ラブライブ!~合同企画短編集~【完結】   作:薮椿

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《薮椿より》
 本日は、原作『ラブライブ!』にて『それは、やがて伝説に繋がる物語』を投稿している、豚汁さんの企画小説です!



深き海底に眠る

とあるマンションの一室にて、カーテンの閉め切られた真っ暗な部屋で、黒い装束に身を纏い、軽く結わえた頭のてっぺんに黒い羽を櫛のように刺した少女は高らかに告げる。

 

「さぁ、リトルデーモン達よ! かの星が真に正しき位置に座した時、世界の終焉の時が訪れる。その時、堕天使ヨハネの堕天の力が真に目覚め、皆を導くことでしょう!」

 

少女はふっとロウソクを吹き消し、目の前のパソコンを操作して動画配信サイトの生放送をストップした。

そして、生放送の閲覧数を見て少女は満足気に嘆息する。

ああ……今日もまた私のリトルデーモン達が増えたのだと。

 

そんな少々困った趣味を持つ少女の名は【堕天使ヨハネ】……ではなく、津島(つしま)善子(よしこ)

ただ少し、中二病という不治の病に罹っているだけの、至って普通の少女である。

そんな少女は、趣味である生放送配信のチャンネル登録者数を眺めながらため息交じりに呟く。

 

「それにしても最近、リトルデーモンがあまり増えないわね……」

 

当然、善子にとってはチャンネル登録をしてくれるファン――通称リトルデーモンは、一人でも増えてくれたら嬉しいのだけれども、そこは人の性、どうしても統計数値による結果に気を取られずにはいられないのだった。

 

「さて、どうしたもんだか……ちょっと趣向を変えて、リクエストに積極的に応えてみようかしら……ううん、ダメ! ダメよヨハネ! 堕天使ヨハネは愛想をふりまくような存在ではないわ! だから私は、決して媚びない!」

 

そう力強く宣言した善子の元に、一通のメッセージが届いた。

痛可愛い生放送配信者『ヨハネ』としてそこそこ名が売れている彼女には、リトルデーモン達からのメッセージが届く事は珍しくないのだが、今回の宛先人は少し変わっていた。

 

 

【千の貌を持つリトルデーモン】様よりメッセージが届きました。

 

 

「せんの……え? 何て読むのこの漢字? か……かお? 随分と変わった名前のリトルデーモンね」

 

善子は訝しみつつも、そのメッセージを開いた。

そして、そこに書かれていた文章を一目みて首を傾げる。

 

「なにこれ……イタズラ?」

 

そこには、日本語で書いてあるのにも関わらず、意味不明な言語の羅列が延々と刻まれていた。

活字を読み慣れていない善子はすぐさま読むのをやめようと思った。がしかし、意味が分からないはずなのに、その文字の羅列にいつの間にか夢中になって読み進めている自分に気が付く。

 

「あれ、おかしい……どうして、画面から目が離せないの……? 私、何、してるんだっけ……?」

 

そうしていると彼女は、まるで頭の中で霧がかかったかのように他の事を何も考えられなくなっていった。

しかもその文字列は、読めば読むほどに書き手の狂った精神が読み手の精神を犯すかのように浸食する程、狂気に満ちた内容だった。

 

「あ……あ…………いやぁ……」

 

善子は自分の中の理性と呼べるものが食い荒らされていくのを感じながらも、しかしパソコンの画面から目を逸らす事が出来なかった。

そして、彼女はその意味不明な文字列の一節を、熱に浮かされたような表情で呟く。

 

 

「ふん……ぐるい……むぐるうなふ……くとぅるう……」

 

 

その瞬間、ガクリとまるで糸の切れたマリオネットのように善子はパソコンのデスクに突っ伏し、朦朧とする意識の中で、彼女はたまたま目に入った友達と撮ったプリクラ写真を見つめ、かすれるような弱々しい声で呟く。

 

 

「たす、けて……ルビィ……花……丸……」

 

 

 

そして、善子の意識は完全に闇に溶け――

 

 

 

 

―――そして、消えた。

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

ポタリ。

 

頬を打つ水雫に、意識を覚醒させる二人の制服姿の少女。

 

 

「ひゃっ! 冷たい……雨漏りずら?」

 

「ピギィ! ……つ、つめたい……」

 

 

目を覚まし、顔を上げた二人はお互いに目を合わせる。

そしてさっきとは先程とは違う意味で驚愕の声を上げる。

 

「えっ! な、なんでマルの部屋にルビィちゃんが居る……ずら?」

「は、花丸ちゃん!? なんで花丸ちゃんがルビイの部屋に? ルビィ、昨日花丸ちゃんの家にお泊まりしたっけ……?」

 

そう言い合った所で、二人はゆっくり周囲を見回す。

自分達は何か、前提条件からして大きく間違えている予感がしたからだ。

 

所々に苔がむした黒いレンガに覆われた四方の壁。

学校の教室ぐらいの広さなのに一切窓がなく、光源がないにも関わらず薄暗く照らされた室内。

じめじめと蒸し暑い湿度に、時折水雫が滴る真っ黒い天井。

そして極め付けには、部屋全体に充満している磯の香りと生魚が腐ったような匂いが混ざったような最悪の異臭。

 

二人が目の当たりにしたのは、この場所は自分達がつい先ほどまで眠っていた自室の暖かな布団の中とは、まるで違う場所だと気付くには十分過ぎる光景だった。

 

「ぴ……ピギィィィィィーー!!!」

「ず……ずらぁぁぁぁぁーーー!!??」

 

そのあまりな非現実さに、二人が思わずそう叫んでしまったのも無理もない話だろう。

ピギィと奇声を上げながら涙目になる赤い髪のショートツインテールの少女――黒澤(くろさわ)ルビィ。

彼女は親友である栗色のロングヘアーの少女――国木田(くにきだ)花丸(はなまる)の肩を掴んで勢いよく揺さぶった。

 

