その動きが答えを物語っていた。京奈の動きとは倍くらい機敏さが違う、まるでビデオの早送り映像のような機敏さだった。
普通、迅移を常に使用するなんて事は出来ないし、その用途は移動が殆ど。それを攻撃にも用いて、しかも攻撃の最中すら迅移を切らさないなど想定していない。そんな事が出来る刀使が存在するなど、思いもしなかったからだ。
だが相手は高津学長が自ら完璧などと謳うほどの強力な刀使だ。並の刀使と一緒なわけがなかった。
この時の京奈は知らない事だが、迅移を継続使用する沙耶香の能力は無念無想と呼ばれている。
(これが鎌府の天才……結芽ちゃんとはまた違った速さを持つ刀使!)
序盤からいきなり沙耶香に主導権を取られる形となったが、京奈もそれは織り込み済みだ。防御しか出来ない自分が序盤の主導権を握る事は不可能だということは最初から分かっていた。
「さすがエリート校の代表……迅移を継続使用する刀使なんて聞いたことないよ」
午前中かつ早めの時間に始まった戦いを、録画機器を稼働させながらテレビを見る舞衣は、沙耶香の非常識な能力に驚きを隠せない。
迅移の制御にはかなり繊細なコントロールと集中力を要するというのに、それを常に扱うなど考えただけで気が遠くなりそうになる。
「親衛隊の子、ちょっと押されてるよね。大丈夫なのかな」
舞衣と可奈美の友人である
どっちも無関係の刀使ではあるが、親衛隊としての実力を自分が満足のいくまで見れずに終わってしまうかもしれないと思うと、京奈を心配せずにはいられなかったのだ。
「分からないけど……もしかしたら、このまま押し切られちゃうかも」
「いや、それは無いんじゃないかな」
舞衣の予想を否定したのは、楽しそうにしながらも真剣な目でテレビを見つめている可奈美だった。
「そうなの?でも結構押されてるよ」
「うん。まあ、そうなんだけどさ」
一見すれば、確かに押されているように見える。現に京奈は段々と会場の端に追い詰められていた。
だが可奈美は、京奈の内側にあるセーフティーラインがまだ超えられていない事を何となく見抜いていた。
「あの子、今は確かに押されてるけど……肝心な一線は超えさせてない、気がする」
「えっと……つまり?」
「まだ余裕があるって事かな。少なくとも、すぐに決着はつかないと思う。受けに重きを置いた流派みたいだしね」
戦いは、基本的には先に仕掛けた方が有利である事に疑いの余地はない。
仕掛ける側は攻撃の択を状況に応じて取る事が出来るが、仕掛けられる側はその攻撃に対応しなければならず常に受け身になってしまうからだ。
もちろん戦いの主導権は状況に応じて移り変わるものだが、それでも最初から捨てていいものでは無いのは確かだった。
しかしそれは、あくまで攻める流派同士がぶつかった時の話。相手の行動を起点にする待ちの流派であるなら、先手を譲るのはメリットであり、逆に自分から攻めるのはデメリットと言えるだろう。
京奈の場合、前半から中盤の頭までは主導権を渡してしまう事が殆どだ。バトルスタイルの都合上その方が楽だからであり、今回もその例に漏れない。
常に迅移を使う無念無想は想定外だったが、今のところは初動から動きを推測して受け止める事が出来ている。後はこのまま目を慣らすだけだ。
「安定しそうか」
そんな様子を見た真希は、長期戦にもつれ込みそうな眼前の戦いに少しだけ安堵しながら小声でそう言った。
「ええ。まだ少しだけ危なっかしい気もしますけれど、余程でなければ平気でしょう」
