深海棲艦との長きにわたる戦いに終止符を打ち、艦娘たちは人間として市井に溶け込む。人々は平和を謳歌し、未来に向かって進んでいた。
艦娘たちもまた、提督たちと結婚するか養子縁組を行い、一市民として市井に溶け込んでいった。
これはそんな時代の一コマの物語である。
| 3月12日(金曜日) |
| 英明さん、婚約して明日でもう半年になるのに婚約した時のキスから何もしてくれない。 やっぱり妹としか見てくれないのかな。それとも……ほかに好きな人がいるのかな。婚約したことは皆には内緒にしようって言っていたし。 ……恐いけど、明日確かめてみよう。このままじゃ……。 |
「何だこれは? ……日記帳か」
ホワイトデーを明後日に控え、家の主がバレンタインデーのお返しに何を贈るか考えながら歩いていた廊下に落ちていた一冊の冊子。
それを拾った男――堀園英明。男はこの家の主であり前職は小さな鎮守府に勤務し、若い―鎮守府が解体され1年経った現在でも未だ30には届かない―ながらもそこの長であった。鎮守府が解体された現在は元々開いていた法律関係の事務所を再開し、鎮守府にいた元艦娘達と暮らしていた。
英明が日記の持ち主の名を確かめる。持ち主は自らの婚約者であった。
「時雨の日記帳か」
持ち主に返そうと部屋を訪れ声をかけても返事はなく、そっと扉を開けるとすでにぐっすりと寝ているようであった。
「しかたないな。机にでも置いておくか」
足音を忍ばせ勝手知ったる部屋に入り込む。
「いくら入ってもいいと言われているとは言え、寝ている時に入り込んでいるのが見つかったら流石に大騒ぎだな」
そう呟き日記を机に置きかけるが、最近婚約者の元気がない事を英明は思い出した。
周囲に問いかけても理由を知るものはなく、本人に問いかけても、何でもない。と強がる様子が気になっていた英明は、最低の行為とは思いつつも何か手掛かりはないかと最新の頁を捲ってしまった。
そこで目にした今日の日付で書かれていた内容。
それを見た英明にある想いが湧き上がっていた。
「……ごめん」
そう呟き日記をそっと置くと、英明は静かに部屋を出ていった。
「……」
ベットの中からそれを静かに見つめるこの部屋の主。その瞳には微かに不安の色が出ていた。
翌日、英明は駅前で待ち合わせをしていた。
「提督」
ワインレッドのタートルニットとブラウンのキュロットスカートにホワイトダッフルコートを着た時雨が小走りに駆け寄ってくる。
「ごめん、待った?」
「いや、俺も今きたところだ。時雨、なかなか似合っているぞ。普段は大人びていると思っていたけど、今日は随分と可愛らしい。ロングブーツで元気よく走る姿も元駆逐艦娘らしくて良いな」
そう言う英明の言葉に頬を赤く染め俯く時雨。
「意地悪」
気を取り直し真っ赤にながらも繁々と想い人を見つめ直す時雨。英明は白のタートルネックニットとグレンチェックのスラックスにネイビーカラーのポロコート姿であった。
「初めて提督のその服見たけど、よく似合ってるね。ポロコートも提督の雰囲気によく似合ってる」
そう言うと差し出されていた英明の腕に自らの腕を絡める時雨。
「さて行こうか」
「うん。でもあまり遅くなると白露や村雨に気づかれるよ。あの二人案外、勘が良いから」
そう腕を組みながら歩く2人を見つめる2つの人影があった。
「やっぱね。なんかあの2人怪しいと思ったんだ」
「でも、後をつけるなんて、良いの? 白露姉」
「いいの。こんな面ゴホン。時雨が素直に甘えていることって滅多にないから。からかゴホン。長姉として見守ってあげないと。ほらほら、村雨。あの2人行っちゃうよ。行こう」
2人の後をつけていくのは、白露型駆逐艦の一番艦と三番艦の2人。この2人は英明の鎮守府にいた駆逐艦娘で鎮守府が解体された後は英明の妹として養子縁組され、時雨とともに、英明の家に同居しつつその仕事を手伝っていた。
