「や……やっと出口に着いた……」
「今度来るときは絶対に案内の人をつけてもらいます……」
ゼスタさんと別れてから凡そ二時間ほど。
ようやく俺達は教会のエントランスにたどり着いたのだった。
どうなってんだよこの教会。
上に昇ってたと思ったらいつの間にか地下に居たし、似たような構造物があちこちにあるから目印を間違えたり。
こんな不親切な建築物で、祭りなんかできるのだろうか。
「丁度いいや、あそこに小部屋があるし休憩しようぜ」
「……そうですね。私もうくたくたです」
入口のわきにある小さな部屋。
何やら扉が二つあるけれど、どういう意図があってのものなのだろうか。
そんな軽い疑問も、疲れ切った体を休ませるという目的の前には些末なこと。
二人そろってドアを開けて中にお邪魔させてもらうとしよう。
「……なんか窮屈だな。なあゆんゆん、本当にここって休憩室なのか?」
「そもそも休憩室かどうかも分かりませんし……」
せまい。
何とか二人で座ることはできるけれど、どうにも自由が利きにくい。
ゆんゆんとは肩をくっつけなければ中に納まらないくらいだ。
なんか部屋を隔ててる壁には小窓みたいなものが見えるし、どうにもこの部屋はおかしいぞ。
……小窓?
えーっと、ここは教会で、扉が二つ付いてて……。
まさかここって、
「あれ? カズマとゆんゆんじゃない」
もしやと思ったその瞬間、よく知った声の持ち主に話しかけられた。
そちらを向くと、扉を開けてこの部屋に入ろうとしているアクアの姿が。
「アクア? なんでこんなところにいるんだ?」
「なんでって……ここは懺悔室よ? 懺悔したいってことは、ここで私の信者たちが私に言いたいことがあるってことだし、それなら直接聞こうかなって」
やっぱりここ懺悔室だったのか。
しかも、アクアが入って来たってことは、こっちは懺悔を聞く側の部屋だったらしい。
……ってことは、こいつは今までここで仕事をしてたってことかよ。
なんでこいつは折角の観光地で女神様らしい振る舞いを保ち続けているのか。
少しは羽を伸ばしてほしい。普段から大変そうなんだし。
「アクアがここで働いてるのはもういいとして、ウィズはどうしたんだよ? お前、ウィズとペアになってたはずだろ」
「ウィズ? ウィズなら今、この教会の温泉に入ってるわ。その間に懺悔でも聞いてよっかなって思ってこうしてるんだけど……あの子、お風呂に入る時間長いのねぇ。もう二時間は経ってるわよ」
ちょうど俺達がこの教会に入ったくらいの時間だ。
どこかですれ違ってたのかもしれないけど、それらしい気配は感じなかったな。
……いや待てよ。
「なんでアクアはウィズと一緒に温泉に入らなかったんだ? どうせなら二人で仲良く入ってればいいじゃないか」
「……私、温泉に入れないのよ」
「は? そりゃまた何でだよ」
「だってほら、私が温泉に入ったらただのお湯になっちゃうじゃない」
「……あー」
そう言えばアクアは体に触れた水を浄化するとか言う、そんな体質があったんだったな。
「それって完全に制御は不可能なんですか? ほら、アクアさんってお酒なんかは飲んだりできますし、何らかの条件があれば……」
「私が女神であるって言う自意識が薄ければその力も落ちるけど……やっぱりここにいる限りは、どうしても私が崇められてる存在だって意識しちゃうからねぇ……」
ゆんゆんの提案にも、少し申し訳なさそうに顔を曇らせながら、アクアは否定する。
女神としての権能だから、そのアイデンティティが強いほど効力を増すって感じだろうか。
だとしたら非常に難儀な話である。
折角の温泉街なのに、それを満喫できないとは。
「ウィズも最初は一人で行くのは嫌がってたけど、私の都合に付き合わせるのも悪いし、そもそも私がウィズとお風呂に入ったら、浄化された水のせいでウィズが成仏しちゃうかもだし。ウィズが楽しんでる間は私は私で一人でやりたいことをして楽しんでるからって言ってようやく……」
「……それで、お前のやりたいことが、この懺悔室ってか? アクアは、本当に何というか……」
