ポケットモンスターLets Go ピチュー 作:エグゼクティブ
トキワの森の奥深く。
子ども1人では向かってはいけないとされる理由は単純だ。
危ないから。
トキワの森に限らず、野生のポケモンが生息する草むらや洞窟などへ行ってはいけないというのは暗黙の了解にひとしかった。どの街の大人も子どもを外の世界へ1人で行かせまいと厳しく取り締まっていた。中でもトキワシティの取り締まりは厳しかった。
なにせ、トキワの森が自然でできた迷路となって立ちはだかっているからだ。大人なら迷うことはあれど、出ることはできる。
だが、子どもでの小さな足では途中で疲れ果ててしまう。加えて野生のポケモンは、人を襲うことが多い。そんな理由もあって、多くの大人たちが協力して目を光らせていた。
しかし、こっそりとトキワの森に行く方法はある。トキワの森に繋がっている2番道路へは、子どもしかいけない抜け道があったのだ。トキワジムの左の茂み、その小さな穴だ。幸いにしてというか、不幸と言うべきなのか、そのことを知っているのはトキワシティの問題児ことユウタのみだったことだ。
故にユウタはこっそりと茂みに隠れ、軍隊さながらの匍匐前進で子ども大の抜け穴を通り警戒から逃れていた。2番道路に生息するコラッタやナゾノクサは穴から出てきたユウタに最初こそ驚いていたものの、今では『なんだこいつか』と呆れたような、小馬鹿にしたような態度で気にも留めない。
「ふっ、そんな警備で大丈夫か?」
遠くに見える大人の背中にニヤリと怪しい笑みを浮かべ、小さな段差を飛び降りて進む。
ユウタには物心ついてすぐにわかったことがある。
ここが『ポケットモンスター』の世界なのだということだ。ポケットモンスター…縮めてポケモン。某フリークが提供するそのゲームは子どもから大人まで幅広いユーザーを有し、街にはポケモンセンターなんていうショップまで設置されるほどの人気を誇るジャパニーズゲームである。
モンスターボールのマークのついた赤い建物にモンスターボールのマークのついた青い建物。ポケモンセンターに生息する白服のお姉さんに卵を抱えた巨大なピンクの悪魔。
これだけでポケモンの世界にいることは確実だった。
生徒募集中と書かれた看板、なぜか開かないと噂されているポケモンジム。
ユウタは自身がいる街の名前をすぐに特定した。
トキワシティだと。
どうしてトキワシティなんぞに自分がいるのか理解に苦しむことは多々あった。もしかしてこれって原作前なんじゃないかとか、ロケット団って解散してないよねとか、成人って何歳からだっけ?とか。
しかし、ユウタは考えることを放棄した。
彼はスーパーマサラ人の故郷に生まれたわけではない。故に原作どうこうなんかとは関係ない、mobだと思ったのだ。
もともと孤児だった彼に親などいない。それ故にポケモンセンターのジョーイとジュンサーが彼の親代わりとなっていた。
トキワの森へと行っては叱られを繰り返して早数年。
何度怒られようがへこたれずにトキワの森へと足を運ぶユウタのそれは、もう執念に近い。
「げんきしとぉや」
野生のポケモンに軽く挨拶してからトキワの森の中へ入っていく。トキワの森に生息するピカチュウ…が目当てではない。トキワの森に生息するピチューがユウタの目的だった。
野生のピカチュウが生息しているならば、そのベィビィポケモンであるピチューも生息しているだろうと安易に考えたのだ。ゲームではなく、現実なのだから、野生の営みとして、ピチューもいるのだと考えこんだ。
だが、現実はそんなに甘くなかった。
数年通っているにも関わらず、ピチューの姿は一度として目にしたことがない。ピカチュウですら、滅多にみかけることはなかった。ゆっくりと後をつけようにも、野生の優れた直感ですぐに察知されて見失ってしまう。
「ま、まじか」
結果、ユウタの考えは間違っていなかった。
