ラブライブ!~合同企画短編集~【完結】   作:薮椿

4 / 32
《薮椿より》
 本日は、原作『ラブライブ!』にて『ラブライブ! ―夢を追って―』を投稿している、北屋さんの企画小説です!


ひかりのまち

薄暗く、ヤニの匂い部屋。

それが今の俺の居場所。

 

「あー……」

 

闇の中で一際輝くモニターから目を離し、両目をこする。くそ、これで何徹目だ?

締め切りが近づいているというのにモニターに表示される譜面はほとんどまっさらも良いところ。作っては気に入らずに消して、消してはまた作る、そんな作業の繰り返しの果てに出来上がったのがこの白紙。

昔の俺ならこんな状況に皮肉の一つでも言って自らをあざ笑ってたんだろうが、今はそんな気すら起きやしない。

すり減って余裕がなくなったのか、はたまた成長したのか何なのかは知らないけれど、とにかく俺も歳をとったのは確かだ。

 

「ちっ……」

 

舌打ちを一つ、手元に置かれたグラスをあおる。

溶けた氷で薄められ、生温くなったウイスキーで喉を潤し、続いてタバコに火を点ける。

まったく、酒やタバコは偉大だ。一時とはいえ嫌な事を忘れさせてくれる。

 

「色々、あったよな……」

 

ふと、首だけを動かしてみれば、棚に飾られた写真が視界に入って来た。

満面の笑みを浮かべる9人の少女たちと、彼女達と一歩離れた場所で照れくさそうにそっぽを向いた少年。

ラブライブ優勝の記念にとった写真だった。

 

5年か……

 

こんな時に限って思い出すのはあの時の事ばかり。それ程までにあの出来事は、あの出会いは忘れられないことなのかもしれない。

かつて出会った9人の少女達。今にして思えばあの出会いは紛れもない奇跡だった。

あの子達がスクールアイドルなんて夢を持った時、たまたま、彼女の近くに俺がいた。

たまたま俺は音楽が出来て、たまたま俺はその時夢を諦めかけていて。

そんな偶然の積み重ねが、俺達を引き合わせた……なんてどんな三文小説の出だしだよ。

あの頃は若かった。最近常々そう思う。

巻き込まれては学ばされ、無茶をやらされては笑い合った日々。彼女たちを導こうと躍起になって、逆に彼女たちに導かれたりしてる内に、燃え尽きた心にまた小さな火を灯す事が出来た。

灰色に錆び付いた夢は、また別の色で輝き始めた。

奴らには感謝してもしきれない。四年前は俺もガキでお礼の一つもまともに言えやしなかったが……

 

「邪魔するわよー……ってタバコ臭っ!」

 

不意にドアを開く音、それから俺の名を呼ぶ聞き慣れた声。

まったく、俺が考え事してるとすぐにこれだ。感傷に浸ってる暇もありゃしない。

 

「いつも言ってるでしょ?エアコンついてても換気くらいちゃんとしなさいって!」

 

「へいへい。分かったよ」

 

吸いかけのタバコの火を消して、伸びを一つ。

座りっぱなしで凝り固まっていた体がバキバキと音を立てる。

 

「それに何、この大量のカップ麺のゴミ!?ご飯は体の基本よ?ちゃんとしたもの食べてるの?」

 

「お前は俺のおかんかよ……」

 

呆れ笑いを浮かべて振り返れば、可愛い顔に怒った表情を浮かべた女の子が一人。

矢澤にこ。

さっきまで考えていた小娘のうちの一人……いや、今はもう小娘じゃない。

 

「ったく、お前も暇だな。休みのたびに俺なんかのとこに来て」

 

「は?わざわざこの私が生存確認しに来てあげてるんだから感謝しなさいよ」

 

生存確認ときたか。

わざとらしく肩をすくめて見せて、大人しく窓を開ける。

締め切った部屋のよどんだ空気が吹き込む風に溶けていき心地が良い。沈みつつある日が目にまぶしい。

部屋の窓から見る夕日に照らされる街は、思わず息を飲むくらいに綺麗に見えた。

 

「まったく。相も変わらずしょうがない人ね。ご飯まだでしょ?台所借りるわよ?」

 

「お前、勝手に」

 

