カワルユウキ   作:送検

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第14話 しじみ汁は美味しいらしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風邪を引いてしまった俺の懸案事項であるテストが終了した。

 

それは、今まで頑張ってきた俺の重くのしかかっていた心を解放するには十分すぎる要素であり、熱を出していながらも身体が楽になった感覚になり、変なテンションにもなった。

 

否、最早熱を出していたからこそテンションがメーターを振り切ったまである。兎に角俺はテンションが上がっていた。何なら、空も飛べそうな程に。何なら今から志保に抱きついても抵抗がないくらいに。

 

その結果、俺の身体は限界を迎えて以降の2日間を高熱で休んだとさ。いやあ、馬鹿だよね俺。帰って直ぐ安静にしてれば良いものの変なテンションの侭に変なノリで作った創作料理を作って家族をドン引きさせてたのが祟ってしまったらしく、後日高熱が俺の身体を襲ってしまったのだ。

 

「志保ぉ.....お粥が欲しいよ。志保の手料理から織り成す情熱のお粥で俺にパワーをくれよぉ」

 

「母さん、兄さんは高熱で頭が沸騰してるみたい。氷枕の追加をお願い」

 

先程から俺に付きっきりで看病してくれている志保に我ながら甘えすぎて気持ち悪いと吐き気を催す程の言葉を投げかける。しかし、そこは何時も俺の言葉をスルーしている志保故か、俺の変態的要求にもしっかり辛辣な言葉を投げかけてくれる。

 

兎に角、先ずは熱を直さなければならない。お医者様によると、疲れによる高熱なだけらしいから2日もすれば治るって話だし、今回は休むことに全力を注ごう。

 

「そういえば、志保.....レッスンは?」

 

「終わったから帰ってきてるのよ。本当に兄さん、頭大丈夫?」

 

「大丈夫だと信じたいよ.....ごめんよ志保」

 

「.....はいはい、分かったから。今はゆっくり休んで」

 

有難く休ませて貰います。と言葉ではなく態度で示す為に縦に頷くと、何時も無愛想な志保が少しだけ困ったようにクスリと笑い俺の右手を握る。

 

「.....暖かいなぁ」

 

人の血が通ってるんだから当たり前なんだけど、それだけじゃない。心まで暖かくなるような、そんな気さえしてしまう。

家族の暖かさって、こういうことを言うのかな。

 

「覚えてる?昔、兄さんがこうして私とりっくんを寝かせてくれたこと」

 

「あ、それ覚えてるよ」

 

幼少の頃、名前を呼ぶととことこ歩いて笑みを見せてくれる可愛い妹を俺は溺愛していた。その時の記憶はまだまだ残ってる。無論、薄れてきてはいるものの、こうして志保や陸が思い起こさせてくれるとまた何度でもその光景が鮮明に浮かぶ。

 

あの時は.....絵本を読んでも眠れなかった時なんかに志保の手を握っておまじないをかけていたな。おまじないの内容.....忘れたけど、何か変なこと教えてた気がして思い出したくない。

 

「.....なら、手を握りながら何を言ってたか覚えてる?」

 

「すまん、おまじないをかけていたのは俺も今さっき思い出したんだけど内容までは思い出せん」

 

そう言うと、志保はため息を吐いた後目を瞑る。そうして3秒経った後志保は空いているもう片方の手で俺の肩をぽんぽんと叩きながらリズムを取る。

 

そして、無言だった空間に志保の声が響く。

 

「良い子は黙って、ねんねしなー.....って子守唄を唄ってくれたのよ」

 

「志保」

 

「?」

 

「耳が幸せです。死んで良いですか?」

 

「まだそうなってもらっては困るわ。兄さんにはまだまだ長生きしてもらわないと」

 

それもそうっすね。

 

流石にこの歳で死ぬとかお笑いを通り越して笑えんわ。俺はまだまだ生きる.....家族の為に生きるんや!

