「受かった」
その言葉を聞いた俺は、少しだけ笑みを見せる。やはり、俺の目に狂いはなかったといったところか、なんて内心格好付けて見た所で何かが変わるわけでもなく、俺は普通に田中を賞賛する。
「ほう、良かったじゃあないか。ならば、晴れて俺はお前さんのファンだ。第1号だ」
拍手を2度して賞賛すると田中は少しだけ目を瞑り、話題転換。
「それよりも驚いたことがあるの」
「聞こうじゃないか」
「北沢くんの妹さんがいた事」
「おお、志保に会ったのか。どうだ、可愛かったろ」
志保は自慢の妹だからな、と胸を張って言うとため息を吐いた田中が少ししんみりした様子で俺に言う。
「ええ、可愛かったわ。可愛かったけど......」
「無視されたか」
「それはもう、見事にね」
志保のやつ、まさかアイドルになって早速孤立しているんじゃなかろうな。心配だ。実に心配だ。
「もし良ければ、志保のこと気にかけてやってくれ。同僚としてで良いから、会った時に挨拶......ああ、それでも無視するようだったら俺の名前を使ってくれて構わない。『アンパンチ』って言ったら多分仲良くなれるはずだからさ」
一息にそう言う。すると、田中は呆気にとられたような表情をした後、クスクスと笑みを零す。
「一応、真面目に考えたつもりなんだがな......」
「ご、ごめんごめんっ。あんまり北沢くんが妹さんの事を気にかけるものだから思わず......」
尚も笑い続ける田中を見て、俺は珍しく大きなため息を吐く。
「まあ、いい。俺はシスコンでブラコンだからな」
「え、マザコンは?」
「断じて違う、とだけ言っておく」
俺は母さんには感謝しているけど、マザコンじゃない。覚えとけ、ここテストに出るから。
「それにしても......田中がアイドルかぁ」
これから下積みを経て、様々な経験をして、ステージに経って、色んなことをするであろう将来性抜群な女が目の前にいることが、何だか想像出来ない。いや、実際アイドルが目の前にいるのだ。自覚しろよ北沢啓輔。
「どうかしたの?」
「いや......悪いけど田中がアイドルになったってのが未だに想像というか、自覚が出来なくてな......」
「それは......ほら、まだ私見習いのようなものだし」
「そうじゃない。いや、そうなのか....?」
まあ、アイドルの友達なんて俺にいる訳でもなし。そんなもの何れ自覚するであろう。頭の中でそう自己完結させた俺は先程までの思考を放棄し新たな悩み───今日の晩御飯について頭を悩ませることにした。
「さて、今日の晩メシどうしようかな......」
そう呟き、チラシを取り出すと田中が興味深げにこちらを見る。
「北沢くん、やっぱり買い物とかするんだ」
「母子家庭だしな」
何が高くて、何が安いのか、特売とか、それくらいの事は分かっとかないと買い物とか行けない。最初はノープランで買い物も行ってたけども、母さんにお金の使い方の大切さを学んでからはこのスタイルが身に染み込んでしまった。
「お前も買い物くらいはするだろ?それと大差ねえよ」
「ふーん......そんなものかな?」
「そんなもんだ」
まあ、俺の場合家事は志保との交代制だったからそこまで大変ってわけじゃないし、寧ろ家事とか色んなことが一人暮らしをする前に経験できるのは物凄く有難い。いずれは俺も一人暮らししなきゃいけないしな。何時までも実家ぐらしじゃ、母さんに面目が立たない。
ふむ、野菜と鶏肉が安い。
家にはルーがある。
「よし、今日はシチューだな」
「シチュー......」
「そう、シチューだ」
クリームシチューの濃厚な甘みと旨み。1度口に含んだら最後。病みつきになるあのクリームシチュー様だ。おおっ、考えたら涎が。腹も減ってきたな。
時計を見てみると、時刻はちょうど昼休みの中盤。そろそろ飯を食わないと5時限目の授業に間に合わなくなってしまう。
「さて、メシだメシ」
俺は何かを考える素振りをしている田中を尻目に、自らの作った卵焼きに齧り付いた。
