五席目の少女 作:今更とじみこにハマったマン
「そっか、可奈美ちゃんは無事なんだ……良かった」
テーブルを挟んで沙耶香と向かい合う位置で、心底安心したように来客──舞衣は言った。
聞けば、沙耶香を訪ねてきた彼女は、沙耶香が逃がした2人の内の片割れである可奈美の安否を確かめるためだけに来たのだという。
そのためだけに他校の生徒と、しかも謹慎中の身と接触するなんて些か度が過ぎていると沙耶香は思ったが、それを口には出さなかった。
「……あっ!ごめんね、目の前で失敗した仕事の話されたら嫌だよね」
「気にしない。負けたのは事実」
不調だったと言い訳をする事は出来る。万全であったならと負け惜しみも言える。
だが、たとえ万全であったとしても手負いの姫和はともかく可奈美には勝てなかっただろうなと沙耶香は思っていた。
京奈の時とはまた違う、純粋な技量で追い詰められて負けるべくして負けたという思いが強いからなのだろうか。
「……強かった?可奈美ちゃん」
舞衣は躊躇いがちに、しかしすぐ次の話題を振った。短い間だが、こちらから質問をしないと会話にならない事を舞衣は学習していたからだ。
「うん。かなり」
「そっか。じゃあ、えっと」
「…………?」
そこで舞衣は一旦口を閉ざした。そして何かを気にするように沙耶香を何度も見て、時間がそれほど余っていない事を思い出したのか、やがて決心したように沙耶香に質問を投げかけた。
「新田さんとだったら、どっちが強かった、かな……?」
「…………それは」
分からない。京奈と可奈美とでは状況が違うし、自分のコンディションも天と地ほどの差がある。
だからどっちが強いのかなんて、沙耶香に分かるわけもなかった。ただ一つだけ言えるのは
「どっちも強い。私なんかより、ずっと」
自分がまだ立てない領域に、あの2人が既に立っているという事だけだった。
「へくしゅんっ」
そんな会話がされている夜空の下、雨宿りのために逃げ込んだ廃屋から、雨の上がった外へと出た可奈美がくしゃみを一つした。
「うぅ……風邪ひいたかな?」
「私に
季節は夏に近づいているものの、雨上がりで夜ともなれば肌寒さを感じてしまうほどだ。風邪をひいてしまう可能性も無いとは言えなかった。
雨上がり特有の匂いを鼻で感じながら、姫和は油断なく周囲に鋭い目線を走らせていく。追手の姿は見えないが、撒いたとは思っていない。折神家は、そして親衛隊は、絶対に姫和と可奈美を逃がさないという確信があった。
「……居ないな」
「このまま石廊崎まで、何事も無く辿り着ければ良いんだけど……」
「それは有り得ない。機動隊や鎌府の刀使を使ってまで追いかけてくる奴らが、このまま私たちを逃がしてくれるとは考えられん」
折神家から逃げ出した当初は宛もなく逃げ回っていた2人だが、今は途中で匿ってくれた
『たった2人の謀反者達』という呼称で姫和と可奈美を呼んだファインマンは明らかに2人の目的を知っているようであり、立ち向かう覚悟は良いか?と聞いてきたのだ。
何にとは言っていないが、立ち向かうという単語を使う時点で、どのような存在に刃を向けているのかは知っているのだろう。
「さて、鬼が出るか。それとも蛇が出るか」
「もうっ。姫和ちゃんったら、まだファインマンさんのこと信じてないんだ」
「当たり前だろう。あのアバターを使っている人間が、私たちの味方であるという保証はどこにもない。むしろ、敵の罠という可能性の方が高いと私は思っている」
可奈美の言う通り、姫和はファインマンという謎の存在を殆ど信用していなかった。
だが、それも当然の反応というものだ。突然現れたくせに、こちらの事情を一方的に知っている相手を警戒しなくて、一体誰を警戒するというのだろう。
「ならなんで石廊崎に向かってるの?」
「もし敵なら斬り伏せる必要があるからだ」
姫和は己の懐に大切に仕舞ってある手紙に意識を向けた。姫和が単独で折神紫に無謀な奇襲を仕掛けた理由の全てが、そこには記されている。
この手紙は誰にも見せたことは無い。にも関わらずその存在を知られているという事実は、姫和に若干の恐怖を与えていた。
(これも折神紫の策略の内か?しかし、そうなら手紙を残しておく理由は無い。不都合な事実しか書かれていない手紙を、どうして処分しないんだ?)
