艦これ短編集――艦娘のごった煮――   作:fire-cat

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閑話 失われた愛、見つけた光

1:矢矧が遺した光

 

 俺は、再び誰かを愛する資格などないと思っていた。矢矧、お前を失ったあの日から、俺は心を冷たい氷の壁に閉ざしていた。

 だが、涼月は、その氷を溶かすことを諦めなかった。彼女の献身は、言葉を持たぬ愛だった。そして、あの日、俺を庇うために高角砲を撃つ姿を見たとき、俺の凍てつき閉ざされた扉の向こうに再び光があふれ出してきた。

 それは悲しみでも、絶望でもない。ただただ、温かく、愛おしいという感情だった。矢矧が遺してくれた光は、確かに、涼月へと繋がっていたのだ。

 あの日から俺は、閉ざしていた執務室の扉を開け、再び艦娘たちと向き合うようになった。

 涼月をはじめ、艦娘達が淹れてくれる温かいお茶を飲み、彼女たちが飾ってくれる花を眺める。食事を共にし、庭園を散策し、他愛のない話をする。これらのささやかな日常が、どれほどの安らぎをもたらすか、言葉にすることはできなかった。

 涼月も戸惑いながらも、俺の隣にいた。彼女の瞳には、喜びに満ちた光と、ほんの少しの不安が揺らめいていた。この変化が、彼女にとってどんな意味を持つのか、彼女がどんな葛藤を抱えているのか、俺にも理解できた。

 

 もう、二度と涼月を一人にはしない。過去の悲しみは、この胸に深く刻み込む。だが、これは枷ではない。これは、矢矧。おまえが遺してくれた想いを未来へと繋ぐための大切な糸だ。皆から受け継いだ想いも、戦友たちの道半ばで途切れた声も、全て拾い繋ぎ合わせて、いつか「幸せの明日」という名の布を織り上げてみせよう。

 

 矢矧……それでいいよな。

 

 

◇◆◇◆◇

 

2:月、満ちる時

 

 深海棲艦の強襲を受けたあの日から、涼月の心は穏やかさと戸惑いの狭間で揺れていた。喜びが胸を満たし、この瞬間が永遠に続けばと願う一方で、ふと、胸の奥がちくりと痛む。提督の腕に包まれながら、彼女は自問する。この温もりは、あの嵐の夜に失われた、誰かの面影を埋めるためではないかと。

 提督が心を閉ざした日々。涼月にとって、あの固く閉ざされた執務室の扉は、鉄壁の要塞だった。

 毎朝、花と茶器を持ってその扉を開ける瞬間、彼女の心臓はいつも破裂しそうに脈打った。中にいる提督の気配が感じられなくなるのが、何よりも怖かった。

 机にお茶を置く数秒間、提督はいつも書類に目を落としたまま、微動だにしなかった。まるで、そこに涼月という存在がないかのように。

 

(私は、彼に嫌われているのではないか)

(私は、彼の悲しみを増幅させているだけではないか)

 

 その沈黙の中で、彼女の不安は常に囁き続けた。

 

 活ける花を選ぶとき、涼月はいつも細心の注意を払った。心を閉ざした提督にプレッシャーをかけることなく、提督のことを想っている、いつでも私たちは提督の味方だ。という気持ちを伝えることを重視した。最初は明るく優しい色合いの花や色鮮やかな花を選んでみたが、提督の重い空気には似合わなかった。ある日、彼女は思い切って、矢矧が好きだった素朴で白いカモミールを選んだ。

 

(矢矧さんを思い出して更に心を閉ざしてしまうかもしれない)

(また矢矧さんの後を追おうとするかもしれない。でも……)

 

「逆境に耐える」「苦難の中の力」という花言葉に、そして「あなたを癒す」という回復を願う花言葉に涼月は自分の決意を託した。

 そして何より、矢矧の面影を通じて、提督に「あなたは一人ではない」というメッセージが届くことを願った。それは、提督の心を乱すかもしれない、という罪悪感を伴う、危険な賭けでもあった。

 

(矢矧さん、力を貸してください)

 

 彼女はカモミールの花言葉を信じ、温かいお茶の湯気にほんのわずかな癒しを込めた。

 

(提督。あなたを癒し、逆境に負けない強さを願っています)

 

 それは、提督の壁に投げつける、か細い、しかし命がけのメッセージだった。拒絶されるかもしれない、この行為を続けることに、どれほどの勇気と痛みを要したか。それでも彼女は、矢矧の遺言と、彼を生かしたいという愛しい気持ちだけを支えに、一年以上もその重い扉を開け続けたのだ。

