季節は梅雨を抜け、文月。
期末テストが終わり、あとは夏休みに向けて日常を謳歌するのみ。
濃緑色の葉が吹く風に揺られ、擦れ、音を奏で夏を感じさせる。
傾いた太陽の日の光に当てられながら俺は玉のような汗を拭いながらグラウンドを駆ける。
あ~くっそ……久し振りに遅刻したら
平塚先生がいるとか聞いてねぇし。担任病欠ってなんだよ。
しかも罰でグラウンド走らせるって……昭和かよ。
寝坊してもうちの担任はあまり何も言ってこないから余裕持って遅刻したというのに
これは計算外。
とりあえず気づかれない程度にちょっとずつペースを落として少しでも負荷を和らげよう。
ってか100パーセントの雨女がゲリラ豪雨とか降らせてくんねぇかな。
いまから、降らすよ! 土砂降り☆浸水☆大洪水!!
やっぱ普通の雨で勘弁して貰っていいですかね? 駄目?
「比企谷、あと3周!」
「ファイトー!」
「せんぱーい、がんばってくださーい」
聞き慣れた声が耳に入ってくる。
そうだ、放課後というのもあり、サッカー部も練習を始めている訳で、冷やかしに一色と葉山先輩とその他よくわからない面々が俺を応援してくれる。
ありがとうこれで勇気百倍ハチマン。
……語呂悪ぃな。
ってかそんな大声で俺の名前叫ばないで。
心が叫びたがっていても叫ばないで。
なんか葉山先輩いるせいで他の奴らもなんやなんやって集まってきてるからっ!
理由聞かれたら恥ずかしいから! 遅刻なんて言えない!
「比企谷、ペースが落ちてるぞ!」
そんな事を考えているとどうやら平塚名誉指導官に
ちょっとずつペースを落としていたことを見抜かれていたようだ。
なんだよこの人、どんだけ俺の事好きなんだよ。ハートマン軍曹かよ。
別の仕事しろよ。あるだろ? ラーメンレビューとか婚活とか。
そう思いながら俺はボッチマラソンを最後まで走り通した。
結局最後まで100パーセントの雨女が現れることが無かったことに現実の厳しさを目の当たりにし、絶望した。
やはり迷信は迷信だな、しかし俺はきっといると信じるぞ。
なぜなら絶対零度の雪女は身近にいるからな! ガハハ
……おっと、変なこと考えるとまたサトラレる。
「はい、せんぱーい。タオルですよ」
「あぁ、すまんな。助かるわ」
そう言って一色がタオルを持ってきてくれた。
さすがサッカー部マネージャー。あれ? サッカー部の備品使っていいの?
そんな俺の表情を見抜いたのか一色が嬉しそうに口を開いた。
「あれだけ汗だくで走っていてさすがに可哀想だなぁ〜って、できるマネージャーはそこが違うんですよ?」
「あー、はいはい、あざといあざとい」
「むっ? なんですか、せっかくの人の厚意にそんな返し方って酷くないですか?」
……たしかに。例え偽善であるにしても厚意にその返しは適切では無かったかも知れないな。
「そうだな。すまん」
「傷つきました。すっごい傷つきました。あー、ケーキ食べたくなってきました〜」
「一色、お前そういう所だぞ」
***
走った後いつもなら教室でさくっと着替えるのだが、校舎棟の自分の教室をグラウンド側から確認すると、まだ話が絶えない放課後フレンズ達が教室を占拠し、談笑する声がここまで聞こえてきたので教室で着替えるのは若干気が引けた。
仕方がないので体育館の更衣室で着替えることにした。
なんか、視界の片隅に夏が始まっているにもかかわらずコートを羽織り季節感を無視した奴がいたが、俺には関係ない事だし気にすること無く更衣室の扉を開く。
更衣室の扉を開くと酸っぱいのも、汗臭いのも、デオドラントやフレグランスやさまざまな香りが入り交じった香りの闇鍋かとも思わしき空間に躊躇したが、覚悟を決めて入ることにした。
着替えている最中に、また扉の開く音がし、視線を向けるとどうやら別の奴が入ってきたようだ。
「ぬっ? 貴様は比企谷八幡ではないかっ!」
あまりにもわざとらしい偶然を装った言葉を口にし、振り返ると奴がいた。
バサッと夏という季節を無視したコートをはためかせたがたいのいい小太りなメガネ。
正直関わりたくない奴だ。
久し振りすぎて名前が曖昧だが確実に絡むとめんどくさい奴だというのは思い出した。
なんて名前だっけか? 雑貨屋?
