テスト、なんてものに力を入れるほど俺は勉強熱心でもないし、成績が不味いわけでもなかった。
ただ、今回の俺がテストに力を入れるようになってしまったのは、本当に成り行きで、どうしようもない事だったのだ。
絶対変わらないなんてものは存在しない。故に、絶対テストで力を入れない、なんて事が永遠に続くわけでもなし。実際、少し成績が不味かった時はテストに力を入れた日もある。今回は、テストに力を入れなければならない時間なのだ。
ならばやってみよう。勉強だって特別嫌なわけじゃない。サクッと勉強して、サクッと田中に勝って、サクッとご褒美だ。
公序良俗に反する物以外で、田中に何をしてもらおうか───そんな期待を他所に、俺は嬉嬉として近くの図書館へと向かっていった。
図書館には様々な本や資料がある。それを有効利用しようとする輩は図書館によく行くのだが残念ながら俺は知識を蓄える趣味を持ち併せている訳では無い故に、図書館にはなかなか行った事はなかった。
それ故に、1部の部屋がこれだけ喧しいものだとは思っておらず、俺は内心頭を抱えて自らの思慮浅さを悔やんでいた。
「おいおいお前図書館でなんつー物食ってんだよ!」
「ぎゃはは!!ポテチポテチ!!」
「本が油まみれになったらどうすんだよぉ!!」
男衆3人組が何やら粗相をしているみたいで周りがひそひそと何かを言っている。
そんな中図書館へ入ってしまった俺は入口で立ち尽くして、この悲惨な事態を傍観していた。
「......俺、勉強したかっただけなんだけど」
まあ、仕方がない。
流石にこの状況は看過できないし、図書館は意外にも暖かくて、勉強するには環境良さげだからここで勉強したいという思いもそれなりにあるし。
普段、目立つのはあまり好きではないがここは俺が何とかして状況を覆そう。
「回し蹴りからのジャンピングニーキック.....いや、ここは正攻法で文字通り表へ引っ張り出すか.....」
そう呟きながら、その3人組に近付こうとするともう1人俺と同じくこの状況を傍観している女の子がいた。髪は瑠璃色にも似た水色で、透き通るような髪質をしていて、それなりに雰囲気もある故に、この図書館の中ではあの男達に次いで目立っていた。
「何故、誰も止めんの‥‥‥?」
少女が1人、呟く。そして、その言葉に俺はピクリと肩を動かし少女を見る。後になって、俺は少女の言葉に反応なんてしなきゃ良かったと心底思うのだが、当時の俺に反応の是非を正しく見分ける程の冷静さは持ち合わせておらず、目の前の女の子に思わず声を掛けてしまった───
「皆、怖えんだよ」
後ろから声を掛けた俺にピクリと肩を跳ね上げた少女が俺を見る。その目はやや、訝しげ。そりゃそうだよな、だって初対面の人だもん。自分の独り言に反応されたんだもん。
少女は咄嗟に身構えて俺から距離を置く。懐疑的な視線と1歩下がったその距離感に、見えない壁を感じる。その一連の動作は、見知らぬ人物に声をかけられた際の対応の仕方を教えこまれたかのような軽い身のこなしであり図らずも俺の精神をぶち壊した。
「何者ですか」
しかし、めげている訳にもいかない。距離感を取られているのなら素性をとっととバラして、彼女の信頼を得れば良い。
嫌なものは良いものに変えていけば良いんだ。『変わらないなんてない』んだから.....だぁいじょうぶだって!!
「俺は北沢啓輔、野球と馬鹿が死ぬほど嫌いな高校生。以後よろしく───で、お前のさっき言ってたことだが」
そう言って、俺は辺りを見回す。するとそこには迷惑そうな顔つきをしつつも怯えた目付きをしている皆の姿。そして、それに気付いた彼女はハッとしたように俺を見て、少しジトっとした目付きで俺を見る。
「皆怖いと思うぞ?やっぱり、不良と絡むと碌な事にならないし。真面目な女の子だって、クールな美少女だって不良にかかればポンコツ、ドS、暴力的になる───いるんだよ、うちの学校と俺の知り合いに」
不良(生徒)と関わって時々ポンコツになっちゃう可愛らしい女の子が。
不良(生徒)と関わって時々ドSになっちゃう花屋の一人娘とか。
不良(生徒)の妹でコークスクリューかましてくる目付きの鋭い女の子が。
「.....それは、恐ろしいですね」
「だろ?皆不良に会って一番最初に考えるのは、自身をおかしくさせられちゃうんじゃないかっていう恐怖なんだ。外見もさながら、アイツらはなんでもありだからな。不良を舐めちゃいけねえぜ」
「.....もしや貴方も怯えている部類に入るのでしょうか」
それはどうだろうなぁ.....
いや、確かに不良学生を相手にするのは怖いんだけどそれ以上に不良生徒の俺がこれ以上失うものってないし、生憎カツアゲされる程の金も持ち合わせていない。序に言うのなら金より大事な妹弟が今は居ない。
「.....怖くはない、止めたいとも思う。ただ1人では心細いのも確かだ」
「怖いのですね」
「怖くないもん、心細いだけだもん」
「はあ.....」
要領を得ない俺の発言に、女の子は何やらジト目で俺を見つめる。そんな瞳に晒された俺は、胸が少しばかり辛くなる。
というか、痛い!!視線が痛いんだよ!!隣の女の子のジト目の威力が呆れた視線を向ける志保顔負けなんだよ!!そんな目で俺を見るなよォ!!
