さて、運動部の運動部による運動部の為の祭典である球技大会が終わりを告げ、何時もの穏やかな日常が戻り始めていた昼休みの今日この頃。俺、北沢啓輔は何時もながら窓の背景と小鳥たちの囀りをBGMに見立てて惰眠という名のリラックスタイムを過ごしていた。
今日、田中は何やら用事があるらしく机にはいない。何時もなら惰眠を貪っている俺に委員長チョップが飛んでくるのだが、今回はそんな事も無く穏やかな日々を久し振りに味わうのと同時に、一種の虚無感のようなものを感じていると、不意に肩をとんとんと叩かれる。
はて、誰だろうかと思い上体を起こして辺りを見渡すと、そこにはあたかも当然のように石崎洋介がそこに立っていた......仁王立ちで。
「......で、俺は脛を蹴りあげれば良いのか?」
弁慶の泣き所とか言ったな。仁王立ちで動じないってことは脛を蹴らないとこの馬鹿は反応してくれないよな。
そう思い、立ち上がりつま先で石崎の弁慶を蹴りあげようと思い切り足を振りぬこうとすると、不意に石崎が目を瞑ったまま喋る。
「......田中が転んだ」
「あ?」
「あのしっかり者の田中がだ。それも、球技大会やってから暫く経って、怪我は治っているはずなのにも関わらず良く転ぶ」
ああ、そう。
「で?」
俺が尋ねると、今度は目を見開いた状態で石崎が俺に語りかける。
「単刀直入に言う。お前、何かしたろ」
「ああ、多分」
心当たりなら、山ほどある。例えば球技大会の前に色々いざこざがあったりとか。はたまた惰眠してばっかりでしっかり者の田中さんの反感を得てしまったとか。そういったものが俺の心の中で芽生え続けている限り、俺は永遠に石崎の質問に対して曖昧な解答をし続けるだろう。
主に、心当たりがありすぎるせいで。
「やっぱりてめえか!」
石崎が唐突に俺の胸ぐらを掴みネクタイを引っ張る。俺としては、このまま制服を掴まれて皺なりなんなり出来てしまうと大いに困るので流されるように石崎にくっつく。クリーニング代も、シャツを買い換えるお金もあまり馬鹿にならないからな。
「俺に言われても知らねえっての。強いて言うなら心当たりがありすぎて分からん。田中に聞いてくれよ」
「俺もそう思ったよ......!ってかそうした!」
「で、結果は?」
「見事にあたふたされて逃げられたよ!周りの目線が冷たかった......!正味、興奮はしたっ......!」
「お前真性の変態だな」
「ああ!?変態で何が悪いんだよぉ!?」
そこは否定しろよ。特にお前は人気者なんだから、変な噂とか立てられないように少しは私生活を気にしろ。
「......てか、石崎が荒ぶっているのも全部俺のせいか」
忘れもしない、球技大会後日談。
怪我をした田中を保健室まで運んだ俺は田中の足の治療をしつつ、田中との意外な接点を知り、感謝されて、そして押し倒した───
無論、不可抗力だ。そこまでの根性はないし、あれからやってきた保健室の先生の誤解もひいひい言いつつも何とか解いたし、あれから田中にも謝ったし。別に不都合はないだろうな、なんて思っていたのは球技大会が終わった夜までのこと。
そう、夜まではそう思っていたのだ。
日を改めて田中に挨拶をしようとすると、なんとなんと逃げられる逃げられる。何が悪かったのかはまあ察しはつくし、日を改めて謝りたい気持ちもあるのだが兎にも角にも田中と話すことが出来なければ謝罪もも出来なかろうて。
いっその事謝罪文でも送ろうかしらん・・・
「ああ、全くそうだね。俺が荒ぶっている原因は確実にお前のせいだ。確実にな」
「お前の脳内は平常運転で荒ぶってるけどな」
「なんだ、分かっているじゃあないか」
「自分で言うのもなんだけどそこは否定しようぜ野球部エース」
まあ、田中とは近いうちに話す機会を設けなければならないだろう。流石に挨拶しただけなのに避けられるとかショックで泣く。序に妹にも勘繰られてぶっ飛ばされるし。
当面の課題は、田中さんとお話が出来るようになることが課題だ。と、内心考えていると頃合良く田中が田中がこちらへ向かってくる。何か心ここに在らずといった雰囲気だが大丈夫なのだろうか、なんて心配を他所に俺は席に着いた田中に声をかける。
「田中?」
すると、田中は「ひゃうっ」と情けない声と同時に肩を跳ね上げ、壊れた機械のようにこちらを振り向く。
「え.....なに、どしたの?」
漸く話しかけられたと思ったら、今度はポンコツアンドロイドの田中さんが出来上がっていらっしゃった。もしや石崎の言うところの『あたふた』とはこういうことを言うのか?
