光の旅路   作:小石

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囲碁の道を進む仲間たちと、今までに劣らずさらに意識を向上させて挑む日々。
今回はヒカルの友人の和谷の視点で書いています。


第三局「なかまといま」

「ふーう。進藤、終わったぜ。」

新しいパソコンに向かっていた和谷義高は、一仕事終えた達成感を感じながら後ろにいる友人に呼びかけた。

「おっ!マジで?」

今日からそのパソコンの持ち主となった友人、進藤ヒカルは、今まで難しい顔で並べていた盤面から目をあげると、途端に表情を明るくさせ、セッティングが終わったばかりの新品のパソコンに歩み寄った。

「すげー。大変だっただろ、ありがとな!」

「良いってことよ。」

「それにしても、意外に早く終わったな。もっとかかるかと思ってたけど。」

「作業自体は、そんなに複雑でもないんだよ。ただ、仕組みがわかってないと少し難しいかもしんないけど。オレは、慣れてるから。」

実際、和谷は自分のパソコンを買った時もセッティングを自分でしたし、師事している森下九段に連れられて囲碁の国際イベントに行った時も、準備を何度か手伝った。その頃は運営の大人たちに教えられながら頭を唸らせていたが、一度覚えると、考えていたほど難しい作業ではなかった。

「仕組みね。オレがやってたら、こうはいかなかったな。多分何時間もコードの束と格闘することになってた気がするよ。」

友人は嘆息気味にそうこぼした。確かに、進藤は囲碁と運動には長けているものの、こういった細かく理解を求める緻密な作業は苦手そうだった。出会ったばかりの頃の、後先をまるで考えていないような大胆な発言の数々からも、繊細な事柄には向いていないような感じはしていた。さらに、興味がないことには関心を示さないことも、原因しているだろう。

「まあお前は、昔から囲碁さえできりゃ良いって感じだったからな。」

囲碁自体には真剣に取り組む進藤だが、囲碁界のことには和谷が信じられないくらいに疎かった。棋士になってからも覚えが悪く、何度も解説役をしてやった記憶は鮮明だ。

進藤は参ったといった顔で眉を下げた。

「…そんな感じの頃もあったかな?」

「頃、って言うほど昔のことでもないだろう。」

和谷は今年で19歳、進藤は18歳だ。和谷と進藤が出会ったのは院生時代でおよそ5年前だが、進藤が囲碁界に壊滅的に無知なのを知ったのは、むしろプロになってからだった。名だたるタイトルホルダーの名前を覚えられないのはわかっていたが、それは単に元々人の名前を覚えるのが苦手とか、そんなものだと思って流していた。しかし、進藤の無知は和谷の予想を大いに上回り、プロの昇段システムの大手合いすら知らない間抜けぶりに、和谷だけでなく森下門下全員が驚かされた。その時は、みんなが進藤の将来について真剣に心配したものだ。

「あはは。和谷には敵わねーや。」

「自覚あんなら、もっとオレの負担を減らしてくれ。」

「いや、どうかな…。」

「何がどうかな、だ!」

こいつ、と進藤の左腕を殴る。もちろん、手を抜いてだ。こんなやり取りは日常茶飯事で、2人ともお互いの冗談やからかいには慣れている。

軽口を叩きあった後、進藤は改めて礼を言った。

「とにかく、和谷に頼んで良かったよ。ありがとうな。」

「おう。分からないことあったら聞けよ。」

院生時代から世話の焼ける進藤だが、和谷は進藤に頼られるのは嫌ではない。人に教えてやることは、自分も教えられることだと和谷は考えている。教えることで自分の中で再確認したり、教えた相手に気づかされることもあるのだ。単に困っている奴を見つけると放っておけないという性格もある。