うん、しょっぱいな。
☆☆☆☆☆
さて、長かった5時限目と6時限目の授業も終わり、俺と田中は早々に帰り支度を済ませていた。
「んー......眠いなぁ」
マトモに授業を受けたため、酷く身体がダルい。どうしてこうなったのかというと、惰眠を貪ろうとしたら田中に拳骨喰らったの一言に尽きる。
クソッタレめ......と誰に言うまでもなく、悪態を突いていると田中が相も変わらず呆れたような視線を送り、俺に問いかける。
「本当に......どうして北沢くんって授業中にそこまで寝ることが出来るの?」
「田中......それは授業がつまらないからだよ!!」
「それを両手を広げて高らかに言われても反応に困るんだけど......」
何でさ。自分の主張を述べたまでだろ。
「大体、授業はつまらなくても受けるものでしょう。学費だってかかってないわけじゃないんだから......」
「う......」
それを言われると弱い。
「せ、せやな......これからは真面目に受けられるように頑張ってみるよ......」
目を逸らしつつ、冷や汗をかきながら俺は苦し紛れにそう言う。その間に、前をチラリと見ると、田中は「じー......」とまるで擬音が付くかの如く、俺をジト目で睨んでいた。あ、なんだろ。ドキドキが止まらない(恐怖)
「......ど、どうしたんだよ田中っ。俺はしっかりと授業を受けられるように頑張る。それでいいだろっ」
そんな変な高揚感を胸に、そう言うと田中は先程のジト目を変えることなく一言───
「『頑張る』っていうのが怪しすぎる」
「即答ゥ───!?」
間髪入れずに言われた言葉に思わずツッコミを入れる。出した当人である俺も吃驚のツッコミスピードだ。
「だって、北沢くん何回も同じ事を言って直した試しなんて1度としてないじゃない」
「失礼な。これでも最近は寝坊助直そうと頑張っているんだぞ」
「北沢くんの場合そろそろ『頑張り』じゃなくて『結果』が求められる年頃だと思うんだけど......例えば、何をしているの?」
ふむ、それを掘り下げて聞いてくるか。まあ、いい。嘘はついてないからな。ここ1週間で俺が行動したこと全てを洗いざらい話してやろうではないか。
「月曜日に目覚まし時計をふたつにして、火曜日にオールナイトしてみた」
「うん」
「水曜日は、朝飲むコーヒーの量を2倍にしてみたり、木曜日には朝飯を作った後に妹に抱き着いて志保成分を吸収しようとしたら抱きつこうとした右手の上から何処ぞの宮〇も吃驚のジョルトカウンター喰らって失神した」
「......ちょっと待って」
「金曜日には、陸......弟に起こしてもらったりとか土曜日には、今まで行った全ての事を同時にやったりもした」
「突っ込みたい......本当に色々突っ込みたいけど我慢しなきゃ......」
何やら田中がぶつぶつ言いながら頭を抑えているが、ここまで言った以上最後まで言わなければ気持ち悪い。
「んで、日曜日に最終手段で志保に寝起きを襲ってくれないかと頼んだら、何やら物凄い目付きで睨まれてハイキックからの肝臓打ちされて最後には───」
「ごめん、話は変わるんだけど」
唐突に話を切り替えられた。
「おい、お前が切り出した話だろ。責任持って最後まで聞け」
内心穏やかではない俺は早口に捲し立てる。すると、先程まで無表情だった田中が少しだけ顔を引き攣らせる。
「聞くに堪えない話だったから......大体、妹にジョルトカウンターされる兄って一体」
「そこは置いとけ。大体は俺のせいだから」
現に志保があそこまで冷酷な目付きだったりジョルトカウンターを俺に噛ますようになったのはしっかりとした原因がある。
そもそも、志保は赤の他人にあそこまで過激な攻撃はしない。基本は他人に無関心であり、深く関わろうともしない。それ故に距離を感じる時もあるし、それが心地好く感じる時もある。
その距離を、どう思うかは接したやつ次第だ。それくらいでいいと思うやつもいれば、嫌だと思って踏み込む奴もいる。
