五席目の少女 作:今更とじみこにハマったマン
以後、このような事がないように話の流れを気をつけます。
「よいしょっと」
ここまで引きずっていたバッグから、色々なものを取り出して詰める。
「これで最後かな。さて……」
タンスに着替えを詰めた後、京奈は黙って周囲を見渡した。一人で使うには広すぎるベッド。何故か無駄にあるソファ。最新式のテレビや、絶対に高いと確信を持てる家具類……
こんなところを自分が使っていいのかと、戦々恐々としている。京奈は絶対に部屋を間違えていると思っているが、親衛隊の待遇としてはこれが普通だ。
折神家の内部にも、組織である以上は当たり前だが上下関係というものは存在する。それは一般的な年齢というのもそうだが、この場合は役職の事を指した方がいいだろう。
平社員の上に係長、係長の上に課長というような、一般の企業でも見られる序列のイメージが正解だ。
さて、そこで気になるのは親衛隊の序列は如何ほどか。という話。紫から色々と任務を任されているし、部屋だけを見ても分かる待遇の良さ。さぞや高い場所にいるのだろうと考えるのは、なんらおかしい事ではない。
しかし、先にその答えだけを言えば、無い。
これだけだと意味が分からないだろうから少々補足をしておくと、折神家の序列には親衛隊という枠組みそのものが存在しないのだ。
紫の……当主の身辺を警護する親衛隊が権力を持つなど有り得ない。影に徹するべきというのが理由であり、それは尤もだという事から枠外という立場に置かれている。
だから部隊の指揮を任されている真希や寿々花は、厳密に言えば紫の命令権を借り受けているにすぎない。
まあ、そんな建前は誰もが"無かったこと"として暗黙の了解をしているし、部隊の指揮者としても2人が有能だから紫も何も言わない。
結果さえ出すのなら、その過程や形式にはそれほど拘らないのが折神紫という人物だった。
そんな背景もあって、親衛隊は実質的にNo.2の発言力と権限を保持している。だから親衛隊の待遇は非常に良く、例えば京奈に割り当てられたホテルのスイートルームの如き部屋は、その代表格といえた。
1人で使うには些か以上に広い部屋は、今まで使っていた部屋とは比べるべくもない。ここでお爺ちゃんと住んでも全然問題ないくらいだ。
「なんか、かえって落ち着かないなぁ」
そんな独り言が漏れる。
貧乏人ではないが、裕福というには遠い。そんな家庭環境で育った京奈には、この部屋は豪華すぎて落ち着かなかった。
何か壊したらどうしようとロクに寛げない中、扉をノックする音がした。
「あっ、来たかな……どうぞー」
「失礼するよ」
入って来た真希は、やあ、とでも言うかのように片手を上げた。
「すまなかったね。案内を始めて早々に待ってもらうだなんて」
「いえ、気にしてません」
到着した京奈を出迎えたのは真希だった。親衛隊のリーダーとして自他ともに認められている真希は、こういう時は案内をする役割というものを割り当てられていた。
しかしまあ、仕事というものは節操なく舞い込んでくるもので、京奈が今日から使う部屋に案内した直後に真希が目を通さねばならないような仕事が舞い込んだのだ。
「それより、その、用意してもらっていきなりこんな事を言うのは失礼だって分かってるんですけど……」
言うべきか躊躇った。が、京奈が言い出すより先に真希が口を開いた。
「部屋の大きさ、かな?出来ればもっと小さい部屋が良いとか」
「……はい」
真希に驚きはない。まあそう来るだろうなと、ある程度は質問を予期していたからだ。
「あるにはある。だけど…………残念ながら、君は使えない」
親衛隊は実質的なNo.2である。だからこそ、それに見合っただけの戦果を出す事を常に求められるし、それに見合うだけの待遇を受けることもまた、求められている。
要は面子の問題だった。
「やっぱりダメかぁ……」
「その気持ちはよく分かるよ。僕も最初はそうだった」
慣れの問題だよ。ガックリと肩を落とした京奈に真希はそう告げながら、持ってきた服をテーブルの上に置いた。
「これは親衛隊の制服だ。折神家の中で動く時は、基本的にこれを着てもらう事になっている」