「ど、どどどどどどうしよう花丸ちゃん!? ルビィ達……誘拐されちゃったよぉぉぉぉーーー!!」

「お、おおお落ち着くずら、ルビィちゃん。ま、まだマル達が誘拐されたと決まったわけじゃ……」

「こんなの誘拐に決まってるよぉ! じゃなかったらさっきまで自分の部屋で寝てたはずなのに、こんな所に居るはずないよ! どうしよう花丸ちゃん……ルビィ達、これから犯人さんに酷い目に遭わされちゃうんだぁ……! うわぁぁぁーーーん!」

「泣かないでルビィちゃん! きっと今頃みんなマル達を探してるに決まってるずら……」

 

ついには大きな声で軽く発狂したかのように泣き始めてしまったルビィに、花丸は慌ててその背中をさすりながら宥める。

そしてしばらくし、ようやく落ち着いたルビィを見て花丸はほっと胸を撫で下ろす。

 

「やっと落ち着いた? ルビィちゃん」

「う、うん………それにしても、ここはどこ?」

「……分からないずら。酷い匂いだけど、魚と海の匂いがするから海の近くだと思う……うわぁ、それにしても床が湿ってたせいで、制服がびちゃびちゃずら……」

 

そう言いながら花丸は、先程まで倒れていた床の湿り気で濡れた制服を見てため息をつく。

 

「どこかで乾かせたらいいんだけど…………あれ?」

 

しかし、そこで運悪くも彼女は、気付かない方が良かった事実に思い至ってしまう。

 

「…………ず、ずらぁ……」

「ど、どうしたの、花丸ちゃん?」

「う……ううん……なんでもない。き、気にしないで、ルビィちゃん」

 

心配するルビィの声に、花丸は必死で湧き上がる恐怖に耐え、この事実に気付いていない友達に自分と同じ恐怖を与えないために口を閉じた。

気付いた事実は単純に、さっきまで寝ていた筈なのに自分は何故今制服を着ているのかという事。

花丸は眠る時はパジャマを着て眠っていた。つまり何者かが一度、パジャマから制服に着替えさせたことを意味する。

見ず知らずの人間に服を一度脱がされたかもしれない生理的悪寒と、そして、そんな事態に陥っていたのに目を覚ませなかったという不可解な事実。

その両方の恐怖を感じ花丸は、もしかしたら今自分達は誘拐どころではなく、さらに恐ろしく理解が及ばない範疇の事態に陥っているのではないかという考えに思い当たってしまったのだ。

 

「……? 花丸ちゃんが大丈夫なら良いけど……」

「それより……この場所を調べないといけないずら」

 

花丸は改めて落ち着いて周囲を見回した。

先程は壁の色に同化していて見えなかったが、正面の壁に黒く錆びた鉄の扉があるのを発見した。

そして、その扉の横にこれまた背景と同化していて見えなかったのか、苔がびっしりと生えた机のような物体があった。

花丸は見つけた情報をルビィに共有するために口を開く。

 

「向こうに扉と……それと、机? みたいなのがあるずら」

「本当だ、扉がある……ルビィ達出られるの?」

「それは調べてみないと分からないかも……でも、なんだかあの扉……不気味な感じが……」

「い、行ってみよう、花丸ちゃん」

「うん……わかったずら。一緒に行こうルビィちゃん」

 

二人は立ちあがり、恐る恐る歩きながら扉へと向かう。

そしてたどり着き、近くで見る黒く錆びた鉄の扉は、まるで出口というより更なる恐ろしい世界への入り口のような不気味さがより一層感じられ、二人は固唾を呑んだ。

そして二人はせーのでドアノブを掴み、そして思い切ってドアノブを捻る。

しかし、無常にも鉄の扉は鍵がかかっていたようで、全く開く気配が無かった。

 

「……開かないね」

「……そりゃあそうだよね、だってマル達は誘拐されたんだよ、閉じ込められてるのが当たり前ずら」

「でも、鍵があったら開けられそうだよね。鍵……ないのかな?」

「そういえば……そっちに机みたいなものがあるずら。もしかしたら、調べたら何かあるかも……」

 

そう言い、花丸は苔でびっしりと覆われた腐りかけの木製の机を見た。

すると、その机の上には古い羊皮紙のような紙が置かれていた。

それを花丸と同じく見たルビィが口を開く。

 

「……もしかして、犯人さんからの要求の書置き?」

「と、とにかく読んでみるずら……」

 

花丸は恐る恐る羊皮紙に手を伸ばし、その書き置きを読んだ。

そこにはこう書かれていた。

 

 

 

ようこそ、深い深い海底の水槽へ

 

招待された君たちはおめでとう、彼らの仲間入りだ

 

それが嫌なら一時間以内に、この水槽から逃げろ

 

方法はその場所に居る君たちの友が知っている。

 

 

 

「……何、これ? これが要求文……?」

 

 

意味不明な文書に首を傾げていると、その羊皮紙の裏からヒラリと一枚の紙のような物が落ちた。

それを拾い上げたルビィは、その紙が写真だと気づき確認すると、一瞬でその顔を真っ青にさせた。

 

「は……花丸ちゃん! 見てこれ!」

「な、なんずら!?」

 

ルビィの様子に驚いた花丸は、写真を急いで見るとそこには――

 

 

両側に篝火が焚かれた祭壇と、そしてその上で生気を失ったような表情で暗い瞳を見開いた、黒衣の少女の姿があった。

その少女の名前を二人は良く知っていた。

何故なら、その少女は二人の大切な友達である津島善子だったのだから。

 

 

「よ……善子ちゃん!?」

「ど、どうしよう花丸ちゃん! 善子ちゃんもルビィ達と同じように誘拐されちゃったの!?」

「分からないけど……でも、こんな写真があるってことは、少なくとも善子ちゃんに犯人がなにかしたって事は確かずら」

「そんな……善子ちゃん……」

「……とにかく、じっとなんてしてられないよ。犯人が逃げろって言ってるんだから、早くこんな所逃げて善子ちゃんを助けにいこう!」

 

そう言って花丸は、机に鍵がないかどうか必死で探し始めた。

机の上にびっしりと張りついた苔を祓い机の上に無い事を確認すると、木が腐食して開きにくくなった引き出しを懸命に引き開ける。

すると、そこに黒く錆びた小さな鍵が入っていた。

 

