カワルユウキ   作:送検

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第4話

 

 

 

 

 

 ただひとつ、問題点があるとするならばそれは俺の精神状態だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 志保の件の後日、俺は久しく経験することのなかった『心地良い目覚め』が出来たことにより、珍しく二度寝をせずにリビングへと向かい家族を盛大に驚かせてしまっていた。特に、陸の目を見開いた様子は忘れることは出来ないであろう。あの表情だけで、普段の俺がどれだけ遅刻魔だったのかが分かる。

 

 心地良い目覚めでコーヒーを飲んだ後は陸を志保と一緒に保育園に連れていく。これまた、保育園の先生に驚かれていた。いやあ、慣れないことをするって怖い。怖すぎる。

 

 そして、時は今現在に遡り、志保と2人で登校中。

 

 「志保の制服姿ってのも、新鮮だな」

 

 「私だって新鮮よ。まさか兄さんと肩を並べて歩く日が来るなんて」

 

 「志保のマッサージのおかげだぜっ!」

 

 「どうだか」

 

 志保はあの時の可愛らしいそれから相変わらずの素っ気なさに戻ってしまったが、寧ろこれくらいの距離感を保ってくれた方がこちらとしても話しやすいし───

 

 「久しく志保がお兄ちゃん頼ってくれたからな。やる気に満ち溢れているっていうのもあるかもしれないな」

 

 ギャップがあった方がいじりがいがあるってもんだよな。

 

 「ッ......今日は随分と饒舌じゃない」

 

 志保の顔を見てみると、引き攣った苦い笑みを浮かべていた。普段はクールを地で行くような女の子だ。やっぱり昨日のそれは志保にとっては恥ずべきものであったのだろう。

 

 「ま、偶にでいいから頼ってくれよ。別に兄貴に頼ることを恥ずかしがる年頃じゃないんだし」

 

 「......分かってるわよ」

 

 「なら良いんだ」

 

 頭を撫でようとしたら右手でパシリと叩かれた。ちくせう、痛いハイタッチだぜ。

 

 「気安く頭を撫でないで」

 

 「恥ずかしいのか」

 

 「断じて違う、とだけ言っておくわ」

 

 次第に志保の通う中学校が近付いてくる。それにつれて、志保と同じ制服の女の子や、学ランの男の子も増えてきている。ちらほらとだが俺の高校の制服を着た奴らもいる。

 

 「んじゃ、そろそろお別れだな」

 

 「ええ、そうね」

 

 「お弁当!持ったか?」

 

 「ええ」

 

 「教科書!忘れんなよ!」

 

 「何時も何かしら教科書を忘れてた兄さんが言う台詞じゃないわね」

 

 「......寄り道しないで帰ろう!」

 

 「貴方は私の母親か」

 

 吐き捨てるかのように志保がそう言うと、振り返って校門へと向かっていった。

 

 「うし、俺も行かなきゃな」

 

 そう思い、俺の弁当箱を確認しようとバックを覗くと、そこには白猫の弁当袋......それを開けると黒猫の形をした弁当箱とタッパー。

 

 「あ、弁当箱間違えた」

 

 俺の弁当箱は白猫系統なのに、やらかしてしまった。まあ、いいだろ。弁当を間違えたところで俺と志保の弁当箱の中身は同じだし、どうせ帰ってきたら激おこぷんぷん丸のシッホが誕生しているだけだから正直、不都合はない。

 

 

 そう考えた俺は先程まで考えていた思考を放棄し、欠伸をしながら学校へと歩を進めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時に俺はもう少しだけこれから起こるであろう事象にもう少し注意を払う必要があった。

 昔から、こういったいつもと違うような行動を意図せずに行っていた場合、高確率で何かが起こる。本とかでもよく見る展開だ。日常生活からヒロインに関わろうとする生活を送ろうとすると何かしらのイベントが起こる、運命的な何かに巻き込まれる。

 

 一見、テンプレで現代ではなかなかない。寧ろそんなイベントないとか思いがちだが、こういうのって意外とよくある。いつもより早く起きて登校したら忘れ物したとか、いつもより遅く、余裕を持って出かけたら家の鍵かけるの忘れたとか。

 