俺が止める間もなく彼女は台所に立つと、買い物袋から、どうやらさっき買ってきたばかりらしい食材を取り出して調理台の上に並べていく。

 

「このスーパーアイドルにこにーが腕によりをかけてあげる。光栄に思いなさい!」

 

「いや、あのな……」

 

スーパーアイドル

彼女が昔から事あるごとに言ってきた将来の夢。それは今やただの夢ではなく、現実味を帯びたものとなっていた。

高校を卒業してからも日夜自分を磨き続けた彼女は、今やテレビにライブに、引っ張りだこの売れっ子アイドルだ。

まだ彼女のいうようなスーパーアイドルとはいかないものの、その夢ももう手を伸ばせば届く所まで来ている。

 

矢澤にこ

 

5年前に出会った少女。

彼女とは今もまだこうして縁が続いていた。

だが……

 

「……スーパーアイドル様が休日返上で得体の知れない男の家になんか来て良いのかよ?」

 

アイドルに恋愛沙汰は御法度。このご時世、下手な事をすればすぐに週刊誌にすっぱ抜かれてあることないこと書き立てられるのは目に見えている。

普通に心配なんだが。

 

「大丈夫よ。あんたの事はさすがのゴシップ屋もノーマークだから。張り込みなら今私と噂になってる若手俳優さんのとこじゃない?」

 

ノーマークか。

そりゃそうだ。いくら何でも接点も何もない奴のことなんか張り込んでまで調べる物好きはいないだろう。

それはそうなんだが……ん?

 

「噂になってる、若手俳優?」

 

「そ。……え?ニュースとか見てないわけ?」

 

ふと気になって尋ねてみると、にこは野菜を刻む手を止めて俺を振り返る。

 

「いや、最近俗世に疎くてな」

 

頭を掻きながら、スマートフォンで検索をかけてみると、なるほどすぐに彼女の言っていた意味が分かった。

画面に出てくる熱愛報道やら彼氏の疑惑など、五月蠅いくらいの恋愛沙汰の記事の数々。

 

「あぁ、なるほど」

 

これならマークはそっちのお相手の方ばかりにいく事だろう。さすがに文屋共も四六時中にこの事をつけてはいないだろうし、よしんば彼女が外出したのを知ってもお相手のところに張り込みが行く訳か。

しかし……

 

「あんた、少しは世間にも興味持ちなさいよ……って、どうしたの?」

 

俺が顔をじっと見つめているのに気がついて、にこが問いかけてくる。

 

「いや、なんでもない」

 

適当にはぐらかす。

彼女も五年のうちに随分成長した。

元から整っていた顔立ちはさらに磨きがかかっている。

身に纏う雰囲気も落ち着きを見せ始め、今の彼女はかつての俺が知っていた可愛らしい少女ではなく、美しい女性へと変わりつつあった。

ならば、浮いた話の一つや二つ出てくるのは当然のことだろう。むしろ今の今までそんな話がなかった事のが不思議なくらいだ。

アイドル的にはどうかとも思うが、これはこれで喜ぶべきことなのかも知れない。

……でも何でだ?胸の奥がこう、もやもやというかちくちくするのは?

 

「しっかし、矢澤ちゃんに浮いた話とはな。だが、余計に良いのかよ?彼氏ほっといてこんなおっさんの所に来てて?」

 

「……は?」

 

きょとんとした顔で、今度はにこが俺を見つめる番だった。

あれ?俺変なこと言ったか?

数秒間、謎の沈黙があったかと思うと、彼女は包丁を片手に持ったままずかずかと俺の前に歩いてきて、

 

「あだッ!?」

 

グーで鼻っ柱ぶん殴られた。

 

「ちょっと!今の話のどこを聞いたらそんな話になるのよ!?彼氏!?違うに決まってんでしょ!」

 

あれ?そういう話じゃなかったっけ?

