―魔導国首都エ・ランテル、ドワーフの工房―
日の出と共に、ルーン工匠、ゴンド・ファイアビアドはようやく解放されたという安堵から大きく息を吐いた。
「おうゴン坊、おはよう」
同僚のドワーフが声をかけてくる。
「おう、おはよう。ようやく解放されたのう」
「そうじゃな。全く、魔導王陛下の御命令とはいえ、辛いもんじゃのう」
彼らが向かう先は、ルーン工匠が働く工房だ。
ようやく、そう、ようやく、二日間の休日という辛い日々から解放された二人は、出勤を許されたギリギリの時間に到着するよう、家を出たところだった。
魔導国では長時間残業は厳しく規制されている。
遅くまで働けないなら、早朝に仕事をしようと思っても、それは労働時間に含まれる為、結局早退をさせられることになる。
何よりも辛いのは、五日働いたら、二日は休まないといけないことだ。
一分でも一秒でも、今のルーン工匠たちは働きたくてたまらないのだが、このルールは絶対に守るようにと魔導王から厳命されている。
それから、月に一日か二日は有給休暇というものを取らなくてはならない。
本国の鍛冶師たちからは羨ましがられるが、本人たちにとっては辛くてたまらない。
「十分な余暇があってこそ、仕事に集中出来るものだ」
という魔導王の命令により、魔導国ではどのような職種でも十分な休暇を取ることを義務付けている。
毎日毎日、新しい発見があるというのに、働ける時間は決められている。
ドワーフたちは少しでも有効に時間を使う為、徹底した効率化を図っていた。
そのおかげか、成長限界に達したと思われていた者たちも大きく成長を遂げていた。
今では―その日の調子にもよるが―全員で力を合わせれば、6個ものルーンを刻めるほどに。
魔導王から渡された技術書は、まるで自分たちの為に書かれたのではないかという程に分かりやすかった。
自分たちが直面した問題は、必ず、微に入り細に入り、事細かく対処法が記載されていた。
まるで、自分自身が同じ体験をしたかの如く。
この本を読んでいるだけで、面白いように技術が向上していくのが分かる。
そして今朝も、ようやく待ちに待った仕事の時間がやってきた。
「なあ、もうちょっと位ええじゃろ? あと5分だけじゃ」
いつも通りの終業の風景。
もう少しだけ残って仕事をさせて欲しいと懇願するドワーフvs工房の管理人をしているアンデッドとの攻防。
「いけません。これはアインズ様のご命令です」
いつも通り、アンデッドに追い出されるように工房から摘まみだされるドワーフ達。
当初はここまで厳しくは無かったのだが、調子に乗って泊まり込み、倒れるまで仕事をしたのが不味かった。
普段は温厚な魔導王から厳重注意を受けた結果、就業時間は厳守とお達しを受ける結果となった。
自業自得とは分かっているが、後悔先に立たず、ドワーフたちは今日もトボトボと帰路に着いた。
「仕方ない。一杯やっていくかのう」
「そうじゃな、明日の為に英気を養わんとのう」
家に帰るにはまだ早い時間だ。
仲間同士、親睦を深めるとしよう。
幸い、ルーン工匠の給金は極めて高い。
母国の摂政会のメンバーにも匹敵する程だろう。
その上、危険手当とか住宅手当など、聞いたことも無い手当が各種付いてくる為、生活に困ることなど考えられない程だ。
多忙を極める魔導王がルーン工房に訪れたのは、そんなある日のことだった。
「皆、久しぶりだな。もう魔導国での生活には慣れたかな? 不便なことや不満があれば、いつでも言って欲しい」
いつも通り、こちらを気遣う魔導王には頭が下がる。
しかし、これは千載一遇のチャンスだ。
代表者として、ゴンドはここぞとばかりに畳み掛ける。
「では陛下、もうそろそろ残業規制を解いてくれんかのう?」
「そうじゃ、儂等もちゃんと反省しておる。もう無茶はやらんから、な?」
「休日も、もう少し減らしてくれると助かるんじゃが」
何故、NPCでもないのにこんなに社畜力が高いんだこいつら。
頭痛のような錯覚に苛まれながら、呆れ声で応える。
「……そう言って、倒れるまでハンマーを振るっていたのはどこのどいつだ?」
魔導王は労働環境には非常に厳しい。
特に、賃金を払わずに労働させるような商会には厳しい指導が入る。
それでも改善されないようであれば、商会自体を取り潰すこともある。
「陛下! 儂等も本当に反省したんじゃ。じゃから、頼みます」
「「「「お願いします!!」」」」
ゴンドを筆頭に一斉に土下座するドワーフ達。
綺麗にタイミングが揃っているところを見ると、相当な練習を重ねてきたようだ。
「はッ、ははははは…………ん、久しぶりに沈静化されたな」
余りにも真剣な表情のドワーフ達が可笑しくて、久しぶりの精神鎮静化が起こる程だった。