相手の考えが読めない。考えれば考えるほど沼に落ちていくような錯覚を姫和は抱いていた。
「──ッ!?」
そして、そんな風に思考に埋没していたからだろう。肌でヒリつくものを感じた時の反応が一瞬遅れてしまったのだ。
空に浮かぶ黒雲が月の光を隠し、周囲一帯を薄闇で包み込むと同時、一本の木が不自然に動いた。
「くっ?!」
ただならぬものを感じた姫和が姿勢を崩すのも構わず咄嗟に横っ跳びをすると、姫和が立っていた場所に何者かが飛び降りて来た。
細かく砕けた石が姫和の柔らかい肌にかすり傷を付けて消えていく。
「姫和ちゃん!」
「やはり来たか……何者だ!!」
2人が御刀を抜いて写シを纏うと、まるで狙ったかのように黒雲が流れていき、月明かりが再び道路と襲撃者の正体を照らす。
「ありゃあ、思ったより反応が良いですネー」
クモの巣状に広がった亀裂の真ん中に立っていたのはエレンだった。
周辺に生い茂っている木のうち、特に枝が太い一本から空中に跳び上がり、勢いをつけた飛び蹴りをぶちかましてきたのだろう。
その証拠に、片足がコンクリートをブチ抜いて道路に突き刺さっていた。
「それとも、今のは私の油断を誘うための演技だったとかデスかね?」
「お前は……!」
「御前試合で姫和ちゃんと戦ってた人!」
写シを既に貼っているエレンは、余裕綽々という様子で飛び蹴りに使った片足を引き抜いた。パラパラと細かい破片と共に月明かりに晒された片足は、当然のように傷一つついていない。
「まっ、良いデショウ。今のが偶然か、それとも必然だったかは……」
エレンから漏れ出る闘志が一気に増大する。2人が改めて気を引き締めるのとほぼ同じタイミングで、エレンが迅移を用いて距離を詰めた。
「すぐに分かる事デスからねッ!!」
「くっ!」
まず狙われたのは姫和。地面と水平に刃を倒した横薙ぎを、迅移で一歩後ろに下がる事で回避する。
「やらせないよ!」
下がった姫和と代わるように可奈美が飛び出し、薙ぎ終わって無防備な姿勢を晒しているエレンに斬りかかった。
「よっ、と!」
が、エレンとて自分がどのような姿勢なのかは分かっている。だから横薙ぎの勢いに身を任せ、右足を軸にくるりと回った。
背中を僅かに掠める程度に攻撃を外された可奈美が次に見たのは、顔めがけて飛んでくるハイキックだ。
「…………!」
「そこだ!」
それをしゃがんで避けると、今度は姫和が接近して突きを放つ。足を振り抜いたエレンは、伸ばしきった足を曲げながら御刀の柄で突きを受けた。
凄まじい難易度の技を軽々と成功させたエレンに姫和は心の内で舌打ちを一つすると、手首を動かして角度を変え、絶妙なバランスで拮抗している柄と刃のつり合いを崩しにかかる。
それに気付いたエレンは、自分から後方に迅移を使う事で読み合いを拒否。いきなり同じ力で拮抗する物の片方が消えた事で、姫和が僅かにつんのめった。
(この2人……)
「見えたっ!そこ!」
そのまま仕切り直しといきたいところだが、下がったところで今度は可奈美が接近。僅かながらも両足が宙に浮いている瞬間を狙い撃ちされたエレンは避ける事が叶わず、圧倒的に不利な鍔迫り合いに持ち込まれた。
(思っていたよりずっと連携が上手い。これが本当に即席デスか?)
