「ただいま戻りました」
世界の何処か。空中投影されたディスプレイだけが明かりの薄暗い部屋でキーボードを打ち続けているであよう彼女にクロエはISのチャンネルを通じて伝達する。
すると直ぐに、部屋の壁の一部がスライドして収納。そして直ぐに中から、イスに座った束が背中を伸ばしながら現れた。
「おかえり!こっちでも確認してたけど、最後の方は映像が乱れててさ。どうだった?」
椅子から飛び跳ね、空中5回転を決めクロエの目の前に着地した束は笑顔で彼女の帰還を歓迎した。
「
「いいね。契約もあるし救援はこない。一応、後で確認しには行くけど、なんにせよこれでACは葬れた。中々手こずらしてくれたけど、ま、終わり良ければなんとやらってね」
束はパンパンと手を擦り合わせて払い、中央に設置された円テーブルの椅子に腰掛ける。
それに合わせ、クロエも束の正面に腰を下ろした。
「でも、不可解だね。忠誠心があったか知らないけど、信用と沽券が絶対の亡国機業が契約違反をしてまで、乗ってくれるとは思ってもいなかったよ」
「いえ、我々は契約違反などしておりません」
「身の安全の保証も契約に入ってなかったの?」
「それはあなたを捕縛した後の話でしたから」
「なるほどね」
束はくっくっと笑い、テーブルの上に置かれていた菓子が入った籠から無作為に小さなチョコレートをつまみ、口に放り込む。それから、籠を指差しクロエにも勧めた。
クロエは一礼し、その中から日本でよく流通しているエンゼルパイを選んだ。
「さてと」
テーブルを束が指で二回、無造作に叩くと部屋の照明が消え、空中に一人の女性の顔が投影される。
『
それはスコール。右手で2枚の契約書をひらひらとさせたその様子は、相手が篠ノ乃束であろうとも自若泰然、いつもと変わらなかった。
「悪くなかったよ」
束はまた人差し指で二回、テーブルを叩く。すると、スコールの向かいに新たなディスプレイが投影される。そこに映っていていたのは2機のISだった。1機はゴシックロリータのドレスのようなクロエの機体、黒鍵。もう1つは、新たな機体だった。
「報酬──マドちゃんの機体、”黒騎士”は完璧だったでしょ?」
『えぇ、エムと私の2人で納品の方、確認致しました。流石、篠ノ之束博士の機体、恐ろしく高性能でした』
「久しぶりに本気出して製作したからね……あ、マドちゃんの死後に利用しようとしてるなら諦めるんだね。その機体はマドちゃんか──いや、マドちゃんにしか使いこなせないよ」
『……肝に銘じておきますわ』
スコールは不敵な笑いを浮かべる。しかし、束の目からすれば僅かな動揺を隠すための所作であったことは明白だった。
ただ、スコールが次の話に切り替えたため、束は鼻で嗤うだけに留まる。
『それで、クロエの黒鍵ですが』
「それは調整中。もうしばらくかかりそう」
『あなたが手を焼く?想像もつきませんが』
「本当の意味で専用機だしね。どっちにしろクロエはそっちからの派遣なんだから、ゆっくり調整していくよ。目の上のたんこぶは消えたしさ」
『そうですか。では、また近いうちに進捗の程を伺いに連絡をさせて頂きます。クロエは我々にとって重要な人材ですので』
「勝手にしなよ」
『ええ、そうさせていただきます。では、本日はこれにて。今後とも良い取引ができることを亡国企業一同願っております。それでは』
NO SIGNAL。その文字が表示されたとほぼ同時に、照明が再び灯る。
しばらくの間頬に指を当て、天井を見上げていた束はふっ、と朗らかに笑うとクロエの方に向き直る。
「さて、クロエ。これからの君の処遇だけど」
「……その節は大変失礼致しました」
「あぁ、もう気にしてないから。それより、アイツらはどうこうとかじゃなく、君個人のその復讐とやらに協力してあげてもいいよ。成果は上げてくれたしね」
「……ありがとうございます」
スコールとの通信中、一言も発さずじっとしていたクロエは束に頭を下げる。
うんうんと頷いた束は肘をついて、クロエをじっと見つめる。
「如何されましたか」
「いやぁ?君がこんなに恐ろしい子だとは思っても見なかったと思ってね」
「そうですか」
