魔導国の属国となって数か月。
聖王国は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
その聖王国を出発して一月ほど、そろそろエ・ランテルが見えてくる頃だ。
前回の旅は、いつ亜人やモンスターに襲われるかと警戒しながらだったが、今回は随分と気楽なものだ。
聖王国からエ・ランテルまで街道を通す計画は着手したばかりの筈だが、既にエ・ランテル側は三分の一は完成している。
旅の途中から、いきなり道幅が広く、綺麗に舗装された道路が現れたときには、驚きを隠せなかったものだ。
「ねえ、お父さん。本当に私も付いて行って良いの? 私、場違いじゃない?」
吊り上がった眼、小さな黒目、目の下の隈が凶悪な印象を与える少女、ネイア・バラハは不安そうに、何度目かの質問を父親に繰り返す。
「構わんとも。魔導王陛下は、お前の視野を広げるという意味でも、良い刺激になるだろうと仰っておられた」
「で、でも、今回のは聖王国を救って下さったことのお礼なんでしょ?」
「ははは、大丈夫だ、ネイア。陛下ご自身がお前にエ・ランテルを見せてやれと仰ったのだ。それに、もしかしたら陛下にお言葉をかけて頂けるかもしれんぞ?」
自分とよく似た眼をした父親、パベル・バラハは魔導王を信頼している。
というか、信仰に似た感情を抱いているようだ。
聖王国の内戦は、魔導国の介入によって、あっという間に鎮圧された。
終戦後、民兵を何万人も復活させた魔導王は、聖王国でも神として崇められ、既に最大宗派となっている。
今では、先の内戦で南側の貴族たちが主張したように、あの世界を喰らう化け物との戦いが幻術だったなどと疑うものなど誰もいない。
未だ復旧が続く聖王国から、内戦終結のお礼に、魔導王の力により復活した聖王カスポンドが魔導国に向かうことになった。
これには、内外に聖王国が魔導国の属国になったことを示す意味も含まれている。
その護衛の一人として、九色の一人、パベル・バラハが選ばれたのだが、まさか自分の娘まで連れてくるとは誰も思わなかった。
それに不満の声が出なかったのは、パベルの娘にエ・ランテルを見せてやるようにとの魔導王本人の言葉があったからである。
「自分の道を見直すには、まずは広い視野を持たねばな」
最高位の聖騎士、レメディオス・カストディオが起こした事件は、聖騎士を目指す少女にとって、大き過ぎるショックだった。
自分にとっての正義というものが何か、揺らいだところへ内戦が勃発し、ネイア・バラハの正義は完全に失われた。
「ホバンスにはまだ亜人なんて殆どいないからな。まあ、行ってみればわかるさ」
「カンパーノ閣下みたいに、亜人と仲良くなったり出来るかな?」
嘗て班長閣下といわれていた男は、先の内戦の功により、将軍に取り立てられることになり、本当に閣下と呼ばれる地位に就いた。
尚、パベル・バラハも同様に、聖王国の将軍として軍事の最高位に就くことになったが、二人は前線に出る方が性に合っているらしく、書類仕事などは主に部下が担当している。
「無理に仲良くなる必要もない。オルランドは亜人に似た気質を持っていたから打ち解けやすかっただけだ」
「そうなの?」
「ああ、ケラルトからは亜人より亜人らしいと言われているな」
父やカンパーノ将軍が羨ましい。
彼らは己の強さだけでなく、確固たる意志―或いは、自分だけの正義―を持っている。
自分にはそれがない。
聖騎士になることで、それが見つかるかと思っていたが、その前に聖騎士自体の正義が崩壊してしまった。
「…魔導王陛下か」
聖王国だけではない、世界中の民から神と崇められる賢王。
もし彼の王と話が出来るなら、こんな悩みなど簡単に吹き飛ぶのだろうか。
―エ・ランテル王城、アインズの執務室―
「おお、到着したか。歓迎の準備は出来ているな?」
聖王一行をここ数日待ち続けていたアインズは、アルベドに問いかける。
「勿論でございます。これで、聖王国が魔導国に降ったことを世界に示すことが出来ましょう」
「うむ、では行くとするか。盛大に歓迎しよう」
そう言えば、パベル・バラハの娘、ネイアも今回は同行していると聞いた。
大昔のことではあるが、流石に自分の最初の信者のことは覚えている。
パベルから聞いた話では、何か悩み事があるという。
折角だ、少し時間を取って話をしてみるのも良いだろう。
―エ・ランテル王城応接室―
父は分かる。聖王国の最高軍事責任者だからだ。
だが、なぜ自分がここにいるのだろう?