「北沢くんの......せい?」
「ああ」
『北沢志保』という人間がどういうものなのか、そんなことは今は関係ない。今、説明補足が必要だったのは『北沢志保』が『北沢啓輔』という人間にどうして遠慮ない性格になってしまったか、だったな。
「まあ、端的に言ってしまえば家族だから、なんだけどね」
他人では、思わず自重してしまうような事も家族なら遠慮なく出来る。
俺が、他人にあんまり関わろうとしなくても志保、陸、母さんにはとことん関わる。それは『家族』が俺にとって心を開ける存在だから。
それは、恐らく志保も同様でその表現の仕方が俺に対する罵倒であったり、照れ隠しのジョルトカウンター、肝臓打ちだったり、時たま見せる優しい笑顔だったり、マッサージだったり。たったそれだけの話なんだ。
「田中だって、家族になら心を開いてある程度のことは言えるだろ?それは何でだと思う?」
「......信頼、してるから?」
「それがお前の問いの答え......だと思うよ。うん、寧ろそうじゃなかったら泣く。自宅の押し入れでおいおい泣く」
「何処の現代文よ......」
そう呟いて、田中は帰り支度を済ませた鞄を肩にかけて、立ち上がる。
「......何だか無性に美味しいシチューを作りたくなってきた。そろそろ俺行くわ!!」
俺は、その時衝動に駆られた。
必ずや志保の舌を唸らせるシチューを作り、家族の......主に志保の笑顔を見る為に。家族の笑う姿を想像し、やる気に満ち溢れた俺が今にも外へ行かんと歩き出すと、その足を不意に発せられた田中の声が止める。
「.....北沢くん」
「?」
不意に立ち止まり踵を返した方を振り向くと、田中が真顔で俺に尋ねる。その姿に、自分の頭の中にあるスイッチ......『真面目』スイッチがカチャリと音を立てたような感覚が俺の体を無意識に真顔にさせた。
「その......買い物なんだけど」
「買い物?」
俺が、そう言うと田中はまるで一大決心でもしたかのような決意のある表情と声色で俺に一言───
「私もついていっていい?」
そう言って、俺以外の周りの時を一瞬止めた。
あー、なんだろ。
買い物についていくのは別に良いんだけどさ。
「そんな一大決心したかのような表情で言われても......」
「う」
「それに......お前、俺と一緒に買い物行って何がしたいの?」
俺と買い物行って、メリットがあるのならそれを是非聞いてみたいのだが。
「......あ、勿論目的はあるよ。私料理は出来るんだけど北沢くんみたいに材料とか、そういったものをチラシとかみたりして本格的にシチューを作ったことはなくて」
......ああ、成程ね。
「つまり、俺が何を意識してシチューの材料を買っているのか知りたいと」
「うん、個人的に気になるんだ。普段は適当な北沢くんがどんなことを思って買い物をして、どうやったら美味しいシチューを作れるのか」
「......別に俺、料理ができるなんて言ったつもりないんだけどな」
本当に。田中琴葉という女は北沢啓輔の事をどこまで知っているのだ。
名前から始まって、バイトのことまではいいとして。料理が美味しいなんて情報、俺ですらそんなに聞いたことがない。
あれか、また石崎か。
「石崎くんから聞いたよ。『啓輔の料理は美味いんだよ......特にシチューがっ!』って」
石崎の真似なのか身振り手振りを使って石崎の真似をする田中。流石、演劇部と言ったところか。滅茶苦茶似ている。というか、可愛い。
後、情報をまたお漏らしした石崎は処す。
「......分かった。まあ、大したことは説明出来ないだろうけど付いてきたいなら付いてこい」
「本当?」
「嘘はつかない。ああ、後......」
「どうしたの?」
「次から、一大決心する時と場所と状況は考えような。それから、石崎の真似はめっさ可愛かったぞ」
まあ、どこで何言おうが自由なんだけど。そう最後に付け足してバッグを肩に背負うと、田中が固まる。