 

「あーはっはー.....ゲホッゴホッ.....!!」

 

「.....無駄話が過ぎたみたい。そろそろ兄さんは寝なさい」

 

せやな、そうするよ。

 

「.....安心して、兄さんが寝るまで私も傍にいてあげるから」

 

そんなに俺、愛に飢えてないから。ひとりぼっちも寂しくないから。

 

けど、こうして手を握られるのは悪くない。

 

こうしている間は、俺の中の心が暖かくなる気がするから。普段の喧騒と過去に溢れて荒んでしまった俺の心が癒される気がするから。

 

だから、今日は志保の厚意に甘えようと思う。

 

また、明日から誰よりも強いお兄ちゃんを目指して頑張っていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、熱を直すために3日を要した俺は3日後の金曜日。久しぶりに学校へと辿り着いた。学校は学期末試験が終わったこともあり、短縮授業へと移行。更には明日は土曜日ということもあり病み上がりの俺にとっては非常に親切な日程となっている。

 

いつも通り、校舎の入口で下駄箱から上履きを取り出し履き替える。そうして向かうはこの学期が終わればサヨナラするであろう教室。

ドアを開ければ、3日ぶりの不良生徒到来に少しざわめく教室に空気を読まない男、野球部エースの石崎が仁王立ち。

 

この光景は何度も見覚えがある。石崎がこうして俺を不敵な笑みで見据えて、俺を見る。そうして俺に向かって一言。

 

「啓輔!!野球をやるぞぉぉぉぉぉッ!!!」

 

「ないわー」

 

「何故だァァァァッ!!」

 

だって寒いもん。なんて頭の中で考えながら頭を抱えて項垂れる石崎を通り越して窓際の席へと向かう。

 

そこに向かえば、楽しい時間を過ごせると分かっていたから。だからかな、俺の足は本能が呆れるくらい忠実にその席へと向かっていった。

 

「.....よっ」

 

何となく、久しぶりの挨拶が気恥ずかしくて遠慮気味に挨拶をするとその声にハッとなった女───田中琴葉は俺を見て目を見開いた。

 

「治ったんだ」

 

「まあ、色々世話になりまして」

 

主に柚子茶とか。とても美味しかったです。

 

「別に何もしてないよ.....あ、それと───お疲れ様」

 

そう言うと、田中は俺を見て少しはにかむ。その笑みに俺は少しだけ心を揺り動かされる感覚を得た。

何時からか、得るようになった気持ち。具体的には球技大会辺りから感じるようになった経験のない感覚は、計らずも俺の口角を上げてしまう。

家族の暖かさとは違うむず痒い感覚に、少し戸惑っていると田中が『そう言えば』と胸の前で掌をパンと叩く。

 

「テストの結果」

 

「ああ、そう言えば何点だったよ」

 

3日も休めば、テストも返ってくる。

タイムリーパーでもない俺は、テストの結果からは逃げられない。

勝っていようが、負けていようが甘んじて受け入れなければならないのだ。

 

「北沢くんのテストの結果は引き出しにあると思うよ」

 

そりゃあ良いや。

後からテスト用紙貰うのって結構めんどくさいからな。職員室で振るわない成績のテストを受け取れば気不味くなるし、各授業毎にテストを返されちゃ一つ一つの結果で悶々としてしまう。テストの結果を見られようが羞恥心もクソもない俺にとってはこうして机の引き出しにしまわれていた方が、ありがたいんだよな。

 

てか、俺の引き出しなんて好き好んで見るヤツいないから。俺の机を見る奴とか、どんだけ俺の机に興味あるのよ‥‥‥とツッコミ入れたくなるわ。

 

「じゃあ、後は俺がテストの合計得点を田中に言えば決着が着くと」

 

「うん.....因みに私は」

 

「何点だった?」

 

「5教科合計で480点。自己新記録だよ」

 

「はい終わったー!!もう全部終わったー!!あー恥ずかしい恥ずかしいッ!!」

 

「変なテンションになってない!?」

 

五月蝿いよ!!

こちとら田中の総合点数をもうちょい下に見積もってたんだよ!!

甘すぎ!?見通しがクソ!?

ああそうだよ俺はクソだよ!!

そもそも単純な実力不足だよ!!

涙が止まらないよ!!

