教室の引き戸を開いた。
室内の空気が新たな道を見つけ、そこをめがけ流れを作りだした。
その流れに逆らうように立ち尽くす俺に、空気の流れは淡くフルーティーな香りを鼻腔に残していった。
室内に入った時、一番先に目についた光景は1人の美少女の姿だ。
長い艶のある黒髪が揺れ、整った顔立ちと透明感のあるきめ細やかな肌がレースのカーテンで柔らかくなった日射で彩られ、静かに文庫本をめくるその姿に俺は呼吸をするのを忘れる程、魅入ってしまった。
彼女が文庫本をゆっくり閉じて机に置く。
顔をこちらに向けた時、あまりに綺麗だったので息をのんだ。
「平塚先生。何度も言っていますが、入室の際はノックして入って頂けないでしょうか?」
その声で俺は現実に引き戻される。
彼女の履いている上履きの色を見る。
どうやら2年生のようだ。
おいおい2年生……美少女揃いすぎだろ。
この人が大ボスかよ。
「悪い悪い」
反省する様子は無い様な口調で軽く平塚先生は謝る。
「それが悪いと思っている人の態度だと思えないのですが」
「まぁそう言うな雪ノ下、ノックしてお前が返事をした試しがないだろ?」
「先生が返事をする前に入ってくるんですよ」
どうやら彼女は雪ノ下と言う名らしい。
彼女の視線が俺へと切り替わる。
ゾクッと冷ややかな感覚にとらわれた。
「平塚先生、彼は?」
彼女の言葉が耳に届く。
凛とした声色は彼女の姿にふさわしく思えた。
「比企谷八幡です。宜しくお願いしましゅ」
緊張が口調にも現れてしまったらしい、かみかみな口調で自己紹介をしてしまった。
やばい、もう帰りたい。
「比企谷……」
彼女はそうつぶやくと少し目を見開いた様子だったが、すぐに元に戻った。
なんだ?新しい無言語コミュニケーションか?
それとも俺の存在感を感じ取るには何かしなきゃ見えないとか?
俺は幻のシックスマンかよ。
いや、おれはエイトマンだ。
出番こなくね?万年補欠じゃねーか。
「私は雪ノ下雪乃、2年生よ」
『2年生』という部分を強調した感じだとどうやら年上を敬いなさいと遠回しに言ってるように感じられた。
まぁ、年齢的には変わらねぇんだけどな。
「何か不服でもの申したいって表情をしているわね。どうぞ、学年が下といえど言論の自由は保障されてるわ。叩き潰すだけだけれど」
俺の考えを悟ったのか雪ノ下先輩は不快気に眉を寄せこちらを見返してくる。
先ほどまで俺が彼女に感じた清純なイメージとはかけ離れた言葉を向けられ、俺の中の彼女へのイメージが崩れ去る音がした。
っふと太宰治の「グッド・バイ」でも似たような場面があったことを思いだした。
声色が悪いせいですごい美人が台無しって表現だったか?
しかし目の前の雪ノ下先輩は声色は悪くないのだ。
口が悪い。
「雪ノ下、彼は依頼人だ。虐めてやるな」
うまい具合に平塚先生が割って入ってきてくれた。
「依頼人……なるほど。では彼はこの部がどういう部かご存じなのでしょうか?」
「そこまでの説明はしていない。お前に任せる」
雪ノ下先輩は諦めたかのように軽く嘆息をつき、俺へと目線を合わせる。
「この部は奉仕部よ。迷いし子羊を善き羊飼いが救済する為の部活動よ」
無償の人助け的な奴?ボランティア的なものか。
分かることは人が来る依頼を請け負う助ける部活だ。
「とりあえず、依頼を請け負う部活って認識でいいですか?」
「近いけれど認識に違いがあると嫌なのでもう少し詳細に説明させてもらうわ」
そういうとこほんと咳き込んだ後、姿勢を正して口を開いた。
「常に結果を与え続けず、方法を教えてあげるそんな部活よ」
なんか聞いたことがあるな。
「魚を与えるのではなく魚を釣る方法を教えてあげるって言葉のほうが理解しやすいかしら」
確かに聞いたことのある言葉だ。
つまりは方法探してやっからあとは自分で試せって部活動ね。
「私は優れた人間は哀れな者を救う義務があると教えたんだがな」
補足を入れるかのように話す平塚先生の言葉が耳に入る。
確かノブレス・オブリージュって奴か。
言葉カッコいいよな。なんか高貴な感じがする。
「それで?あなたはどんな依頼かしら」
それを考えて、よくよくこの雪ノ下先輩を見ると気品のある容姿と丁寧な言葉遣いを見るに貴族みたいな雰囲気は出している……さっき叩き潰すって言っていたけれどな。