「あれ、カズマ? カズマさん? なんでそんな可哀そうでありながらも意地らしい子供を眺めるような憐憫と慈愛の篭った眼差しで私を見てるの? なんかゆんゆんまで同じような目になってるし……」
そんな眼差しになっているのは、俺がまさしく今、可哀そうでありながらも意地らしい子供のような存在を眺めているからだ。
温泉に入れなくても、他に楽しめるような場所ならいくらでもあるだろうに、それらを差し置いてやりたいと思ったことが、信者たちの悩みを聞くことだとは……。
「とにかく俺達はもうここから出るぞ。いつ懺悔したい人がここに来るか……」
……と、懺悔室のドアをコンコンと叩く音。
おいマジか、今出ようとしてるところだったのに、何というタイミングか。
どうにかバレないように脱出しようと試みている間に、ガチャリとドアが開く音がして、続いて誰かが入る音が響く。
こうなったらこっそり出るのも難しい。
目の前のアクアに向かって、俺達がここに居ても大丈夫なのかジェスチャーで訊ねる。
それを見たアクアが、一瞬困ったような表情をし、直ぐに『座ってて』という風に手を動かした。
俺達を追い出して警戒されるよりはましだと判断したのだろうか。
「ようこそ迷える子羊よ……。さあ、あなたの罪を打ち明けなさい。神はそれを聞き、きっと赦しを与えてくれるでしょう……」
気を取り直したアクアが、懺悔に来た人に優し気に告げた。
その気配を感じ取ったのか、懺悔室に入った人物がポツリポツリと呟きだす。
「えっと、懺悔と言うよりは、相談に近いんですけど……。俺は、友人達と冒険者をやっている者です。冒険者なんですけど……実は俺は、とんでもなく弱虫なんです。もう、モンスターが目の前に出てきたら気絶するレベルで」
聞こえてきた少年の声に、俺はしきりに頷いていた。
分かる。その気持ちよく分かる。
俺もこの世界に来た時に、あのバカでかいカエルを相手に逃げ出すばかりだったのだし。
気絶とまではいかなくても、普通怖がるもののはずだ。
「いっつも何とか頑張ろうとはしてるんですけど、それでも怖くて怖くて仕方がないんです。ちゃんとやらなきゃっていつも思うのに、怯えるし、逃げるし、泣きますし。もうこんな俺の事なんか放っておいてくれって仲間に言っても、なんだかんだ言いながら見捨ててくれないし、それを聞いて心の底では嬉しがっている自分の事も嫌いになりそうで……。だからこそって期待に応えようとしても俺の体や心は全然言うことを聞いてくれないんです……。俺、どうしたらいいんでしょうか。やっぱりこんなどうしようもないような人間は、皆の負担になる前にパーティから消えちゃった方がいいんでしょうかね……」
俺は今すぐここから飛び出して、壁の向こうにいる男と握手をしたい気持ちに駆られていた。
役に立てない申し訳なさや、それでも良くしてくれる周りの人間への負い目。
そんな気持ちを俺も何度味わってきたことか。
きっと、この少年は俺と苦しみを心の底から分かち合うことができるだろう。
「……一つ訊ねましょう。あなたがその人達と仲間になっているのは、その人達があなたにとって都合のいい存在だからですか?」
「そんなことはありません! あいつらと一緒に居ると、楽しいし、嬉しいし、こんな優しい奴らを、俺が守ってやりたいって思えるから……!」
「そうならば、あなたはそれ以上自分を責め立てることなどしてはいけません。あなたが彼らの事をそう思っているように、きっとあなたの周りの人物も、あなたの中に掛け替えのない価値を見出しているのです。あなたが必要以上に自虐に走るなら、あなたを大切に想っている友人たちの気持ちを無下にしていることになります」
「……っ!」
少年の涙ながらの懺悔の言葉に、アクアは、真面目な顔で、優しく告げる。
「汝、心優しい迷える子羊よ。自らを貶める内なる悪魔に惑わされない為の、アクシズ教の教えを授けます。『あなたはやればできる。できる子なのだから、その時うまく行かなくても気にしない。うまくいかないのは間が悪いだけ。そんなことを気にしている暇があるなら、次のことを考えましょう。大丈夫、次はきっとうまくいく! 終わり良ければ全て良し!』……惑わされそうになったなら、これを唱えなさい。他に惑わされている者がいれば、これを教えてあげるのも良い事です」