「ってことは、今着替えるんですよね」
「そうだね。……僕は外にいるから、着替え終えたら出てきてくれ。もし着方が分からないとかがあったら、遠慮なく呼んでくれていいからね」
「分かりました。じゃあ早速……」
真希が待つこと数分。出てきた京奈に着いてくるように促して案内の続きを再開した。
京奈は、すれ違う人全員から好奇の目線を浴びながら、真希に連れられて折神家の中を案内されていく。
「まずは基本的な場所から行こう。折神家は広いから1日で全部、というのは少し厳しいんだ。だから、後はおいおい紹介するよ」
折神家は特別刀剣類管理局の本部や鎌府女学院と併設されていて、その敷地は広大だ。全てを回っていたら日が暮れてしまう。
そこで今日は初日というのもあり、食堂や大浴場などの毎日使うような場所を優先して案内する事になった。
しかし、その基本的な場所を案内するのですら、およそ1時間に渡るほどの時間を有する。そう言えば、敷地の広大さが伝わるだろう。
「最初は広くて迷うかもしれないけど、そういう時は躊躇わないで近くの人に聞くといいよ。みんな優しく教えてくれるさ」
「わっ、わかみみゃ……」
慣れない場所で初めて会う人と一緒にいる緊張からか、噛んだ。死にたくなった。
顔を真っ赤に俯いた京奈に在りし日の自分を重ねた真希は、その光景に懐かしさを感じながら案内を続ける。
(いくら紫様が見込んだといっても、やっぱりまだ11歳の女の子なんだな)
11歳といえば、まだ小学五年生──つまりは、刀使ですらない女子と同じ歳だ。その歳で今まで育った親元を一人離れて、身内のいない未知の場所に暮らす。
そう考えればこの緊張と不安の混じった反応は自然なものだといえた。
紫が連れてきたという事実が、知らぬうちに真希に身構えさせていたのだろう。しかし、言い方は悪いがとてもそうは見えない今の姿を見ると、その身構えも自然と解けていった。
「──そして最後に、ここが親衛隊のみんなが使う共用スペースだ。正確に言えば親衛隊だけのスペースではないんだけど、結芽が……君と同い歳の子が入り浸っていたら、いつの間にかそうなっていてね……」
「私と同い歳の子が居るんですか?」
「ああ。さ、入って」
扉を開けながら苦笑する真希と一緒に入ると、室内は紅茶の香りで一杯だった。
「連れてきたよ」
「いいタイミングですわね。いまちょうど、お茶が入ったところですわ。……それで、そちらの方が?」
「ああ。新しいメンバーさ」
これから一緒に仕事をする4人の刀使達が、そこにいた。
「改めて、ようこそと言わせてくれ。そして君と会えた事を嬉しく思う」
「こ、こちらこそ。ええっと、新田 京奈です。よろしくお願いします!」
「ふふっ初々しいですわね。こちらこそ、よろしくお願いしますわ。さ、そちらに座って」
「じゃあ、お言葉に甘えて……失礼します」
もしかしたら、かつての自分もこんなだったのかもしれない。
先ほど真希が思っていたのと同じ事を寿々花は考えていた。
京奈が椅子に座ると、今度は結芽が右手にチョコレートを、左手にクッキーを持って京奈に向けた。
「ねえ、クッキーとチョコレートだったら、どっち食べる?」
「え?ああ、うん…………クッキーかなぁ」
「そっか。じゃあはい、チョコチップクッキーあげる」
「あ、ありがとう……」
身長とか口調的に考えて、多分この子が同年代なのだろう。だが今のやり取りから受け取るに、中々破天荒な子であるようだ。
そんな様子を見かねた真希は、自己紹介もしない結芽へと声をかけた。
「結芽。せめて自己紹介くらいはしないと、困っているだろう」
「あ、そっか。私は燕 結芽。歳は同じ、よろしくね!」
「うっ、うん。よろしく」
ガンガン来るなぁと思いながらも、初めて出来た同年代の友達というものに嬉しさを隠せない。ガンガン来るというのも、人付き合いに関しては意外と消極的な京奈には有難かった。
「それで、京奈ちゃんだったよね。流派は?」
「流派?」
「そう、流派!紫様、その辺のこと一切教えてくれなくてさー。立ち合えば分かるの一点張りで」
結芽はそう言ってクッキーを指の間に二枚挟み、それを咀嚼しながら思いついたように言った。