思わぬダメージで涙目になりながら首をかしげる。くそっ、こいつ本気で殴りやがった

 

「あのね!あの人は前にバラエティ番組で共演しただけ!そこから何故か話が飛躍してこんな事になってるだけよ。アイドルに恋愛沙汰は御法度って昔から言ってるでしょ?」

 

「お、おう。分かった、分かったから!俺が悪かった!」

 

あまりの剣幕にうなずく。

 

「そ。分かればよろしい」

 

「あぁ、だから……その、なんだ、包丁降ろせ」

 

「あ、ごめん、うっかりしてた」

 

はっとしたように彼女は俺の目の前に突きつけていた包丁を降ろした。

全く、何がうっかりだ。そのうちこの子にうっかりで刺されやしないかとヒヤヒヤするぜ。

 

「ともかく、今回の噂には音も葉もないんだからね!」

 

言い捨てて彼女は調理に戻る。

そんな執拗に言われなくても分かってるんだが。それとも俺はそんなに信用ならないか?

それはそれでちと寂しいな。

 

 

 

 

 

「さ、出来たわよ」

 

丁度俺が部屋の中を片付け終わる頃、美味しそうな匂いを連れてにこが台所からやってきた。

ほうれん草のお浸しに、きんぴら牛蒡。サンマの蒲焼き、炊きたてご飯。おまけにわかめと豆腐の味噌汁まで。

まさにお袋の味って感じの献立だ。

 

「いただきます」

 

味噌汁を一口。

暖かで滋味に満ちた味わいが五臓六腑に染み渡る。あぁ、俺、日本人で良かった……

 

「美味い……生きてて良かった」

 

「そんな大袈裟な」

 

呆れたように言ってくるが、褒められて嬉しそうなのが顔に出てる。

そんな顔を見ていると、つい、からかって困らせてみたくなる。

 

「矢澤ちゃんは、良い嫁さんになるな」

 

味噌汁をもう一口すすってぼそりと呟く。

さて、どんな反応が返ってくるか、

 

「あら。じゃああんたが貰ってくれる?」

 

「ぶっ!」

 

味噌汁吹いた。

 

「汚いわね」

 

「す、すまん……」

 

初々しい反応を期待してたんだが、真顔でしれっと返されるとは思わなかった。

昔は……こいつがスクールアイドルやってた頃は、こんな事いうと真っ赤になって可愛い反応してくれたものだが、もうこいつもガキじゃないんだな。

 

「からかうつもりが、とんだカウンターを食らっちまった……」

 

「私をからかおうなんて十年早い―ううん、五年遅いのよ。一昨日きなさい」

 

ふふん、と。満足そうに笑って、にこは俺の前の席に座る。

ちゃぶ台を挟んで二人、それぞれの料理に手をつける。

 

「ん」

 

「はいよ、っと」

 

にこが言わんとしていることを察して、お茶を淹れる。

彼女の分と自分の分。

 

「ん」

 

「自分で動きなさいよ」

 

そう言いながらも、俺が差し出した茶碗を受け取った彼女はお代わりをよそい始める。

何故か互いの言わんとしてる事が手に取るように分かる。

いつの頃からだろう。こんなのが当たり前になったのは。

彼女と過ごす時間は、居心地が良くて心地良かった。

料理を平らげて、お茶を一口。暖かい緑茶が体に染みる。

湯呑を手に、そっと、彼女を見つめる。

同じようにお茶をすする彼女の姿に、何故か心が安らいでいった。

平和だ。

そう思う。

これからもずっと、こんな時間が続けばいいのにと、柄にもなくそんな風に思ってしまった。

狭いアパート、二人でちゃぶ台を挟んでご飯を食べて、あったかいお茶を飲む。

それが案外、幸せってやつなのかもしれない。

 

「……何よ?」

 

「いや、こうして見ると、」

 

視線に気づいた彼女が首をかしげながらこっちを見てくる。

思わず、本音を漏らしそうになって口をつぐむ。

 

―こうして見ると、俺達夫婦みたいだよな

 

「何よ?あぁ、私が可愛いって?そんなの当然でしょ」

 

「ふっ。ちんちくりんが何言ってやがんだ」

 

「だ、誰がちんちくりんよ!」

 

照れ隠しも兼ねて鼻で笑ってやったら、ちゃぶ台越しに掴みかかってきやがった!

