カワルユウキ   作:送検

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前半 バド回
中盤からシリアス入ります。

本編的にはここからスタート.....かな?


第10話 球技大会と贖罪と 【後】

 

 

 

 

 

 

 その後も、試合は続く。

 

 あの後、息を吹き返した俺と田中は突き放す、しかし追いつかれる───を2度繰り返して熱戦を繰り広げた。

 次第に試合を終えたチームも俺達のコートを見始め、ギャラリーはかなりの数に至っている。と、そんなことを考えている場合ではなかった。

 

 上空にふわりと浮かんだシャトルを観察する。勢いはない、なら俺が叩けば良い。それでも、ジャンプする体力が既に尽きかけている俺にはジャンピングスマッシュという選択肢はない。

 

 ダブルスのせいで隙がねえ。

 

 なら───

 

「てーい」

 

 情けない声を上げるのと同時に、ふわりとみっともないロビングを上げる。その軌道は、ごくごく僅かな放物線を描きネットの真上で落下───

 

「な、お前.....これまた処理に困る打球をッ!!」

 

 自陣中央で構えていた男と女は咄嗟に前へと走り出し、浮かぶシャトルを一斉に見遣る。

 

 シャトルはネットスレスレに落下。敵陣へと向かい、そのシャトルは見事落ちていった。

 

 会心の一撃───

 

「うおっしゃあ!」

 

「やった!!」

 

 思わず出てしまった雄叫びに、田中が呼応しガッツポーズ。いつもの俺ならそんな空気に水を刺すように田中にあーだこーだ言うのだが、そんな余裕も今の興奮状態に陥っている俺には残っていなかった。

 

 ギャラリーは、俺達がガッツポーズをしている光景をどう思っているのだろうか。仲の良いタッグだと思っているのだろうか、若しくは仲直りしたとでも思っているのだろうか。

 

「.....ッ。完全に息を吹き返してきたな」

 

 息を吹き返す、といった表現はあながち間違いでは無い。現時点でムードが高まっているのはこちらの方であり、大したプレッシャーも感じていない。

 実力的に厳しいと思っていたが、その差は今まさに縮まろうとしている。

 

 会場のざわめきと、数少ない応援団(田中の個人ファンに限る)が俺達の実力不足を底上げし、奴等と対等でいさせてくれたのだ。

 

 体育着の襟首を強引に顔付近に持っていき、汗ばんだ顔を拭う。しんどくないって言えば嘘になるし、辛い。けれど、ここまで来て負けるってのも癪だ。

 

 あと少し、ここで勝負を決めて一勝。そこから優勝へ。駒を進めて見せようではないか。

 

 

 

 誰の為に?

 

 

 

 

 そりゃ田中のファンの為にだ────

 

 

 

「何浸ってんだよ気持ち悪い」

 

「おめー少し黙ってろよ」

 

 雰囲気、これ大事よ。ムードを壊す奴は世間でも通用しないって良く聞くし。

 

「大体プレイ中は静かにしてろよ。集中出来ないんだよ、後うざい」

 

「はっきり言いやがったな.....まあ、作戦なんだが」

 

 いや作戦だったんかーい(棒)

 

「.....俺の集中力を途切れさせたところで勝機はたかが知れてるだろうに」

 

 これ、本当に。

 純粋なバドミントンの実力だけでいったら常日頃からまともに基礎を練習してる田中の方が上手だ。そりゃ俺とて真面目に『練習』はしてきたさ。けど、出来もしない高等技術に時間を取られすぎて、本来やらなきゃいけない大切な練習を疎かにしてしまっていた。

 

 俗に言う本末転倒ってやつだ。何が『クロスカット』だ。何が『ハルダウン・クロスファイア』だ。そもそも右利き素人の俺が無理やり左でクロスファイアを打ち込もうとしている時点でアウトだったんだよ畜生。

 

 そんな事を思いながら、若干の後悔をしていると不意に男がくつくつと嫌味ったらしく笑い声を零す。非常に腹立たしい───と内心思いながら男を睨むと、男は俺を見て一言─────

 

「嘘をつくなよォ、天才野球少年君よォ」

 

「え゛」

 

「野球とバドミントン.....一見判断すれば、なんの関係もないものだって思うかもしれないが、運動神経という観点からしたら何も変わらねえんだよ」

 

「.....まあ、そりゃそうかも知れんが」

 

 確かに運動神経は大事だよね。運動神経があるとないのとでは、この先の選手生活の在り方が大きく左右されると思うよ。

 

「俺が何も知らないとでも思ったのか?噂を聴いてるんだよ.....かつてはウチの野球部エースの正捕手であり、サード転向後は俊敏性のあるフィールディングと正確なスローイングを武器として、安打を量産したクラッチヒッター」

 

「いや.....そりゃ拡大解釈が過ぎるんじゃないっすかね」

 

 別に大したプレイヤーではなかったよ、と軽く突っ込んでおく。

 自信過剰は良くないって言うし。そこ、大事よ。

 

「兎に角!!俺はお前みたいにクールでスカしてる奴が大っ嫌いなんだ!!挙句の果てには自分の得意な物すら止めて自堕落な生活を送る。」

 

 大半が図星なだけに胸が痛い(切実)。

 けど、そんな事を言わないでくれ。俺には俺なりの理由があったんだし、ここは平和的に行こうよ。今更どうこうできる問題でもないんだから。

 

「取り敢えず落ち着いてくれよ。俺は別にスカしてるつもりはないし、今は純粋にこの勝負を楽しんでんだ。要らんことを言って水を刺すのは止めておくれよ」

 

「む.....」

 

「......それに、そんな事別にどうだっていいじゃあないか。俺からしちゃ天才だとか野球とか、この件に関しちゃどうでもいい事なんだからよ」

 

「なに......?」

 