魔導王との謁見の後、聖王との歓談までは予定通りだった。
突然、魔導王から父と自分と話をしたいと言われたときには耳を疑った。
「まずは、改めて自己紹介をしておこう。私が魔導王、アインズ・ウール・ゴウンである」
優しい声であるが、その威厳は隠しようもなく、所作の一つ一つに王者の風格を感じさせた。
「魔導王陛下、私は聖王国聖騎士見習いネイア・バラハと申します」
「ふふ、良く知っているとも。君の父上から自慢話を聞かされたからな。それで会ってみたいと思ったのだ」
父が親馬鹿なのは分かっていたが、まさか、あの魔導王にまで自慢話をしていたとは。
いくら何でも嘘だと思いたい。
「いやいや、魔導王陛下。あれは自慢ではありません。事実を述べたまででございますので」
「ん? そうかね?」
「ちょ、ちょっとお父さん!」
「ははは、バラハ嬢、男親にとって娘というのは、目の中に入れても痛くない程可愛いものだ。私にも気持ちは良く分かるとも」
「おや、陛下にもご息女がおられるのですか?」
「いや、友人の娘達だ。既に私の友人は居なくなってしまったのでな、私が面倒を見ているのだ。皆、可愛い子供のようなものだ」
父と談笑する魔導王は、まるで過保護な父親のようにも見えた。
「陛下、私はその、余り可愛らしい顔立ちでもありませんし、眼つきが怖いと言われることも沢山ありました」
「ん? 眼つきの悪さや顔の怖さなら私も負けていないぞ」
「はっはっはっ陛下、流石に冗談が上手いですな」
それは笑って良いのか? 魔導王も何故そんな反応に困る冗談を?
楽しそうに会話をしている父と魔導王を見る限り、単純にこの二人が冗談が下手なだけなのだろう。
「さて、バラハ嬢。君は今、己の正義を見失っていると聞いたが?」
「は、はい、そうです。私は何を信じれば良いのかが分からなくなってしまって…」
ふむ、と考える素振りをした魔導王は、徐に言葉を紡ぐ。
「そうだな、一つだけ言っておこう。君の正義は君の中にしかない」
「と仰いますと?」
「先代の聖騎士団団長を覚えているな? 彼女の正義は、彼女自身の正義だったか?」
聖王国崩壊の危機を招いた聖騎士団長、レメディオス・カストディオは狂信的な正義の実行者であった。
しかし、その正義は聖王女の言葉そのものであり、聖王女が魔導国に降る判断をしたことにより、レメディオスは凶行へと至った。
「いえ、カストディオ団長の正義は彼女のものではありませんでした」
「その通りだ。自分の正義を誰かに預けるのは容易い。だが、その誰かの考えが変わってしまえば、正義そのものが失われてしまう。」
「カストディオ団長は、自分の正義を聖王女陛下に預けてしまったのですね」
「…かつて、私にもよく似た部下が居た。私を絶対の正義と信じ、その正義を世界に広めることに生涯を捧げた少女がな」
「陛下、その方は、その、幸せでしたか?」
「ああ、彼女はただの一度も私を疑うことなく、私こそが絶対の正義だと信じ、布教に生涯を捧げた。私が最期を看取ったのだがね。幸せだったと、私に仕えることが出来て本当に幸せだったと笑って逝ったよ」
魔導王であれば、間違いを犯すことなど無く、絶対の正義たり得るだろう。
きっと、その女性は、絶対の狂信的な信仰心を持っていたに違いない。
「だが、今になってみれば、それは本当に彼女の為だったのかと思うのだ」
「お言葉ですが、魔導王陛下こそが正義というのは、決して間違いではないかと愚考致します」
「私を信じてくれることは嬉しい。けれど、妄信するだけでは駄目なのだ。私とて、過ちを犯すことはある。王として、小を切り捨てなくてはならない時もある」
「陛下…」
「良いかね? 私とて、決して完全な存在では無い。だが、不完全であるからこそ、成長があると信じている」
「成長ですか?」
「そうとも。今が完全でないなら、それに近づくように努力すれば良いのだ。将来の私は、きっと今よりも良い支配者であるだろうと信じてな」
魔導王は、誰よりも勤勉な方であると聞いている。
悠久の時を生きてきたこの大賢者が、今もなお、己を高めようとしていることに驚愕する。
そして同時に、己の矮小さを思い知らされた。
「今すぐでなくても良い。君はまだ若い。十分に考える時間があるだろう? 私が君の年の頃などは、日々の糧を得るので精一杯だったものだ」
絶対支配者として世界に君臨する偉大な王にも、そんな時期があったのだろうか?