「......おーい、田中?」
身長柄、田中を少しだけ見下ろす形でそう尋ねると、ようやく田中が動き出す。
「......ぁ」
「あ?」
言葉の意味が分からず、再度尋ねる。
すると、田中はあっという間に顔を赤く染めてそれはそれは見事なまでに狼狽した。
「ああああああ」
目をぐるぐるさせて、何処ぞのポンコツアンドロイドも吃驚な位に壊れてらっしゃる。ここまで壊れた田中は初めてだ。
結局、出発する為に田中を正常な状態に戻す必要があったため、あれから1時間は学校を出ることは出来なかった。
☆☆☆☆☆
「穴があるなら潜りたい......ッ!」
学校からスーパーへの道すがら、田中は両手で顔を覆いながら重い足取りで歩いていた。
「あのさぁ......そんなに後悔するなら言わなければ良かっただろうが」
「だ、だってあの時は周りのことよりも自分のことばかり頭にあって......!」
「それを何とかしろって話だよ」
自分のやりたいことに一途なのは大いに結構だけれども、時と場合と場所は考えほしい。そうしなければ田中自身が近いうちに痛い目を見る。
それが分かっているのに、言わないほど俺は薄情ではない。まあ、石崎にアップルパンチする程には冷たいが。
「知らず知らずのうちに周りはあたかも俺達が放課後デートするかのように盛り上がってたし。こりゃあ石崎に噂を撲滅させる必要があるかもな」
石崎ならば、きっとアンパンチで......あ、無理だ。職員室に連行されたって石崎に怒られたばっかりだった。ああなってしまった石崎は暫く口を聞いてくれないんだよな。まあ、数日経ったらまた『野球やろうぜ!』って話しかけてくるんだけど。
というか、実際この状況ってデートだよな。勿論、そうは思いたくないし、田中となんて考えてすらいない。ただ、客観的に見たらこの状況は完璧にデートだと思われる。俺がこの状況を第三者の視点で見たら『リア充爆ぜろ!わっほーい!』って取り敢えず煽ると思う。
「......石崎くんって本当に北沢くんのこと色々知ってるよね」
「まあ、小学校の頃から同じクラスだしな」
奴とは、切れても切れぬ仲なのかもしれない。小学校、中学校とクラスは同じ。高校も同じ学校で同じクラス。
ただひとつ、決定的に違うのはアイツが野球部のエースで、俺が帰宅部って事だ。
「石崎は陽キャ、俺は陰キャ。光があれば、影は鮮明に映し出される......」
「最高のコンビってこと?」
んなわけねーだろ。
「光が憎たらしい。あー、もう石崎さん勘弁してくださいよ......って所だな」
「貴方って人は......」
田中は1度、俺を冷めた目で見つめると続ける。
「野球、やってたんでしょう?石崎くんと。どんな人だったの?」
どんな人だった、か。
それはお前のイメージ通り───
「何処までも底抜けに明るくて、それでいて天才。何でもできるといえばできるし、実際アイツは高校からの推薦もあった」
最初のスカウトは、恐らく現在も最強の強さを誇るであろう在阪の高校。
最後のスカウトは、関東の強豪校。
兎に角たくさんの高校から推薦が来ていたし、石崎の力なら、セレクションだって受かるはずだった。
だけど、アイツは全ての高校の誘いを断った。そして、今は無名の高校を県内でも随一の強豪校に仕立てあげ、奮闘中である。
近々、石川から良い選手が来るらしい。彼の野球部強豪校計画は順調に進んでいる。
俺、『北沢啓輔』から見た『石崎洋介』ってのは。
「馬鹿みたいに優しすぎるんだよ。アイツは」
そして、そんな優しいやつのひとつの道......可能性を、俺はぶっ壊したんだ。
「優しい......か。確かにそうかもね」
「何が確かなんだっての」
「だって、石崎くん北沢くんの事を本当に楽しそうに話すから」
「面白がってんだろ」
「それもあるかもしれないけど......何か、そういうの良いよね。言いたいことを言える友達が近くにいる事ってなかなかないし、出来ないことだから」
......