特徴的な大きな耳と尻尾にうるうるとした丸い瞳。小さな身体。草原の端で小さく座っている儚くも健気なその姿。間違いなく、ピチューである。
「ピ、ピチューだと…」
憧れのピチューがここに。
「しかもピカチュウカラーか? いや、さすがにそれはないよな…」
座り込んでいるピチューにゆっくりと近づくユウタの姿は、もはや危ない人にしか見えない。どう危ないかと言うと小さな子どもに『ぐへへ』と近寄る大人が妥当だろう。
そんな妖気にも似た気配を察知したピチューが視線をユウタへと向ける。
頬に帯電する電気。よく見れば瞳はウルウルと潤んでいるではないか。
バチリと頬に帯電した電気を弾かせて威嚇する。そんな姿にも愛しさを感じるこの少年。頭のネジはいつから外れてしまったのか。
今にもピチューの電撃が放たれようとする中、ユウタは後ずさるのではなく抱きしめんばかりに近づいていく。
「ご、ごめん!? ぜんっぜん怪しくないからね!? むしろフレンドリー、お友達から始めましょ…」
目の前にしゃがみ、そっと脇に手を入れて持ち上げる。ウルウルした瞳を数秒見つめて、ユウタはピチューを抱きしめた。
『やっべ、鳴かせちゃったよ。どうしよ』とじっくり考えた挙句、抱きしめた。
もう事案である。
「ピ!? ピチューーーー!?」
悲鳴に似たピチューの声と共に電撃がユウタを襲う。伸ばされた腕から脱出したピチューは臨戦態勢。告白に似たセリフは最後まで言わせてはもらえなかった。
ただ、本人は気のせいだろうと思っていた『ピカチュウカラー』は気のせいではない。
このピチューは紛れもなく、色違いの個体だった。
▼ ▼ ▼
じーっと目の前に倒れる人間をみる。黒髪黒目の人間の子ども。ピカチュウたちの間ではもっぱらの噂はこの人間のことに違いない。
あるピカチュウ曰く、自分たちの巣を探そうとしているのだとか。巣を探しているにも関わらず、ピカチュウたち自身が目的ではないらしい。
以降、ピカチュウたちの間でこの人間のことは変人として処理されている。害を為す人間ではないと判断したらしい…巣は教えないけど。
「ピチュゥ…」
だが、声を大にして物申したい。訂正してもらいたい。
この人間、非常に危険である。
ピチューは目の前の人間の頭をツンツンと突き、気絶していることを確認する。ピチュー自身が泣いていたのは、この人間のせいではない。他のピチューたちと違うことから仲間はずれにされていたせいである。
…この人間の妖気に似た気配にも若干恐怖は感じたが。
同時に異常なまでの好意もピチューには感じられた。仲間外れにされ、愛情を注がれていないこのピチューに、好意は興味をそそられるものだった。
他の仲間とは明らかに色が違う。気味悪がられるというのに、この人間はどうして自分を抱きしめようとしたのか。
まず、色が違う。親であるピカチュウにそっくりな色をしている。次に、電気を使っても問題がない。今しがた人間に放ったように、電気を使ってもフラフラすることがない。
もう一度、今度は尻尾で人間の顔をバシバシと叩く。
「ぅ…」
「ピ!?」
軽いうめき声の後に目が開きかけたのを見て、咄嗟に近くの茂みへと隠れる。
茂みの中から人間の様子をじーっと見つめる。人間は額を抑えてゆっくりと起き上がるや否や、周りを何度も見回す。やがて四つん這いになってポロポロと涙を流し始めた。
「長年夢見たピチューが…諦めずに探し続けたピチューが…ピチューがいたぞぉぉぉ」
触った手の感触を思い出すように開いたり閉じたりを繰り返し、胡座をかいてなにやらブツブツと言っている。
『めっちゃかわいいやんけ』、『次会うときまでに耐えられるようになろう』、『電気使ってたけどフラフラしてねえかな、大丈夫かな』、『お友達からじゃなくて、アイラブユーだな、次は間違えん』、『ほっぺ触んの忘れてた』
なにやら不穏な言葉が最後に聞こえたが、ピチューは知っていた。人間にはポケモントレーナーという概念があることを。
