「ね、提督。私も秋雲達みたいに何か書いてみようって思ってるんだけど」
そんな相談を五十鈴からされたのは昨年の晩夏の頃の事であった。
「いきなりだな。どうした?」
「別に大した
そう言いながら私を見つめてくるどこか挑戦的な視線に抗えず、
「そうだな……。自分の周囲をヒントにしてみたらどうだ? 五十鈴は髪が長いからそれを題材にしてみるとか」
咄嗟に浮かんだネタを提案してみる。
「そうね……」
五十鈴が少し考え込む。
「それって【賢者の贈り物】のオマージュにならないかしら?」
しばらく考え込んでいた五十鈴だったが、首を傾げながら私に問うてきた。
「そこで賢者の贈り物を出すあたり、五十鈴が何を考えたのかわかるな」
「だって髪が関わる物語で提督が思い浮かべそうなお話って限られるでしょ?」
自身の長い髪を結える白いリボンを手慰みしながら悪戯気に微笑む五十鈴。
「私の髪を題材にして賢者の贈り物を書くと贈られるのは簪じゃなくて他のもの……そうね、リボンあたりになりそうだけど、それじゃありきたりよね。他の題材ってないの?」
そう言われて考えてみたものの五十鈴の長い髪をネタに考えるとそれしか思い浮かばなかった。
執務の手を休めて暫くほかのネタを考えてみたものの思いつかない。
「済まないが、今一つ思い浮かばない」
「もう。頼りないわね」
そんな私の言葉に僅かに頬を膨らませて文句を言う五十鈴であったが、何らかの影響は与えられたらしい。
「でもありがとう、提督。自分の周囲を題材に、か。ちょっと考えてみるわね」
そう言い残し背中越しに軽く手を振りながら執務室を出て行った。
それから以前より頻繁に私の元を訪れては書棚の本を借りていく五十鈴。それが暫く続いた後に気になっていたことを尋ねた。
「そう言えば、どうだ? 芸術の秋に向けた執筆は。出来たら少しだけでも見せてもらえないかな」
あれから何の音沙汰もないので少し気にはなっていたが、私から尋ねることでもないかと敢えて尋ねなかった。だが、秋雲達がイラスト集や絵画・彫刻を文化活動の一環として発表すると聞き、ネタを仕入れてきた青葉に詳しく尋ねるとそこに五十鈴の名前がなかったので、つい当人に尋ねてしまったのだ。
「あぁ、あれね……。色々浮かんできてはいるんだけどね。執筆は止めにして他のものにしようかなって考えているの。ただ、今からだと秋雲達の発表会には間に合わないわね。色々本を借りたけど、ごめんなさい」
顔の前で手を合わせごめんなさいと言う五十鈴の柄でもない仕草が新鮮なものに見えたのが初秋の頃。
「ねぇ」
五十鈴が、らしくもなく躊躇いがちに声をかけてきたのが晩秋の頃。
「珍しいな、こんな時間に五十鈴が
時刻は
普段の五十鈴であればこんな時間に異性である私の部屋の前で待ち構えている等という真似はしない筈。何があったのかとやや身構えていると
「提督。受け取って欲しいものがあるのだけれど」
そう言って後ろ手に持っていたものを差し出してきた。
「これは?」
私の問いに答えることなく無言で小箱を私の手に握らせると一目散に踵を返す五十鈴がいた。
箱の中身は月をモチーフにしたカフリンクスだった。
秘書艦業務に就いた五十鈴に何故私にカフリンクスを渡したのかについて尋ねたのはその翌々日。
答えは、彫金を始めてみたが考えてみたら作ったものを渡す人がいなかった。せっかくだから提督に渡した。との事であった。どうやら特別な思いがあるわけではなく聊か残念な気持ちがあるものの、五十鈴の成果物はありがたく受け取ることにした。
「はい。これ」
それから月に数回、五十鈴が私室前で小箱を渡す様になった。
小箱の中身はカフリンクスであったりラペルピンであったりバングルであったり時にはバックルであったりと多種多様であったが、始めの頃のモチーフは月が多かった。理由を尋ねると
「月は満ち欠けを繰り返すでしょう。だから「成長」の意味もあるのよ。頑張りなさい」
とのことだった。
やがてモチーフが蝶やうさぎに変わった。