「あー、誰でしたっけ??」
「そこから!! そこからなの!?」
なぜにそんなにフレンドリーなのかはおいておいて、こいつとはあまり関わりたくないのだがなぁ……
「フフフ……では名乗るとしようではないか我の名は剣豪将軍よ!」
「もう最初から名乗る気ないじゃん。そんじゃ」
着替えも終わったことだしさっさとこの場から去ろうとしたら服の袖つかまれる。
「あぁ~っ……ごめん! ごめんってば八幡!」
「いや、フレンドリー過ぎだから。ってか、正直あまり関わりたくないんすけど……材木座」
「ふむ……まぁそう言わずに話を聞いてくれないか。前の件はさすがの我も本当に申し訳ないと思っている。あの後、さらに川崎氏にもずっと説教され、我のHPはゼロなのだ」
途中から材木座がカタカタと震えだし顔色が悪くなっていった。
おいおい、もしかしてPTSDになってねぇか? 川崎先輩めっちゃこえぇ。
「それは終わったことなんでもういいですけれど。ちゃんと謝って回ってたみたいだし」
一色には気持ち悪がられていたけれどな。
「まぁそう言うでない。我もしっかりと詫びをしたい。ので、どうだこれからここに行くのは」
そう言って材木座が出したチラシはなかなか布の面積が少ないメイド衣装を纏った女子のチラシ。
いわゆるメイドカフェのチラシだ。
メイドカフェえんじぇるている? アキバではなくて千葉にもあったんだな。メイドカフェ。
しかしそれがどうした? ふーん、へぇ〜って程度だ。
それで? 親睦が深まるとでも? んなわけあるかよ。
お前といるだけで俺の精神がゴリゴリ削られていくのだ。
正直あまり乗り気ではない。
「無論、我のおごりだ」
「しっかたねぇ〜な〜。詳しく話を聞こうか」
そりゃぁね。乗り気ではないにしても、奢りまでしてくれる覚悟を決めてるんだったら話は別だ。
普通メイドカフェって他より料金お高めじゃん? 普通に料金払うなら行かないが、
こう、奢りって言われるとそりゃ行きたくなるよな。だって華の男子高校生だぜ?
女子に対して好奇心は普通にあるだろ。
だって華の男子高校生なんだからな! 大事なことだから2回言った!
「現金だねー、君」
こいつにどう思われようと気にはしない、あと俺が気になるのはその店のサービスとキャストの外見の良さだ。俺はじっくりとそのチラシのキャスト一覧を覗く。
「さて、善は急げよ戦友! いざ、かの地に参らん!」
バサッとコートをはためかせ天井に指を指しながらそう言った。
……他に人がいなかったのが不幸中の幸いだ。
***
奉仕部の面々には個別依頼が来たと適当抜かしたがなにやら機嫌が良かったのか手伝おうか? と雪ノ下先輩にはあるまじき後輩を思いやる優しい返信。
しかし材木座の名前を出すと急に忙しくなった。やっぱりひとりで解決して欲しいと連絡を一方的に切られ、その後由比ヶ浜に送ってみたが完全に無視された。
さっきの俺の感動を返せ。
さて、遠回しで単独行動の許可も頂けたことだしメイドカフェへ馳せ参じたのだが、待っていたのはお帰りなさいご主人様ではなく
「おいあんた。あたし、くるなっていったよね?」
「ひっ……か、川崎氏」
気合いの入った睨みをきかせ、ヤンキーよろしく特攻の拓なちょっとこわ目の癖してわがままボディなメイドさんに襟首捕まれて構って貰っている材木座。
おいおい、いきなりキャラの強いメイドさんがきたじゃねぇか。
ゾクゾクするぜ。
勢い余ってブレンドS頼んじゃいそうだ。
ってか、川崎サキサキ先輩じゃねぇか、こんな所でバイトしているとか……まじで意外すぎる。
サキサキ先輩は丈の短いスカートとどことは言わないがやけに強調されるメイド服を着ていた。いやはや眼福である。
前回初めて会ったのが奉仕部にいた制服姿からのギャップが激しい。
まさに俺の望んだメイドそのものだ。
俺が女だったら多分間髪入れず『はうぅぅぅぅぅ!!! おっ持ち帰りー!!』と叫んでいる所だ。
「ってかどうした材木座? それサービスだろ? なに顔青くしてんだよ?」
「あ゛ぁ?」
ガチで睨みをきかせたサキサキ先輩の眼光にかなり恐怖を感じて動けなくなった。
なる程、睨みつけるってたしかこんな効果だったね。
もしかして? ガチでオコ? なんで??