この森からも多くのポケモン達がトレーナーと共に去って行っていることを。
この人間の好意とそっと抱えた優しい掌。
この森に自分がいて、果たしてどんな意味があるだろうか。仲間外れにされ、食べられるきのみの量も少ない。巣に戻れば、また仲間外れが待っている。巣に戻らなければ、虫ポケモン達がこれみよがしにやってくる。
比べてこの人間。ちょっと…いや、だいぶおかしいかもしれないが、この森で生きていくよりもいいかもしれない。
人間はなにをするかわからない。もしかしたら、本当に危ない人間かもしれないとピカチュウたちはピチュー達に言い聞かせている。だからこそ、ピチューたちは言いつけを守り、人間が近寄る場所に姿を見せないようにしているのだ。
この色違いのピチューも例外ではない。
普段はこんな入り口の近くに姿を見せることはない。
悩みに悩むピチュー。
行くべきか行かないべきか、腕を組んで茂みを行ったり来たり。
はっとなって頭を上げるピチューだが、もう遅い。人間ことユウタはそんなピチューの様子を胡座をかいたままポカーンとこちらを見ている人間の姿。見てはいけないものを見てしまったような、ありえないものでも見てしまったかのような、見事な呆け顔。
悶え死んだだけである。
やってしまった…という感情よりも、人間の間抜け面の面白さが勝り思わず吹き出す。
大きな賭けではある。しかし、この森を出ていく決心をしたのはこの時である。
▼ ▼ ▼
ようやく日が昇り始めた早朝。ポケモンセンターに備えられた宿泊施設の1室で目を覚ましたユウタは思い出したかのように寝ぼけた瞳で辺りを見回す。やがて視線は自分の腕の中へ。両腕で抱きしめるようにして抱えているピチューをまじまじと見つめて頬を緩める。
「!?」
途端に喉から言葉にしようのない感覚が襲う。
ユウタは考えた。
これはダメだ。どうにかして吐き出さなければ…と。
口から吐き出しそうになって首を振る。なにせ今ここではピチューが眠っているのである。起こすわけには行かない。
起こしたら自分に電撃が襲う図が容易に想像できてしまう。
決心したように首を何度も縦に振ると大きく息を吸って、口を抑える。ゆっくりとその手を口から離すと、今度は頬を膨らませる。
完全に寝入っているピチューを起こさないようにゆっくりとベッドに寝かせ、毛布を優しくかけ、音を立てないようにそうっと部屋を出ていく。寝泊まりしている部屋から距離をとったところで猛ダッシュ。何かを漏らしそうになったところでもう一度口を両手で抑える。
ポケモンセンターの朝は早い。ジョーイやジュンサーはもちろんのこと、備え付けの施設に寝泊まりしている多くの旅人もすでに起きている。それぞれがそれぞれの日課のため、準備に勤しんでいるのである。
そんな人々の目の前を黒い線となった何かが、とてつもない速さで駆け抜けていく。
無論、ユウタである。
ジュンサーが注意してこようがなんのその、猛ダッシュでポケモンセンターの外へと飛び出す。そうして、口から手を離し堪えていたものを吐き出すように口を勢いよく開ける。
「さいっっっきょうにかわいいぞぉぉぉぉぉ!!!」
後に親代わりのジョーイとジュンサーに捕まり、ぶっ飛ばされたのは言うまでもない。
▼ ▼ ▼
「解せぬ」
「は?」
納得いかない様子で朝食をほうばるユウタを同席していたジュンサーの白い眼が貫く。ジュンサーの隣で食事をしているジョーイもまた、『うふふ』と怖いくらい綺麗な笑みでユウタの精神を攻撃する。2人を見て一瞬怯んだのは、頭にできたタンコブが原因に違いない。
「申し訳ありませんでした」
「よろしい」
やがてユウタは平伏した。戦略的撤退である。
ピチューと出会い、ついてくるようになったのが、つい昨日のことである。
一歩進んで振り返る。二歩進んで振り返る。三歩進んで抱きしめる。無論、驚いたピチューの電撃の餌食となった。
