五席目の少女   作:今更とじみこにハマったマン

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なんだこれ



こめ……うま……

 折神紫の執務室は、いつも静謐な空気に包まれている。

 紫は無言で執務をこなし、言葉を発するのは報告を聞く時くらいのもので、傍に控える夜見もまた、滅多に口を開かない。

 

 音があるとするなら、それはカリカリというペンが走る音と、紙をめくるペラッペラッという音くらいのものだった。

 

「夜見」

 

「はい」

 

 やがて、トントンと書類の束を机で纏めて紫は夜見を呼んだ。その書類の束を渡しながら、更に紫は夜見に言った。

 

「これを事務に回した後は身体を休めろ。午後からまた警護に就いてもらう」

 

「了解しました」

 

 書類を受け取った夜見は、一礼をして執務室から出た。そしてその書類を事務屋に回し、コツコツと足音をたてながら、夜見は廊下を1人で歩いていく。

 

 普段は常に紫の傍に控えている夜見だが、1日のうち何回かはこのように休息のために離れる事がある。

 その表情の変化の無さや感情の乗らない言葉、そして少ない口数からロボットなんじゃないかと囁かれたりしているが、夜見は立派な人間である。刃物で斬られれば血が出るし、しっかり人間の食べ物を食べている。

 

「…………」

 

 そして、最高のパフォーマンスを発揮するには休息を適度に挟む事が必要だという事を夜見は分かっていた。

 

 夜見が向かった先は自分に割り当てられた部屋ではなく、結芽が入り浸って以降ずっと親衛隊専用の場所と化している共用スペース。

 部屋よりここの方が執務室に近く、戻るのも容易い。だから普段からここを使っていて、そして普段のこの時間は誰も居ないのだが……今日は珍しく先客が居たらしい。

 

「……あ、夜見さん。こんにちは」

 

「こんにちは」

 

 京奈がテーブルを使って何かやっていた。鉛筆を握っている事から、恐らく勉強しているのだろう。

 

「…………あれ、なんでだろう。分数が……」

 

 彼女の背後を通り過ぎて、彼女の趣味でもある紅茶の葉が入っている戸棚を開ける。その中から気分で選んで目視で茶葉の量を計りポットに入れてからお湯を注ぎ、出来た紅茶を用意したカップに注げば、ふわっと落ち着く香りが広がった。

 何気なくやっているように見えるが、ここまでくるのにどれほどの修練を要したか分からない。お湯の温度から、お湯を注ぎ込んでからカップに分けるタイミングまで、全てに納得がいくまでには相当の月日を必要としたのだ。

 

 よし──と表情を変えずに満足して、夜見はカップをお盆に乗せてテーブルに向かう。

 

「どうぞ」

 

 そして、2つあるカップのうち片方を京奈の前に置いた。

 

「あっ、ありがとうございます。すいません、わざわざ」

 

「いえ。何か煮詰まっているようでしたから」

 

「あはは。まあちょっと、算数に手こずっちゃってて」

 

 そういえば、まだ小学生だったか。

 あまりに大人びている様子から、算数なんて単語は似合わないと一瞬だが感じてしまった。これが結芽なら何の違和感も無いのだろうが……。

 

「珍しいですね」

 

「え?」

 

「普段、この時間は燕さんと立ち合っていると聞いていますから」

 

「いつもなら、そうなんですけどね。ちょっと宿題が溜まっちゃってて……」

 

 結芽ちゃんを説得するのは苦労しました。と京奈は苦笑し、確かにそうだろうと夜見は思った。子供っぽい結芽を説得するのは並大抵では無かっただろう。

 

「そういえば、結芽ちゃんって宿題とかやってるところ見ないなぁ……」

 

「そうですね、私も見た事はありません」

 

「今度、それとなく聞いてみようかな」

 

「それが良いんじゃないでしょうか」

 

 と、そこまで考えた夜見の脳裏に唐突に疑問が浮かび上がった。あれ、小学生?と。

 

「……新田さんは、ここに来る前は小学生でしたよね?伍箇伝の何処かに通っていたとかではなくて」

 

「ええ、そうですけど」

 

 …………これは相当マズい事を知ってしまったのではないか。

 何を当たり前の事を、と言いそうな京奈を見ながら夜見は表情を変えずに考える。

 

 結芽の例を見れば分かるが、優秀な刀使であるなら大体の場合、それが発覚した時点で伍箇伝の何処かに半ば強制的に入学させられるのが普通である。……自由意志に任せるという体をとってはいるし、もちろん例外もあるが、基本的にはそういう事になっていた。