「そうだ!今から時間ある?あるよね!」
「た、多分……」
「じゃあさ、今からやろうよ!」
「えっ」
「ここだと流石に怒られちゃうから、中庭とかで!」
京奈が困惑している間に、あれよあれよという勢いで話が進んでいく。
困ったように真希や寿々花に目線で助けを求めるが、2人は都合良く気づかないフリをしていた。紫が認めた実力を見てみたかったからだ。
「それじゃ、早速中庭に──」
しかし、そこから先は言えなかった。扉が凄まじい音でノックされたからだ。
「失礼します!」
黒いスーツの男性がノックも早々に飛び込んできた。これは何かあったなと確信を持った真希や寿々花は椅子から素早く立ち上がる。
「何事ですの!?」
「荒魂が発生しました!場所は逗子です!」
「近くの機動隊を出して、近隣住民の避難指示と足止めを!鎌府女学院に刀使の派遣要請を出せ!」
一気に空気が切り替わった。さっきまで和やかだったのが、一変して抜き身の刃のような鋭さに変わる。
「すまないが、歓迎会は中止だ。僕達は部隊の指揮を執らなければならない」
「大丈夫です。気にしてませんから」
「そう言ってくれると助かる。……埋め合わせは、また今度するよ」
そう言って真希と寿々花が部屋を飛び出そうと走り出した時、京奈が一週間ぶりに見た人物が現れた。
「全員いるか」
「紫様!」
「いい。楽にしろ」
咄嗟に敬礼しかけた真希たちを手で制す。そして歩きながら言った。
「親衛隊全員、私と本部室に来い」
「はっ!」
すぐに一歩半後について歩き出した3人をボーッと見ていた京奈は、後ろからグイグイ押されて無理やり歩かされた。
「はいはい、そこでボーッとしてないで私達も行くよー。紫様のご指名なんだから」
「私も?」
「当たり前じゃん。呼ばれたの親衛隊みんなだよ?京奈ちゃんだって親衛隊じゃん」
「あ…………そっか。そうだったね」
全員という事は、もちろん先ほど親衛隊入りした京奈も含まれている。まだ親衛隊であるという実感が薄い京奈はそれに気づかなかったが、結芽に背中を押されて本部室まで連行された。
さて、その本部室であるが、不定期かつ出現場所も不明という荒魂の特性の都合上、常に八人のオペレーター達が常駐している。
そのオペレーター達が部屋の四隅のコンピューターを操作し、正面にある三枚の大きなモニターに情報が随時追加されていた。
「荒魂の規模は?」
紫が直接本部室に出向く事は滅多にない。だから紫が入って来た一瞬こそ驚いたオペレーターは、しかしすぐに己の責務に意識を戻した。
「出現した荒魂は中型種。数は一体です」
「現在の様子はどうなっている?」
「荒魂は現在鎌府女学院の刀使3名が足止め中。近隣住民の避難は完了しており、2分後の増援到着を期に反撃に移るようです」
「死傷者数は?」
「現在、死亡者は2名。重軽傷者の正確な数は特定できていませんが、民間人合わせて40名に昇ると推測されます」
「40……」
京奈は思わず呟いた。告げられたその数字は、京奈に荒魂の被害というものを思い知らせるのに十分な威力を持っていた。
京奈を一瞥した紫は、すぐにその目をモニターに戻しながら言った。
「荒魂の足止めに向かわせた機動隊の隊員達は、荒魂の攻撃を受けて少なからず傷を負っている。重傷を負った者はすぐに病院に運んで手当てをすれば助かるのだろうが、そんな環境が都合良く揃っている事は少ないし、搬送途中で力尽きることも多い。
故に重傷の隊員達は基本的に助からない。民間人も同様だ」
だからその任務で最前線に立たされる事は、現代版の赤紙であると機動隊員達の間では言われていた。
同じ戦場の最前線に立つのなら、人間を相手にするだけ避難誘導の方がマシだとも。
「新田。早速で悪いが、親衛隊としての仕事をしてもらう」
「はっ、はい!」
京奈はつばを飲んだ。
先ほど忘れた筈の緊張が、再び胸の内で暴れだす。
そんな京奈は気がついていなかったが、その場は異様な静けさを保っていた。
配属初日に紫から直接の指示が下されるというのは、極めて異例のことだったからだ。
裏を返せば、その異例のことが起こりまくるくらいに紫が京奈を気にかけているという事でもある。