言いたいこと、か。
「お前にもいるだろ。そんな事を言い合える友達は。それに、田中はこれからアイドルになるんだぜ?沢山の人と切磋琢磨していく過程で、そんな友達沢山出来る」
「......そういうもの、かな?」
「そういうものだよ。だから、一先ずは俺の言うこと信じとけ。騙されたつもりでな」
やがて、スーパーが見えてくる。辺りはまだまだ明るいが、季節は冬。故に暗くなるのも早くなる。
一時とはいえ、女の子と共にいるのだ。早く用を済ませて、早く帰らせなければ田中のご両親が心配するだろうし、俺だって志保の冷たい眼差しを浴びせられることになる。
「話は変わるんだけど、北沢くんって何時から料理を始めたの?」
スーパーに入店して、買い物カゴを取ると後ろから付いてきた田中が俺の横に立ち、尋ねる。
「小3」
「成程、小3......って。ええっ......!?」
田中が驚いた声を上げる。そこまで驚くようなことを言ったか。
「しょ、小3から料理を始めたの......?」
「ああ」
「ってことは、火を......?」
「馬鹿言え、そんなの母さんが許してくれるか。何の変哲もない即席デザートだよ。牛乳とそれを混ぜたヨーグルトみたいなの」
名前を忘れた。確かあれって......フ......ルーツ?だっけ。いやいや、フルーツってまんまフルーツじゃん。
兎に角、あれが初めての料理と呼べるものだった。1人で作ったそれはとても美味しかった思い出がある。妹も、純真無垢な笑みで美味しいって言ってくれたよな。
多分、そこから料理に興味を見出したんだろう。
「そっから少しだけ間が空いて、本格的に料理をするようになったのは中学校の部活を引退した頃......だっけかな?志保に教えてもらったりして上達した」
いやあ、師の大切さが分かった瞬間だよね。教えてくれる人が良ければめきめき上達する。今の自分の料理スキルがどれだけなのかは分からないけど、少なくともまだまだ料理が下手くそだった時に味見をしてくれた志保の顔が青くならなくなる位には上達したと思う。
「田中は?」
俺が興味本位で尋ねると、田中は顎に手を添えて考えるポーズを取る。ちくせう、いちいち行う表情や仕草が画になりますよね。流石アイドル見習いといったところか。
暫く、考えていた田中は不意に思い出したのか手をポンと叩く。
「確か小学校6年生の頃、かな。友達にクッキーを焼いたの。丁度バレンタインの日だったから」
「ほー、田中がね」
意外だ。いや、女の子にしてみたら普通か。友チョコとか色々あるもんな。
それにしても、バレンタインか。そんなことを思いながら特売のジャガイモ、人参をカゴに入れる。
「北沢くんは、バレンタインとか......なにか貰ったりした?」
「あー、あれか。ああ、それなりに貰ったぞ」
妹がチョコをくれる。
弟がチョコをくれる。
石崎が、『ほもちょこ!』とラッピングしてある封に書いたチョコをくれる。
それから......
「大変だよな、あれ。下駄箱にチョコを沢山ぶち込むなんて。あれ、1回いじめかと思ったんだからな」
下駄箱を開けた瞬間にドバドバとチョコが溢れ出た時はクラス中が殺意に満ち溢れた目付きを向けるわ、石崎にからかわれるわ、妹に不機嫌になられるわで本当に大変だったんだからな。もう二度とあんな思いはしたくないものだ。
「あれこそお菓子メーカーの陰謀だ......ううっ!寒気がするっ......と、どした田中。そんな鳩が豆鉄砲くらったかのような表情して」
「......ご愁傷さま、だね」
「は?」
「何でもない、買い物の続きしよっか」
「お......おう?」
何故か、田中に呆れられているかのような顔つきをされたのかは分からないが、まあいい。俺はシチューに必要なベーコンを買うために歩を進めた。
☆☆☆☆☆
北沢啓輔という人間は、限りなく家族想いだった。
今日1日過ごして、北沢くんについてわかったことはそれだった。
北沢くんの口から発せられる思い出には沢山の家族の思い出が詰まっていて、それを聞いた私は自然と笑みが零れてくる。
「んー......りっくんの人参嫌いは筋金入りだからなぁ......出来ればシチューには入れてやりたくない。だけど食べてくれないと将来困るし......複雑だ......」
