本日は、原作『ラブライブ!』にて『ラブライブ!平凡と9人の女神たち』を投稿している、ちゃん丸さんの企画小説です!
かつて、世間を賑わせたアイドルが居た。
国立音ノ木坂学院の
そんな彼女たちは、二〇一六年の三月。三年生の卒業とともに終わった。最後にはデッカいドームでライブをやって、美しい伝説となって。
俺も、彼女たちのファンだった。アイドルなんかにハマるなんて思ってもいなかったのに。多分、年齢も近かったから親近感みたいなモノが湧いたんだと思う。
μ'sが終わった年の四月。地方から都内の大学に進学した俺は、慣れない一人暮らしに苦戦しながらも、上手くやっていた。
友達も出来て、彼女だって出来て、別れを経験して。まさに普通の大学生活を送っていた。年を重ねるごとに、少しずつ余裕すら出てきた。
そして、二〇一八年四月。
大学三年生になった俺は、楽に単位が取れる講義を優先的に履修するなど、
そんな時、
☆☆ スウェットの僕と朝焼けの君 ☆☆
♢Spring
三年生になって初めての講義はどれもこれもつまらないものばかりだ。友達と一緒に受けたところで、講義中に話すわけでもない。だったら一人で受けても変わらない。そう思って、今回は周りと相談せずに適当に履修届を提出した。
水曜日の二限。初めて履修する講義は、大学のイメージとはかけ離れた狭い教室だった。
(…人いないのか?)
俺の不安は的中。人気が一切ないそれには、教授のゼミ生を含めて十人程度のショボい講義だった。
「この講義を履修した君たちも、変わってるねぇ」
時間五分前に入ってきた教授は、自虐するように笑った。
笑い事ではない。人が少ないということは、それだけ単位が取りづらい講義ということだ。参ったなぁ……。 考えているようで考えていない俺は、クルクルと右手でペンを回していた。
すると、後方のドアが開く音がした。これで全員かと勝手に思っていたが。なんとなく振り返ってみると、手から力が抜けていく。ペンが机の上に落ちる音が教室に響いた。
(………え?)
入ってきたのは、かつて俺が夢中になっていたμ'sのメンバー……らしき人物だった。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。自分でもこの状況がよく理解できなかった。
その人は、俺の右斜め前に座った。
薄手のコートを羽織り、大学生には少しだけ背伸びしたような革の鞄を肩から下ろしている。
何よりも目を引いたのは、綺麗な金髪だった。そこら辺のギャルのような汚いものではない。純粋で見惚れてしまうほど綺麗な髪。ポニーテールも、俺の記憶の中にいる彼女と同じだった。
(え、えりち……? いやまさか…)
久々に“えりち”という単語を出した気がする。それだけもう終わった存在だったということだろうが、一瞬で蘇るということは、きっとそれだけ大きな存在だったのだろう。
小汚い茶色に染まった教室で、明らかに彼女の存在は浮いていた。かと言って、周りが反応していると聞かれれば、そういうわけでもない。あの彼女がここにいるというのに。
講義が始まっても、俺は彼女の後ろ姿をひたすら眺めていた。客観的に見れば、ただのヤバイ奴である。でも憧れの存在が目の前にいるのだ。鼻息も荒くなってしまうのはある意味自然じゃないか。
クソみたいにつまらない講義は一瞬で終わり、居眠りを終えた大学生たちは各々教室を出て行く。
「……あの」
「は、はいぃ」
想像もしていなかった展開。彼女は振り返って声をかけてきた。驚きすぎて声は裏返っても、彼女はクスリともしなかった。
「何か私の背中に付いてますか?」
「い、いえ! なにも」
「講義中、ずっと視線を感じていたので」
冷たい声色で彼女は話す。観客の前では聞いたことが無いほど、その声は冷たかった。触れると火傷するドライアイスのように。 ただこの距離であれだけ見つめていれば、そりゃ気づくよな……。
「す、すみません…。あの……絢瀬絵里さんですよね?」
「えぇ、そうですけど」
「やっぱり! 俺ずっとμ'sのファンだったんです!」
どうやらこの女性はμ'sの絢瀬絵里で間違いないらしい。なんとなく安堵する自分がいた。
「ありがとうございます。では」
「え、あの!」
「……まだ何か」
「よかったら握手してくれませんか?」
完全にここが大学ということを忘れていたオタクの図である。気づけば、教室には俺と彼女の二人だけになっていた。
「……いいですよ」
あ、絶対嫌なやつだ。作り笑いが辛い。
お礼を言いながら、彼女の右手を握る。細く、柔らかいソレは、少し力を入れれば壊れてしまいそうな。……相変わらず彼女は作り笑いを浮かべているが。
「……それでは」
「あ、ありがとうございました」
教室を出て行く彼女の後ろ姿を眺める。
講義は終わったと言うのに、再び椅子に腰掛けてしまった。一気に力が抜けたような感覚だった。
同じ講義を履修してるということは…。また来週も会えるのかな。
クソつまらない講義が、一週間で一番幸せな講義になるのではないか。世の中本当にわからないものだ。
それから一通りの講義を受けて、水曜日の二限が前期一番の講義になると確信した。早起きは辛いが、彼女に会えるのなら意地でも早起きしてやる。
そもそも、同じ大学に通ってたことすら知らなかった。少なからず有名人であることには違いない彼女。もう少し噂になってもおかしくないはずだが。