「さて、それではバラハ将軍、そしてバラハ嬢、訓練場に案内させよう。ガゼフやバザー達も君に会いたがっていた。余り引き留めると怒られてしまいそうだ」
「いえ、とんでもありません。貴重なお時間をありがとうございました。きっと、娘の成長の糧となることでしょう」
「魔導王陛下、ありがとうございました」
「うむ、次を楽しみにしている」
「はっ、失礼致します」
係の者に連れられて退出していくバラハ親子。
その背を見送りながら、アインズは前世の狂信者の少女を思い出す。
彼女の生涯は、きっと幸せだっただろう。
しかし、誰も彼もが狂信者になっていく今世では、もうお腹一杯だ。
今世では、彼女にも前世と違う幸せを得て欲しい。
これは、前世で良く仕えてくれた少女に対する恩返しでもある。
もう一つのプレゼントも、きっと気に入ってもらえるだろう。
あの弓も、彼女の手にあるのが最もしっくりくる筈だ。
―エ・ランテル兵舎、訓練場―
「おお、パベル殿! ようこそ来られたか。今か今かと首を長くして待っていたぞ」
聖王国で共闘したガゼフを筆頭に、バザーに代表される亜人の族長たちも盛大に出迎えてくれた。
「ストロノーフ殿、いや、ガゼフ殿。お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「ははは、そんな堅苦しい言葉遣いは止めてくれ」
「ふふ、そうだなガゼフ。今日はよろしく頼む」
二人は拳を合わせ、ニヤリと笑う。
同じ戦場を駆けた戦友同士にしか分からない友情がそこにはあった。
「何だ、オルランドの奴は来なかったのか?」
「ああ、あいつは仕事だ。流石に、今の聖王国にはあいつまで外に出す余裕はないからな」
「そいつは残念だ。今頃、相当悔しがってそうだな」
「実際、俺が出発する直前まで荒れてたよ。まあ、次回は譲ってやるさ」
聖王国の内戦終了後、全ての亜人の族長やガゼフ、コキュートスやハムスケは勿論、恐怖公に至るまで、手当たり次第に模擬戦を吹っ掛けて回ったオルランドは、魔導国軍にとっては気心のしれた友人だ。
魔導王曰く、“夕暮れの河原で殴り合って友情が芽生えた”ようなものらしい。
「おいガゼフ、いつまでも突っ立ってないで案内しろよ」
リザードマンの片割れが声をかける。
「そうそう、おう、パベル。また模擬戦やろうぜ。獲物は持ってきてんだろ?」
「ん? そっちの嬢ちゃんは何だ? パベルに似てるな。あ、この子がお前の自慢の娘か? 目がそっくりだな」
「おお、この子がネイアだ。俺の自慢の娘だ」
「お、お父さん!」
「おう、酒の肴に何回も聞かされたぜ。成程な、良し、嬢ちゃんも一緒に模擬戦やるか」
「ゼンベル、相手はまだ若いんだ。手加減しろよ」
ここでも自慢話をしていたとは思わなかった。
親馬鹿だとは思っていたが、どうやらつける薬も無いレベルのようだ。
「なあに、悩み事なんてものは、全力で体を動かしてりゃ忘れちまうもんよ」
「ゼンベル、それはお前位だ」
「魔導王陛下御期待の新星の実力、とくと見せてもらおう」
「は? なにそれ? お父さん?」
「ん? ああ、言ってなかったか? 今度新設される弓兵部隊をお前に任せることになってる。ネイア喜べ、何と、魔導王陛下御自らから武器を下賜されるという話だ。叙勲は三日後だからな」
碌に戦闘をしたことも無い小娘が、何故そんなことに。
父の戯言を真に受けるような王ではないと思うが、本当に何故?