今も、北沢くんは家族の為にあれやこれや考えている。好み、苦手、栄養、バランス。今の北沢くんの選択にはしっかりとした責任があって、とても好感が持てた。
ならば、他のこともしっかりとやれるのではと考えて......止めた。
北沢くんは『本当にやりたいこと』に関して本気を出す人間という事実が分かったからだ。
曰く、北沢くんは家族が好きだ。だからこそ、家族の為ならバイトだって、料理だって、シスコンだって、ブラコンだってなんでもやる。
曰く、北沢くんは学校が嫌いだ。だからこそ、不勤勉で、不真面目で、寝坊助なのだ。
1年間弱北沢啓輔という人間に関わってきた私が、仮に北沢くんの素顔がどちらかと問われるのなら今の私は胸を張ってこう言う。
『家族のことを考えている北沢くん』と。
それ程に、今の北沢くんは真面目で、誠実で、勤勉で、何より正直だった。
学校にいる時の北沢くんの方が本物と言う人もちらほらいるかもしれない。理解出来ないわけじゃない。実際、以前の私......一年前の北沢くんの事を深く知らない私がそこにいるなら絶対に『学校にいる時の北沢くん』が本物だったと思うだろう。
しかし、深く関わってくると『北沢啓輔』という人間を取り巻く色んなものが嫌でも見えてしまう。ニヒルな笑みで、軽快に持論を振りかざす北沢くんは偶にその笑みに陰を落とす。
それこそ、例えるなら今まで付けていた仮面のようなものがぽろりと落ちてしまうような感覚───
1度それを見て、何かおかしいと気が付いた。
2度それを見て、『おかしい』ということを確信した。
3度目からは、学校での北沢くんの表情が嘘ということに気が付いた。
深く関われば関わるほど見えてくる北沢くんの素顔を知る度に、私の中の北沢くんのイメージは、容易く崩されていくのだ。
「田中」
「!?」
不意に声が聞こえる。その声に驚いて、声のする方......前を見ると、そこにはエコバッグを腕にかけた北沢くんが怪訝そうな表情で私を見ていた。
「レジ、終わった。そろそろ行こうぜ」
「あ、うん」
今日も今日とて、北沢くんは気だるそうなオーラを身にまとい私に話しかけてくれる。その何時も見せる気だるそうな表情は、学校にいる時や、他所向きに話している時に使う北沢くんの仮面で。
何故か、ズキリと心が痛んだ。
スーパーを出て、帰路につく。自然と歩く歩幅が違う為北沢くんが私の斜め前を歩く形が嫌で、歩くスピードを少し早めた。
それに気付いた北沢くんはこちらを苦笑いして見つめる。
「言ってくれりゃスピード落とすのに。悪かったな」
「別にいいよ。元々私が無理言って付いてきたんだし」
それに関しては本当だ。北沢くんは本来1人で買い物に行く筈だったのにお願いして付いてきてしまったのだから。余計な気を遣わせたかもしれないし、お邪魔だったなと思う。
しかし、そんな私の心配を他所に北沢くんは続ける。
「それこそ別にいいよ。買い物さえ出来れば何人いようが変わらないし。それに少しだけど話せて楽しかった」
「そう、かな?」
「ああ。だから気にすんな」
一言、そう付け足して北沢くんは私の歩調に合わせながらゆっくり歩いていく。ちょっとした気遣いが、私にとっては少しだけ有難かった。
「......あ」
不意に、北沢くんの足が止まる。ピタリと、時でも止まったかのように。
「どうしたの?」
そう尋ねるも、返事はない。息をするのも忘れているかのように、反応しない。
一体どうしたのだと思い北沢くんの視線を追ってみる。するとそこにあったのは公園のベンチと『折れた木製バット』だった。それは、単なる木製バット。野球をする為に作られた、北沢啓輔には何も関係のないバットの筈だ。
しかし、北沢くんはそのバットに向かって歩き出す。その足取りは重く、何処か覚束無い足取りだった。
バットを持ち上げる。右手にはグリップエンド側のバットを。左手にはもう片方のバットを。まるで、懐かしいものを見るかのように。それでいて、その表情は────
酷く、物憂げだった。
この時、北沢くんが何を考えていたのかは良く分からない。
けれど、そのバットを見た北沢くんの表情だけは分かったし、その表情が芳しくないって事も私には理解できた。
果たして、これは踏み込んでいい一線なのだろうか。
私なんかが、踏み込んでいいのか。