 

「あ、危ねぇ!食器あんだから暴れんな!俺が悪かった!」

 

「ふん」

 

両手を合わせて拝むように謝ると、不満そうではあったが納得してくれたのか手を離してくれた。

危ねぇ危ねぇ。こういう所は昔から変わってねぇのな。

変わっててほしかった反面、こんな所も懐かしくて…………愛おしい。

 

「それで、何を言おうとしてたのよ」

 

「何でもない」

 

ったく。

口が裂けたって言えるもんかよ。

 

俺達はもちろん夫婦なんかじゃない。

家族でもなければ、ましてや恋人でもない。

だからって、この関係が何なのかと問われれば、返答に困るところではあるのだけど。

友人、というのとはちょっと違う気がする。

これまでもそうだったように、きっとこれからもこの関係はこのまま続いていくんだろう。

……正直な話をすると、だ。

俺がこいつの事を―矢澤にこって女の子の事を憎からず想ってるのは確かだ。もっとちゃんと言えば、惚れている、んだろうな。

にこも俺の事を、少なくとも嫌ってはいないとは思う。……両思いなんて、自惚れるつもりはねぇよ?

でも、俺はこの関係をこれ以上進める事は出来ない。

今の関係を壊す事が怖い。

それに、きっと、今に満足してるような俺じゃ彼女には釣り合わない。

狭いアパート、ちゃぶ台。食うや食わずのその日ぐらし。それを幸せなんて感じる小市民と、輝く道を進む彼女じゃ身分が違い過ぎる。

でも、だけど、それでも……

 

「そういえば」

 

「ん?」

 

お茶を飲み終わった彼女がふと思い出したように切り出した。

 

「さっき、ちらっと見えたんだけど。私の事務所の募集要項」

 

「……」

 

隠してたつもりはないけれど、

 

「あぁ」

 

小さく、そう答えると。

にこは大きく溜息をついて、

 

「はぁ。なんで黙ってるのよ。これ、私の新曲の募集でしょ?」

 

「そりゃ……受かってから言いたかったからな」

 

俺が何日も徹夜してる理由。

その募集を見つけたのは単なる偶然だった。

アイドル、矢澤にこの曲の募集。

こういう大手事務所の募集は大体、有名どころの作曲家の物が採用されるって相場が決まってる。だから普通なら、俺はあんまし積極的に応募しないし、ダメ元でしか送ってない。

それなのに今回、なんでこんな本気になってるかっていうと、だ。

 

「いい加減、先に進みたくなってな」

 

一つところにとどまり続けるのは確かに気楽で良い。

現状に満足してそこで動くのをやめるのも、一つの生き方なんだろう。

だが、それは俺の生き方じゃない。

もっと先に。もっと上に。求める物があるのならば。

そしたらきっと、この関係も進められる。釣り合いだって、きっと、

 

「良いじゃない!」

 

びっくりするような声で、にこは言う。

その顔にはお日様のような笑みが浮かんでいた。

 

「あんたが曲をつくって、私が歌って躍る。凄い面白そう!」

 

「そ、そうか?」

 

「えぇ!……ホントの事を言うとね。いつかこんな日がくるんじゃないかって、前から思ってたの」

 

「前、から?」

 

思い出すのは彼女達がμ’sをやっていた時の事。

作曲も作詞も、振り付けまでもみんなで楽しくやっていたあの頃。

 

「そ。今じゃみんな、別々の道に進んだけれど、あんただけは今でもこうして同じような業界にいるんだもん。折角なら一緒に仕事したいって思うでしょ?あの頃みたいに」

 

「あの頃みたいに、か」

 

うーん。

ちっとプレッシャー感じるな。

そりゃ俺もプロの端くれ、流石に技術面じゃあの頃の作曲担当者に負けてはいない……はずだが、才能面じゃ明らかに見劣りする気がしてならない。

 

「あの子に負けるような曲作ったら承知しないわよ?」

 

「うッ……」

 

俺の内面を見透かしたようにそんな言葉を投げかけてくる。

いかん、胃がきりきりとしてきやがった。

 

「あたり前だっての。俺を誰だと思ってんだ」

 

内面とは裏腹に、そんな強い言葉が飛び出した。

意地、プライド、虚勢、見栄。

なんでもいいけれど、口にしたらちょっとだけ元気が出てくるような気がした。

才能が足りないのなら、凡俗がすべきは努力だ。

一の才を下すためには千の努力を。

あれから5年。そのための努力ならば怠った事はない。

 