そんな疑念を抱きながら、毎週水曜日の二限のために生きてきた。毎回毎回彼女に話しかけるもんだから、俺に対する態度も少し慣れてきたのか、いい加減になってきていた。
♣︎
季節は五月の半ば。水曜日の二限目。例に漏れず彼女は教室にやってきた。教室は三人がけの席がズラリと並んでいる。先に来ていた俺は、彼女が座った席の一つ隣の席に移動した。
馴れ馴れしく「ゴールデンウィークは何をしてたんですか?」と問いかけると、彼女は面倒臭そうに「友達と旅行です」と答えた。
「へぇ、どこへ?」
「大阪です」
革の鞄からテキストを出しながら、俺の問いかけに答える。無表情で声にすら感情がこもっていない。相当面倒なんだろうな。俺という存在が。
でも無視していないところを見ると、心底嫌というわけではないのか? いずれにしても、この一カ月で俺が知っている絢瀬絵里という女性のイメージは儚くも崩れ去っていた。
冷静沈着でクール。ファンの前で見せたあの輝かしい笑顔は心の奥底に沈んでしまっていた。
最初は浮き足立って興奮気味に
「大阪で何したんです? 観光?」
「そうですね。ブラブラ歩いただけ」
素っ気なさすぎる彼女に、少しだけ嫌気がさした。
別に付き合っているわけでもない。かといって、友達というわけでもない。ただ単に、受ける講義が一緒の同窓生ということだ。
そう考えると、彼女の態度は至極真っ当なものなのかもしれない。
「あの、今さらなんですが」
「なんでしょうか」
「お友達になりませんか? 僕と」
「……お友達に?」
それまで俺の方を見なかった彼女が、そこで初めて俺と目があった。その蒼く美しい瞳を、点のように丸くして。そこまで想像もしていなかったのだろうか。
二人の間には、僅かな沈黙が続いた。
そして、彼女が口を開こうとした瞬間。教授が教室に入ってきた。
「あっ」「あ」
二人して前を見ると、教授と目が合う。
「今日は二人だけ? ……まぁいいか。始めますよ」
その言葉を聞いて、俺は教室を見渡した。教授の言う通り、ここには俺と彼女しか居なかった。
「はは……」
思わず、乾いた笑いが出た。
人が居ないことが可笑しいわけじゃない。そんな講義に自分が出席していることが面白おかしいのだ。普通だったら、俺だってこんな講義サボっているに違いない。
それなのに、何故俺はここにいるのか。
チラッと彼女に視線を送る。彼女も俺を見ていて、少しだけ微笑んでいた。
「初めて笑った顔見ました」
「……嘘ですよ。あなたはμ'sの頃を知ってるはずです」
「知ってますけど、今のあなたの笑顔は初めてですよ」
「…そうですか」と口元を緩める彼女。何となくだけど、心の底からの笑顔なんじゃないかな。何となくだけど。
「さっきの質問ですけど、お友達、なってくれますか?」
「その前に一つ質問」
「なんでしょうか」
「あなたのお名前は?」
♢Summer
今年の水曜日はひと味違う。
水曜日の二限。俺にとって、大学生活で一番楽しみな時間となっていた。
そんな前期の講義は今日で最後。来週から前期試験なのだ。そのせいで、彼女と会えるのも最後ということだ。
まぁ、ただ一つ言えるのは、別に全く会えなくなるわけではない。彼女も俺と同じ大学に通っているのだから。
それでも、彼女のこの講義以外で会ったことは無かった。
見かけたことすら無い。本当に彼女はこの大学の学生なのだろうかと疑いたくなるほどに。
「何ボーッとしてるの?」
「あぁ、絢瀬さん」
講義が始まる三十分前にも関わらず、彼女は教室にやってきた。
いや俺だって大概だが、彼女も大概だ。側から見れば、クソつまらない講義に気合いを入れるただの変わり者だ。
「やけに早いね、今日は」
「早く着きすぎちゃって。することないし、ここで時間潰した方が効率的でしょ?」
「まぁ、そうだね」
彼女はなんのためらいもなく、俺の隣に腰掛けた。
あの日から、なんだかんだでお友達になった。連絡先まで交換したものの、これまで一回もやり取りをしたことがない。俗に言う、たまに校内で会えば「お疲れ」と声を掛け合う“おつ友”のような関係。
それでも、俺は講義を無視して彼女に話しかけるし、真面目な彼女も俺の話に付き合ってくれる。そう考えれば、おつ友以上の関係なのかもしれないな。
「あのさ、一つ聞いてもいいかな?」
「なにかしら」
「絢瀬さんって、本当にこの大学の学生なの?」
彼女は、俺の方を向く。瞳を点にして。
「何言ってるの? だからここに居るんじゃない」
「いや、この講義以外で会ったことないから」
「まぁ、確かに。あなた、学部は?」
「経済」
「私は文学部。それなら会わないわね」
「あぁ、それで」俺は納得したそぶりを見せた。
冷静に考えてみれば、確かにこの講義は対象学部が多かったはず。それでか。他の講義で会わないのも納得できる。
「学校でも見かけたことないけど」
「私はあるわよ」
「え! マジで!?」
「そんなに驚くことないじゃない」
いやそりゃ驚きますよ。
俺からすればマジで見かけないし、妄想と現実の区別がつかなくなったのかと思える。いや、そんな妄想しないんだけどさ。
「それなら声かけてくれればいいのに」
「……まぁ、そうね」
「あーいや。そんな無理しなくていいから」
嫌悪感に近い表情をされると、そう言わざるを得ないわ。うん。少し傷つくなこれ……。
ていうか、俺ってあの絢瀬絵里と話してるんだよな。
なんだろう、話してみれば想像していた彼女と違いすぎて、普通の女友達のような感じだ。俺の中にある、あの伝説のスクールアイドルという第一印象は、すっかり薄れていた。
