提督と涼月、二人の間に生まれた変化は、鎮守府全体に静かな波紋を広げていった。
長らく心を閉ざしていた提督を、艦娘たちは皆、心配していた。
固く閉ざされた執務室の扉、誰も寄せ付けない冷たいオーラ。それは、かつて共に戦い、多くの絆を育んできた提督とは全く異なる姿だった。
しかし、あの深海棲艦の強襲を受け提督が負傷した日を境に、提督は変わった。
開け放たれた執務室の扉、時折聞こえる涼月との穏やかな話し声。それは、暗く閉ざされていた鎮守府に、ようやく光が差し込んできたかのようだった。
多くの艦娘たちは、提督の心の傷が癒え、再び前を向いて歩み始めたことに、心から安堵し、喜んでいた。特に、涼月の献身的な行動を間近で見ていた艦娘たちは、彼女の努力が報われたことに、深い感動と尊敬の念を抱いていた。
一方で、提督への特別な想いを秘めていた艦娘の中には、複雑な感情を抱く者もいた。
ある日の午後、夕立と時雨は、廊下の窓に手を載せ並んで佇んでいた。見下ろせば提督と涼月が庭園で談笑する声が、風に乗って聞こえてくる。
「なんか、提督、やっぱ、変わったっぽい」
夕立がぽつりと呟いた。時雨は何も答えず、ただ静かにその声に耳を傾けている。提督の笑顔を見るのは嬉しい。だが、その隣にいるのが自分ではないことに、どうしようもない寂しさを感じていた。
「よかった、っぽい……。提督が、あんなに苦しそうだったから……」
夕立はそう言って、目に涙を浮かべた。その言葉は、喜びと悲しみがないまぜになった、彼女自身の心の叫びだった。
時雨は、夕立の隣にそっと寄り添い、静かに言った。
「提督は、涼月がいなければ、今ここにいなかった。僕たちは、それを知っているから……」
彼女の言葉には、羨望も、嫉妬もなかった。ただ、涼月への深い尊敬と、提督への揺るぎない想いだけがあった。
その訓練の激しさで、一部の艦娘達からは「鬼の神通」とも呼ばれる艦隊を統率する軽巡・神通。彼女もまた、提督へ特別な想いを秘めていた艦娘の一人だった。
最近、提督が涼月と二人きりで過ごす時間が増え、彼女に向ける表情が以前とは全く違うことに、神通は気づいていた。その変化に、心の奥底でほんの少しの寂しさを感じてしまうのは、仕方のないことだった。
だが、神通は提督の幸せを何よりも願っていた。
矢矧を失って提督が心を閉ざしたあの日から、神通は彼の苦悩を近くで見てきた。
かつての統率役であった長門や金剛、加賀、足柄、那智といった戦艦・正規空母・重巡達の多くがあの奇襲戦の前後で戦没し、生き残った者も戦力再編による異動や負傷による退役で、心を閉ざした提督と鎮守府の行く末を気にかけつつ次々に鎮守府を去った。その後、鎮守府の行く末に不安を抱く艦娘たちを纏めあげ、鎮守府の士気を必死に維持してきたのが神通だった。
だからこそ、提督の閉ざされた心を開いた涼月の存在を、神通は何よりも尊いものだと理解していた。
「提督が笑っていらっしゃる……」
ある日、廊下ですれ違った神通は、涼月と談笑する提督の姿を目にした。彼女は、提督のまなざしが涼月に向けられているのを見て、かすかに微笑んだ。その表情には、個人的な感情を乗り越えた、清々しいほどの安堵と、涼月への深い感謝が滲んでいた。
「涼月さん……提督を、どうか、よろしくお願いします」
神通は、提督に聞こえないように、涼月だけに聞こえる声で静かに頭を下げた。それは、提督の幸せを願う、心からの言葉だった。涼月は微笑み、静かに頷いた。
To be continued with 雪の盃
この後、涼月たちに知らせることなく、鎮守府所属艦娘たちの暗黙の了解で、
【いついかなる状況においても涼月を戦闘に参加させず。必ず生かして提督のもとへ戦訓を持ち帰らせるべし】
となっていそうだ。
どう考えても、涼月=提督の「魂の生命維持装置」と化している。