それは冬の日の事である。
「学校の屋上に女子の死体があります!」
夕方にかかったこの110番から10分も経たない内に現場となる榊野学園に近くの交番から来た警官をはじめ自動車警邏隊のパトカーが到着する。彼らは学園の教頭に案内されて校舎の屋上へ案内される。
そこで死体となった少女と対面しつつ現場保存を始める。幸いに屋上であるから出入り口だけに立ち入り禁止を伝える黄色いテープを張るだけで済んだ。後はすぐに来る鑑識や捜査員を迎える準備、車両の乗り入れるスペースの確保と野次馬となった生徒達を抑える仕事を始めた。
こうして整えられた現場に原巳浜署刑事課の野瀬警部補と高町巡査部長が到着した。
冬の夕方は日の入りが早い。野瀬と高町が来た時には通報から10分以上しか経っていないが夜の暗さが濃く茜色の夕日が僅かに残るだけである。
警官とパトカーが来た事で生徒がまだ野次馬として校内やグラウンドに残り物珍しそうに野瀬と町田を見ている。携帯電話のカメラで2人は撮られる事もあった。中にはマスコミから取材を受ける生徒も居る。
そんな喧騒を抜けて校舎の屋上へ向かう。先に来ていた鑑識係が屋上の四方から何か証拠を探そうと作業をしている。その中央には仰向けに倒れる少女の遺体がそこにある。
「被害者はこの学園の生徒で西園寺世界さん。鑑識の報告では頸部(首)を斬られて上行大動脈からの出血による失血死が死因だそうです」
高町が最初に到着して事情を聞いていた警官と鑑識の報告を野瀬に伝える。
「首斬るだけじゃ済まずにここまでやるとはな…」
野瀬は世界の遺体を見ながら呟く。世界の遺体は下半身が縦に切り開かれている。
「まるで切り裂きジャックですね」
「だな、臓器まで取っていたらそうだ」
切り裂きジャック。19世紀イギリスのロンドンで売春婦5人を殺害した犯人の事だ。被害者は殺された後に肝臓や子宮・膀胱を抜き取られた。世界の遺体は臓器こそ抜きと取られて無いが、身体の内部を開くような切り方に高町は似ていると思ったのだ。
「それにしてもむごい事をするものだ。犯人は猟奇を好む異常者か被害者を憎む者の犯行だろうな」
野瀬は犯人がどんな人間か仮説を立てた。
「この屋上で殺したとなると、顔見知りでしょうね」
「そうだろう。こんな人目をはばかる所で会うんだからな」
野瀬は屋上の周囲を見渡す。既に日は沈み夜の暗闇が広がる。鑑識が居るものの、野瀬の目には誰も居ない静かな屋上の風景が見えた。そこに立つ西園寺世界。彼女は怯えながら殺されたのか?それともいきなり不意を突かれて殺されたのか?犯人は男か?女か?野瀬は現場からイメージを膨らませるが決定的なものは見えない。
原巳浜署に「榊野学園女子生徒殺人事件特別捜査本部」が設置された。
通報があった翌日。ある程度の情報が集まり捜査会議が開かれる。
「殺害された西園寺世界さんは司法解剖の結果。通報の日の前日夜に殺害された事が判明しました。凶器は切り口からノコギリか糸鋸だとの事です」
捜査会議は司法解剖の結果から始まった。凶器の異常さに誰もが驚く。
「殺害現場では、包丁が見つかっていますが付着している血液は西園寺さんとは違うものだと判明しました。それに包丁の指紋は西園寺さんのものです」
鑑識が報告する。殺害現場には1本の血まみれの包丁があった。それは世界の遺体の側にあり最初はその包丁での犯行だと思われていたが、事実は不可解な謎を生みつつある。
「よく分からん事件だな。ノコギリで殺されたが別人の血が付いた包丁があるとわな」
刑事課の課長がぼやく。確かにそうだ。1本の包丁がこの事件の真相がまだ深く見ない所にある事を示している。
「聞き込みの情報は?」
管理官の警視が並ぶ捜査員に向かって聞く。それを町田が答える。
「生徒からの聞き込みでは西園寺さんには男子生徒との交遊関係でトラブルを抱えていたそうです」
これに誰もが「やはり」と言う反応をした。
「その男子生徒は同じクラスの同級生の伊藤誠。事件の前まで付き合っていたようですが、どうやら西園寺さんを妊娠させていたらしく。その事で言い争いをする2人の姿が目撃されています」
町田の説明に一部の中年捜査員が「これだから最近の若者は~」と小声で隣の捜査員に言った。
