冬彦は、パプア級輸送艦の格納庫にて、望外の幸運を噛みしめていた。
身に纏った濃緑の制服に、襟元に輝く少尉の階級章。側に置かれた大きな背嚢。
周りで慌ただしく働く格納庫付きの整備要員の視線も気にならない。
「本当に、良かった……何も起きなくて」
そう、冬彦は犯人不明のひき逃げややたらと謎の付きまとう不審な事件事故に巻き込まれることもなく、無事士官学校を卒業することが出来たのだ。
平穏無事に卒業までの残りの期間を過ごすことが出来、何も無いままに卒業し、そのまま任官と相成ったのだ。
卒業式典で、ドズル直々に肩を叩かれたときには、涙が出そうになったのは良くも悪くも思い出だ。
だが、やはりガルマとシャアの暴発を未然に防いだ件が尾を引いたのか、結局配属先が卒業間際まで決まらず、しかもやっと決まった配属先も物資の輸送隊という士官学校の監督生の配属先とは思えないものだったが……冬彦からすれば些事に過ぎなかった。
ドミニクやアヤメの配属先と天と地ほどの差があろうと、行く先が出世の芽が余りない輸送隊だろうと何だろうと、配属先に“それ”が用意されていることを事前に教えられていたのだから。
「これが……俺の、機体か」
シャトルから降りたってすぐに目に入った大きな影。今目の前に、“それ”がある。どうしても手にしたかった物があるのだ。それを魅入る余り、タラップの手すりを痛いくらいに握りしめていることにも気づかないほどに。
MS-05B、ザクⅠ。ジオンで初めての制式配備された量産型モビルスーツ。
濃緑と深青で塗装された、直線と曲線の入り交じる機械仕掛けの宇宙行く単眼の巨人。まだ、指揮官機の証したる角は無い。
パプア級の右舷格納庫。全部で四機のザクが並ぶ中で、一番右端に固定された機体。目の前の、剝き出しの右肩部分に04とペイントの入った機体こそが、冬彦の為に用意された機体だ。
最初の一機が初めてロールアウトされてからはや数年。そろそろ新型のザクⅡ配備の動きもある中でいささか旧型機になりつつあるザクⅠ。推力やエンジン出力、機動性だってⅡには劣る。そこにいるだけでそうとわかるような派手さもない。後の時代に開発されるような、単機で無双ができるような特別な機体じゃない。
それでも、塗装はどこも禿げていない。バーニア噴出口の周りだって焦げ付きなど欠片も見あたらない。透明なカバーの掛かったままのモノアイレール。
どこをどう見ても、ぴっかぴかの新品なのだ。これを喜ばずして何がモビルスーツパイロットか。
冬彦は知っている。本や媒体を通してのみの、只の原作知識としてだが、それでも知っているのだ。
ランバ・ラルや黒い三連星など、多くのエースパイロットがこの機体で初めて宇宙に飛び出していったことを。
そして、このザクⅠでガンダムを落とした凄腕さえいることを。
だから、冬彦はこのザクⅠに乗ることに興奮し、高揚さえしている。練習機ではない、自分の為の機体。専用塗装もカスタムも無いが、ある意味では専用機だ。
無論、Ⅰ以外の機体だって素晴らしいことは冬彦は理解している。そちらが支給されたなら、惜しみながらもきっとそちらに移るだろう。
それでも、たとえそうなったとしても、この機体を型落ちなどと侮蔑混じりに呼ばせてなるものか。
「良い機体だろう?」
突然、声のした方へ振り向くと、そこには冬彦が配属された輸送部隊の隊長である男が居た。襟に光るのは、冬彦より二つ上の大尉の階級章。鉄メットをかぶった、もみあげから鼻の下まで繋がった髭が特徴的なやや太り気味の大柄な男。MS格闘戦の草分けを自称する、ガデム大尉である。
「話を貰ってすぐ、工廠から引っ張って来てやったんだ。何か言うことはあるか?」
「ありがとうございます。大尉殿」