私には、分からなかった。
そして、覚悟もなかった。
やがて私の姿に気が付いた北沢くんは、折れたバットを持ったまま私に近付く。
「道具は大事に、後処理もしっかり」
「......え」
「スポーツの鉄則だぜ。折れたバットをあんな公園に捨てて......子供が触っちまったらどうすんだよな」
全く、けしからん......とおちゃらけた雰囲気で話しかける北沢くんに、以前のような雰囲気は感じられなかった。
「......さ、そろそろ帰ろうか。田中だって門限とか色々あるんだろ?幾ら自分の為っていっても門限を守れなかったら自炊どころじゃないからな」
「あ......そ、そうだね!時間が......うん」
「お、おう。なしてそんなにしどろもどろになっているのか知らんけど......ま、いいか」
この男は、自分がどんな顔をしていたか気づいていないとでも言うのだろうか。先程の雰囲気がまるで嘘とでも言うかのように北沢くんは歩き出す。
そして、その後をついて行くかのように私も歩き出した。
風が凪ぐ。一通り、話したことで会話のネタが尽きてしまった私達は、無言になり気まずくなる。
この空気を何とかしたいと思った私は、知恵を振り絞り北沢くんに質問をする。
「北沢くんは、もし大学に入れたら一人暮らしをするの?」
何気なく、尋ねたその一言に北沢くんは考える。
「んー......まあ、憧れではあるよな」
「北沢くんにも憧れ、あったんだ」
北沢くんの良い意味で人間味のある所がひとつ見つかった。一人暮らし、大いに結構なことだと思う。北沢くんなら、きっと一人暮らしもそつなくこなしそうだ。
尤も、一人暮らしをする前に寝坊助な面だけは直さなければならないのだけれど。
「だって、あれだろ?1人でムフフな本読んでも誰にも咎められないじゃん。あれ、結構困るんだよね......よく、石崎が回覧板よろしく回してくるんだけどさ」
一気に冷めた。
「......いやらしい」
「悪い悪い、ちょっとしたジョークだよ」
「ジョークでも言っていいことと悪いことがあるよっ」
大体、女の子の前でそんな......アレな話をするのは如何なものなのだろうか。北沢くんのデリカシーの無さを心底恨む。
「......まあ、ムフフな本は兎も角として一人暮らしは何時かしなきゃな。何時までも家族と一緒にって訳にも行かないし、俺が独り立ちすれば家族は楽になるはずだから」
「家族と一緒に居れなくなって寂しくないの?」
北沢くんはブラコンでシスコンの筈だ。そんな北沢くんにとって妹と弟と定期的に会えないのは辛いのではないか。そう思い、声をかけると北沢くんはひとしきり笑って私を見やる。
「そりゃあ寂しいけど......それも含めて家族だろ。大丈夫、俺はアイツらから既に沢山幸せ貰ってるから」
「幸せ......?」
「そー、幸せ。例えば、作ってくれた飯を残さず食べてくれたり、編んだりしたマフラーとかを着てくれたり、偶にマッサージしてくれたりとか......そういうのって、些細なことだけど物凄い幸せなんだ。そんな幸せを俺はもらってるから大丈夫。十分だ」
「......そっか」
「それにしても、お前が心配してくれるなんて珍しい事もあるもんだ。今日は槍でも降ってきそうだな」
「ちょっと待って。なんで私が北沢くんを心配したら槍が降ってくるの!?」
「いや、だって田中は普段俺の身の心配しないでバンバンチョップ放ってくるじゃん。ただただ珍しいなー......って思っただけだよ」
「そんな事ないっ」
北沢くんの言葉に何処か腹に据えかねるものを抱いた私は思わず身を乗り出して北沢くんを見る。それに驚いた北沢くんは思わず『うおっ』と声を上げて、仰け反る。
「私は北沢くんのこと何時も心配してるよ。北沢くんは私にとって......」
そこまで言い淀んで、考える。
彼は、覚えてないのかもしれない。
あの時の光景を、私と出会ったあの日の事を。
ならば、今が言うべきタイミングなのではないか?それを言ったところで何かが変わるわけでもない。必要なのは、タイミングと『勇気』だ。
前からそうだった。
目の前の男の『深く』に入り込む勇気が足りなくて、私の過去を話せずじまいだった。ならば、今が話しかけるタイミングなのではないのか?勇気を振り絞る時なのではないか?