「あったずら!」

「す、すごい、花丸ちゃん。これでここから出られるんだね!」

 

花丸は急いで鍵を扉に差し込み回すと、鍵は無事合っていたようで扉の鍵が開かれる音がした。

 

「急ごう、善子ちゃんが待ってるずら!」

「うんっ!」

 

そうして二人は力を合わせ、錆びついた扉を一緒にこじ開けようと、内側に少し扉をあけた。

その瞬間だった。

 

「うっ……なにこれ……」

「これは……ひどいずら……」

 

扉の隙間から、猛烈な魚の腐ったような腐臭が漂う。

この部屋に漂う匂いの発生源は、この部屋からだと二人はすぐに察する事が出来た。

 

「……開けるよ、ルビィちゃん?」

「う、うん……いいよ」

 

そうして二人は、恐る恐る扉を内開きに開けた。

 

そんな二人の目に飛び込んできた光景は、教室ぐらいの広さの床一面に埋め尽くされた、魚の腐りきった死骸だった。

床に散らばり生臭い腐臭を漂わせた魚の骸の山は、その濁った目でギョロリと入って来た自分達を睨みつけられるような錯覚を感じさせる。

 

「ひぅ……!」

「ピギッ……」

 

とても不気味で異様な部屋だったが、あらかじめ身構えていた二人は少し声を漏らすだけで恐怖に打ち勝つことができた。

そして二人は鼻を抑えながら怖々とその部屋に足を踏み入れる。

 

「なにこの部屋、気持ち悪い……」

「……早く抜けようルビィちゃん、あんまり長い時間ここに居たくないずら」

「うん……そうだね」

 

二人は正面にある最初の部屋のような錆びた鉄扉に向かって、魚を踏みつけないように慎重にかつ足早に歩を進めた。

扉にたどり着いた二人はすぐにドアノブに手をかけようとしたが、そこで一瞬花丸は思い留まった。

この先が外に繋がっていたらいいが、もし外ではなくまたこの部屋のように不気味な部屋なら恐ろしい。少し開ける前に注意した方がいいだろう。

そう考えた花丸は扉を開ける前にルビィに断りを入れ、そっと扉に聞き耳を立てた。

 

そうすると、なんと扉の先から

ペタリ、ペタリ、ペタリ、と湿った足音が、こちらに向かって歩いてくる音が聞こえてくるではないか。

 

マズい、見つかったら逃げてしまったのがバレてしまう。花丸は顔から血の気が引くのを感じながら、ルビィに向かって言う。

 

「誰かがこの部屋に入って来るよ」

「えっ……早く隠れなきゃ!」

「で、でも隠れられる場所なんてこの部屋には……そうずら! ルビィちゃん、こっちへ」

 

花丸はルビィの手を引き、一緒に扉の隣にある壁に背を当てて張り付いた。

そして手で自分の口と鼻を塞いで息を殺し、ルビィにも同じようにするように指示した。

 

しかし当然、ただ壁に張り付いているだけなので遮蔽物などは何もなく、もし入って来た者が横を向けばすぐに見つかってしまうだろう。

 

「え……こんなの隠れてないよ、花丸ちゃん……!」

「いいから、静かにするずら……マルを信じて、ルビィちゃん」

「わ、わかった……」

 

そんな選択をした友人にルビィは慌てて反対したが、花丸の真剣な目を見て従う決心を固める。

そうして二人が息を殺した、その後僅か数秒後。

足音の主は扉を開き、二人が居る部屋の中に入って来てしまった。

 

(も、もうダメ……! ……って、あれ?)

 

扉が開いた音がして思わず目を閉じてしまったルビィは、暫くしても何も起きない事に驚き、目を開く。

すると見えたのは、外側から内に向かって開いた扉によって発生した死角に、上手く隠れる事に成功した自分達の姿だった。

狙い通り隠れる事に成功した花丸は、心の底から安堵する。

前の部屋が内開きの扉だったからとはいえ、この扉もそうだという確証はなかった。正直賭けだったものの、花丸は見事賭けに勝ったのだ。

 

(すごい花丸ちゃん……)

(油断しないでルビィちゃん、入って来た人がマル達に気づかないとは限らないずら、いつでも逃げられるようにしておこう)

(わ、わかった……)

 

二人はそうアイコンタクトを交わし、入って来た者の動向を目ではなく耳で探る。

幸いなことに侵入者は扉を開きっぱなしにして真っすぐ歩き始めたので、二人を隠す扉はまだあった。しかしその所為で二人も相手の姿を視認する事ができないのだ。

侵入者は、ペタリ、ペタリ、と足音をさせながら遠ざかってゆく、どうやら二人が最初に居た部屋へ向かっているようだった。

 

(ルビィちゃん、今のうちにこっそり抜け出して先に進もう)

 

花丸はジェスチャーでルビィにそう伝え、ルビィはそれに頷いた。

そして二人は勇気を出し、ソロリソロリと物音を立てないように、扉の影から抜け出した。

その時だった。

扉の影から出るという事は、同然扉で遮られていた視界が開けるという事。

それが致命的だった。

そう、二人は目撃してしまったのだ、侵入者の姿を。

 

“ソイツ”は全体的に灰色がかった緑色で腹部だけが白く、皮膚全体が光ってツルツルしていた。

背骨にはまるで魚の背ビレのような隆起部がありその周りはウロコに覆われ、首の部分には左右にパクパクと開くエラがあり、剥き出しの手と足には水かきと鋭い鈎爪が鈍い輝きを放っていた。

そして、恐る恐る見上げた頭部はまさしく、魚としか形容できないような姿をしていた。

 

侵入者は、大柄な男でも凶悪な面をした悪人でもなかった。

 

人の形をした、魚のバケモノだったのだ。

 

 

「ずらぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!??」

「ピギィィィィィィーーーーー!!??」

 

 

そのあまりにも常識を超えた、名状することも出来ない恐怖を前にして二人は我慢できずに叫んでしまう。

その瞬間、バケモノは顔を二人の方に向け、ギョロリと飛び出た二つの眼球で花丸たちを見据え

 

「■■■■■■! ■■■■■!!」

 

訳の分からない、言葉にならないような声を発しながら、バケモノは部屋の中央から二人に迫る。

ルビィは涙目になりながら必死で扉に駆け込み、花丸は完全にパニックになりながらも部屋を出た後に扉を勢いよく閉め、バケモノから逃げるための判断を的確に行う事ができた。

 

ガンッ! ドンドンドンドンドンッ!!

