眼前のザクⅠ。自分に与えられた機体。この瞬間からの、自分の相棒。
パイロットスーツに着替えてきた冬彦が機体に乗り込もうとすると、コクピットの側にいた整備員がハンドサインで挨拶を飛ばしてきたので、軽く返してから中へと潜り込んでくる。
内容も簡単な物で、健闘を祈るとか、了解とか、そんな程度だ。
「よっ、と……」
ザクⅠに乗り込むときに冬彦が気をつけていることは、冗談でも何でも無く、頭を打たないようにすることだ。ヘルメットを被っているから直接の痛みは無いに等しいが、逆に普段と違うヘルメットの分がコクピットハッチの淵に引っかかって、首を痛めることがあるのだ。それに何より、マヌケに見える。それは如何に冬彦とても嫌なのだ。
何せ、一度やらかしているのだ。実際に。
そのことは冬彦のジオン公国軍士官学校時代の数少ない汚点の一つと言っても良い。
初めての実機演習での事だった。搭乗を命じられて勢い勇んで向かった物の、ヘルメットの天頂部分を引っ掛けて首をひねって痛い目を見たのは教訓も兼ねて良い思い出だ。
ただ、それを教官と同期に大笑いされたのは悪い思い出であるが。
冬彦がそれ以来神経質な迄に気をつけているこの問題だが、実は新兵も一度や二度はこのミスをやらかしたりする。ザクⅠのコクピットハッチはそう大きくはない。横に広く、縦に短い。だから、上の部分に手をついてから入るように教導でも教えられるのだが、無重力空間の格納庫など、慣性のまま移動できる空間で横着し、そのまますっと入れると思って手をつかずに入ろうとすると、ハッチの小ささもあってヘルメット部分をぶつけてしまうのだ。
そんなコクピットの内部だが、元々機体の大きさが17メートル程度と比較的小型な方であるから、とれるスペースもそれなりだ。人一人乗れば窮屈、という事はないが、二人乗るのは流石に無理、と設計者は言うだろう。平均より多少上背がある程度の冬彦が乗り込んで丁度良いかな?と思うくらいだ。
そこに各種計器や操縦桿、フットペダルなど、必要な機器を積んでいけば、自然と手狭になる。そのせいもあってザクⅠのメインモニターは、それこそパソコンのモニター画面とさして変わらない。強いて言うなら若干サイズが大きいくらいだ。メインモニター周りに配置されたサブモニターなどは更に小さい。
コクピットに潜り込み、ベルトで身体をシートに固定し、主電源のスイッチを押す。
それでもって、そう大きくも無いメインモニターにも電源が入り、光が灯って格納庫の様子が映し出されたのを確認してから、ようやく一息つける。
ヘルメットのバイザーは上げたままだが、やはりどこか息苦しい。
冬彦はずらりと並ぶスイッチの内の一つを指で押し上げた。問題無く電源が入っていることを示す、小さな赤いランプが灯る。
「こちらヒダカ少尉。フレッド伍長、ザイル軍曹、聞こえているか?」
《聞こえておりますよ、少尉殿》
《問題在りません》
通信越しの返答に、二人の顔が脳裏に思い浮かんだ。ガデムに紹介された、二人の部下。フレッド・カーマインとザイル・ホーキンス。階級はそれぞれ伍長と軍曹。フレッドが金髪を刈り上げてすっきりした髪型なのに対し、ザイルの方は。同じ金髪とは言えそこそこ長く、後ろで結わえているのが対照的だった。
二人とも、当然乗機は同じザクⅠ。ペイントはそれぞえ02と03。階級が上で隊長となるはずの冬彦が04なのには冬彦自身どこか違和感があるが、二人とも年上であるし、ガデムと共に暴動鎮圧などで何度も出撃しているベテランであるから、異存は無い。
「もう一度、確認も兼ねて状況をおさらいする。本戦闘は模擬戦闘であり、使用する弾頭もそれに準じた物を使用する。敗北条件は408輸送隊パプア級カラルドの拿捕、もしくは撃墜判定をとられること。勝利条件は一定時間パプアに寄せ付けず守りきるか、敵士官候補生の全滅。質問は?」
《制限時間というのは?》