刀使において鍔迫り合いとは、基本的に八幡力の出力の強さが物を言う。だから互いの出力が完全に互角なら、体格差があっても不自然なくらい動きのない鍔迫り合いを行う事も出来たりする。
そうして押しも押されもしない互角の鍔迫り合いを演じながら、エレンは目の前の小さな謀反者を見つめた。
衛藤可奈美。
エレンが所属している組織が過去を洗ってみても十条姫和との接点はまるで無い。にも関わらず、どういう理由か共に行動している謎の存在。
何が目的で、どうして姫和を助けたのか。それは折神家を敵に回すだけの理由なのか。
まさか『姫和とのタイマンの決着をつけたいから』なんて理由であるとは想像もつかないエレンは、可奈美の真意を計り兼ねていた。
(……今はそれどころじゃないって分かってるけど、もっとこの人と立ち合いたい)
一方の可奈美は、僅かな間とはいえエレンと立ち合った事で、"相手の剣術をもっと楽しみたいがために手を抜いてまで戦闘を長引かせる"という悪癖が出かかっていた。
今は何とか抑え込めているが、このまま続けてしまうと使命そっちのけで楽しんでしまいそうだ。
(う〜〜っ、こんな時じゃなかったら思いっきり楽しめたのに)
「行くぞ可奈美!」
それを自分で危惧していたからこそ、普段ならば水をさすような姫和の言葉がとても嬉しく思えた。
鍔迫り合いの横から襲うカタチで姫和が追撃の一手を繰り出す。可奈美から見て右──すなわちエレンから見て左だ。
「おおっと、これは少々マズいですか……ネっ!」
「うわぁ!?」
エレンが急に金剛身の出力を上げた事でバランスを崩された可奈美が突き飛ばされる。エレンはそれ見届けないで姫和の攻撃を受け流した。
そうしたことで互いの顔が接近した瞬間、ほんの少しだが言葉を交わす余裕が出来た。
「邪魔をするなら再び斬り捨てる」
「御前試合のようにはいきませんヨ?」
その言葉が呼び水となったのか、姫和とエレンが全く同じタイミングで迅移を使った。
エレンの迅移は、直線の速度だけで言えばさほど速くない。それでも平均より上ではあるものの、万全とは言い難い姫和でも十分に対処可能なものではあった。
「そこっ!」
「はあっ!」
姫和がエレンの動きを止めたところで、可奈美が左側面から斬りかかる。その動きに合わせて姫和も更に踏み込み、攻撃を当てる隙を作り出そうと動いた。
出会って間も無い即席コンビとは到底思えぬ息の合ったコンビネーション。それにエレンは内心で舌を巻いていた。
「おおっと、そう来ますカ。なら──」
「っくう?!」
振り下ろされた可奈美の御刀に合わせるようにして突き出されたのは、エレンの御刀ではなく単なる肘。すなわちエルボー。
正気か?と思ったのも一瞬。次の瞬間にビリビリと、まるで硬い物を殴った時に受けるような手の痺れを感じた可奈美は、御刀の刃とぶつかった肘が金色に輝いていたのを見た。
刀使の身体が金色に輝く現象など、可奈美は一つしか知らない。
「金剛身……!」
「Exactly!なーんて、言わなくても刀使なら分かりマスネ」
「ええい、やりづらい……!」
可奈美も姫和もエレンに決定打を与えられていない。というのは、エレンの戦闘スタイルが原因である。
エレンの流派はタイ捨流。これはひとつひとつの言葉にとらわれない自在の剣法を意味するもので、つまるところ既存の剣とは異なる剣術という事。
その教えに従って成立しているエレンのバトルスタイルは、長い手足を用いた蹴る殴るという行為を含めた至近距離戦闘重視型。
長い手足がそのまま武器となり、更にはエレン自身が金剛身の優秀な使い手という事もあって、近距離では長船でも屈指の堅さを誇っている。そういう意味では若干毛色は違うものの、方向性自体は京奈と同じ
だが2人にはタンク役との経験がほとんど無く、更には可奈美と姫和が今まで相手にしてきたのは剣術重視の相手であり、体術も出来る相手との経験が不足していた事。
以上の理由が合わさって、やりづらさを感じている理由の一つを作っていた。
もう一つはエレンのスタンスである。