「あ、そうだ。時雨」
「何?」
「今更だけど提督呼び、どうにかならないか」
「突然どうしたの?」
英明の唐突な言葉に戸惑う時雨。
「もう鎮守府が無くなって暫く経つし、俺も提督じゃなくなったしな」
「でも、僕達にとって提督は提督だし、鎮守府が無くなってもそれは変わらないよ」
「時雨は婚約者じゃないか。呼び方変えてくれよ」
「……婚約者、か。う~ん、でも本当に今更って気もするけど」
首を傾げて英明を見遣る時雨。
埒が明かないと見た英明。
「命令。家に戻るまで提督呼び禁止」
その言葉に時雨がきょとんとした表情をする。
「え? なんで?」
「折角二人きりのデートなんだ」
「デ、デートって」
その言葉に顔を赤らめる時雨。
「こんな楽しい時に提督なんて呼ばれたら昔を思い出しちまう。それじゃ楽しめないからな」
「そういう事。それで? 僕はどう呼べばいいの?」
「呼び方は時雨が考えてな。あ、言わないとは思うけど、苗字に様付けも禁止だ」
男のその言葉にしばらく考え込む時雨。
(提督の命令だし、確かに婚約もしているから呼び方を変えても良いよね。でも、上官との狎れ合いは……。でも今は提督と艦娘じゃないし。仕事も終わって
やがて思い切ったように
「ひ、英明」
消え入りそうな声で、男の名を呼ぶ時雨。
「ん? 良く聞こえなかったな。なんて言ったんだ?」
普段の時雨からは予想できなかった呼び方に一瞬眉を上げた男であったが、それ以上は表情に表す事なく、直ぐにわざとらしく耳に手を当てる。
「英明」
先ほどよりは大きく、だが普段よりは遙かに小さい声。
「まぁ、おいおい慣れてな」
もう一度問い返すかと耳に手をやり掛けたが、始めはこんなものだろうと、苦笑を浮かべながら傍らの婚約者の頭にポンポンと手を遣る。
「もぅ」
顔に恥じらいの色が溢れる時雨を見遣り、その腕を取ると自らに引き寄せる男。寄り添いながら互いの温もりを感じる二人。同時に男は時雨の女性特有の甘い匂いと柔らかさを、時雨は男の念入りに鍛え上げられている引き締まった肉体を感じつつ歩を進めた。
「ねえ、これからどこ行くの? 食事だけじゃないって」
「ついてのお楽しみ♪」
「……まさか変な事考えていないよね?」
「ば~か。そんな事ができる俺ならとっくに頂くもの頂いて……って、何言わせる」
そう言って、時雨を軽く小突く男。
「痛っ。もう、叩くことないじゃないか」
そう言うと俯いたまま黙り込む時雨。
たわいもない会話を続ける男だが時雨が一向に返事をしないことに戸惑いを感じ始めた。
「時雨?」
言葉を返さない時雨。
「具合でも悪いのか?」
顔を両手で覆いつつ無言で首を横に振る時雨。
ではどうしたのかと英明が考え一つの予測を思いつく。
「さっきのこと怒ってるのか?」
男が時雨の顔を覗き込もうとするが、顔を両手で覆い見せない時雨。回り込もうとすると俯いたまま身体をよじる。
そのやり取りを何度か繰り返しているうちに
「時雨、ごめんな。謝るから機嫌直してくれよ、な?」
慌て出す英明。
「……」
時雨の沈黙は続く。
「なぁ、今度ケーキ奢るから。機嫌直してくれよ」
そう言いつつ下から表情を窺う。
「あ! 騙したな」
顔中を口にして声を立てずに笑っている時雨がそこにいた。
「ベぇだ。あんな事で怒るって考えた英明が悪いのさ。ケーキご馳走様」
「こら待て、こいつ」
嬌声をあげながら逃げる時雨。それを追いかける男。
「……なんか楽しそう。ねえ、やっぱり止めようよ。邪魔しちゃ悪いよ」
「だ~め。絶対止めない。これなら決定的瞬間狙えるもん。カメラだって青葉さんから借りたんだから」
「……そんなものいつのまに」
「さ~てと、着いたぞ」
「えっ!? ここって……遊園地!?」
「あぁ、今日は年一回のオールナイト営業なんだ。タダ券2枚だけ手に入れたからね。たまにはいいだろ?」