 

「や、ヤケにならないで‥‥‥取り敢えず結果を見てみてよ。勝負は最後まで分からない、でしょ?」

 

「ああ‥‥‥だが期待はしてくれんなよ」

 

無駄口もそこそこにテスト用紙を表に返す。

すると、表に書いてあるテストの点数は当然丸見えになるわけで───

 

 

 

 

 

 

国語 85点

数学 90点

社会 95点

理科 80点

英語 80点

 

 

合計点数4()3()0()()

 

 

 

 

その点数に、俺は絶句して。

田中は目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥あー、えっと。うん、でも北沢くんは文系だし」

 

必死にフォローされているのが酷く悲しい。何で俺は対戦相手にこんなにフォローされてんだ?非常に情けなくないか?

 

「‥‥‥‥煮るなり焼くなり好きにしろ」

 

「え」

 

「好きにしろ!!」

 

「何でそこまで強調するのかな!?」

 

うるさい馬鹿!!

 

こちとら田中に勝つ気で勉強してきたんだ!!その結果が敗北になっちまって、勝者に慰められるこの展開は非常に嫌いなんだ!!

 

どうせなら驕り高ぶれよ!!そういう性格じゃない良い奴だってのは分かってるけど勝負に買った時くらい自慢しろよ!!

 

「あ゛ぁぁ.....田中に負けた。折角田中に勝つって大見得切ったのに負けるとか.....もうやだ、お家帰りたい.....」

 

「今日は短縮授業だから。それは少し我慢しよ?」

 

田中に諭されながら、あまりにも非情なこの結果に項垂れる。流石田中だ。学年末テストは総まとめと言っても過言ではない範囲数を誇る。それにも関わらずアイドルと両立してこんなに良い成績を取るなんて、相当の生真面目っぷりじゃないと出来ない。

 

性格も良し、アイドルも良し、頭も良し。これって、俺が付け入る隙ないだろうし、そもそも田中に勝てる奴なんてなかなかいないんじゃねえの?

 

「.....まあ、俺のこのクソみたいな結果は兎も角。お前はこの勝負に勝ったんだ。前に言った通り、煮るなり焼くなりしてくれて構わない」

 

寧ろしてくれ。

 

じゃないと色々収まりがつかない。

 

「.....そもそも私は北沢くんがちゃんと進路を叶えられるかどうかが心配だったってだけだったのに」

 

「.....う」

 

「北沢くんってあれだよね.....そう、早とちり。後何だかんだ燃えやすい」

 

「.....すいません」

 

今、確実に鎮火したけどな。ジト目の田中さんの早とちりと燃えやすいのダブルコンボに俺の心はズタズタです。

 

「まあ、良いか。折角北沢くんがそう言ってくれてるんだし.....ひとつ、お願いしようかなー」

 

そう言って、田中はニコリと笑みを見せたあと熟考する。その笑みに少し恐怖のようなものを感じた俺は、軽く身震いしながら次の言葉を待つ。

やがて、熟考していた田中が何かを思い出したかのように笑みを作り一言───

 

 

 

 

 

 

 

「一緒にご飯食べよう」

 

は?

 

え、今なんて言ったこの子。

俺の聞き違いでなければ、コイツ一緒にご飯食べようとか言わなかった?

となると何処で?

まさかここで?

 

「───あれ、もしかして聞こえなかった?」

 

「いや、聞こえたよ。充分すぎるほど聞こえた」

 

なら、良かった。と田中は俺の返答にそう返すと先程と同じ笑みのまま───否、やや鼻息荒げに続ける。

 

「前々から北沢くんに紹介したいお店があったの。そこのしじみ汁がとっても美味しくて.....」

 

「や、ちょいちょいストップ」

 

しじみ汁とか、今はぶっちゃけどうでも良い。てか、大事なのそこじゃない。

 

「?」

 

「あのさ、お前ってアイドルだよな」

 

「それは‥‥‥うん」

 

「なら、アイドルが一般人の男と簡単に、お手軽に、何なら近くのコンビニ感覚で一緒にご飯食べて良いの?や、そもそも俺と一緒にメシ食べて何か得があんの?」

 