同時に、教授が教室に姿を見せた。
俺は教室を見渡してみると、前期最後とあってか、おそらく履修者全員が出席していた。
「最後になって全員出席ですか。ま、最後だけ聞いても意味ないですがね」
教授はそう皮肉る。申し訳ないが、完全に同意してしまった。
♣︎
最後の水曜日が過ぎ去った。その週の金曜日。俺は大学内の売店でその日の夕食になるであろう調理パンを漁っていた。大学内の売店とはいえ、品揃えはそこそこ良い。学生からも人気があった。
時刻は夕方の五時を回っている。マンモス校ということもあって、昼間は学生で埋め尽くされるが、今の時間になれば少なくなっていた。売店の中は、それこそ数える程度しか居ない。
「……何してるの?」
「え………って絢瀬さん!?」
「な、何。そんなに驚かなくても」
物色中、横から声をかけてきたのはなんと絢瀬さんだった。
予想外の展開に、俺は掴みかけたパンをつい棚に戻してしまう。あぁ、焼きそばパンが。
すっかり暑くなったせいか、白のノースリーブにジーンズの格好をしている。相変わらずスタイル良く、大学生感があまり感じられない。それでも、目の前にいるのは間違いなく絢瀬絵里だ。
「どうしたの? いきなり」
「い、いきなりって……。あなたが言ったじゃない」
まさか、この間のことを言ってるのだろうか。だとすれば、なんとまぁ律儀なこと。つい口元が緩んだ。
「確かに言ったけど……。って、今日も一人?」
「……えぇ、まぁ」
「そっか」
少し落ち着きを取り戻した俺は、棚に戻してしまったパンを再び手に取る。彼女は店内を眺めてはいるが、俺の側を離れようとはしなかった。
側から見ればまぁ、釣り合わない二人だ。
身長は辛うじて俺の方が高いが、彼女は圧倒的にスタイルが良い。俺の隣にいるべき人間ではなかった。
「それって、まさか晩ご飯?」
「そうだけど」
「自炊しないの?」
「しないな。面倒だし」
手に持った調理パンを見て、彼女は蔑んだような視線を送ってきた。自炊なんて一人暮らし始めてやったこともない。面倒すぎる。別に料理が趣味なわけでもないし。
「身体に毒じゃない?」
「俺にとったら、自炊する方が身体に毒だな」
「どれだけめんどくさがり屋なの…」
「別にいいだろ。そう言う絢瀬さんは、自炊するの?」
「えぇ。少なくともあなたよりはね」
何というか、すごい見下されている気がした。が、それを言ったところで俺に言い返せる言葉はない。そのまま飲み込むことにした。
「絢瀬さんって、一人で居ることが多いの?」
「……そうね。いろいろあって」
「いろいろ?」
「そう、いろいろ」
彼女は含みのある言葉を放った。
今更だが、彼女は俺とは違った世界を生きる人間だと思ってる。クラスでは引っ張っていく存在のように。
実際、音ノ木坂学院時代には生徒会長を務めていたと聞く。あの女子校をまとめ上げたのだから、それ相応のカリスマ性があるのだろう。まさに、俺とは違う。
そんな彼女なのだ。大学入学後もいろいろあったに違いない。サークルや友人との人間関係がゴタついていても何ら不思議ではなかった。
「大学って色んな奴いるからね。大変だと思うよ」
「まだ何も言ってないじゃない」
「言ってないけど、そういうことでしょ?」
彼女は何も言わなかった。つまりは、そういうことなのだろう。久々に自分の予想が当たった気がした。
手に取った調理パンを、三度棚に戻す。店側への申し訳なさが少しだけあるが。彼女も俺の様子を観察していたが、売店を出ると後を追うように店を出てきた。
「買わなくていいの?」
「あぁーいや。なんというか」
せっかくの機会なのだ。思い切って聞いてみるのも手。そう思うと、不思議とスラスラ言葉が出てきた。
「ねぇ、絢瀬さん」
「なに?」
「この後、時間ある?」
彼女は少しだけ戸惑った表情を見せた。それでも、チラッと腕時計を確認して小さく頷いた。
「よかったら、晩ご飯一緒に食べない? 学食だけど」
夕方とは言え、別に晩ご飯を食べていてもおかしくない時間帯だ。試験が終われば夏休み。後期は会えるかわからないのだ。もう失うものは何もなかった。
「学食は嫌。近くにいいカフェがあるから、そこに行きましょう」
「カフェかぁ。一人なら絶対入らないな」
「せっかくの機会じゃない。もちろん、ご馳走してくれるのよね」
「えぇ、エスコートしますよ。絢瀬さん」
「柄じゃないこと言わないでよ」と彼女は優しく微笑んだ。本当に綺麗な笑顔だった。
言っちゃ悪いけど、俺たちはそんなことを言い合えるような仲ではない。でもそんなことを言うってことは、本当に嬉しいのだろう。
それだけ、彼女はこの大学生活を楽しめていないのではないか。俺の中でそんな疑念が湧いてくる。いや、きっとそれは事実なんだろうな。さっきの含みのある言葉といい、今といい。
俺たちは大学を出て、本当にすぐ近くのカフェにやって来た。
一人では絶対に入らないであろう、お洒落な雰囲気の店だ。店内はよく冷房が効いていて、蒸し暑い外とはまるで別世界だった。
「絢瀬さんの行きつけとか?」
「そうね。よく来るわ」
女性の店員に案内され、俺たちは向かい合うように座った。あのμ'sの絢瀬絵里と二人でご飯。ファンからすればマジで殺意案件ものだ。いや、俺もファンなんだけどさ。
メニューを開いても、そこら辺の定食屋とは違う。とりあえず、サンドウィッチを頼むことにした。
「サンドウィッチでいいの? パスタもあるわよ」
「パンの気分だったから」