「.....分かったよ。行けば良いんだろ、行けば。1人で勝手に行って、死んでしまえとでも言ってんだな。ああそうかよ、お前はとんだ愉快犯だな」
「何を言っているのですか?別に私は貴方に出張れとは1度も言ってないでしょう」
コイツ、どの口が言うか。
お前のその呆れた視線は俺という人間が『頼りない』と語っているのと同義だろう。そんな視線に晒された男がどうなるか分かっているのか?殆どの男は良いところ見せたくて特攻してぶちのめされるんだよ。
「鏡を見たらどうだ?今のお前がどんだけ哀れなものを見るかのような表情で俺を見ているかが分かるからよ.....!」
「.....人の顔を物申す前に先ずは貴方の顔を拝見なさっては如何でしょうか?その程度のことにも気が付かぬなど.....馬鹿なんですか?」
「うるさいよ!?それ位自覚してるよ!!俺の顔がイッちゃってる事くらい分かってる!!」
ぐぬぬ.....と呻き声を上げて、女の子を見る。それに比べて、女の子の顔は涼しげであり、俺を目の当たりにしても先程のようなクールな表情を崩さずにこちらをじとーっとした目で見つめる。
しかし、それも束の間。周囲がザワつく様子を耳で察知すると、気が付けば男達が俺たちを3人で囲んでいた。あらヤダ、リンチですか?
「困りましたね、囲まれました」
「せ、せやな.....」
まさか囲まれるとは思わなかった。少なくともこちらから突っかからない限り絡まれるような事はないと思ったのだが。
まあ、これだけ大声で喧嘩してたら仕方ないだろう。アイツらが館内でポテチを食いながら本を読んでいたのは紛れもないマナー違反だが、俺達もそれは大概である。
「おい、テメーらうっせえんだよ......人前でイチャコラこきやがってよ」
やがて、不良達はこちらに目敏く反応し自らの事は棚上げしてこちらに不快そうな視線を向ける。
「そうだそうだ!!」
「図書館迷惑だってんだよォ!!!」
耳が痛ーい!!!
「図書館迷惑.....?それを言うのなら貴方方の粗相も些か問題なのではありませんか?図書館で食を摂り、汚らしい手で本に触る。その行為がどれだけ職員に迷惑をおかけになっていると思っているのですか」
俺等も自身の事を棚上げして不良を成敗しようとしてるよ.....もう無茶苦茶だぁ。
どうしよう、俺も便乗すべきかな?それとも静観キメとくか?どっちが彼女や他に好印象を持たれるか、それが大切なのだが────
少し考えて、俺も便乗する事を目指した。
「せやせや!!脂ギッシュで気持ちわりー!!」
負ける気せーへん!!二人がかりやし!!二人がかりで正論ぶつけてれば勝てるわ!!
「黙っていてください」
「うるせえんだよ馬鹿野郎!!」
「はっ!女の子に怒られてやんの!!」
「プギャーワロス!!」
「.....」
何でや。
何で俺は四面楚歌の状況を強いられているんだ?
「どうせ立場的に不味くなった事を危惧し、便乗等といった浅慮な行為に耽ったのでしょう?貴方が出張ると碌なことになりません、大人しく私の陰に隠れていてください、北沢」
そんなことはないと信じたい。
ただ、俺の深層心理は何を考えているのか分からないから当てにならない。
そんな俺の気持ちを無視して冷静沈着にそう返した女の子は、溜め息を吐いて再び不良3人組に向き直り鋭い切っ先のようなジト目を向ける。
「で、どうするのでしょうか。このまま貴方方が幾ら足掻こうが図書館から追い出されるのは既定路線でしょう。このまま罪を重ねるか、大人しく出ていき、二度とこの図書館に足を踏み入れないか、死ぬか、どちらか決めてください」
「物騒だよ、怖いよ」
「黙れと言いましたが?」
鋭い目付きでひと睨みされて、しょげる。
便乗なんてしようとした俺を、殺したい。
穴があるなら埋まって、死にたい。
「う.....うるせえんだよ!!」
「けっ!お高く止まりやがってよ!!」
「良い子ちゃんでちゅねー!!」
素直に止めろと言ってやりたい。
煽れば煽るほど自らの浅はかさを恨むことになるぞ。
「大体テメェらは見せつけてそんなに楽しいですかー?」
なあ、止めろって。
「マナー違反が許されるのは小学生までだよねー!!」
止めてやれって。
「ばーかばーか、はっはっはー!!」
.....
かっちーん。
「おい、俺とお前は何処ぞのバカップルみたいにイチャコラこいてるように見えてたらしいぞ。お前とそんなことをしているように見えてたのは屈辱の極みなんですけど、啓輔マジドン引き」
「私が貴方と?冗談はその犯罪者のような目付きだけにしてください。寧ろショックを受けたのは私の方です、よもや貴方のような珍獣とそういった間柄に見えているとは」
「......あ゙?」
「......は?」
「無視してんじゃねえよ!!」
五月蝿い。
お前らのせいで俺は彼女に呆れた視線を向けられるし、怒られるし、図書館からの評価はダダ落ちだし碌な目に遭ってねえんだぞ!!(逆ギレ)
何時も変態行動を起こして、呆れさせてしまっている志保にそんな目付きで見られるのならまだしも出会ってものの数分しか経っていない女の子にそのような目付きをされるのは俺のメンツが許さない。
「......五月蝿い」
「!?」
「さっきからそうだ......元はと言えばお前等が騒いでなけりゃあ俺がこの子にこんな目付きをされることも無かったんだよ。この落とし前どう付けてくれんだ......あ?」
「し、知らねえよ!!」