「蝶はさなぎから美しく生まれ変わるから「美しさ」とか「大きな成長」を意味しているわ。あなたの場合は「大きな成長」と言う意味を持たせてみたわ。うさぎは飛びはねる様子から「上昇」とか「飛躍」を意味するの。精進なさい。前に聞いたあなたの目標の実現に向けて幸運を運んできてくれるかもよ」
「作戦前にそんな不安そうな顔をしない。私達を信じなさい」
五十鈴によく言われたものの、あの頃の私はどうしても出撃前の不安を隠すことができずにいた。そんな私に五十鈴は大規模な作戦の時には
「そんなに私達が信じられないの?」
そう言いながら私の顔を暫く覗き込み一つ頷くと
「表情を観ると信じていない訳ではない様ね」
と納得してくれた五十鈴が
「仕方ないわね。はい、これを持ってなさい。欧州では馬蹄は幸運の象徴。この形が幸運を呼び込んで逃がさないと言われているわ。魔除けの意味もあるから、不安だったら入口にでも飾って私達が轟沈しないように願ってなさい」
と渡してくれた
「くよくよしない! 一度や二度の失敗が何だって言うのよ。あなたの立てた作戦に問題はなかったわ。勝敗は兵家の常よ。失敗を気にするならあれだけの激戦で轟沈者が出ていない、その事だけでも誇りなさい」
あの作戦の時には五十鈴にそう言われても後一歩の所で撤退を繰り返し、部下を大破させ続ける事を悔やみ続けていた。そんな私の姿に五十鈴は
「そんなにくよくよするならこの猫でも身に着けてなさい。猫は魔除けの力があって、幸運を引き寄せる力があるって言われているわ。せいぜいそれに縋っている事ね、この馬鹿!」
と猫のブローチを投げつけ足音も荒く執務室を後にしていった。
「皆、提督の事を見直してきているのよ。それなのに、このまま悔やんでばかりの姿を見せるだけじゃまた……何で判ってくれないのよ」
あの作戦を無事に終えた後に月桂樹をモチーフにした銀製の彫金品を五十鈴から贈られた。
「やったじゃない。目標海域突破。作戦成功よ! この勝利を記念して、はい。月桂冠よ。判っているとは思うけど月桂樹は「勝利」とか「栄光」とかの花言葉があるわ。提督の「輝ける将来」への第一歩ね」
そう言われながら背伸びした五十鈴から銀製の月桂冠を被せられたが……。いや、あの時の事は言うまい。
戦果を挙げた私に昇進の辞令が下りた時は五十鈴から王冠が付いた短い杖が贈られた。
「昇進おめでとう。え? この杖? あなたに贈る杖よ。実用性はないけど。上にある王冠? 別に反乱とか嗾けているわけじゃないから心配しないで。王冠は「成功」「美」「栄光」の象徴よ。王冠って権力の象徴とも言えるからその力で目標や夢の実現に導いてくれるかなって思ったのよ。前に聞いた目標の他にも夢の一つや二つあるでしょう? 今回の昇進がその切欠になりますようにってね」
そう笑顔で贈られたが流石に王冠のついた短杖を他人に見られることは色々と差し障りがありそうなので私室の棚の奥に厳重に保管してある。*1
五十鈴とのやり取りが楽しみとなっていたことに気が付いたのが初夏の頃。
いつの間にか季節が巡り気が付けば五十鈴との仲は随分と親しくなっていた。*2
「なぁ、五十鈴。受け取って欲しいものがあるのだが」
そう言って小箱を五十鈴に差し出したのが盛夏の頃。
用意した小箱の中身は私が彫金したマーガレットをあしらったイヤリング。*3
「なに、これ?」
言葉こそ素っ気無いがどこかそわそわとした様子で小箱を受け取ってくれた五十鈴だった。
「マーガレットのイヤリング?」
だが小箱を開き中身を確かめマーガレットのイヤリングをみると箱を閉じて私を見据えてきた。
「……金剛さんにも言われたわよね。場所と時間を考えなさいって。それとこれをこの小箱で受け取った私の気持ちも考えて欲しいわね」
何か問題があっただろうかと悩む私に対し溜息を吐く五十鈴。
「イヤリングか。この小箱だから指輪を期待したのに。ま、これはこれで……」
何事か呟いていた様子だったが聞き返す間もなく五十鈴は立ち去ってしまった。幸いイヤリングは返されることもなく受け取って貰えたが。
昼休みの中庭という場所で五十鈴に渡した小箱について青葉から取材を受けたのがその日の夕方。
青葉の執拗な取材攻勢を
周囲に
「はい、これ」
