昨日の雪ノ下先輩の姉、雪ノ下陽乃の襲来でかなり頭使った。なので今日は惰性を貪りたい気分に駆られるが、残念ながら平日だ。
だからこそこのしばらく鳴り響くケータイのアラームに逆らうこと無くのっそりとベッドから起き上がる。
だるいと思いながらとりあえず目を覚まそうとカーテンを開ける。すると6月の梅雨時期とは思えない青々とした空と太陽が俺を出迎えてくれた。
そのくせに空気は湿気っているという苦行日だ。
……陰キャは溶けるから梅雨らしく隠れてくれ。……雨を降らさない程度でな。
俺は口角をヒクつかせながら窓を開ける。空気の入れ換えをする。
夜中に室内に留まった空気と外の空気が入れ替わる流れを身に受ける。
……熱い、湿気の不快指数高すぎだろ。
流石初夏だな。もうベッドからでて3分も経っていないのに部屋のクーラーが恋しくなって仕方が無い。
カップ麺より早い俺の意志の弱さですぐさま窓を閉めてカーテンで室内へ入ってくる日光を遮った。
「おにぃちゃん、起きてるーっ! ……って!? 起きてる!!!」
ノックもせずいきなり入ってきたこの小町は、俺が起きてる姿を見ると天変地異が起きたかのような驚愕な表情を浮かべる。
んだよ。時間通り起きただけだろうが、そんなに驚かれる筋合い話無い。
いつもお前の尻を腹に落として起きている訳ではないのだ!!
……小町ちゃん、あれマジでやめてくんない? あれだよあれ、男の朝の通過儀礼が収まんないタイミングだったらどう反応していいかわからんだろ??
「まぁいいやー。ほら、顔洗ってきて、そろそろご飯もできるよ」
そう言って俺の部屋からそそくさと去って行った。
俺も小町に続き部屋を後にした。
身なりを整えてリビングに行くと小町が朝食の卵ベーコンと食パン、そしてコーヒーと練乳を用意して待っていた。やはり小町はわかっている。
先に食べていても良いんだがな。
そんな事を思いながら俺は席に着く。
そして小町と一緒に手を合わせていただきますと食事への通過儀礼をする。
この時、小町がやけに嬉しそうな表情をする。どんだけ朝飯を楽しみにしてたんだよ。
「おにぃちゃん、今日も送ってね〜」
この言葉、俺が寝坊する日じゃない限り必ず小町は言ってくる。便利なアッシーになったもんだ。
「面倒くせぇ……一人でいけよ」
「だって面倒くさいじゃん」
面倒くさいを面倒くさいで返された。
この後どう返せば良いのかわからん。難易度的に質問を質問で返されるより面倒だ。
「ってかお前俺のチャリ乗って怖がってるだろうが。なんなのマゾなの?」
「えー? そんなこと無いよ?」
「噓つけ、俺の腹に腕回して締め上げてんだぞ? 俺の腹が不調な日にやられ無いかとヒヤヒヤするぜ」
そう言うと小町はほんのりと頬を赤く染める。
どうやら図星のようだ。
「し、しっかりと捕まってた方が安全だから……ね。つれてって?」
小町はどこで覚えたのか見覚えのある角度からの上目遣いで俺にねだる。しかし俺は腐るほどその上目遣いを見てきているので何の感情も湧くこと無くそれを流す。そもそも実妹の上目遣いに動揺する訳がない。動揺したらそれは夏休み子供相談所に人生相談するわ。
……しかし、俺はおにぃちゃんだからな。おにぃちゃんは妹の頼みを聞いてなんぼなのだ。決して上目遣いに屈した訳ではないと自分に言い聞かせておこう。
「……しゃーねぇな。わかったよ」
「やったー、ありがとおにぃちゃん」
「ってかお前着替えは? 俺さっさと出るぞ」
「はっ!? そうだった! ちょっと着替えてくる〜」
小町はそう言って自室へとドタドタと走っていった。
もう少しおとなしく出来ないものかね。