「長期戦は京奈ちゃんの十八番だもんねー」
長期戦になればなるほど京奈の安定感は増していく。逆に沙耶香の方は、長期戦になるとどんどん不利になっていくだろう。扱うのに集中力が必要な迅移を使い続ける能力が、長期戦に向く筈がない。
「向こうもそれを分かっている筈だ。さて、どう攻めてくるか」
そう真希が呟くと、まるでそれが合図だったかのように沙耶香の動きが変わった。
真正面から向き合って戦うスタイルから、己の自慢の速度を生かす方にシフトしたようだった。
戦いは中盤に差しかかったところである。沙耶香は真正面から斬り合うだけでは京奈を倒せないと判断したらしく、今は迅移で左右に揺れながら京奈を翻弄する作戦に出ていた。
左から来る攻撃を流したら、間髪入れずに今度は右から同じように襲ってくる。
その動きに合わせて京奈もくるくる回っているから背後は未だに取られていないが、京奈の神経は少しずつ磨り減っていっていた。
(あともうちょっとで目が慣れるのに、そのちょっとが遠い……)
視界から沙耶香が迅移で消える度に、その方向へ身体を振らなければならないが、京奈が身体を向けた直後にまた迅移で動かれ左右どちらかに身体を振らされる。
結芽のように剣戟を交えるのではなく、ただ速く動いて京奈の神経を削ってくる相手と戦うのはこれが初めてというのもあってか、少しずつ精神的な疲労を感じつつあった。
そんな様子を見ながら、高津学長は悪どい笑みと共に呟いた。
「いいわよ沙耶香。そうやって少しずつ新田京奈の神経を削ってやるのよ」
この作戦は高津学長の指示だ。京奈の守備能力をリサーチしていた高津学長は、たとえ沙耶香でも真正面からでは防御を崩すのが難しいという事を(非常に悔しいが)認めていたのだ。
しかし、あのにっくき新田京奈を打ち倒す為には圧倒的な防御を崩さなければならない。だが、そう易々とはさせてくれないだろう。
どうすればいいかと頭をフル回転させた結果、出た結論が無念無想の速さで無駄に目の前をウロチョロして精神を削るという作戦だったのだ。
ハエが何度も何度もそれなりの速さで目の前に飛んでくるのと、一瞬だけしか見えないくらいの速さで飛んでくるのとでは、同じ事をしていてもウザさが全く違う。
前者の方がしっかりと確認できるだけ、そのウザさと不快感の度合いは後者よりも遥かに強い。
無念無想の速さで無駄に動くという行為を分かりやすく例えるなら、こんなところか。
言うまでもない事だが、速攻で京奈を倒せるのが最善である。つまりこれは次善の作戦だったわけだが、どうやら効いているらしい。
刀使同士の戦いは精神力の差が物を言う世界だと言われている。なぜなら、迅移や八幡力などの能力が全て個々人の精神力に依存しているからだ。
その精神力を削いでしまえば戦いの場において、あらゆる意味で優位に立てるのは間違いない。精神力が弱まれば能力も弱くなるのだから。
だから、他の人間からすれば唯の嫌がらせにしか見えなくもないそれには、ちゃんと意味があるのである。……まあ、高津学長の私情が入っているのは否定できないが。
だがこの作戦、当然といえば当然だが、沙耶香の移動を目で追える刀使が相手でなければ意味の無い作戦だ。
しかし目で追えないのなら、この作戦を実行するまでもなく沙耶香に斬られて終わっていたから、この作戦を行う時点で前提条件は満たしている事にはなるので、そこはあまり問題ではないだろう。
そんな、高津学長の
(なにするつもり……?)