軽く石崎を見遣ると、石崎が目を細めてニヤリ───まあ、なんだ。達観者のような表情で俺を見つめていた。その目は『お前の考えていることは間違ってないよ』とでも言いたげな目付きで、その目付きに俺は田中の現在の状況を悟り、迅速に関係を改善すべきだということを悟った。
「あのさ、昨日の件なんだけど───」
「あ、うん!あれは私が悪かったよ!ごめん!!」
顔を赤くして、早口でそう言う田中。そんな何時もらしからぬ田中の状態に俺は改めて事の深刻さを悟る。これじゃあ謝るどころか会話も成立しない。
どうやら、俺と田中さんがまともに会話をすることが出来るのはもう少し先になりそうだ。
何とか、シッホに嫌われる前には関係を修復したいものなのだがな。
☆☆☆☆☆
「とある作戦を思い付いたんだ」
時刻は昼休み。珍しく俺の前の席に陣取って3段弁当を食らっている石崎に今の今まで考えていたことを告げようと話を切り出すと、今まで白米のみの弁当箱に釘付けになっていた石崎がこちらを見て少しだけ胡散臭そうに俺を見る。
「お前がそう言った時の作戦は大抵碌なもんじゃないのだけど・・・まあ、いいや。で、何の作戦を思い付いたんだ?」
「田中の怒りを買う事」
良い案だと思ったんだ。
怒り───というものは時に我を忘れさせる効果がある。情動と熱情に身を任せ、憤怒の想いをありったけの力で解き放てば、何時か普段通りの会話を挟める───なんて思ったんだけどな。
「案の定ろくでもない事だったよコイツ」
珍しくツッコミ役?に回った石崎が俺を呆れた表情で見据えペシっと俺の頭を叩く。
何すんだ坊主、この野郎。
「何時もペシペシ叩いてるお返しだ、こんにゃろう」
そう言うと、石崎は続ける。
「お前、もうちょっと田中に優しくなれよ。いや、人に優しくなりやがれよ」
「環境が環境なだけにそりゃあ無理かもしれんな」
きっと、皆が俺に優しい世界になってくれたら俺も皆に突っかかったりお調子の良い言葉を出す必要も無くなるから自然に優しくなれる筈だ。要は皆が俺に話しかけたりパンチ、キック、チョップ、罵倒をしなければ良いんだ───志保、田中、渋谷、石崎、お前達のことだぞ。
「お前なぁ......まあ、いいか。これで田中と話せなくなるよりかは何らかの対策を講じた方がいいかもしれないだろうし」
「講じた方が良いに決まってんだろ、兎に角今の状況は不味い。具体的に言うとドキドキする。田中を普通の目で見られなくなる」
「リア充は、爆ぜてどうぞ!!ガッデム!!!」
兎にも角にも俺を見てそう吐き捨てた石崎が目線を俺にではなく弁当に合わせた事で、この話は一旦収束する。
あれから、何度か田中とコンタクトを取るべく近寄ってみたのだが近寄る前に逃げられる事が殆どで唯一話しかけることが出来た3時限目休みも、しどろもどろと言った様子で話を逸らされて用事があるとか言われて逃げられた。
今は、何処にいるのかは分からないが恐らく教室へ出来るだけ離れた所で昼飯を食べているだろう。毎度、昼食を教室で食べる俺から離れる為に。
どうやら、俺も随分と嫌われてしまったようだな。田中琴葉という女の子は俺にとってはクラスメイト以上のなんでもない存在だが、球技大会で少しは仲良くなれたんじゃないのかな.....なんて自惚れていた俺にとっては少しがっくしくるものがある。なんだろ、ちょっと悔しい。
ちくせう。そう呟いて白米を平らげると、先に飯を食べ終わった石崎が意味ありげにこちらを見つめる。
「何だよ」
「いやぁ、よくよく考えたら高校入ってからのお前が対人関係で悩んだ事なんてあるかなぁ.....ってな」
「ないな。だって俺、人と関わる事大してないし」
「そんなお前が他人と関わって、対人関係で悩んでいる.....ほー、これはもしかすると?」
変な顔をしてこちらを見る石崎に不覚にもイラッときた俺は溜息を吐いて、石崎に悪態を吐く。
「やっかましいなぁ.....」
「ははっ.....存分に悩めよ、若人よ!」
「おめーは勉強頑張れよ、赤点予備軍」
「うっせバーカ!」
石崎が舌を出してあっかんべーを敢行する。果たして石崎は現時点での自身の学力をどう思っているのだろうか。恐らく、予想だが、1ミリも鑑みてないのだろう。その根拠は簡単、奴が果てしない野球バカであるからである。
だからこそ、俺はそんな石崎のあっかんべーに笑いを堪えきれなくて。
それと同時に少し悲しい気持ちにもなって。
最後には、何で『お前がここに居るんだ、何故ここに居てくれるんだ』って訳の分からない気持ちに至る。
───仮に、周りの人間の運命を変えてしまったらお前はどうする?