「あ~楽しかった。ありがとう、提督。僕、ずっと来たかったんだ、遊園地。友達とじゃなく……姉妹とか……その……」
「恋人と。かな」
その言葉に夜目にも解るほど頬を染め俯く時雨。
その様子を幸せそうに見つめる男が、ふと何かに気づき懐中時計を取り出す。
「あれ、ずいぶん遅くなったな。電話しておくか」
「え? もうこんな時間なんだ。皆、まだ起きているとは思うけど」
そう言ってバッグから携帯を取り出す時雨。
「もしもし、あ、対馬? 白露達いる? ……え? そうなの? ……ううん。大した事じゃないんだけどね。……いま? 鎮守府の友達と出会って飲み会さ。遅くなるから先に休んでてって伝えて貰えないかな? ……えっ? ちょっと! 対馬っ! 待って! ……もう」
携帯を切る時雨。
「て、英明。白露達まだ帰ってないみたい。それと英明と一緒にいる事、対馬に気づかれちゃった」
「ま、対馬はなぁ。見かけの割にこういう事には恐ろしく勘が良いからな。婚約したのも薄々気づいているようだしな。それにしても、二人が揃っていないなんて珍しいな」
「ま、2人にも色々都合があるだろうからね」
「それもそうだ。さて、そろそろレストランに行こうか。少し離れたところにあるから、歩いて行けばちょうどいい頃だ」
「う~ん、ここじゃ収穫なしか……残念」
「もう……」
「ここなら、味は保証するよ」
「でもここって高そうだよ? 提督、お金大丈夫?」
「大丈夫。心配するな。それにここ見かけほど高くないから」
レストラン『カケスのサミー』
その名前とは裏腹に、落ち着いた雰囲気を持ち、本格的なドイツ料理を出す店として、業界の評判は高い。にもかかわらずオーナーが大のマスコミ嫌いで一度も取材を受けたことのない店である。
「でも……」
「いいから。ほら入るぞ」
「あ、ちょっと」
「あちゃ~。あんなとこ入られちゃったよ。高そうだしなぁ。仕方ないわね。村雨、ここで待つわよ」
「良い雰囲気のお店じゃない。これは後で提督に奢ってもらわないと♪ 明日とは言わないけど誕生日に期待しちゃうな♪」
「……村雨、あんたもいい性格してるわ」
店の内装は瀟洒な外見とは異なり、重厚な19世紀後半の様式に統一され、照明は壁に掛けられた燭台と手編みのクロスがかかったテーブルに置かれたキャンドルの他は最小限に抑えられていた。
「提督、止めようよ。ここ高そうだよ」
雰囲気に呑まれるように時雨の声も自然と小さくなる。
「大丈夫。ここは俺の行き付けの店だから安心しな。それと、呼び方」
時々提督呼びに戻る時雨に軽くデコピンをお見舞いすると
「予約しておいた堀園です」
と伝える。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
威厳と体格と美髯に恵まれた老ウェイターが案内する。
席に着くと同時に時雨が話し掛ける。
「ここ予約してたの?」
「ここは予約なしじゃ入れないの。見てみな。満席だろ?」
「……本当だ。全席キャンドルが灯ってる。きれいだね」
「――と、ライン風ザワーブラーテン。デザートにフランク・フルター・クランツ。ワインは……ちと奮発するか。2005年産のトロッケンベーレンアウスレーゼ
「アプフェルショーレってどんな飲み物?」
「りんごジュースを炭酸水で割ったやつだな」
「僕、もう子供じゃないよ? ワインも大丈夫さ」
気分を聊か害したように口をとがらせた。
「言い方が悪かったかな。アプフェルショーレは子供の飲み物ってわけじゃないんだが。ならヴァインショーレにしよう。ワインを炭酸水で割ったやつだ」
「それならいいけど……」
「じゃぁ、決まりだな。彼女の飲み物にはヴァインショーレを」
「畏まりました」
「美味しかったぁ。でも、あれだけの料理があの値段で食べられるなんて。提督、今まで内緒にしてずるいじゃないか」
「まあ、俺のとっておきの店だからな。白露達にも教えるつもりないし」