「挙句の果てに責任転嫁ですか......つくづく、最低ですね。というか、人として有り得ないでしょう」
「そうやって細かい事を気にしてるから白髪になるんだよ。それに、俺は事実を述べた迄だ。そのポンコツなお可愛い脳内で考えるんだな」
「しらっ......!?ポンコツ......!?言いましたね。言ってはならない事を言いましたね!これは地毛です!!それを言うなら貴方の終末期のような目付きこそ何とかすべきでしょう!!」
「ああっ!?遂にお前も言っちゃいけないこと言った!!この目付きこそ生まれつきだ!!ていうか終わってねえし!俺の目付き終わってねえし!!」
「な、何なんだよお前等は!!」
「少し黙ってろ!お前は今蚊帳の外にいるべき存在だから.....ああ、でも後で覚えとけよ。表で確りと教育的指導してやるからよ.....」
「.....誠に不快ですがこの男の言う通りです。貴方達の行動は些か問題ですがそれよりも問題......否、最早問題外の男を何とかしなければなりませんので」
「うわ、お前と同じ意見とか嘘でも止めて欲しいわ.....ねえ、止めて?嘘でも止めて?」
「貴方が意見をねじ曲げれば良いでしょう。便乗なんてしてしまう心の軽さを以てすればその程度簡単なことでしょう?」
「あ゙?」
「は?」
「ひっ.....」
「さっきから初対面の人に毒ばかり吐きやがって.....そういうのはもうちょいお互いを知ってから吐き出すべきだろ?」
「それならばもっと理知的な返答をして下さい。正直貴方の便乗行為と発言諸々は他の人間の神経を逆撫でするだけです」
「それは申し訳ない」
いや、自分キレると中途半端に語彙力低下するんですわ。
自覚してるだけに指摘されるとなかなか辛い。
「ええ、本当です。もっと誠意を持って.....は?」
いや、だから悪かったって。
それよりも、もっとやらなきゃならないことがあるし、この件は俺の敗北って事で手打ちにしようや。
「てか、よくよく考えたら便乗なんてせずに黙って通報すれば良かったんだよな。という訳で俺携帯持ってるから110番するね」
いや、ガチのマジで。
女の子が不良に囲まれて(俺も含む)メンチ切られてるとか普通に案件物だから。助けを呼んで良い奴だから。
そして、それを傍観してた俺のクズさよ。便乗するより前に、もっとやるべき事があったのに、それを見落としてしまっていた。
全く、俺は中学生かっての。こんなんじゃ宿題をしなきゃいけないのに他のことしてる子供と同じだぞ?俺は高校2年生、いい加減やるべき事の優先順位位ハッキリさせなければ。
それに気づけた俺はやばいよ凄いよと自己陶酔に浸っていると、男がポテチで湿らせた手で俺の制服の胸倉を掴む。ちょっと待て、普通に汚いぞ。
「法に訴えるのかよ!?」
「訴えて何が悪い。言っとくがな、俺の安いプライドなんて既にこの女の子とお前らにズッタズタに切り裂かれてるんだ。今更.....逃げたところで恥ずかしくないね、寧ろ清々するわ」
スマホのロックを解除して、110番のボタンを押そうと電話帳を開く。男が焦って俺のスマホを振り払おうとするも、手の自由を奪われている訳でもない俺は器用に迫り来る男の手を掻い潜り110番と押し、着信。
「ち、畜生!!覚えてやがれよこの野郎!!」
「この腰抜け野郎め!!」
「やられたらやり返す位の気概でかかってこいよ!!」
あーあー聞こえない聞こえなーい!!
男達が捨て台詞のような何かを吐いて逃げ出す。その罵声に両耳を塞いで居ると、今の今まで呆気に取られていた女の子がこちらを見て、何やら呟いている。
きっと、心の中で外道とか思われているんだろうな.....なんて恐らく生暖かいであろう目付きで女の子を見つめていると、漸くこっち側の世界に戻ってきた女の子がこちらを見て一言。
「......なん見とるん」
開幕早々発した言葉がそれですか。
や、彼女の先程までの言葉を掻い摘んでこうなるってのはある程度想像出来たけど、それでもやっぱり現実と想像とでは言われた時の心の痛みが違いますよね。
俺とて、志保や渋谷に物理的攻撃を受ける時に何も対策をしていない訳では無い。予めどういった攻撃が来るのかを想定して、どういった攻撃からどういった痛みが来るかまでしっかり織り込んで回避の想定をしている。それでも、やはり現実の痛みは想像の痛みを遥かに超える。常に現実は俺の想像を超えていくのだ。
ああ、後例えるならりっくん。夢とか想像とかでりっくんと遊んでいるより現実でりっくんと遊んだ方が何億倍も楽しいし、りっくんが可愛い。
大事なことなので、もう一度言う。りっくんは可愛い。
「いや、なんだかんだ何とかなったなぁって」
スマホの着信を止めて、心の中で自問自答しながらそう返すもやはり彼女は俺に好意的な対応等はせずに『はぁ.....』と小さくため息を吐いて、俺を見遣る。目は細められており、鋭くて怖い。女の子の向けるような眼差しなんかじゃないよ、これ。
「何が『何とか』ですか.....まだ、何も終わっていません」
「え」
隣の女の子は膝を着き、先程まで男達が食い散らかしていたポテチを拾い上げる。その上品な手つきとは裏腹に、顔は不快そうな表情を全面的に押し出していた。
「ポテチ.....油の塊と聞きますが、ここまでとは」
「お前、ポテチ食ったことないのか?」
「お前じゃありません、白石です.....ええ、このようなものは食べたことありませんね」
「食うなよ?幾ら物珍しいものだからって」