「やはり釣れないか……」
姫和に思いっきり斬りかかっていたエレンは、距離を置かれた事で追撃の手を緩める。
自分から積極的に攻める気はそれほど無いらしい。あくまで迎撃、あるいは守備力を生かせる状況でのみ戦う。
清々しいまでにそれを徹底している様子に姫和は苦々しい表情を作った。
「あの人、自分の強みを理解してる。金剛身の特長も……厄介だけど」
「やるしかない。時間を掛ければ掛けるほど増援が来る可能性が高まるんだ」
相手の有利な状況で戦うほどアホらしい事も無いが、時間に追われているのも事実。
この場において、そもそもの前提条件からして姫和と可奈美は不利なのだ。
「行くぞ!」
「うん!」
苛烈に攻めてエレンのスタミナを早いこと切らして攻めきる以外に有効な手段を、2人は取れなかった。
「とうっ!」
迎撃戦という有利なシチュエーションもあってか、エレンの粘りは凄まじい。
斬撃の合間、一人ではどうしても生じてしまう切り返しの隙を体術でカバーしつつ、防ぎようのない攻撃は金剛身で防いでいる。
細かい傷こそ増えているものの、決定打というには程遠い。
「ここまでの相手とはな……」
御前試合の時にめぼしい刀使の実力は観察していたが、エレンがここまでの巧者だった記憶は無い。
エレンが御前試合で手を抜いていたらしい事を理解した姫和は、警戒レベルを更に一段階上に引き上げながらも呟いた。
「だが、討てない訳ではない」
エレンは巧い。強いではなく、巧いという表現が相応しいだろう。
僅かな間しか使えず、多大な集中力と精神力を必要とする金剛身のデメリットとメリットを正確に把握し、手足の長さという些細なアドバンテージすら全力で使い回すその姿勢は、今まで出会った事の無いタイプだ。
初めてのスタイルの相手に姫和と可奈美はやりづらさを感じてはいるものの、しかし確実に圧していた。
「ありゃあ?私、もしかしなくても圧されてますヨネ」
一方のエレンも、自分が相当マズイ状況に置かれている事は分かっていた。
姫和を構えば可奈美が、可奈美を構えば姫和が、間髪入れずに襲ってくる。それは思った以上に辛かった。
休む間もなく攻撃に晒され続け、流石のエレンも疲労が蓄積していくからだ。
エレンはテクニック面において2人を圧倒しているものの、二対一という数の優位は容易には覆せない。
まだ直撃こそ避け続けているものの、それも時間の問題だろう。
自ら望んで飛び込んだとはいえ、なんて馬鹿な事をしているのだろう。と思わずにはいられなかった。
「まっ、これなら合格でしょう」
しかし、これだけの実力があるなら申し分ない。実力の程は概ね把握できたし、
そう結論を出したエレンは金剛身の発動を一瞬遅らせ、可奈美の攻撃をワザと受けた。
傍から見れば疲労のせいで金剛身のタイミングを誤ったとしか思えず、そう思ったからこそ2人は最後の猛攻を仕掛ける。
「姫和ちゃん!」
「やれ可奈美!」
エレンが後退したのを苦し紛れの行為と受け取った2人は、逃がすまいと前進して距離を詰めた。
「フフッ」
(笑った……?)
何故か嬉しそうに笑うエレンに不気味なものを感じはしたものの、とどめを刺す絶好の機会である今を逃す訳にはいかない。
嫌な予感を振り払うように加速した姫和が刃を突き出して突きの体勢に移った瞬間、エレンは伏せていたもう1人に声を掛けた。
「──今デスっ!薫!!」
エレンがその名を呼んだ直後、風を切り裂く音がした。そして感じる、何か重たい物が接近する感覚。
姫和の行く先に振り下ろされたのは、可奈美や姫和より遥かに大きな御刀だった。
「なん……!?」
「まずいっ、姫和ちゃん!!」
既に突きの体勢に移ってしまっている姫和には、振り下ろされるそれがギロチンの刃のように見えた。
このまま進めば間違いなく頭っから二つに割られてしまう。だが車と同様で刀使も急には止まれない。前方向に加速してしまった以上、そちらに進むしかないのだ。
(何か手はあるか……考えろ十条姫和。私は、こんなところで終われないだろう!)