「はあ、分かった。では、後ほど一月の残業限度時間を連絡させよう。但し、決して定められた時間を超過することが無いよう、厳守を心掛けよ」
うおおおお、と工房にドワーフたちの大歓声が響き渡る。
「全くお前たちは……まあ良い。今回は、お前たちに研究して欲しいことがあってな」
魔導王からの依頼、それも研究と聞いては興味を引かずにはいられない。
「陛下、儂等は何をやればいいんじゃ?」
「うむ、ゴンドよ、今のお前たちは、最大6個のルーンを刻めるのだったな」
「まあ、調子が良い時に限るがの」
「そこでだ。これまでは、より多くのルーンを刻むことだけを考えてきたのだが、別のアプローチもあるのではないかと思ったのだ」
「むむ? 別のとはどういうことじゃ?」
ルーンは魔法の力を持った文字だ。
刻まれた文字そのものに魔力が宿り、多く刻めば刻むほど、そのアイテムは強力なものとなる。
「ルーンは魔力を持った“文字”だろう? ならば、文章も書けるのではないか?」
「文章じゃと?」
「そうだ。今はただ、単純に文字を並べているだけだろう? それが文章に出来れば面白いと思ってな。まあ、唯の思い付きだから成功するかどうか、全く分からんがな」
アインズにとっては、前世のルーン技術をさらに発展させられないかという、単純な思い付きなのだが、ドワーフたちの受け取り方は全く違うものだった。
何故、ルーン技術についての研究では、ドワーフの遥か先を進む魔導国が自分たちを招聘したのか、理解出来なかった。
恐らく、魔導王は全く新しい技術を開発させたかったのだ。
今ならば分かる。それがこれだ。
ただ文字数を刻むことだけを考えてきたドワーフ達にとっては、目から鱗が落ちる思いだった。
もし、文章にすることが出来るなら、今よりも遥かに複雑な効果も齎せるだろう。
これは、魔化の技術では決して出来ない、ルーンだけが出来る夢の技術だ。
魔導王は思い付きだと言っていたが、あの大賢者がそんないい加減なことを言うはずが無い。
今の自分たちなら必ず出来ると思ったからこそ、伝えてきたのだ。
「陛下、その研究、喜んでさせて頂くぞ」
ドワーフ達の表情を見るまでもなく分かる。
皆、やる気に満ちていると。
「ふふふ、頼もしいな。そう言ってくれると信じていた」
複数のルーン文字を組み合わせた特殊な効果を持つマジックアイテム。
何とも心が躍る響きだ。
文書を作成している時にふと思いついたのだが、これは良いアイデアだったかもしれない。
上手くいけば、ルーンの武具を使用したビルドの幅の広がりも期待できる。
「時に陛下、フールーダ殿はどうされたのじゃ?」
「そうじゃ、こういう研究にこそ、あ奴の知識が必要じゃろう」
伝説の魔法詠唱者も、ドワーフ達にとっては魔法狂いの小僧でしかない。
「ああ、フールーダは謹慎中だ」
「はあ? 何をやらかしおったんじゃ、あの小僧」
見た目は若者になってしまったが、フールーダはここに居るどのドワーフよりも年上だ。
但し、自重という言葉を知らない辺り、精神年齢的には怪しいところだ。
「あの馬鹿、休暇と偽って、
「ああ、やっぱりやらかしおったんじゃな」
「ようやく休暇を取ったと思ったらこのざまだ。反省するまで、一切仕事はさせんことにした」
もし、マーレが図書室でバッタリ出くわさなかったら、休暇が明けるまでずっと籠っていたことだろう。
ブラック企業を許さないアインズと、社畜たちによる攻防は始まったばかりだということを、この時のアインズはまだ知らない。
アインズは、今後永きに亘り、国家の運営よりもこの問題に頭を悩まされることになる。
「そんな訳で、あいつは最低でも一か月は謹慎だ。まあ、フールーダの弟子たちが居るから、彼らに協力を仰ぐといい。私から話は通しておこう」
それにしても、このドワーフ達は皆、前世で自分たちが開発した技術をほぼマスターしたようだ。
流石は、彼ら自身の研究成果だけのことはある。
既に次の世代の技術にまで、手が届こうとしている。
今世では間違いなく、更なる技術革新が起きるだろう。
ああ、本当に楽しみだ。
このドワーフ達は、どのような未知を切り開き、どんな未来を見せてくれるのだろう。
「ではゴンドよ、結果が出たら報告書を頼むぞ」
「勿論じゃ、楽しみにしていてくれ。絶対に期待に応えてみせるぞ」
前世でも、今世でも、このドワーフはルーン工匠としては能力が低い。
それでも、誰よりも研究熱心であり、誰よりもルーンに対して情熱を持っている。
前世で初めて会ったとき、ゴンドが名乗ったルーン技術開発家という肩書。
遥かな時を越えて―2周目のこの世界で―遂に、ゴンド・ファイアビアドは、本当のルーン技術開発家となった。
メイド「休暇はんた~い」
守護者達「至高の支配者に奉仕する喜びを~」
ドワーフ「残業規制はんた~い」
アインズ「くッ、私は社畜なんかに絶対負けない!」