その事に気付いた者は少数だが、気付いた者は等しく目線が厳しくなった。
「なに、そう気張るな。お前の医療剣術を披露しろというだけの話だ」
「医療剣術……?」
聞き慣れない剣術の名前に、その場にいた全員にクエスチョンマークが浮かぶ。
しかし、紫はその疑問に答えることはなく、京奈は己が鎌倉に呼ばれた理由を悟った。
「……私のこの力で、死ぬ人を減らす為に呼んだんですね」
「ああ。言うまでもないが死者は少ないに越した事はない。そしてその力は、死人を減らせる力だ。だから私はお前を親衛隊に呼んだ」
かなり過酷な任務だ。新兵に任せるような仕事ではない。
刀使としての仕事などした事も無い彼女は、正真正銘これが初任務。しかもそれは、人の命が直接彼女の手に関わる重大案件である。
一般的な刀使の初任務が集団での偵察任務である事を考えると、過酷すぎると言えた。
だが、親衛隊とはその過酷が常に襲い来るところである。いわばこれは、紫が課した入隊試験なのだ。
普通なら、ここで臆する。しかしそれもそうだろう。いくら力を持っているといっても、それを非常時に扱えるかは別問題。自分のミスで人が死ぬというプレッシャーの元では尚更だ。
だが紫は、あえてそのプレッシャーをぶつけた。
正直に言えば、もっと楽な戦線で経験を積ませても良かった。戦場の悲惨さなどに時間を掛けて慣らしていくという方法もあった。
なら何故やったかといえば、それは覚悟の強さを見るためだ。
いけるな?その眼が問う。
やります。その眼が答える。
「いい眼だ」
紫の口元が微かにつり上がった。
たいそう緊張しているだろうに、それをどうにか押し止めて強い眼を向けたのを見て、問題ないと感じたからだ。
初出撃でこれだけの覚悟が決められるのなら、これから先もやっていけるだろう。
「新田を乗せてヘリを飛ばせ。事態は一刻を争う」
「了解しました!」
「新田は彼女について行け。ヘリまで案内してくれる」
「分かりました!」
近くにいた職員と共に京奈が本部室から出た後、紫は斜め後ろの定位置に立っている真希と寿々花に目を向けた。
「気になるか」
「……はい。紫様の行いに疑いを持つわけではありませんが、なぜ我々ではなく彼女を?彼女はまだ……」
「私は別に、伊達や酔狂で自ら足を運んで彼女を連れてきた訳ではない。その理由は、これから彼女が自ら証明してくれるだろう」
映像をモニターに出して、紫は言った。
「まあ見ていろ。すぐに分かる」
その戦場は、凄惨の一言だった。
多くの者が苦しんでいる。刻一刻と命が失われていく。
京奈が初めて降り立ったのは、荒魂との交戦地点から後ろの重傷者を置いている場所。これから彼女が頻繁に立つことになる、彼女にとっての戦場だ。
そこに降りた彼女は、近くにいた隊員に向かって叫んだ。
「一番怪我が重い人は何処ですか!」
「その服装は親衛隊の……!しかし何故ここに」
「早く!!」
「こ、こっちです!」
勢いに気圧された隊員は、京奈を一番怪我が重い隊員の元へと案内する。案内された彼は既に虫の息で、もう5分と持たない命だった。
いったいどうするつもりなのだろう。その場の全員の疑念の眼差しが集まった。
「頑張って下さい、あと少しだけ!」
京奈は彼の近くで膝立ちになると、母親の形見である御刀を抜刀。
「いったい何を……!?」
隊員の声を無視して、京奈は目を閉じて意識を集中させる。
(大丈夫。お爺ちゃんの怪我を治す時と同じように集中すれば、失敗はしない)
深呼吸を二回してから目を開けば、いつものように御刀の刀身が白く輝く霧のようなモノに包まれていた。
上手くいった事に口元を僅かに緩めながら京奈はその切っ先を彼に向けて、一言告げた。
「少し、チクッとしますよ」
そして、その傷めがけて御刀が突き刺さる。
何をやっているんだと驚愕に目を見開いた隊員は、次の瞬間に起こった現象に目玉が飛び出さんばかりに驚いた。
御刀の刀身を包んでいた霧が彼の体内に潜り込んだように見えたかと思うと、彼女は突き刺していた御刀を抜いた。
ものの数秒の出来事だったが、御刀を抜かれた彼は呻き声をあげなくなっていた。
もしかして介錯したのかと彼に駆け寄った隊員は、その胸が上下しているのを見て安心し、直後におかしい点に気がついた。