さっきまでパンを食べる気でいたせいか、胃袋がソレを欲していた。パスタも確かに美味しそうだが、今はサンドウィッチが食べたい。
彼女もメニューを見ていると思っていたが、何故か俺の顔をジッと見つめていた。
「…なに?」
「あなたってμ'sでは誰が好きだったの?」
「あぁ、推しね。ことりちゃんだよ。南ことりちゃん」
「……そう。じゃあ私はこのパスタにするわ」
そう言って指差したパスタを見ると、値段がなんと二五〇〇円もするふざけたものだった。
「ちょっと高くない? なに? 八つ当たり?」
「いいじゃない」
「いや良くないから。大学生の財布はカツカツですよ?」
俺の呼びかけも虚しく、彼女は店員を呼んでサンドウィッチとそのパスタを注文した。あぁ、三〇〇〇円超の出費はデカイよ。
そもそもこの人はこんなキャラだったのだろうか。イメージとしては、真面目で優しい人だと思っていたのに。これが裏の顔というやつか。
「ねぇ」
「……なんでしょうか」
「誘ってくれて、ありがとう」
急に真顔になって、そんなことを言われると、俺としても何を言えばいいのかわからない。とは言っても、無視するつもりにはなれなかった。
「別に気にしないでよ。そんなつもりで言ったんじゃないんだから」
「久々だから。こうやってご飯食べるの」
「そうなんだ」
いやぁ、拗らせてるなぁ。
でも入学当時はかなりの有名人だったはず。それだけにミーハーな人間どもが集ってきたのかもしれない。そして、そいつらの裏の顔を見たのかもしれないな。これは有名人にならないとわからない感覚だと思うが。
でも、彼女が入学したことをついこの間まで知らなかったのだから、そうとも限らないということか。
「それならさ、やっぱり割り勘にしない?」
「ソレとこれとは話は別よ」
「…そうですか」
♢Autumn
紅葉が見頃を迎えた十一月。あと一ヶ月ちょっとで今年が終わるというわけだ。
もうすぐ訪れる本格的な冬を前に、すっかり外の空気はひんやりとしたものに変わっていた。
「本当にわからないわね…この講義」
「それは前期で証明済みだろ」
水曜日の二限。俺は前期と同じ教室で講義を受けていた。
講義は前期の続きで、教授もあのクソつまらない人。受講者はいよいよ一桁じゃないかってぐらい少ない。
そんな講義であるにも関わらず、俺と彼女は再び履修していた。
前期は二人とも無事に単位を取得。普通なら後期まで取る学生は居ないだろう。
俺だってそうだ。でも、彼女に会える可能性がある講義はこれだけ。正直、これまで取得した単位数には余裕があるから、捨てても良いと思い履修した。
するとまさかの展開で、彼女も履修していたのだ。いや、別に話し合えば良いじゃないかと思うかもしれないが、そこまでするのも何となくアレだ。
「逆に何で履修したんだ?」
「しっかり対策しておけば、問題ないからよ。試験問題は意地悪じゃないし」
「それは確かに」
「あなたは?」
あなたに会えるから、とは言えなかった。
いや別に隠してるわけじゃないんだが、講義中にそんなことを言うのも可笑しな話だ。適当に彼女と同じことを答えて誤魔化した。
そうは言っても、μ'sで好きだったのはことりちゃんなんだけどね…。本人の前で言ったらまた金銭的に痛い目に遭うから二度と言わないでおこう。
「もうすっかり秋ね」
「どうした? 急に」
「ほら、紅葉」
そう言って、視線を追う。すると、それは窓の外に向けられていて、美しい木々の紅葉がこの教室には不釣り合いだ。
それはそうと、俺たち以外には三人ほどしか今日は出席していない。それでも教授は気に留めることなく延々と話している。どういう神経してるんだか。
「せっかくだし、今度紅葉狩りにでも行かない?」
「今そうしてるじゃん」
「違うわよ。山に見に行くの」
「俺、インドア派だからさ」
「なによそれ」と彼女は鼻で笑った。
「別に可笑しくはないだろ。アウトドア派に見えるか?」
「うーん……見えないわね」
「それなら笑わないでよ」
二人小声で話してはいるが、話しているうちに声のボリュームが大きくなっていたらしく。教授はひとつ咳払いをして俺たちの方を睨んだ。
それを察して、俺ら二人は黙り込む。さすがにはしゃぎすぎたようだ。
結局、この日は講義が終わるまで会話を交わすことは無かった。そのせいか、終わるまでの時間が長いこと長いこと。彼女が居なければ絶対に履修しなかったな、こんなモノ。
「疲れたわね」
「それな。ただ睨まれたら話せないだろ」
「そうだけど。会話が無いあの講義さすがに堪えるわね」
教室を出て、そのまま学食に向かう道中。そんな会話をしていた。他愛もない会話だ。
ただやはり、俺と彼女が並んで歩くのは中々珍しい光景なようで。すれ違う女子が怪奇的な視線を投げかけてくる。ほっとけ。
「その……ごめんなさい」
「え、なにが?」
「私と一緒に居ると、あなたまで変な目で見られて」
「なに言ってるの?」俺は少しだけ強めにそう言った。
すると彼女は立ち止まって、戸惑いの表情。別に戸惑うことでもないのに。
「俺は別にそんなこと気にしたことないぞ。ていうか、変な目で見られるなんて知らなかったし」
「そ、そうなの…」
「むしろ、何かあったの?」
俺はずっと気になっていたことを、漸く問いかけた。
春に出会って、友達になって、校内で見かければ話しかけるような仲になって。そして、この秋までずっと。俺は彼女がほかの学生と一緒に居るところを見たことがなかった。
いつも独りだった。俺が見る彼女は。