「……なんだか一気に目が覚めました! 素晴らしい教えをありがとうございます、感謝します!」
懺悔していた少年が、憑き物が落ちたような声色で礼を言って立ち去っていく。
「そんな教えがあったのか?」
「……今思いついた言葉だから、どうだったかしら? ……でも私が心からそう思ってることだし、何ら問題はないと思うの。例え問題があったとしても、その可愛い子供達の気が楽になるならそれでいいじゃない」
……まぁ、元から大雑把な宗教らしいし気にするだけ無駄か。
ともかくこの狭い空間から出よう。
そうして扉に手を伸ばした瞬間、外に出る間も無く、再びドアがノックされた。
「……どうか聞いて下さい。私は昔、何もかもを失いました。自業自得であったところもありましたが、守るべき人々から剣を向けられ、友と信じた者に、そして愛した女性にまで裏切られ、地位も名誉も、帰る場所さえも全てを奪われたのです……。その時に私は、人間に絶望し、何かを信じることもできなくなり、ただひたすらにこのような仕打ちをした連中に復讐しようと、そう決意したのです」
先ほどのもなかなかに悲痛な懺悔ではあったが、こっちのこれは胃がもたれるを通り越して、穴が開いてしまいそうなくらいに重たい話だった。
なんかもう、この人の語っている内容が、魔王になってしまった悲しい悪役のような背景過ぎて、別の世界に来てしまったのではないかというような錯覚にさえ陥りそうだ。
実際、俺の隣で聞いているゆんゆんも、どういうリアクションをすれば正解なのか分からないのか、ただアワアワしている。
「そう決心した……のですが……。それからは、巡り合わせが良かったのか、私は良き出会いに恵まれました。どれだけ拒絶しようとも、懲りずに私に付きまとってくる友人。この身を苛み続ける私の苦しみに寄り添い続けてくれた女性。決して誇れる道ではない生き方をする私を受け入れてくれた人。……挙げれば、もう、キリがないほどです。そうやって良き人々の心に触れていくうちに、私の心からは、もはや復讐の念はほとんど消えかかっているのを感じ取れました」
大丈夫か。これ、俺やゆんゆんが聞いても大丈夫な内容なのか。
この人の生涯を纏めて本にすれば、それだけで重厚なストーリーが出来上がりそうなんだけど。
後で闇討ちとかされないよな? 命を狙われたりしないよな?
「そんなときに思ったのです。『私の憎悪、悔恨、恩讐はその程度のものでしかなかったのか』と。あの光景を思い出すだけで自らの臓腑をも焼き滅ぼすくらいに煮えたぎった憎しみが燻っていたはずなのに、事ここに至っては、好んで触れたくない。というところにまで許容してしまっていたのです。ああ、間違っていることは分かっている。それでも復讐を果たすという、その一念でここまで生き延びてきたというのに、このように腑抜けてしまった私はどうしたらいいのでしょうか。私の原初の願い通りに過去の因縁にケリをつけるべきか、それとも、過去を忘れて今与えられた安寧を享受すればいいのか……そして何より、この汚れつくした私が幸せになっていいのかと……」
ヤベーぞ。これ、安易なことを言ったらこの人の人生を破滅させちまう奴だわ。
俺個人としては、復讐がしたいのであればやりたいようにすればいい派だけれど、この人にそれを勧めると、多分自分が死ぬまでやりつくしかねない。
かといって、復讐なんてよくないです。なんて言ったら、この人の今までの人生を否定することになる。
止めるべきだけど、この人が納得できないなら、それはこの懺悔している人を追い詰めることになってしまう。
どっちに転んでもややこしいじゃねえかよ。
……これ、どう対処するんだよ、アクア。
「悩むことはありません。あなたは今まさに、あなたを陥れた人々への復讐を果たし続けているところなのですから」
……え?