 なら、そこまで警戒している俺が何でこの日に限ってなんの警戒心もなしに登校していたのか、という疑念に駆られる。まあ、後々思った事なのだがこれに関しては一言───

 

 

 

 

 志保に頼られて、浮かれてた。

 

 

 それに尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、本題だ。

 

 俺───北沢啓輔という生徒が、妹に頼られて完璧に浮かれている状態で、教室のドアを開けて、石崎の『野球やろうぜ!』攻撃を華麗に回避して、席に着いたところから事件は始まる。

 

 「ふう」

 

 窓際の席で、珍しく余裕をもって座る。こういった時間はなかなか迎えることがない為、どういった時間を過ごせば良いのか分からない。こんなことなら暇つぶしになるものでも持ってくれば良かったと後悔する。ああ、スマホはダメだ。ホーム画面を見た瞬間に田中にクラッシュされるからな。

 

 と、そんなふうに窓際の席で暇を持て余ししていると、田中の方から声がかかる。

 

 「おはよう」

 

 「おう、おはろーさん田中」

 

 このようなやり取りを幾度となく繰り返しているためか、田中と挨拶することにより最早一種の安心感のような気持ちを得れている。さしずめ、ルーティンワークとでもいうのだろうか。女の子と話すことがルーティンワークと化している俺......なんかヤダ。

 

 と、そんなことを考えていると田中がじっとこちらを見る。それはそれは、まるで俺の目を覗くように。それに気付いた俺が田中を見ると、ふいっと目を逸らされる。なんだ、いじめか?

 

 「......おい」

 

 「えっ」

 

 そして、それが何度も続くもんなので堪らず俺は田中に声をかける。すると、田中が肩を跳ね上げてこちらを恐る恐る見やる。心做しか、出そうとした声も強ばっている。

 

 「ど、どうしたの?」

 

 「どうしたもこうしたもあるか。こちとらお前の視線と存在のせいで落ち着かねえんだよ」

 

 話しかけられるのは、別に構わない。しかし、用もないのにじっと見ていられるとこちらとしてもどう対応したら良いのか分からない。正直、困る。

 

 「用があるなら聞くけど、用がないならあまりチラチラ人のことを見ない方がいい。それとも、俺何かしたか?したなら謝るが」

 

 言いたいことだけ言ってもう一度窓を見やると、田中は今度はしっかりと、それでいていつも通りの毅然とした声で、俺を呼びかける。

 

 「少し、相談があって」

 

 ほう、あの田中が俺に相談とな。

 

 「聞こうじゃないか」

 

 この時、発せられた田中の言葉を俺は一生忘れることはないだろう。まるで、頭を鉄アレイで打ち込まれたかのような感覚。開いた口も塞がらない。体も金縛りにあったかのような、そんな訳の分からないような感覚が俺の五体を襲った。

 

 その言葉とは───

 

 「私......アイドル、やってみようかな......なんて思っているんだけれど、どうかな」

 

 「は」

 

 なあ、アイドルって最近流行っているのか?

 

 それとも、俺の関わる人間だけたまたまアイドルになろうとしているのか?

 

 どちらにせよ、唐突の発言に驚かずにはいられなかったものの、今回の件に関しての答えのようなものは持ち合わせている。やる、やらないは本人の意思によって決められるもの。やりたいならやればいいし、やりたくないならやらなければいい。それだけの話なのだから。

 しかし、『聞こうじゃないか』と言った手前まともな返答を返さなければ、俺の良心が痛む。それに、普段から田中には迷惑かけてるし......なんて柄にもない事を内心思いつつ、俺は目の前の女に問いかける。

 

 「お前はどうしたいんだ?」

 

 「え、私......?」

 

 「田中がやりたいんだったら受けるだけ受けてみればいいし、受けたくないなら受けなけりゃいい。それだけの話だろ?大体、お前に『アイドルやってみようと思います。どうでしょうか?』なんて問われても......『お、おう。せやな......』くらいしか答えられねえよ」

 

 一息にそう言うと、少しだけ残念そうな顔をして田中が俯く。

 

 「そっか......やっぱり私次第、だよね」

 

 「因みに、動機は?」

 

 「友達に言われて......『琴葉なら絶対大丈夫だから』って」

 

 「あらら......」

 

 どの世の中にも『絶対』なんてのは無くて、何も決まってない状態で『絶対』なんて言葉で励ましを送られても送られた当人は励ましどころではなくプレッシャーになってしまうことは良くあることなんだけど。

 しかし、田中は馬鹿みたいに真面目で正直で優しい人間だからそんな言葉もプレッシャーと同時に励ましとして享受していくのであろう。

 

 ま、そんな奴を目の前にして俺が言えることって言ったら、そうだな。さっきの言葉と、後は......