俺が見かけた時だけ、なのかもしれない。でもそれは彼女にしかわからないことだし、俺がどうこう言ったところで何もわからない。だから、彼女の口から聞くしかないのだ。
それが、今。本来なら、こんな人が大勢居るような場所で聞くことではない。でも、流れの中でそうなってしまったのだ。仕方がない。
「それは……」
「あのさ」
「……」
「今週末、飲みに行こうよ」
♣︎
俺は初めて、彼女を飲みに誘った。出会って半年が経って、初めてだ。金曜日ということもあって、駅前はかなり賑やかだ。
時刻は夜の七時。すっかり辺りは暗くなって繁華街の明かりが見事に映えている。
「お待たせ。待った?」
「いや、全然。今来たところだよ」
茶色のダッフルコートを纏っている彼女は、繁華街の光に負けないほど輝いている。そんな彼女が俺に話しかけてくるもんだから、周りの目は何となく冷めているのようにも思えた。
合流した俺たちは、全国チェーンの居酒屋に向かった。
大学生である以上、決して贅沢は出来ない。安くて旨いんだから、むしろ俺はそれで十分だった。彼女はどうかわからないけど。
店に入ると、すでにサラリーマンだったり大学生で中々繁盛していた。金曜日だからそれもそうか。
予約しておいたおかげで、俺と彼女は個室席に通された。周りの雑音を気にせずに話が出来る。それが彼女の望みだったのだ。
俺がビールを注文すると、彼女も「私もそれで」と店員に告げる。
「そういえば絢瀬さんって、お酒飲めるの?」
「普段は飲まないけど、飲める体質よ」
よくよく考えてみれば、彼女はロシア人の血が入っている。勝手なイメージにしか過ぎないが、何となく強そうなのはわかる。
「ちなみに、ことりはかなりの酒豪よ」
「え、そうなの?」
「ええ。この間集まった時、焼酎をロックで飲んでたわ。それも平気な顔でね」
「そんなこと聞きたくなかったです」
天使だって焼酎ぐらい飲むに決まってる。うん、別に可笑しいことではない。ない……はずだ。 いずれにしても、聞きたくもない話を聞かされてしまった。
ちょうどその時、俺たちが注文した生ビールとお通しのキャベツが運ばれてきた。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
コツン、とジョッキが合わさる音が互いの間に響いた。
それを合図に、俺と彼女はビールを喉に流し込む。学生の間だと、ビールが苦手な人も多いが、俺は好きだ。別に味がじゃない。ただ単に喉越しが好きなんだ。
それは彼女も同じようで、一口飲み終わると「ビールは喉越しが好きなの」と洩らした。
「奇遇だね。俺も同じこと思ってた」
「そう。奇遇ね」
お通しのキャベツに先に手を付けた俺は、彼女に食べ物の注文を促した。すると彼女はメニューを開いてあっという間に決めてしまった。
店員が来ると、注文内容を伝えて俺に内容の確認をする。咄嗟に俺は、「唐揚げを一つ」と伝えた。特に理由はないが。
「……こういう居酒屋に来ることもないの?」
今日の本題について、俺は遠回しに聞いてみた。ストレートに聞くには、まだまだ酔いが足りない。ジャブを放って、それが後々効いてくるはずだ。
「無いわね」
「そっか。でも、μ'sのメンバーとは今でも会ってるんだ?」
「ええ。一年に四〜五回は会ってると思う」
彼女によると、自分と同い年の東條希と矢澤にこはそれぞれ別の大学に進学したという。後輩の高坂穂乃果、園田海未、南ことりの三人も大学生に。そして西木野真姫、星空凛、小泉花陽の三人は今年音ノ木坂学院を卒業する。
注文したものが少しずつ運ばれてくるが、彼女は話を止めなかった。
大学に入学した当初は、男女問わず自然と人も集まってきたという。そりゃそうだろうな。だってスクールアイドルを全国的な存在にした張本人なのだから。
ただその中で。純粋に彼女と友達になりたいと考えていた人間は一人も居なかった。要は、あの絢瀬絵里と仲の良いというレッテルが欲しかっただけなのだ。そいつらの気持ちはわからないでもないが……別に仲良いからって自分の人生が変わるわけでもない。
結局、自分が周りからチヤホヤされたいだけなんだよな。「あの絢瀬絵里と友達」というフレーズを言いたいだけなのだ。
だが、彼女はそれを見破った。しばらく一緒に居た友人もどきに対して、ハッキリとその意思を伝えたという。するとアレだ、一気に周りから人が居なくなったらしい。
「ホント、犯罪でも犯したのかって思うぐらいね。周りから人が居なくなったの」
彼女は苦笑いを浮かべているが、俺なら絶対心折れていると思う。そんな時、支えてくれたのはμ'sのメンバーだった。
電話だったり、メールだったり、それこそ直接会ったり。それが無かったら、きっと大学を辞めていたと彼女は笑っている。
「そのまま三年生。もう大学生活は正直疲れたわ」
「何というか、意外だね。絢瀬さんって。もっと上手くやる人かと思ってたけど」
「私の今があるのは……μ'sのおかげ。廃校問題があった時も、生徒会長の私は何も出来なかった」
気づくと、俺と彼女のジョッキは空になっていた。
互いに二杯目のビールを注文して、運ばれていた料理に手を付けた。
「どうだろう? そもそも廃校問題だって、生徒がどうにかする問題じゃないと思うし」
「それはそうだけど…」
「それに。今、絢瀬さんが通ってるあの大学には、μ'sのメンバーは居ない。だから、このままだといつか潰れるんじゃないか」
「あと一年なんだから、それは無いわ」
「でも」と俺は食い気味に答えた。
