二周目提督がハードモード鎮守府に着任しました 作:ベリーナイスメル/靴下香
あと一歩、あと一手だった。
天龍は間違いなく大破寸前の身で空母棲鬼が操る艦載機を捌ききった。
向けられた攻撃機が放つ魚雷を躱し、轟沈しなかった。
天龍と別れた龍田達もまた爆撃機を凌いだ。
それぞれがダメージを受け中破状態となってなお、空母棲鬼へと己の武器を突き立てる。
だと言うのに、空母棲鬼が負った損傷は小破。
艦載機発着陸不可能と思われる中破には届かなかった。
敗北の香りが漂い始めた中、諦めなかった、なお二回目の攻撃に移ろうとした。
轟沈一歩手前の天龍を庇うべく陣形を整えようとした。
そしてそこを狙われた。
もしも。
もしも、海路を確保している榛名達の下に深海棲艦が現れなかったら。
もしも、那珂率いる第三艦隊がほんの僅かでももう少し早く出撃していたら。
もしも、この場に空母棲鬼が現れなかったら。
確実に何事もなく突破していただろう戦闘。
幻想に思いを馳せてしまいたくなる気持ちを耐え、歯を食いしばるのは古鷹。
「……加古っ!」
「っ……わかってる!」
重巡洋艦であるということが幸いしたのか、それとも別の幸運か。
大破状態になりながらも爆炎から投げ出されるも、辛うじて無事な二人の目に宿る戦意は衰えず。
だがその戦意は少しだけ間違っていた。
本来の彼女達であれば退くことを考えていた場面。
那珂率いる第三艦隊の声がした、ならば護衛を依頼し、そのまま一旦提督の下へと帰投するべきのはず。
冷静では無かった。
ありえないと思っていたことが起きた、あるいは想いが強すぎて目が眩んでいたのかも知れない。
だから立ち向かおうとする。
敵討ちか弔い合戦か。
提督が望むわけがない戦いを挑もうとしたその時。
――改。
目の前で立ち昇る爆炎からそんな声が聞こえた気がした。
瞬間。
「わっ!?」
爆炎が霧散した、水飛沫が生まれた突風と共に爆炎を振り払った。
そしてその中心に、空母棲鬼が放った艦載機の攻撃を受けてしまった第一艦隊の面々が。
無傷で悠然と立っていた。
「てん、りゅうさん……?」
「おう、天龍様だぜ?」
何時も通りの笑顔だった、それに続いて少し恥ずかしそうに龍田も夕立も時雨も笑う。
だがそれもほんの一間。
すぐに表情を引き締め直した天龍は指示を飛ばす。
「古鷹、加古は第三艦隊と合流して高速修復! その後、増援の足止めを頼むっ!」
「っ! 了解!」
二人は同時に返事をする。
言っている意味を瞬時に理解した。
あとは任せろ。
そう言ったのだ天龍は。
率いる面々も続いて頷いた。
先程までのダメージは? 何故無傷で? そもそも勝てるのか?
それら全ての疑問を無理やり棚に上げられた。
そしてそれを信じることが出来た、故にその場を後にして状況がさっぱり理解できていないであろう第三艦隊へと合流すべく走っていった。
「……アリ、エナイ」
「あー……おう、まぁ気持ちはわかるさ」
狂気とも言うべき感情に輝かせていた目を丸くしている空母棲鬼に、天龍は苦笑い交じりで話す。
「だがアンタは言ってたろ? 何度でも繰り返すってよ」
「ッ! ソウ、クリカエス……ナンドデモ……ッ!」
おかげとも言うべきか、そうして我に返る空母棲鬼。
その隙をついて攻撃を仕掛ければいいのにも関わらず天龍は笑みの種類を変える。
「オレ達も同じさ、何度でも立ち上がってやる。アンタが何に怒ってるのかはわかんねぇ……けどよ!」
勝ちを選ぶ余裕なんて無い。
それでもそうしなければならないと何故か理解できた。
空母棲鬼。
この相手には真正面から
「アンタの怒りを沈めてやるっ! オレ達はそれを乗り越えるっ! 生きて……提督の所に帰ってみせるっ!!」
「シズメ……シズメェエエエエエエ!!」
艦載機再発艦。
それに……否、海の怒りへと立ち向かった。
――アリエナイ。
それは何度目になる心の呟きか。
沈めたと思った艦娘が無傷で立ち上がったことはもちろんそうだ。
だが何よりも。
「ここは譲れないっ! 譲れる訳がないっ!」
「悪夢もパーティも……始まったばかりっぽい!」
もう二度と沈められないと思えてしまう。
いや、その言葉は正確ではなく、二度と勝てないと確信出来た。
現実的に考えてもそれは間違いではなかった。
もとより予め損傷が与えられていた事で釣り合っていた数と戦力の差。
故に空母棲鬼は六隻を相手に勝利寸前までたどり着けていた。
それがどういう事か。
唯一空母棲鬼の艦載機に対抗出来る天龍が損傷ゼロで再び向かってくる上、同じように無傷の随伴艦。
そのどれもが先程までの動きをより洗練された状態、加えて先程まで無かったあと一手を重ねてくる。
今もそうだ。
いつの間に時雨は魚雷を二度発射した?