「戦闘開始から十分で、近隣をたまたまパトロールしていた味方が駆けつけてくれる、という設定らしい」
《別にそんなもん待たずに、こっちでやっちまいましょーや》
「……向こう、こちらの倍居るんだがな。内、一機は新型のⅡ型なんだけども」
《まかして下さい。こちとらベテランですよ! 少尉殿の“作戦”が上手く嵌ればあっという間に片が付きます》
軽いノリのフレッドに、頼もしさと共に不安がよぎる。敵方の戦力はムサイ二隻にザク六機。内、先行配備されたザクⅡが一機いる。ムサイは無視するにしても、倍というのはやはりキツイ。
所詮模擬戦。負けても死ぬ訳じゃ無し、実は暗殺に間違って実弾積んできましたー、とかじゃなければ負けるのもいっそありだ。死なないし。しかし既に卒業した冬彦としては、むざむざ後輩の点数になってやるのも面白くない。
勝てるなら、勝ちたい。
「……ブリーフィングで説明したとおりに頼む」
《了解しました》
《おっ、楽しくなりますね。了解です》
話をしている内に、発進準備が整ったのか、格納庫内の人員が退避しつつあった。
そして、ヘルメットのバイザーに通信が入る。両機からでなく、艦橋のオペレーターからだ。
《準備が完了しだい、順次発進して下さい。予定時間まで、もうまもなくです》
「……了解」
なお、この時代のパプアやムサイ、チベすらも、まだカタパルトなど搭載されていない。
そのため、発進するには外へ通じるハッチから、自機のバーニアで出る必要がある。
よって、まずはパプアの外へ出て、加速するのはそれからになる。
三機が揃ってから、パプアの周りを周遊するような機動を取る。
「宇宙、か」
《少尉殿は、まさか宇宙は初めてで?》
ぽつりと言った一言に、通信が繋がったままだったのか、フレッドから返信が返ってきた。
「そんなわけはないさ。士官学校時代、教導機動大隊に一時的に所属して宇宙空間での模擬実習をさせられたこともある」
《今回のような、実戦形式で、ですか》
「いや、普段は機動訓練ばっかりだったよ。模擬戦闘も、基本は一対一。で、格闘戦は禁止。対艦戦はあんまりやらせてもらえなかったなぁ」
《そらまた面白くないですな。殴ってこそのⅠ型でしょうに》
「士官学校の候補生といっても、素人だからね。壊されちゃたまらないんだろう。対艦戦も、まぁ、ヘタにバズーカ撃つと肩壊れちゃうしね」
《ああ、なるほど。まあ道理ですな》
くっくっと笑う声が通信機越しに聞こえて来るが、冬彦には特に咎める気もない。そういう“空気”だった。
《それで、この“作戦”も、士官学校で? それとも教導機動大隊で? どちらかといえば教導隊の奴らが好きそうな戦法ですが》
「いや、違う。一応元になったの物はあるけど、学校や教導隊で教わった物じゃない。それに教導隊でこんな戦法使ったら間違いなく修正食らうよ。……わかってて言ってない?」
《はっはっは! いやぁそのとおりで。少尉殿は勘が鋭いですな》
「あっはっは……はぁ」
模擬戦とはいえ実戦とそう変わらない。だというのに、フレッドには緊張のカケラも無いらしくテンションが高く、冬彦は会話をしていただけなのに半ば気疲れしていた。
ちらり、と持ち込んだ時計を見る。もうそろそろ、時間になる。
《少尉殿。レーダーで補足しました。もうすぐ見えます》
それまで静かだったザイルの報告に、いよいよか、と操縦桿を握り直す。難しいことは何も織り込んでいない、簡単な策。やってやれないことはないはずだが、どこか落ち着かない。
初めてモビルスーツに乗ったときからそうだ。問題はないはずなのに、不安感が消えない。どこか見落としはないか、どこか、どこか……計器の間を目で追って、正体の見えない何かを探すが、いつも結局見つからない。そして、終わってみれば何も無い。あるいは、これからもずっとそうなのかもしれない。
「よし。各機“投擲”準備」
《了解!》
《あいさぁ!》
上手くいってくれよ……!