得があるなら是非聴いてみたい。もし、具体的な得があるのなら道行く奴らにその得とやらを吹聴しまくって男も女もオールオッケーなハーレム大国を築いてやるぞ。

 

「.....紹介したいだけなんだけどなぁ」

 

「なら紹介だけしろよ。別に俺とメシなんて食わなくて良いだろうがよ」

 

なんなら志保でも連れてメシでも行けばいい。そして、俺をもっと別のことにこき使えば良い話だろ。

正直、田中が行きつけの店を俺に紹介して得することなんて1つもないだろうて。

 

と、我ながら呆れた面持ちで目の前の田中を見遣ると田中はジト目でこちらを見なさっていた。なんだよその目、止めろよ。志保が俺に侮蔑の視線を送ってるみたいでなんか嫌だぞ。

 

「‥‥‥煮るなり焼くなり好きにしろって言った癖に」

 

あ゛。

 

田中の言葉に思わずそのような悲鳴にも近い言葉が漏れる。

まさかこんな所で自分の言ってしまったことが仇になるなんてな。感情そのままに発した一言に碌なものはない。勿論、それに反論できる術も持っていない。

俗に言う『詰み』ってやつだ。

 

「───ぐうの音も出ないな、そのド正論」

 

「大丈夫、店で偶然を装えば大丈夫だし───その、他意はないから」

 

んな事分かってらい。

 

田中のような奴が俺に行ってくれていることは全部親切だってことも分かってる。もし、田中が極悪非道な悪徳総帥なら俺は今頃ありとあらゆる雑用を行い、心身共に疲弊してしまっていたことだろう。

それをしないということは、田中は優しいってことだ。罰ゲームの内容が『一緒にメシ』とかやらされる側の性格によっちゃご褒美だからな?

 

 

「おっけ、分かったよ.....んで、店の名前は?」

 

兎に角、俺は田中の要求を飲む他に選択肢はなかった為両手を上げて降参の意を示す。その光景に満足気な表情を示した田中はこちらを見遣り一言───

 

 

 

 

「たるき亭、だよ」

 

聞いたことすらない定食屋の名前をお発しになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「田中って割かし積極的だよね」

 

「は?」

 

短縮授業から帰宅し、恙無く家事を済ませ2人でコップ一杯の麦茶を飲みながら俺がそう言うと、志保が明らかに殺意を孕んだ声色と目付きで俺の言葉の真意を探ろうとする。やだなぁ、俺の事看病してくれた志保はどこに行っちゃったの?

 

「だって、急に一緒にご飯食べに行こうとか言うし」

 

「は?」

 

「この前のテストの時なんて自分の水筒のコップに柚子茶を注いでくれるし」

 

「は?」

 

「.....いや、お前さっきから『は?』しか言わないけどさ!!怖いから止めろよそういうの!!」

 

「呆れるくらいのカミングアウトを兄さんが何度もするからでしょう?それよりも兄さん。私、琴葉さんに迷惑かかるような事をするなって球技大会の時に言ったわよね?」

 

「それはその日限定だろ?」

 

「は?」

 

「あ、いや.....ゴメンなさい」

 

さっきから志保が怖い。看病したり、甘えたりしてくれる時とはまるで真逆のその目付きはまさに天国と地獄。無論、今の光景が地獄である。怖い目付きに幸福感を感じてしまうほど俺はドMじゃないから。何度も言ってるから。

 

「.....それにしても、琴葉さんがそんなことを言うなんて」

 

「俺も吃驚したし、最初は止めたんだよ。でもテストに負けた手前どうしても断りきれなくてな。言ったことを反故にするのはお前の言うところの公序良俗に反する事だし」

 

前に志保に公序良俗に反することをするなと言われたことをなんだかんだ覚えている俺にとって、志保の約束ほど破るわけにはいかない約束はないため今のところは出来るだけ物事の事象に誠実であろうとしている。

 

例えば、テストは最後まで真面目に受けたり。朝寝坊をしなかったり。細かな積み重ねが誠実さへの近道と考え、日々邁進している。勿論、誠実であろうと決めた理由はあるんだけどな、ヒントは馬場チョップ。

 