 

辛くもバケモノから逃げ切り、扉を閉めたその瞬間バケモノが扉を激しく叩く音が轟いた。

そんな事態に花丸はパニックを起こした頭でうわ言のように言葉を繰り返し、ルビィは泣き叫ぶ。

 

「何ずら何ずら何ずら、何が起こってるずら何が起こってるずら何が起こってるずら!?」

「うわぁぁぁぁーーん! お化けだぁーーー!! 食べられちゃうよーーー!!!」

「あっ……鍵っ……鍵鍵鍵鍵鍵ぃ……!!」

 

パニックになりながらも花丸はギリギリで扉に鍵がかけられる事に気付き、サムターン式の鍵をかけ、扉を施錠することが出来た。

その直後狂ったようにドアノブを開けようとする音がするが、錆びても固い鉄の扉はビクともしない。

ようやく落ち着きを取り戻した花丸は、今だ荒い息を落ち着かせながら、パニックを起こしたままのルビィを落ち着かせるように言う。

 

「る、ルビィちゃん……大丈夫だよ、バケモノはもう閉じ込めたずら」

「う……うう……もうやだよ花丸ちゃん……一体なんだったのさっきのお化けは? ああいうの詳しいんでしょ?」

「あんなのオラにだって分からないずら……でも、間違ってもアレは幽霊さんなんかじゃない……本物の化け物ずら」

「ピギッ……! うわぁぁぁーーん! もうやだよ花丸ちゃーん!」

「よしよし……大丈夫だよ、ルビィちゃん」

 

そうやって数分、花丸はルビィを落ち着かせるために声をかけてようやくルビィが泣き止んだ頃、ようやく諦めたのか扉を叩き続ける音は止んだ。

 

「ひっく……ひっく……ごめんね花丸ちゃん、さっきからルビィ迷惑かけっぱなしで……」

「ううん、いいよルビィちゃん。あんなの見ちゃったら、きっとそうならない方が珍しいずら」

「でも……ごめんね、マルちゃん……よく考えたらルビィ、ここに来るまでずっと花丸ちゃんに頼りっぱなしだし……役に立てなくて、ごめんね……」

「もう、ルビィちゃんは気にし過ぎずら。それにしてもこの部屋は……?」

 

そう言って花丸が室内を見回すと、そこは先ほどまでの部屋と雰囲気は同じだったが違う点が一つ。それは、教室ぐらいの広さの部屋に沢山の本棚が所せましと並んでいる所だった。

 

「なんでこんな所に、こんなに沢山本があるずら……?」

「あ……見て花丸ちゃん、扉があるよ」

「本当だ、この部屋も気になるけど……とりあえず先に行くずら」

 

そうしてルビィが指差す先にはまた古びた鉄の扉があった。

学校で図書委員をしている花丸は、まるで図書館のようなこの空間に興味を惹かれない訳ではなかったが、今は急いでルビィと一緒にその扉に向かうのだった。

そして二人は扉の前に立ち、先程の件もあったので扉の先に聞き耳を立てた。

 

すると、扉の先から何やらブツブツと意味の分からない単語を呟く女の声が二人の耳に届く。

 

「女の人の声がするずら! でも……よく聞こえない……何を言ってるずら?」

「うーん……もうちょっとで聞こえそうなんだけど……」

 

そうして、より耳をすましたルビィは気付いた。

 

「花丸ちゃん! この声……善子ちゃんの声だよ!!」

「本当ずら!? ……本当だ、声が反響しててよく聞き取れなかったけど、言われてみると善子ちゃんの声に聞こえるずら!」

「は、早く行こう花丸ちゃん!」

「うん!」

 

そうして二人は扉に手をかけ開けようとした。

しかし、そこで無常にも鉄の扉は鍵がかかっているようで全く開く気配が無かった。

 

「うそ……こんな所でまた鍵ずら!?」

「さっきの鍵は?」

「そうずら! さっきの鍵が合うはず………うそ、合わないずら」

「えぇ……! じゃあ……」

「……探すしかないずら、この部屋の中から」

 

そう言って、花丸とルビィは部屋に立ち並ぶ本棚を見据える。

最初の部屋と同じように、きっとこの部屋の中に鍵があるはず。そう考えた二人は手分けして図書館のような室内の本棚を探し始めた。

 

「うぅ……本がたくさん……本の間に鍵が挟まってるのかな?」

「ルビィちゃん頑張って、一応本も一冊一冊開いて確かめてみて、もしかしたら……本の中身がくりぬかれてて、中に鍵が入っているかもしれないずら!」

「花丸ちゃん、それは本の読み過ぎじゃ……」

「ルビィちゃん……もうこんな状況になったら、例えファンタジー小説のような事だってあり得ない事はないずら!」

「そ、そうだね……うん。ルビィ、頑張って探すね」

 

ルビィは若干変なスイッチが入ってしまった花丸にに困ったような笑みを返しながら、本も開いて一冊一冊探し始めた。

そうして探し始めておよそ30分、花丸は図書委員の経験が生きたのか、ある本棚の一番上の列にある一冊の真っ白な装丁の本を発見した。

 

「あの本……他の本と違うずら……」

 

花丸は背伸びをしながら頑張ってその本を取り、そして本を開くと、その本はたった3ページしか内容がなく後は白紙という不思議な本だった。しかも、その内容が書いてある3ページの内2ページはちぎり取られているという始末。

そこにはこう書いてあった。

 

 

大事なものは見上げてばかりじゃ見つからない。

悲嘆にくれる時にこそ見えるものもある。

ほら、見えるだろう、すぐそこに

 

 

「何これ……意味が分からないずら」

 

1ページ目の中心にたった3行そう書かれており、そして後に続くページは大半が破り取られていて、それぞれ最初の文しか読むことが出来なかった。

 

 