「勝負も、試合も、全部何とかなるさ......信じてんだからな」

 

 仲間と言えるかどうかはわからんけど。

 

 あくまで、協力関係として。

 

 けれど、今までの生活態度から俺は田中のことはそれなりに信頼しているし、そもそもバドミントンに誘ったのは他でもない田中だ。それで投げ出すような事をしたなら絶対抓る。縦縦横横で丸書いてちょんってしてやる。

 

「田中!!」

 

「?」

 

「後4点で勝てるぞ。勝っちまおうぜ」

 

 そう言うと、肩で息をしつつも田中は無言でサムズアップをする。軽くドヤっている表情が可愛いのは、ご愛嬌って奴だろう。

 

「な、舐めるなよ!?」

 

「お前こそ舐めんな」

 

 試合が再開される。田中のサーブが敵陣後方へと向かうと、すかさず女の子が後方へ高いロビング。それを田中が鋭いレシーブで敵陣後方右隅へと打ち込む。なかなか鋭い、良いコース。

 

 しかし、素早く右隅に走り込んだ男はスライディングをしながらバックハンドレシーブ。シャトルは自陣へと向かい、勢い良くこちらへ向かっていく。

 

 時が止まる感覚に陥る。俺の頭上を超えていくシャトル、セオリー通りなら田中の返球がベターだ。

 しかし、今は劣勢であり『流れ』が欲しい。それを得る為に必要な事は───

 

 

 

 意外性。

 

 

 

 

「とうっ」

 

 ジャンプ1番。気分的にはジャンピングキャッチを今まさに行わんとする高揚した気分。されど、プレイはクールに。狙うは渾身の一打。

 

 ジャンピングスマッシュ。

 

 精一杯の力を振り絞り、ラケットを縦に振るう。ラケットのド真ん中.....スイートスポットに当たる気持ちの良い感触を得て得点を確信する。

 

 しかし、俺が見た現実は非常で。

 

 恐らく偶然差し出したのであろう、女の子のラケットにシャトルが当たってしまっていた。

 

 それでも───まだだ。

 

 

 女の子の苦し紛れのレシーブは、中途半端で対策も何もしていなければお見合いしてしまうような、そんな1球。

 

 後ろにある程度下がり、その1球を悟ると少しだけしゃがむ。すると、田中が後ろから走り込む気配が。

 

「しゃがんで───!」

 

 そらきたっ。

 

 ずっと前から練習していたこのパターン。1、2回目は失敗していたが今度こそは成功させてみせよう。俺は、しゃがむタイミングと覚悟。田中は、技術と容赦のなさ。それらを全て集約させて、是非、この一打に懸けやがってくれ───

 

 

 

 

「田中ァ!!」

 

 

 そして鈍い感触と共に打ち込まれたシャトルは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ういーっす、啓輔さーん」

 

 時は過ぎて、2時───

 

 汗をかき、顔面に水を派手にぶちまけ癒しを得ているといつの間にかこちらへ来ていたのか石崎が顔を上げた俺の顔面にタオルを投げつける。

 

 タオルを顔面から剥ぎ取り、強引に濡れた顔を拭くと心地よい気分になり、当初の目標であったリフレッシュが出来たことに安堵の気持ちを浮かべる。水も滴るうんたらかんたらとは良く言うが、俺はきっと該当しないであろう。良くも悪くも俺はフツメンだ。その事実は水を交えたところで悲しいかな、変わるわけがないのだ。

 

 さてさて、先程から嫌らしい笑みを浮かべている石崎。彼は先程まで第2試合目の野球をしていた所である。

 

 1試合目こそ、暴投にゲッツーと最悪の出来だった石崎だが2試合目は息を吹き返したかのように大活躍。守っては10個の三振を取るガチ勢っぷりに、打っては同じ野球部のピッチャーに満塁策を取られ、怒りの3ランで勝負に終止符を打った。

 

 そんな石崎は俺に一言───

 

「見事にぃ、物の見事に負けちゃいましたねーぇ」

 

「うっせーよ」

 

 あれから、俺達は敗北した。原因は至極簡単。

 

 田中の負傷だ。

 

 あの時の俺は疲労困憊の状態で、レシーブを返すのにも一苦労の状態。そんな状態にも関わらず、俺は田中に無茶をさせてしまったのだ。

 

 結果として田中が足を挫くアクシデントに見舞われ、負傷による棄権で俺達は負けた───簡潔に言うと、敗北した上にその次の試合でリベンジも叶わなくなってしまった。

 

 当然だよな、田中はアイドルだ。無茶させる訳にはいかんでしょ。

 

 と、まあ肝心のバドミントンはアクシデントで終わってしまったが、それを除く球技大会は大した問題もなく進展して行った。男子バスケのグループが女子達に良いところを見せようとここぞとばかりに頑張ってるのとか、面白いを通り越して、微笑ましい気持ちになれたな。

 1年前のように見ているだけでも俺は十分に楽しかったが、今回は田中と共にバドミントンを頑張った。肉体的には疲労しているのだが、心は充実───俺にしては珍しく、家族以外の事で満ち足りた気持ちになれたのだ。

 

 しかし、それとこれとは別だったりする。

 

「......怪我、させちまったなあ」

 

 不慮の事故とはいえ、目の前で事故って田中が怪我をしたのだ。恐らく明日か明後日には今回の出来事を言わずとも激おこプンプン丸のシッホが誕生していることだろう。

 

 そして、またしても殺人タックルからの4の字固め───

 

「......やべぇ、ゾクッとしたわ」

 

 最早習慣化されつつある志保の腕っ節を利かせた反抗に軽く戦慄を覚えていると、トントンと肩を叩かれる感覚が。

 

 何事かと思い振り向くと、さっきまで仕返しと言わんばかりに煽っていた石崎がニッコリとした表情で俺を見ていた。

 