 

 「......田中さ」

 

 「?」

 

 

 

 

 これしかないわな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「見てくれが本当に可愛いよな」

 

 その瞬間、クラスの空気が固まったような感覚がした。さっきまで顔を向けていた田中はこちらを、まるで有り得ないものでも見るかのような表情で見やり、一言───

 

 「......え?」

 

 素っ頓狂な声を上げた田中に、わっしょいわっしょいモードへと頭のスイッチを切り替えた俺は更に言葉を続ける。

 

 「性格だってきっちりしてるし、俺が遅刻してきた時にはノート見せてくれるし、適度なツッコミが有難いし、こんな俺に話しかけてくれるし。外面だけじゃなくて内面まで完璧とか......あーもう、端的に言って最高。可愛すぎるでしょ。もう、本当に自重してほしいくらい可愛いわー

 

 自分でも何言ってるか分からないくらいに饒舌に舌が回る。そして、一点だけを見つめた視界からは、次第に顔を赤くして、引き続き、何を言えば良いのか分からない表情をした田中がいる。

 

 「な、え、北沢......くん、何言って───」

 

 そして最後に、目をぐるぐるさせてグロッキー状態になっている田中に座礼して、一言。

 

 「もう!ほんとに!田中さん最高ですッ!!

 

 そう宣言したのを最後に、俺は頭のスイッチをカチャリと切り替えて、本当に言いたかったことを言う。

 

 「まあ、オーディションやんなら気負わずいってこーい。心配しなくても何とかなるよ、田中は外面も内面もかっこかわいいんだからさ」

 

 俺は、過度な期待も応援もしたくなかった。そんなことを言ったって田中が気負うだけだということも、散々期待されることの苦しみも人並みに知っていたから。

 故に、俺は頭のスイッチを切り替えた。わっしょいわっしょいして、遠回しに田中にエールを送って、期待してない体を装って。

 俺は、そうして欲しかったから。

 昔───過度な期待をされることが酷く辛かったから。

 

 既に期待を背負わされている人間に更に期待を背負わせようとする程、俺は重い人間ではないし、そうありたくもないのだ。

 

 「......何が気負わずよ。人のことをこれでもかってくらい弄んで......北沢くんの馬鹿っ」

 

 と、まあ過去の回想やら何やらをしていると、赤面しながら怒り顔で田中さんにそう言われた。そして、それを聞いた俺は、その怒り顔が何時ものクラスメイトの『田中琴葉』に戻ったことに少々安堵する。やっぱ、田中はそうじゃないとな。張り合いもないし、つまらない。

 

 「事実だろ。田中は本当に自己評価が低いんだからな。もっと自分に自信を持て」

 

 「......別に自己評価なんて普通だと思うけど。それに自己評価云々なんて、そんなこと北沢くんには絶対に言われたくない」

 

 そう言うと、田中はそっぽを向いて授業の支度を始める。やたらと周りの騒音が五月蝿い。

 

 「自己評価......ねぇ?」

 

 俺の自己評価......そう思い、考えてみる。

 

 「自己評価もなにも、俺は世界に名を残す程の遅刻魔でっせ?周りからは不良生徒と見なされ、煙たがれ、石崎に『野球やろうぜ☆』って誘われる.....馬鹿だろ?」

 

 うん、我ながら完璧な自己評価だ。周りの奴ら(いしざき)の話を盗み聞いた周りの俺に関する評価を上手く纏めた最高の自己評価。

 これに追随する程の自己評価はないだろう.....!と自分でも訳が分からない程の自信を持った状態でそう言うと田中は『やっぱり』と言いたげな表情で俺を見る。

 