【呪文『門の創造』について】

この呪文は太古の大魔導士が編み出したもので、別の場所に通じる異次元の門を作り出す秘呪である。

詠唱方法は――(この先は破り取られていて読むことができない)

 

【海底都市に眠る邪神について】

太平洋の海底には、沈み見捨てられた暗黒の都市が存在する。

そこで生きたまま死んだように眠る強大な力を持つ邪神が存在する。彼の者が目覚め、暗黒の海底都市が地上に復権を果たせば、邪神は見事地上に復活を果たし、世界を荒廃に導くだろう。その強大なる邪神は今でも地上の数多くの教団に信仰されている。

最もおぞましきその邪神の名は―――(この先は破り取られていて読めない)

 

 

 

「……呪文? それに……邪神? ……い、いやいやそんなまさか、確かにさっきマルはファンタジー小説みたいな事もあるかもって言ったけど……いやまさか、本当にあるずら……!?」

 

それを読んだ花丸は思わずそう呟いてしまった。

それは、昨日までなら冗談だと笑い飛ばしてしまうような事だった。

しかし、見知らぬ部屋に目覚めた自分達、気味の悪い部屋、そして異形の化け物との邂逅。

そんな非現実を体験してしまい、自分の常識という名の正気を失いつつある彼女は、この非現実も現実にあり得るのではないかと感じていた。

 

しかし、邪神の存在の真偽はさておいても、この呪文の存在が本当だとするなら今すぐこの呪文を使えば自分とルビィは脱出できるのに、その肝心の詠唱方法が破り取られていて全く分からない。花丸は悔しくて歯がみした。

いっそ、この破れたページを探す方が鍵を探すより早いかも、と花丸がそう考えた時だった。

 

 

ぬめり、と本を握る手が滑り、花丸は本を取り落してしまった。

 

 

「えっ……? 一体何が………って、え……?」

 

 

本を落としてしまった自分の手を見た花丸は、自分の目を疑った。

 

何故なら、見慣れた自分の手があったはずのその場所は、まるでさっき出会ったバケモノと同じようなウロコでびっしりと覆われ、手の指と指の間には水かきのようなものまで生えていたのだ。

 

「ヒッ……!」

 

異形と化した自分の腕に、視覚が現実を拒否し涙目になり、声にならない悲鳴を上げる花丸。

すると、近くに居たのかルビィが慌てて駆け出し花丸の元にやって来た。

 

「ど、どうしたの花丸ちゃ……え……その手は何!? ど、どうしちゃったの!!??」

 

花丸はルビィの方に目を向ける。

そんな花丸の目に入ったのは、自分のように手は異形と化していないものの、スカートから露出した脚の部分が完全にウロコで覆われ、さらには首の一部がウロコに浸食されつつあるルビィの姿だった。

ルビィがパニックに陥っていないのは自分の身に起こった異変に気付いていないだけで、きっともうじき、ルビィも自分の身に起こっている事態に気づくだろう。

 

自分達が化け物になりつつある。

そんな信じ難い現象に、ふと花丸の脳裏に過ったのは一番最初に目覚めた部屋の机の上にあったあの謎のメモの文章だった。

 

招待された君たちはおめでとう、彼らの仲間入りだ

 

それが嫌なら一時間以内に、この水槽から逃げろ

 

その意味を真の意味で理解してしまった花丸は、まるで自分を今まで繋いでいた最後の理性の糸がプツンと切れてしまった気がした。

 

「もう……わけわかんないずら……」

「花丸ちゃんっ……!?」

 

糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた花丸を慌てて抱きとめるルビィ。

花丸は虚ろに何もかもを諦めたような瞳で、うわ言のようにブツブツと呟く。

 

「もうだめずら、あと30分……いや、目覚めた時からカウントされてたならもっと少ない時間で、この部屋の沢山ある本棚の中から小さな鍵を見つけ出すなんて、到底無理ずら。あははっ……ルビィちゃん、オラたちはさっきみたいなバケモノになるんだよ。人間をバケモノに変える呪文なんてあるんだぁ……おしまいずら……あは、アハハハハハ……」

 

「花丸ちゃん、花丸ちゃん……! しっかりしてぇ!」

 

しかし、ルビィがいくら呼びかけても花丸は正気に戻る事はなく、まるで狂気に支配されたような壊れた笑いを繰り返すだけだった。

 

「どうしよう、花丸ちゃんが……どうしよう……」

 

ルビィはオロオロと周囲を見回す。

しかしそこには沢山の本しかなく、ルビィを助けてくれるものは何もなかった。

さらにその上。

 

「ピギッ……!」

 

 

ルビィはついに、自らの足が完全にウロコに覆われた異形のそれに変質してしまっている事に気付いてしまう。

自分の身体が知らぬうちに変質しているという恐怖、そしてそれがじわじわと自分を浸食している身の毛もよだつような感覚。

それらの感情に襲われ、泣き虫で弱虫のルビィは花丸と同じように恐怖の波に呑まれそうになる。

しかし、そんなルビィの耳に

 

「もういやずら……なんで、なんでオラがこんな目に遭うずら? オラなんにも悪い事してないのに……助けて、助けて助けて助けて、誰か助けてぇ……」

 

涙を流しながら、目の焦点も定まらずに訳も分からず助けを求める花丸の声が届いた。

その声にルビィは気付く。

この訳の分からない空間で目覚めてから、ずっと自分を慰めながら引っ張ってくれて、時には機転を利かせ命の危険を突破し、この何も分からない暗闇のような状況を、探索して切り開いてくれた、心強い親友にはもう頼りきりではいられない。

今度は――

 

 

「うん……助けるよ、マルちゃん。今度は私が、マルちゃんの道を切り開く番」

 

「……え……?」

 

 

助けを求める親友にルビィはそう宣言し、心を振るい立たせ、まとわりついた恐怖心を振り払った。

ルビィは花丸の足元に落ちている真っ白な装丁の本を拾って読み、考えを巡らせる。

 

(ええっと……あと数十分でこの沢山ある本棚全部を調べるのは絶対に無理。じゃあこの本は? この本は他の本とは明らかに違う……じゃあ、きっとこの意味の分からない文章にも意味がある……はず……だよね? ううん、迷っちゃだめ! 今はそう信じて考えなきゃ!)

