バタンと玄関の扉が閉まる音がした。
今日お兄ちゃんが女の子を連れてきた。
亜麻色の髪と可愛らしい顔立ちで人懐っこくて表情が豊かでお兄ちゃんにはもったいないくらいの私よりひとつ上のお姉さんだ。
そんないろはおねぇちゃんと話をしながら思ったことは、この人はきっとおにぃちゃんのことが好きなんだろうなって言う憶測だ。
おにぃちゃんのことを目をキラキラさせながら話しをする姿はもうこれ隠す気ないんじゃないですかねって思う位想われてる。
妹として、兄がこんな可愛い人を家に連れてきたことを誇りに思う。
おにぃちゃんは渋ったが最後までちゃんと送ってあげてっていろはおねぇちゃんを送りに出かけてもらった。
1人になった小町は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、マグカップに注ぐ。
マグカップに唇を当て、少しだけ口に含む。甘酸っぱい味覚が口の中に広がり、少しだけ爽やかな気持ちになった。
……が、後味にちょっとだけ……ほんのちょっとだけ寂しさを感じてしまった。
場所をリビングへと移動し、目の前のテーブルにマグカップを置く。
小町はソファーへと力なくもたれかかり、同時に深いため息が自然と出てきた。
「なんか思い出すなぁ……」
おにぃちゃんに似たのだろうか。どうも気を抜くとすぐ独り言が出てしまう。
そして昔の記憶が蘇る。
小町が家出した日、家に誰もいない日が続いた寂しさで家出したんだっけ。迎えに来てくれたのはおにぃちゃんだった。
そんな幼い日の思い出も次第に色あせて、思い出話のひとつになりかけていたとき、事故は起きた。
事故っていっても骨折くらいかなって高をくくっていたのだけれど、状況は最悪で二度と目覚めないとお医者さんの口から伝えられた。
本当に目の前が真っ白になって、何も考えてないわがままなお願いがおにぃちゃんとの最後の会話なんてそんなの絶対に嫌だった。そんなの認めたくなかった。
原因が飛び出してきた犬を助けようとして突然車道に飛び出した事だって……最初は運転手さんに当たろうとしてお母さんに止められた。その後冷静になってみると運転手さんには悪い事をしたなって思う。
そして由比ヶ浜さんが病室にやってきた。この時病室にいたのは小町1人。そこでどこにぶつけていいかわからない膨れあがった怒りの感情を由比ヶ浜さんにぶつけてしまった。
由比ヶ浜さんには正直悪い事をしたと思っている。でも同じくらい許せないと思っている小町がいる。
その後の記憶が曖昧で何をしたのか覚えていない。ただ頻繁に話しかけてくる大志くんは若干思い出せる程度だ。
そして秋も終わりに近づいてきた日、おにぃちゃんが目を覚ました。
泣きながら病室に駆け込んだのを覚えてる。おにぃちゃんの状態が安定してきた時に学校をサボって一日中おにぃちゃんと一緒にいて、あとでバレてお母さんに怒られた。今考えるとどれだけブラコンを煩っていたのだろう。これがおにぃちゃんの言う黒歴史って奴なのかな? 思い出すと顔がやけに熱くなる……恥ずかしい。
それからの日々はもうおにぃちゃん中心の生活だ。学校終わったらすぐに家に帰った。生徒会の仕事もあったけれどそれは気合いと根性と愛嬌でどうにかした。大志くんは本当に優しい。きっと良い彼女が出来ると思うから全力で応援したい。
留年が決まったおにぃちゃんは常に家にいる。ただいまって言ったらお帰りって言ってくれる。こんな当たり前をもう二度と当たり前だと思いたくない。
そんな事を恥ずかしげも無くおにぃちゃんに言ったことがある。すると『小町、幸せには限りがあるんだ。それがあって当たり前って思えること自体幸せなんだぞ』って返ってきた。うん、だからこそ小町は今幸せなんだなって実感できてる。
……ただ後に『……ちょっとまって小町ちゃん? なんで今そんなことを聞いたんだ? お前もしかして……か、彼氏とかできたんじゃないよな?』って詮索してきたのはちょっと小町的にポイント低い。