 「自己評価が低いのは北沢くんの方だよ」

 

 端的に言うと、ジト目。そんな目付きを向けられた俺はというと、それはそれは穏やかな天気なのにも関わらず、自らが完璧だと思った自己評価を否定されたことによるショックから、どんよりとした面持ちで机に頭を下げる。

 有り体に言って、惰眠を貪ろうとしたのだ。

 

 「あ.....こら、惰眠はさっき貪ったばかりでしょう」

 

 「田中の言葉で俺のハートがブレイクした。惰眠30分を希望するっ」

 

 「何処の豆腐メンタルよ.....」

 

 さあな。

 

 俺にだってわからんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おい、啓輔!!あれはどーいうことだよっ!!」

 

 いつも通り、惰眠を貪っているとふとそんな叫び声と同時に肩を揺すられる気持ち悪い感覚が俺を襲う。その感覚に、惰眠を妨害された俺はストレスマッハの状態で石崎を見据える。

 

 「ああ......?折角の惰眠をごツイ手で妨害しやがって......お前は俺の嫁かっ!」

 

 「おい啓輔。お前本当に1度病院に逝った方がいいんじゃねえのか?」

 

 真面目に返された。なんだろう、凄い悲しい。

 

 「今日一日学校はお前の告白騒動で持ち切りだ。一体お前に何があった!?何がお前をそこまでにした!?俺、お前をそんな子に育てた覚えないよっ!?」

 

 逆に聞きたい。

 

 告白騒動とはなんだ。なんでお前がそこまで盛り上がっている。そして、お前は俺の母親なのか?

 

 「知らんがな、俺が聞きたい」

 

 「知らないなんてこたぁねえだろう!!現にお前の口から発せられた言葉なんだからな!!」

 

 「うっせーうっせー」

 

 喧しい声に抗うかのようにそう言うと、石崎が俺の両肩を掴んで続ける。

 

 「お前......もしかしてスイッチ切り替えたのか?」

 

 「あ?」

 

 続けて石崎が俺のネクタイを解きにかかる。やめろ。何がとは言わないが誤解されるだろう。

 

 「スイッチだよスイッチ!!」

 

 「生憎それを買ってやる金も甲斐性も俺にはない」

 

 「誰が任〇堂の話してんだよッ!!テメーの脳内のスイッチの話をしてんだよ馬鹿ッ!!」

 

 そう言って俺を罵る石崎。果たして俺は今月で何回バカと罵られるのだろう。

 それはそうと、周りの喧騒にも似た噂話と、石崎の鬼気迫る迫真の声色でようやく今、俺が置かれている状況が分かってきた。

 どうやら、過去に俺がしでかした田中さんわっしょいわっしょい事件(自称)により、俺の一連の行動を告白と勘違いした輩があることないこと学校中に広めまくっているらしく、石崎曰く、校内はその噂で持ちきりらしい。

 ふむ、参ったな。

 俺としてはどう噂を広められようが一向に構わないのだが、田中にとってはよろしくないだろう。何せ、今、まさにアイドルになろうとしてる自他共に認める真面目少女だ。これから先、彼女がアイドルになろうがならまいが、この噂は彼女にとっては傍迷惑なものとして残り続けるだろう。

 人の噂も七十五日とはよく言うもので、実際は噂なんてものはそのままにしていたら一生囁かれ続ける。俺は、確かに不真面目、不勤勉、不誠実と悪い性格ばかりが先行する阿呆だが、人様に迷惑だけは極力かけたくないのだ。

 故に俺はこの噂を撲滅するべく1度改まり、石崎を見据える。

 

 「......石崎、俺はどうしても切り替えなきゃ行けない理由があったのさ」

 

 「......聞こうじゃないか、その理由とやら」

 

 「俺はあの時......田中から発せられる空気を察したんだ。そう......あれは、凄かったッ!!」

 

 「な......何だとッ!?お前、いつの間に空気を読めるように───」

 

 「そう......あの、自己評価の低さから発せられる鈍感少女としての1面......そして、それを聞いてしまった俺の何か言わなきゃいけない雰囲気......!」

 