 

ルビィがそうして本とにらみ合いながら考え事をしていると、不意に気付くことがあった。

 

(そういえばこの本、この本棚の一番上の所に空きがあるってことは、あそこに置かれてたんだよね。かなり見上げないと取れない所にあった本……もしかして、この本に書かれてる文って、直接ルビィ達に向けられたメッセージ? だったら……)

 

ルビィは本を閉じ、そして地面に目を向ける。

 

(見上げていると絶対に見えない所、落ち込んでないと見えない所……足元に何かがあるって事!)

 

そうしてルビィは、丁度その本があった位置の床に小さな四角い切りこみのような線を見つけ、さらによく見るとその端に丁度手のかかる窪みがあるのを発見した。

ルビィは自分の考えが間違っていなかったことを確信する。

 

「――やっぱり! そして、きっとここに……」

 

窪みに手をかけると、ルビィ自身でも驚くほどすんなりと床のタイルの一枚が持ちあがり、その下にまるで床下収納のようなスぺ―スが広がっていた。

そしてその中には、まるでルビィの健闘を称えるように銀色に輝く小さな鍵があった。

 

「あったぁ! あったよ花丸ちゃん!」

「……ほんとに?」

「うんっ! これでルビィ達先に進めるよ。だから――」

 

ルビィは俯き涙を滲ませる花丸に、両腕の前腕をくっつけるように縦に揃えて顔を隠し、そして言う。

 

 

「花丸ちゃん、ルビィと一緒にがんばルビィ!」

 

 

腕を開き、花丸を元気づけるような満面の笑顔を浮かべるルビィに、花丸は涙を拭う。

 

「ふふふっ……やっぱりルビィちゃんの必殺技は効果てきめんだね。オラ、なんで諦めてたのか分からなくなっちゃったずら」

「うんっ、よかった……元気になったね、花丸ちゃん」

 

そして立ち上がった花丸は、完全に狂気から立ち直り光が灯った瞳でルビィに向き直る。

 

「ありがとう、ルビィちゃん。もう私……何があっても諦めないよ」

「うんっ! 一緒に行こう、花丸ちゃん!」

「そうだねルビィちゃん! オラ達二人ならきっと怖いもの無しずら!」

 

花丸とルビィは手を固く握りしめ、扉に向かって歩みを進めた。

そして、扉の前に立った二人は気付く。

扉の傍らの床に、一枚の白い封筒が落ちているのを。

 

「あれ……ルビィちゃん、こんなのさっきまであったかな?」

「いや、無かったと思うよ……?」

「中を見てみるずら……」

 

封筒を破ると、すると中に入っていたのは金色の華麗な装飾が施された十字架と、そして花丸にとって、とても見覚えがある一枚の黒い羽が入っていた。

 

「この羽……善子ちゃんの!」

 

驚くルビィに、花丸は善子がとても気に入りそうな装飾をした十字架を握りしめながら言う。

 

「やっぱり間違いないずら、善子ちゃんはここに捕まってるんだよ」

「でも、なんでこんなものが急に……?」

「分からない……でも、マル達には時間がないずら。例え罠だったとしても先に行かなきゃ」

「うん、そうだね花丸ちゃん……ところで、その十字架は何なの?」

「多分善子ちゃんの持ち物な気がするずら。でも、善子ちゃんこんなの持ってたっけ……?」

 

首を傾げながら金色の十字架を眺める花丸。すると、その金属からほのかな暖かみを感じたような気がして花丸はほんの少しだけ心が落ち着いた。

――もしかして、なにかのお守りなのかも?

そう思った花丸は、その十字架をそっと握りしめて善子の持ち物なら返してあげようと誓ったのだった。

 

「よし……開けるよ、ルビィちゃん」

「うん……準備はオッケーだよ」

 

二人は扉に手をかける。

その扉からは、先程まではかすかに聞こえていた程度の善子の声がより鮮明に聞こえていた。

扉の先で一体何が起こっているのか、恐怖で竦みそうになる足と手を、二人は互いに手を固く握りしめ合って勇気づける。

そして、重い鉄の扉が開いた。

 

すると中は今までの部屋とはまるで違い、とても大きなドーム状の部屋で広さは体育館の倍ぐらいの広さがあり、床は足首まで浸かるほど濁った水で満たされていた。

しかし部屋の中の光源は、中心にある祭壇の両側に煌々と燃える篝火以外に室内を照らすものは無く、今までの部屋より一層薄暗くなっていた。

 

そしてその部屋の壁際には、花丸とルビィが出会った魚の化け物がぐるりと並んで跪き、その全てがまるで神に祈りを捧げるかのように目を閉じて手を組み、意味不明の言語を発していた。

 

「「「■■■■■――! ■■■■!!」」」

「「「■■■■! ■■■■■!!」」」」

 

おおよそ常人の想像を絶する光景だったが、二人がそれでもパニックを起こさなかったのは、それよりも目を奪われる光景があったからだった。

 

それは、部屋の中心の祭壇で巨大な黒い影に向かって立ち、篝火に照らされながら両手を広げる黒衣の少女――津島善子がそこに居た。

彼女は狂ったように叫ぶ。

 

 

「いあ! いあ! くとぅるふ ふたぐん! くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん! 海底都市に眠りし我らが神よ! 今こそ目覚め、穢れた地上に貴方様の威光をお示し下さい! いあ! いあ! くとぅるふ!」

 

「「――善子ちゃんっ!」」

 

 

その姿を見た二人は、バシャバシャと水音をあげながら部屋の壁際に並んでいる魚の化け物達には目もくれず走り出す。

化け物達は祈りを捧げるのに夢中なのか、微動だにする様子がなかった。

 

「しっかりして! 善子ちゃんっ!」

「しっかりするずら! 善子ちゃん!」

 

そしてなにも妨害される事無く辿り着いた二人は、善子の肩を同時に掴んだ。

しかし、善子の反応は鈍く、ゆっくりと二人に振り返る。

 