「‥‥‥確かに、琴葉さんから言われたことだし約束を破るのも良くはないし仕方がないけど」

 

「志保の言うこと守ったお兄ちゃんを褒めて欲しいな」

 

「気持ち悪い」

 

酷い。

 

「‥‥‥な、何はともあれ、俺考えたんだ」

 

「何を?」

 

「どうせなら田中を盛大に喜ばせようって」

 

罰ゲームってのは想像以上に過酷なものだ。勝った奴の言うことに基本的に服従せねばならない。当然、途中で辛くなることもあるだろう。

そこで俺は考えたのだ。どうせ辛くなるくらいなら達観的になり、ハイテンションとなり、この状況すらも楽しんでしまおうと。

 

俺は、決心したのだ。

 

1日限りで、田中を喜ばすピエロになろうってな(唐突)。

 

「1日限りの道化師に‥‥‥俺はなるっ」

 

「兄さんは毎日がピエロじゃない」

 

「生意気な口はこれか?」

 

志保の頬を軽く抓って反抗の意を唱えると、素知らぬ顔をしてきた志保の顔が突如変化する。その顔は俺という存在の思わぬ反抗に腹を立てたのか怒りに歪められている。そして、目は既に何人か殺ってそうなハイライトの消えた目付きであった。

 

「どの口がその台詞を発しているの?」

 

「この口だ」

 

「ならご生憎だけど、今の兄さんに私の暴言を咎める権利なんてないわよ」

 

「なんだと‥‥‥」

 

「私は兄さんの世話を2日したの、その間言いたいことも我慢して普段の10割増の優しさで兄さんを介護したのよ?」

 

「普段どんだけ俺に優しくねえんだよお前は」

 

あれが10割増って。何時もは暗黒面して俺にドS極まりない発言や行為をしでかしてるってことっすよね?何そのダークサイド的思考。天使の方もっと頑張れよ、もっと優しい志保見せてくれよ。

 

「というわけで、兄さんは1日くらい私に主導権を握らせて然るべきだと思うの」

 

「‥‥‥しゅ、主導権とな」

 

「兄さん」

 

「んだよ」

 

「あの時の兄さん、とっても可愛かったわ」

 

「あああああ!!あああああ!!」

 

『あの時』───フッ‥‥‥と鼻で嘲笑した後に発せられた志保の言葉に俺のメンタルは崩壊した。毎週ペースで崩壊するのはよくある事なのだが、今回は破壊度がえげつない。

 

何時もはヒビが入る程度か、一部が欠けるに留まっていたメンタルブレイクは過去の黒歴史を思い出すことにより二割増のダメージを孕んだ攻撃となり、俺のメンタルを文字通り『破壊』した。

 

「‥‥‥今兄貴として大切なものを失った気がする」

 

ただ、何か憑き物が落ちたような気分だ。具体的には今の俺なら何言っても恥ずかしくないような気さえしてきた。それが良いのか悪いのかは知らんが、取り敢えずあれだ、田中との昼食を楽しむ術でも聴いてみようか。

 

「てなわけで女の子が喜びそうな言葉教えて志保えもん」

 

「恥も外聞も消えたわね」

 

志保、それや。

さっきから何か心が軽くなた気がしたのだがよくよく考えてみたら今の俺、恥ずかしさがない。

 

「第一前提として、そんなもの自分で考えるべきでしょう」

 

「考えた、考えたけどダメだったんだ」

 

「なら風邪拗らせたって言って休めば?今なら何とかなるでしょう」

 

「不誠実を止せって言ったのお前だよね?何で抑止の張本人が不誠実を進めてんの?」

 

「私の知ったことではないから」

 

「良いのか?お前の大事な仲間が兄の毒牙に冒されても」

 

「あ゛?」

 

「待って、ストップ。流石に今のはお兄ちゃん調子に乗りすぎたから。毒牙になんてかけないから。寧ろ喜んで田中のモチベーション上げる要員になってみせます、モチベーション上がらないとか言って退団とかさせないようにするから!!」

 