 それを聞いた石崎は涙を流す。流石、感受性とハンカチと嘘泣きには定評のある石崎だ。俺の言葉にいとも容易く涙を流してくれた。

 

 「お、お前......お前って奴は!」

 

 「人は、成長する生き物なんだよ......!それなのに、成長したと思ったら直ぐに茶化される!そんなの認められると思うか!?」

 

 「そんなの、そんなの嫌だッ!!折角啓輔がひとつ大人になったのに!心無い一言でまた啓輔の成長の機会が奪われるなんて......耐えられないッ!」

 

 「じゃあ、お前は俺に何をしてくれるんだ......?」

 

 締めの一言。俺がその言葉を口にすると、石崎は何処ぞの熱男よろしく拳を突き立て、一言───

 

 「噂をしてた奴を片っ端からアンパンチしてくるッ!!」

 

 「よし、逝ってこい!」

 

 そう言うと、石崎は親指を立てて廊下へと出ていった。『アンパンチ!!』やら『熱男ぉぉぉぉ!!』なんて言葉が聴こえてきたがここは無視だ。関与していない風体を装い、石崎が拳で噂を根源から叩き切る。そして、俺が惰眠を貪っている間にも噂は消えている。

 

 クラス1の人気者である石崎だからこそできる芸当だ。お世辞にも頭がよろしくはない石崎の事だからきっと誰かに咎められるまで物理的にアンパンチを繰り返し、黙らせる事だろうが。

 

 ありがとう、石崎。心の中で感謝を込めて敬礼をすると、後ろから声がかかる。

 

 「へー、私が鈍感少女かあ」

 

 その女の声は、聞き慣れた声なのに何故か寒気がする。そう、それはまるで妹に怒られている時のような、そんな感覚。そして、こういった事項が俺を襲った時、俺という人間はその事項に対し、為す術もないという事を俺自身が1番知っていた。

 

 「あ、いや、えーっと......」

 

 「北沢くん」

 

 何故か、デジャブを感じる。次に田中から発せられる言葉を俺は予知していたのかもしれない。予知......否、そんなものでは無い。寧ろやられ慣れてるとでも言った方が正しいのか。

 田中は、クスリと笑って一言────

 

 「正座」

 

 その瞬間、俺の膝は力が抜けた。糸でも切れたかのように───

 

 「先ずは、一言。言わなければ行けないことがあると思うんだ」

 

 ああっ......凄い。誘導の仕方まで妹とそっくりだ。こんなの抗いようがないじゃないかっ。そう思った瞬間、俺は誰に操られるまでもなく田中の方へ向き直り田中を見上げる。

 

 マルサルヘアーとでも形容すべきロングヘアーと年相応に整ったスタイルが目に毒だ───なんて事を頭の中で考えつつ、俺は頭を下げる。

 

 「自分、調子乗ってました。幾ら田中が可愛いからってそれを公衆の面前で......あまつさえ石崎には鈍感少女なんて......ごめん、田中は少女じゃなかった。立派な女だったよな......」

 

 そう言うと、田中は左手で顔を覆って首を横に振る。

 

 「突っ込んでいるのそこじゃないんだけどなあ......」

 

 「ええっ」

 

 なら、何を謝ればいいんだ。俺は、それ以外に失礼な事を言ったのだろうか。

 

 「それに関してはもういいけどっ。本当に今日一日どうしたの?今日の北沢くん......何だかおかしいよ?」

 

 おおう、どストレートな回答ありがとうございます。そうです、今日一日俺はおかしいんです。切り替え不可能なスイッチを志保の馬鹿が押しちゃったんですよー。『お兄ちゃん調子に乗っちゃう』スイッチ......おえっ、自分で言ってて気持ち悪くなってきた。

 

 「......済まないな。ただ、田中迷ってるみたいだったからさ」

 

 先程のお兄ちゃんスイッチは兎も角、それに関しては本音だし、真面目だ。目の前の何かに困った友達を何とかしてやりたいと思うのは俺の良心であり、心の奥に今でも決めている事だ。問題は、『何とかしたい』の方法だったわけなんだけど、流石に公衆の面前でわっしょいわっしょいするのは駄目だったな。反省しなければならない。

 

 「......心配、してくれたの?」

 