「ああ……ようやく起きたのね、ルビィ、ずら丸。随分と遅かったわね、もうすぐ儀式が完成するわ……ほら、アンタ達も一緒に祈りなさい! 深海の都市に眠る、偉大なる我らの神クトゥルフ様が復活するのよ!」

 

生気が全く籠らない瞳で熱に浮かされたように花丸とルビィを見る善子に、二人は自分達の親友がおかしくなってしまった事を悟るには十分すぎた。

そして善子の言う、そのクトゥルフという存在の神が決して良い存在ではない事も、この場を支配する邪悪な気配から十分に悟ることが出来た。

 

「神って……善子ちゃん、絶対違うよ! 今善子ちゃんが呼ぼうとしてるのは、そんな良い神様じゃないよ!」

「そうずら! 善子ちゃん一体どうしちゃったの!? 正気に戻るずら!」

 

そう呼びかける二人に、善子は冷めたい笑みで返した。

 

「正気……? 何を言ってるの? 私はとっても正気よ」

 

そして二人に向かって両手を広げ、壁に揃った魚の化け物達と背後の大きな影を見上げて言う。その瞳は、完全に狂気としか言い表しようがない程に淀みきっていた。

 

 

「だって……知ってしまったんだから! この世界の真実は現実(リアル)なんかじゃなかった! この、冒涜的で狂気の世界こそ、私が求めた本当の世界ッ! ほら、アンタ達も気づきなさい! そして、私達の一員になって、偉大なる神の復活にむせび泣きなさい! ……その為に私が、アンタ達を呼んだんだからぁ!」

 

 

その言葉が引き金になったのか、善子の背後で巨大な影が蠢く。

そして、この部屋全体が地響きで鳴動しながら、まるで奈良の大仏をも思わせる程の大きな石像が動く――否、それは石像ではなかった。

灰色の鱗に覆われ、石像に見えただけだったのだ。

“ソレ”は、まるで魚の化け物にそっくりだった。

しかし、違うのはその大きさ。その巨大な化け物は立ち上がると、まるで小さな人間など指先一つで捻り潰せるかのような、そんな絶望的な存在感を放ちながら花丸とルビィを、魚の目で睥睨した。

 

その存在はまるで、儀式の邪魔するなら命の保証はないと二人に語りかけているようだった。

 

思わず、花丸とルビィは数歩後ずさりする。

その圧倒的な存在感に、自分達人間が、まるで目の前の存在にとっては取るに足らない存在で、機嫌一つ損ねるだけで一瞬のうちで殺されてしまうだろうという事を感じてしまう。

今までとは比べ物にならない程の恐怖が、絶望が、二人を狂気の世界へ導こうと襲い来る。

 

そんな圧倒的な超存在を目の前にして、二人は―――

 

 

 

「「――私達の善子ちゃんを返せ! このバケモノ!!」」

 

 

 

なんと二人は、自分達がいつ死ぬかもしれない恐怖に、絶望に、歯を食いしばり互いに握る手に力を込めてそう叫び、襲い来る狂気に奇跡的に打ち勝つことが出来た。

そんな二人に、善子は信じられないモノを見たかのような表情をする。

 

 

「嘘でしょ……このお方を見ても狂わない人間がいるなんて……!」

 

「善子ちゃん……! 絶対に、オラ達がこんな暗い世界から助け出してみせるずら!」

 

「だから……私達と一緒に帰ろう! 善子ちゃんっ!」

 

 

二人はそう言い、善子に向かって駆け出した。

そんな二人に、今度は善子が後ずさりをする。

 

「よ、寄るな……! 私は、善子なんて名前は捨てた! 大いなるクトゥルフ様を信仰する、深き者の一員! ヨス・ザイラが私の新しい名前よ!」

 

「「それは、違うっ!」」

 

二人は強くそう言い切り、善子の両手を掴む。

しかし、そんな行動を善子の背後に居る巨大な魚の化け物は許してくれなかった。

 

「●●●●……!」

 

人間には理解できない言語で叫びながら、化け物は巨大な拳を振り上げる。

そして、人を数人殺すに十分過ぎるソレを無慈悲に振り下ろす。

 

「ひっ……!」

 

それを見た花丸がとった行動は、確信があったわけではない。本当に偶然に、花丸は金の十字架を握ったままだった左手をその拳に向かって翳した。

 

するとその瞬間、花丸の中から何かがごっそりと持っていかれる感覚がしたと同時、十字架が光り輝き、そして黄色い豪風が巻き起こった。

そして、その黄色い風はまるで花丸たちを護る防壁のように化け物の拳を押しとどめたのだ。

そんな信じられない光景に、思わず花丸は混乱した頭で呟く。

 

 

「みっ……未来ずら……?」

「そんな事言ってる場合じゃないよ! 花丸ちゃんっ! 今の内に善子ちゃんを何とか正気に戻さないと!」

「――っ! 離して! 離してって言ってるのよ!」

 

 

ルビィは必死で暴れる善子を捕まえながら、善子を正気に戻す方法を考えていた。

そうしていると、不意にふわりとルビィのポケットの中から黒い羽が空中に舞い踊った。

 

(……そうだっ! 思いついた!)

 

ルビィはとっさに黒い羽を掴み、それを善子の団子型に結った髪に刺した。

そんな突飛な行動に善子は虚をつかれたような表情になる。

 

「へっ……? これは……何……?」

「――思い出してっ! 善子ちゃん……善子ちゃんはヨス・ザイラなんて名前じゃないよ!」

「何? また善子だって言いたいの!? だからその名前は捨てたって――」

 

呆れたように言う善子に、ルビィは顔をズイっと寄せて言う。

 

 

「ヨーハーネっ! 【堕天使ヨハネ】! それが、善子ちゃんの求めた理想の自分でしょ! 思い出してよっ!」

 

「ヨ……ハ……ネ? ぐっ……あ、あたまが……痛い……!」

 

 

ルビィの言葉に、善子は頭を抑えながらうずくまる。

そんな善子に花丸も続ける。

 

 

「そうずら! 善子ちゃんは、こんな怖い化け物と一緒に居て良い存在じゃないよ! だって、堕天使に生臭いお魚は似合わないずら! どんな不幸にも負けないで、不敵に笑って強く生きる……最高にカッコいい堕天使ヨハネ、それが善子ちゃんの本当の名前ずら!」