───進むべき道が、誰かによってねじ曲げられて、未来の展望も馳せた未来も霧散させてしまったら、どうやってお前は生きていく?
何気ない会話から、かつての過去を思い出す。辞めようとしても辞めきれずにぐだぐだと引き延ばして、惰性だけでやってきた中学時代。葛藤の念に込められた問いは、何時もこれだ。
それでも、そんな想いすらも引き延ばして迷っていたら何時の間にか大切なものを失くした。その何かが、俺を『変わらせた』。
石崎の運命を変えてしまった。
「.....話、終わりか?」
「.....?どうしたんだよ、啓輔」
「.....いや、何もない」
こういった想いに駆られると、石崎を直視出来なくなる。石崎に対しての申し訳なさや、後悔の気持ち。それらが俺を苦しめて、目を逸らさせる。
依然として、俺は石崎に謝れないでいる。
「.....あ、そーいや今日ミーティングだったな」
「そうか、なら行ってやれ。お前の下手くそな高説でも、エースって霜がつくだけで神の啓示になるんだからな」
「アンタ息を吐くように毒吐きますよね.....」
ふぅ、とため息を吐いて石崎は教室を出ていく。その光景を見て、漸く俺は生きているような、そんな気持ちを実感して大きく息を吐いた。
群青色の空は何処までも眩しくて、明るい。果たして俺の俺のこんなモヤモヤっとした気持ちも、この群青色の空のように澄んだものになるのかは分からない。ただ一つ分かること、それは俺の今の気持ちがあたかも曇天のような、そんな面持ちだということか。
泣きたい位の過去に、立ち向かう勇気が今の俺には全くない。
変わり行く景色に想いを馳せることすら、今の俺には出来ない。
それは、総じて恐怖心が勇気を勝るから。
きっと、何かを恐れているから。
コツン
ふと、そんな音が聞こえ、俺は空を見るのを止め反対方向───廊下側を見やる。すると、そこには最近は見なくなった光景、田中さんが席に着いて、一息入れている光景が俺の目に映った。
耳が赤い。平静を装っているつもりなのかは知らないが、俺から見ればそんな装い、平静などではない。
平静というのは俺のようにしっかりとした姿勢で、笑顔を向けて、にこやかに、フレンドリーに────
「や、やあ!田中さんよぉ!随分と俺から逃げ回ってくれたじゃねぇか!」
「!?」
あ、俺もテンパってた。
いつもの俺らしからぬ悪人のような挨拶に、またしても肩を跳ね上げさせた田中に若干の罪悪感を感じつつもコホンと小さく咳払いをする。
「.....こんにちは、北沢くん」
それは、田中も同様で驚いた表情をした後に普段の普通そのものといった表情で俺を見る。いつの間にか、石崎はいなくなり周りの人間もあまりいない故に、窓際にある俺と田中の席だけ、この世界から隔離されたような感覚を得る。雑音は、聞こえない。まるで、遠い。
「おう」
そして、世界は変わった。1度見たことのある世界へ。何時も、俺と田中が入り込んでいる笑いあり、罵倒あり、チョップありの世界へ。
そんな世界がやってきたことに、何処か嬉しい気持ちを得てしまっている俺は、余っ程この世界が気に入ってしまったのだろう。
「そろそろ学期末テストが始まるね。勉強しなくて大丈夫なの?」
「唐突だな。さっきまで俺の声を聴いた途端にそそくさと逃げていた田中さんよ」
「む.....それは、ごめん」
少し申し訳なさそうな表情で謝る田中を見て、今なら改めて非礼を詫びることが出来ると思った俺は椅子ごと田中に向き合い頭を下げる。
「俺も悪かったよ。幾ら事故とはいえ、あれは.....ねぇ?」
押し倒した後に見えたのは、目を見開いた田中さんの表情に、長く綺麗な髪が乱雑にベッドにかかる扇情的な様子。序に言うのなら恵美と出会った時とはまた違った香りが俺の心を少しだけドギマギさせた。
端的に言って、本来なら土下座では済まされない程の大事件を犯してしまった俺なのだが、今回は事故ということもあって、田中からも、保健室の先生からもその件については咎められなかった。保健室のベッドを無断で使ったのはめっさ怒られたけど。
「あ.....あの事はもう忘れてっ」
じゃあ、取り敢えずお前のその赤面する癖を何とかしてくれ。そっちが意識している限り、俺は一生あの事件───黒歴史と形容しても可笑しくはないそれが頭を過ぎるんだからな。
と、まあなんとも自意識過剰な考えを口に出す程この事件を混乱状態にしたくない俺は両手を上げて、降伏の意思を示す。それは、この件に関しては無理矢理にでもわすれますよー.....という軽い意思表示のつもりだ。
「へーへー分かりましたよ委員長。それで?テストが何だって?」
「.....勉強しなくていいのかなって」
そう言ってちらりと俺の机を見る田中さん。俺の机には先程まで平らげていたお弁当に、りっくんがクリスマスにプレゼントしてくれた白いハンカチ。どんなプレゼントでもりっくんのプレゼントという霜が付くだけでご飯3杯は余裕でいける。それ故に、俺は白いハンカチを机にかけ、本来のハンカチの用途とは違った形で愛でていた。