「となると、伊藤誠が妊娠した世界に言い寄られた事を逆恨みして殺害したという事か?下半身を裂いたのは本当に妊娠してるか確認する為と」
課長が事件の辻褄を合わせようとまとめる。
「その伊藤誠ですが、もう一人交際していた人がいます。同級生ですが別のクラスの桂言葉。どうやら西園寺さんと付き合う前から桂さんと交際していたようです」
「ほお~二股か」と捜査員の誰かがはやし立てる。
「三角関係になった事で嫉妬が生まれて桂さんが西園寺さんを殺害すると言う事も考えられます」
野瀬が言うと課長も管理官も頷く。
「今回の事件は伊藤と桂の2人が被疑者か。その2人を重点的に捜査だな」
課長が捜査方針を決めようとした時、1人の刑事が立ち上がる。
「実はその、伊藤誠ですが。本人の自宅で大量の血痕が発見されたんです」
昨晩。伊藤誠の自宅より通報があった。
通報したのは看護師をしている伊藤誠の母親である。仕事から帰り自宅に戻った母親は職場でよく嗅ぐ臭いを感じた。血の臭いだ。
それを不審に感じて母親は臭いの元を探る。それは息子、誠の部屋であった。そこを開けた彼女は信じられない光景を見る。床が血だらけなのだ。
けれども血が流れた元が無い。ただ青いカーペットを染める血の斑紋があるだけだ。
これは世界の殺人事件とは別に扱われたが、伊藤誠が捜査線上に浮かんだ事で同一事件として扱う事となった。
「血痕の分析結果は今週中に出ます。それと指紋の採取で伊藤親子以外に西園寺世界のものと別の誰かの指紋も採取しました」
伊藤誠宅での事件を担当した刑事が説明する。
「アパートの住民の話ではつい最近、伊藤さんの部屋から女の怒鳴り声が聞こえたそうです。それと西園寺さんが殺害された当日と前日の夜には西園寺さんがアパートに来ている事が判明しました。また、同じく桂さんもです」
この説明で誰もが不明な人物の指紋が言葉のであると確信した。
「問題は伊藤誠が何処に居るかだ。血痕の事を聞くに彼は殺害された可能性が高い」
管理官がこう言うと課長も「そうだな」と同調する。
「捜査方針は。伊藤誠の行方を捜す事と桂言葉に会って事情を聞く。これで決まりだ」
方針が決まると会議は終わり捜査員達は自分の仕事をするべく会議室を出る。
「高町。桂言葉の自宅に行くぞ」
野瀬は高町を連れて被疑者の1人である言葉に会うべく高町と共に行く。
「帰ってきてない?」
野瀬と高町が桂家を訪れると母親の桂真奈美から
「私の娘がまだ帰って来ていないんです。つい昨日捜索願を出した所ですよ」
と言われた。これが管轄の違いから来る弊害か、情報が刑事課に届かなかったのだ。
言葉は事件の翌日には彼氏の誠と共に桂家が所有するヨットでクルージングをしていたそうだ。だが、そのクルージングから戻らないと言う
野瀬は代わりに真奈美から言葉について聞き出す事にした。
最近の様子や誠や世界の事を。
「娘が犯人だとお思いですか?」
事件を知っている真奈美は野瀬に苛立っていた。我が子を被疑者にされれば怒りを持つのは当たり前だ。
「いえいえ、これは娘さんが犯人では無いと言う確認作業ですよ。それをはっきりさせれば疑いは晴れます。それまではどうか無礼をお許し下さい」
野瀬が丁寧な言葉で感情が高ぶりつつある真奈美をなだめた。
「それなら良いのですが…」
それから聞き出した情報は事件解決に繋がる事では無かった。誠は言葉の彼氏だという事は知っていても、どんな人間かは詳しくは知らないようだ。世界の事は全く知らない。言葉の事は最近夜に出歩く事が多いと言うのが事件と繋がるかもしれない言葉の心理状態を示す情報とはなった。
「まさかヨットで逃げたんですかね?」
高町が桂家を後にして言った。
「有り得なくは無いが、だとしたら外見に似合わず大胆な事をするお嬢さんだ」
野瀬はこう言うが過去の経験からすれば虫も殺さないような温厚で優しい性格だという人間が大胆な行動を起こすのだ。
「まずは、早く海保がヨットを見つけて欲しいものだ」
捜索願を出された後で警察から海上保安庁に捜索の要請が出されていた事が真奈美から伝えられた。今は海の上に居る被疑者が戻るのを待つしかない。