「さあ、続き並べてるから、検討しようぜ。」

急かす進藤に、和谷は苦笑した。

「ちょっとは休ませろよ。」

「はやく和谷の意見も聞きたいんだよ。」

「しょーがねーな。」

軽く抵抗して見せたが、正直まったく疲れていなかった和谷は、進藤の言う通りに碁盤の前に座る。すると、さっそく進藤が喋り出す。

進藤の場合、和谷が一方的に助けているのではなかった。森下門下の研究会、和谷が始めた土曜の若手の研究会でも、進藤の発言は突出している。和谷が思いつかないような手をバンバン考えつくし、一手の意味や価値、それをどう生かし守り攻めるのか、進藤の囲碁センスは同じ研究会に参加する者たちの中でも光っていた。進藤の発言にハッとさせられたことは何度もあった。

それを、悔しいと思わないわけではない。実際、プロになってからの進藤の成長は凄まじかった。年下で囲碁歴も浅く、囲碁界のことにはてんで無知な進藤に劣等感を抱き出したのはその頃だ。急激に成長していく仲間を間近で見て、自信がなくなったこともあった。

しかし、和谷は進藤が苦しんでいた時期を知っている。何に苦しんでいたのかは知らないが、プロになってしばらくした夏、進藤は急に手合いに来なくなった。

初めは、あの進藤のことだから単に遅刻とか、手合日を間違えたかしたんだろうと思っていた。しかし、それが2日3日と続くうちに、呆れは心配に、心配は疑念に、疑念は怒りに変わっていった。院生の頃から共にプロの世界で戦おうと切磋琢磨して来た仲間が、無断で、誰にも事情を話さず、かといって病気でも辞めるわけでもなく中途にただ手合いをサボっているという事実に、和谷は我慢ができなかった。自分より才能があると認めたライバルに、本気で怒り、本気で心配し、本気で惜しんだ。磨かなければ才能なんて、なんの意味もないと。

居ても立ってもいられずに、近所の公園で待ち伏せもした。それでも進藤は帰ってこなかった。その時の進藤に対して怒りが頂点に達するのと同時に、友人がひどく苦しそうな表情をしていたのを和谷は覚えている。それを打ち明けてくれない友人に寂しさを覚えたことも、力になれない自分に対する不甲斐なさも、今では埋っている気がする。伊角が進藤を連れ戻したことには若干悔しさがあったものの、現在はこうして熱い検討をして、囲碁以外でも頼ってくれる弟のような進藤を見ていると、あの時の苦しみは進藤の中でちゃんと糧になったのかなとも感じた。そしてその苦しみの原因が、進藤の中で囲碁と密接に関係するのだとも思う。それが、進藤の囲碁に対する姿勢の原動力なのかもしれない。和谷が察せられるのは、せいぜいここまでだ。だがきっともう、進藤は大丈夫だろう、と和谷は思う。自分たちには、戦いと光ある未来が待っていると信じていた。

 

 

それにしても、初めてこの家に来た時は、進藤の部屋が想像していたよりもはるかに物がなく整理されていることに驚いた和谷であった。

囲碁以外では言動も振る舞いもがさつで大雑把な進藤のことだから、部屋もそれなりに散らかっていると予想していたのに、見事に整頓された本棚、ベッド、勉強机、そして床。床といっても進藤の部屋はカーペットが敷いてあるし、勉強机はほとんど使っていないせいで片付いているのだとは思うが…その他のことがどうでもよくなる程、囲碁に関する本の少なさに驚いた。

碁盤があるのは納得だ。打たなければ上達しない囲碁において、打たないという選択肢は無い。進藤はここで打って勉強したのだと思う。だが、ならば詰碁やら棋譜やらが載っている本がないのはなぜだろう?和谷は疑問だった。院生になった新入りが、あっという間にみんなを追い抜いて、何年もプロ試験に合格できずに踏ん張って奮闘している連中を置いてけぼりにして、さっさとプロになったことを。そんなものは、毎日打って打って打ちまくらなきゃできない芸当だ。いや、毎日打ちまくってもなかなか上達しないのが普通だ。和谷だって、プロを目指して院生になって数年越しにやっと合格したのだ。一年院生してただけであっさりプロになった進藤を祝福するのと同時に、なんともいえない気持ちにもなった。自分には師匠も兄弟子もいて、環境に恵まれていたのに、進藤は囲碁を始めて2年で、師匠もいないだなんて、進藤の成長を間近でみていても、才能の違いという言葉が頭にチラついてしまうのは仕方がないと思いたい。

(進藤はどうやって碁の勉強してたんだ?)