「食べる.....?貴方は私が拾い食いをするような下賎な輩とでも思っているのですか?」
女、改めて白石はこちらを睨み付けて俺を厳しげに糾弾する。冗談で言ったつもりが、どうやら彼女には通用しなかったらしい。
会話の内容や流れから彼女の性格を読み取れなかった俺のミスだ。彼女には冗談めいた事は言うべきではない。寧ろ、怒りに身を任せていた時の方の話し方の方が良いのだろう。
「悪い、冗談だった。今後一切冗談は言わない。お前には冗談が通用しないらしいしな」
「.....冗談?つまり貴方は冗談を用いて私を辱めようとしていたのですか?」
「うん、だって俺白石嫌いだし」
「.....奇遇ですね、私も貴方のような男は大嫌いです」
ある意味相性抜群で良かったらしい。本音をぶちまけたら、白石も笑顔でこっちを見て毒吐きやがったからな。
「.....ですが」
「?」
「感謝、しています。きっと1人では何も出来ませんでしたから。貴方と戯れを起こさなければ私自身も先程の集団を傍観しているだけの、1人だったのでしょう」
そっぽを向いて、言葉を選んでいる様から感謝の言葉を言いずらそうにしているのが、目に見える。別に、御礼乞食でもない俺にとっては感謝などされなくても、良かったのだが、折角白石が御礼を言ってくれたんだ。俺も───
「.....そこで突っ立ってないで、ポテチを拾ってください。貴方はのろまなんですか?いいえ、鈍足ですね。鈍足二足歩行者───
「俺の名前は北沢啓輔だ。某じゃねえ」
「覚えるつもりは皆無なので」
辛辣だなぁ。
☆☆☆☆☆
あれから、ポテチを拾い上げた俺と白石は特に会話をすることなく普通に別れた。俺は本来の目的である勉強へ、白石は図書館を出て何処かへ。
どうやら彼女は石川から東京の下見に来たらしく、4月から住まいを東京へと移すらしい。何なら観光案内でもしてやろうか、もしくはその手の奴等を紹介しようか───なんてごく僅かとなった善意を振り絞ってそういったものの白石はこちらを振り向き、ジト目。
『貴方に頼むくらいなら、1人でやってみせます。結構です』
と、一蹴され俺の善意は完全に砕け散った。
なら、勝手にやってくれと肩を竦めるも、白石の姿を見た俺はちょっとした懸念材料に駆られる。曰く、彼女は石川からやってきた旅行者であり東京へは下見に来た。しかし、持ってきているのは軽いバックに軽装───こんな状況で道に迷ったりなんかしてみろ、確実に終わるぞ。
幾ら喧嘩したとはいえ、今では軽口を言えるまでになった女の子だ。ここで見殺しのような形になるのは後味が悪い。俺は自身の連絡先を記すと無理矢理白石に押し付け、捨て台詞を吐く。
『困ったら、連絡しろ』
そこで、俺は白石に別れを告げてとっとと勉強へと戻って行った。ほら、大した会話してねえだろ?一言二言言葉を交わして、最後は善の押し売りのような形で白石に連絡先を渡して、別れた。何らおかしなことじゃない。罵倒されたのは、充分普通じゃないけど、泣きたいけど。
先程までの事件を思い出しつつ、俺は休憩がてらの読書をする為に小説関連の本を探していた。人間、予め目標のような何かを目先に置いておけばやる気が出るものだ。そして、今回の俺の目先の目標───ってのがその小説関連の本って訳だ。休む、読む、休む、読む───確りとしたサイクルを作れれば学力は飛躍的に伸びるであろう。
それにしても、彼女───白石は本当に凄かった。まさにヤンキーと称しても可笑しくない確りとした体つきをした男3人組に負けず劣らずの言動で弾き返してしまった。それこそ、まさに俺TUEEEE小説のキャラみたいなレベルで強いなぁ、なんて感慨に耽る。
「けど、罵倒は許さん。後であったら今度こそ語彙力で白石をぎゃふんと言わせてやる」
ま、俺の語彙力じゃ弾き返す前に吹っ飛ばされるだろうけど.....そう呟きながら、何気なく手に取った小説を捲り内容を浅く理解しようとする。
「......ふむ」
どうやら俺が手に取ったのは大層なファンタジー小説だったらしい。主人公がとある国の王子様で、結婚する為に婚約者の元へ3人の仲間と共に行こうとすると、自分の国が潰れてしまい、事件の謎を追いかけ、代々伝わる王家の力を集めていく物語。
良いな、これ。王子様の性格は傲慢だけど仲間を信じているのがひしひしと伝わってくる。この先の展開も気になるし、これにすっかな。
我ながらベストなチョイスをしたことにガッツポーズをしていると、不意に視線に見られる嫌な予感が俺を襲う。
こんなことなら、ガッツポーズなんてしなきゃ良かったな、なんて考えを頭から振り払い、恐る恐る後ろを向くと、そこには女の子がいた。
少女は、目を輝かせて俺を見ている。
俺は、内心怯えた気持ちで少女を見る。
きっと、周りは俺を年下の女の子に目を輝かせられている変態と勘違いする。
そんな傍から見たらいかにもアンバランスなこの光景に、俺は息を吐いて気持ちをリセットさせた。
「......邪魔、か?」
俺が声をかけた事が意外だったのか、少女は『えっ』と悲鳴にもならない悲鳴を上げる。少女の髪色は青。そして、光のように明るい眼差しが俺を捉えていた。否、実際目がキラキラ輝いてらしたな。
「い、いえ!別に邪魔というわけでは!」
少女は胸の前で手をぱたぱたと振り、俺を見て───その視線は俺が手に持っている本へと向かっていった。どうやら、俺の持っているファンタジー本が気になるらしい。
「......もしかして、狙っていたとか」