「そ、それはどういう意味でしょうか?」
「復讐とは忌まわしい自分の過去に決着をつけるためのもの。そうであるなら、あなた自身が幸せになることで、憎しみを忘れ、その過去を乗り越えることもまた、立派な復讐と言えるでしょう。さらには、あなたを憎んでいる人にとっても、あなたが成功し、幸せになっていく姿を見ることが何よりの苦痛ともなりましょう。それでいて、幸せになるというのは、人間として当たり前に正しい生き方! 誰からもそれを咎められることはありません! そう、あなたは最高の方法で復讐をしているのです!」
「しかし、私如きが幸せになんて……」
「悪事を働いたとしても、反省して、正当な罰を受けたのなら、それでその件についてはチャラなのです。いつまでも悪人っぽく振る舞う必要はありません。あとはもう幸せになるしかないじゃない。安心しなさい。あなたが復讐心に囚われていたこと、そして幸せになることへの罪悪感、
「おお……。おおおお……」
懺悔に来た人が声を震わせている。
声の感じからして泣いているのかもしれない。
「……私の、この復讐心や憎悪を理解して下さって、ありがとうございます。これからは、少し、ほんの少しでも前向きに生きようと思います」
そう言って、その人は懺悔室から出て行く。
……すごいなアクア。悪堕ちしかねない人を正道に戻しやがった。
やっぱり女神としてのオーラか何かが出てるんだろうか。
そんなどうでもいいことを思っていると、再び入室者が。
仕切りの向こうで男性はぽつりぽつりと喋り出す。
……あれら以上に重たい懺悔だったらどうしよう。
「……失礼します。……ああ、どうか、どうか聞いてください! 自分は長くアクア様を崇めてきたアクシズ教徒です。しかし……! 実は先日、歓楽街のある店で、指名した子がいたのですが、その子があまりにもアクア様と似通っていて! そこで立ち去るべきだったというのに、私は、むしろノリノリで……! ああ……、どうか、どうかアクア様にそのような感情を向けてしまった罪深い自分をお赦しを……!」
思った以上に軽い内容で、俺は言葉を失った。
この時はどういう言葉をかければいいんだろう。
下らないことで来んなと、懺悔しに来た人の頬を引っ叩けばいいのか。
同じ男として理解を示してやるべきなのか。
どうしたものかと話題の当事者であるアクアの顔を見ると、
「…………だ、大丈夫よ。
顔面真っ赤にして、何とか言葉を絞り出していた。
やっぱり恥ずかしいのか、そういう対象で見られるって言うのは。
さり気に、『わたし』って言ってしまってるし。
「
嘘つけ。滅茶苦茶気にしてるだろ。
ここまで免疫がないなんて、アクアは自らが性欲の対象に見られたことがないのだろうか。
……の割には、俺に対してはやたらと無防備なのはなぜなんだ。
最早俺は、男としては認識されていないということか?
…………なんだか、面白くないな。
「汝、神に赦しを請いたいのであれば、やらなければいけないことが一つあります」
「な、なんでしょうか!?」
俺はアクアを押しのけ、この間教えてもらった『声真似』のスキルでアクアのふりをしながら懺悔をしている人に声をかける。
突然の俺の凶行に、アクアが戸惑っているのを尻目に見つつ、
「その、アクア様そっくりの女の子がいたところについて、詳しく教えなさい。名前もきっちり吐くのですよ」
「そ、それを聞いて、どうなさるおつもりで?」
「なに、私も一回行ってみるだけで、」
「わあああああーっ! 背教者め! 天罰を食らわせてやる!」
そこまで言って、アクアが俺の胸ぐらを掴んできた。