「その調子。ちゃんと御飯食べて、あんまり頑張りすぎないように頑張りなさい。あと、それから、」

 

言うなり彼女は俺の隣までやってきて、顔を近づけてきた。

 

「な、何だ?」

 

伸ばした両手で、にこが俺の両頬をぐいっと斜め上に引っ張る。

 

「笑顔。笑っていなきゃ、幸せは逃げてくのよ?」

 

「んな、おまじないみたいな事……」

 

彼女の手をそっと引き離して、しかしそれでも俺の顔はにやけてた。

うん。

きっと、上手くいく。

根拠はないけれど、そう思えた。

いや、根拠ならあったな。

強い思いは奇跡さえ起こせるって、あの時俺は確かに学んだんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそッ……!」

 

酒を煽る。

どれだけ頭をひねっても、考えがまとまらない。

強い思いが奇跡を起こす。それは事実だろう。

だが、今のままでは奇跡なんて起こりそうにもない。

なら、何が足りないのか。

努力が足りないのか?これほどまで手を伸ばし続けて背伸びを続けてきて、それでもまだ一の才能に届きはしないのか?

思いが足りないのか?これほどまでに、強く思い続け、狂おしいほどに想い続けてきて、それでも足りないのか?

考えれば考えるほど、心は平穏をなくしていく。

 

「くそッ!」

 

テーブルを力任せに叩き、タバコを灰皿に押し付けて消す。

ダメだった。

あれからずっと、ずっと頑張り続けて、そして締切がやってきた。

だが、どうにか出来上がったものは完璧とは言い難いものだった。

敗北なら知っている。屈辱なら嫌ってほど味わってきた。

それなのに。

渾身の、ありったけの力をいれて取り組んだのに、まだ届かない。

輝く道を進む権利は、俺には……

 

「邪魔するわよ?」

 

ドアが開く音。

聞きなれた声。今、一番聞きたくない声だった。

今、一番会いたくない相手がやってきた。

何故鍵をかけておかなかったのか。そんな後悔が心を苛む。

 

「タバコ臭っ!また、換気もしないで……」

 

つかつかと、近づいてくる足音が聞こえる。

頼むから来ないでくれ。今の俺を見ないでくれ。

心の底からそう思ったが、凡才の願いは天に聞きいれられるはずもなく、彼女は俺の部屋に顔を出す。

 

「……よぉ」

 

「ちょっと、大丈夫?ひどい顔してるわよ?」

 

「大丈夫だ」

 

心配そうに問いかけてくるにこに、短くそれだけ答えてみせる。

自分でも、とても大丈夫とは思えない声音だった。

 

「……応募、間に合わなかったの?」

 

「いや。提出は出来た」

 

提出は、出来た。

だが、苦し紛れに作っただけの曲だった。

ベストとも言えない、言い訳のしようのない作品。彼女のための作品だっていうのに、そんなものしか作れなかった自分が嫌でたまらない。

これなら出さない方が幾分マシだとさえ思えた。

 

「そ。……なら、そんな顔しないの。後は結果を待つだけでしょ?」

 

何かを察したように彼女はそう告げる。

 

「さ、過ぎた事でうじうじしないの。それよりご飯まだでしょ?何か食べたいもの、」

 

「いらん。今日は帰ってくれ」

 

彼女が言い切る前に、絞り出すように言う。

口の中がカラカラに乾いていた。やり場のない、知らない感情が心を満たしていく。

このままでは何をしでかすか分からなくて、それが怖くてたまらない。

これ以上、何かを口にしたら……何かを耳にしたら弾けて、全部終わる。そんな予感がした。

 

「何言ってんのよ……」

 

俺の葛藤に、矢澤にこは気がつかない。

当たり前だ。

人の心の中なんて、誰にも分からない。自分でも完璧に分かるもんなんかじゃないのに、ましてや赤の他人の心の中なんて、分かるはずがない。

 

「何があったか知らないけど。ひょっとして思った通りのものが出来なかったとか?」

 

「……あぁ」

 

頷くことしか出来ない。

もっと近寄って、覗き込んでくる彼女と目があった。

やめろ。俺をそんな目で見るな。

 