「殊勲賞を取る喜び」

 

「戯言は程々にしとけよ」

 

 隙あれば自分語りとか止めてくださいな。

 

「開幕早々扱い酷いなっ......」

 

 そりゃお前が変な事を抜かすからだ。

 

 まあ、石崎か俺が変な事を抜かし、これまた石崎か俺のどちらかが辛辣な言葉を発するのは最早鉄板となりつつあるのでもうこんなことでストレスを溜めたりしない。

 

「で、何の用だ?」

 

 冗談は程々に話の流れを元に戻すと、石崎はこちらをまるでありえないものでも見るかのような表情で見る。

 

「お前さあ......短い間とはいえタッグを組んだ戦友に一言もなしってのはいくらなんでも淡白なんじゃねえのか?」

 

「そりゃそうだな、お疲れさん石崎」

 

「いや俺じゃねえし。そこは察せよ鬼畜鈍感略してキチドン」

 

 新しく言葉を作るな。序に言うなら造語で俺を貶すな。更に言うなら指をさすな、総じて失礼だろうが。

 

「......田中は保健室だろ?また明日にでもお疲れ様って言えば良いじゃねえか.........色んな意味で」

 

 建前上、露骨に田中の事を心配するのは気が引ける。

 考えても見ろ、ごくごく一般の男子高校生が『ああっ.....田中大丈夫かなぁ!?心配だよォ!!』だなんて言ってみろ。第三者の視点で客観的に見たら案件物だぞ、それ。

 故に心配していない風体を装い『はっ.....』と吐き捨てるようにそう言うと、石崎が眉を潜めて俺を見る。その表情は、少し不愉快とでも言いたげな顔つき。

 

「うっわお前性格悪ッ......兎にも角にも、今日言えることは言った方が良いと思うぞ。どうせお前の事だ、寝たら忘れんだからな」

 

 それに、と1度間を空けて石崎は続ける。

 

「今じゃなきゃ伝えられないことだってあるだろ......お前はそういうタイプじゃなかったか?その日でしか分からない事、言えない事があるってのが信条じゃなかったのか?」

 

「.....過去にも先にも俺がそんな事を思った事は何ひとつねーよ。しかも寝たら忘れるとか.....やだもう石崎くん失礼しちゃうな」

 

 先ず、初めに言っておこう。

 

 俺は、今の台詞をいつもの石崎に当てているような軽口のように言った。けど、先程の石崎の言葉に『ひっかかりのような何か』を感じたのは確かで。

 

 そんな俺の心情を見透かせない程、石崎洋介という人間は鈍感ではないということを。

 

 

 

 

 

「誤魔化すな」

 

 

 

 

 

 

「.....誤魔化す、ね」

 

 確かに、俺は誤魔化したのだろう。腐れ縁であるこの男に今の心情を悟られるのが嫌で、恐らく浮き彫りになっていた自らの心情を深層心理に無理矢理押し込んだのだ。

 

「お前は、少なくとも『そういう奴』だったんだよ。何年腐れ縁やってると思ってんだ。お前の考えてる事───全部とまではいかないが、少しくらいなら分かるし、何よりお前と俺は同じスポーツを同じチームでやっていただろうが」

 

 北沢───

 

 最後に発した石崎の言葉に、自然と眉間に皺を寄せる感触を覚える。

 

「......バドミントン、1部始終を見たぜ。競技は違うけど、お前は何ら腐っちゃいなかった。技術も、相手と対峙した時の余裕綽々のポーカーフェイスも、ふと相手を思いやれるメンタルも、全部お前らしかったよ」

 

「.....それが」

 

 どうした、そう続けようとした俺の言葉を石崎の言葉が封じ込める。被せて言うことも出来た。しかし、石崎の思い詰めたような表情を悟った瞬間、俺は続きを言うことが出来なかった。

 腐れ縁のそんな顔を見るのは、久しぶりだった。何時も明朗快活馬鹿丸出しを地で行く男だ。そして、そんな男がこの表情を浮かべるのは後にも先にも自身がひとつ、譲れないと豪語するであろう『野球』関連の話であった。

 

「お前は才能の塊だった。間違いなく、お前は『天才』だった。それなのに......俺は、お前を野球の道に戻すことが出来なかった。1番の腐れ縁だったのにも関わらず、な」

 

 顔を上げる。しかし、表情は変わらず石崎は諦観に満ちた声色で過ぎた全ての事象を悔やんだ。そして、この声色は続き俺を見据えたまま一言───

 

「なあ、北沢───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺とお前、何処で道を違えたんだろうな......プロ行こうって、日シリ一緒に出ようって、戦おうって、そんな事ばかり言ってたのにな」

 

 

 その言葉に、俺は『昔』を思い出す。かつて、目の前に相対する男がボールを持ち、不敵な笑みでマウンドに立っていたのを扇の要で見ていたおおよそ6年も前の出来事。あの時は若かった───と年寄りじみた事を考えつつも俺は石崎が犯したたったひとつの間違いを言及すべく、石崎を見据える。

 彼は、たったひとつ間違いを犯している。それは、言った当人には分かるようで分からない間違い。人の間違いには必ずそれに関わった人物にも間違いがあるというONE FOR ALL.ALL FOR ONE(1人は皆の為に。皆は1人の為に)擬きの考え。全てがそうなる訳では無いが、少なくとも今回の石崎の考えにはそれが該当する。少なくとも、俺が野球をやめたのは他が悪いとかそういう理由ではないのだから。

 

 

 

「......思い上がりも良い所だぜ、石崎」

 

 故に、俺は石崎の精一杯の善意に釘を打つ。善意で言っていたのは分かっていて、有難いと感じているにも関わらず俺は石崎に半ば悪態を突くように言葉を紡いだ(吐いた)

 