いざとなったらまたスイッチを切り替えて、田中をわっしょいわっしょいして持ち上げて見せるさ。そうすることで田中はモチベーションを上げ、俺は志保に鋭い目付きを向けられなくて済む。我ながら完璧なwin-winの関係である。

 

「‥‥‥全く、兄さんは本当にそういう所がダメ。折角誘われてるのだからこういう時くらい自分で考えて人を喜ばす方法を考えなさい」

 

自覚してるだけに辛いです‥‥‥志保が好きだから、当たり前のことが出来なくて罵倒されるのは‥‥‥辛いです。

己の思慮浅さに悲しみ内心涙を流していると、ため息混じりに志保が続ける。

 

「‥‥‥先ず、服はシンプルに。それから兄さんはその目付きの悪さをメガネで隠せばマシな顔が更にマシになるわ‥‥‥それから」

 

「‥‥‥それから?」

 

「普通にしてれば、兄さんは格好が付くわ」

 

「志保‥‥‥」

 

なんてこった。

ここに来てお褒めの言葉をくれるだなんて、流石志保はデレというかそこら辺の塩梅が分かっている。

こうして俺がやる気と気概に満ち溢れているのが良い証拠だ。どれだけ罵倒されようが、志保の一言で俺の心は前へと前へと舵を切ってしまう。

 

「さあ、行ってきなさい。自分の足で明日着る服を考えるのよ」

 

志保の締めの言葉に、俺は大きく頷き自分の部屋へと向かっていく。

 

「おう!!」

 

帰り際に、大きな一言を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥まあ、その普通の概念が理解できない兄さんには『格好良さ』なんてものは一生巡り会えないのでしょうけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから、着る服を決めたりと何かとイベント事に恵まれることの多かった俺ではあるのだが、実は田中との食事前にもうひとつ約束していたイベントがある───ということに気付いたのが、先程。

 

勉強の間に読んでいた本の返却期限をうっかり忘れそうになっていた為、本を図書館に返却し、その流れで俺は前にテスト勉強をしていた席へと辿り着く。

 

しかし、目的の人物は目の前にいなかった為ぐるりと辺りを見渡すと。本棚の影に藍色の髪の毛が。

 

「‥‥‥こちら、ズネーク。図書館資料室Bにて奇特なる本を発見した。これからこの本の捜査を敢行する───風の戦士よ、応答を頼む」

 

「‥‥‥ず、ズネークさん!深入りしすぎですよ!戻ってください!そこは危険過ぎます!!」

 

「安心してくれ風の戦士。この先にはスリルが待っているんだ───冒険という名前のスリルがな‥‥‥」

 

さて、遊びもこれくらいにしてそろそろトリップしている七尾を現実に戻そう。このままじゃ埒があかないしな。

本棚にある本を抜き取り、抜き取った棚から見える七尾の顔を見つけた俺はその顔に笑顔を向けて、挨拶をする。

 

「よ、七尾」

 

「うひゃあ!?」

 

さて、そんな俺の声に驚いたのか肩を跳ね上げて此方を壊れたゼンマイのように振り向いた七尾はまさに戦慄───といった表情で俺を見つめる。そんな表情をしてくれたことに俺は若干の安堵感を得た───いや、悪ふざけは誰かが乗ってくれないと非常に恥ずかしいからな。風の戦士───とか言って『は?』なんて言われた日には俺はもう軽く死ねる。

 

さて、先程までは目を見開いて俺の突然の来訪に驚いていた七尾であったがそんな顔つきも束の間、少しばかり憤慨した様子で頬を膨らませる。

 

「北沢先輩!!驚かさないでください!!」

 

「やー、はっは‥‥‥悪い、まさか七尾がノッてくれるとは思わなかったから。少し悪ふざけが過ぎたな」

 

「本当ですよ‥‥‥吃驚したんですからね?急に本棚から顔面が飛び出てきて───ホラー小説の世界に入り込んじゃったんじゃないかと!」

 

「それは俺の顔面がホラーって言いたいの?売られた喧嘩は買うぜ、七尾」

 

全く失礼な話だ。

 

「何はともあれ、悪いな。約束したのに風邪引いちまって」

 