 そして、結芽に並び立てるほどの力を持ち、その特殊能力も非常に有用な京奈は優秀な刀使の括りに当然含まれる。

 

 しかもその能力は医療剣術という、民間人でも目で分かるレベルの恩恵を齎す能力だ。その能力が人目に付けば、それが噂として広まる可能性は非常に高かっただろう。

 そして噂が広まれば、間違いなく伍箇伝や折神家が感知する。火のないところに煙は立たないというから、その火元を確かめに向かっただろう。しかし、紫が直接赴くまでそれも無かったらしい。

 

 ちなみに伍箇伝は中高一貫であり小学校は存在しないので、伍箇伝に所属する小学生というのは有り得ない。だから結芽は飛び級という形で、11歳でありながら中学一年生を名乗っている。

 

 以上をふまえて考えると、彼女は間違いなく優秀な刀使でありながらも、何かしらの理由でその存在が秘匿されていたという核地雷級の裏事情が垣間見えてくるのだ。

 

 いや、もしかしたら偶然バレなかっただけかもしれないが。だが流石にそれは少し無理があるだろう。

 

「なにかあるんですか?」

 

「……いえ、新田さんが大人びているものですから、ちょっと疑問に思っただけです」

 

 どこの世界でもそうだが、知りたがりの寿命は短い。明らかにヤバいものだと分かっていて、そこに足を踏み入れるほど夜見は愚かではなかった。

 

「あはは、よく言われます。お前は小学生に見えないって」

 

 頭は小学生相応なんですけどね。と自虐ネタに走りながら、京奈は鉛筆を持ち直した。

 夜見がチラッと覗いてみると、どうやら文章題で手こずっているようだ。

 

「あー……ダメだ、分かんない。休憩しよっと」

 

 京奈はそう言って、ぐいーっとカップを傾け、そして一息で空になったカップを置いた。

 

「そういえば、こうやって夜見さんと2人で話すことって滅多にありませんよね」

 

「そうですね。普段、活動している場所や時間が合いませんから」

 

 夜見や京奈が、そこまで積極的に他人と関わろうとしないというのもあるだろうが、活動場所と時間が合わないというのが最大の理由だった。

 しかし、今こうして向かい合ったからには何か話すべきだろう。何でもいい、なにか世間話を……。

 

「…………」

 

「…………」

 

 しかし、どちらも何も言い出せない。お互いに何を話せばいいのか。というのが分からないのだ。

 

「きょ、今日も良い天気ですね」

 

「そうですね」

 

「あー、えっと……」

 

「……」

 

 結果として、こんなアホみたいな話題を出してしまうのだった。しかも続かない。

 もしこの場面を他のメンバーに見られていたら、なんと言われるだろう。少なくとも結芽は爆笑してきそうな気がする。

 

「……新田さんは」

 

「はいっ!?」

 

「新田さんは、どこに進学するか考えていますか?」

 

「進学、ですか。えっと……」

 

 夜見のこの問いに意味は無い。京奈が親衛隊である間の所属は折神家であり、この敷地から外には滅多に出られない。そして伍箇伝のどこに進学するのかというのに京奈の自由意志は殆ど関係ないからだ。所属の決まっていない宣伝効果抜群の刀使なんて誰もが欲しがるに決まっている。

 ただ、現学長が怨敵の如く京奈と京奈の母親を嫌っている事から鎌府だけは欲しがらないだろうなとは思うが。

 

 ではなぜ問いを投げたのかと言われれば、それは雑談の話題提供という意味以上のものは無い。

 もし選べるのなら、どこに行きたいのだろう。という興味本位での質問と言い換えても良かった。

 

「……まだ、よく分かんないです。先の事だし、漠然としてて」

 

「そうですか。そうでしょうね」

 

 しかし、帰ってきた答えは曖昧なもの。だが、それもそうだろう。今まで普通に生きてきたのに、ある日突然に親衛隊に連れてこられて、そして急に注目を集める立場になった。

 目まぐるしい毎日を過ごすばかりで、先のことにまで目がまだ向かないのだろう。数ヶ月経ったとはいえ、未だに慣れない筈だ。

 

「夜見さんはどうなんですか?」

 

「私ですか?」

 

「ええ。夜見さんは確か鎌府でしたよね。なんであそこを選んだんですか?」

 