この部屋に来ると毎回首をかしげることだ。と言っても、今日で来たのは3回目で、初めての時はそれこそ声をあげて驚いたものだった。その時は、伊角もいた。伊角は一度来たことがあるらしかったが、和谷ほどは驚きも疑問も湧かないようだった。自分だけがこんなに不思議がっていておかしいのかなとも考えたが…嫌でもやはり、おかしいだろう。だって、

(こいつの家族で囲碁するのって、別に暮らしてる爺ちゃんくらいだったよな?)

そう、師匠がいないと明言している通り、進藤の周りに囲碁を打てる人は皆無だ。祖父が囲碁をやっているだけで、ほかに囲碁を嗜む環境もなく、ましてや誰にも師事していないくせにどんどん上達して誰よりも早くプロになって…正直反則級の成長速度だった。

だから、部屋には詰碁の本や棋譜を記した本が沢山あって、それで勉強していると思ったのだが…和谷の予想は見事に外れたわけである。それどころか、本人に聞いたところでは棋譜の整理や保管もほとんどしないらしい。過去に打った対局などはすべて覚えているという。和谷も印象に残っている棋譜なら多少は覚えているが、一手一手間違いなくと言われれば自信はないし、第一、過去に打った対局を全部覚えていたら頭がパンクしてしまう。

(規格外すぎる…バケモンかよ…)

進藤に言えば確実に反感を買いそうなことを思い浮かべてため息をついた記憶は幾度とあった。その度に考えるな…と思うものの、やはり隣で共に検討していれば頭をよぎる事柄で、もはや諦めている。

最近の成績で言えば、進藤は今年の北斗杯であの中国と韓国相手に全勝している。

日本チームは結局、3年間塔矢、進藤、社のメンツでの出場だった。内心はものすごく悔しかった和谷だが、対局はいつも白熱した。彼らの戦いを観戦する中、興奮し戦慄し、和谷には思いもよらない手で戦況が一変しと、正直とんでもなく勉強になる大会だった。国を背負って戦える機会なんて、プロになってもほとんどない。そんな貴重で重圧のある体験を、進藤は3度経験した。第一回目の大会では惜しくも全敗し、昨年は一勝一敗だったが、今年になってついに勝ち星を挙げた進藤は、国内戦でも確実に力をつけてきている。院生だった時もだが、彼の成長スピードは常人とは逸しており、打つ度に進化しているようだった。一時期は停滞していた時もあるが、今は止まる気配すらない。ただ上に、上にとひたすらに進み向上し続けている。悔しいが、和谷にはとても追いつけないような、そんな速さであるのだ。ひたむきとかコツコツとか、そんなレベルではない。普通の人の成長を早送りで見ているような…どこか焦りさえ感じられる進藤の躍進は、凄いと思うのと同時に…和谷を不安にさせる。

なぜなのかは分からない。成長は人それぞれだろうし、本当の天才なんて和谷のような平凡な努力家には理解も及ばないだけかもしれないが…彼の成長は危ないと、そんな気がする。進藤をここまで突き立てる原動力は何なのか、本人に聞きたいと思ったことは何度もあるが、実際は今まで一度も触れたことがない。ただ、進藤が囲碁に関して唯一こだわりを見せるものがある。それが、

(本因坊秀策…)

そしてどんなに語っても靡かず興味も示さないものが、

(sai…)

saiがどんなに秀策らしい打ち手か説いても進藤は見向きもしないのだ。あんなに秀策に執着しているのに奇妙なことである。

進藤が秀策好きだというのは、今や同年代の棋士たちの中では周知の事実であった。そして何故だか現本因坊の桑原先生をはじめ、倉田八段やなんと塔矢門下の緒方先生までもがそれを知っているらしい。桑原先生に関しては進藤が院生の頃から目をかけていたとかって聞いたことがある。

「なんてったってあいつ、秀作の鑑定士だもんな。」

というのは倉田八段の言葉だ。詳しく聞くと、以前ある囲碁イベントで売られていた秀策のサイン入り碁盤の字を見て偽物だと言い当てたという。

「俺が言うんだから絶対!だってさ。なんでそんな自信満々なのかねぇってそん時は半信半疑、というよりほとんど信じてなかったけど。調べてもらったら進藤の言う通りだったんだよな。マニアだよマニア。」