「なんだ、そんなことか。勉強なら今の俺だってしているぞ?」
「.....え?今の北沢くんが?」
「何故、りっくんがハンカチをくれたのか。それを検証する為にりっくんの心理を研究する.....心理学の勉強っ!」
「5教科の勉強をしようよ、国数理社英とか」
まともに返された。なんだろう、凄い恥ずかしい。
「ただでさえ、北沢くんは勉強あまりしてないのに.....本当に大学へ進学するの?」
「うん、するぞ。ていうか、テスト勉強は俺だってちゃんとやっているんだから心配するな。赤点以上の点数位、余裕のよっちゃんだ」
「.....ふーん」
田中さんがそう言って俺を怪しげに見遣る。まさに、信頼していないといった様子。そんな田中を見た俺は、不覚にもイラッと来てしまった。
若気の至りとかいうやつだろう。俺は田中を自分でも分かるほどの薄目で見やると口角を上げて、ニヤリと笑みを送る。
「賭けるか?」
「え」
「簡単な話だ。今回の学期末テスト、5教科で合計点数が高かった奴が勝ち」
「.....テストはそんな事をする為にやるんじゃ───」
「おっけ!つまり自信ないんだな?」
ピクリと田中の肩が上がる。しかし、それはあの時のように慌てた為に肩が跳ね上がった訳ではなく、もっと違った様子。
「そうだったんだな。だったら最初からそう言ってくれれば良かったのに。『私は勝つ自信ありませんー』ってな.....自分のテストに自信を持てないやつが、人のテストに指図とかマジテラワロス──────」
「.....勝負しないなんて、一言も言ってない」
「あ?」
途中まで言いかけた俺の言葉を遮った田中に反応すると、田中は怒りの表情で俺を見遣る。それは、まさに臨戦態勢といった様子。
「勝負するって言ってる。私だって、今回のテストで北沢くんには負けないって自信があるから。弟くんのプレゼントを愛でているマザコンお兄ちゃんには絶対に負けないくらいの、ね」
恐らく、田中は俺の言葉に乗っただけだ。それだけならば、球技大会の時に田中のプレゼンに俺が乗ったそれと状況はさして変わらない。しかし、今回は違う。
田中は、怒っている。俺に挑発されて、真面目な田中は本気で怒っていた。そこで、漸く俺はこの女の子を煽る事がどれだけ危険なことなのかを理解したのだった。
しかし、俺から吹っかけた以上田中の恐怖的な一面を見た位で引き下がる訳にはいかない。何より、偶には俺だってやれば出来る所を見せなければいけないのだから。
「.....わくわくが止まらないよ。今から北沢くんの鼻っ柱が折れるのが楽しみだ」
「.....上等だよ、田中。俺はマザコンじゃあないっていい加減体に染み込ませなければならんし、丁度良いや」
俺は、田中を薄目で見たまま続ける。田中の瞳に、俺のこの姿がどう見えているのかは知らないが、少なくとも俺の心の中にはあの時の球技大会同様熱く滾る何かが湧き上がっている。
「勝負だ、田中。仮にお前が勝ったら、俺を煮るなり焼くなり好きにしろ。その代わりお前が負けた場合───分かってるな?」
「.....絶対に負けないからっ」
お互いが、睨み合う。その光景は、あの時の球技大会と同じ。
熱情は再動員され、俺の熱情を嫌という程滾らせた。
どうやら、熱さはぶり返してしまったようです。
こんなの、望んではなかったんだけどな。
☆☆☆☆☆
「と、いうわけで勝負することになったんだ」
「先ずは正座して琴葉さんに対する非礼を詫びなさい暴言兄貴」
家に無事に帰ることが出来たのならば、俺に待ち構えているのは2通りの光景。1つは、レッスンを切り上げた志保が陸を連れて帰り、一緒に遊んでいる光景。若しくは誰もいない家に、陸と一緒に帰っていく光景。
今回は前者が正しく、またテスト期間でもあった為当番の日に乗っ取り俺が作ったカレーライスを食べ終え、陸が眠りこけ、母さんが風呂に入っている頃に俺達は机に向かい各々の課題を解いていた。
そして、小休憩にと麦茶の入ったコップを2つ持っていきそのうちの1つを志保に渡したところで、俺達は少しの間会話を挟むことにした。
学校のこと、アイドルのこと。
そして、共通する話題───田中琴葉に関して。
「いやあ、まさか煽りを入れたつもりが煽り返されるだなんて思わなかった。田中も成長したなあ、主に精神面が」
「それに比べて兄さんはいつまで経っても精神面が5歳児よね。煽り耐性ゼロの遊び心満載で、精神年齢が年相応なのか疑うレベルよ」
「うっせバーカ」
「馬鹿、ね。誰に口を聞いているのかしら。私?それとも自分自身?後者なら兄さんのツッコミは概ね正しいわ───自分語り乙って所ね」
「母さぁん!!志保が虐めるよ!!」
「.....ふっ」
「おい今鼻で笑ったろ」
確りと聞こえましたからね?普段はクールな志保さんが鼻で笑ったの、確り聞き取りましたからね?