ノブレス・オブリージュって確か貴族はその身分に対する責務を果たせってそんな意味だったはずだ、雪ノ下先輩に限定するなら言葉として間違っちゃいねぇ。
他の部員もこんな感じなのか?それだったらギスギスしすぎだろこの部活。
「どうも最近、俺をストーキングしている奴がいまして」
「物珍しい方もいるものね」
言われると癪だがあながち間違ってもいないから何も言い返せねぇ……
「まぁ、俺が女子と二人でいるとなぜかそいつが盗撮してSNSにあげちまっている。俺はそれをどうにかしたいんです」
「それなら教師に言うなり、SNSの運営会社にアカウント停止の申請ができるのでは?」
そう言って、雪ノ下先輩は平塚先生に目をやる。
平塚先生は首を横に振り、その案は既に却下されたのだと表現で雪ノ下先輩に伝えていた。
「教師に言うと大事になってしまいますから、それは避けたい所なんです。アカウント停止申請ももっともな話なんですが、新たにアカウント作成され、かつ相手側に動きを勘づかれて警戒される恐れが出てくるので……」
「別に恐れることは無いわ、まずはアカウントを停止申請から始めてはいかがかしら?あと平塚先生も話を聞いているのであればあなたの担任にその旨をお伝えして即刻HRで話をするなりすれば解決するのでは?」
「いやそれは……」
いくら何でもリスクが高すぎる。
ちょっと真っ直ぐ過ぎやしませんかねこの人。
そう考えていると横から平塚先生が助け船を出してくれた。
「まて、雪ノ下。少し考えてみろ、ネット上の面識が割れていない状況は違うぞ」
雪ノ下先輩は平塚先生の助言を元に再度考えて居る様子だった。
そして考えがまとまったのか静かに口を開く。
「確かに、下手な動きをすると暴走しかねないわね。同じ学校でさらに顔、名前が知られている相手だとするとその対応は確かにリスクを秘めているわ」
良かった。
ご納得して頂けたようだ。
「話の続きなんですが……それで平塚先生に相談したところ奉仕部って言う部活があるから大事にしたくないならばまずは相談してみてはどうだって話でここに来たって訳です」
「なるほど、話の経緯は分かったわ」
「今後俺を監視する様な真似をしないようにしてもらえればそれでいいです」
「では裁判にしましょう」
「そうです……? えっ? ちょちょちょ!? なんでそんな話になるんですか?」
雪ノ下先輩?
人の話聞いていました?話の流れ完全に無視していますよね。ちょっといきなりぶっ飛んだこと言わないでもらっても良いですかね?
「比企谷君、こういった人のプライベートを拡散する行為って、プライバシーの侵害といって個人の隠したいと言う意思を踏みにじる最低な行為よ。自分の姿を現さず、あなただけを狙い晒すということは、あなたが人畜無害な人間であり何も反抗をしてこないから図にのって続いているだけであって、あなたがその気ならすぐさま警察へ通報し犯人の住所を割り出せるし、肖像権の侵害で裁判沙汰に仕立て上げられるけれどいかがかしら? 弁護士の用意なら任せて」
そんな月9ドラマバリの大事にしたくないからここに来たんだよ……。
「それは最終手段に取っておきましょう。まずは犯人を探すというアプローチから始めて行くのはどうですかね?」
俺の必殺、面倒な案は『それ、リーサルウエポンにしようぜ』
意味はゲームで最後の最後まで使わない完全回復アイテム的な立ち位置。
雪ノ下先輩はふむっと頷いた後、顎に手を当て少し考えていた。
「犯人の姿は見た覚えはないの?」
「見てないです。いつの間にか撮られていたので」
「なるほど。……となると最初に犯人をおびき寄せる必要があるわね」
「どうやっておびき寄せるんですか?」
「比企谷君、連休明けで良いわ。お昼休み、一緒にご飯はどうかしら?」
「は?」
ほんといきなり突拍子もない事を言い始めるなこの先輩は。
「勘違いして欲しく無いのだけれど、女子と2人の時のみに撮影をされているということは私と一緒にいることで犯人をおびき寄せることができるのではないかという事よ」
「えっ?俺も協力するの?」
「当たり前じゃない。人任せにして良いとは一言も言っていないわ。それに見つけるにあたって見ての通り人手が足りないのよ」
まぁ、一人で動けない分、協力者がいると言うことは願ったり叶ったりだな。
「ん?この部活、他の部員はどうしたんですか?」
そう言って俺は平塚先生を見る。
「この部には雪ノ下以外居ないぞ」
平塚先生?