こんな嫌がらせに何の意味が、と京奈は訝しんだが、考えてみても答えは見えそうもない。個人的な嫌がらせなのだから、見えるはずもないが。
散発的な攻撃を受けながら少しだけ考えた京奈は、しかしすぐに考えるのをやめた。
(……まあいいや、別に)
相手の意図がどうであれ、自分には防ぐ事しか出来ないのだ。ならば考えるだけ無駄でしかない。目の前に来る脅威を弾くという仕事に変わりはないのだから。
だが、このままちょこまかと動かれ続けるのも宜しくない。いい加減に鬱陶しくなってきたし、そろそろ主導権を渡してもらおうか。
「でぇぇぇいっ!」
そう決めた京奈は次の瞬間、沙耶香の攻撃を受けた御刀を切り返して、沙耶香の胴体目掛けて薙いだ。
この戦いで初めて京奈が攻撃に移ったが、それは京奈らしくはない事だった。故に、まさか自分から仕掛けるとはと京奈を知る者達は一様に驚いた。
しかし、これに誰より驚いたのは対戦相手の沙耶香と高津学長だった。京奈が攻撃下手だと知っていたので、まさか自分から隙を作るようなド下手な攻撃を仕掛けてくるだなんて思いもしなかったのだ。
その攻撃は事前に聞いていたような酷いものだったが、その予想外な行為によって思考に空白を作ってしまった沙耶香は、そのせいで無念無想が解けてしまった。
が、思考が一時的に止まった間も身体は勝手に動く。無意識に沙耶香の身体は攻撃を躱して、無防備に見える脇腹目掛けて刺突を繰り出した。
京奈の攻撃は刀使であれば誰がどう見ても隙だらけの初心者以下のものであり、それを嘲笑う者は多かった。所詮その程度なのか、過大評価だったなと。
そして沙耶香の行動は真っ当なものだった。隙だらけの攻撃を見て、反射的に叩きに向かわぬ刀使は居ないだろう。
そこに間違いは無かった。少なくとも客観的に見ればそれが正答であるし、京奈が並の刀使であればその刺突は身体を貫いて致命傷を与えていただろう。
しかし、沙耶香は己がやってはならない行為をしてしまった事を理解していた。
動いたのではなく、
今までは自分が主導権を握っていた。こちらから仕掛けて相手の動きをコントロール出来ていた。それは京奈が攻撃を完璧には受け流しきれず、動きに翻弄されていた事からも分かるだろう。
しかし今、その主導権は向こうに渡ってしまっている。つまり、この行動は京奈によってコントロールされた、予想通りの行動に過ぎなかったのだ。
京奈は、自分自身のド下手な攻撃が相手の反撃を誘発させる効果があると気付いていた。
刀使の戦いは一瞬の判断が物を言う世界である。仮に隙を作っても、もたもたしていると迅移で逃げられて体勢を立て直されやすいからだが、そうされないためにも優秀な刀使であればあるほど相手の隙は見逃さない。殆ど条件反射気味に、僅かな隙を致命傷にしようと飛びかかる。
そんな刀使達が、どこからどう見ても隙だらけな攻撃を前にして我慢が効くかと言うと、それはノーだった。
この事実はさっきの沙耶香が証明している。そして京奈はそこを利用したのだ。
これは親衛隊という、随一の実力を有する刀使達との戦闘で見つけた刀使の習性だった。
下手すぎて逆に釣られてしまいますわ。と寿々花に言われ、戦場でも荒魂に横から散々どつかれまくった京奈が思いついた、防御のための攻撃。それは相手が優秀であるほど効果を発揮する。
主導権を握った事を示すかのように京奈は御刀を逆手持ちして刺突を呆気なく防ぎ、結芽の手癖が伝染ったのか手の中で御刀を回転させて元の持ち方に戻してから、更に斬り掛かった。
沙耶香はそれを受け止めざるをえない。攻撃と攻撃の間が何故か妙に空いているから逃げる事は容易だが、それが出来ない理由があった。
この戦いは全国の人間が見ている。伍箇伝の刀使たちは言うに及ばず、下は小学生から上は国のお偉いさんまで、幅広い層にだ。
であるから、これは鎌府にとって大事なアピールチャンスだ。ここで学校代表の優秀さを見せつければ、政府機関のみならず大手企業からの資金提供も望める可能性がある。
が、それは裏を返せば、仮に情けないところを見せてしまった場合、その痴態も全国に広がってしまうという事だった。
そして今の一連の攻防で、京奈の攻撃力はゴミ同然という事が露呈した。ここでもし一合すら打ち合わせずに逃げてしまえば、そのゴミ同然の攻撃にビビったと言われてしまうかもしれない。
この機会に発言力を更に高めたい鎌府にとって、そんな自身の評判が下がりかねない行為は容認できなかったのだ。