「……あぁ、あんた。比企谷ね。まさか本当に連れてくることある?」
何を一人で納得しているのかよくわからない。
サキサキ先輩はため息を深くつきながら頭を掻く。
「はい、比企谷です。とりあえず状況がよく見えないのですが」
「は? もしかして材木座から説明何も説明されてなかったりする?」
「説明とは?メイド無料堪能としか聞いてないですよ?」
「はぁ……やっぱり」
えっなに? なんかまずったの?
「あたしが言ったのはこの店に一緒に来れる仲良くなれた友人がいたら来ていいって言ったくらいよ」
「なぜだ? 八幡では不満か?」
「そうじゃなくて。あんたさ前に比企谷に結構迷惑かけたでしょ。よく誘えたよね」
そうそう、材木座わかる? お前に迷惑かけられて実はもう関わりたくない奴なのよ、半径200m以内に近づくなと言われるレベルだから。
それにしても状況を察するに二人の間で取引があったと考えていいよな。
しかしサキサキ先輩も酷なことを言うよな、俺が材木座とそもそも友人になるわけが無いだろ? なれる奴が希少種だ。
そんな感じに結論づけて口論する二人をまじまじと観察すると、疑問が出てくる。
それにしてもこの2人の関係がよくわからん。
なぜTHE痛い厨二病野郎との組み合わせが成立しているのだ?
そうだ、奉仕部にいた時もサキサキ先輩は材木座を庇っていた。
いややっぱり……俺は以前俺が考えた恐ろしき事実を思い返す。
実は材木座、実際のリア充レベルは俺より遥かに上って事だったり……。
えっ? そういう事????
「ってかですね、ずっと不思議だったんですがお二方どのようなご関係で?」
俺は恐る恐る思い込みと事実の齟齬を取り除くべく確認に入った。
これで俺の考えた通りだったら俺は人間を辞めて究極生命体になってやる。
「どうもこうも……何というか~……妹の誘拐犯」
俺は即座に携帯を片手に用意していつでも緊急連絡出来るように用意した。
既に乗り越えてはいけないところまで乗り越えてやがったのか。
恐喝か脅迫か人質か……どっちだ?
「ケプコンケプコン……川崎氏??」
流石の材木座も素で返した。こいつ素があるんだな。どうでもいいけど。
「あー……比企谷、冗談だから」
少しはにかむようにサキサキ先輩が返す。さっきのドスのきいた声では無く笑い気混じりだ。
なんだよいちゃいちゃしやがって、110じゃなくて119呼ぶぞあぁ??
「まぁ、こちらも迷惑かけたしな。今日だけだからな」
そう言って店の端っこの、とっても人気の無い席に案内される。
どうやら知り合いが来たとき様に解放する席みたいだ。
人も疎らで他のキャストらが他の客の対応をしていた。
どうやらまだサキサキ先輩は俺らの専属でいられるみたいだ。
「話戻すんですけれど、結局は何関係?」
「正直あまり喋りたくはないんだけれど……あんたには迷惑かけたしね」
いや、サキサキ先輩じゃなくて迷惑かけたの材木座ですからね?
責任感じる必要はみじんもありませんからね。
興味あるから言わないですけれど。
「一応あいつさ、前も言ったけれどあたしを救ってくれた奴なんだよ。まぁその恩ってのもあってさ……あいつがやらかした時は味方になってやろうって決めてたんだ」
そんな甲斐性があったなんて今でもとてつもなく信じられんのだが。
そんな俺の考えを見透かすようにサキサキ先輩は言葉を続ける。
「まぁ、そんなカッコいいことをした訳でも無くただパソコンで検索しただけなんだけれどね」
「ふんっ! 我は親戚からパソコンの大先生と呼ばれておるしな!」
それ別に尊敬とかの意味じゃなくて蔑称だかんな。
「それでもこいつのおかげで稼ぎ方を見つけられたし……あと放課後できる稼ぎのいいバイト紹介してもらったしな……ちょっと恥ずかしいけれど……な。」
そうか、サキサキ先輩は言葉を知らなかったのだろう。
知らない言葉はグーグル先生でも検索かけられないからな。
それを見つけてやったのが材木座って訳か。
まぁなんというか。……このバイトを紹介した所はマジでやるじゃん。
「ちなみに稼ぐって何やったんですかね今流行のクラウドファウディングとかっすかね?」
今後俺のお小遣い稼ぎの参考とさせて貰おう。
「それもあったんだけどあまり興味が湧かなくてさ。今やってるのはフリマと有料ノートパッド」
「有料ノートパッド?? なんですかそれ?」
「あたしさ、これでも手芸が得意なんだけど。それのノウハウを有料にして売ってるんだ。1冊200円くらいなんだけれど」
なるほどな、生産スキル持ってる奴は流石だな。
フリマで生産物を売り、ノウハウをノートパッドで売る。
ノウハウの方は電子データだから在庫を気にする必要がない。
いい商売だ。
「クククッ……金に目のくらんだ亡者をまた1人作ってしまったわ」
「気にくわない名前つけないでくんない?」
凄みのある睨みを材木座にきかせる。効果抜群だ。
「……で、そろそろ新しい奴。料理のノウハウもあげようと思ったんだけど」
へー、この人料理もできるんか。もうかあーちゃんだな。
「料理のレシピってどこにでも置いてるからさ。それだったら動画にしたらどうかなって思って作ってみたんだ……」
そう言って持っていた携帯の画面を俺に見せてきた。
普通こう言う接客業の時って携帯って持ち出してよかったんだっけ?