「ひどいなぁ。でも二人だけの秘密だね」
笑いながらも唇に指先をあてる時雨。
「……等と宣わっておりますが? 白露姉、どうする?」
「ふむふむ。これはケーキの二つや三つじゃぁ済まされないわね。でもどうして言っていることがわかるの? 村雨」
「え? 読唇術程度、身に付けるのは淑女の嗜みでしょ?」
「村雨……どこで仕入れた知識か知らないけど、それ違うから」
「これからどこか行く?」
「ワイン・バーにでもいくか?」
「う~ん、でも……僕酔っちゃうとどうなるか判らないし……」
「ふ~ん」
「……あ。英明、今変な事考えたね。スケベ」
軽く肘打ちを当て呟く。時雨が他人には決して見せない、意地悪そうでいて甘やかさを含んだ声と視線。
「まったく。提督はそんな人じゃないって思ってたのになぁ」
「おいおい……そんな真似しないって」
「ホントかなぁ」
疑わしそうな表情で呟く時雨。
「おいおい……」
困る英明を見て笑う時雨。
「冗談だよ。提督、何もしてくれないよね……。僕、待ってるのに……」
紡ぎ出される言葉の大半は泡沫の如く消え、英明には届かなかった。
「ま、バーは次の機会だな。今日は帰ろうか。あ、最終出ちまった」
目の前で発車したバスを見送る二人。
「え~! ……どうするの?」
「……そこらで泊るか?」
傍らの愛しき人が頬を赤らめ俯く様子を期待し軽口を叩く英明。
しかし、その予想は覆され――。
「やっぱり。『泊る』なんてこうなる事最初から狙ってたんだね。提督のスケベ」
先程の声と視線で嫌悪感を出来るだけ露わにして言葉を紡ぐ時雨。
「違う! 偶然だ、偶然! 本気にしないでくれ」
「ホントかなぁ」
疑わしそうな表情で時雨が呟く。
「信じてくれよ! この顔が嘘つく顔に見えますか? ってな」
英明のその言葉に軽く噴き出す時雨。
「アハハ。その台詞随分古いよ。冗談だよ。提督、そんな事考えないもんね。僕、待っているんだけどな」
その言葉を聞いて、安堵の色が浮かぶ英明の顔。
「でも、どうしようか。ここからタクシーだと結構かかるよね」
「そうだな。歩くか? ちょっと遠いけど」
「そうだね。月も輝いているし、たまには二人だけの夜の散歩もいいかもね」
それに聞きたい事もあるし。
声に出さず呟く時雨。
星が降るような冬の夜空。
凍てつくかのような夜の静寂の中、時雨の靴音が響く。
腕を組み歩く二人。その温もりを感じつつ不安を抱く時雨。
(提督、僕の事どう思ってるのかな)
今ある幸せを喪いたくない。だが湧き出す疑念を抑える心は、時雨にはもはや――。
(聞くのは恐いけど、いつまでも不安な気持ちを持つのはもう嫌だ)
そう時雨が決意を固める。
(決めた。聞いてみよう)
「ねえ、提督」
何事か問い掛けるその口調とその内に秘められたる微かな不安。
その口調から何が問われるか、ある種の確信を秘めた予感を感じ取る英明。
人は……いないな。
素早く周囲を見渡し確認する。
「提督、あのね?」
身体を翻し何事か問い掛ける時雨。
それを遮るように手を掴む英明。
「わッ!?」
強く引かれたわけではない。しかし、力を失ったかのように英明の側に引き寄せられる時雨の身体。
その唇を一瞬、軽い――羽毛が触れたかの様な柔らかい感触が塞ぐ。
「えっ!?」
予想だにしなかったその行動。
「てい……とく?」
唇に手を当て、英明を見つめる時雨。
「迷惑、だったかな?」
英明が耳元で囁く。
「ううん。でも初めてのデートの記念だったんだから、もう少しムードが」
顔を染め俯く時雨。
その言葉に英明が無言で優しく想い人を抱き寄せる。
抱き寄せられ、コートに包み込まれる時雨。
その背中に回される男の右手。
時雨がコートに包まれたままその胸に凭れ掛かり、顔を上げる。
時雨を映す英明の瞳とそれを見る時雨。
「てい……とく」
微かに開いた桜色の唇。
切ない吐息が漏れる。
英明は何も言わず、左手を時雨の夜色の艶やかな髪の中に通す。