その可能性もある。もしかしたらその本に興味を示していて、よし借りようってなった時に俺が横からかっさらってしまったとか。だとしたらそれはとてもいたたまれない事だし、優先度からしたらテスト前で勉学に勤しむべきである男、直に18歳になる俺と、見た目高校1年生若しくは中学校3年生のこの女の子を比べると、どうしても女の子の方が上になる。
事実、女の子は俺の言葉に対して一瞬目を見開きながらも何かを躊躇うかのような、そんな表情をしていた。おのれ図星か文学少女。
依然として躊躇うかのような表情を浮かべている女の子に、痺れを切らした俺は女の子に2択で迫る。
「じゃあ2択だ。お前はこの本を読みたいのか、それとも読みたくないのか。2秒以内に答えろ」
「え、ええっ!?」
「はい、残り1秒」
本当に数えてた!?と女の子がツッコミを入れるものの今の俺に冗談は通じない。何故かって、それは今の状況から少しでも早く逃れたいからである。
女の子は慌てた状態のままこちらを見る。この状況がマンガで描かれているのなら、この子の目は渦巻きの如くグルグルしているであろう。
それ程までに、女の子はテンパっていた。あまり人と会話したことがないのか、そもそもこの状況を作り出した俺が奇特なのか。恐らく後者が正しいのだろうな。
「わ、分かりました!読みたい!読みたいです!!」
なら良し。俺は先程まで棚にあった本を戻し、隣に置いてある本を片手に女の子に一言。
「お先にどうぞ、文学少女さん」
「......え、いいんですか?けど───」
「俺、勉強しなきゃいけないから読める時間は限られてくるし、読みたいならどうぞ」
そう言うと、文学少女はこちらを見てお辞儀───する前に俺は走って逃げた。
「え......ええっ!?」
女の子が驚いた声を上げるものの知ったこっちゃない。考えてみろ、見るからに年下の女の子が俺に向かってお辞儀をしているこの光景。傍から見たら幼い少女を本を巡って恫喝している男にしか見えないだろ。
......幼い少女を恫喝しているってのは兎も角個人的に感謝されるのはまだ良いが、お辞儀されて感謝をされると本当に身体がむず痒くなってしまう。あれもこれも俺が不良生徒として母校に名を馳せちゃってるせいだ。感謝されることに慣れるくらい善を積んで行けばこのような事にはならなかった筈だし、どうにか文学少女のお辞儀にも対応できただろうに。かといって、不良生徒を改めようと言う気はさらさらないのだが。
いつまで経っても感謝には慣れない。
『ありがとう』の一言が、重く感じてしまう。
そういえば、田中に感謝を伝えられた時も何か身体がむず痒くなったな.....と、そんなことを思っていると女の子の元からは結構離れられたみたいで、目の前には色んな人が各々の好きなことをしているスペースが広がっていた。
その中には、イチャイチャしているカップルもいたり、本を読んでいる人や、当初の俺の目的のように制服姿で勉強をしている輩もいる。
空いている席───壁際のスペースを確認した俺は席に座り、1度深呼吸をする。走ったことにより失われた体力を回復させ───俺はカバンから現代文の教科書とノートを取り出す。
現代文を選んだ理由は特にない。強いて言うならこの前の勉強が理系だったからっていう短絡的な理由からか。尤も、それ自体も大した理由でもないが。
範囲のページを見て、該当するページの教科書を開き、分からない単語を確認。ふむふむ、心の中に一物ってどういうこっちゃ。Kさんはお気の毒だったなとしか言い様がない。
思考の海に潜りながら、ページを探索し、キリがいい所でプリントの問題を解きにかかる。点数は無難、良くも悪くもない。普段ならここら辺で『まあいっかなー、よし!りっくんと遊ぼう!!』ってな発想に至るのだが、今回は図書館で勉強している故にりっくんは近くにいないし、ついでに言うなら今回は本気を出さなきゃいけないのだ。
時刻を見る。4時。今日は志保がお迎えをするって言ってたから......よし、もう一度問題を解こう。そう思い伸びをしてスイッチを切り替えると、不意に女の子と目が合った。
その瞳、刹那。
俺の視界の中に、女の子の光のような眼差しを捉えたその瞬間、俺は急速に家に帰りたい衝動が湧き上がった。
この子と今話をするのは何か不味い───そんな反射的な衝動が俺の足を奮い立たせて、苦笑の感情を作り上げた。
「......あ、あーっ。そろそろ晩御飯の材料買わないとなー!残念無念!帰ろーっと!」
事実、志保がお迎えをする日は俺が夕食の下ごしらえをすることが決まっている。序に言うのなら、志保は最近アイドルを始めたので、出来ることなら『これだけはやる』と言って聞かないりっくんのお迎え以外の事は出来るだけ済ませて負担をかけないようにしたい。
尤も、そんなことを言ったら志保に『調子に乗るな』と軽く蹴りを入れられるのが目に見えているのだが───と、思考に耽っていると先程まで目が合っていた女の子がいつの間にか俺の目の前に立ち、俺を見上げていた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
女の子の真摯な瞳───また、田中とは違ったタイプの瞳が俺の目を見る。その瞳に応えるべく、俺は彼女の目を見据える。
「何か用か?」
「あの、本を譲ってくれてありがとうございました!私、この小説読みたくって......」
「ああ、確かにその小説面白そうだったし───」
「え」
え?
