「……おや、カズマ、おかえりなさいです」
「よう、めぐみんたちは先に帰ってたんだな」
宿に帰ると、めぐみんがなにやら難しそうな顔をして唸っていた。
調べ物があるって言ってたからそっち方面の問題なんだろうか。
「実はカズマに伝えておきたいことが……うん? カズマ、どうしたんですか、その真っ赤に染まった頬は?」
「気にするな。正当な理由あっての負傷だから俺も気にしてない」
「は、はぁ……」
あの後、珍しく――俺に原因があるとはいえ――激怒したアクアに、平手打ちを食らったのだ。
もしもこれが、俺が女の子に迫られ、アクアが嫉妬して、俺に理不尽な暴力でも振るったことによって生じたものであるなら、遠慮なく俺は反撃していたところだったが、……いや、反撃するより先に心配してしまうかもしれん。
まあいい。とにかくこれは、信者の目の前でアクアに盛大なセクハラをかましたことによって叩かれたものだから、俺に含むものは何もない。
その直後に、我に返ったアクアが全力で謝ってきたときは、罪悪感のあまりこちらから土下座してしまったくらいなんだからな。
というか、あれで怒らないなら、アクアの純粋培養さに心配になるくらいだ。
……ゆんゆんは、俺達の会話が何を意味しているものなのかが理解できてなかったみたいだったけど。
「そういうことならスルーしますが……、それよりもカズマ、大変なんですよ」
「何がそんなに大変なんだよ。というか現状以上に大変なことなんてあるのかよ。魔王軍の手先扱いされて街から逃げなくちゃならなくなったこの状況よりも大変なんて、それこそ、この街にあのデュラハンみたいな魔王軍幹部が襲撃しに来るくらいしか」
「まさにその通りなんです」
「なめんな」
え? 何? 必死の思いでベルディアとか言う魔王軍の幹部を倒したっていうのに、立て続けにイベント発生してんの?
ふざけんなよ、これがゲームだったらクソゲー認定待ったなしだ。
レベル上げも準備も装備品もそれほど充実してないのに、連続でボス戦とかやってられるか。
「私にそう言われましても……。実はこの街にやってきてから、清廉な魔力が充満している中にわずかにですが、下水を濃縮したような、ただならぬ魔力を検知したんですよ」
「……本当に、お前のその魔力探知能力って便利だよな」
バトル漫画でよくある、気とかを探って居場所が分かるやつみたいで。
「そこで、安全の確保のためにダクネスを連れてこの街を調査したところ、温泉に入った人達が、肌がかぶれたり、体調を悪くしたりしているとの噂を耳にしまして。噂の元になった温泉のお湯を調べてみたら、それはもう上級のモンスターが分泌したとしか思えない毒を検出したのです」
「……めぐみんって、魔法使いよりも探偵の方が向いてるんじゃないか?」
「おい、それは私が魔法使いらしからぬ存在だと言いたいのか?」
ドスの利いた声色で俺を威嚇してくるめぐみん。
でも、俺以外の奴らに意見を求めても何人かは俺に同意してくれそうなんだけどなぁ。
めぐみんは優秀な魔法使い、……と言うのは、なんかとても歯痒いが、魔法のエキスパートであることは疑いようもない事実だ。
魔法のド素人であった俺に適切な魔法の訓練方法を教えてくれたり、普通の人では撃つことさえも不可能な爆裂魔法を使っているあたり、魔法使いとしての才能は比類ない。
……爆裂魔法しか使えないアークウィザードを、普遍的に優秀であるとは俺には断言することはできないけれど。
その欠点は、ゆんゆんがいることで十二分に解消されているし、普段からそれを意識する機会はほとんどないが。
それでも、めぐみんのありがたみが分かるのが、魔法を使う戦闘中ではなくて、日常生活の方が遥かに多いのがそう言った印象を俺に植え付けているのだろう。
要は、めぐみんに魔法使いとしての才能が無いなんてことは決してなく、むしろ、それ以外の能力も高水準で纏まっていると言った方が正しいのだ。
「言い方が悪かったな。めぐみんは俺達自慢のアークウィザードだ。ただ、それ以外の分野も優秀なだけでな」
「……カズマが分かってるなら、いいですけど」
めぐみんはそう言って、照れくさそうに顔をそむけた。
それは、普段は冷静沈着なめぐみんの表情としては、とても珍しい物だった。
「それよりも、だ。マジでこの街に魔王軍の幹部が来てるってのか? めぐみんを疑う訳じゃないが、その温泉の水質を調べる方法は確かなものなんだろうな?」
「そこで私の意見を鵜呑みにしないあたり、流石は我々のリーダーだと褒めておきましょう」
あっという間に、いつもの教授モードになっためぐみんが、これまたいつも通り、何処からか黒板を取り出した。