時の流れがやけに遅く感じる。それに反して超高速で回転し始めた思考は、必死に生存の道を模索していた。
後ろ──下がれない。今からでは速度を落として下がるより先に大きな御刀に斬られる方が先だ。
左右──そこは御刀の攻撃範囲だ。どの道斬られる。
前方──一番生き残る可能性は高いが、エレンに身を張って止められるとどうしようもない。
迅移というものが直線的な動きしか出来ない以上、移動先は主にこの四方向しか存在しないが、その全てが塞がれている。
(まだだ、まだ何か……)
どこを選んでも詰んでいると言えるが、姫和はそれでも諦めたくなかった。
(………………閃いた。だが、こんな事が本当に出来るか?)
そして、その願いが天に通じたのだろうか。ふっと一つの考えが降りてくる。
しかしそれは、考えを思いついた姫和自身ですら可能かどうか分からないようなもの。分が悪い、なんてものではない。
(しかしやるしかない)
他に選択肢は無いのだから、それに賭けるしかなかった。
姫和は迷わず両足をアスファルトを砕く勢いで地面に突き刺すと、そのまま迅移を
「なにを……!?」
予想外の動きにエレンも驚いて成り行きを見守る。てっきりこのまま突っ込んでくるものだと思っていただけに、姫和の動きが全く読めない。
(自ら速度を落としたという事は、後方に下がるつもり?でもそんな事をしても、今からじゃ薫の攻撃から逃れられない。それは分かっているハズなのに)
前方向に掛かっていたベクトルを後ろ方向に発動した迅移で相殺した事で、ガリガリとアスファルトを削りながらも速度が落ちる。だが完全停止には程遠く、その間にも上から攻撃が迫り来る。
「姫和ちゃん?!」
「黙って見ていろ!」
姫和が左足を上げると、保たれていた左右のバランスが崩れて右足が軸になり、姫和の身体が右を向くように回転する。
ここから求められるのは、超速で針の穴に糸を通すような繊細すぎるコントロール技能だ。
「──ここだっ!!」
実際の時間は一瞬。しかし姫和にとっては1時間にも等しい時で見定めたタイミングで、姫和は迅移を発動した。
迅移を発動する時、あまり不安定な体勢で発動してしまうと、急な加速に耐えきれず転んでしまったり等の悪影響を及ぼす。そして最悪の場合は胴体が千切れるなどの大変な被害を受けるのだ。
であるから、迅移を使う時は地に両足が着いていて、しかも足場が安定しているところでのみ使い、少しでも不安定だと判断したなら使用を断念するのが一般的である。
もちろん、刀使として優れていればデコボコの山道のような場所でも安定して迅移を用いる事が可能になってくるのだが……。
姫和が迅移を使った時、体勢は姫和がバランスを崩すか崩さないかのギリギリなラインだった。これが一つ目の賭け。
(何をするのかは分かりませんが、まだ逃れられませんよ)
姫和の迅移は一般的なそれより遥かに速いが、それでも攻撃が届く方が早い。そんなことは姫和とて承知している。
だから迅移の最中に加速した。
「なんっ!?」
今度こそエレンの顎が落ちそうなくらい衝撃を受けた。
姫和が再加速したのはエレンが手を伸ばしてもギリギリ届きそうにない──そして言うまでもなく、姫和からは手が届かない向き。つまり右斜め方向。
「なんて無茶な……」
再加速なんて荒業を行った姫和に思わず言葉が漏れる。そしてそのリスクを知っているだけに、賞賛の念も沸き上がってきていた。
刀使がされる"よくある質問"の一つに「なぜ刀使は迅移を一瞬途切れさせるのか?」というものがある。常に高速移動をしていれば、戦いにおいて優位に立てるのにと。
その質問をされる度に、ほとんどの刀使は苦笑いと共にこう答えるのだという。
『死ぬわ』
迅移という加速術は、素人目にも分かるほど強力なものである。しかしそれは、同時に相当な危険も孕んだ諸刃の剣だ。
そもそも迅移を使うためには、移動したい距離と、移動のために必要なエネルギーを計算する必要がある。