俺が相槌を打った途端に聴こえた少女の素っ頓狂な声。何か不味い事を言ったか───?と女の子を見ると素っ頓狂な声と同時に浮かび上がっていた驚きの表情は、次第に変化していく。
最初に変わったのは、口元。開かれた口元はわなわなと震えてまるで爆発寸前といった風体を醸し出していた。更に変化したのは眼差し。普通に開かれていた目は開かれ、彼女の光のような眼差しが俺という存在に希望を見出すかのように向けられる。
それら全てを総合した彼女の顔付きはまさに『期待・渇望』。その顔付きに俺は既視感を覚える。小学生の頃の記憶、少年の日の思い出。暗い記憶ではない、楽しかった時の記憶。
「.....分かってくれるんですか!?」
「え」
今度は俺が素っ頓狂な声を上げるも、それを気にもしない女の子は俺の気持ちなど露知らずといった勢いで目を輝かせる.....目がキラキラしてらっしゃる。
「そうなんですよそうなんですよ!この本は前々からシリーズ化していて世間からの評価も上々!!主人公が世界を救うという王道的展開に個性溢れる仲間達!!そして、なんと言っても注目するべきは悪役!特にラスボスのキャラがもう───!!」
───ああ、この人もしかして。
少女のマシンガントークを身を挺して受け止めながら、俺は朧気に思い出していた過去を完全に思い出す。
かつて、他校の人間から噂話を聞いたことがある。俺が純情可憐(笑)な野球少年をやっていた頃、図書室に潜む七不思議。
何時も図書室の窓際で本を読みふけっている少女。その女の子はまさに文学少女で、年相応に可愛くて、時々『風の戦士......饂飩』とか妄想をだだ漏れさせて。
それでも見た目が可愛くて、振った話には乗ってくれるからといって魔が差したとある少年が噂の女の子に話しかけたのである。
本を読みふけっている女の子に、『本の話題』を───
結果、その少年は何やらげっそりとした様子で図書室で発見されたらしい。後の供述によると『少女は凄かった』らしい。
それだけ聞いたら何やら如何わしい表現になりかねないが、決してそういう意味ではない。石崎によると、少女は藍髪光眼で本に異様な熱意を持ち、自分の好きなものに関しては永遠と語れる力を持っている『根っからの文学少女』らしい。
そして、元々の噂と少年の件も相まって名づけられた二つ名は『図書室の暴走特急』。
その少女の名は───
「───であるからしてそのヒロインが巫女様でしてその人も......って、どうしたんですか?そんな悟ったような目をして......」
先程の緊張はどこ吹く風、本のことを話したことですっかり緊張の解れた少女は、俺を疑問の眼差しで見つめる。
疑問の眼差しで見つめたいのは俺だよ。お前は図書室じゃ飽き足らず図書館の暴走特急になろうとしてんのか。
「......名前」
俺がそう言うと、文学少女は先程までの流暢な会話を打ち切り、ハッとした表情になり何時もの───暴走特急モードではない通常形態へと戻っていった。
「あ......すいません。ついつい読書談話出来るのが楽しくって......名乗らなきゃ失礼ですよね」
「.....七尾百合子、だろ」
俺はその名前を知っている。かつて石崎に又聞きした名前。図書室の暴走特急として名を馳せた少女の本当の名前。
そして、彼女も俺の名前を知っている。かつてバッティング練習に明け暮れていた俺が成り行きで彼女に話しかけて、それっきり会ってはいなかったが俺は七尾という名前をハッキリと覚えていた。
「え......」
そして、名前を言い当てたことで少女は戸惑う。当然だ。七尾からしたら知らない男性に名前を知られているのだ。驚かない訳が無い。
「おかしいな......まだアイドルになって日は浅いはずなのに......もしかしてストーカー......!?私もしかして何時の間にかサスペンスの世界に───!?」
「あるわけねえだろんなもん!!」
あらぬ嫌疑をかけられていたことに思わず叫び、俺は目の前の暴走特急を落ち着かせる。
というかストーカーとかそういうの以前に今とんでもないことを聞いた気がするんですけどこれは俺の気の所為なのか。
と、今はそんなことを考えている場合ではなかった。俺は、1度ため息を吐き名前を知っている理由を伝える。
「俺の名前は北沢啓輔、元東小の窓ガラスと花壇を割った前科者だ」
元、東小。そして、窓ガラスと花壇を割った前科者。そのキーワードを発した途端、先程まで緊張の解れた顔つきをしていた少女は顔を硬直させる。
そして、少女は目を見開き一言───
「もしかして窓ガラス先輩ですか!?」
え、何その旅ガラスみたいな渾名。俺は何処ぞのホームレスでもないし、テントを燃やされたりもしてないんですけど。
「......まあ、いいか。久しぶりだな、七尾」
俺がため息混じりにそう言うと、文学少女はにこりと笑い───
「はい!久しぶりです窓ガラス先輩!」
新事実となった俺のあだ名を図書館という静かにしていなければならない場所で、盛大にぶちかましやがったのだった。
☆☆☆☆☆
かつて、北沢啓輔という男は根っからの野球少年だった。それはもう、放課後に帰ってきたら直ぐに赤基調の野球道具を持って、学校で遊ぶ程には。
その頃、北沢啓輔ともう1人───石崎洋介は巷で有名な野球少年だった。何かと野球にかこつけて物申す阿呆っぷり、通学途中に『手に馴染ませる』とか抜かしてグローブをはめて軟式球でキャッチボールする非常識っぷり。その行為から名付けられたのは『東小の野球馬鹿共』。そう言われてしまうほど北沢啓輔と石崎洋介は野球の事しか頭になかったのだ。
ある日、啓輔は貯めに貯めたお小遣いを叩いて金属のバットを買った。無論、赤色のバットである。彼が赤色を選んだ理由が妹が喜んでくれるからとかいう最早不動のシスコンっぷりを小学生時代から拗らせている啓輔だが、これでも野球には真摯で当時は夜は家族と遊ぶことがあれど、放課後から暗くなるまでの殆どは腐れ縁である石崎と野球をしていたのだ。
そして、金属バットで試し打ちをしようと石崎を呼び、マウンドに立たせ、当時から変態的と揶揄されたバッティングフォームで石崎の小学生にしては重いストレートを易々とセンター方向に弾き返したのだった。
『あ、バカお前』
石崎がそう言って恐ろしい速さで後ろを振り向く。それに釣られて俺も打球の方向を見ると、そこには図書室が。
『あ』
思わず口を開けたのと同時に、窓ガラスが割れる音がけたたましく聞こえる。その音に、啓輔と石崎は揃って顔を見合わせたのだった。
「おい、どうするんだよ犯罪者」
「犯罪者とか言うの辞めろ。お前が打ちごろの球を放るからだろ炎上ピッチャー」
お互いが罵倒を吐きあい、1発殴り込む。そして、二人同時に悶絶していると、割れた窓ガラスから1人の女の子がひょっこり顔を出す。
見た感じ、怪我はなさそうに見える。しかし、窓が割れてしまった事を見られたということは、女の子と話を付けなければ俺が窓ガラスを割った事がバレてしまう。そう考えた啓輔は溜息を吐いて、校舎に向かって歩き出す。
「お、どした前科者」
「口を塞げ。しゃあなしだ、頭下げに行くんだよ。そうでもしなきゃ先生に何言われるか分からねえからな」
北沢啓輔は憤怒した。