 「そらそうよ。新しい何かに挑戦するって凄い勇気のいることだから生半可な気持ちじゃ出来ない。それを俺の隣の席の奴さんがやろうとしてる......正直、大丈夫かと、そう思った」

 

 心配はしている。だからこそ、無責任に頑張れなんて言いたくなかった。若干ひねくれててもあの時のやり方があの時の俺の最適解だった。まあ、それも結局は不発だった......故にこうして正座させられているわけなんだが。

 

 「.....そっか」

 

 かくして、俺が正座をしながら過去のわっしょいわっしょい作戦を懺悔していると田中は、何かを考える素振りを見せる。

 

 「私......アイドルやるって言って、否定なんてひとつもされないでみんなに頑張れって言われてる。友達にも、家族にも、先生にだって。感謝してる、私のやることを肯定してくれて、反対も特になかった周りの人達に感謝って言葉じゃ足りないくらい......そう思ってる。だからこそ、期待に応えなきゃって......私は思ってる」

 

 「ああ、お前ってばそういう人間だったよな」

 

 北沢啓輔という人間を1括りにして考えるのなら、10人中10人は『馬鹿』って言うだろう。基本馬鹿で、遅刻魔で、寝坊助。ぞんざいな性格の割に頼られたら調子に乗っちゃう駄目兄貴。

 だけど、それが『俺』としての人物像でありあるべき姿だ。俺のアイデンティティなんだ。

 

 ならば、この目の前にいる女のアイデンティティってのは?田中琴葉の人物像ってのは?

 田中は『真面目』だ。故に男女共に人気があるし、周囲の期待も相応に受ける。

 

 普通の人間ならプレッシャーにしか感じないであろう一言も、田中は励ましとして受け取るであろう。現に俺のようなひねくれた奴の言葉も、心配として受け取ってくれた。

 

 田中琴葉という女はどこまでも『真面目』だ。そして、周囲の期待には応え、言われたこと、成すことは全て100パーセントの準備を以て100パーセントの力で遂行する完璧主義。

 田中琴葉はそういう人間だったんだ。俺とは違う、周囲の期待に対して投げやりになった俺とは確実に違う。彼女は周囲の期待をも力にしようとする。

 

 彼女はきっと、表舞台に立つことに向いている。直感的に、俺はそう思ってしまった。

 

 ならば、俺はどうする?俺も『頑張れ』なんて言って彼女を応援するか?

 

 答えは、否だ。

 

 言っただろう?北沢啓輔は『馬鹿』なんだ。だからこそ、模範解答が近くにあったとしてもそれを答えずにひねくれた回答をしてしまう。だからこそ、俺は何度も田中の事を褒めちぎるであろう。

 

『やるならやってみたらいい』

 

『やらないならやらなければいい』

 

『田中は可愛い』

 

『アイドルに向いている』

 

『最高です』

 

『気負わずいってこーい』

 

 そんな、1度は言われてみたかったであろうキーワードの1部を田中に言う。世間では、これを投影とでもいうのだろうか。はたまた感情移入か。

 

 ただ1つ分かることは、田中から見て、俺は先の質問に対してどっちつかずの解答をしてしまっていることは確かだったということだろうか。他ならぬ俺がそう感じている。

 

 「時に、田中よ」

 

 「え?」

 

 「お前は、俺に応援してほしいか?それとも、応援して欲しくないのか?」

 

 何気なく、そう発言した俺に田中はきょとんとした目を向けて、答える。

 

 「......どうだろ、だって北沢くん。仮に応援するって言ってもまた私の事を困らせそうだし」

 

 「ほう、わっしょいわっしょい作戦をしてほしいと」

 

 「そんなこと1度も言ってないっ」

 

 お互い会話を交わし、怒り、笑う。

 

 そんな不思議な感覚に身を任せるかのように、俺は言った。

 

 「アイドルになったら、応援してやるよ。それまではただの一般人だからな。応援する道理がない」

 

 だから、と続ける。

 

 「アイドルになる為に.....気負わずいってこーい」

 

 北沢啓輔は北沢啓輔らしく、目の前の『アイドル志望』に、高らかに拳を突き上げ、エールにすらならないエールを送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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