しかし計算といっても、それほど難しいものではない。多くの刀使は雑に「これくらいかな?」程度の認識で使っているし、そんな雑さでも充分だ。親衛隊レベルですら、一回一回の迅移を正確に計算はしていない。
しかし再加速をする場合、そんな雑な認識は許されない。どれくらいの速さで動き、どれくらいの距離を動き、どれだけのエネルギーを注ぎ込むのか。
それらを正確に把握した上で、更に追加で迅移一回分のエネルギーと再加速による距離と速度の修正を入れる必要があるのだ。
これが成功すれば一段階目の迅移の途中から二段階目に急加速して相手の意表を突く。なんて事が出来るものの、失敗すれば勢いそのままにバランスを崩してコケ、顔を地面で磨り潰す事になる。
写シを貼っているから実際の体にダメージはいかないとはいえ、それでもトラウマ級の痛みは感じるので誰も練習したがらない。そもそも練習したところで、戦闘中に悠長に再加速の計算が出来るのかと言われると……。
つまるところ、リスクが高すぎる割にリターンが少ない魅せ技であり、実用に耐えうる技ではない。というのが刀使の間での共通見解なのである。
姫和はそれを行った。つまり、姫和が行った再加速という行為そのものが二つ目の賭けだったのだ。
「crazy……!」
姫和が攻撃範囲から離脱すると同時に振り下ろされた攻撃がアスファルトを砕く。
振り下ろされた御刀、祢々切丸の先にいたのは、エレンと同じく長船の制服を着ている薫だ。
「……なんつー避け方しやがる。今の、一歩間違えてたら大惨事だぞ」
薫は溜息と共にそう言った後、気怠げに祢々切丸を担ぎなおす。その口元が若干ひくついている事からも、今のが相当な無茶だったという事が見て取れた。
「まあけど、意志に実力が伴ってねーって事は無いみたいだな」
「どうする姫和ちゃん」
「どうもこうもない。私たちはまだ終われないんだ」
薫が現れた事で人数差は互角になった、後は刀使の実力で勝敗は決まるはずだ。
しかし、数の優位で何とか圧していたものの、テクニックではエレンに及ばない事など分かっていた。そういう意味では、姫和は明確にエレンに劣ってしまっている。
正直、分が悪いなんてものではないが、それでもやらなければならない。
いつの間にか横に立っていた可奈美と並び立つように御刀を構え、言った。
「こいつらに時間を取られる訳にはいかない。手早く終わらせるぞ」
「そして石廊崎へ……デスか?」
「「…………!!?」」
出鼻をくじくように目的地をピシャリと言い当てたエレンに、可奈美と姫和は言葉を失う。
その驚き顔に大いに満足したらしいエレンが二マッと笑みを浮かべる様子は、イタズラが成功した子供のそれだった。
「どうしてそれを……!」
「どうして、なんて言わなくても分かるのでは?あなた達がファインマンと接触した事は、本人から聞いていますヨ」
「…………あいつの仲間という事か」
それならば、ファインマンから指定された目的地を知っていても何ら不思議な事ではない。
だがそうなると、新たに謎が一つ生まれる。
「なぜ私たちを襲った?やはり敵だからか?」
「テストですよ。立ち向かう敵の強大さを考えると、私たちに負ける程度の実力なら必要ないデスから」
立ち向かう敵……恐らくは、いや、ほぼ間違いなく折神紫のことだろう。そうでなければ、危険を犯してまで姫和たちと接触する理由が無い。
折神紫の力が強大すぎるために、少しでも戦力──それも出来れば即戦力になりそうなものが──欲しい。といったところか。
「……理由は分かった。が、納得も信用も難しい話だ」
「急に襲って信じろという方が難しいのは承知していますケド、そこは信じてもらうしかないですネ」
エレンは御刀を納めて両手を広げる。何もしない、という意思表示なのだろう。
「取り敢えず、目的地に向かいながらお話でもしませんカ?」