「それにしても、そんな子供じみた理由で喧嘩をするなんて.....本当に兄さんは馬鹿よ。どうしてこういう時に限って子供なの。スペックは一般社会人のレベルを悠に超えているのに」
「悪い意味でか」
それならば自覚している。崇高な精神もへったくれもない俺は時として遅刻や不勤勉等を起こすことがある。そんな俺が一般社会人のレベルを良い意味でぶっちぎってるわけが無い。俺がそう思っているのだ、きっと志保もそう思っているのだろう───と内心思っていた。
けど、志保が続けた言葉は意外にも俺の予想とは反して。
「良い意味、よ」
志保が珍しく、俺を褒めた。
「おいおい、過大評価なんてお前らしくないぞ。お兄ちゃん褒められるのは嬉しいけど、志保のその評価は何か裏を感じる」
「本心よ、今時家事全般が高レベルでこなせる高校生なんてなかなか居ないものよ」
気の所為だと思い、しつこく否定をするものの志保の言葉は変わらない。
明日の天気は槍なのかと本気で疑っていると、志保は続けてため息を吐く。
「過小評価が過ぎるのよ兄さんは。人のことは馬鹿みたいに褒める癖に」
そして、トドメの一言である。
吐き捨てるように言った言葉は図らずも俺の胸に突き刺さり、反抗の意を削ぎ落とし俺の顔を縦に頷かせてしまう。
「.....うむ」
「これに懲りたら多少は自分の家事全般に自信を持つこと。料理だってかつての地獄のような晩御飯より100倍もマシになったのよ。野菜だって確りと切れるようになったし、煮物の作り方だって間違えない。洗濯も、掃除もそれなりに出来る.....良かったわね、兄さん。後は職さえ探せば勝手に生きていけるわ」
「.....確かに!!俺.....一人で生きていけるよ、志保!!」
「逝ってらっしゃい、私兄さんの一人暮らしを陰ながら応援するわ」
「やめてよね、あたかも今すぐ俺が出ていくかのように対応するの」
後、『いってらっしゃい』が変な書き分けされた気がするんですけど気のせいですか?俺、泣くよ?自宅の押し入れに顔をぶち込んでおいおい泣くぞ?
「.....話は変わるけど、餌に釣られてテスト勉強をするのなら是非頑張ったら良いと思うわ。私も兄さんの事に関与出来る程暇じゃないし」
「餌って.....何も俺はそういうのだけで田中に勝負を吹っかけた訳じゃないんだぜ?」
「餌のようなものよ、琴葉さんに何でも言う事を聞いてもらうだなんて.....何時から兄さんはそんなに偉くなったの?」
「一応俺と田中は同年代なんですけど」
「.....ああ、そうだったわね」
思い出したかのような声色でそう言われた。
啓輔マジでショックなんですけど。
「.....まあいいや、なら俺の好きにさせて貰うぞ。一応報酬もあるし、ボッコボコのフルボッコにして田中に1つ言うことを聞いて貰おうと思ってたから」
「.....公序良俗に反する事は絶対にしないこと。それだけは肝に銘じて好きにしなさい」
「分かってら」
やってたまるかそんなもの。
こちとら1度前科紛いの事をしでかしちまってんだ。これ以上田中の評価と自身の人徳が地に落ちるような行為なんてしてたまるかよ。
「ああ、それと」
これ、大事だわな。
そう呟いて、俺は志保に笑みを見せる。気持ちは先程のような巫山戯た気持ちではない、出来る限り妹の事を考えた気持ち。
1度そうなってしまえば志保に対する怒りなんて、なくなってしまう。仕方ないよね、俺チョロいしシスコンだし(自覚)。
「お前もテスト近いだろ?分からないとこ、あるなら相談に乗るから。1人で悩まないでお兄ちゃんに相談しろよ?何時でも見てやるからさ」
そう言うと、目を見開く志保。続いて、目を右に左に動かして口を噛み締めて耳を紅潮させた。目をきょろきょろさせたのは、視線の置き所を探しているのか。全く定点に定まっていなかった。
やがて、志保が漸くこちらを見定めて悔しそうに眉を潜める。───素直じゃないけど時々優しくて、面倒見も良くて、器量良し。ああ、かあいいなぁ。こんな妹が居てくれて俺は本当に幸せだなぁ。
「それは───分かっ、てるわよ」
「ははっ、照れんな照れんな。頑張れよ、志保」
「ッ───喧しい!!」
志保の右ストレートを首捻りで躱して、綺麗な御御足から放たれる強烈な蹴りをサンバステップで回避する。
サンバステップ?それは昔取った杵柄って奴ですよ、志保さんや───と心の中でおちょくっていると、唐突として志保が俺に対しての物理的攻撃を中断して、小さくため息を吐き席を立ち上がって歩き出す。
なんだ、もう終わりか───そう思い勝利を確信して軽く口角を上げていると唐突として隣の椅子を引く音が。母さんが戻ってきたかと思い、嬉嬉としてそちらを振り向くと目の前には志保がワークを広げている光景が!!