相も変わらず同じ時間に私室前で私に小箱を渡す五十鈴。前と変わったのは長良や名取といった五十鈴の姉妹達の姿が通路の陰に見え隠れしている事であった。
その頃にはモチーフが星に変わっていた。
星の意味を問うと
「星は健康や富などを表して幸せや希望に導いてくれると言われているわ。それにその輝きから、明るい気持ちや自信を与えてくれるとも言われているの。提督、あなたに今足りないものじゃないかしら?」
そう答えが返ってきた。
艦娘が集まる昼食時の食堂で五十鈴から話があると言われ中庭に呼び出されたのは中秋の頃。
「提督。これを受け取って貰えるかしら?」
衆人環視の中で差し出されたのは、紐を結ぶリボンをあしらった指輪。
五十鈴が態々衆人環視の中で私に差し出した指輪。それに込められた意味は流石に間違えようがないものであった。
以前五十鈴に私が尋ね教えられた時の事を思い出す。
――リボンをモチーフにしないのかって? リボンは縁結びのお守りとしても有名だものね。そう尋ねる理由はわかるわ。でもリボンは人と人を結びつけるといった意味を持つ「良縁」の象徴。恋人との仲や家族との仲を深めたい時に贈るものよ。だから私はリボンをモチーフにしたものは気軽には作らない。特に指輪なんて以ての外。ところであなたは誰にリボンをモチーフにした贈り物を渡すつもりなのかしらね?
私を見つめる五十鈴。
私の返事は――。
数か月前までの出来事を思い出しながら、五十鈴からプレゼントされたワイン色のマフラーを教えられたように片リボン結びにして街中に佇む。
最初に薦められたリボン結びには抵抗があったが、次に薦められた片リボン結びであればまだ妥協ができた。
街を歩く人々が物珍しそうにマフラーを巻いた姿の私を振り返る。大の大人が、それもマフラーを片リボン結びに巻いた男が一人ぽつんと佇んでいるのは珍しいのかもしれない。そう思いながら待ち人の姿を探す。
「提督。どう? 似合うかしら」
慣れ親しんだ声質の、だが滅多に聞かない躊躇いがちな声が後ろから聞こえたのはそれから間も無くのことであった。
振り向くと、いつもは両側に結わえている髪を後ろに下ろし、私と同じワイン色のマフラーを片リボン結びにして淡い色のチェスターコートと白のタートルネックニット・赤色系のロングスカートに身を包んだ五十鈴の姿があった。
「こういう服装は慣れてないの」
そう俯きがちに声を紡ぎ、恥ずかしげに彼方此方を触る五十鈴。
その仕草に思わず笑みを浮かべると
「そんなに可笑しい?」
頬を赤く染めて俯きがちに抗議の目を向けるその姿は何時になく可愛いものに映った。
「いいや。可笑しな箇所などないさ。その服は五十鈴に良く似合っている。それでは五十鈴お嬢様、参りましょう」
そう五十鈴の腰に手を回す。
「どこに誘ってくれるのかしら?」
そういう五十鈴にはいつもの勝気な口調が戻っていた。
「クリスマスマーケットが近くにできたらしい。ぶらぶらと、な」
「駄目ね。もう少し考えて欲しいわ」
ダメ出しを喰らったか。さてさてマーケットの後に予定している夜景の綺麗なレストランはお気に召してもらえるであろうか。
腕を組み寄り添いながら冬の街中を歩く二人。
クリスマスの買い物を済ませたらしき親子連れが正面から歩いてくる。
燥いでいる子どもに、あら可愛い。と手を小さく振る五十鈴。
手を振る五十鈴に気が付き子どもが二人を見上げる。
何かに気がついた子どもが目を輝かせ、
「あ、大きなリボン!」
と、母親の手を引きながら指をさす。
「大きなリボン? どこかしら?」
子供の指先を辿る母親。その先にあったのは二人の男女。
「あら本当。大きなリボンね」
(あらあら二人とも片リボン結びなのね。左右対称の結び方だから二人で寄り添ってると大きなリボンに見えるわね。この子が大きなリボンって言うのも納得。でもいいわぁ。あの人と出逢った頃を思い出すわねぇ。そうね、偶には……)
「ね、弟か妹欲しい?」
二人とすれ違った後、唐突に発せられた母親の問いかけにきょとんとしながらも頷く子ども。
「そう。欲しいの? じゃぁサンタさんにお願いしよっか。今夜から二人で頑張らないとね」
手をつなぎながら家路を急ぐ親子の姿があった。