「お前が俺を引き留めた?ああ、そうだな。確かに手前は俺を引き留めた。けど、それに俺が心を揺り動かされたとでも?勘違いすんな、その時から俺の心は決まっていたんだ。仮にお前がそのことに関して邪なことを考えてんなら、そんな考え直ぐにそこら辺のゴミ箱にでも棄ててしまえ。俺は俺だ。誰に干渉されることも無い、俺の意思で『野球を辞めたんだ』」

 

 俺が、俺の意思で野球を辞めた。それは紛れもない事実。故に、石崎が謝る必要は皆無だし、何より自分のせいだと宣うのは自分の意思で野球を辞めたと考えている俺に対してあまりにも失礼ではないか。

 

「それに、道は違えるものだ。将来なんて約束されていない。仮に俺がお前さんの言うところの天才だとしてもだ。幼馴染、兄弟、旧知の仲.....その悉くが同じ球団やプロチームに入ってこれまた海外でも同じチームでプレーして、引退後のセカンドキャリアまで同じ道を辿る事はあるか?そんなの、見たことねえだろ。人間必ずどこかの分岐点で違う道を辿るんだ。それは、俺やお前だって例外じゃない......蛇足だが、その道の天才がその道で戦わなきゃいけない謂れもねえしな」

 

 その言葉を最後に、俺は背を向けた。石崎が何を言おうが俺がこれ以上譲る気がない。かと言って石崎がその言葉を撤回する意思がない以上これ以上会話をしても状況が平行線を辿るのは明白である。これ以上会話を重ねてもそれは俺達には何の意味をも成さないのだ。

 

「じゃあな、石崎。一応忠告は肝に銘じて田中の様子でも見てくるよ」

 

 

 俺は、俯く石崎を背に歩き心の中で石崎洋介という人物に思いを馳せた。

 

 

 石崎の言いたいことは分かっている。ああ見えて、奴は変な所で賢い。きっと、俺が野球を辞めた理由も薄々感づいている。

 そして、その賢さと元来の頑固な性格のせいで石崎は俺に関しての懸案事項を抱えてしまっている。

 

『誰が北沢啓輔を退部に追い込んだのか。または、何故北沢啓輔は野球を辞めたのか。極論、何故北沢啓輔を止められなかったのか』

 

 そんなもの、誰のせいでもない俺のせいだ。故に気にしなくても良い、そう言っているのに馬鹿で阿呆で真面目で真摯な石崎洋介は自責の念を抱き続ける。

 そして、俺はそこまでの思いを抱かせてしまっている事に、罪悪感を抱き続ける───

 

 

 

 

 

 

 

 そして、この感情も何れ石崎と俺が道を違えればお互い忘れる。石崎が陽のあたる場所で名を上げ続け、俺は何処か分からない場所でなあなあに何かをしている。そうしていくことで、その罪悪感も何れ薄れていく。人間なんて、そんなものだ。そんなものでしかないんだ───

 

 

 

 

 

 

 

 

「......っと」

 

 頭の中でそんな事を考えてたら、いつの間にか保健室だ。距離はさほどなかったとはいえ、あたかも一瞬で景色が変わったような状況にやや驚きつつも俺はドアを開けて田中が居ないかの確認をする。

 

「......あら、誰もいないじゃないか」

 

 もしや石崎、シリアスな展開に持ち込んで俺をその気にさせて謀ったのか?ちくせう、奴にしては高度なトラップだ。何処ぞの沙都子ちゃんも吃驚の巧妙な罠に、歯軋りをして石崎に対して呪詛を唱えていると、不意にベッドにぽとんと落ちているピンク色の何かに気が付く。

 

「あ?」

 

 単色では無い、水玉の模様も入っている革製のもの。その存在が財布ということに気付いた俺はその財布を拾い上げる。小銭の音がしない。もしや持ち主はしっかり者か───なんて馬鹿な事を考えて財布に目を凝らしていると、ドアが開く。

 

「失礼します、忘れ物───え?」

 

 その声色の正体が計らずとも田中だと分かった俺は、財布を顔の前に近付けたままドアの方を見遣る。すると、田中が引き攣った顔でベッド近くに立っていた

 

「......よ、よお」

 

「......人の財布の匂いを嗅いでいる───変態?」

 

「違う!」

 

 誰が好き好んで人の財布の匂いなんて嗅ぐか。何処のフェニミストだ......俺はそんな特殊性癖なんぞ持ち合わせていない。

 

「これ、お前のか?」

 

「うん、ごめん......手間取らせちゃった」

 

「俺も来たばっかりだし良いよ.....言っておくけど、匂いなんて嗅いでないからな」

 

 弁解混じりにそう言い、財布を差し出すと、田中はあはは......と苦笑いをしながら俺の掌に置かれていた財布を取る。

 

「分かってるよ......で、北沢くんはなんで此処に?」

 

「お前の様子を見に来たんだよ......石崎の野郎に言われてな。まあ、こうして歩けてんなら怪我は大したことないか?」

 

「......うん、少し足首を捻っちゃっただけだから。まあ、暫くは安静にしてないとダメだけど骨折とか捻挫とかよりかはマシ、かな」

 

「ああ、マシだよ」

 

 何せ、内容によっちゃ1ヶ月2ヶ月かかる怪我だったのかもしれないのだ。そうなれば仕事やレッスンにも影響が出るだろうし、何よりそれは田中の本意ではないはずだ。田中の言葉に便乗し、そう言うと田中は何故か苦笑いして一言。

 

「......ごめん」

 

「は」

 

 いきなり何を言い出すのだこの子は。怪我の診断結果を伝えた所からいきなり謝られても話の脈絡を掴みかねるのだが......。

 

「一応聞くけど、何が?」

 

 尋ねると、田中は顔を俯かせてベッドに向かって歩き出した。その足取りは重く、そして気だるげ。そんな田中の姿を見るのは初めての筈なのに───何故かその足取りに妙な既視感を感じた。