だから沙耶香には前もって指示が下されていた。有り得ないとは思うが、万一にも京奈が攻撃を仕掛けてきたら、何合かは必ず打ち合え。そして退く時は整然と、如何にも何かありげな雰囲気を出して退けと。
打ち合うという行為が例え敵の思惑にうかうかと乗る行為だとしても、命令には従わなければならない。
そんな大人の事情が大いに関係して、沙耶香は本来なら簡単に逃げられる筈のところを五合も打ち合わなければならなかった。
そして言われた通りに整然と下がった後、沙耶香は再び攻めるために無念無想を発動した。
きっとこれが最後の発動になるだろう。しかも自らの残りの精神力を考えれば長くは持たない。
ここで沙耶香は、猛攻を仕掛ける以外の……先程のような京奈の目の前をウロチョロする作戦を取ることは出来ない。精神力が尽きかけているというのもあるが、一番はやはり大人の事情である。
ここで攻めなければ、鎌府は腰抜けだというレッテルが貼られかねないのだ。あんな初心者以下の攻撃に日和るなど、それでもエリート校なのかと。
つまり、未だに行動を強いられ続けている。主導権は握られたまま返ってきていない。
ならば、ここでその主導権を取り返さなければならない。そして京奈の守りを崩せなければ、鎌府に待っているのは敗北の二文字のみだ。
「……見えた」
だが、さっきまでは感じられた御刀同士が触れ合う手応えが、今の打ち合いでは感じられなかった。
そこに確かにある筈なのに、まるで霞を切り裂いたような驚くほど軽い感覚が、御刀を通して沙耶香に伝わる。
そして今の呟き。それは沙耶香が一番聞きたくない死刑宣告のようなものだった。
ここで沙耶香は自分が殆ど負けた事を察した。京奈の目が慣れてしまったのなら、もう勝ち目は無いに等しい。
後はどれほど上手く負けられるか。そういう事を考える段階まで来ている。
しかし、それはそれとして戦いはやめない。もしかしたらブラフかもしれないし、京奈の攻撃力は皆無なのだから、反撃で倒される事を気にする必要は無い。
攻め続ければ活路は見える。そんな希望的観測と共に沙耶香は攻撃を続行した。
受け止め、弾き、また受け止めて、弾く。もう何度も慣れた行為を繰り返していると、京奈は何やら自分が遠いところに来てしまったような感じを、ふと抱いた。
そして決心する。これが終わったら帰省しよう。久しぶりに、あの山に帰りたくなった。
「…………」
紫は表情も体勢も変えず、戦いの行く末をただ見つめている。この後に起こる事を、その眼で視ながら。
彼女の予想が正しいのであれば、沙耶香は京奈に絶対に勝てない。もしここから負けるのであれば、それは八百長を疑わなければならないだろう。それくらい、元の実力が違っていた。
しかし、それも無理のない話だ。親衛隊という猛者達とほぼ毎日戦っていて、更には重傷を負うような死線を潜ってきた京奈と、言葉は悪いが格上との対人経験が不足しているだけでなく、絹に包まれ桐の箱に入れられたような愛でられ方をしていた沙耶香とでは、立っている場所が違う。
もし京奈が親衛隊に入りたての頃であれば分からなかっただろう。あの頃は京奈も対人経験が不足していたから、もしかしたら負けていたかもしれない。その確率は半分くらいあった。
しかし、あれからかなりの月日が経過している。その間に開いた差は、根性のような精神論で埋められるほど狭くはないのだ。
(磨けば輝く。だが、その磨き方が甘い。だから輝きも中途半端なものになる)
紫は沙耶香をそのように評価した。芽はある。だが足りない。少なくとも、今の京奈を倒すには攻撃力も自慢の早さも不足している。無念無想を使って結芽と同程度に動けるのなら、まだ分からなかっただろうが……
(……いや、これは新田が輝きすぎているだけか)
普通の刀使であるなら、あれだけの力でも十分すぎる。ただ、今回は相手が悪かったというだけ。
どうやら、京奈という例外を見て少しばかり勘違いをしていたようだ。誰も彼も、あんな風に強い輝きを放てはしないのに。そんな単純なことを忘れるだなんて、どうやら紫もあの輝きに相当目を奪われてしまっていたようである。
「はぁ……はぁ……」
戦闘が始まってから、そろそろ30分が経過しようとしていた。通常5分くらいで決着する刀使の世界では異常な長さの戦いだ。
だからなのか、飽きている者は「まだ終わんないのか」みたいな感じを隠せない。
そして誰もが、沙耶香の息切れは長引いた戦闘時間のせいだと思っていた。