「おかげでちーちゃんといっくんの出番は無くなったけどね」
ケラケラと笑った束は、チョコをもう1つ口にする。
クロエはその一方で瞼の裏で3日前のあの日を、思い出していた──
■
異常に気が付いたのは、会場につく寸前だった。
「……スコール様に、オータム様、エム様?何故、ここに?」
指定された場所は亡国機業らしく、山の中腹。そこまで2kmあたりに差し掛かったところでハイパーセンサーが捉えたのは、中に入っていく3人の姿だった。
呼び出された目的は作戦会議ではない、検査だ。だとすれば、彼女達も同じように検査と考えるのが妥当──とは思えなかったが、少なくとも敵ではない。
それからまもなくしてポイントに到着すると、山の斜面が隆起。擬態していたシェルターの入口が姿を現す。
中は橙色のランプで照らされており、いかにも裏口の通路といった第一印象。だが、通路として歩くには長く、何処かカタパルトめいた印象も受けた。
何かおかしいと思いつつも、クロエはそれでも奥へと進んだ。──そして、もう引き返すことはできなくなっていた。
「ここは──」
辿り着いたのは、一つの部屋。僅かにではあるが生活感のあるそこは、少なくとも検査をするような施設には見えない。
「──やぁ、よく来てくれたね」
「!?」
ハイパーセンサーで視界を確保していたにも関わらず、気が付かなかった。
慌てて声がした方向から離れようとして──柔らかいなにかに受け止められた。
「はい、キャッチ。ここで暴れないで欲しいな」
「──篠ノ之、束」
「そうだよー。あ、危害を加えるつもりは『今は』ないから、安心してね」
いつの間にか束に抱き抱えられていたことに気が付いたクロエはエストックを突き刺そうとしたのだが──ピクリとも動かない。見れば束が右手で握りしめており、確かに生身であるのにも関わらず、エストックが歪み始めていた。
「……分かりました」
「聞き分けのいい子は私、嫌いじゃないよ」
諦めて刃を下ろす。それに伴い、束もクロエを解放した。
「来たわね、クロエ」
そして、奥の部屋より現れるスコール。その後ろにはやはりオータムとエムがいた。
「スコール様……これは?」
「博士に呼び出されたのよ。交渉がしたいってね」
「では、私の検査というのは──」
「まぁ、席についてから話そうか」
束は全員にテーブル──つまり、交渉の席につくように促す。「つかなくてもいいけどね」と言うが、態々彼女が呼んだのだ、その場合の未来は悲惨であることを予想するに難くない。
初めに、スコール。続けてオータムとエム──
「席につかないつもり?」
「……いえ」
そして、クロエが最後に座る。
全員が着席したことを見回して確認した束は、本題に入る。
「さて、集まってもらったとこ悪いんだけど、交渉なんて元からないんだ」
「──どういうことでしょうか?」
束はそのクロエの返答として、彼女達のコアネットワークを介して、ある情報を送った。
「白式、紅椿、レーゲン……後は、打鉄……?」
コアの反応。直近の作戦の事もあり、識別番号からそれは直ぐに専用機であると分かった。それらは現在、何処かに向かって移動しているようで、打鉄──それにしては出力が異常に高すぎるが──を先頭に隊列を組んでいた。
「……──っ!まさか!」
では、どこに向かっているのか。
それに最も早く気が付いたのはクロエだった。
「そ、RDを孤立無援にさせたかった。それだけだよ」
瞬間、束の首に差し向けられるエストック。針一本程度しか離れていないこの距離ならどのように動こうとも束の喉を抉り、絶命させる事ができる。
だが、束はそれでも笑う。
「特にクロエ、君をRDから離したかった。作戦の障害になるからね」
ディスプレイを閉じて、目を閉じ──それから、ゆっくりと目を開いた。
「2度は失敗しない。今度は確実に仕留める」
その相は、身内と関わる時の道化師の面でも、人を突き放す冷たい面でもない。決して遺恨にしない。当初よりあった激しい怒りの炎が屈辱という燃料により激しさを増し、生み出された殺意。その冴えは、まるで彼女の出身──日本の刀の如く、触れれば全てを斬り落とす、そんな底冷えする恐ろしさがありありと感じられた。