 何となく投げかけられた質問に、夜見はカップを傾けた。なぜ選んだか?そんなもの──

 

「さあ、何故でしたかね」

 

 

 なんだこれは。と、そこを訪れた殆どの人は思った。そして、どうすればいいんだ。とも思った。

 

「はむはむはむはむ」

 

「もぐもぐもぐもぐ」

 

 誰もが遠巻きに見つめている、そんな視線に気付いていないのだろうか。一切気にせずにひたすら食べる。

 

 2人の前には山ほどのおむすびが積まれていた。それを2人は無言で、しかしどこか満足そうに両手に持って、もしゃもしゃと食べている。

 

「はむはむはむ」

 

「もぐもぐもぐ」

 

 見ているだけでお腹が膨れそうな食べっぷりだ。しかも2人の話を聞いた限りだと、あれらは全て塩むすびらしい。具も何も無い、ただの米の塊なんだという。

 それを知った者達は等しく"そんなものを食べ続けて喜ぶのか……"という思いを抱いた。

 

「うわぁ……京奈ちゃんって、そっち側の人間だったんだ。うわぁ……」

 

「あれは……真似できないな」

 

「見た目的にも、栄養バランス的にも、あれは宜しくないですわよね」

 

 そんな様子を遠巻きに見つめる者の中には、結芽や真希といった親衛隊メンバーも含まれていた。

 あれが年頃の青年とかならまだ……いや、それでも相当無理があるのに、2人は年頃の女子である。流石に絵面がシュールすぎた。もはやギャグのレベルにまで昇華されてしまっている。

 

「ねえ真希おねーさん。ちょっと行ってきてよ」

 

「嫌だ。言い出しっぺの結芽が行けばいいだろう」

 

「やだよ。だって私、前に夜見おねーさんと話したもん」

 

 乙女の尊厳とか親衛隊の威厳とか、色々な物を投げ捨てている2人には、ちょっとお話が必要だろう。だが、じゃあ誰が行くのかと問われれば、誰もが顔を隣人に向けた。

 塩むすびを延々と消費している気が狂ってるとしか思えない今の2人には、誰も関わりたくないのだ。

 

「…………仕方ありませんわね。わたくしが行きますわ」

 

 そんな群衆の中から、1人自ら進んでいった者がいた。

 

 その名は此花 寿々花。職業はヒーローに違いない。

 

「おおー……勇者だ、勇者がいる」

 

「頑張ってくれ、寿々花」

 

「ええ。必ずや、あの2人に栄養バランスを考えた食事を取らせてみせますわ」

 

 寿々花は決意を胸に2人が座るテーブル席へと歩いていった。その堂々とした様子に誰もが期待を寄せ、そして……

 

「おこめおいしいですわー」

 

「寿々花ーーーっ!!?」

 

 塩むすびを口に突っ込まれてアッサリ堕ちた。起承転結から承と転をダルマ落としの如く抜き取った展開に、誰もが度肝を抜かれる。

 

「すまない寿々花……僕が不甲斐ないばかりに……っ!」

 

 後悔する真希の脳裏に通り過ぎていったのは、今までの寿々花との思い出。

 剣術での勝負、夏祭りの屋台での勝負、黒ひげ危機一発での勝負、2人きりでのトランプ勝負もあった。芋を掘る速さと量を競ったこともあったし、田植えの速さを競ったことも…………いや待て、農作業はしたこと無いだろう。どうやらショックのあまり少し汚染されたみたいだ。

 

「ちょっと、どうすんのさこの状況!寿々花おねーさんまで引きずり込まれちゃってるじゃん!?」

 

「くっ、まさかここまで手強いとは……!」

 

 夜見も親衛隊の一員という事なのだろう。まさか塩むすび一つで寿々花を制圧してみせるとは、流石の真希も想定外だった。

 言葉と言葉をぶつけ合う論戦ならば寿々花が有利なだけに、問答無用で口に塩むすびを突っ込んだ手並みは鮮やかだと評価せざるを得ない。

 

「……仕方ない。ならば次は僕が行こう」

 

「いやなんで!?なんで今の見て行こうって判断できるの!?」

 

「親衛隊には、引いてはならない時があるんだ」

 

「それ絶対に今じゃないよ!」

 

「行くぞ結芽。うおおおお!!」

 

 錯乱した真希が混沌としたテーブル席へと突撃を仕掛けた。明らかに無謀な突撃、誰もがその後に起こる光景を幻視したし、それは現実のものとなった。

 