そんなおにぃちゃんが2日だけ小町よりも遅く帰った日がある。すごく心配したし何度もメールのやりとりをした。ただ今日、いろはおねぇちゃんの話を聞いて納得した。
この2日はいろはおねぇちゃんと一緒に居たのだ。我が兄ながら学生でも無いくせに女の子ナンパするとかちょっとむかついたけれどいろはおねぇちゃんの話を聞くとしつこいナンパを退治したり、買いもの手伝ったりと結構紳士的な事をしていたみたいだけれど……ナンパを退治って所はおにぃちゃんらしくない。どうもいろはおねぇちゃんが話を盛っている節があると小町は睨んでいます。恋する乙女は話を美談にしたがりますからね〜。
「おにぃちゃん……」
そんなおにぃちゃんが今日そのいろはおねぇちゃんを連れてきたあたり、多分付き合う秒読み段階なのだと思うけれど、それは妹としてはすごく嬉しい。でも……それでも、いろはおねぇちゃんだけを見て欲しくない小町がいる。
小町はおにぃちゃんがよければ生涯一緒に生きていく覚悟だってある。だっておにぃちゃんは極端にひねくれ者で本当にちゃんと見てくれる人じゃないと……
……だから小町がおにぃちゃんとずっと一緒にいるって思ってたんだけどなぁ……
なんかおにぃちゃんが遠くにいったようで寂しく感じちゃうよ。
ガチャリと玄関の鍵が開く音がする。どうやら見送りをしたおにぃちゃんが帰ってきたようだ。
小町は小走りで玄関へと向かいお兄ちゃんを出迎える準備をした。
「ただいまー」
気力の抜けたただいまだけど、それでも返事を返すおにぃちゃん。自然とうれしさがこみ上げてくる。
この当たり前が幸せなんだと小町は今も思ってるよ。
「おかえり、おにぃちゃん」
***
GWも半ば、それでも家でのびのびと小説を読んでるおにぃちゃんを外につれ出そうと『おにぃちゃん、デートしよっ』って言ったら滅茶苦茶嫌がられたけれど小町は知ってる。その後に『レイクタウンでサメの展示会やってるみたいだよ』って言うと何か刺激されたのか小説の本を放り投げて外に出る支度を始めた。何気におにぃちゃんは生き物を見るのが好きなのだと思う。
とりあえず武蔵野線に乗って南船橋駅から東松戸駅まで到着したのまでは覚えている。
そこからいつの間にか小町もおにぃちゃんも寝ていたらしく気づけばいつの間にか武蔵浦和駅というよくわからない駅に到着してしまった。
携帯で地図を確認するとここは埼玉。すでにレイクタウンは過ぎていて、乗り過ごしたと言うのがわかった。
「おにぃちゃん、ちょっと乗り過ごしたみたい。戻ろっ!」
「いや、ちょっと待て小町。俺にはひとつ使命が出来た」
なぜか使命感に溢れ、キリっとした表情をするおにぃちゃん。いつ使命という物が出来たのか問いただしたい気持ちにもなる。
「ん? どうしたの駅名の武蔵におにぃちゃんの黒歴史が疼いたの?」
「ち、ちげーよ、あれだ、平塚先生っていただろ? 前につけ麺一緒に食った俺の高校の教師」
あー、あの結構カッコイイ女の人のことか。
「あの人がな。ちょうど埼玉にうまいラーメン屋があるから是非行ってみてくれと言う情報があってだな。その店名がちょうどこの名前と一致する」
そう言って小町に見せたのが駅前で貼られているラーメン屋の広告でした。
「おにぃちゃん、ここでおりたら余計お金かかっちゃうよ?」
「いやしかしな……これはちょっと捨てがたくてな……ならお前だけ先に向かっててくれないか? 俺あとで向かうから!」
あいかわらずのラーメン好き。まぁそういう所含めておにぃちゃんなんだけれどね。
「やーだ。おにぃちゃんいなかったら小町先について何してろっていうの?」
「だよなー……。わかった、今回は諦めるわ」
「んーん。そうじゃなくて小町も一緒にラーメン屋いくよ?」
「おっ……まじか? まじか小町?」
ほんと自分の好きなことになるとすぐに目をキラキラさせるおにぃちゃん。
「じゃないと埼玉なんて次いつ来れるかわからないしね」
「そうだな。じゃあいくか!」
***
「うーん、美味しかった! 鮭のトマトパスタ!」