店にもよるか。
そこに映し出されていたのは首から上は編集でカットされていて誰かはわからないが
とりあえず、知っている人から見るとサキサキ先輩とわかる程度だ。
ただ……エプロンの縛りがきつめなのか、やけに身体のラインが強調しているのはわざとだろうか。
気になる気になる。どこがとは言わんが。
しかしこれだけは言える。これはれっきとした『料理をしている動画』だ。
ふむふむなるほど。ふーん、えっちじゃん。
ボリューミーな料理動画だな。八幡お腹いっぱいだよ。
うん、俺が確約しよう、これは売れる。
誰にとは言わん。
「これすごいですね」
改めて言おう、どこがとは言わん。大事なことだから以下略。
「結構緊張したんだけど美味しく作れたから大分満足。売れると思う?」
気づいてないのか? 天然か?
「あーうん、すごい勢いで売れるんじゃないですかね」
「そっか、それじゃ出して見るか」
そう言って、少しはにかむような顔で携帯をしまう。
なんだこの人、可愛いな。
「我は反対だ」
「っは?」
先ほどまで、金の稼ぎ方検索しただけ天狗になっていた材木座が
サキサキ先輩の意見に反対してきた。
厨二病こじらせるとな、反対したらカッコイイって価値観あるよな。俺もわかる。
レジスタンスとかカッコいいよな。
しかし、むやみやたらに反対するのはどうかと思うぞ?
「川崎氏よ、貴様は国公立の大学行くのだろ? となると2年とは言えそろそろ受験の為の勉強もせんといけぬこの時期、動画制作はかなり時間を要すると聞いたがそんなものにうつつを抜かす余裕をもっておるか??」
ん? 材木座と疑わしき真面目な正論だな。
サキサキ先輩がうっとちょっとたじろいでる。
まぁ国公立行くならそれなりに塾とか通わないといけないしな。
「先日の期末試験、旗色が悪かったと町田氏から聞いておるが、その動画を作っている時間が原因なのでは無いか?」
「……」
「当時たしかに金に困っていたおぬしに稼ぎ方を教えたがそれが目的となっては元も子もないぞ。目的と手段をはき違えるでない。あと……町田氏も心配しておったしな」
なんでこいつ検索しただけなのにこんなに偉そうなんだろう、真面目な雰囲気なのに全然のめり込めねぇや。
ってか町田さんってまだ他に隠し球持ってんのかよこいつ。
どうやったらそのオタク童貞臭い言動でそんなにリア充になれるの?
教えてアロエリーナ。
「そっか……町田さんが。……ごめん、あとでちゃんと謝っておく」
「強くは言わん……が、ほどほどにな。時間は有限なのだ」
「うん、そうだね。ありがと」
材木座……もしかしてこいつ。
町田さんって人に依頼されたから自身でもあまり関わりを持ちたくないであろう俺を誘い、さらに来るなと言われてたこの店に来たのか?
ふむ……事情はありそうだが、まぁ、俺には関係ない事だし別にいいか。
「よし、これで我の用事はすんだ。さて八幡、帰るか!」
……さて、なに全て終わった感だしてんのこいつ。
これで終わるわけねぇだろ。
「なに言ってんだお前? 今日は財布の中身スッカラカンになるまで堪能させて貰うに決まってんだろ、ってかその覚悟できてんだろうな材木座、財布の中身は十分か?」
「ふえぇ……」
「そうだった。それなら遠慮せず頼んで欲しい。最近お小遣い入ったって言ってたから」
涙目の材木座を無視し、俺は容赦なく1000円のメガドリンクと指命料込みでメイドさんのチェキを頼むのだった。