 

「球技大会、バドミントン───良い所までいったのに結局負けちゃって。負けても次があったのにそれも私のせいで出来なくなっちゃって......」

 

「お前が怪我してアイドル出来なくなる方が俺にとっては問題だぞ、志保にスライディングされるからな。それに、俺は地味に優越感に浸れたから別に良いよ」

 

 何せ、皆が汗水垂らして運動している中俺はゆったりと試合観戦だ。余計な労力を使うこともない、事情が事情故に皆から煙たがれることも無い。寧ろ、その逆......田中と共に敵を追い詰めたことで皆から賞賛されるまでに至ったのだ。

 

「あはは......北沢くんらしいね」

 

「田中は楽しくなかったのか?」

 

 応援されて。

 身体動かして。

 敵を追い詰めて。

 

 俺は楽しかったがな、と続けると田中は少し迷う素振りを見せた後にそっぽを向く。

 

「それは......楽しかったよ?皆に応援されて、北沢くんと一緒にバドミントンやって、敵を追い詰めて。負けはしたけど、楽しかった」

 

 そこまで言うと田中が誰もいない保健室のベッドに座り込む。ぽふん、と可愛らしい音がするもののスプリングが軋む音はせず、田中の身体の軽さをベッドスプリングにより感じていると、田中は少し暗い顔で言葉を紡ぐ。

 

「けど......勝ちたかったよ。折角北沢くんが本気になってくれたのに。普段、やる気を出さずに省エネしてるかも怪しい寝坊助北沢くんが普段使わないようなやる気を出してくれたんだから」

 

「やる気......?」

 

 俺がやる気を出すことはそこまで心を動かされることなのか?それは、なんというか.....嬉しいを通り越してショックなのだが。

 

「北沢くん、結構本気でバドミントンやっていたでしょう?」

 

「まあ、そうかな」

 

 先程の省エネ云々は兎も角、本気で何かに取り組んだのは確かに久しぶりだった。やはり、本気で何かに取り組めば楽しい気持ちになれるし、事実バドミントンは面白かった。家事とシスコンブラコン以外に懸命になれることが大してない俺にとっては必死に頭と身体を動かすスポーツをした事は、新鮮だった。

 

「だからこそ、勝ちたかった。一生懸命バドミントンしてくれている北沢くんと一緒に優勝したかったんだ」

 

「そんなものかねぇ.....」

 

「そんなものだよ。だから、なんだろ.....北沢くんがバドミントンやってくれなかったらここまで本気を出すことなんて、なかったのかもしれない。去年と同じでクラスの友達とわいわい楽しんでただけかもしれないし、そもそもここまで熱くなれなかったのかも」

 

 本来なら、それが正しいと思うんだがな。少なくともウチの学校では球技大会なんて体育祭同様イベント(お祭り)みたいなもんだ。怪我をおしてやろうとするような奴は居ないだろうてからに。

 

 まあ、なんだ。田中が熱くなろうが楽しくなろうが俺にとっちゃそれは些細な話であり、その感情次第で俺の運命が大きく変わることはない。故に、どう転ぼうが田中さんが球技大会してくれりゃ俺にとっては良かったのだが────

 

「それで怪我しちゃ世話ねえだろうよ、真面目でひたむきな田中さんよ」

 

 田中さんが球技大会を恙無く終わらせることが出来なかった事は、後々のシッホの俺に対する行為に大きく影響を受けることだろう。主にはスライディングタックルとか、4の字固めとか。田中のせいだとは言わない、てか言えない。寧ろここまで来たら自分の過去の行いが悪いのだと割り切れる。俺が妹に自身で身を守る術を教えてしまったのが悪いのだから。

 

「.....何か今、嫌味に聴こえた」

 

「真面目でひたむきって所か?俺は寧ろ田中を褒めちぎって賞賛したいと考えていたんだがな.....」

 

 田中の良いところは沢山ある。そして、今回の球技大会では沢山の良いところが顕著に見られていた。真面目、ひたむきは平常運転で更にバドミントンが意外に上手かったとか、俺とダブルス組んでくれる優しさだったり、声掛けした時に可愛らしいドヤ顔で反応してくれた真摯さだったり。

 

 そう、下手に田中のせいにしたくないのはそこなんだよな。どんなものにも真面目に取り組む田中だからこそ伝わる真摯な思い。その思いは俺の心の毒を尽く浄化してくれる。

 

 後々になって田中に怒られた事を『なんだよ』と思う時はあった。けど、田中と関わるにつれて、俺が感じたのは田中琴葉という女の子の『真摯な心』。惰性ではない、目の前のどうしようもない男を何とかしようとしてくれている真っ直ぐな心。そんな心を目の当たりにして、本物の毒を吐く気にはなれなかった。軽口は、時として言う時はあるし、そもそも田中が『そうじゃない』と言えばそこまでの話なのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 ........

 

 

 

 

 

 

 なんだろうな、この気持ち。まるで、バドミントンの練習してる時のような熱く滾るような感覚。何時もの俺が感じることは無い熱い何か。

 そんな情動に身体を乗っ取られたのかは分からない。けど、何故か掌に力が入って、心が熱くなって、その想いがとめどなく溢れるように口が開く。

 

「ったく......楽しかったのになんでそんな顔するかね......なんて思ってたらそんな事で顔を曇らせてたのかよ」

 

「む、そんな事って───」

 

 俺が向かい側のベッドに座ると何やら反抗の意を唱えようとしていた田中が不意に目を見開き俺を捉える。

 

「そんなことだろうがよ、たった一度のミスで落ち込んであたかも『この先』がないような体で振る舞う.....らしくねーぞ。しゃんとしろ田中」

 

「───でも、もう球技大会は」

 