そこにチョークでカツカツと文字を書き込んでいき。
「私が採取した温泉のお湯に混入していた異物ですが、これは明らかに強力な毒であることは疑いようのない事実です。ここに書いたように、お湯に対する異物の量が、比較するのもバカらしくなるくらいに少ないというのに、悪影響を及ぼすほどの効果を秘めているわけですからね」
「……何か俺の目には、料理本みたいに、『毒――少々』とか書いてるように見えるんだが」
「実際、一つまみ位しか混入してませんでしたから」
……マジかよ。
「これでは専門家が調べても原因が分からないのも道理です。そんな強力な毒なんて、強力なモンスターであるデッドリーポイズンスライムの中でも、更に格別な変異種のものとしか考えられないのです」
「え? スライムって、あのスライムか?」
スライム自体は、色んなゲームでよく見かけるくらいに有名なモンスターだ。
ただし、雑魚モンスターとして。
大体のRPGでの最初のモンスターはスライムと言う定石があるくらいに、その存在は知れ渡っている。
そんなスライムが強敵だなんて……。
「ああ、カズマは割と常識に疎いところがあるので補足しておきますが、スライムは極めて強力なモンスターですからね。物理攻撃はほとんどが効かず、魔法攻撃にも抵抗があります。普通のスライムでも、一度張り付かれてしまえば、消化液で溶かされるか、口をふさがれて窒息死か、どちらにせよ一巻の終わりです」
「えっ」
「さらにデッドリーポイズンスライムなら、体の一部が触れただけでも即死するとみて間違いないですよ。これだけの規模の汚染ができるくらいですから、戦う際には絶対に近づいてはいけません」
「え、ちょ、即死!?」
「……その様子だと、やはり知らなかったようですね」
やべぇ……スライムやべぇよ……。
やっぱりこの世界に俺達の世界の常識をあてはめちゃいけなかったんだ。
これからは、元の世界の情報を当てにせずに、直ぐに誰かに聞いた方がいいな。
「……それで、どうして魔王軍幹部だって分かったんだ? それだけだと強いモンスターが紛れ込んだだけって可能性もあるじゃないか」
「ここからは私の推測になるのですが……、私が想定するに、このスライム、あのデュラハンとタメを張れるくらいには脅威度が高いんです。アクアの御膝下であるこの街に潜入し、複数個所での犯行を行え、それを計画できるだけの頭脳を持っている。もう、ダメな臭いがプンプンです。それで、そこまでの強さがあるなら、魔王軍幹部になる資格は十分たりえるかと」
「……勘弁してくれよ。なんでボスラッシュなんかが起きてやがるんだ……」
この間、死に物狂いでレベリングをして、色々な策をめぐらせた上で、ようやくあのベルディアを倒せたのに。
そこからこの間まで、冤罪を吹っ掛けられて心と体の傷を癒そうとした矢先にこれかよ。
はっきり言って戦いたくない。
そもそも、魔王軍と連戦する事なんて想定すらしてなかったし、この街の観光を楽しんでいたとはいえ、俺達はクソ領主に追われる身。
やる気も気力も底辺に近い状態だ。
その上、いくら俺が魔王を倒すという意気込みだけはあっても、勝てるかどうか怪しい相手に闇雲に突撃するのだけは御免被る。
それに、今俺は気を張り詰め続けてダンジョンの探索をしてから、ろくに休みをとれていなかったから滅茶苦茶疲れている。
こんなコンディションで魔王軍幹部に喧嘩を売る?
無理に決まってんだろ。
……でも、この街が魔王軍に襲われたら、アクアは悲しむだろうな。
この街の人々も気の良い人ばかりだし、見殺しにするのも寝覚めが悪い。
しかも、目の前には俺が発する言葉に期待を込めて見つめてくるロリっ子が一人。
……はぁ、しょうがねえなぁ。
「おいめぐみん、明日は俺と行動してくれ。そのスライムについての情報が欲しい。最終的な目的や、性格、見た目なんかも把握しておきたいからな。それとついでに、そいつと戦う時に使えそうな場所も調べとこうぜ」
「カズマならそう言うと思ってましたよ。それでは明日はよろしくお願いしますね」
俺から期待通りの言葉を聞けたからか、ニコリと俺に微笑んで、めぐみんは自室へと戻っていった。
「それにしても、めぐみんっていろんな場面で助けてくれるよな……」
あのダンジョンの中でも、魔力感知は役立っていたし、今回だって、考えてみればあいつもせっかく観光地に来たのに、調査でほとんどの時間を潰してたんだよな。
それに付き合ってたダクネスもそうだし、なんならアクアも仕事をしてたって言えるだろう。
やだ、俺のパーティメンバーって働き者が多すぎない?
