主役がいない、物語 作:花篠 成之
「予定よりも時間が掛かったのである」
秋も終わり、肌寒くなってきたある日。元々人の少ない工業地区、更に夜も更け人っ子一人気配の感じない学園都市に、人影が数十メートルの高さの壁から音もなく飛び降りた。
人影の名は『後方のアックア』。とある高校生の右手を奪取すべく訪れた刺客である。世界に二十人ほどしか存在しない『聖人』の一人にして規格外の集合である『神の右席』の一員。
そんな優れた猟犬が、人気のめっきり失せた学園都市に静かに侵入する。彼の姿を見た者は───
「………………ぁ」
どさり。血色の良い小さい手から、コンビニのビニール袋が落ちる。音の方に首を回すと、艶のある茶髪を伸ばした小学生くらいの少女が、目撃した光景に驚くあまり目を皿のようにしてアックアを注視していた。
「ふむ」
見られてしまった。
目撃された事は実に好ましくない。されどそれだけで無抵抗の少女を口封じするのはいくら『
どうしたものかと顎に手を当て悩んでいると、いつの間にかとてとてと年相応の無用心な足取りで、アックアの元まで歩み寄ってくる。
ついにアックアの足元にまで辿り着くと、罪悪感の裏返しか、心なし輝いて見える瞳でじっと見つめてくる。そんな奇妙な状態が数秒続き、どこか気まずい空気が流れ出す。
「どうし」
「すごいの!おじさんすごいの!ギネス記録とか?」
何ともいえぬプレッシャーに根負けしてアックアが口火を切れば、被せて少女も先の沈黙が嘘のようにはしゃぎだす。瞳の中にはもう熱狂的なスターを目の当たりにしたような憧れの色しか見えない。キラッキラである。
(困ったのである。我らが掲げる御言葉には、興奮した子供のあやし方など載っていない)
かつてどれ程難儀な局面であっても打開してきたアックアを困らせる。現在進行形で彼女も中々の偉業を達成中なのだが、残念ながら理解していないし、教えてくれる人間もいない。
「ねえおじさん聞いてるの?ねえねえ、他にも何かないの?りんご片手で潰せるとか!」
常人離れした身体能力を持つ『聖人』のアックアならばりんごどころかコンクリートでも片手で握り潰せるのだが、至って普通の彼女の世界観ではりんごを潰すだけでも両手を叩いて歓声を上げる。
「一先ず落ち着くのである。話すにしてももう少し離れるのである」
「えー」
ちょっと流石にしつこく思えてきたアックアは魔術を利用して、慣性を消しながらの亜音速機動で抜け出す。このまま逃げてもよいのだが、子供の無限の好奇心を考えると自分を探して夜の街を今夜中徘徊するのもあり得ないとも言い切れず、距離をおくに留める。
もっとも、その心配は無用だったのだが。
「そもそもにおいてあの程度の芸当ならば、ありふれた並みの魔術師でも可能なのである」
まともな判断力が働かなかったのか、余計な事を口走ってしまう。普通なら『魔術師なんて普通ならありふれてない』とつっこむか、冗談だと笑って流すかが妥当な反応。
だが彼女は残念ながら“普通”ではなかった。
「えっ………ッ!」
突然踵を返して全力で走り出す。落としたビニール袋もそのままに、脇目も振らず自分から逃げようとする。今まであれほど詰め寄っていたのにも関わらず。
「……ああ、そういえば
数秒経って、彼女もその類だったかと口の中で小さく呟き、アックアは滑るように動きだす。
しかしその速度は段違い。齢が十に届くかどうかの幼い少女と歴戦の魔術師の『聖人』。元より身体的スペックに差がありすぎる。
「きゃっ」
「断っていた手前申し訳ないが、少し貴様に話を聴く必要が出てきたのである」
あっという間に追い越し、前から回り込む。出来る限り手柔らかに捕縛しようと手を伸ばす。そこに掛けるべき情はなく、壊れては困るという無情な計算のみ。
しかし。
「──確かに一人で出歩かせた俺も悪いけどサァ、なぁーんでよりにもよってこのタイミングで来るかネェ?」
ぷしゅう、と萎んだ風船から空気の抜けるような音が鳴る。時間差で伸ばした手の甲に空いた針先ほどの穴から細く血が噴き出す。
「遅い。やっと迎撃の登場であるか」
拳を固く握り、隆起した筋肉の圧縮で止血。少女が駆けて逃げ出すが追う素振りもせず、逆の手には既に愛用の巨大なメイスが構えられている。
対するは水泳選手が付けるような黒い密着したゴーグルで目を隠し、首元まで襟のあるコートからたぽたぽと水の揺れる音を出す奇妙な風体の男。そんな男のコートの裾に、逃げた少女がしがみつく。