「やっぱりそうですか、最近はタチの悪い風邪が流行ってますからね‥‥‥気にしないでください。風邪でしたら仕方ありませんよ」

 

そう言って貰えると助かる。

俺だって風邪を引くなんて思いもしなかったんだ。突然のアクシデント───大目に見てくれ、なんて言うのは傲慢だと分かってはいるのだがそれでもそう言ってくれるだけで十分ありがたい。

 

「それよりも‥‥‥先輩」

 

「ああ‥‥‥分かってるよ───七尾!」

 

先程から、俺が右手で持っているファイル付きの原稿用紙に七尾の目は釘付けになっている。その視線から察せられる答えはただひとつ───分かりきっている。

 

ニヤリと笑みを見せた後に七尾にそのファイルを手渡しする。

 

「おお‥‥‥これは!!」

 

 

そして、開いた原稿用紙に──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七尾は絶句した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ‥‥‥圧倒的だったッ‥‥‥って先輩!!これ俗に言う小並感ってやつじゃないですか!!」

 

そっぽを向きながら口笛を吹いていると、七尾からお怒りの言葉が向けられる。いや、良くお前さん小並感なんて言葉知ってるな。てか、ぷんぷんしながら怒るなし、マジで可愛いかよ。

 

「いや、紙より言葉で言った方が良いと思ってな」

 

「それはそうですけど‥‥‥」

 

おーう、七尾さんや。そんなジト目を俺に向けないで下さいよー。俺、実は最近出会った女の子では恵美以外全員にジト目向けられてるんだ。これって結構傷つくのよ。

 

や、俺の行動が悪いのは自覚してるんだけどさ。

 

「まあ、兎に角聴いてくれよ。俺の読後の感想をよ」

 

「‥‥‥そういうことなら、是非教えてください。北沢先輩の思いの丈を」

 

「任せろ」

 

 

 

俺は、その物語を読んだ感想を兎に角事細かに伝え始めた。時に身振り手振りを交えて、時に大雑把に、時に適当に。

感想を行って面白かった事を挙げるとするならば、七尾の表情が俺の感想を聞いていく内にみるみる変化していくことだったか。

 

例えば、俺が登場してきたモンスターの鳴き真似なんかを加えつつその場面のバトルシーンを身振り手振り解説すると、七尾は目をキラキラさせて此方を見遣り、逆にヒロインが危険に晒されてしまった場面を事細かに感情込めて解説すると、七尾は目頭に涙を貯めながら嗚咽を漏らし感情移入する。

そして、単刀直入にこの物語の素晴らしさを説明すると七尾は花でも咲きそうな笑顔で俺の手を握り『そうですよねそうですよね!!』と俺に同意を促すのだ。

兎に角、様々な表情で俺の感想を傾聴する七尾を見て、感想を伝えるのが楽しくならなかったと言えばそれは『大嘘』になるし、これは後々になって思ったことなのだが、ぶっちゃけ七尾のこういう所がアイドルとしてスカウトされた所以なんだろうな───と感じた。

 

あの表情と好きな物に真っ直ぐになれるその心意気こそが、知り合いの田中や妹の志保、JKギャル風お洒落少女の恵美にもないオンリーワンの七尾のアイドルとしての武器になるのだろうな───なんて少しばかり思ったりもして。

 

 

「まあ、なんだ。やっぱり読んで正解だったわ」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ、本をあまり読まない俺が言うんだ。非常に面白かったと思うぜ?」

 

しかも、この物語はファンタジー小説ときたもんだ。

普段そういったものは読まずに読むとしたら教科書と石崎の回し物ばかり読んでる俺がここまでのめり込めたのは、何気に凄いことだと思う。

 

「それに、ヒロインがどことなく志保に似てたんだよなー‥‥‥裏に秘めた誠実さとかが特にそっくりだった」

 

そう言うと、ガタン!という物音と同時に七尾が目を見開き、俺を見る。

俺的には何らおかしなことを言ったつもりはないのだが、七尾には驚愕の出来事だったらしい。

 

「北沢‥‥‥志保?」

 

「妹の知り合いか!」

 

「食い付きが速い!?」

 