 

「あああっ……ああああああああーーーー!!!!!」

 

 

善子はそう叫び、そして、力を失ったようにドサリと倒れてしまった。

そして、キョトンとした表情で顔を上げた。

 

「あれ……? ここ……どこ……?」

 

その目には先程までは無かった光が灯り、二人は善子が戻ったと確信した。

思わず二人は善子を抱きしめる。

 

「善子ちゃ~ん! 良かった……良かったずら……!」

「善子ちゃんっ……! 良かった、よかったよぉ……!」

「えっ……ちょ、ずら丸!? ルビィ……って、え? あああアンタ達! 手足が魚みたいになってるわよ!? 一体どうしたっていうのよ!? って……それもそうだけど何よあのでっかいバケモノーーー!!!」

 

目覚めて二人の姿を見た善子は驚いた後、黄色い風の防壁に拳をぶつけ続ける巨大な魚の化け物を見てさらに驚愕した。

混乱する善子に花丸は詰め寄る。

 

「善子ちゃん、色々説明したいけど本当にもう時間がないずら! とにかく……ここから逃げる方法って知らない!? マル達が最初に目覚めた部屋にあった紙で、善子ちゃんが知ってるって書いてあったんだけど!」

 

「――へ!? そんなの知ってる訳……え……あれ……? な、なによこの言葉……」

 

当然の如く知らないといい返そうとした善子だが、そんな善子の脳に意味不明な言葉の羅列が過る。

しかし、意味不明でありながら、その言葉の羅列が意味する言葉を理解出来た善子は、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

「フッ……ふふふふふふふふふっ! ついに……ついに“力”に目覚めたわ! やっぱり、私は選ばれた特別な存在だったのよ!」

「ほんとずら!?」

「それ、本当!? 善子ちゃん!」

「ええ見てなさい、ずら丸! ルビィ! 堕天使ヨハネの真の力……魅せてあげるわ!」

 

そう言った瞬間、ついに三人を護っていた黄色い風が途切れ、化け物が巨大な拳を振り上げた。

しかし、善子は全く動じることなく、その口から冒涜的な言語の羅列を放つ。

 

 

「おんぐ だぐだ りんか、ねぶろっと ついん、ねぶろっと ついん、おんぐ だぐだ りんか! 一にして全、全にして一の存在よ、我らを異なる場所に導きたまえ! いあ! いあ! よぐ=そとーす! おんぐ だぐだ りんか!」

 

 

そして、拳が打ち付けられる紙一重の差で、善子と花丸とルビィは立っている床に突如現れた次元の歪みのような大穴に吸い込まれ、そして落ちていった。

 

 

「ずらぁぁぁーーー!!!???」

「ピギィィィィィーーー!!!」

「やったっ、本当に……本当に私、力に目覚めたわーーー!!!」

 

 

そうして三人は、落下する浮遊感の中徐々に意識を失っていくのだった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

意識を取り戻した三人は、ベットの上で目を覚ました。

 

「ううっ……ここは……どこずら……」

「うーん……頭ぐらぐらして、気持ち悪い……」

「うぷっ……ふふふっ、力に目覚めたは良いけど、この感覚には慣れないといけないわね……ほら、ずら丸、ルビィ、無事帰って来たわよ」

 

二人が善子に促されて見ると、そこは善子の部屋だった。

自分達が良く知る場所に戻って来たと分かった二人は、思わず二人で抱き合った。

 

「よかったぁ……! マル達助かったずらぁ……!」

「うえぇぇぇん……! 怖かったよぉ……怖かったよぉ……」

 

そんな二人の手足は、気づけば生えていたはずの鱗は綺麗さっぱりなくなっていて、まるでさっきまでの出来事は夢だったかのように思えるほどだった。

そんな二人を見て、善子はバツの悪そうな表情になりながら言う。

 

「その……さっきは全く覚えてないって言ったけど、こうして段々冷静になると、何となくだけど……さっきの空間に私がアンタ達を呼んだって事だけは覚えてるわ。だから、その……ごめんね、ルビィ、花丸。そして……私を助けてくれてありがとう」

 

そう言って謝りながらお礼を言う善子に、二人は泣き止んで笑って答えた。

 

「ううん! 善子ちゃんが助けられてよかったずら!」

「善子ちゃんこそ、帰って来れてよかったね!」

「アンタ達…………どんだけ優しいのよぉ……! うえぇぇぇん……」

 

そうして、今度は感極まった善子に抱き付かれ二人は善子を優しく抱き締めるのだった。

 

こうして花丸とルビィと善子は、冒涜なる世界の一端に触れたものの、無事元の日常を取り戻し、平和な学校生活を送るのでした。

 

めでたし、めでたし。

 

 

 

 

――ちなみにその後、世界のどこにでも繋がる門を開く呪文という“力”に目覚めた善子はより一層、中二病という不治の病を加速させてしまうのだが……それはまた別の話。

 

 

 

【終】

 

 

 

 




《豚汁さんより》
今回最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
そして、今回企画に参加させて頂いた薮椿さんに深い感謝を。

企画小説の中でホラーを書きたいという想いにかられ、そして私が大好きなクトゥルフ神話の宇宙的恐怖――コズミックホラーを表現したいという一心で書き上げました。
少しでもこの話を読んで、花丸ちゃんとルビィが感じていたドキドキハラハラ感を感じてくれたら嬉しいです。

また、今回の話の真相的な話をすると、動画配信者として有名になってしまったヨハネちゃんがクトゥルフという邪神を信仰する深き者達に攫われて洗脳されてしまい、そしてそれを善子ちゃんが仲間に加えるために呼んだ、花丸ちゃんとルビィによって助け出された……っていう真相です。
ちなみに途中で花丸やルビィの前に色々ヒントのような紙を置いたり、冒頭で善子ちゃんに怪しい文章を見せて呪文を覚えさせたのは、クトゥルフをよくご存じの方なら多くの人が知ってる、いつものあの愉快犯の邪神です。

それでは、この後の企画も続きますので、他の方の小説もよろしくお願いします。
ではでは。

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