いつの間に夕立は主砲を二基発射した?
「任せて……!」
いつの間に龍田は魚雷を装備していた?
理解できない。
ただただ一方的とも言える程に損傷を重ねていく自分の姿も。
この先にある敗北という未来も。
「ミトメ、ナイッ! シズメ……シズメェ!!」
「おっと……おっせぇなぁ? ちゃっちゃとやれよ! こんな風に、よっ!」
中破に至る瞬間飛ばした艦載機は見事に天龍の対空射撃で撃墜される。
そう、いつの間にか装備されていた二基の対空砲塔から放たれる射撃によって。
撃墜された艦載機。
よしんば、されていなくとももう空母棲鬼に戻る事はできない。
空母棲鬼、大破。
もう、艦載機は飛ばせない。
「これでアンタはもう何も出来ねぇ」
「……」
遠くで第三艦隊が増援の相手をしている光景が見える。
そして、ここでは囲まれ主砲を突きつけられている空母棲鬼の姿がある。
静かに。
先程までの砲撃音飛び交う戦場であったことが嘘のように訪れた静寂。
完全勝利まで、あと一撃。
「ククク……カッタト、オワッタトオモッテルノカ……? カワイイ、ナァ……?」
「……だろう? これだったら提督の隣で胸を張れるかもな」
空母棲鬼の言葉に顔をしかめながらも軽口を返す天龍。
勝敗は決した、天龍達が構える主砲の引き金を引けばこれで南一号作戦は終わる。
そのはずだった。
「天龍ちゃん!」
「っ!? どうした!? 那珂!?」
鳴り響く天龍の無線。
応答してみれば切羽詰まったような那珂の声が聞こえてくる。
「新手っ! どうしよう! すっごく強そう……っ! きゃあ!?」
「那珂っ!? ちぃっ! 一旦退けっ! すぐに行くっ!」
「アハハハハ! ソウ、ナンドデモクリカエスッ! ワタシガ、ワタシタチガ……ウミガッ! ミトメナイカギリッ!」
負けてなお負けていないと吠える空母棲鬼。
全てを呪い尽くすかのような高笑いをあげて……。
「……なら、認めさせるだけだっ!」
それを断末魔と変えた。
「天龍ちゃん!」
「わかってる!」
急ぎ第一艦隊へと向かってくる那珂と合流する。
小破姿の那珂達第三艦隊と古鷹に加古。
焦ったような表情と共に、出た言葉は……。
「おんなじ……ううん、空母棲鬼より……すごく強そうだよっ!?」
空母棲姫が現れた事を示すものだった。
「馬鹿なっ!!」
集積所に建てられた簡易司令部。
送られてきた映像に驚き、両手を机へと叩きつけたのは長官。
「空母、棲姫……」
先程まで激情を吠えていた提督でさえ思わずモニタに視線を釘付けにしたまま呟いてしまう。
画面に映る空母棲姫は映像を捉える観測機に向かってニヤリと笑みを零した後。
「くっ! 観測機がっ!」
その観測機が空母棲姫より発艦された戦闘機によって撃墜された。
「長官」
「……分かってます」
その中でも動揺せず、二文字に多くの意味を込めて長官に声をかけたのは大佐。
大きく深呼吸をした後、長官は無線を手に取る。
「榛名、戦況はどうだい?」
『はいっ! 墓場鎮守府の援護もあり戦線維持できていますっ! 榛名は……いいえ。皆、大丈夫ですっ!』
何処か少し声を弾ませながら榛名は答える。
その声に何処か緩みそうになる気を引き締め直して。
「それは良かった。その奮闘あって空母棲鬼は墓場鎮守府の艦隊が撃沈したよ」
『ほんとですかっ!! じゃあ……!』
「だが、空母棲姫が現れた……第二艦隊は戦線の維持に努め、金剛達第一艦隊が目標海域へたどり着くのを援護するように」
そう告げた長官の言葉は固い。