「それなら俺を頼ってもいいから。ようやく友達になれたんだから。俺たち」
「……そんなことを真顔で言わないでよ」
「ニヤついて言うよりマシでしょ」
彼女は笑った。優しい、柔らかい笑顔だ。「それもそうね」とお酒のせいで少し紅潮した頬を緩ませる。お酒は飲めるが、すぐに顔に出るタイプなのか。色白で綺麗な肌に、紅潮する頬がよく映えている。
やがて、二杯目のビールが運ばれてきた。それと同じタイミングで、彼女は口を開いた。
「ねぇ」
「なに?」
「あなた、恋人居ないの?」
「居たら女の子と二人でご飯なんて行かないよ」
「そう。真面目ね」
「真面目なくらいが丁度いいって」
これは個人的な考えだが、チャラいよりは真面目な方がいいだろ。男にしても、女にしても。
彼女はお酒のせいか、笑う頻度が多くなったように思える。学内で話す時は、あまり頻繁に笑った顔を見ない。そのせいか、彼女の笑顔は新鮮だった。
「逆にさ、絢瀬さんも恋人とか居ないの?」
「居ないわ。あなたと同じで、居たら来ないわよ」
「へぇ。何だかんだで俺たち、考え方似てるね」
「…口説いてる?」
「なんでそうなるのさ」
いやほんとに、どんな奴らが彼女を取り巻いていたのだろう。そんなつもりで言ったつもりは一切ないのに。
そんな俺の気持ちに反して、彼女は綺麗な箸づかいで、丁寧に料理を口に運んでいく。 見た目は本当に日本人離れしているのに、そのギャップについ見惚れてしまった。
「な、なに?」
「あ、いや、ごめん。箸づかいが綺麗だったから、つい」
「…やっぱり口説いてるでしょ」
「口説いてないから」
ふと気づいたが、彼女と話しているとお酒が減るペースが早い。それだけ会話が盛り上がっているのか、俺が緊張しているのか。そのどちらかだな。
彼女はどうだろうか。 見た限り、俺と同じぐらいのペースでお酒が減っている。あれだけ口説かれてるかどうかを気にしてるくせに、よくわからない人だ。
まぁ、またジロジロ見ると余計な疑惑をかけられかねない。俺は手元の取り皿に移したサラダを一口で頬張った。
結局、俺たちはそのまま二時間話しっぱなしだった。
彼女の過去、そして俺の過去。お酒も入り、今までで一番会話が盛り上がった。ただ結構飲んでしまったせいか、久々に酒に浸かった感覚だった。
店を出ると、一気にひんやりとした空気が肌にまとわりつく。酒で火照った身体にはそれが途轍もなく心地良かった。
「ちょっと飲み過ぎた…」
「大丈夫? 戻しそう?」
「いや、そこまでじゃないから大丈夫」
「ならいいけど」
「むしろ絢瀬さん酒強くない? 俺と同じぐらい飲んでたよね?」
「そんなことないわよ」と彼女は目線を逸らした。
「もう一軒行こうと思えば行けるでしょ?」
「そ、それは…まあ」
「やっぱり。あんた強いわ。なんならこのまま一緒に朝焼けでも見ない?」
「酔っ払いに言われても嬉しくないわね」
「仕方ないよ。酔ってるんだから」
酒のせいでつい変なことを言ってしまった。これは口説かれたと言われても仕方ない。ただ、全て酒のせいだ。酒のせい。
「今日は帰りましょ」
「今日は、ってことはチャンスあるのかな」
「……最低ね」
「別にただ単に朝焼けを見ようって話なのに。なにを想像してるの?」
「はいはい。早く帰りましょ、寒いから」
♢Winter
年が明けて二〇一九年。後期の試験も終わって、長い長い春休みを迎えていた。
春休みといっても、まだ二月。全然寒いし、なんなら雪が積もってるぐらいだ。
特にすることのない俺は、暖房の効いた自宅で一人音楽鑑賞をしていた。アウトドアではない俺にとって、貴重な趣味の一つだ。何の苦痛でもない。むしろこんな雪の日に外に出る方が不健康なんじゃないか。
彼女との関係も相変わらず続いていた。
関係と言っても、ただの友人だ。秋の日、初めて飲みに行った日以降、彼女の俺に対する態度が一気に慣れた感じになった。それだけ効果があったということか。
今年の後期試験で、必修の単位は全て取得。卒業に必要な総単位数も無事にクリアした。四月から四年になる俺は、いよいよ就活、そして大学に行く機会は一気に減ることになる。
そうなれば、彼女と会う機会も当然無くなる。あの絢瀬絵里との繋がりも今年限りかと頭をよぎった矢先、俺のスマートフォンが鳴った。
「……絢瀬さん? どうかした?」
電話の相手は、その彼女だった。
壁時計を確認すると、時刻は夜の十時を過ぎている。滅多に連絡しない彼女から、そんな時間の連絡。あまり良い予感はしなかった。
「いきなりごめんなさい。いま、家?」
「うん、家だけど」
「一人暮らしよね?」
「そうだよ」
「今から、行ってもいい?」
「は?」と素っ頓狂な声が出た。彼女は続ける。
「本当にごめんなさい。実は…家の鍵を落としちゃって」
「え、どこに?」
「排水溝の中。取り出せないし、今日日曜日でしょ? 鍵の再発行も明日になりそうで」
あぁ、今日日曜だっけ。長期の休みだと曜日感覚が無くなるから困る。
っていうのはさておき。さて、こういう場合はどうすればいいのか。自宅に女の子を招いたことはあるが、彼女でも何でもない子を招いたことはない。なんというかその……いいのか。
「それなら違う子の家に行ったら? 一応俺、男だし」
「メンバーの家に行こうかとも考えたけど、電車も止まってて。近くで頼めそうなのはあなたしかいないの」
「ていうか、今どこにいるの?」
「…私の家の前」
「家の前で鍵を落としたのか…」