「ここで暴れても無駄だ。ISでも肉弾戦でも、オマエたち程度じゃ、私には指一本も触れられないよ。大人しく黙っているんだね」
その言葉に怪訝な顔を示したのはオータムとエム。面白そうな顔をしたのはスコール。
「……ふっ、ふふ」
そして、何故か吹き出したのはクロエだった。
「……何がおかしい?」
「──彼をISが捉える?無理でしょう」
「アイツが敵意に敏感だから逃げるってこと?そうだとしても、包囲網を──」
「あなたは──彼の奥の手を知らない」
クロエはエストックを篠ノ之束から離し、帯刀。そして──ISを待機状態に戻す。
篠ノ之束は当然、不満げにクロエを睨む。
「奥の手?そんなものがあったからって、無駄。閉鎖空間ならちーちゃんといっくんの方が強いよ」
「あぁ、なるほど。篠ノ之束博士、あなたと言えどご存知ないのですね」
「……図に乗るなよ。大体、それをクロエが知っているからって何になるわけ?」
「──交渉材料になると言い換えましょうか」
「……へぇ」
その言葉を聞くなり束は目を細めて、強まっていた怒気を僅かにおさめた。
「それで、その奥の手とやらで何ができるって?」
「少なくとも、ISでは歯が立たないでしょう。ブリュンヒルデや、織斑一夏、妹様がどれだけ強力であろうとも」
「はったりだね。前回の作戦を見れば分かるよ」
「本当に──そうでしょうか?篠ノ之束博士、あなたも測りかねている、未知数のものにお心当たりがあるのでは?」
「そんなものは……ない」
「いいえ、あるでしょう──ヴェンジェンスに搭載された武装が」
「──っ」
それは──図星だった。
束も気にはなっていた。だが、あえて触れていなかった。機体の半分以上のサイズにもなる六枚の刃が束ねられた無骨なあの武装。
オペレーション・ナイツパージの作戦行動中、あれだけ追い詰められたのにも関わらず、ヴェンジェンスは一度もあの装備を使おうとしなかった。見るからに空中戦に向いていないからと思っていたが──今回の作戦ではどう出るか分からない。
加えて、クロエの自信。モニタリングしても心拍数や発汗に異常はない。ブラフやはったりの可能性もあるだろうが、拭いきれない要素であることには違いない。
「……その詳細が私が欲しがるとでも?むしろ、奥の手があるって情報一つで十分に対策可能だよ」
「情報ですか。それも提供できますが──私なら、あのACを一人で落とせます。ただし、あなたが協力してくださるならば、の話ですが」
クロエはそう断言し、微笑を浮かべる。
その言葉に驚いていたのは束もだが──横のオータム、エムを目を見開いて驚き、少し体を遠ざける。
「バカ?RDの側近を信用すると思う?」
「どうでしょう。ただ、私はACを一番近く見ていますから誰よりも弱点も知っています。達成は可能であると思います。それに──私は、私の目的を叶えたい。そのためにRD様かが必要だっただけであって、それ以上に良いパートナーが現れたなら、私はそちらに乗り換えます」
「……それだけ?」
「信用できないと言うなら、どうぞナノマシンでも爆弾でもお好きに」
「……案外、冷たいんだね。そういう子じゃないと勝手にタカくくってたけど」
「処世術というのはどこでも必要でしょう?」
「違いない」
束は笑みを浮かべて、クロエに手を差し伸べる。
だがクロエは首を横に振り、その代わりにスコールに一礼した。
「スコール様」
「……何かしら?」
「まずは亡国企業として交渉をお願いします。それから──私が、個人的な理由の交渉をいたします」
「……本当に利口ね。寒気がするくらいに」
「えぇ、それを仕込んで下さったのはあなた方ですから」
落ち着いた普段通りの笑み。しかし、その笑みこそがこの場を支配している証明。
さしものスコールも笑いが引き攣る。だが、その笑みをすぐに喜悦に歪ませるとクロエから束に方向転換。
「お待たせ致しました、Ms.篠ノ之──では、商談を始めましょう」
笑顔でスコールは手を差し出し、束も微笑でそれを取る。
その笑顔からは互いに隠そうともしない、どす黒いモノが溢れ出していた。