そしてその固さで榛名は弾ませた声を沈ませた。
『……了解、しました』
「頼んだよ」
無線が途切れ、そのまま長官は金剛の無線へと繋ぎ直す。
そうして進軍を指示する言葉の中に。
「――空母棲姫を、頼んだよ」
『オフコース! お任せ下サイ! 長官こそ、後のこと、それに妹達を……頼みマシタヨー?』
提督にとって聞き逃がせない言葉があった。
同時に長官は失敗したと表情に出した。
今、墓場鎮守府の提督がいる前でするべきやり取りではなかったと、長官も気づいた。
「長官、今のはどういった意味ですか?」
「……っ。君が知る必要は無い」
一瞬の葛藤。
その後に苦渋の表情を浮かべながらも無線を長門へと繋いだ。
「長門、陸奥。指定のポイントへ出撃だ」
『……了解、した』
「長官っ!!」
問い詰めようとする提督に背を向け、存在を無視するかのように指示を出す長官。
提督の手が長官の持つ無線へと伸び……触れようとした瞬間。
「超遠距離から、高火力飽和射撃による空母棲鬼……いや、姫の撃沈。そう、金剛を巻き込んでのな」
「なっ!?」
口を開いたのは大佐。
提督に対して隠し続けていた作戦を今この場で告げた理由がわからず、長官は大佐に驚きの視線を投げかける。
「幸い空母棲姫に砲は搭載されていない様子、艦娘は艤装展開時に海を走る力だけではなく、武器を扱うだけの大きな膂力を得ることができる。その力を以て物理的に空母棲姫を押さえ込み、遠距離からの狙撃で金剛もろとも沈める。それが今から執り行う作戦だ」
「……意味……わかんねぇ……!!」
呆然とする長官を余所に続けられた作戦内容。
言っている言葉の意味を理解できないといったように震える提督。
「大佐っ!! 何故彼に!!」
「貴様ももとより話すつもりだっただろう、そう。作戦が止まらない状況になれば」
「ぐっ……!」
つかつかと大佐は歩みを提督に進める。
そして未だに震える提督の肩を掴み、諭すように言う。
「これが、軍人だ。成果のためには手段を選ばない、存在する命は全てが消耗品であり駒。納得しろ小僧、貴様の艦隊、艦娘に被害は出ん」
「納得……納得だって……?」
はっとしたように我へと返った提督は。
「なっ!? 何を!?」
「長門っ! 聞こえるかっ!? お前は納得してるのか!? 今からお前は仲間を撃とうとしてるんだぞ!? それでいいのか!?」
『……』
長官が手に持つ、つながったままの無線を奪い取りその相手に向かって言う。
だが返ってくるのは電話線が切れたかのような静寂のみ。
「長門! 良いのか!? お前はこれから一生! 仲間を沈めた艦娘として生きていくんだぞ! 答えろっ! 長門っ!!」
『納得しているわけがないっ!!』
必死に問いかける提督へと、ようやく返ってきたのは同じように必死に作戦へと従事しようとしている長門の声。
『我が砲は深海棲艦を撃破せしめるために存在しているっ! だが……だがっ! 私は、この長門はっ! あなたの艦娘達のように強くないっ!!』
「っつ!!」
『できるならそうするっ! 死地へと臨むなど本望っ! この命、使えと言うなら幾らでもその覚悟があるっ! それでも……それでもっ!!――』
その言葉が言い終える前に無線からごそごそという異音が発せられた。
そうして雑音が静まれば。
『貴方が、墓場鎮守府の提督ね? こうしてお話できて光栄です。出来ればもっとゆっくり話していたいのですが……時間も無いし、こういう事を言って良いわけないなんて知っているけど――』