倉田八段はああいったが、和谷はそれとは少し違うと思っている。

もし本当に秀策マニアなのなら、部屋にそれらしい本や写真が無いのはいささか不自然だ。置いてあるのはせいぜい軽い詰碁本くらいで、秀策関連のものなど皆無なのだ。本人曰く棋譜は一度見たら忘れないというから納得はできるが、秀策の字なんて、普通素人に見分けなどつくわけがないのだ。

それに進藤は時々、秀策の話をする時に妙な言い方をする。秀策のある対局の一角の戦いで秀作の一手の意図を議論していた時、

"「ここをこう、分断するために必要な手だったって言ってた。」"

と本人に直接聞いたような言い方をしたり、

"「そういえば俺もこの形には苦しめられた。」"

と実際に対局したみたいな言い方をしたり、

"「ここは完全に秀策の性格が出てるってわかる。」"

とやけに断定的に過去の人間の性格を理解しているような口ぶりだったりするのだ。その後すぐに言い換えるが、進藤の性格上、あれは常の意識がとっさに出てしまったのであって、決して言い間違えたとかではないと和谷は思っている。

最近はかなり頻度は減ったが、完全になくなったわけではないし、よくよく考えてみればsaiに関しての進藤の無関心は不自然すぎる。棋譜くらい見てもいいようなものなのに、進藤はいつも何だかんだ理由をつけてそれすら断っている。あんな打ち手は身近にいないのだし、普通は見ておきたいはずなのに。

それが、進藤の進化し続ける原動力と直接関係があるのかはわからない。が、彼の囲碁に大きく関わるものであることは確かだと和谷は思っている。何故なら、

(進藤の棋風は…)

他ならぬ、saiに近いものであるからだ。

saiは限りなく秀策に近く、進藤はsaiに近い棋風を持つ。一見、この3人には秀策の棋風に似通っていると言うだけのまったくの無関係に思えるが、

(進藤は何か…知っているんじゃないか?)

すでに故人である秀策を除いて、saiは現代のネットで有名になったし、進藤は若手の棋士である。現代に生きるsaiと進藤には何かしらの繋がりが…

「ハァーー…。」

そこまで考えて、いつもやっと溜息を吐く。真相はわからないのだし考えても結局は同じような結論や見解にたどり着くのだからやめようと思うのだが、つい考えてしまうのであった。

とにかく、和谷のライバルはなにも進藤だけではない。同期の越智や院生仲間たち、先輩後輩、プロや海外の棋士たち…囲碁を打つ人々みんなが和谷のライバルなのだ。少し不思議なところのある進藤のことを気にしたって所詮は本人でもないのだし、気にするだけ無駄だと自身に言い聞かせる。

実際、進藤自身は明快単純な世界観で生きているようだし、いつも元気だ。最近はほんの少し大人しくなったような落ち着いたような気もするが、元々明るくてバカで鈍感な奴なのだ。あまり周りがどうのこうのと言っても進藤自身はどこ吹く風だろう。人より自分、だ。

 

 

 

…そうやっていつも一緒にいて、時々余計なあれこれを考えながらも進藤の溌剌な言動しか見ず、自分と自分の碁のことだけを考えようとしていたから、気づくことができなかったのだらう。彼がどんなに必死だったか。どんなに努力していたか。どんなに苦しんでいたか。そのどれかでも理解してすることができていたなら、何かが違ったかもしれない。塔矢を始めとしたライバルたちと切磋琢磨しながらも孤独に耐えているような、そんな彼を助けることができたかもしれない。




日々、と言いながらもほとんど過去のことつらつら振り返っているだけでしたね。原作にないその先を想像するのは楽しい気もするけど難しくて四苦八苦しながら書きましたがストーリー的にはまったく進まず…申し訳ございません。
和谷の鋭いところは相変わらずです。彼にはいつまでもヒカルの兄貴でいて欲しいと思っています。
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