「ふん、陰気な奴だ」
「いえ……」
言葉を濁した冬彦をまたふんと鼻で笑うと、歩み寄り、すぐ隣で手すりにもたれかかった。手すりに両手をついてザクを見上げる。
一方、冬彦はといえばガデムを確認した段階で、手すりにもたれかかってなど居られない。何せ二階級上の直接の上官になる相手だ。
「貴様がフユヒコ・ヒダカ新任少尉だな?」
「はっ」
「……この前、急にラコック大佐から連絡をいただいた時は、すわ何事かと驚いたわ。何せ、士官学校出のエリート様が、卒業早々こんな補給部隊に配属されるというのだからな。オマケに、ドズル閣下直々の推薦付きだと言うではないか」
「はっ……はっ?」
その言葉に、冬彦はびくりと肩をすくませる。ラコック大佐と言えば、コンスコンなどと並ぶドズルの腹心の一人である。そのドズルからも推薦があるとは、一体何事なのか。むしろ今冬彦自身が聞きたいくらいだ。
「何か、派手にやらかしたらしいな?」
「あー、いえ。やらかしたというほどではありません。下級生に灸を据えるのを少しやり過ぎたと言いますか……」
「下級生と言い切ってしまって良いのか?」
「……事情をご存じで?」
「一応な。これで軍歴もそこそこ長い」
かぶっていた鉄兜を外し、髪を直しているガデムは口元に笑みを浮かべている。冬彦には、その上機嫌の理由がわからない。
ガデム大尉と言えば、一年戦争以前からの大ベテランである。初期にシャアの部隊へザクの補充の為に輸送隊として登場し、その後すぐガンダムに撃墜されたりと、出番自体は早かった物の多くは無い。
それでいて階級が上のシャアに皮肉を言うなど、中々食えない印象だったのだが、実際目の前にしてみると気むずかしそうではあるが、こう、嫌みな人物のようには見えない。
これも、原作知識故の弊害なのか?と冬彦は思う。やはり、何もかもが同じというわけではないのだろう。
「頭でっかちな若造に、ちっと現場の厳しさをたたき込むのに寄越されたのかと思っておったよ」
言葉と共に、にっと笑うガデム。
「だが、貴様は違うな。こいつに乗ってみたくてうずうずしてるだろう?」
「……はい」
「そうだろうな。見ればわかる」
「わかりますか」
「わかるとも。着任して、いつまでたっても隊長である儂に挨拶にも来ず、格納庫でザクを食い入るように見上げておればな。一発殴ってやろうかとも思ったが、やめておいた」
そういえば、まだだったかと毒づくよりも、そんなにお長い時間ザクを見ていたことに驚いたのはご愛敬である。
「せっかくだ。早速乗せてやる。部屋にいってノーマルスーツに着替えてこい」
は、と冬彦の思考が一瞬止まる。
「貴様には、艦長としての職責に付く儂の代わりに、モビルスーツ隊の指揮を任せることになる。その初任務だ」
それは、つまりだ。
「二時間後、ジオン公国軍士官学校の要請によりザクを用いた実戦形式での模擬戦闘を行う。詳しい事は後になるが、概要は単純だ。貴様の可愛い後輩共にこの艦を撃墜ないし拿捕されたら負けだ。わかりやすくて良かろう? 貴様には第408輸送隊、つまりこの艦の儂の部下、ひいて貴様自身の部下となる者達を率いてこの艦を防衛して貰う。士官学校の監督生、その実力を見せて貰うぞ、新米。できるな?」
「はっ!」
願ってもない、初出撃だ。
ザクⅠ。どこまでやれるか。
「しかしこの演習。上の方からの鶴の一声で急に決まったわけだが、愛されておるな。ふん、流石はエリートと言うことか」
……あれ、死亡フラグか?
旧ザクでガンダムを撃墜したパイロット。誰かわかるかな?登場の予定はあんまりないけど。
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