――助けて、下さい。
何もせず仲間が沈む姿なんて見たくない。
自らの手で仲間を沈めるなんてしたくない。
艦でも、人でもなく。
一人の艦娘として零れた、狂おしいほど贅沢で綺麗なわがまま。
「陸奥」
『……はい』
だから提督はこう言った。
艦でも、人でもなく。
「任せろ」
『……っ! お願い……お願いだから……! 金剛を……私達を……!』
「任せろって言った。安心してくれ……俺の目の前では、誰一人艦娘を沈めない」
そう言って無線を切った提督。
動きは迷いなく、確かな足取り。
「何処に行くと言うんだっ!? 落ち着きなさいっ!」
長官は慌てたように肩を掴み、引き止める。
だが、それに振り向くことすら無く振り払う。
「アンタ私が言ったこと忘れたの!?」
「羅針盤……」
同じく慌てたように羅針盤妖精が提督の行く手を阻む。
あの時の事を忘れたのかと叱咤する。
「覚えているさ、それこそ言われてから今までずっと忘れてねぇし、半人前の俺が一人前になるための言葉だって思ってる」
「だったらっ!」
「だけどさっき俺は失敗したんだ!! あの瞬間……魚雷と爆撃があいつらの身を包んだ瞬間、確かに失敗した! 俺は嘘つきになったんだ!」
あの瞬間、確かに提督は己の過ちを悟った。
もしも、海路を確保している榛名達の下に深海棲艦が現れなかったら。
もしも、那珂率いる第三艦隊がほんの僅かでももう少し早く出撃していたら。
もしも、この場に空母棲鬼が現れなかったら。
そんなイフの言い訳を頭に並べる前に悔やみきれない思いで押しつぶされ叫んだ。
「だから……! もう間違えない!! あんな奇跡はいらねぇ! 何処までも俺は俺の意思を貫いてやるっ! 見せてやるよ、これが俺の虚勢の張り方でお前への答えだっ!」
今度は間違えない。
その意思と覚悟を持って羅針盤妖精を押しのけ歩みを進める提督。
「小僧」
「……」
だがそれを止めたのは声。
大佐が静かに鋭く発した音。
「わしとの約束は反故にする気か?」
「……いいえ、守るために行くんです」
背中越しのやり取り。
訪れる一瞬の間。
重たい空気。
「……一時間だ、それで全てを終わらせろ。出来なければ作戦を執り行う」
「っ……ありがとうございますっ!」
「大佐っ!?」
大佐の返事に驚き振り返る長官、提督は駆け出し既に離れていく。
「なぁ、長官」
「くっ!? なんでしょうか!?」
どうすれば良いのかと混乱する長官へと大佐は穏やかに言う。
「わしらは、軍人。兵器を扱い、兵を扱うことにかけては誰にも負けんという自負がある。だが……」
「……」
「兵器でも兵でも無い艦娘は……一体誰が一番上手く扱える、いや。誰が一番上手く共に戦えるのだろうな」
消えゆく提督の背中、その背中を頭をかきながら追う羅針盤妖精。
一人と一匹の背を目で追いながら、独り言のように呟く大佐。
「それが……彼だというのですか?」
「わからん。だが小僧は言った、ただただ共に戦う存在だと、共に海を往く者だと」
瞑目し、思い返すように、感じ入るように零し続ける大佐。
「賭けてみたくなった。賭けるだけの価値を感じた。そう、この作戦における最高の戦果とは、誰一人の轟沈者を出すことなく勝利を迎えることに変わりはないのだから」
「……」
見送った提督の姿は既に小型の船に乗り込んだ。
そしてその船へと寄り添うように集う艦娘、鳳翔と大淀。
「一時間だぞ、小僧。見せてみろ、お前の戦いを」
勢いよく発進する船に向かって、軍人ならざる願いを祈った。