驚きで心臓飛び跳ねそうになったものの務めて冷静に俺は志保に尋ねる。
「.....志保さんは俺の隣で何をしてらっしゃるんですかねぇ」
「兄さん、実は私今日中にこのワークを終わらせたいの。テスト期間はまだまだ余裕があるけど、出来る時に終わらせたいし、終わらせる期間が早い程レッスンにも打ち込めるから」
「な、何時間やるつもりだい?」
苦し紛れにそう言うと、志保は純真無垢な笑みで一言。
「終わる迄よ」
俺に、非情な宣告を下した。
「分からない所、教えてくれるんでしょう。こうなったらヤケよ。とことん学ばせて貰うから覚悟しなさい」
「母さん助けてこの子に俺の学力搾り取られる」
その後、滅茶苦茶勉強しました。
☆☆☆☆☆
自習時間───何時もの俺ならこの時間は惰眠を喰らっている所なのだが、今回はそうはいかない。
テスト期間中であり、授業以外にも休み時間を使って復習をしたり、ノートまとめをしたりするクラスメイトがちらほらと出ているが、その例に漏れることはなく俺もテスト勉強とノートまとめを確りと行っていた。
不勤勉のツケが祟ってノートに空きがある所は田中に土下座して見せてもらったりして工夫していた為、そこまでノートに粗がある訳では無い。田中様々なのに勝負なんて仕掛けて良かったのか、と今更ながら思った。が、これまた今更勝負を撤回することなんて出来やしない。
こりゃ勝っても偉そうになんか出来ないぞ───なんてノートまとめを進めていくに連れて軽く戦慄ってると目の前で弁当を食っていた石崎がこちらを有り得ないものでも見るかのような目付きで見つめていた。
「な、なあ。啓輔くん、お前ってそんなに勉強ガチ勢だったっけ?俺こんなキミ見たことないよ?」
「奇遇だな。俺もお前みたいな野球馬鹿見たことがない」
「それは無理がありませんかねっ.....!」
無理あったな。
ただ、今の俺は俗に言うガチ勢って奴なんだ。出来れば、お口にチャック。可能ならお口に裁縫───許容範囲内で、とっとと自分の課題を解いて、俺の邪魔をしないでくれやい。
「ていうかお前もテスト勉強しろよ。幾らお前が野球馬鹿でも最低限の点数を取らないと卒業すら出来ないんだぞ?」
「最低限?おう、進塁打か。プッシュバントなら任せろや」
阿呆、ここに極まれりだな。
何処ぞのECHIGOじゃないんだぞ。何でもかんでも野球と絡みつけるのは止めろ!そういうのが許されるのは中学生までなんだよ!!