慈悲はない。
それでもお待ち帰りだぜ、ぐへへと内心でゲスい笑みを浮かべて調子に乗っていたユウタを待っていたのは、今と同様の表情を浮かべた2人。
気絶していたこともあって、いつもより時間が遅いことをユウタは忘れていた。
…というよりも夕飯の支度の手伝いを放り投げていたことをユウタは思い出した。
警戒するように後ろを歩くピチューにジョーイとジュンサーが気づいたのは、精神と肉体への説教を受けたユウタが己の罪を懺悔した後である。
ジョーイがピチューを保護する。
ピチューがユウタについていく。
ユウタが悶える。
ジュンサーがドン引きしているピチューを保護する。
やっぱりピチューがユウタについていく。
ユウタが悶え死ぬ。
こんな攻防戦が繰り広げられた結果、ジュンサーとジョーイはピチューを保護するのを諦めた。
「昨日も話したけど、この子の面倒はあなたがみるのよ?」
「もちろん、おはようからおやすみまであなたをサポートします、ユウタです」
「ピッチュ…」
「ストレスだけは与えないようにするのよ」
幸いだったのは、3人が生活している場所がポケモンセンターだったことやユウタの年齢が今年で10歳を迎えること。なによりも幸いだったのが、トレーナーズスクールの生徒だったことだ。
トレーナーズスクールの講師から聞くユウタの評価は良い。親代わりのジョーイとジュンサーは面談から度々評価を聞いていたため、2人は許したのである。
トレーナーズスクールの講師から『彼ならいずれ超一流のブリーダーになれますよ!?』と言わせるユウタとは果たしてなんなのか。せめて超一流のトレーナーにして欲しかった。
無論、前世のゲーム知識を実践したところ、講師が興奮しただけである。
さて、ポケモントレーナーになるには10歳を満たしていなければならない。誰が決めたと言われれば、お偉いさんだ。法律によって定められた事である。例外は存在するらしいが、一般市民…しかも孤児であるユウタが当てはまるはずがない。
ポケモンに触ることは許されるが、私利私欲でポケモンバトルをすることは禁じられている。
「それにしても、不思議なピチューね」
「ええ、トキワの森から自分から出てくる子は初めてみたわ。それにこの子、色違いね」
「あぁ、やっぱり?」
「トレーナーが気に入った子はみんな、モンスターボールの中に入るもの」
ジョーイとジュンサーの言葉にピクリと反応するピチュー。ユウタの隣でポケモンフードを食べていたピチューの頬には食べかすが大量についている。
その食べカスを拭おうとするも、ピチューが顔を背けて避ける。
色違いとは、ゲームでは8192分の1の確率でいるとされている貴重な個体である。同種であるにも関わらず、色が大分変わったりすることがあるのだ。
例えばこのピチュー。
リザードンやフシギバナなどと比べれば判別が難しいものの、なんとも綺麗なピカチュウ色をしている。
アイドルことピカチュウ色をしているピチュー。つまりもうこのピチューはアイドルである。
「本当に帰らなくていいの?」
優しくピチューの頭を撫でようとするジョーイに威嚇しながらピチューはブンブンと首を振る。
どうしてこんなにも強情になるのか、ユウタは疑問に思う。
仲間と喧嘩でもしたのだろうか。家出にしては随分と長いし遠いなぁ…などと考えながらゆで卵をほうばる。
しかし、自分の元にいてくれるならばこれ以上嬉しいことはない。
「まあ、俺はまだトレーナーになれないしさ。お前の好きにしなよ。俺は大歓迎だし、むしろこのまま俺の相棒になってほしいし!お前の寝顔が毎日みたいです。不束ものですが、よろしくお願いします」
頭を下げてピチューに左手を差し出す姿に白い眼が突き刺さる。ピチューがドン引きしているのが、伝わってくる…が、しかしユウタはめげない。
ズイズイと左手を近づける。ピチューの頬に帯電した電気が弾けるのは待った無しだった。