ゆんゆんはめぐみんが意図したものだったとはいえ、俺って本当に今日はただただ楽しんでただけだったんですけど。
いかん、これは面倒くさいとか言っている場合ではない。
なんとしても、あいつらのリーダーとして期待には応えなくては。
「スライムを倒したら、あいつらには精一杯この街を楽しんでもらわねえとなぁ」
「何を神妙そうな顔で頷いているのだ?」
もう慣れた。
こいつが音もなく背後から声をかけてくることには。
もしかしてこいつ、不意打ちみたいなスキルでも取ってるんじゃないだろうな。
というか、正面から話しかけられないとか、もしかして人見知りとかするタイプだったりするのか?
「ダクネスか。めぐみんから話は聞いたぞ。今日はお疲れさん。せっかくアルカンレティアに来たって言うのに、仕事なんかさせて悪かったな」
「気にする必要はない。私としては趣味と実益を兼ねた行動が出来たのだからな」
「…………あの、趣味って言うのはもしかして」
「もちろん、強敵の情報収集に決まっている! ああ、スライム、スライムだ! あの前衛職にとって天敵と言っても良いスライムだぞ! 剣でぶった斬ることしか攻撃手段のない私と、その攻撃を無力化するスライム! この明らかな相性差からして私にはまず間違いなく勝ち目がないと誰もが断言するが、そんな常識をぶっ壊し、これを打ち倒せたのなら、私は戦士としてまた一歩最強に近づけるという訳だ! そんな機会が巡ってきて、昂らずにいられる剣士がどこにいる!」
普通どこにもいないと思う。
少年漫画の主人公なら結構な数はいそうだが、現実世界でそんな命知らずな輩はまずいない。
でもそうだよな、これがダクネスなんだ。
強そうな敵にはまず突撃。
勝ち目がなさそうな敵にもまず突撃。
自分を簡単に殺せるほどの実力がある相手にだってまず突撃。
圧倒的に不利な状況下に置かれるほど、それに比例した笑顔を浮かべて突撃する。
マゾヒストなのかサディストなのか判断に困るような、そんな難儀な性質なのがダクネスだものな。
「そのための下調べなら、私は喜んで力を貸そうではないか。……同じようなことをめぐみんに言ったら、筆舌に尽くしがたい表情になっていたが」
「マジでお前一回一般人の感性ってものを理解した方がいいぞ。なんなの? お前って本当に世間知らずなお嬢様なの?」
「だ、誰が世間知らずだ! これでも私はそれなりに常識というものをだな!」
……こいつ今、『お嬢様』ってところ、否定しなかったな。
単に世間知らずってところに引っかかってるだけかもしれないが。
今までも、異性と触れ合ったことがなかったり、戦闘以外では意外とポヤンとしてたり、箱入り娘っぽいところはあったんだよな、ダクネスって。
思えば、飯を食う時、ダクネスの食べ方はどこか気品があるような気が……。
「なあダクネス。まず起こりえないと思うが予め言っておきたいことがある」
「……なんだ?」
「もしも仮にお前が雲の上の奴らとゴタゴタな騒ぎになったとしても、その時に俺を巻き込まないでくれ。いや、巻き込むのはギリギリ許容してやる。頼むから心の準備ができないうちに突然ヤバい事案を打ち明けたりするなよ。『実はずっと隠してたんだけど……』みたいな裏事情を暴露させても、俺はなりふり構わずその場から全力で逃げ出すからな。告白したいなら手詰まりになる前にしろ。些細なことでも正確に俺に教えるんだぞ」
「え、えらく具体的だな……」
こんなことを言うのは、俺がダクネスの事をどうでもいいと思っているからじゃない。
むしろ、大事な仲間だから、何かトラブルでも起きたとしても可能な範囲では手助けしてやりたいのだ。
だからこそ、前もって知らせてくれと言ってるわけで。
手遅れになってから知らされても、俺にはどうすることもできないことの方が多いんだから。
決して、『政治がらみで面倒なことになりそうだったら、さっさと逃げ出す準備をしよう』とか、そんなことは考えていないのである。
「そんなことはありえないと思うが、そこまで言うなら約束しよう。私個人の事情に問題があったときは、カズマ達にはなるべく早めに相談すると」
困ったように微笑みながら、ダクネスはそう宣言した。
……なんだろう。とんでもなく不安になってきたんだが。
なんか一ヶ月後くらいには、騒動に巻き込まれそうな予感が……。
「それはともかく、なんでこうも俺達って面倒ごとに巻き込まれちまうんだろうな。冒険者になってから二ヶ月くらいしか経ってないって言うのによ」