見て分かるくらい切っ先がブレて、攻撃にも精細さが欠けている。これは沙耶香のスタミナが切れかけているせいなのだと。見る側だって疲れるのだから、実際に戦うのはもっと疲れているだろうと。
それは確かにそうだった。だが、それだけが理由ではなかった。
(どう、して)
沙耶香の胸中に、何か大きなものがのしかかっている。それが何かは分からない。しかし、それが叫ぶのだ。
早くそいつを倒せ。自分の視界から消してしまえ。と。
その言葉に導かれるまま、沙耶香は自分でも分かるくらい滅茶苦茶な攻撃を繰り返した。
だが、そんな焦りが篭った剣では京奈の守りは崩せない。その事実が更に胸中を騒がせ、そして焦りが大きくなる。
悪循環を繰り返していた沙耶香は、京奈の次の一言で呼吸が止まりかけた。
「逃がしませんよ」
そう言われてから自分が一歩ずつ退いていたのだと、沙耶香は初めて気がついた。
京奈はそれを、距離を取って仕切り直すための予備動作だと捉えていた。しかし沙耶香にとっては、これはそんな戦術的な意図のあるものではなかった。
(なんで)
京奈が距離を詰めてくる。沙耶香はそれを振り払うように御刀を振るう。しかし、さも当然のように弾かれてしまい、それがまた沙耶香の足を退かせてしまう。
前半までとは真逆に、今度は沙耶香が端に追い詰められていく展開となった。
(分からない)
一歩ずつ下がっていく度に、心臓の動悸が激しくなっていく。追い詰められていくと自覚するたびに、呼吸がどんどん浅くなっていく。
相手は全くといっていいほど攻めてこない、いつもの防御一辺倒のスタイルに戻っていた。
その構えを一見しただけではこうなる要素は何も無い筈なのに、どうしてこうなっている?何が自分をこうさせる?
(わからない。なにもわからない)
今まで、自分が相手をして倒せない刀使など居なかった。最強だなんだと持て囃された事は一度や二度ではない。
だが目の前にいるのは、そんな自分が倒せない鉄壁の守りを持つ刀使。超えることの出来ない高い壁。
攻撃が一切通らない。
打ち崩せない。
無念無想も、もう通用しない。
そんな、自分の持ち札を全て使い切ってもなお勝てない相手を前にして平静を保てるほど、沙耶香は戦闘経験を積んでいなかった。
ここで何より不幸だったのは、沙耶香が天才である事であった。一般人であればぶつかった筈の壁にぶつからないで此処まで来てしまったから、挫折感や出来ないという絶望を味わった事が無かったのだ。
……もし、その絶望や挫折感。無力感というようなあらゆる負の感情を味わった事の無い人間が、絶対に負ける事の許されない戦いでそれを味わってしまったら、その人間はどうなってしまうのだろう。
「あ……」
トン、と背中が何かに触れた。それが何かを理解したから、思わず絶望が声となって漏れ出た。
「行き止まり、ですね」
無情に告げられた言葉が、命を刈り取る死神の鎌のように沙耶香の希望を奪い去った。
自慢の速度を生かせないばかりか、逃げることすら許されない場所。つまり4箇所ある角の一つという沙耶香にとっての処刑場だ。
視界が狭まっていく。御刀同士がぶつかる金属音がやけに遠い。荒くなっていく呼吸すら、聞こえなくなってきた。
「あ……」
──迫ってくる。決して押し返せず、かといって壊す事も不可能な壁が、沙耶香を押し潰そうとしてくる。
使命感、遂行しなければならない命令、恐怖、絶望、無力感、果たせない任務、己の存在価値、期待を裏切る、罪。
そういったものが、現実には存在しない壁を沙耶香の視界に出現させていた。
「ああ……」
どこにも逃げ場なんて無い。このままでは、沙耶香は壁に潰されて死んでしまう。それは物理的にではない。精神的にだ。
「もう諦めてください。私、出来れば人を斬りたくないんです」
足掻くな。運命を受け入れろ。
諦めろという言葉の意味を、そういう意味合いだと沙耶香は誤認した。後半の言葉は聞こえていなかった。
…………既にこの時、沙耶香は錯乱していたのだ。発狂一歩手前と言い換えても構わない。
しかし、それをこの時の沙耶香はまだ分からない。沙耶香が恐怖というものを自覚するのは、もう少し後の話だ。
「ああああああああああああああああああああ!!!!」
そして、タガが外れた。無意識下で抑えられていた、あらゆる負の感情が決壊してしまった。
その感情によって誘発された行動は、自然と京奈へ御刀を向けて突進という行為を取らせていた。
消えろ、消えろ消えろ消えろ!