「あるだろ?」

 

「え」

 

 田中が素っ頓狂な声を上げて、こちらを見る。その声に俺は少しばかりのため息を吐き、田中を確りと見つめる。

 普段、真摯に向き合ってくれるお返しだ。タイミングを間違ってる感は否めないけど、田中が真剣な時と、こういう時位俺も真摯になんなきゃな。

 

「なら、来年仕返し(リベンジ)すりゃいい話だろうがよ」

 

「来年.....」

 

「お前に球技大会に対してのモチベーションが保てんのなら、俺をまた誘いやがれ。そしたら俺はまた喜んでお前とタッグ組んでやるよ。テニスでも卓球でも何でも来い......漫画の力で何とかしてみせる。だからそんなしょげた顔してんなよアイドル」

 

 田中が悩んだりした顔は、何度も見てきたけどどうにもしっくりこない。田中が一番似合うのはふとした時に見せる優しい笑みだ、少し悪態を突いた時にムッとしながらも最終的には呆れ笑いで許しちまう顔だ。何事にも向き合うと腹を括った決意の表情だ。

 

 俺は、そんな田中を見ていたい。一人の人間として、田中琴葉という偶像依然の一人の人間として、田中を応援したいんだ。

 

「俺は、楽しかったよ。お前みたいな真面目で、ちょっとポンコツで、それでいて目先の出来事に本気になれる田中とバドミントン出来て、さ」

 

「.....ポ、ポンコツ?」

 

「ああ、田中はポンコツだよ。ちょっと恥ずかしい事を言ったら壊れたアンドロイドみたいになる。それをポンコツと言わずして誰をポンコツと呼ぶのか、このポンコツめ」

 

「む.....それを言うなら北沢くんだってポンコツだよ!」

 

「はっ!怪我をしてしまった女の子が片腹痛いわ!!」

 

 お互いに悪態を突き合い、『ぐぬぬ.....』としかめっ面で睨み合う。けど、そんな表情で睨み合うのは今日が初めてだった故か、俺と田中はお互いにくすくすと笑ってしまう。

 

 

 

 

 ───ああ、その表情だ。

 

 

「.....やっと、元の田中に戻ったな」

 

「あ───」

 

「田中はそれで良いよ。お前の持ち味は真面目で、それでもとことん自分のやりたい事に真っ直ぐに、いざという時はぐっと前に進める所なんだからさ......精一杯笑って、精一杯協力して、お前の色を出す!それが出来たなら上出来だ───気張れよ、田中さんや」

 

 最後に、そう締めると俺は今できる最大限の笑みを見せて立ち上がった。最早、此処でやることは無い。終業を告げるチャイムも鳴った。田中がフリーズしているのが少々気がかりだが別に困ることはなかろう。では、帰って当初の予定の通りシッホに励まして貰おうではないか。

 

 どうせ、明日には酷い目に遭うんだし──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......勇気、貰ってばっかりだ」

 

 

 

 

 

 

 

「.....え」

 

 

 それは、唐突な一言。

 

 

 その言葉───否、『声色』に俺は立ち止まった。何時もなら話半分に聞くような言葉なのに、この時の田中の声色に、俺は思わず身体と脳をフリーズさせてしまっていた。

 それは、聞いたこともない声色だったから。何時も真面目で、しっかり者で、勇気のある田中には見合わない覇気がなくて、弱くて、泣きだしそうな声。

 

「.....た、田中?」

 

 俺は、振り向いた。声が上擦っているのが自分でも分かる。けど、そんな事は気にしない。

 

「ねえ、北沢くん」

 

「.....どうした?」

 

「少し、昔の話していいかな」

 

 それは、半ば懇願にも近い声だった。そんな声で頼まれた俺は、無作為に突っぱねる訳にも行かず無言の了承で彼女に応えた。

 

「私、1度周囲の期待に押し潰されそうになった」

 

「周囲の期待?」

 

 周囲の期待、というとあれか?何時もお前が浴びているような声援応援その他諸々の期待ということなのだろうか。

 フリーズした頭で必死に考えを巡らせていると、田中は更に続ける。

 

「誰かに期待されるのが辛くて、本当は泣きたくて、何度も何度もそうしよう、なってしまおうって思ったことがある。けど、『琴葉なら大丈夫』って、そんな事を言われる度に私は期待に応え続けてたんだ」

 

「......それで、1回周囲の期待から逃げたのか?」

 

「ううん。結局私は踏みとどまったよ......何でだと思う?北沢くんに質問」

 

「......さあな、俺には分からない」

 

 そう言うと、田中は少しだけ困ったようにくすりと笑う。その笑みに、俺は更に頭の中がこんがらがってしまう。

 

 さっきの言葉から田中の様子がずっと可笑しい。纏う雰囲気も、オーラも何時もの彼女のものでは無い。

 俺は、田中琴葉という女の子に対して半ば尊敬のような思いを抱いていた。どんな時も、折れず、挫けず、最後まで自分の心の中に潜む芯を折らない女の子。それは、相手が誰であろうと賞賛に値するものだと思うし、万人ができるようなものでは無い。当たり前の事を、当たり前のようにこなす事って本当に難しいことなのだから。

 

「そっか.....やっぱりね」

 

「.....けど───」

 

「?」

 

 少し、目を見開いて驚いたような表情。それを見て少し笑ってしまうような衝動を何とか抑えて、俺は続ける。

 

「お前は1度周囲の期待から逃げようとした。正直、その苦しみは分からないし、悟ろうとしたってお前に『私の気持ちが分かるかー』って罵られるのが関の山」

 

 今言った通り、俺には田中の苦しみは分からない。それは、例え他人であろうとも理解することはきっと容易くはないだろう田中の心理。

 けれど、彼女は苦しいと言ってそのまま終わらせようとしない。昔も、アイドルをやろうとした時も。彼女は周囲の期待に投げやりにならず、向き合って、戦った。それは俺にとってはとても眩しい。

 

「だけど、お前は今も周囲の期待に応えようと頑張っている。トップアイドルになろうと、頑張っている。そういう頑張り、誇っていいと思う。一人の人間として、尊敬する」

 

俺が、そう言うと田中は笑みを見せる。その笑みは、まるで過去を懐かしむ様に、少し歪められた笑み。

 

「今の、北沢くんらしい。何処までも優しくて、気遣ってくれて」

 

「おめーはそこまで俺の事を知ってる訳じゃないだろ?」

 

「知ってるんだよ」

 

「え」

 

俺の過去を?