自宅前で中々そんなことはないと思うが…。それでも彼女の声は、少しだけ怯えているようにも聞こえた。
あぁもう、仕方がない。
「わかった。俺の家知らないでしょ? 大学前のコンビニに居て。迎えに行くから」
「…ごめんなさい。迷惑かけて」
「いいって」
すでに風呂に入ったせいで、寝間着のスウェット姿だった。が、特に着替える気にもなれず、そのままPコートを羽織って部屋を出た。火傷しそうなほど冷たい風が身体を縛り付ける。
俺の自宅は大学の近くにある学生マンションだった。友人が泊まりに来てもいいように、布団はもう一つ準備している。それを使えばいいか。
約束のコンビニまでは、歩いて数分の距離。雪は少し弱まっているが、それでもまだまだ止みそうにない。これじゃ電車も動かないのも当然か。
慎重に歩いたせいで、普段なら五分ぐらいで着く距離も、今日は十分近くかかってしまった。若干の申し訳なさを抱えてコンビニに着くと、お洒落な紙袋を片手に、約束の相手が立っていた。
「ごめん、待った?」
「全然。むしろ私の方こそごめんなさい」
「いいえ。行こうか」
雪の中とはいえ、普段より慎重に歩いたせいか、少し身体が火照っている。一方の彼女は、しっかりと防寒対策はしているものの、身体の芯から冷えているように見える。俺に対する申し訳なさもあるのだろう。
二人とも傘をさしている。絶妙な距離感だった。
「中で待ってても良かったのに」
「なんか申し訳なくて」
「風邪引いたらどうするの。そんなのいいから。友達だろ? 俺たち」
「……ありがとう」
何というか。本当に真面目なんだな、この人は。
友達の家に泊まること自体、よくあることだ。男女の違いはあれ、別に女友達が男友達の家に泊まることだってそうだ。……ただそういう関係を持ってしまうパターンもあると聞くが。少なくとも、俺はそんなことをする勇気も無いし、気持ちも無い。
滑らないようにゆっくりと歩き、十分。俺の住むマンションの前に着いた。
「ここ」
「そ、そう」
「……緊張してる?」
「…うん」
「いや何もないから。安心して」
そう言って、自宅の鍵を回す。夜も遅いせいか、ガチャリという音がよく響いた。
ドアを開けると、慣れた匂いが一気に押し寄せる。彼女がどんな反応をするのか気になったが、少し恥ずかしくなって顔を見ることは出来なかった。
適当に座っていいと促すと、彼女は遠慮気味に床に座った。部屋の中は暖房をつけっぱなしにしていたおかげで、充分に暖かかった。
「そういや風呂とか……入る?」
「その…着替えもないから、大丈夫」
「そ、そうだよな」
やばい。なんかお互いに意識しちゃってる。別に風呂入るのは普通じゃないか。何も恥ずかしがることはない。ないけど、やっぱり気まずい。
夜の十時半ということもあって、もう寝るぐらいしかすることはない。それもあって、俺は空いているスペースに余っている布団を敷いた。
「絢瀬さんはここで寝て。遠慮しなくていいから」
「あ…うん」
俺もコートを脱いで歯磨きを済ませる。彼女はというと、布団の上に座ったまま横になろうとはしなかった。ただうっすらとメイクをしていたようで、それを落としているようだった。
一方で、ベッドの上で横たわりながら、枕元に置いている電気のリモコンを握る。さっきまでは夜更かし出来ると思っていたのに、彼女を迎えに行くだけで一気に疲れが押し寄せてきた。
「電気、消していい?」
「……ちょっと待って」
「なに?」
「…これ」
彼女がそう言うから、上半身だけ起こす。彼女は顔を上げたまま何かを差し出していた。意味も分からずそれを受け取ると、綺麗に包装された箱。外気に触れていたせいか、まだ少し冷たかった。
「なに、これ?」
「チョコレート」
「チョコ? そんな別にいいのに」
「違う」
彼女は真っ直ぐと俺の顔を見て、言葉を否定した。
「じゃあ、なに?」
「今日バレンタインでしょ。それで」
「あぁ、バレンタイン………え」
スマートフォンを確認すると、確かに日付が二月十四日。世間で言うバレンタインデーだった。
相変わらず彼女は真っ直ぐとした瞳をむけている。それに対して、ベッドの上で胡座をかく俺。何というシュールな光景だろうか。
「これは…本命チョコ?」
「どうしてそう思うの?」
「いや、なんとなく」
「…そう。それはご想像にお任せするわ」
「なんだよそれ」俺が一言文句を言うと、彼女は少し緊張が解けたような笑顔を見せた。そして、彼女は大人しく布団に横になった。起こすだけ起こしておいて、勝手な人だ。
俺はチョコレートをそのままにするわけにもいかず、冷蔵庫に入れるため立ち上がる。
そして電気と暖房を消し、ようやく横になることができた。部屋が暗闇に飲み込まれた中、彼女が話しかけてきた。
「私、あなたに出会えて良かった」
「さっきからなんなのさ」
「そう思ったの。そうじゃなかったら多分、今頃大学辞めてたかもしれないから」
いつの日か飲みに行った時、その時は「そんなことない」と言ってたくせに。やっぱり、あの時はまだ強がってたのだろうか。
そんな彼女がようやく見せた本音。
今ようやく、本当の意味で壁が無くなったような。
「それってさ、俺に対する告白?」
「ち、違うわよ。どうしてそうなるの」
「側から聞くと、相当なモノだよ」
「…そうね」彼女は何故か納得したように呟いた。ただ、それ以上は何も言わなかった。
「……しっかり毛布被りなよ。寒いから」
「うん、ありがとう」
そんな会話の後、彼女はスッと眠りについた。