「……努力は、したさ」

 

弱音が口から溢れる。

何年も何年も、ずっとこらえ続けてきた本当の気持ち。見ないふりして、気がつかないふりして、なかった事にしてきた弱い心。

 

「何年も、何年も!才能がないことなんて、俺が一番知ってたさ!それでもどうに頑張って、我慢して、やっとここまで来たってのに……結局、どうにもなりゃしねぇ!くそッ!なんで……」

 

ぴしゃり、と。

乾いた音がした。

遅れてやってきた頬に感じる熱さに、頬を打たれたのだと気がついた。

にこが目を釣り上げて、俺を睨みつけていた。

今にも泣きそうな顔だった。

何でお前がそんな顔をしてるんだ?泣きたいのは俺なのに、

 

「馬鹿、言ってんじゃないわよ……!」

 

語気を荒げて、彼女は言う

 

「努力なんてのはね!いくらしたって足りないの!そんなの、あんたが一番知ってる事でしょ!?そんなもん誇って、いちいち嘆かないでよ!」

 

心が、痛む。

彼女が言っているのは正論だった。

 

「私を、見なさいよ。私がスクールアイドル始めた時……穂乃果達と会う前がどんなだったか、知ってるでしょ?」

 

あぁ。確かに覚えている。

忘れられるはずがない。

頑張って、空回って、ついには心が錆び付いて。

それでも夢だけは諦めなかった。

そんな強く、気高い姿に、俺は惹かれたのだから。

 

「だから、大丈夫。これが最後ってわけじゃないんだから」

 

彼女が薄く、微笑んだ。

彼女の行っている事はどこまでも正しい。

それは分かる。

だが、正しいだけじゃ人は救えない。

真っ直ぐに伸びる大樹に、地面を這う苔の気持ちは分からない。

心の中に生じたものに形が定まっていく。

 

ダメだ!

 

残された理性が叫ぶ。

だが、間に合わない。弱音を吐き出しきった心の中に残ったのは、赤黒い衝動だった。

 

「まだ結果だって分からないんだし。プラス思考でいきまし、」

 

「うるせぇ!」

 

勢いよく立ち上がり、矢澤にこの胸ぐらを掴んで引き倒した。

彼女を押し倒し、馬乗りになる。

何が起こったのか分からずに目を丸くした彼女。

赤く、明るい色をした瞳。

白く透き通るような肌に、触れれば折れてしまいそうな華奢な身体。

その全てを汚し尽くしてしまいたかった。

 

「お前には、分からねぇよ!」

 

心に残ったものは嫉妬だった。

才能があるものに対しての、醜い嫉妬。

強い思いは奇跡を起こす。だが、そのためには僅かでも、ほんの僅かでも才能がなければならない。

先立つものを何も持たない俺に、奇跡なんて起こるはずもなかった。

心に残ったものは憎悪だった。

何故、俺はこうなのか。何故、俺じゃなくてこいつなのか。

理不尽で、どうしようもなく悍ましい怒り。

残ったものは、情欲だった。

目の前の女が欲しくてたまらなかった。

 

「なにするの!やめ……」

 

彼女の手を押さえつける。

思った以上に弱々しく、抵抗はほとんど感じられなかった。

好都合だ。煩わしく抵抗するようなら、殴りつけてでも大人しくさせるつもりだったから、余計な手間が減った。

片手を、彼女のブラウスの胸元に伸ばす。

その時、見てしまった。

彼女の頬を伝う、一筋の涙を。

 

「え……?」

 

途端に、頭に上っていた血が冷えていくのが分かった。

 

俺は、今、何をしていた?

 

我に返って状況を確認すると、怖気が背中を走った。

頭ががんがんして、視界が揺れる。猛烈な吐き気がする。

こんな事をしたかったわけじゃない。こんな形で彼女と、

 

「どうして……」

 

涙をいっぱいに溜めた目で、にこが俺を見つめていた。

困惑と絶望の入り混じった目だった。

俺が見たかったのはこんな顔じゃない。

彼女に一番似合うのは、お日様のような笑顔なのに。

俺が好きになったのは、彼女のはつらつとした笑顔だったはずなのに。

その笑顔を見るためなら、何だってしてやるつもりだったのに。

彼女から笑顔を奪ったのは、誰だ?