「お、お、お父さん」
「ようしガゼフ、今回は負けんぞ。オルランドがぶっ倒れるまで訓練に付き合わせてやったからな」
「そいつは楽しみだ。だが甘く見るなよ、俺たちの訓練は戦場より遥かにきついからな」
場の雰囲気は、王城の時とは全然違う。
カンパーノ将軍の直属部隊みたいだ。
「さあ! 歓迎パーティーの始まりだ!」
亜人と人間と魔獣の、模擬戦という名の大乱闘が終わったのは、この半日後だった。
その後、翌日の昼過ぎまで全員で飲みあかし、回復担当の赤毛のメイドに呆れられることになる。
「……なあネイア、この国をどう思う?」
「うん、良い国だと思う。亜人と人間がこんなに仲良くなれるんだね」
「先代の聖王女が望んだのは、誰も泣かない国だが、この国は、皆が笑える国だ」
「分かるよ。皆、表情が明るいもの」
「お前に黙っていたのは悪かったが、魔導王陛下のお考えだ。必ずお前の為になると信じている」
「本当に、私で大丈夫かな?」
「出来るさ、お前は私の自慢の娘だ。それに魔導王陛下も太鼓判を押して下さった」
「ううぅ、魔導王陛下がどうして私なんかをそんなに評価してくれてるのか、分からないよ」
「俺にも分からんが、あのお方の叡智は、我々の及ぶところではない。何か思うところがおありなのだろう」
溜息しか出ないが、世界一の大賢者が保証するというのだ。
どちらにしても、宗主国の王の命とあれば受ける以外にはない。
―エ・ランテル王城、玉座の間―
新規で設立された魔獣騎兵団の団長として、ガゼフ・ストロノーフは叙勲を授かり、騎士となった。
そこまでは皆知っていたことだが、その後の少女が魔導王直々に叙勲を授かるとは誰も想像していなかった。
魔導王から下賜された弓、アルティメイト・シューティングスター・スーパーDXは国宝とも言えるほどの輝く弓だった。
それに加え、貴重なマジックアイテムも複数下賜された。
ネイアの鋭敏な聴覚には、ひそひそと声が聞こえてくる。
殆どの人たちが、親の七光りではないかと考えているようだ。
正直、自分でもそう思う。
「バラハ嬢、君が率いる部隊は、新たな戦術の構築に尽力してもらいたい」
「は、はい。非才の身ではありますが、微力を尽くさせて頂きます」
「言っただろう? 君はまだ若い、焦る必要はない。それに、君ならば私の期待に応えてくれると確信している」
「ま、魔導王陛下、あの」
「私は人を見る目には自信がある。君には人を率いる才がある。それと、優秀な副官を付けるから安心したまえ」
逃れることは不可能なようだ。
副官というのが、協力してくれる人であることを祈ろう。
「初めまして、貴方の副官となるユリ・アルファと申します。よろしくお願い致します。」
「は、初めまして、ネイア・バラハです。よろしくお願いします。」
叙勲式の後、引き合わされた副官となる人物は非常に美しいメイドだった。
あの魔導王の直属の部下らしいので、間違いなく自分より強いだろう。
それにしても、なぜメイドなのだろう?
「ふふ、アインズ様が期待されている方にお仕え出来るとは光栄です」
「そ、そんな、私なんて、あの、魔導王陛下が私にご期待されているというのは間違いではないのですか?」
「いいえ、間違いございません。貴方には人を率いる才能があると、アインズ様が仰いました」
「でも、ずっと、誰かの上に立ったことなんてないのに」
「大丈夫です。アインズ様が仰ったのです。アインズ様の為されることに、決して間違いなどあり得ません」
彼女の言葉で、魔導王が自分に求めているものが、何となく分かってきた気がする。
魔導王の配下は皆、魔導王が完璧な存在であり、決して間違いなど犯さないと信じている。
だが、魔導王はそうではないと言っていた。自分も完全ではないと。
少し前には何を信じれば良いか、全く分からなくなっていた。
今も分からないが、嘗ての心の重さは感じられない。
次、父に会った時、成長した姿を見せられるように、今は与えられた任務を全力で頑張ろう。
聖王国に帰る父の背を見送った少女は、踵を返す。自分の新しい戦場へと。
いつか自分だけの正義を見つける為に。
パベル「ううう、ネイアあああ」
オルランド「まあまあ、旦那。嬢ちゃん、あれで結構タフですよ。心配無いって」
パベル「何だと? お前にネイアの何が分かる? まさか、娘を狙ってるのか? 許さんぞ!」
オルランド「……糞面倒くせえ、もう帰りてえ」