「おい、トマトパスタっていうんじゃねぇよ……まぁあれは確かに味はパスタだったけれども」
「おにぃちゃんが頼んだのが1番ラーメンぽかったよ。濃厚で美味しかったー」
「トマト嫌いな俺に無理矢理トマトつけ麺食わそうとしたお前にちょっとだけ殺意が湧いたわ」
「えー、小町おにぃちゃんが嫌いな物を克服できるチャンスだと思ってやったのに駄目だった?」
上目遣いでおにぃちゃんを見つめる。
おにぃちゃんは小町に甘いからこうすればすぐに許してくれると思っていた。
「なに一色みたいな事してんだよ。嫌いな物は嫌いなままで良いんだよ」
……やっぱりいろはおねぇちゃんが出てきた。どうも小町といろはおねぇちゃんが性格的に似ているらしい。
だからこそおにぃちゃんの扱いに気づけたのだろうけれども。ちょっともやもやする。
「ほらおにぃちゃん! たべるもの食べたしレイクタウンいこっ!」
「お、おぅ……そうだな」
***
「おぃ、小町。レイクタウンついたぞ」
はっと意識を現実に戻す。
「えっ!? け、結構早いね」
「ってかお前電車乗って数秒で眠ってたぞ。俺が居なきゃ確実に海浜幕張まで行ってたな」
どれだけ考え込んでいたんだろう。時間を忘れるまで考えてたなんて初めて……
「おにぃちゃんと一緒に遊んでた夢をみてたんだよっ?」
そういうとおにぃちゃんは少し頬を赤く染めながら何も気にしていない振りをする。
「冗談だよ。ほらっさっさとおりよー」
「……さいですか」
それから先はもう普通に男女がいつもする様なデートと変わらない。
ウィンドウショッピングしながら小町がそのお店の商品に適当に思いついた感想を言ってそれに対しておにぃちゃんが別の視点での感想を言ってその齟齬のすりあわせをしながら時間は過ぎて行く。おにぃちゃんがサメを見て普段使わない携帯のカメラをどうやって起動するのかわからないであたふたしている姿は面白かった。
それから楽しい時間は過ぎて電車に揺られながらようやく地元の駅の付近まできた。
「今日は動いたな」
「そだね……」
「小町お前大丈夫か?」
「うん……」
あれ、ちょっと張り切りすぎたかな?眠気がヤバい。これは家まで持たない気がする……
「おにぃちゃん、ごめん……」
そこから小町の記憶は途絶えていて、気がついた時、寝間着に着替えていて寝室で寝ていた。
多分おにぃちゃんが運んできてくれたと思うんだけれど、着替えが寝間着に変わっていてって、これも全部おにぃちゃんがやったのってなるとちょっと恥ずかしくなって下着だけ確認した。……うん下着はおなじだった。
いままでは気にする必要が無かったんだけどな。やけに恥ずかしい。
そんな疑問を持ちながらリビングへと向かう。
ちょうど休日アニメを鑑賞中のおにぃちゃんと遭遇し、若干気まずい雰囲気になる。
「おにぃちゃん……あの……そのぉ……ごめんね。迷惑かけちゃって……」
「ん? まぁ楽しかったんだろ。それなら俺がおぶったかいもあったもんだ」
どうやらそんな雰囲気だと思っていたのは小町だけでおにぃちゃんはさっぱりとした返事をした。
ちょっとだけムカついたので意地悪な質問をする事にした。
「おにぃちゃん」
「なんだ小町?」
「おにぃちゃん、いろはおねぇちゃんのこと好き?」
「ちょっ!? 小町なにいってんだよ。俺と一色はそんな関係じゃねぇし」
「なら、おにぃちゃんは小町とずっと一緒だねっ」
「そだな〜」
気力の無い返事をテレビを見ながら言い放つ。普段ならここで小町的にポイント低いとでも言いたいところだけれど
こんな冗談じみた会話に幸せを感じてしまう小町はもしかして……いやきっと……
「おにぃちゃん……小町さ……おにぃちゃんのこと好きだよ?」
「お、おぅ。さんきゅな小町。俺も好きだぞこれ八幡的にポイントたけぇな」
そう言ってわしゃわしゃと小町の頭を撫でる。雑に撫でられてる感じだけれどこういうのは嫌いではない。
ほんとにポイント高いじゃない。
「だからおにぃちゃん」
小町は諦めないからね。