「お米は完全なエネルギー食……お米は完全なエネルギー食……お米は完全な……」

 

「真希おねーさん……脳みそまで筋肉だったばっかりに……」

 

 速攻で塩むすびの山に埋もれてしまった真希に、全員が心の中で敬礼した。その行動は蛮勇だったのかもしれないが、真希の勇姿は胸に確かに刻まれたのだ。

 どんどん増えていく犠牲者、それらは全てが親衛隊。そして元凶も親衛隊。となれば、残った1人に目線が向くのは必然とさえ言えるだろう。

 

「……行かないよ?」

 

 この異常な空間の中で唯一正気を保っている結芽は、もう今日は昼食抜きでも良いんじゃないかとさえ思いはじめていた。

 こんな意味不明な空間の中で普通に食事を取れるのならば、それは間違いなく勇者とか狂人とか呼ばれる人種であろう。

 

「なんだこの騒ぎは」

 

 そんな食堂に新たに足を踏み入れた者が一人。偶然近くを通りがかった鎌府の高津学長だ。

 こんなところに来ない人物の登場に場がざわめく。

 

「あ、おばちゃんだ」

 

「ふん……一体何があった。紫様にお使えする者達でありながら、こんなに狼狽えるなど」

 

「いえ、それが……」

 

 人の波が左右に割れていき、その元凶たる塩むすびの山と、それを延々と消費する夜見と京奈の姿が高津学長の目に入った。

 

「…………」

 

 一旦目を閉じて、眉間の辺りを指でほぐす。そして見間違いだろうと思いながら再び目を見開くと、そこにはテーブルに力尽きた真希と寿々花の姿が追加されていた。

 

「……なんだこれは」

 

 普段親衛隊を毛嫌いしている高津学長ですら、声に侮蔑を込め忘れて素でそんな事を言ってしまった。

 

「…………なんなんだこれは!?」

 

 誰も答えない。その答えを誰も持ち合わせておらず、むしろ誰もが聞きたかった問いだからだ。

 力尽きた真希と寿々花が、近くにあった担架に乗せられ運搬されていく。そして高津学長の横を通り過ぎた時、うわ言のように「お米は完全な……」とか「玄米は栄養バランス抜群の……」とか呟いているのが耳に入ってしまった。

 

「──っ!」

 

 おぞましい悪魔の呪文を聞いてしまったかのように全身が粟立つ。ここに留まるのはマズい、何か良からぬ事が襲ってくると本能が訴えかけてくる。

 

「わ、私は仕事に戻らせてもらう。後は貴様たちでなんとかしろ」

 

「あー!おばちゃん逃げる気だ!」

 

「私はお前と違って忙しいの!本来ならここでのんびりしている時間など──」

 

 

「高津学長」

 

 

 聞きたくなかった声がした。

 この予想が外れていろと祈りながら振り向くと、祈りも虚しく両手に塩むすび装備の夜見が立っていた。

 

「な、なんだ。何の用だ」

 

「これをどうぞ」

 

 片手の塩むすびを高津学長に差し出した夜見はどこまでも普段通りで、それが不気味な感じを煽る。

 

「い、今はお腹が空いていないの。遠慮しておくわ」

 

「そうですか。では少々お待ちを、持ち運べるようにラップに包んできますから」

 

 どこまで私に塩むすびを食べさせたいんだ貴様と言いたかった。だが、その有無を言わさぬ圧力は、歴戦の刀使である高津学長ですら抗い難いものだった。

 

「どうぞ」

 

「あ、ああ……」

 

「お気をつけて」

 

 綺麗に包まれた塩むすびを高津学長に渡した後、一礼をしてから何事も無かったかのようにテーブルに戻って塩むすびを食べ始めた。

 そんな様子に完全に毒気を抜かれた高津学長は、普段なら吐いていたであろう悪態を一つもつかないでその場を後にしたのだった。

 

「はむはむはむはむ……それにしても皆さん、どうしたんでしょう?」

 

「もぐもぐもぐもぐ……さあ?」

 

「はむっ……それより新田さん、貴女はイケる口だったのですね」

 

「もぐっ……ええまあ。お爺ちゃんが好きだったから、自然と私も」

 

「そうなんですか。お爺様とは気が合いそうです……はむっ」

 

 その性格からか、取っ付きづらいと思っていた夜見との意外な共通点。それを知った事で、なんだか仲良くなれそうかもと思った京奈であった。

 

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