 

 彼女の記憶には、砲声に彩られた矢矧の最後の言葉が焼き付いている。

 

【涼月。あなたは艦の時代、沈みかけるほどの損傷を受けながらも、屈せず戦い続け、何度も大破しながら奇跡的に生還し続けた不沈艦。そんなあなただから、ともすれば華々しく散る事に囚われがちな提督の生きる光になりうる存在なの。あなた自身はまだ小さな光かもしれない。でも、だからこそあなたは最後まで生きて、生きて、生き抜いて、大きな光となってあの人を支えて】

 

 そして、矢矧の要請で秘匿回線に切り替えた後、彼女の耳元で囁かれた最後の言葉も。

 

【これから言う事は誰にも、あの人にも言わないで。……私達が師事した提督は、あの人が死に魅了されがちな事を危惧されていた。提督は私に、彼奴の錨となり現世に繋ぎとめよ、彼奴の母港たれと仰られた。あの人と一緒にこの鎮守府を立ち上げた後、師事した提督も散り、同期の仲間が、部下が、何人も散っていったわ。そのたびにあの人は少しづつ壊れ……。あの提督の危惧された事は、仰られた言葉は正しかった。必死にあの人を繋ぎ止めたわ。でも私はもう繋ぎ止められない。それどころか……。涼月、お願い。あの人を護って。私にはもう、あなたしかいないの】

 

 その言葉は、彼女に生きる意味を与えてくれた。だが、同時にそれは、彼女が永遠に「誰かの代わり」であるという呪縛にもなり得た。

 提督の隣にいることが、彼女の幸せであり、彼女の戦いだった。しかし、彼が心を開けば開くほど、その過去の影は濃く、そして鮮明になっていく。彼の苦悩、彼の涙、そしてその心の傷の奥に、今もなお矢矧という存在があることを、涼月は知っていた。

 ある日、提督は涼月を庭園に誘った。二人は静かに隣を歩く。提督は、懐かしそうに灯籠を見つめ、静かに語り始めた。

 

「俺には半身と呼べる存在がいた。彼女は、俺の未熟さをすべて知っていて、それでも、ただ黙って支えてくれた。彼女とはここで未来を誓い合った」

 

 涼月は息をひそめて、彼の言葉を聞いていた。心臓が痛いほどに鼓動する。

 

「彼女を失ったとき、俺は、もう二度と誰かを愛することはできないと思った。この痛みから逃れるために、心のすべてを閉ざそうとした」

 

 提督は、涼月の方にゆっくりと向き直った。その瞳には、過去の悲しみと、そして揺るぎない愛が混じり合っていた。

 

「だが、お前がいてくれた。お前が、俺を死の淵から引き戻してくれた。お前が、俺の心の壁を溶かしてくれたんだ」

 

 提督は、涼月を優しく抱きしめた。

 

「涼月、お前は矢矧の代わりじゃない。お前は、お前だ。お前との間に生まれたこの愛は、誰かの面影を埋めるためのものではない。矢矧が遺してくれた光を、俺が未来へと繋ぐための、唯一の道なんだ」

 

 その言葉に、涼月の瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。それは、悲しみでも、戸惑いでもない。長年の葛藤から解放された、温かい安堵の涙だった。

 彼女は、提督の胸に顔を埋め、ただ、その温もりを心ゆくまで感じていた。

 彼の隣に立つことが、誰かの代わりではなく、彼女自身の「戦い」であり、「愛」なのだと、ようやく確信することができた。

 

 

 

To be continued……





矢矧の

私達が師事した提督は、あの人が死に魅了されがちな事を危惧されていた。

という言葉があったから、矢矧轟沈後、いやな予感を感じた涼月が、入渠までの待機時間に執務室に様子を見に行ったところ、あの現場に出くわしたと。




 それにつけても、涼月への遺言から轟沈までのわずかな時間で走り書きと和歌を二首残せる矢矧の優秀さよ。しかも走り書きと和歌を書き残した手帳が燃えたり、沈まないような処置まで。
 轟沈までのわずかな時間で、走り書き、和歌の作成、そして物理的な処置までを完遂したという矢矧。死の瞬間まで、提督の羅針盤で錨で母港たらんとした、究極の献身者であったか。








続き(第4部(最終話):再び溢れ出す光)は、2025/11/16 07:00公開予定。
それまで三話ほど別のものを投稿予定。
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