本当にそうかな?
「冬彦め、無茶をする」
モニターを見つめながら、苦々しい口調でそれを口にしたのはアヤメであった。口調とは裏腹に笑みが浮かんでいるのは、忌々しい敵艦が火を噴いているのを観測ポッドが捉えたからに他ならない。残りと同数のザクが向かっている以上、これでおそらく“カタ”が付く。
同じヘマを二度踏むつもりはアヤメにはなく、観測ポッドを四方に向けて配してある。警戒を厳にするように伝えてあるし、まだ他に残党がいたとしても、今度はこちらが先に砲撃を行う事ができるだろう。
「……高くついたな」
「ミールウス」の火災は、今も続いている。左舷エンジンに付いてはもう手の施しようが無く、あとはどれだけ被害を食い止められるか、という状況になりつつある。先にパージした増槽に加え、拡張ブロックの爆破による強制パージも検討されている。艦橋が無事であった為に、艦内の指揮を維持できたことが不幸中の幸いか。フユヒコの割かし珍しい派手な奮闘で思いの外士気も保っている。
「それで。やはり自力では難しいか?」
《はっ。もう間もなくの鎮火とダメコン班の報告を待って最終判断を下しますが、おそらく左舷エンジンの復旧は絶望的かと》
「となると、曳航しかないか」
《でしょうな》
「ミールウスの曳航はパッセルで行う。中尉のザクに出撃命令。曳航の準備作業中の護衛が任務だが、作業の手伝いもできる装備にしておくよう整備班に伝達。あと警戒は怠るな」
「はっ」
《大尉。それともう一件報告が》
「何だ」
《クレイマン・カウス少尉、及びベン・クランコート准尉両名とも、格納庫にて発見しました。両名とも重傷です》
「復帰は?」
《……少なくとも、しばらくは不可能でしょう》
「そうか……わかった。作業を継続してくれ」
《了解しました》
指示を出し終え、一息ついたアヤメは背もたれに身体を預け瞑目し、思案にふける。
「ミールウス」の被害は甚大で機動戦などできようもないが、火砲自体は生きているので砲台としてはまだ戦える。残りは「ウルラ」を筆頭に「アクイラ」「パッセル」「アルデア」といずれも無傷。
一方MSだが、戦隊にはフランシェスカのザク一機が残されており、ウルラに待機している。この緊急時においても戦闘に参加出来ないのは流石にアヤメにも看過しがたいが、戦隊における最高指揮官はドズルであり、現場においては冬彦がそれである。アヤメではない。
彼女なりに思うところがあるのか、一応既にザクに搭乗しての待機だが……曳航の準備とはいえ、一応は役に立った、ということか。
「えっ……!」
「ん?」
ふと耳に届いた声に目を開き、身体を回して、背後を見る。
声を上げたのは、どうやらブリッジクルーの中でも雑務を担当する下士官で、外の廊下と繋がる扉の前に立つ彼女はうろたえているようにも見える。
「どうした?」
「いえ、それが……」
彼女がそれを告げる前に、ぱしゅん、という音と共にブリッジの扉が開く。
入室した何者かは、下士官の背中にぶつかったのか「きゃあ」とかわいらしい声を上げた。下士官越しに、宙に広がる赤紫の髪が見える。随分と、見える位置が低い。下士官の胸の辺りか。
「し、失礼します……」
アヤメのまさかという思いをよそに、下士官の背後から顔を覗かせたのは鼻を押さえるハマーンだった。
「……これはこれはハマーン様、このような所に、何のご用でしょうか?」
「イッシキ大尉、あの、戦闘、なのですね?」
「ええそうです。しかしご安心下さい。既にヒダカ中佐が部隊を率い敵を撃滅しに出向いております」
手で指し示したモニターには簡略化された戦場の俯瞰図が移されていて、敵を示す赤い長細の三角形の幾つかには×が付けられている。一方で味方を示す青い長細の三角は一つを除いて×はついておらず、これが示すところは味方の優勢である。
「私に、何かできることが無いかと思って」
それだったらせめてノーマルスーツとヘルメットを着用してから来い、と毒づきそうになったが、そこは鉄面皮で押し隠す。ジオン士官の出世の為の必須スキルである。
「あ、でも……」
「はい」
「まだ、何か嫌な予感がするんです。誰かに、見られているような」
「はい……?」
ハマーンが救出されるまでNT研究所にいたことは知っている。NTというものがどういうものかも、噂程度には聞いている。
何でも、見えていないはずの攻撃を避けたり、まるで未来が見えているかのように敵機の機動を先読みして弾幕を撃ち込んだりするMSパイロットがいるとかいないとかいう話だ。
しかし、どれもこれもが非科学的な戦場の噂だ。戦場で死に神を見たという類の妄言とそれほど変わらない物、とアヤメは見ていた。
彼女の身近にいるフユヒコが彼女に理解出来る範囲の行動で戦果を上げていることも判断に影響しているのだが、それ以前に余りに荒唐無稽な話が多すぎるのだ。
だがしかし、目の前にいる少女は相手が相手だ。
重鎮の娘であり、ザビ家の面々が鞘当てをしてでも身柄を欲した少女。一言にありえないと切って捨てて良いものか。
そんな時――
「艦長! 新たに敵影三! 高速でこちらに向かってきます!」
「艦種、マゼラン一、サラミス二! 一時の方向! 加えて更にサラミス二。四時方向! 距離13000!」
「まだいたのか!? 回頭急げ、右回りだ! ミールウスも回頭は出来るな!?」
「はい! 問題無いはずです!」
現れた敵の増援に、艦橋がまた慌ただしくなる。
その一方で、あるところに視線が集まる。アヤメの視線も、そちらの方へ。