 

「ち、」

 

違う。

そう言いたかった。

だが、何が違うというのか。何も違いやしないじゃないか。

 

「……帰れ」

 

唸るように、そう言うのが精一杯だった。

 

「え、」

 

「いいから帰れって言ってんだよ!」

 

近くにあったゴミ箱を思い切り蹴飛ばす。その音に驚いたのかにこはびくりと体を震わせる。

俺の方を伺いながら、部屋からゆっくりと出て行く彼女。その背中が見えなくなって、ドアの閉まる音が聞こえた時、体中から力が抜けた。

その場に崩れ落ちて、荒い呼吸を繰り返す。

咳き込んで、胃液を床にぶちまける。

そうしてどれほどの時間がたっただろう。

 

「……ははっ」

 

へたりこんだまま、口元を拭う。

こぼれたのは乾いた笑い声だった。

自分が惨めで仕方がなかった。

上手くいかなかったからって、好きな奴に取り返しのつかない事をしでかしして、本当に最悪だ。

これ以上ないくらいに、醜くてたまらない。

いっそ、死んじまった方が楽になれるんだろうか?

 

「そういう訳にもいかねぇよな……」

 

自分で考えておいて、自分で否定する。

ここで首くくっちまえば楽だろうが、そうしたらあの子に余計な迷惑をかける。

いや、ここまで酷いことしといて、もう迷惑うんぬん考えるなんて今更な気もするが。

……違うな。それが理由じゃない。そんなお涙頂戴な、いかにも良い人が考えそうな理由、俺の柄じゃない。

あの子の為とかそんな事言って適当な理由つけて、結局はてめぇが死にたくないだけだ。

最低だな。

自分のものじゃなくなったみたいに重い体をのろのろと動かす。

ちらり、と。

棚に飾った写真に目をやる。

その中に映る少女は笑っていた。俺が大好きだった、彼女の笑みだった。

 

もう、彼女に合わせる顔なんてない。

心の中に、空虚だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔、するわよ」

 

あれからしばらく経った。

気まずくて、彼の所を訪れる事が出来ずにいたけれど、今日は意を決してやってきた。

あの時のことは、正直許せない。でも、それ以上にあいつの事が心配だった。

 

お前には、分からねぇよ!

 

あいつが言ったその言葉がずっと耳に残っていた。

高校生の頃から、ずっと傍にいた。

私が楽しい時は横で笑ってくれて、辛い時は親身になって話を聞いてくれた。その逆の時だってあった。

だから、全部分かってるつもりになってた。

私達がラブライブで優勝した時、彼は本当に喜んで、涙を流しながら喜んでくれた。

私が本当にアイドルになった時も、自分の事のように喜んで笑いかけてくれた。

でも、本当は?

私達が成功する影で、彼は何も出来ない自分に苛立ちを感じていたんじゃないの?

私が夢を叶えていく中で、取り残されていく自分をどんな風に思っていたの?

考えれば分かるはずの事なのに、私はあいつの事を何一つ考えてあげられなかった。

今回のことだってそうだ。

あいつがどんな思いで、作曲をしていたのかなんて、知ろうともしなかった。それなのに、私は次があるなんて、知った風な事を言った。

それで彼が傷つくなんて、思いもしなかった。

 

「……入るわよ?」

 

相変わらず玄関の鍵も、部屋の鍵も開いたまま。無用心そのもので、いつも通り。

壁に染み付いたタバコの匂い。

棚に飾られた私達の記念写真。

でも、あいつの姿はどこにもない。

いつも通りのはずの部屋は妙に片付けられていた。

機材や楽器、パソコンはそのまま置きっぱなし。食器も一通り揃って食器棚に綺麗に片付けられている。

生活感がまるでない。

 

「ちょっと……!どこにいるのよ?ふざけてないで出てきなさいよ!」

 

嫌な予感がした。

部屋という部屋、といっても安アパートだから部屋なんてないけど全部見て、トイレや風呂場、ベッドの下にクローゼット、全部見ても彼の姿はどこにもなかった。

靴や服もなくなって、コンセントの抜けた冷蔵庫の中は空っぽ。

パソコンのキーボードには埃がうっすらと積もっていた。

 