「文句言うくらいなら諦めて帰ってくれれば良かったのにサァ」
「それはできない相談であるな」
男は手で小蝿を払うような仕草で少女を自分から遠ざける。ジェスチャーを理解した少女も小走りで去るが少し離れると振り返り、残った男を不安そうに眺めながら立ち止まる。
そんな少女の様子を知ってか知らずか男はアックアと若干巫山戯たように話す。
「分かってるサァ。ああ、確認だけど見た所あんたが最強戦力だよネェ?これでまだ最大じゃないとか言われたら流石に心が折れるんだけど」
「無論。この局面で生半可な戦力を送っても無駄は百も承知なのである」
「ああ、良かった。じゃああんたを退ければ必然的に俺の脅威度ははね上がるよネェ。……具体的には、もう手を出したくなくなるくらいには、サァ!!」
そう言って心底安心したように右手で胸を撫で下ろし、左手はポケットの中からドングリや針葉樹の葉、よくわからない小枝を掴みだす。幼い子供のポケットのようだが、魔術師である以上戯れな訳がない。
「ふむ。既に勝った想定をしているとは余程舐められたものである」
「それだけの覚悟があるってことサァ──『
絶叫するように紡ぐのは己が魔法名。この1戦に名誉も、財産も、生命も、全てを賭ける意思表示。それだけの覚悟を表すもの。そして、魔法名を名乗られれば名乗りを返すのが魔術師の絶対的マナー。
「……名乗られては応えざるを得ないのである。聞くがいい。我が名は『
直後、少女を追ったように、しかし段違いの速度で、滑るようにアックアが超音速で男に接近し、自慢のメイスを薙ぎはらおうとする。今まで何度も行ってきた慣れた動作に、一分の隙もない。
「口ほどにもない。もらったのである」
最期まで動かなかった男に勝利を確信し、哀れみすら感じる顔で
そう、人を吹き飛ばした抵抗もなく。
「ははっ、残念だったネェ」
ふと、後ろから声がする。振り向けば目前には両手を開き、握っていたドングリ等をばらまく男の姿が。
「行くがいいサァ」
端的な命令と共に放られた小さな木片が物理法則を無視し、弾丸のようにアックア目掛けて飛翔する。
「舐めていたのは私の方である、なっ!」
自らを傷付けようと襲い来る弾丸を、悉く撃ち落とさんと巨大なメイスを振り回して盾とする。
「甘いネェ」
「ッッッ!」
しかし、容易く砕かれるはずの木々は、防御を嘲うように火山岩のような穴をメイスに空けながらアックアへと迫る!
それを異常な動体視力で視認したアックアは、驚異的かつ脅威的な身体能力をもって横に転がるも完全には避けきれず、肩に針先ほどの風穴を開ける。
思い返せば、既に男は頑健な『聖人』の体に一度傷をつけているのだ。同じことが二度できてもまったく不思議ではない。
「……なるほど。言うだけのことはあるのである」
「褒めてもらえて嬉しいネェ!」
たぽんと袖を揺らし、次は壁の如く数多の木片を周囲180度に散開させる。
(正直この弾丸術式は面倒ではあるが、攻略法が無いわけではない。必殺・必中の性質もなく、言うなれば“必貫”。『防御を無視する樹木』と来れば、察するにモチーフは北欧神話における『ミストルティン』しかないのである。受けるのでは無く、回避すればよい)
広げられた面の攻撃を上空に跳び上がり避け、落下の勢いそのままに、単純な重力加速に従ってメイスを叩きつけようとする。
(それよりも厄介なのは)
脳天をメイスをかち割る刹那──
(こちらである!)
──男の姿が忽然と搔き消える。
「次は見えたぞ。空間転移とは器用なものであるな」
「俺は嬉しいが、何時まで自分の優位を疑わないのかネェ?そろそろ褒められる立場じゃなくなると思うけど」
声を探し、次は少し離れた位置に余裕綽々の表情を浮かべた男を見つける。その手にはもう新たな木片が掴まれている。
(しかし空間転移だとしてもよく術式の発動が間に合うのである)
アックアの機動は方向転換の時に一瞬姿が確認できる程度。その速度でいつ襲いかかってくるのかを把握するのは至難の業。しかし現に男はそれを行っている。
木片をかいくぐり振るったメイスが男を捉えられないことに僅かに苛立ちを感じる。
(人間が見てから行動に移すまで約0.2秒。ならば『聖人』でもない敵には対応できない速度で叩き潰すのみである!)