「傷が……無くなってる?」
彼は腹部を切り裂かれて酷く出血をしていた筈だ。だが今は血まみれではあるものの、その傷が完全に消えている。
手で触れてみても何もない。まるで最初から傷などありはしなかったとでも言うかのように、傷だけが消えていた。
「次の人は何処ですか」
ハッと顔を上げれば、刀身を陽光に煌めかせた彼女の目が、隊員を見ていた。
「次はこっちをお願いします!」
何をしたのかは分からない。だが、彼女は傷を治す術を持っている。
それを理解した隊員達は、同僚や市民が助かるかもしれないという希望を胸に動き出した。
「あれは一体……」
──驚いていたのは、本部室で映像を見ていた者達も一緒だった。画面の向こうで重傷者に御刀をぶっ刺しまくっている京奈をただ一人、紫だけは普段と変わらぬ様子で見ていた。
「医療剣術、という名前に聞き覚えがある者はいるか?」
なんだそれは。そんな事を思っているのが空気から読み取れた。
「私がまだ現役だった頃……20年前の話だ。自らの力を振るって荒魂を討伐するのが常識の刀使の中に、一人だけ他人を助ける力を持つ者がいた」
刀使の能力は、その全てが自己強化である。写シや迅移、八幡力や金剛身といった力は刀使本人には凄まじい恩恵を齎すものの、それ以外の人間には何もない。
それは御刀の素材である珠鋼が与える超常の力が、依り代となる刀使にしか扱えない力であるからだ。
なぜ自己強化しか使えないのか。同じ刀使に力の受け渡しが出来ないのは何故か。という疑問について、詳しいことはまだ何も分かっていない。
刀使に関しては未だに謎も多く、分からないものを分からないままに使っている状況が続いていた。
分からないモノを使い続けていては、いつかは手痛いしっぺ返しが来るのではないかと危惧する者も多い。
しかし、荒魂という脅威が常日頃に発生し、それに刀使しかマトモに対抗できないとあれば、その分からないモノに頼るしかないというのが現代社会の現状であった。
「医療剣術は、普通なら助からないような瀕死の重傷を負った人間をも救うことが出来る。
それだけではない。本人の生きたいという意志があれば、荒魂と化した人間も、元に戻す事ができる」
『っ!?』
その実例を紫は知っている。目の前で見ていたからだ。
荒魂と化したものの、自我は残っているがために泣きながら攻撃をしていた少年のこと。彼が殺せと叫んだこと。そしてそれに対して、諦めるなと叫びながら突っ込んでいった背中を。
人が荒魂と化す事例が頻繁に発生していた過去。斬って祓う……といえば聞こえはいいものの、実際には始末しなければならなかった時に現れた彼女は、まさしく救世主の如き存在だったのだ。
実際、彼女に助けられた者は非常に多く、刀使という職業のイメージ向上に一役買っていたのは誰もが認めるところである。
「昔は、あの力が刀使達によって一般的に使われていたと言われている。だが時代が移り変わるにつれ、あの家の刀使しか使える者はいなくなってしまった。何故かは知らないがな」
その力を恐れた権力者に軒並み粛清されたとも、かつて刀使が戦争の道具として使われた時代に使い手の殆どが死に絶えたからだとも、言われている。
その真相は歴史の闇の中だ。
「だから……紫様が自ら?」
「そうだ。今の映像を見れば分かるだろうが、あの力は強力だ。しかしだからこそ、他の者達に取られる訳にはいかない。
それに、あの力を詳しく分析すれば、医療関係において目覚ましい進歩が得られる事は間違いない。特に技術が発達した今なら、現代において不治の病とされるものも治る可能性がある」
「────!」
20年前、彼女の母親が現役だった頃にも研究は行われていた。しかし当時は技術レベルの限界からか、大した進展は望めなかった。
だが今なら、技術レベルが大きく引き上げられた現在ならば、あの時とは違う研究結果が出せるかもしれない。
「……」
結芽は自らの胸を片手で押さえた。それが何を意味するか、残りの3人は良く知っている。
唐突に示された未来への希望。それを目の当たりにして、どうすればいいか分からない。そんな思いが、今の所作に滲み出ていた。