心の中で願いつつ、機体をレーダーに反応がある方へと向ける。反応は全部で六機。どうやら全機でもって、真正面から潰すつもりのようだ。戦力差は二倍であるから、間違った判断ではない。
「行くぞ伍長、盾を前面に構えろ。突撃!」
言葉と共に、冬彦自身も機体を一気に加速させ、それにフレッドが追従する。ザイルはパプアの側で待機だ。
相手も相当なスピードが出ているが、ザクⅠとザクⅡAの混合小隊であるため、速度はザクⅠに合わせてある。
その動きは冬彦達が加速しても変わらず、あくまで一塊で、という形らしい。
「散開される前にやる! 合図に合わせて投げてくれ」
《向こうのタイミングがわかるんで!? 遠すぎると意味がありませんが?》
「これでも監督生だ。たたき込まれたよ!」
通信を返しながら、“それ”をするタイミングを慎重に計る。勝敗条件が互いの全滅ではなく、こちらはパプアを守ることにある。ヘタに“抜かれる”と、その時点で失敗だ。
それでも、冬彦は攻める戦法をとった。ガトルなどの護衛機がいればまた違う戦法もとったが、無い以上はしょうがない。戦力差は二倍。正攻法が使えない以上は、勝つために奇をてらう必要があるのだ。
《まだですかい!?》
「もう少し!」
互いの距離が、じりじりと近づいていくのがレーダーでわかる。それと共に焦れてくるが、我慢するしかない。一発勝負だ。
そして、互いの機体が見えた瞬間に、冬彦は叫んだ。
「今! メインカメラカット!」
この瞬間。冬彦の一期下の候補生達は混乱していただろう。何せ、モニターに映る冬彦とフレッドの機体が、なぜか自分達からザクマシンガンの銃口を逸らしたのだから。
そして、次の瞬間。
宇宙空間で、白い閃光が爆発した。
《ハッハー! ばっちりだ!》
「笑っている暇は無い! カメラ復帰、反転! 潰せるだけ潰せ!」
《アイアイ!》
冬彦が機体を反転させても、未だ士官候補生の側の機体は散開できずに団子になったままパプア方面に向かっている。しかし、動きに乱れがあり、接触しそうになっている機体も見て取れた。
冬彦が用いたのは、悪名高きクラッカー、ではなく、よく似た形状を持つ閃光弾である。それを超至近距離で爆発させ、カメラに直接ダメージを与えたのだ。
機体にダメージが出るのであまり褒められた戦法ではないが、違反ではない。それに、これは模擬戦。多少のことは勝てばよかろうで方が付いてしまうのだ。
《食い放題でありますなぁ!》
通信越しに聞こえるフレッドの声に、若干引きつつ、ザクマシンガンを乱射する。反転したことで多少引き離されたがそれでもすぐに射程の範囲に入る。団子になっている以上撃てば大体あたるので、瞬く間に冬彦が二機、フレッドは一機撃墜判定にした。
残る三機の内一機はフレッドが追い、残りを冬彦が追う。
混乱から立ち直ったのか、散開しようとするがもう遅い。背後を取られた以上は逃げるしかないのだ。
唯一、マークされなかったザクⅡAだが、待っていたのは待ち構えていたザイル機と、対空機銃の射線をザクⅡAの方へと固定したパプアだった。
模擬戦闘は、十分を待つことなく、遠くのムサイで様子を見ていた士官学校の教官が唖然としている内に終わった。
遅れてしまって申し訳ない。しかしこちらもとんでもないことが起きたのです。
まさか、今時ブルースクリーンを見ることになるなんて……!!
いやはや。心臓が止まるかと思った。