 

そんな意味を込めて発した一言に、田中は首を縦に振る事で肯定の意志を示す。

 

「私ね、とある野球少年に教えて貰ったんだ。『ひとつのことに真摯に取り組む事の楽しさ』とか、『それを終わらせた後の達成感』とか......ううん、再認識したって言った方がいいかも」

 

「世の中にも、そんな野球少年がいるんだな」

 

「いるんだよ、その少年の目付きの鋭さとかシスコンブラコンぶりとか......もう、本当にあの時色々突っ込みたかったのに、少年の話はとっても面白かったし、嬉しかった」

 

 そう言うと、田中は意を決したように前を見る。その視線の先にあるのは北沢啓輔。その光景は、冬休み直前に田中と買い物に言った時の光景に酷似していた。

 

 そして、今度は躊躇うことは無い。それは、田中の揺れることの無い決意の瞳を見れば、分かった。

 

「北沢くん」

 

 そうして、田中が口を開いた瞬間。

 

「キミが、私を助けてくれたんだよ」

 

 

 俺の過去は、忘れていた過去は、知るべき過去になった。

 

 

 

 

 

 

 

「田中」

 

「?」

 

「俺は、お前のことを覚えてない」

 

 前にも思ったことはある。

 俺は田中琴葉のような真面目な娘を中学時代に見たことはない。それは俺の既定事項のようなものであり、現時点ではそれが『答え』である。

 尤も、何かの欠片がトリガーになって『答え』が変わる可能性も無きにしも非ずだが。

 

「うん、分かってる」

 

「......面目ない。あの頃は、色々精一杯だったんだ」

 

「野球?」

 

「まあ、そうとも言うけど」

 

 野球以外にも、色々あった。まあ、大雑把に言えば家庭環境の事とか、人間関係とか。そういったものが目まぐるしく変わっていくことに免疫のなかった当時の俺は、そういった当たり前のものに過剰に反応してしまっていた。今考えれば、当時の俺は心が狭かったと、理解することが出来る。

 

「あの頃の俺には自分本位の記憶しかない。だからお前の問いには完璧に答えられないし、答えられたとしても、それはたまたま合っているってだけだ」

 

 人間は変わってしまう。色んなことを体験して、人並みに成長して、変わってないって思ってても人から見たら何かが決定的に変わっている。それを中学時代に知った。痛いくらい、思い知ったんだ。

 

「自覚してるとかしてないとかの問題じゃない。『変わらない』なんて殆どないんだ。ルールだって、不都合があれば変わる。感情にだって起伏がある。親友だと思っていた関係性は疎遠になるかより親密になるかの分岐点だ」

 

 そして、俺とお前の関係性も何時かは変わる。

 

「お前の怪我だって、いつかは治る。お前が話してたことは俺が忘れていた......俺がやった行動にも関わらずだ」

 

 何度だって、俺は口にする。

 渋谷にも、石崎にも、田中にも、そして自分自身にも。

 

「田中」

 

「......なに?」

 

 この、鎖のように俺を縛り付ける魔法のような言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

「それは、変わらずにはいられないんだよ」

 

 良いことも、悪いことも。

 

 好感情も、悪感情も。

 

 関係性も、存在も。

 

 色褪せていく思い出も、何もかも。

 

 全部、全部変わらずは居られない。

 

「だから俺はこの先も適当に暮らしていく。もう、何かに期待すんのは疲れたから。極端だって思われてもいい。現状維持が手一杯なんだ」

 

「......悲しくないの?」

 

 田中が問う。その質問に、俺は当たり前のように決められた答えを述べる。

 

「人には、人それぞれの考え方や思想がある。俺は俺で、田中は田中。お前は悲しいのかもしれないけど、俺にとっては.....もう、馴れたよ」

 

 当初は確かに虚無感ともなんとも言えないものを感じていた。それでも、それは日を追う事に変わっていく。その意思が頭に張り巡らされてから野球をキッパリ切り捨てた。道具も、不必要な物は全部捨てた。何故か、グローブだけはどこを探しても見当たらなかったけど、出来る限り.....野球を『する』ことからは遠ざかって行った。その代わり、家族の為の時間に費やした。弟を迎えに行ったり、出迎えたり、夕食を作ったり.....そんな日々は俺の心にぽっかりと空いた穴を少しづつ埋めてくれた。そうして、『現在の俺』がいる。

 

「人の事なんて、分かんねえよ。けど、俺にとってはその生き方が良くて田中にとってはお前が思った道が正しい.....それだけだ」

 

「.....そっか」

 

 顔を俯かせて、田中がそう呟く。長くはない、1部の前髪だけパツンと整えられた髪が田中の目を隠す。それでも、田中は言葉を続けずにその一言のみ。故に、俺はもう1度、言いたいことを続ける為に息を吸う。

 

「だからこそ、俺は田中を応援するよ」

 

「.....えっ」

 

 途端、田中が顔を上げて俺を変なものでも見るかのような眼差しで見据える。何だ、そんな訝しげな表情をして───そう思っていると、田中が言葉を続ける。

 

「ごめん、話の脈絡が理解出来なくて」

 