声にならない叫びに殺意を乗せて、沙耶香はその首を切り落とすために迅移を使った。
京奈を討てば、この分からないものから逃れられる。そう信じていたから動きに迷いは無かった。
まずは一段階迅移で、
続いて二段階迅移で、
最後に、今まで使った事も無い三段階迅移で、
押し寄せる正体不明の恐怖やプレッシャーを、京奈への敵意や任務を果たさなければならないという使命感などを総動員して押し返す。
そうしなければ、なにかが壊れる。そんな気がした。
だが悲しい事に、無念無想とは違うが普通と呼ぶには荒々しい迅移を用いた強引な攻めには京奈も驚いたが、だからといって何が変わることも無かった。
三段階迅移なら結芽で見慣れているから今更目新しさは無いし、どうやら結芽と違って殴ってきたり蹴っ飛ばしてきたりもしてこない。寿々花のようにテクニカルな技術も無ければ、真希のように一撃が強いわけでもなく、夜見のように序盤から躊躇いなく捨て身の特攻もしてこない。
(……そっか)
そこまで考えて、京奈は薄々と気づいていた事を改めて実感した。
(やっぱり親衛隊って、みんな凄く強かったんだ)
疑っていたわけではないが、外部で天才と呼ばれる刀使のレベルを体感して、それをなおさら実感できた。折神紫が見出した親衛隊は、なんの誇張も無く最強の刀使たちで結成された組織なのだという事を。
「決して破れぬ最強の盾、か……」
真希は先ほど紫が京奈に告げた言葉を思い出していた。
そして思う。自分は相性が良かっただけかと。
「守りを崩せないという事が、どれほど心の余裕を削るのか…………わたくしには良く分かりますわ。あの圧迫感は、耐性が無ければあっという間に押し潰されてしまいますもの」
京奈と対峙した時のジリジリと崖っぷちに追い込まれる焦燥感を寿々花は良く知っている。真希と違って火力不足な寿々花では、京奈の防御を破れなかったからだ。
しかも攻撃力が無い事が仇となって、京奈にその気が無くとも、じわじわと真綿で首を絞めるような戦いに自然となってしまう。その気は無いのに、いたぶるような戦いになってしまう。
だから、寿々花は沙耶香に心の中で同情しながら目を伏せた。大人の変なプライドに付き合わされて御披露目という儀式の供物にされた彼女を、これ以上見ていられなかった。
──そして会場は、テレビの向こうは、異様なほどに静まり返っていた。
誰も彼も、その非常識ぶりに言葉を失っていたのだ。
沙耶香は十分に強かった。天才と囃し立てられるのも納得のいく強さだ。無念無想という力も相まって、エリート校の代表に相応しい実力があるだろう。
しかし、それはあくまでも人間の範疇にある強さであった。まだ理解できる範囲にあった。
だが、彼女のは何だ?あれだけの猛攻を受けても写シについた傷が数えられるくらいしか無い彼女の強さは、人間が持っていい物とは到底思えない。
ここで、紫が京奈を直々に出向いて連れて来たという事実を知る者は、どうしてそんな事をしたのかを納得した。こんな非常識極まる強さを持つ京奈は、どこも欲しがる逸材だ。
まるで火のような勢いで攻め立てる沙耶香と、静水のように受け流す京奈。
2人の角際での攻防は、それほど長く続かなかった。
「あ……!」
果たして、それは誰の声だったか。
御刀同士がぶつかりあった衝撃で沙耶香の手から御刀がすっぽ抜けたかと思うと、沙耶香はそのまま糸が切れたかのように倒れてしまった。
「えっ、ちょ!?だ、大丈夫ですか?!」
想定外の事態に惚けたのも一瞬、京奈が急いで駆け寄ると、状況を周囲も騒然とし始めた。
「……つまんないなぁ」
ただ立って見ているだけだった結芽の呟きは、横を通り過ぎる担架にかき消されて宙に消えた。
結芽と担架がすれ違う刹那、ちらりと見えた沙耶香の顔は、悪夢に魘された人のそれだった。
聞かれそうなので先に答えておきますが、沙耶香ちゃんは好きです。……本当ですよ?感情薄めのキャラは好きなのです。