『聖人』としての脚力をフルに使い、今日最高の速度で男の死角に飛び込みメイスを叩きつける。舗装したアスファルトが爆発したように弾け飛ぶ。
「危ないネェ。あ、ちょっと掠ったか?」
それでも、男は無事だった。精々が炸裂したアスファルトの破片がコートを切り裂いた程度。そこから少しずつだが、中に溜まっていたらしき水が滴り落ちる。
(……少なくとも傷は与えられることが判っただけで収穫である。それに、あれは『チューブウェア』とでも言ったか?一時期イタリアでも見かけたのである)
『チューブウェア』とは本来「微細な管で繊維を編み、中に水を通すことで浸透圧を利用し脱水症を防ぐ」という学園都市製のアイデアグッズ。それほど特殊な技術も使われていないため、『外』にも流出していた。夏場は猛暑が襲うイタリアで見かけても不思議ではない。もっとも、着心地が素晴らしく悪く、すぐに見かけなくなったのだが。
(あれがただの水であれば制御を奪い、串刺しにでもできるのだが。当然魔術的な防御も施しているに決まっているのである)
それよりもおかしいのは今の反応。『聖人』でもないのに、どうやって回避したか。常人なら路面の染みになっていて間違いない。おそらく魔術の
(“水”の記号など用途が多様過ぎて想像がつかないな。『ミストルティン』と併せて北欧神話由来の術式だとは推測できるが、あの膨大な物語の中に“水”など幾度登場したか分かった物ではないのである。いや、“身に纏う”ことに意味があるとしたら?東洋の羽衣伝説の筋もなくはない。あえて『ミストルティン』を使うことで北欧神話へのミスリードを誘っているのであるか……?)
思考が疑念を呼び、疑念が困惑を呼ぶ。いわば見えない思考の迷宮。生憎だが、そこまで救いの手は伸びてこない。
届くのは
「いきなり無口になってどうしたのかネェ?」
正面十数メートル先から、木片を取り出した男が声高らかに呼んでいる。口元だけは変わらず笑っているようにも伺えるが、ゴーグルのせいで眼が見えず顔の全体から判断できない。
(……そういえば何故一々彼奴は話かけてくる?明らかに空間転移を使用しての奇襲のメリットを潰している。わざわざ自分から矢面に立つようなもの。……………なるほど。そう言う事であるか)
煽られるままに接近しようとするが、不意に言動に違和感を覚え今までの行動原理を考察する。その上で今の立ち位置も踏まえ、男の思惑を察した。
(あの少女から離したいのであるか。ならば打開策が浮かばない以上、方法を変えて揺さぶるのも手である)
アックアが振り返った後ろには、逃げていない少女が未だ立ち竦んでいた。
少女が動かず、万物を貫通して飛翔する『ミストルティン』では怖くて攻撃できなかったのだろう。
ならば。
「悪いが正々堂々と正面から戦いを挑むような騎士道精神は持ち合わせていないのである!」
半身をひねり、一転少女目掛けて加速──。
「……あの馬鹿、ヘマしやがってサァ!」
──すると見せかけて逆に駆け出し、
少女の方はなぜか少し離れた所に転移させられており、急に入れ替わった景色に困惑している。
「今ので漸く分かったのである。貴様は『未来を予知』しているだけ。空間転移を行っているのは別の人間であるな」
男が使っていた術式の名は『
そして予見した未来を、次は『チューブウェア』の端を切り取り、管を9つの方向に向けることにより、9つの世界に通達を届けるラッパを模倣した『
『予告断首』が見通すのは3秒先まで。いくら行動までにラグが生じると言っても、時間的にはおつりが来る寸法。
だがもしも空間転移を使う仲間が他の対象を転移させてしまったなら、その瞬間だけ男は無防備になる!
「……それが分かったからなんだって言う?今から俺の仲間を探すか?もちろん全力で妨害するぞ」
防御した片腕は折れたのか、肩が外れたのか。ぶらんと力無く垂れ下げながら、男は背をビルの壁に預けながらも両の足で立ち上がる。無事な方の腕は、大量の木片を液体に湿らせながらまだ握り締めていた。
「探す必要などない」
「は?」
意図の読めない発言に、毒気を抜かれたように呆けた声を出してしまう。そんな男にアックアは『聖人』らしく親切に教えてやる。
「どうせ近くに潜んでいるに決まっている。ならば貴様らまとめて粉砕してやれば事足りる話である」
何か言いかけたそうな顔で、しかし言葉が出ないで喘いでいる男を無視し、メイスを担ぎビルのはるか上まで跳躍する。背景には輝く月、その光が尋常ではないほどに膨れ上がる。
「おいおいおいっ……!」
遠く拝む姿が逆光で霞むが、その存在感は反比例してかつてないほどにヒリヒリと肌で感じられる。まさしく絶景、これより人命を絶つに足る景色。
「──
「──っ
アックアが天に掲げるメイスへ、青白い光が宿る。ほとばしる魔力の奔流に意識を切り替えた男は、忘れたままずっと持っていた木片を地面に叩きつけ、ポケットの中身もひっくり返し全てばらまく。
「
「
流星のような、されどいつか消えてくれるなんて希望的な観測を破壊し、記憶に焼き付けられる鮮烈な光の尾を引きながらアックアは墜落する!
それに抗うべく男の蒔いた木片は芽吹き、メキメキメキッッ!と繊維を破るような音と共に早送りを見るスピードで成長。それは天を貫く巨槍の如く、或いは安寧を保証する神木の如くアックアを呑み込まんと木々は蔦で絡み合いながら我先にただ高く高く伸びていく。
やがて両者の術式が、激突する───!