「言われてみれば異常な頻度だな。普通なら、こうも魔王軍と接触することもないし、犯罪者扱いされることも無い。日常生活でも色々あるのだから……、カズマ、お前の幸運のステータスは本当に高いのか?」
高いはずだ。
他の奴らの冒険者カードに出てくるステータスと比べても、俺の幸運値はぶっちぎりだった。
実際に何かと運がいいと思うことはあるけれど、それにしては嫌なイベントがひっきりなしに押し寄せてる感が。
「……まあ、そのおかげでダクネスがパーティから抜け出さないって言うのもあるし、悪くはないのかもな」
「うん? どうして私が離脱するなどと言う話になるのだ?」
「だって俺達がもしも無難な感じで、無難な難易度のモンスターを無難に討伐をして、無難な生活をしてたら、お前がやりたいような戦闘なんてできないだろ?」
こいつが俺達のパーティに入った理由も、有り体に言えば『弱い奴らを強者から守れそうだから』だからだし、こうも俺が魔王軍幹部と邂逅しなければ、俺が常に逆境状態である状況なんかに好き好んで突っ込もうとはしないだろうことは容易に想像できる。
そうなったら、ダクネスは自分の欲求を満たせなくなるわけで、更なる刺激を求めて別のところへ行っていたのかもしれない。
いや、一応俺達を守りたいとは言っていたからワンチャン……。
「何をバカなことを言うのだカズマ」
「え?」
「もしもこれから先、カズマ達がこれまでのように波乱万丈な生活を送らなくなったとしても、私がこのパーティから離れることは確実にないのだからな。むしろ私としては、皆にはもっと平穏な生き方をして欲しいと思っているくらいなんだぞ」
ダクネスは胸を張って、そう言い切った。
「どうしたんだダクネス。ダクネスともあろうものが平穏を好ましいと思うだなんて。お前はもっと血に飢えた餓狼みたいな人間だったじゃねえか。もしかして病気か? あのガチガチのダクネスに感染することができるほどに強力なウイルスがこの世に存在するとは思えないんだが」
「フッ、病気なんぞに後れを取るような私ではない! なにせ生まれてこの方風邪で寝込んだことなど一度たりとてないのだからな!」
成程、やっぱりダクネスは
「それはさておき、私とて穏やかな時間というものは嫌いではない。事実、こうしてカズマと軽口をたたき合っているだけでも、私は十二分に幸せを感じているんだ。確か、こういう人間のことを『チョロイ』と言うのだったか? であるなら、まさしく私はそれだな!」
そうやってダクネスは、快活に笑う。
……なんだろう、ダクネスの内面がイケメンすぎて、ギャルゲーの主人公に口説かれる女キャラの気持ちみたいになってくる。
「そういうわけで、だ。楽しいことでも、辛いことでも、なんでもないことでも、それを共有したいと思えるほどに、私はお前達の事が好きなんだ。だからこそ、私は、この状況が許せなくもある。ベルディアを討伐した功労者であり、なにより私の仲間であるカズマ達が、このように陥れられたというこの状況が」
ダクネスは、キュッと唇をかみしめて少し俯き、
「……保障しよう。この街に潜んでいる魔王軍の幹部を倒せば、必ずカズマ達の名誉は挽回されると。その時には、打ち明けたいこともある。……ああ、安心してくれ、これに関してはお前たちに何らかの不都合をもたらす様なものは含まれていない。単純に、お前たちになら打ち明けても大丈夫だと思えるから、区切りとして私が勝手に言いたいだけだ」
決心したような顔をしながら、俺の手を握ってきた。
「その後はお前達がどうしようと構わない。私はお前達に拒絶されない限りはどこへでも付き合うさ。だから……その……」
そこまで言うと、ダクネスは先ほどまでの勇ましい雰囲気はどこへやら、なぜかもじもじしだす。
……ああ、あれか、いつものやつね。
「あ、あんまり私を非情な人間だと思わないでほしいのだ……。私個人の趣向で、仲間を見捨てるような冷たい人間だなんて……。そんなふうに思われていると……その、悲しくなってくる……」
なんでダクネスはこうも俺にギャップ萌えで攻めてくるんだ。
やめろよ、年上のお姉さんによるそれは破壊力が強すぎるんだよ。
そして俺も、なんでこんな簡単なそれに引っかかるのか。
自分で自分が恥ずかしい。
ともかく、なに言葉を返さないと。
「お、おうっ! 悪かったな!」
畜生、また上擦った!