「残念だ、誠に残念だが欠点だな」
「そ、そんなぁぁぁぁ!?そりゃねーっすよ啓輔さん!!俺、このままテストで赤点取り続けたら.....」
「.....取り続けたら?」
「.....どうなるんだっけ」
あ、コイツ真性の阿呆だ。
「留年」
「.....龍念?」
「発音が違う。留年、お前はこのまま赤点を取り続けたら欠点になるの。そしたら大好きな野球の夏の大会を迎える前に勉強まみれの時を過ごすことになるの。分かるか?」
そう言うと、石崎は顔をサーっと青ざめさせる。漸く、事態を理解したようで先程まで箸で掴んでいたソーセージをポトリと落とし、固まる。
「そ.....そげなアホな」
「.....この調子じゃテスト範囲も聞いてねえだろ。寝てたもんな、お前」
俺の記憶では、定期テストの範囲が告げられる尽くの授業で夢現の中だった覚えがある。そんな石崎がテスト範囲を覚えている訳がなく、勉強にとっかかれる訳もなく、石崎はあたふたしたまま俺を見つめる。
「け、啓輔!?テスト範囲を教えてくれ!!」
「.....」
その言葉に、一瞬悩んだものの何だかんだ奴は真面目に取り組んでいるものがある。何も俺のように日常生活を不勤勉にこなしている訳でもなくて、時には俺を励ましてくれたり、軽口で会話を挟んでくれる。
そんな奴に何もしないってのは.....流石に気が引けた。
「テスト範囲なら教える」
「け、啓輔ェ.....!!」
取り敢えず、ページ指定されている範囲を5教科分代用の紙に記し、それを石崎に手渡す。急ごしらえのものだが、情報の正確性は保証する。
俺のお墨付きってのが、信憑性の欠片もないので保証したところで意味が無いのだが。
「後は友達に聞けよ、お前なら居るだろ。その手の友人が」
「居るには居るが.....」
そう言うと、石崎は眉を寄せて渋い表情をする。はて、何か不都合でもあるのか?コミュ力煌めく石崎ならノートを見せてくれる友人等山程居るだろうてからに。
それとも、体裁でも気にしてるのだろうか.....否、それならば石崎はとっくに俺と馬鹿なんてやってないだろう。大体、石崎は体裁なんてものには興味を示さない。何せ都立からの下克上を狙っている男だ、体裁を気にするのなら今頃スカウトのあった高校へ入学し、大エースとして君臨しているだろう。
それならば、何故───?そう考えた俺の疑問は、意外にも速く収束した。
「.....皆、野球ってひとつの目標に向かって頑張っている傍らで確りと勉強も頑張ってんだ。それにも関わらず、俺は誰かに頼りっぱなしで良いのかな?野球だって、勉強だって」
───。
石崎にしては珍しく頭を使って悩んでいる。奴がこんな風に悩んだのを見たのって何年くらい前かな?流石に急展開過ぎて、話についていけないぞ。
暫し、石崎から発せられる陰鬱なムードに馴れて今の石崎の状況に応じた正しい言葉遣いをしなければ。
「圧倒的な奪三振ショーも魅せられなければ、勉強だって誰かの力を借りてギリギリ赤点回避。そんなのがキャプテンで良いのかな.....って最近思うんだよね」
「ああ、お前基本石直球を打たせて取るピッチングだし、バッティングもアベレージ残して、他の奴に勝負を決めさせる脇役タイプだもんな。」
「ははっ.....そうだよ。俺はそういう人間───」
「オマケに小さい頃はおねしょを俺に押し付けようとした挙句に先生にバレたり勝負を決めようとホームランバッターになろうとしたら率すらも残せない打率1分バッターになったし、そう考えたらお前ってつくづく主役にはなれないよな」
「アンタ容赦無さすぎっすよね!?何なの!?俺に恨みでもあんの!?」
「.....おめーがネガリ始めたんだろうが」
どうやら先程のような軽口は今の石崎には適合しないらしい。なら───真面目に話した方が良いのかな。
うん、よく考えたらそっちの方が間違いないじゃん。時として『え?何マジになってんの?プギャーワロス』とか言われることがあるかもしれないけど(実体験)別に石崎にマジになったってなんにも失うものなんてないじゃないか。
過去の俺を殴りたい。
石崎の過去を開陳すれば、何時かあの明朗快活馬鹿丸出しの石崎に戻るんじゃないのかって浅い考えをしていた俺をぶん殴ってやりたい。
「.....石崎」
「?」
「世の中には色んなタイプの選手が居るよな。アンダースロー、サイドハンド、クォーターハンド、オーバースロー。投手だけでも大きくこれだけは分類出来る。その中でお前の生き方、なんてものはその他大勢の1部でしかない」
「それが───どうしたよ」
「お前の生き方は恥ずかしくねえって事だよ。誰かに頼ったって悪くは無い。それもひとつの『主人公』の生き方だ。全員が奪三振マシーン四番パワーヒッターの俺TUEEEEなんてやってたらこの世界のバランス崩れるだろうが、分かりやがれよ炎上ピッチャー」
「え、待って。何で俺って馬鹿にされてんの?」
言葉の綾だ、気にしないでくれ。決してお前のピッチングをディスってる訳じゃないから。ないったらないから。
「兎に角、お前がやらなきゃ行けないのは現状の自分に自信を持つこった。それ以外は知らね、後はお前がどうにかしろよ」
「.....でも」
────ああ、うざったいな!!