その手を頬に滑らせ、顔の形を撫でる――何かを確認するかのように優しく。
首元にその手がたどり着き、微かに震える時雨の身体。
優しく時雨の肩を抱く、英明の両手。
瞳を閉じる時雨。
永遠にも思える一瞬。
触れる英明の唇。
月明かりの中、重なる二つの影。
「提督……ねえ、人が来ちゃうよ?」
熱く掠れる声。
「大丈夫だ。ここは滅多に、人来ないから」
英明が時雨の背中に回した手に力を籠める。
時雨がうつむいたまま、額を男の胸に預ける。
互いの温もりが身体に伝わる。
「ねぇ。僕の事、愛してる?」
時雨が囁く。
「言わなくてもわかるだろ?」
時雨の瞳を覗き込みながら答える英明。
再び重なる二つの影。
「決定的瞬間ゲット! ふっふ~ん。これであの二人揶揄えるってものよ」
「もう。それにしても提督と時雨ちゃん、いつからあんな関係だったのかしら」
「何時からだっていいけどね。さてと、ばれないうちに行こうか、村雨」
「うん。でも水臭いよね、あの二人。教えてくれたっていいのに」
その場から立ち去る二人。
「まあ、時雨はあの生真面目な性格だもんね。提督は立場があるし」
「立場?」
「そ、立場。考えてもみなさいよ。提督、私達を引き取った最初の頃は【元提督と艦娘との爛れたハーレム】て言われていたでしょ? 今は落ち着いてきたけど」
「あ、そうか。私たちも白い目で見られたもんね」
「これで時雨と付き合っている事が公になったら……判るでしょ? 元提督と艦娘の立場から無理やり関係を持っている、なんて言われるかもしれないし」
「『ひょっとしたらあの子達にも』なんて思われちゃうかもね。提督は男女の関係は潔癖なところがあるから私達をどうこうはしないけど、そんなことは傍からは判らないし」
「提督はそんな事承知してるわよ。だからばれない様に私たちにも隠してたんじゃない?」
「それじゃ何も言わないほうが良いのかな?」
「それとこれとは話が別。明日の朝が楽しみ」
「白露姉……」
ばれないようにとその場から立ち去る二人。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
男からそっと身体を離し、顔を赤らめ俯きながら尋ねる時雨。
「何?」
「どうして今日は僕にキスしたの?」
「あぁ付き合って半年経ったし、そろそろいいかなってな」
戸惑う英明。
「誤魔化さなくてもいいよ、提督。昨日の夜、僕の日記読んだよね。見てたから惚けても無駄だよ」
そう言って顔を上げる時雨の目には強い意志の光が感じられた。
「!! 知っていたのか」
驚愕。そして後悔。
「正直に言って。いつから僕の日記読んでたの?」
「……」
沈黙が流れる。
「そう。提督が答えられないなら僕から言うよ。僕が気づいたのは4ヶ月前。だけど、提督は多分もっと前から読んでいたよね」
「ここまで来ちゃ嘘は言えないよな。鎮守府が解体されて、時雨達と同居して。時雨と本当の恋人関係になって半年位後からかな。時雨が何か隠し事をしていて白露や雪風たちが随分心配していた時にね」
「そんなに前から」
ため息を吐く時雨。
「初めて見たときは絶対に許さないと思ったけど、提督が僕の日記を読む時って僕が誰にも相談できない悩みを抱えている時に限ってなんだよね」
沈黙が続く。
「心配してくれているのが判ったから目こぼししていたんだ。でも、提督? まさかとは思うけど、白露や村雨の日記とか読んでいないよね? 読んでいたら絶対に許さないよ?」
「それは絶対にない。白露達は何かあるとすぐ表情や動作に出るし、悩み事はしっかりと伝えてくれるからね。ところが時雨は自分を鎧って何も話さない事が多かったからな、鎮守府の時もそうだったし。あの時もとんでもない事態に巻き込まれているんじゃないかってヒヤヒヤしていたんだ」
「ごめん、心配かけちゃってたんだ」