なに『当たり前だろ?そんなの』みたいな表情で話してるんですか?
それもはや部活じゃないような気がしますけど?
「部員は1人ですか……さいですか」
まぁ、人任せにするような案件でもねぇしな。
仕方が無い、協力して見つけることにしよう。
「まぁ、私のような女の子とお昼を一緒にできるんだから、あなたはむせび泣いて喜んでも良いはずなんだけれど」
「どこのお嬢様ですかね?時代錯誤感半端ないっすよ?」
「なぜ? あなた、私のこと見たときすぐに可愛いって思ったでしょ? その通りよ」
なんで俺の周りの女子は皆自分で自分のこと可愛いとか言いやがるんだ。
その通りだから何も言い返せねぇ……
「いやそうじゃなくて、もう少し言い方がありますよね?」
「あら?私、頭を使うしゃべり方をしていたかしら?」
これちょっと話がそれていっているな。
俺がディスられていく方面でな……
そんなのご免被りたいのでさっさと話戻そう。
「まぁ話を戻しますけれど。ちょっと気になったのが雪ノ下先輩が俺と写真を撮られるとトラブルに巻き込まれる可能性が出てくると思ったんですよ」
「それはどうしてそう考えられるの?」
「以前に俺と一緒に写真を撮られた女子がなんかそれを機に男子に言い寄られるトラブルに巻き込まれた事がありましてね。とりあえず解決はしたのですが……その案だと、雪ノ下先輩がトラブルに巻き込まれないかなと思いまして」
「ふぅん。ご心配ありがとう。でも私そんなこと全く気にしないから、大丈夫よ」
まぁ、寄ってきた男がいたとしてもこの毒舌で心折れるだろうしな。
俺もこいつが女じゃなきゃ顔面殴りつけていたところだ。
「はぁ……」
「対応は連休明けということで大丈夫?」
「大丈夫です」
「では、そのように」
話は一段落して一旦緊張感が和らいだ。
なぜ気軽に相談してみよーぜーの流れだったはずなのにいざ箱を開いてみると誹謗中傷されないといけないのか腑に落ちないがまぁ、協力者を得るという所で解決への一歩は踏み出せただろうと自分自身に言い聞かせた。
共通する話題が無くなり、シンっと静まった室内で雪ノ下先輩がテーブルに置いてあるカップを手に持つ音が聞こえた。
彼女はそのまま紅茶を口にする。
ティーカップに口を付け紅茶を飲む姿も上品で絵になっている。
カップから動いた事により香りが拡散されたのかふわっとした甘い上品な香りが鼻腔を抜ける。
どうやらその視線に気がついたかのように雪ノ下先輩が視線を向けた
「あら?あなたも飲む?」
「良いんですか?」
「いいわ。趣味でやってるもので、あまり上手とは言えないけれど」
「おぉ、雪ノ下ちょうどいい、私にも淹れてくれないか」
そう言って近場の椅子を1つ引き寄せて平塚先生はそこに腰下ろした。
「はぁ……平塚先生はガツガツと飲み過ぎなんですよ。茶葉がいくらあってもたりなくなります。部活動経費があるなら別ですが」
「そういうな、雪ノ下。お前の淹れる紅茶はうまい。自信を持て」
「それとこれとは話が別な気がしますが……まぁいいです」
そう言って雪ノ下先輩は立ち上がると窓際に置いてある場所に移動した。
2つの紙コップに用意し、ティーパックを入れて電子ケトルからお湯を注ぐ。
しばらくして、雪ノ下よりどうぞとほのかに香る甘い香りの紅茶が差し出された。
「すいません、ちょっと猫舌なもんで少し待ってから飲んでも大丈夫ですかね?」
「あら、急かしてごめんなさい」
「やはりなかなかうまいぞ、雪ノ下」
「平塚先生、うまいしか言っていませんが他に表現できる事は無いのでしょうか?」
「ない!」
「現国教師がそれでいいのですか……」
「仕事で無いならそれでい〜い〜」
なんか気だるそうに姿勢を崩し言葉を崩す平塚先生を前に、俺は職員室で話をしたあのイケメンな平塚先生が崩れ去っていくのを感じた。
とりあえずこれで良かったのだろうか。
様々な不安が残っているが、まぁ問題の解決に向けて進んでいるだろいと踏んで、俺は紙コップに入った紅茶を啜るように飲むのであった。
あっっつ!!