ハマーン・カーンと、アヤメの視線が交錯する。
しばし、両者とも言葉を発する事はなく、しかし目を逸らすこともない。
小柄とは言え、相手は十代の少女、指揮座にいたこともあって、アヤメがハマーンを見下ろす形になった。
「大尉。私にもできることがあります」
「駄目です」
「予備のモビルスーツがあれば、お貸し下さい。武器を構えて撃つくらいのことは出来ます」
「……ありません」
「嘘です」
「そんなことはありません」
「いいえ、嘘です」
ハマーンは、一歩も譲らない。それは何を思ってのことか。幼いなりに、責任でも感じたか。
「……だれか、この方を戦隊長室まで送っていってくれ。戦闘が終わるまで決して部屋から出すな」
「大尉っ!」
踵を返し、席へと着く。視線は前へ。振り返る事は無い。最初にハマーンにぶつかった下士官が食い下がるハマーンを無理矢理ブリッジから連れ出すと、航行担当の下士官がハマーンに問いかけた。
「あのぉ……あれで、良かったんでしょうか?」
「救命艇にしておくべきだったかもしれないな」
確かに、嘘だった。ウルラにだけは、戦隊で以前使用していたザクⅠの改修機が予備機として積んである。
だからといって、そんな機体で任務の対象を出して何かあれば、本末転倒も良いところだ。笑い話になった後、アヤメやフユヒコの首が飛んでいくだろう。冗談では無い。
もし自分ではなかったら、どうしただろか。
厳格な、軍人気質の強い者であれば「ふざけるな小娘!」とでも怒鳴りつけたか。
それとも野心的な者であったなら、「おもしろい」と少女の可能性を試しにかかったか。
自分は、どちらでもなかった。おそらくは普通の、小心な軍人としての答えか。
「中尉のザクを一旦戻せ。武装して再出撃させろ」
「はっ」
「それと中佐にも何機か戻すように通信を……届かないか。信号弾を上げろ。敵の増援を伝えられればいい」
「はっ!」
「さぁて考えろ。状況はそこまで悪くない」
艦橋に、一時乱れて消えていた規律が戻ってくる。ハードな物になると予想される艦隊戦にあって、高い練度は強い味方だ。
現状の戦力を整理すると、頭数こそ同じであるが艦隊戦を行うには不利であるといえるだろう。もともと、ジオンの艦艇は根底にあるMS運用が前提という設計思想の違いから、連邦の物に比べていささか火力に劣るのだ。加えて、そのMSは出払っていて不足している。
ジオンの標準的な艦であるムサイ級軽巡洋艦。武装はメガ粒子連装砲で、それが三基で計六門。全て前を向いていて、左右に振ることはできるが背後は狙えない。
旗艦である試作ティベ型、そしてその元になったチベ型重巡洋艦はメガ粒子三連装砲が二基六門。ただしこちらは間に艦橋を挟む為、艦が進行方向X軸にそって正面を向いている場合、後部の砲は艦橋が邪魔で正面へ向けて撃つことが出来ない。なお、これに加えて両者共にミサイルがある。
ただ、戦隊のムサイが改装により全て単装砲へ切り替えられているので、全艦合わせてもメガ粒子砲は十二基十六門しかない。
一方の連邦側はと言うと、未だに大艦巨砲主義が色濃く反映され対艦戦用の装備が充実しており、砲門の数も多い。
砲塔の位置関係の都合で全ての砲を一度に同一の対象に向けることはでき無いとは言え、マゼラン一隻だけでメガ粒子砲の数は七基十四門もある。当然、ミサイルや対空銃座も装備されている。
単純火力で普通のムサイの倍以上。ミノフスキー粒子によってレーダーとそれに連動する火器管制が役立たずになったため開戦初期の二度の会戦では殆ど活躍できず、その火力を生かせぬまま多くが沈んでいったが、それもMSあってのこと、本来の火力は充分過ぎるほどだ。
そして今、繰り返すが劣勢を覆す為のMSは絶対的に足りない。
「艦長。中尉のザクが着艦しました」
「……通信を繋いでくれ」
「はっ」
通信はすぐに繋がった。画面の向こうには、少し表情の硬いフランシェスカがいる。バイザー越しである為、アヤメの気のせいかもしれないが。
《こちらシュトロエン中尉》
「中尉。早速だが、君一人で何隻やれる?」
《一度に相手をするのなら、二隻が限度です》
「なら四時方向のサラミスを頼む。丁度二隻だ」
《了解しました》
やれるのか?というアヤメの視線に対して、フランシェスカは至極あっさりと答えた。
「……僕が言うのもおかしいけど、大丈夫なの?」
《問題ありません。進退についてのことは私の一身上のことであって、MSが操縦できなくなったという訳ではありませんから。
それに、私も軍人です。本来は、中佐と共に行くべきだったんです。戦う機会を得られた事を幸運に思います》
「やめてよ。戦隊全体のピンチなんだから」
《申し訳ありません》
「期待してるよ、中尉。MS隊ナンバーツーの実力、見せてくれ」
《了解しました》
「……頑張れ、私。やれるぞ、私」
装備を換装している最中のザクの中で、フランシェスカは己の手を見る。
久しぶりの実戦で少しばかりの不安もあるが、それでも手が震えるというわけではない。死の恐怖に幻覚を視るでもない。
あの日。フユヒコにパイロットを辞めるか迷っていることを打ち明けて以来、言われたとおり考えることを続けてきた。
《中尉殿! 準備完了しましたァ!》
「周囲の作業員は退避してください。フランシェスカ・シュトロエン。発進します!」
答えは、今も出ないまま。
※突然の重大告知。
次々回から地上編、始まります(どの方面かは未定)。