ゴトン、ゴトンと乾いた音を立てローカルな一両編成の電車が、初夏の兆しが見えた新緑の山の中を走る。
木々は初々しく鮮やかな緑色に染まりさまざまなハーモニーで彩られていた。木々は強い日差しを遮り、涼しい木陰を電車が進んでいた。
木々の間を進む列車には男女が一組だけ乗っていた。
「提督! ここ行きたい!」
そんな言葉とともに自らの秘書艦が雑誌の写真を指さして来たのが数週間前のことだった。
「ん? ……あぁ、別に構わないが。ここ、結構遠いぞ?」
「大丈夫! 朝早く出れば、夕方には帰ってこれるでしょ?」
「まぁ、な」
「ね、ねっ、行こうよ。ダメ?」
上目遣いに自分を見上げてくる秘書艦に逆らえるはずもなく。
「うん、良いよ。行きたいって言うなら」
「うん、うん」
秘書艦が嬉しそうに頷いた。
その秘書艦は、今はすっかり夢の中の住人と化していた。自らの提督の肩に頭を預け、グッスリとおねんね状態である。
「やれやれ、仕方ないな」
自ら言い出しながらぐっすりと寝ている秘書艦を見遣りつい苦笑を漏らす。
「まぁ、仕方ないか。朝早くから弁当の用意もしていたことだし」
間宮達に弁当を頼むことなく、自ら弁当を作ると言い出した秘書艦。
深海棲艦との戦いでは安心して艦隊を任せられるが、こと料理の腕は定かではなかった。
聊か不安ながら弁当を任せると、秘書艦もその期待に応えるように、昨日の夜から仕込み、早朝から調理、とかなり気合が入っていた。その弁当は、しっかりと秘書艦の腕と膝に守られ出番を待ち構えていた。
提督が電車に揺られながら思い返していると、いつの間にか表情から苦笑が消え、静かな水面に風が波紋を描くように、微かな笑みに似たものが広がっていた。
初夏の日差しを受けながら二人を乗せた電車は山々の間を縫い進む。
秘書艦の肩から落ちかけたカーディガンを提督がそっとかけ直すと同時に秘書艦が心地よさそうな伸びをした。
「やっと着いたぁ。ここまで遠いと流石に山に来たって感じよね」
「オイオイ、ずっと寝てたのは、どこの誰だ」
提督の控えめな主張。
「ん? なぁに?」
秘書艦が訊き返す。
「ん? 何でもないさ」
そう言うと秘書艦の頭に手を遣り、ポンポンとする提督
「あ。また子ども扱い」
そんないつものやり取りをしつつ二人が森の中へと歩みを進める。
森の小道を抜け、二人は小さな展望台にたどり着いた。木々の合間から見下ろす山並みは、まるで翡翠の絨毯のようにどこまでも続いている。
「わぁ……ここ、すごくいい……」
秘書艦が思わず小さな声を漏らす。見晴らしのよい高台には他に誰もいなかった。
「気に入ったか?」
「うんっ」
振り返って笑った彼女の目が、さっきまでよりも少し柔らかくなっていた。
荷物を下ろし、ベンチに並んで腰をかける。
秘書艦がお弁当の残りを再び手に取り、小さな菓子箱を開けた。
「デザートは、きなこのおはぎと抹茶の寒天寄せ」
「……見た目は伊良湖のデザートより上だな」
「ふふっ。ありがとう」
いたずらっぽくウインクを飛ばしながら、秘書艦が提督の皿にそっとひとつずつ盛り付ける。
風がやさしく吹いて、二人の間の沈黙を満たす。
「最近……ちょっと張りつめてたなって、思ってたんだ」
珍しく、秘書艦がぽつりと漏らした。
「提督も忙しそうだったし、皆も……。でも今日、来られてよかった」
「お前も、よく見てるな」
提督はひと呼吸置いてから、遠くを見た。
「確かに、張ってたかもしれん。任せられるって言っても……無理させてたな、お前にも」
「ううん。むしろ……こっちが助けられてばっかりだったよ」
秘書艦が肩を寄せるようにして、空を見上げた。
「ね、提督。今日って、すごく普通で、何でもない日だけど……きっとずっと覚えてる気がする」
「俺もだよ」
言葉が重なった瞬間、二人は目を合わせて、小さく笑いあった。
やがて陽が傾き始め、遠くで鳥のさえずりが聞こえた。
帰りの列車までにはまだ少し時間がある。
二人は肩を並べたまま、ただ静かに座っていた。寄りかかる風に髪が揺れるたび、すこしずつ距離が縮まっていく。
やさしい沈黙が満ちる午後。
それは、報告書にも戦歴にも載らないひと時。
だが確かに心に刻まれるひと時だった。
これにて全弾撃ち尽くし。