……まぁ、俺の前で着替えなくなっただけ女の子らしくなったと言えばなったのだろう。
そう考えて時間が経って温くなったコーヒーに練乳を投入し一口啜る。……うまい。
小町の成長は兄として嬉しいものだが、次第におにぃちゃん離れをしていく事を想像するだけで寂しさで絶望の淵に落ちる。……よし、考える事を辞めよう。
そして俺は朝食に手を付けた。
***
小町を乗せていつもの通学路を颯爽と走り抜けていく。外は快晴なので若干熱い。それに合わせて今日も変わらず俺にがっちり腕を回す小町。マジで暑苦しい。
「おにぃちゃん、事故らないでよ」
「事故るかよ。もう留年したくねぇよ」
「小町も寝てるおにぃちゃん見るの嫌だからね」
そう言って小町はさらに腕に力を加える。
ちょっと小町ちゃん? 今日食った朝食がリバースするから加減してね? あと痛い。
そんな思いを押し殺し、俺は必死に自転車をこいだ。
その甲斐もあり、早めに小町の中学校に到着することが出来た。
小町は軽やかに自転車から降りる。
八幡選手、ようやく小町選手からのベアハッグから解放されましたと自分で実況入れたいくらいだ。
「そうそう、おにぃちゃん。これお願い」
そう言って小町が出したのは手紙だ。
「おにぃちゃんへのラブレターか?」
「おにぃちゃん、キモい。前に由比ヶ浜さんからの手紙を一方的に渡してきたのおにぃちゃんだし」
そう言って小町は半目で呆れたように俺を見る。
「ちゃんと理解してるし」
俺は鞄に手紙をつっこんだ。
前に由比ヶ浜が作ったクッキー(大丈夫そうだった)と一緒に手紙を俺が小町に届けてそれから反応が無かったからどうした物かと考えていたが、小町なりに返事を考えていたと言う事か。早とちりしなくて良かったわ。
「あと、おにぃちゃんにはこれね」
そう言って小町は鞄から包み袋を取り出し俺に渡した。
久し振りの小町特製弁当だ。これで元気百倍。
ドーパミンドバドバでラリっちまいかねん。
ただ、小町ちゃん? そのお弁当縦で入ってたよね?
開けるのが怖いんだけど。
「まぁ、たまにお弁当を作った方が小町のありがたみが分かると思うからね」
「そうだな。ありがとな」
「うん、素直でよろし」
鞄の底に弁当をしまう。
「それじゃ、おにぃちゃん気をつけてねー」
「おぅ」
そして俺はまたペダルに足を掛け、自転車で駆けた。
***
ベストプレイスはこんな快晴の中でもしっかりと日陰になってくれている。風も吹き抜けるから梅雨特有のジメジメ感から解放されるからここは良い場所だ。
いつもは一色やら由比ヶ浜やらがここに来るが、流石にこんなジメッと暑い日に昼休み空調完備の教室から出たいと思う奴はいなかったのだろう。
ベストプレイスは俺の気配しか感じられないし、ベストプレイスを通り抜ける風で草花が揺れる音しか聞こえなかった。
さて、それでは開封の儀をしますかね。
そうして弁当の包みを開く。
「んぉ……?」
なるほど、縦に入ってても大丈夫なのがよく分かった。
今日のお弁当はこむすび弁当だ。
鮭や梅、明太子などの混ぜ込みの素数種類を使って作ったのだろう。
色鮮やかで手軽な弁当だ。
しかしな、小町よ……もう少しおかずも欲しかったんだ。
ご飯だけじゃおにぃちゃんちょっとしんどい。
そんな事を考えていた矢先、吹き抜ける風と共にこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。
「一色か?」
「……よく気づきましたね」
たまたま適当に言ってみたらどうやらあたりだったようだ。
一色は俺が言葉を発する前に迅速にムラの無い流れるような動作で俺の隣に座った。
えっ、いま全く反応が出来なかったんだけど……流水岩砕拳の使い手なの?