彼女の方こそ、色々と疲れていたのだろう。それからすぐに優しく柔らかい寝息が聞こえてきた。人の家では眠れない人かとも考えたが、それは杞憂に終わった。鍵を落として自宅に入れない。まして、この大雪だ。テンパるに決まってる。
俺も目を閉じて、考える。彼女と出会った日、それはまぁ、つまらない水曜日の講義だった。
ある意味、俺はすごい運が良いのかもしれない。
あの、絢瀬絵里が俺の家に居るのだ。無防備に眠りについている。そんな状況を、誰が予想したか。できるわけない。
なんて答えのないことを考えていると、結局、俺もそのまま浅い眠りに落ちた。
♣︎
翌日。午前七時前。驚くほどスッキリと目が覚めた。
上半身を起こし、布団を剥ぐと冷たすぎる冷気が暖まった身体を刺激する。
「寒っ……」
思わずもう一度布団を被りそうになるが、なんとか耐えて立ち上がる。昨日の突然の訪問者は、まだ眠っている。起こさないように、台所でお湯を沸かした。
カーテンを開けると、冬の凍えた空気に橙色に焼けた太陽が姿を見せていた。もう雪は止んでいる。それでも、外はまだ銀世界のまま。地面に積もった雪も朝焼けを美しく彩っている。
「……綺麗ね」
「起きてたの?」
「ええ。ちょうど目が覚めたわ」
眠っていたとばかり思っていたが、彼女はスッと起き上がる。
冷たい空気に触れたせいか、両腕を絡ませる。そういえば、暖房を入れ忘れていた。
「起きたなら暖房入れるね」
入れ忘れていた、と言いたくなくて。ついそんな嘘を吐いた。彼女は特にリアクションせず、俺の隣で朝焼けを眺めはじめた。
「これなら、あなたが口説き文句に使っても不思議じゃないわね」
「あれは酒のせいだから」
「そうかしら?」
「そうだよ」
深く思い出したくなかったから、俺は適当に誤魔化した。
それに納得していないのは彼女の方で、「へぇ」とニヤついている。髪を下ろしている彼女を見たのは、初めてだった。
「髪、下ろしてるの初めて見たよ」
「寝る時は下ろすわよ。お風呂入れなかったから、ベタついてるけど」
「それでも、綺麗だと思う」
「……そう」
今のはさすがにクサかったかな。
でも本心であることには変わらないのだから、別に気にすることもないけど。
火にかけたヤカンから甲高い音が響き渡る。
「あぁ、忘れてた」
俺はそう呟いて、彼女の隣から離れた。ガスを止めると、何故か彼女は俺の方を向いていた。綺麗な顔をしている。それこそ、見惚れてしまうほどに。
「紅茶でも飲む?」なんて聞いてみた。でも彼女は、何も言わずにただジッと俺の顔を見つめている。
「…どうかした?」
恥ずかしくなって、続けて問いかけてしまった。
「……優しいよね。あなたって」
「そうかな。初めて言われたよ」
彼女は微笑んでいる。出会った頃の彼女からは想像できないほど、それは柔らかく、輝いて見えた。
後ろでは、綺麗な朝焼けが空を橙色に染めていた。でもそれは、もうすぐ終わる。今日の空は、綺麗な青色に染まるのだろう。それはそれで、好きだ。
でも今だけは……この時間が終わってほしくなかった。
「また、来なよ。綺麗な朝焼けを見に」
カッコつけて、そんなことを君に言ってみた。
それなのに君は「全然カッコよくないわよ」と笑ってる。
自分でも顔が赤くなってるとわかる。そんな俺を見て、君はさらに微笑む。
「…口説いているのかしら?」
そんなことを言って強がってる君も、暖房のせいで雪より白い頬が綺麗に紅潮しているというのに。
「うん、君を口説いてる。心の底から」
顔を隠すように、君は背を向けた。でもそれは一瞬で。ふぅ、と呼吸を整えるとすぐに振り返った。俺は、朝焼けに染まる美しい君に、ただただ見惚れるしかなかった。
「あなたに口説かれるのは、案外悪くないわね」
あぁ、やっぱり。本当に綺麗だ。君の顔も、君の心も。
朝焼けよりも、それはとても澄んでいて。俺なんかがモノにしちゃいけないような。
スウェットなんか着るんじゃなかった。もっとカッコつければ良かった。そんなことを言っても俺は、彼女に釣り合わない。
それはわかってた。それでも。
「こんな俺でも、君を好きになっていいかな?」
《ちゃん丸さんより》
これがギャルゲーならきっと押し倒す展開になってたでしょう。
初めまして。ちゃん丸と申します。この度、ご縁がありましてこの企画に参加させていただきました。前書きにあるようにハーメルン様で小説を投稿させていただいております。
今回、「企画モノ」と割り切って何を書こうかと考えました。μ'sが終わった二〇一六年から現在まで。約二年の月日が流れてるわけですよね。そこで考えました。「今の彼女たちを妄想して書こう」と。そうなると、必然的に大学生の話になってしまったわけです(就職しているイメージが湧かなかったため)。
ヒロインを選ぶテーマとして大前提に「大学生活を拗らせそうなのは誰か?」と考えてみました。希やにこちゃんじゃなく、なんとなくえりちな気がしたんですよね。二人とは違った意味で、学生間で浮きそうといいますか。あくまで個人的見解です。
この話の主人公は読んでくださった皆様です。凡人には手が届かないμ'sというグループも、実際側にいればこんな感じになるんじゃないかなぁ、と。まさにスウェットと朝焼けですね(どういう事)。
まだまだ書きたいことは沢山ありますが、長々と話すのもアレなので、ここで締めます。本文も長かったですしね(笑)。
最後になりますが、企画してくださった薮椿様をはじめ、皆様には感謝感謝です。ありがとうございました。