元はといえば連帯責任で石崎にも謝って欲しいと思っていたから。
しかし、練習に誘った手前こちらにも非はある。
二人揃って怒られるくらいなら、こちらが怒られてまたスッキリ野球をやろうと意気込んだ啓輔は校舎へと歩き出していった。
さて、啓輔が図書室に入るとそこには1人の女の子が。見た感じ怪我はない。そう察した啓輔は少女の元へ歩み寄った。
「おい、そこの女の子」
帽子の色を見る限り、3つ年下の女の子だ。啓輔が女の子らしい赤色のランドセルと共に置かれている帽子に目をやると、少女はこちらを勢い良く振り返り、尋ねる。
「これは・・・貴方がやったんですか?」
その質問に一瞬躊躇った啓輔だが、嘘を吐くのは良くないという母の教えにより、頭を下げて少女に謝る。
「俺がやった。本当に申し訳ない・・・・・・さあ、一思いに殺せ!それが嫌なら警察に突き出せこの野郎ッ!」
瞬間、啓輔は年端もいかない少女の目の前でヘッドスライディング土下座を敢行し、謝罪する。その潔い姿はやった側からしたら非常に勇ましいものであるものの、どうしても見る側からしたらみっともないように思われてしまう。
「え・・・・・・えーと、その。と、兎に角頭を上げて下さい!!警察に突き出したりはしないし・・・殺しもしませんからっ!」
しかし、偶然にも女の子にそのような感情はなく寧ろ女の子を困惑させてしまった啓輔。その様子を悟ることの出来ない鈍い啓輔は土下座をした状態のまま更に弁解を加えて行った。
「いや、ほんとに悪かった......!というかわざとじゃねえんだ!!赤いバットでアドレナリンが湧いてしまってだな......!」
「あ、赤ですか.....因みにどうして赤なんですか?赤って言ったら女の子が好みそうな色だと思うんですけど.....」
その言葉に、啓輔は驚いたように頭を上げる。
「そうなのか?」
「.....え、だってランドセルとか赤いのは殆ど女の子が着けてるし」
「ほー、そんなものなのね」
啓輔は、女の子の言葉に正座しながら相槌をする。北沢啓輔という男は当時から周りに驚く程無関心であり、それこそ興味のあるものは野球のみという男である。そんな男が女の子の身に着けているものに興味関心など得るはずもなく、先程から彼の頭の中にあるのは罪悪感のみ。それと野球以外には、今の啓輔は全く興味を持っていなかった。
さて、そんなつまらないものを見るかのような瞳をされた女の子は突如起こった珍事に驚きを隠しきれていなかった。何せ窓ガラスが割れたと思ったら今度はドアの開いた先に男の子がスライディング土下座を敢行したのだ。
一応話題は繋いだが、女の子───七尾百合子の心は依然として目の前の少年によって、掻き乱されていた。
しかし、それと同時に高揚感も感じていた。
まるでサスペンスのような出来事からボーイ・ミーツ・ガールのような体験まで、幅広い非日常的な出会いが読書好きの百合子の頭をお花畑にした故か、彼女の頭の中からは既に目の前の少年が窓ガラスが割った犯人だという事は頭の中から消え失せていた。
「ところで貴方は.....」
百合子からは興味本位で尋ねられた一言。
されど、啓輔にとっては少々返答に困る一言。
啓輔は戸惑った。もし、ここで名前を開示してしまったらもれなく北沢啓輔という男が図書室の窓ガラスを割ったという悪評は広まる。しかし、そこで逃げたら母の言いつけを破ることになる。そんな行為をしたくもなかった啓輔は、誤魔化す事を本格的に諦め、呆れ笑いで百合子を見る。
「俺の名前は北沢啓輔。赤いバットを使った野球で窓ガラスを割ってしまった男だ。よろしくな」
そんな男の挨拶に百合子は、嬉しそうな笑みを見せて、一言──
「はい!よろしくお願いします北沢先輩!」
「その先輩ってのいいんだけど」
「え......じゃあ北沢さん、ですか?」
「......もうそれでいいや」
面倒臭いし。そう言って、啓輔と百合子は共に図書室の窓ガラス掃除を始めた。そこでようやっと百合子も窓ガラスが割れたという事を思い出して、啓輔と共に掃除をする為に、窓付近に向かって歩き出した啓輔についていったのだった。
先生にバレた時は、とても怒られてしまったが教師に怒られる事が半ば当たり前と化している啓輔にとって、保護者召喚以外のものはてんで恐ろしくもなかった。あの時の啓輔は、野球と家族にしか興味がない男でありそれ以外には対して興味がない男であった。
その後、啓輔は百合子と出会う事はなかった───否、厳密に言うと顔を合わせれば挨拶をする程度の間柄であったのだが、顔を合わせる機会というものが対して少なかった為、自然と出会う機会も減少し中学も別々───疎遠となってしまっていた。
それが、北沢啓輔の七尾百合子に関する記憶である。野球の練習をしていたら、ひょんな事で不良生徒としての道に足を踏み入れ、その先では読書好きな女の子が居たという記憶。
そう、北沢啓輔は忘れっぽい性格ではないのだ。寧ろ記憶力は良い方で、家族が何時、どこで何をしていたか───というのが断片的なピースさえあれば思い出せるのだ。
しかし、田中琴葉との邂逅との記憶は思い出せずにいたのは何故なのだろうか。何故、断片的な記憶が琴葉によって告げられたのにも関わらず、啓輔はその記憶を思い出せなかったのか。
何故啓輔は百合子との記憶を思い出したのか。
それは至極簡単。その時の啓輔は、野球を心の底から楽しんでいたから。
たった一言、それに尽きるのだ。
尤も、本人はそんなこと意識もしていないのだが。
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「それにしても、窓ガラス先輩.....ね」
先程考えた通り、俺は小学校の窓ガラスと花壇を割ったってだけで決してテントを燃やされたりもしていないし、ホームレスでも無い。
俺には、暖かな家族がいる。母と、妹と、弟が家で待ってくれているのだ。
「あはは.....さっきはごめんなさい。それしか頭に入ってなくて.....」
「いや、別に良いよ。渾名にはそこまで執着しないし」
白石にも某が定着してしまったようだし。1日で2つもあだ名を呼ばれる日が来るなんて思ってなかったってのが本音なのだが。
「それにしても、本当に久しぶりですね!最初会った時は誰だか分からなかったけど.....よく見たら鋭い目付きとか、若かりし頃の北沢先輩にそっくりです!」
「若かりし頃って.....一応俺まだ10代なんですけど」
「あ.....すいません、なんか北沢先輩って見た目私の3個上にどうしても見えなくて.....」
「.....まあ、それはよく言われるな」
曰く、生気のない態度と目付きをしているとか。
曰く、見た目クールの内面ドアホとか。
「なんか、見た目だけは大人───って感じがするんですよね。一体何をしたらそうなるのか、聞いてみたいです」
「そりゃ色々だ」
地獄見たり、辛い思いしたり、泣いたり。そういう想いをバネにして、人は成長していくものなのだ。
以前の俺がどれだけクールだったのかは知らないが少なくとも今の俺がいるのはそういった『過去』を受け入れてきたからだと自分は思っている。
「色々.....とは?」
うーん.....