あまりのセンチメンタルっぷりに業を煮やした俺は立ち上がり、上を見上げる。そして、一言。隣のクラスに届くような大きな声で────
「お前らのエースが!!日本の!!野球の!!直球勝負界のエースがピンチだぞ!!助けてやれよゴラァ!!!!!!!」
「ちょ、お前大声で何吹聴してんの!?」
石崎が俺に制止の声をかけるものの時すでに遅し。俺の大声を聞きつけたのか、帽子のキャップを被った総勢16人程の男達が教室へ駆けつける。
こうして見ると、特徴的な奴が多い。明らかにパワー鍛えてますよって奴だったり俊敏そうな1番バッターだったり、石崎好みの選手が多いようにも感じる。
「話は聞いたぞ.....石崎!」
「お、岡崎.....」
「俺達、同じ仲間じゃないか!」
「相談くらいしろよ、エース!」
「お、大山.....中谷」
「チームはお前が居ないと始まらないってのに、その張本人が練習出れないでどーすんだよ!」
「ウホッ!(無言の肯定)」
「島田、陽川.....皆」
やがて、話を聞きつけた野球部諸君が石崎の方へ集まり笑みを見せる。その数は16人。石崎洋介という人となりが惹き付けたやる気と根性に満ち溢れた仲間達である。
『さぁ!赤点回避して甲子園出場しようぜ!!』
「すまねぇ.....すまねぇ.....」
ファイト、石崎。
赤点回避に向けて頑張れよ。
.....ていうか、罪悪感あるならこれからは幾ら要領が悪いからって勉強を睡眠時間に費やすのは止めろよ?練習キツくて不可抗力な面もあるにはあるんだろうけど。
と、俺もそろそろ勉強しなきゃな。そう思い、机の上に置いてある暗記用ノートに目を遣ると、カキカキとノートに何かを記入した時独特の音が俺の隣で激しく鳴り響く。
無論、その音の正体は田中で先程からなのかは知らないが田中もガチ勢が如くスピードと迫力でノートに問題と答えを記入していく。そんでもって田中の字は正確で、綺麗で、若干その字に見蕩れてしまったのは俺の心の中に留めておく。
「よお、田中さんよ。そんなにぶっ通しでお勉強してたら頭がパンクしちまうぜ。たまには休憩したらどうだ?」
田中のペンが一段落ついたところでそう提案するも、田中はこちらになど目も遣らずに一言。
「いい」
「.....あっそ」
眼中に無いってことなのだろうか。何かそれは非常に悔しい気がするのだが、その心配は杞憂に終わり田中はこちらを見て心配そうな顔を向ける。
「北沢くんこそ、何時も学校でまともに勉強した事ないんだから、疲れているんじゃない?」
「対戦相手を心配してくれんのか、お人好しな奴だな」
それとも皮肉ですか?だとしたらご生憎様って奴だ。俺はこれしきのことで疲れたりはしないし、こんなので折れるくらいなら今頃志保のパンチや渋谷のパンチに殺られてとっくに引きこもってる。
「はっきり言おう、無問題だ。これしきの事で疲れてんならこの高校には入れてない。土壇場での俺の集中力を舐めない方がいいぞ、や.....マジでカンペキだから、自画自賛したくなるくらい最強だから」
「.....それ、自分で言わなければ格好良かったと思うんだけどなぁ」
「お、そうか?田中に格好良いと言われるなんて、光栄だな」
素直に嬉しいと感じたので、流れに身を任せてそう言うと少しだけ頬を膨らませた田中がこちらを見て、悪態を突く。
「今の北沢くんを褒めてるんじゃないよ.....」
ただ、その可愛らしい顔つきのせいで怒りが怒りに見えないのはご愛嬌って奴なのだろうかな。
「はっはー、落ち着けよ田中。そこの問題間違えてるし」
「.....え」
それは、漢字の対策の勉強。ちょっとしたケアレスミスを指摘すると、小さな声を上げた田中は俺が指さした方向を凝視し、肩にかかった髪を少しかきあげた。やがて、自身の間違いを理解したのか『あ』と素っ頓狂な声を上げると、少し赤面して、コホンと咳払い。
「.....ありがと」
「ああ、気にすんなよ、後々『敵に塩撒いちゃった!!』とか言って後悔しないように俺も頑張るから」
それに、勝負は正々堂々が良いもんね!
汚いやり方はせずに、正しいやり方で勝つことが出来ればその時の喜びも倍になるからね!そう思い、下衆な顔をしていると唐突に田中の表情が曇り、ジト目で俺を見遣る。
「.....やっぱ今の言葉は取り消す」
「ええっ!?」
「.....馬鹿」
言葉を急に取り消され、罵倒されました。
理不尽じゃありませんかね?
ちょっとした用語集
岡崎、大山、中谷、島田、陽川
=本編のオリキャラ。今後は出る予定は少なめなので覚える必要はないが、モデルは某球団の選手達。尚、作者石崎くんのモデルがロッテに移籍したことにより絶叫。何でや.....