「そんな……」

 

ふと。

ちゃぶ台が目に付いた。

二人で向かい合ってご飯を食べたそこに、食器じゃなくて封筒とCDケースが置かれていた。

これを見たら、ダメだって、そう思った。これを見てしまったら、嫌な予感が的中したって事が分かってしまう。

それなのに、心とは裏腹に私の手はその封筒を開けて、中身を広げていた。

癖のある汚い字。懐かしく、落ち着く文字列。

そこには、私への短い感謝の言葉が書かれていた。

それから、ここを出ていく事。ここに残したものは好きにして良いって事。

それだけだった。

行く宛なんてどこにも書いてない。これからどうするかも書いてはいない。

どうしようもないくらいに分かってしまう。

これは別れの手紙だ。

 

「そんな……、何で、」

 

血の気が引いていくのを感じた。

へたりこみそうになるのを我慢して、もう一つの置き土産を手に取る。

残されたパソコンを起動して、震える手でCDを再生させた。

スピーカーから流れ出す、優しい旋律。

これはきっと、彼が応募した曲。

 

「何が、失敗よ……!」

 

ぽたり、と。

熱い雫がマウスに乗せた手に落ちた。

 

「いい曲じゃない」

 

視界がぼやける。

 

「なんで!何で黙っていなくなっちゃうのよ!悪いことをしたって思ってるなら、ちゃんと、謝りなさいよ!」

 

ぽたり、ぽたりと、堪えきれなくなった涙が溢れてきて止まらない。

 

もう、彼には会えない。

 

そんな漠然とした、でも確かな予感があった。

涙で滲む視界の端に、私達の写真が映る。

私達から一歩引いたところで、照れくさそうにはにかむ彼の姿。

彼のそんな不器用なところが大好きだった。優しい彼が大好きだった。

でも、もうそれを告げることは出来ないんだ。

そう思ったら、嗚咽を堪える事が出来なくなってきた。

 

「何で、どっか行っちゃうのよ!これじゃ、あなたの事を許せないじゃない!」

 

私にも、謝らせなさいよ!

ちゃんと、お互いのことを知りたかったのに!

これじゃ、私は、私のことを許せない!

 

誰もいなくなった部屋に、一人だけの泣き声が響く。

部屋に差し込む西日。

窓に切り取られた夕日に色づく街は、悲しくなるくらいに綺麗だった。

 

 

 

 

 

ひとしきり泣いて、ちょっとだけ落ち着いた。

気持ちの整理はまだつかないけれど、とりあえず歩いて帰れるくらいには回復した。

彼の手紙にあった通り、部屋の中から何か楽器でも記念に貰っていこうかとも思ったけど、でも結局それはやめる事にした。

もう二度と、ここには来ることもない。

いろいろと思うところはあるけれど、それでも私は前に進まなきゃならないんだ。

逃げるように部屋を出て、足早にアパートを後にする。

途中、郵便受けの中いっぱいに詰まった手紙の中に、ふと、私の事務所の名前で書かれた封筒が見えた。

少しだけ悩んで、楽器や思い出の品の代わりにそれを貰って行くことにした。

どうせ、彼は二度とここには帰ってこないのだから。

 

「さよなら」

 

小さく、呟く。

さよなら、私の小さな恋。

 

 

 

 

 

 

 

 

青春はここで終わる。

 




《北屋さんより》
読んでいただき、誠にありがとうございます。
今回はこの企画に参加させていただき、本当に嬉しく思っております。


長い人生、綺麗なだけじゃすまない事もあります。奇跡の裏側では、それに翻弄された人だっているはずです。
この作品に関しまして、多くを語るつもりはございませんが、あえて一つ。
「最期の“封筒”を明確な終わりと見るか、希望と見るかは読者の皆様の考えに委ねます。」


この度の企画を開催してくださった薮椿様を始め、参加者の皆様はもちろんの事、執筆を通じて知り合った作者の皆様、そして読んで下さる読者の皆様にこの場を借りて感謝を。


これからも企画は続いていきます。
明日のお話、明後日のお話、その次も、そのまた次のお話も皆様が楽しんでいただければと思います!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。