「まあ、ほら。妹に回し蹴り喰らったり、バイト先の女の子に罵倒されたり、愛でるべき対象がいたり.....」
「思った以上にハードな人生だった!?」
「そんなにか?」
ツッコミ入れる程辛い過去じゃなかったけど。いや、メンタルは幾度となく崩壊してきたけどさ。
「暴力と罵倒なんて1番メンタルに来るそれじゃないですか!」
「違うな、七尾。これは家族のスキンシップなんだよ」
「す、スキンシップ.....?」
おう。
「拳と拳を交えて成長していく物語───七尾は読んだことないか?お前なら、スポ根物の素晴らしさを語れるのではないのか!?」
「す、スポ根.....あ、あれ?けど北沢先輩の家族構成って小さい弟くんと妹さんだって話を聞いたことが───ま、まさか!!」
途端、顔を赤らめた文学少女は俺に驚きに満ちた顔を向ける。そして、彼女はその流れで俺を見て一言。
「家族愛を超える兄と妹の絆───愛情!!禁忌に触れる壮大なる愛の物語が───!!」
「あるわけねぇだろんなもん!!」
おいゴラァ!!!
空想も大概にしろや文学少女!!!
お前それをこんな空間で言ってくれんじゃねえよ!!主に俺が変な目で見られるだろうが!!
俺が言ってんのはスポ根物だ!!それをどう曲解したら禁断の恋物語になるんじゃボケェ!!!
「はっ.....すいません、トリップしかけてました」
「しかけたじゃねぇ、完全にトリップしてたんだよ.....」
コイツの妄想癖は何時まで経っても変わらないのだろう。よくよく考えてみたら、確かに初対面の時もそのような雰囲気はあったし、サッカー部の奴もそのような空想癖があったとか、聞いたことあるし。
「で、その本は面白いのか?」
話題をシスコン話から読書談話へと切り替えて、少しでも七尾を落ち着かせようとそう言うと、七尾はこちらを見て笑顔で頷く。
「はい!感想は.....もう、紹介しましたよね」
「ああ、だからトリップはしてくれるなよ」
俺はトリップ出来ないからな。
話に付いていけなくなっちまう。
「ぜ、善処します.....で、呼び止めた理由なんですが」
そう言うと、百合子は俺に本を渡す。それは俺の狙っていた本───ファンタジー小説が俺の手元に置かれていた。
「これ、お前が───」
「はい、私が北沢先輩に譲ってもらった本なんですけど.....実は私、この小説読み終わってしまっているんですよ」
「.....あ゙〜、成程ね」
要するに、俺が変な気を回したところで七尾はその本を既に読んでいて。
譲る準備のような心構えは出来ていたのに、俺が下手な善意を押し付けちまったせいでややこしいことになっちまったのか。
「早とちり.....全く、馬鹿な奴だぜ」
「へ?」
おっと、勝手に浸って七尾に迷惑をかけてしまっている。
「何もない、話を続けてくれ」
俺がそう言うと、七尾は不思議そうな顔をしながらもその1秒後には笑みを作り、続ける。
「それで、先輩にこの本を片手間で読んで頂いて───この本の面白さを共有出来たらな、なんて思っているんです」
「.....ふーん」
見た目は、ただのファンタジー小説である。しかし、読書家の七尾イチオシの本ということで、俺の中でその本は霜が付いたように輝いて見えた。
故か───普段は、本なんて読まないのに。確証なんてものはないのに。
俺は、その本を片手で持ち上げてバックに仕舞う。
「分かったよ、そこまで言うなら読む」
「本当ですか!?」
「もともと勉強の気分転換に読むつもりだったんだ。別に不都合はねえし、構わねえよ」
立ち上がり、帰宅の為に歩を進める。
「ああ、そうだ」
期限くらい、決めなきゃな。
「この小説、お前に感想言わなきゃいけないから───そうだな、テスト終わりの2週間後」
テスト終わりの気分転換にはちょうど良い。田中に仮に負けたなら、七尾と遊んで気分転換でもしよう、そう考えた俺は人差し指を突き上げて『1』を示す。
「1.....ですか?」
「おう」
そして、その『1』が示す意味というのは。
「感想文1枚書いて持ってきてやるよ」
七尾百合子という少女と話をする為に『俺が楽しむ為に』必要なピースである。
りっくんは可愛い(確信)。
りっくんの世話を焼くシッホも可愛い(確信)。