「謝るのは俺のほうだよ。ごめんな。最低の行為だよな、人の日記を読むなんて」
「もういいよ。惚れた弱みで許してあげるから」
そう言うと時雨が顔を上げ、英明を見つめる。
「でも、今度から勝手に読まないでね。読みたかったら言ってくれればいつでも読ませてあげるから。あ、今日の分は読んでもいいよ」
そう悪戯そうな、だが、どこか寂しげな笑みを浮かべて時雨が言った。
「昨日の日記だって読んで貰えるように態と提督が通りがかる時間を見計らって廊下に落としたんだし……」
「えっ!?」
そういえば。と英明は時雨が数日元気がなかった事を思い出した。
(だから日記を読んだんだよな。見事に時雨の策に嵌まったわけか。でも……)
「なぜそんな事を……?」
「……だって提督、何にもしてくれないから怖かったんだ」
「時雨?」
「どうして今まで何もしてくれなかったの? 僕、提督が他に好きな人がいるんじゃないかって、振られたらどうしようって、本当に、本当に恐かったんだ」
コートの襟を握り締め、抑えていた想いを吐き出す時雨。
「……時雨」
英明が深く、静かに息を吐く。
「ごめんな。結婚するまでは手を出さないって決めていたんだ」
男のその言葉に
「そうだったんだ」
安堵の色を見せる時雨。
「でもそれって独り善がりだったな。時雨の気持ちを考えていなかった。しっかりと時雨に伝えるべきっだったよ。自分の恋人の気持ちを考えられない様じゃ婚約者失格……その前に恋人失格だな」
「もういいよ。提督の気持ちはわかったから。……良かった」
そう呟くと時雨は英明の胸にもたれかかり、額をその肩に預ける。
一瞬訪れる沈黙。温もりと鼓動が互いに伝わりあう。
そのわずかな沈黙の後、時雨が呟く。
英明に聞こえるか聞こえないかの小さな声。
その込められた想いを自らの心に秘めるかの如く。
想い人の心に伝えるかの如く。
「ありがとう。提督」
その時雨の言葉に、英明が時雨の顎をあげ、眼を覗き込む。
「違うだろう、時雨」
息を呑む時雨。暫しの躊躇いの後、小さく、そして強く。
「ありがとう。英明」
その言葉に表情を緩めた英明。二人の視線が交わる。どちらともなく近づき、いつ尽きるともしれない口づけに浸った。
かつての部下であり現在の婚約者という二人の微妙なこの距離は、この日、この時間からゼロ――互いに掛替えの無い存在――へと縮まった。
| 3月13日(土曜日) |
| この日記を読んでるはずの提督へ
僕の日記は別につけるね。それは勝手に読んじゃダメだよ。ホントに恥ずかしいんだから。 それと、この日記はいっその事、提督との交換日記にしないかな。そうすればその日の出来事や提督だけに話したい事はここに書いておけばいいし。 どうかな、提督。我ながらいいアイデアだと思うけど。 それじゃ、おやすみなさい。あ、返事はちゃんと書いてね。 それと、ホワイトデーのお返し、期待しているからね。
時雨 |
補足
堀園家の元艦娘。()内は英明との関係。
・白露:10代後半から20歳前後の外見(
・時雨:10代後半から20歳前後の外見(婚約者)
・村雨:10代後半から20歳前後の外見(義妹)
・対馬:まだ第二次成長期前の外見(
※鎮守府にいた他の艦娘は、独立して社会生活を送っているか全寮制の学校で学生生活を送っている。対馬は唯一の海防艦娘だったので提督が娘として引き取り手元に置いている(戸籍上は小学校中学年扱い)
※艦娘は解体されて一年以上経っているので、色々と成長しています。
※元艦娘でも未成年者飲酒禁止法は適用されませんw
※時雨との関係
同居時(ケッコンカッコカリ締結中)
↓
(3ヶ月)
↓
告白=正式な恋人関係
↓
(半 年)
↓
婚 約
↓
(半 年)←いまここ
え? 白露と村雨が出歯亀しかしていない? ……(;・3・)~♪
まぁ、お約束ではありますが、翌朝当然のごとく二人に揶揄われまくります。ホワイトデーだし。