「……なんとなくな。お前教室で弁当食わんの? 外湿ってるし不快指数高いだろ」
「男子が冷房を最低まで落としちゃって逆に冷えるんですよね。教室」
そう言って一色は自分の腕を手でさすりながら暖を取る仕草をする。
「なら温度上げるように交渉すれば良いだろ、それか勝手に上げればよくね?」
「え〜、喋りかけて変に誤解されたら嫌じゃ無いですか〜。それに上げた所ですぐさげられちゃうんですよ〜」
「世の中の男子お前に喋りかけられただけで惚れるとか思っちゃってるの? 梅雨の湿気で頭やられたか?」
「何ですか〜流石に私もそこまで思っては無いですけれど……変に絡まれて誤解されちゃったら困るじゃ無いですか」
まぁ葉山先輩にも誤解されちゃ元も子もないからな。徹底してるんだな。
「それに居場所も探さないといけないし、ほかの男子にかまけてる暇なんてないんですからねっ!」
そう言ってぷくーっと頬を膨らませながらまんまるな瞳を俺に向ける。
「あー、そういえばそんな事も言ったな。居場所はここで良いんじゃね? 俺のベストプレイス」
「却下」
キンッキンに冷えているのは教室だけじゃなく提案の否決の言葉もらしい。俺のアイデンティティが否定されたみてぇじゃねぇか。
「だってここ……人目についちゃうじゃ無いですか。出来れば個室が良いんですけれど……」
「一色よ、ここ学校だぞ。部活でも無いのにどうやって個室を手に入れるよ?」
「それなんですよね〜、どうしましょうか?」
「いや、自分で考えろよ」
「むしろ自分で部活つくっちゃいますか」
「まじか。何の部活にするんだ?」
「文芸部とか?」
「ありきたりすぎるだろ、ってか文芸部もうあるし」
「じゃぁ第二文芸部!」
「それはやめよう」
「え? なんでですか?」
「きらりがな……きらりを思い出させんだよ……」
いやマジでキラ☆キラは名作なんだがバッドエンドが心を抉る……
「せんぱい? きらりって誰ですか??」
そんな疑問形が飛んで来た。そういやこいつはゲームとかには疎いんだよな。
「ゲームのキャラクターだ」
「……だと思いました。なんかせんぱいがテンション上がっている様子を見ると大体そんなことだろうと予想できますから」
えっ、俺がテンション上がると無意識のうちにデュフフ……とか言っちゃうのん? 言っちゃってたら俺二度と日の下に出たくないんだけど。
「それより、せんぱい今日はどうしたんですか? やけにカラフルな……全部おにぎりじゃ無いですか……」
一色は俺の弁当箱を見るや状況を理解して頂けたらしい。
「お弁当作る時間無かったんですか? ……それにしてはやけに手の込んだこむすび弁当ですね」
「だろ。小町特製弁当だ」
「あー、なるほど。せんぱいはほんと愛されてますね〜」
そう言って一色は俺の隣で自分の弁当箱を開いた。前にも食べたが、一色の弁当はそこそこ彩りも良かったしうまかったので少しこむすびと交換して欲しい欲が出てきた。
「せんぱい。今日の卵焼き、せんぱいの意見を参考に甘く作ってみたんですよね〜」
なんでこいつわざわざそんな事言うの? 別に今いらない情報だよね? 鬼畜かな?
「からあげちょっと多くつくりすぎたかな〜」
おっ? おっ?
「一色、作りすぎたなら仕方ないよな。残してしまうと食材にも失礼だしな。ここは協力して処理するってのはどうだ?」
「え? せんぱい良いんですか?」
キラキラとした瞳で一色は俺を見てるが、俺はキラキラとした視線で唐揚げを見つめてる。
「まぁな……折角だしもらうわ」
俺はからあげを一色の弁当から拾い上げる。その瞬間に一色がやけにあくどい顔になったのは見なかったことにした。