だって妹の知り合いだなんて言うんだから仕方ない。

今の俺は過保護な兄貴そのもの。

妹に迷惑はかけたくないが、普段の志保がどうしているかは気になるめんどくさい兄貴は俺です。

 

「し、志保は勉強頑張ってるか?てか友達なのか!?あの強情で自称クールなブラコンシッホに‥‥‥友達!?」

 

「お、落ち着いてください!」

 

お、おう。

確かに志保と同世代の奴に妹の情報を聴けるという興奮的状況に落ち着きを失ってしまっていた。

心頭滅却、心頭滅却。

落ち着きのない奴は人に嫌われるぞ。

気をつけねば。

 

「えーっと、同僚ですよ、私アイドルしているんで‥‥‥」

 

「‥‥‥ふぁっ?」

 

「せ、先輩‥‥‥凄い変な顔してますよ?」

 

果たしてそれは俺だけが悪いのでしょうか。

驚きの出来事の連続で頭がショートしてしまっている。

えっと、確か七尾は志保の友達で、アイドル仲間で‥‥‥

 

「何だよ、ただの神かよ」

 

「北沢先輩の中で私は一体どうなってるんですか‥‥‥」

 

そりゃ、七尾さん。

俺の中でアンタは神ですよ。

志保の友達やってくれて、あまつさえアンタは志保のことを同僚と呼んでくれているんだ。

同僚───良い響きではないか。素晴らしいことだと俺は思うね。

 

「そんなに意外でした?私がアイドルしていたこと」

 

「別に意外じゃねえよ。確かお前この前もそれっぽいこと言ってたし‥‥‥まあ、良いんじゃねえか?七尾なら大活躍出来んだろ。頑張れよ」

 

「は、はい!ありがとうございます!」

 

本当に嬉しそうににへっと微笑む七尾。

良いね、やっぱり七尾はアイドルの才能があるのだろうか。

ま、プロがスカウトしたんだから勿論光るものはあるんだろうな。

見初めたプロデューサーさん、ナイスだぜ。

 

「後、何故か最近俺の周りでアイドルになる輩が増えてるからそういうのは慣れてんだ。さっき言った志保に、この前会った恵美に、七尾に‥‥‥後は、田中」

 

「め、恵美さんに琴葉さん!?凄いじゃないですか先輩!!」

 

「何がだよ」

 

「何が凄いってまるで何処ぞのハーレム小説のようにアイドルの女の子と出会ってる事ですよ!!同期では1番のクールビューティーの志保にオシャレな恵美さん!!更には事務所随一の気遣いマスターの琴葉さんと知り合いだなんて‥‥‥ハーレムですよ!!まさにハーレム!!

 

「あのさぁ!図書館で誤解を生む発言すんの止めてくれる!?俺ハーレム築いてないから!!寧ろ周りに人とか来ない人だから!!」

 

現に、周りのヤツらがチラホラ囁いてるから!

あらぬ噂でただでさえ低い俺の社会的地位を地に落とすのは勘弁して欲しいものだ。

 

「‥‥‥でも、本当に面白い巡り会いですね。普通そんなことありませんよ」

 

「そんなこと百も承知だよ。けど、仕方ねえだろ‥‥‥なっちまったもんは」

 

我ながら面白い巡り会いだということも分かっている。狙っている訳でもないのに妹含めて数人もの知り合いがアイドルをやっているのは、笑いを通り越して驚天動地だ。

こうして七尾に言われたことにより、俺は改めて己に起こる出来事の奇特さを思い出していると、不意に七尾が笑みを見せる。

アイドルらしい、可愛らしい笑みだ。

 

「チケット取り放題ですねっ」

 

「お‥‥‥おう?」

 

なんだ、どういう意味だ?

 

「デビューする時は、チケット送りますからねっ」

 

「あ、ああ‥‥‥頑張れよ」

 

最後に七尾は俺を少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。

それは、普段の七尾が見せるような笑みではない芝居がかった笑み。

そんな笑みを見せながら七尾は一言。

 

「‥‥‥ハーレムですねっ」

 

「よし、表出ろ」

 

俺の怒りの導火線に火を付けた。

 

 

 

 

 

 

 


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