「いや、案外関係のある話だぜ?お前はお前の進みたい道を覚悟を持って進んでいる。なら、俺はその道に干渉する謂れなんてないから、田中の進むべき道を陰ながら応援してる.....ほら、関係あるだろ?」

 

「.....確かに」

 

「だろ?だから、それに関して俺が纏めたい言葉はひとつだけ」

 

 そう言って、俺は笑った。それは、きっと引き攣ってるだろうと思うけど今の俺が出来る最大限の笑みで。普段使わない表情筋をフル活用して───

 

「お前は進みたい道を突き進めよ。俺は.....ファン1号は、田中琴葉っていう女の子が止まらない限り、ずっと応援してるからさ」

 

 たったひとつ。

 

 田中琴葉という偶像(アイドル)以前の1人の女の子に対して去年から言っていたことを再認識させるべく、そう言った。

 

 

 

「......ほら、やっぱり元気を貰ってばかりだ」

 

「俺に?はは、物は言い様だな。大それた事なんて言ってないだろ?」

 

 進んでいく人間を応援したくなるのは最早人の性といってもおかしくはない。頑張る人間を応援したくなるのは俺にとっては当たり前。それ故に、俺は自嘲気味にそう言う。それでも田中は首を横に振り、何時もの凛々しい顔つきで俺を真っ直ぐ見据えた。

 

「昔も、アイドルやる時も、今も。北沢くんに、貰ってばかりだよ.....だから私からもひとつだけ」

 

 そう言うと、田中は俺にニッコリと笑った。それは、俺が見た中では1番の田中の笑み。本当に嬉しそうに、目を細めて一言。

 

「ありがとう、私に元気をくれて。進みたい道を突き進める勇気をくれて───」

 

「.....あのなぁ、そういう笑みはもっと他の奴に見せてやれば良いじゃないか」

 

「無理だよ、きっと.....北沢くんがいなきゃ、こんな笑みはきっと出来なかったから。北沢くんがそうやって私に勇気をくれなくちゃ、『本当の勇気』は得れないから。だから、ありがとう」

 

「.....もう、勝手にしてくれ」

 

 真正面から、笑顔で感謝をされる事に俺は慣れていない。昔から、感謝されるような事などまるで行っていなかったから。やっていたとしても、きっとそれは人として当たり前の事で、家族にしかそんな事を言われた『記憶』のない俺にとって、田中の感謝は何故かむず痒いものがあった。

 

 それだけではない、何だ───この、心にせり上げてくる感情は。何なんだ、田中のことなんて思い出せないのに、断片的に見えてしまう既視感は。

 

 一体お前は何なんだ。何故、お前は俺の心や面持ちをこうも容易く動かしてくれるんだ。どうして、お前という存在にいちいち既視感のようなものを感じてしまうのだ。

 

 本当に、分からない。

 

「ッ.....」

 

 頭が痛くなり、片手で頭を抑える。それと同時に保健室に向かって足音が聴こえる。恐らく保健室教諭が戻ってきたのだろう。この状況を第三者に見られたなら後々面倒なことになること必至───そう考えた俺は田中に笑いかけた後に出口に向かって歩き出した。

 

「先生来たな。それじゃ、俺はこれで───」

 

「待っ───」

 

 外に出ようとした俺の制服の裾を田中が指でちょこんと引っ張る。

 ここで、いつも通りの俺なら踏みとどまって『何だ』と返すところであったろう。それが、俺───北沢啓輔クオリティだから。

 しかし、今回は球技大会を1試合ながら本気でやり過ぎた故に足腰は溜まった乳酸のせいでふらふら、ましてや疲労感なんてものは抜群に残っている。

 

「うおっ」

 

「え───」

 

 それ故に、俺の体は引っ張られた裾に合わせるかのように、倒れ込む。その先にはベッドと田中。不味い───そう思った時にはすでに遅し。服の裾を引っ張った田中と共に、俺はベッドにもつれて倒れ込んでしまった。

 

 

 

 俺は田中を押し倒してしまっていたのだった。

 

 田中の長く綺麗な髪がベッドに倒れたことにより少し乱雑な状態になって俺の視界に入る。目は、驚愕。頬は少し赤みがかって───まあ、なんだ。扇情的だった。

 

「......な、な」

 

 そして、そうなると決まって起こることがやはり誰かにこういったハプニングを見られるのが定石なわけであって───

 

「なんかすごい音がしたけどどうしたの......って、何やってるの2人共──!?」

 

「ち、違います!!誤解です先生!!私は北沢くんに財布を───!」

 

 

 

 

 

 

 

 結論はただ一つ───

 

 

 この状況は、とても不味い状況だということだった。




バド回は本当に難しかった。
もう少し詳しく書きたかったけど、このまま書いてると永遠に終わる気がしなかったので、バド回は打ち切り───バドミントンの二次創作書いてる人、しゅごい。

そして、今回はシリアス入りました。不快さが滲み出る文章で気分を悪くさせてしまった方は申し訳ありませんが、これがこの作品の肝です。
他作品ネタがシリアスの土台になってしまってるのに危機感を覚えつつ、作ってしまった設定故に変更出来ないもどかしさがあります。

やる気って大切よね。実は私、このパートは作品投稿をする前に作っていたのですが、地の文を書くことを億劫に感じ、何と制作期間6ヶ月!!挙句の果てには16000字という中途半端な長さの物を書いてしまったやる気のないろくでなし作者は私です。

執筆を滞らせてしまい申し訳ありませんでした。前話も合わせて、皆様方の趣味嗜好に本二次創作が適合なされば、ゆっくり読んで頂ければ幸いです。
いや、ホントバド回は茶番なんで.....最悪、後編の終盤さえ読んで頂ければ話の筋的には違和感なく読めるんで。

2019/07/23 14:14 後半部分心理描写を追加。


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