私、田中琴葉は北沢啓輔という人間に恩がある。あの時は、それっきり話す機会も無かった故にちゃんとしたお礼が言えなかったけど、今、ここで、このタイミングなら、言える。お礼を伝えることが出来る。
言え。
過去を話して、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えるだけではないか。
「......お前にとって?」
1度は驚いて情けない声を上げていた北沢くんが、私の眼をいつにもない真剣な目で見てくれていた。後は、言うだけだ。想いを伝えるだけなのだ。
それなのに。
「北沢くんは......」
声が震える。緊張しているのか、自分が何をする為に、どこに立っているのかも分からなくなっている。今、唯一分かるのは喉元にでかかった言葉と北沢くんが私の眼をしっかりと見てくれていることだけだった。
「私に、とって」
「うん」
もう、ストックされた言い回しはない。後は一言───
伝えるだけ────
瞬間、拍子抜けした音楽が私の耳を襲った。
「え......ええっ......」
振動したのは、私の携帯だった。何時も、聞き慣れた着うた。その音により、今の今まで構築されていた空間が壊されたかのような感覚を、私は覚えた。
北沢くんはくつくつと笑みを零し、私を見る。その笑みは今の今まで見せていた真剣な表情とは裏腹に、本当に何かを面白がるかのような笑みだった。
「また、今度だな」
そう言うと、北沢くんは十字路を左に曲がり、帰路に。その姿に待てと制止をかけようとするも、その手は、その声は、北沢くんの声によって防がれる。
「また明日、学校で」
一言、それだけ残して北沢啓輔は去ってしまったのだった。
「......間が悪過ぎるよ」
初めて、家族からの着信を恨んだ私はきっと悪い子なのかもしれない。けれど、そう思ってしまうほど今回の件は残念だった。
言えたかもしれないのに......否、言えた。きっと私は彼の目を見て言えたはずなのだ。
『私は、貴方に助けられたことがあるんだ』って。
『ありがとう』って。
たった、それだけの話じゃないか。
何故、あそこまで躊躇ってしまったのだ。
「......馬鹿っ」
最近は、よく隣の席の男の子に対して良く使うようになった言葉を、今回は私自身に投げかけて私は依然としてなり続けている携帯の着信を鎮めるために、電話に応答した。
☆☆☆☆☆
「ふう」
買い物袋を腕にかけ直し、俺は自宅に向かって歩き出す。
あの時、田中は何を言おうとしていたのだろうか。まるで、一大決心をするかのような表情で何を俺に告げようとしたのだろうか。
俺は、田中との面識はない。過去にも、俺の頭の中にあるのは真っ黒な野球に関する記憶と、その他諸々の家族の記憶しかない。田中のような......性格が真面目で、それでいて可愛い女の子なんて俺は知らなかった。
まあ、彼女が言うことを気にする必要はない。言わなくても、それはそれでいい。
知らなくていい話も、往々にしてある。
思い出す必要のない過去だって、往々にしてある。
もし、田中の口からそれが発せられた時は、きっと知る必要のある話、過去なんだろうけど生憎、俺に田中のそれを追求するかのようような意思も、決意も、甲斐性も俺にはない。ただ、川の流れのように流されていくだけだ。
何かを追い求めるのは、もう疲れてしまった。
「っと」
暫く歩いていると、そこには家の前で待機している妹が仁王立ちで目の前の男......俺を睨みつけていた。
「随分、遅かったわね」
「心配したか?」
「別に」
素っ気ない返事で志保は俺の元へ歩き出し、荷物をやや強引に奪い去る。
その強引な優しさが、今の俺には有難かった。
「そういえば、そろそろクリスマスだな」
「ええ、そうね」
「またサンタの格好してやろうか?わーって盛り上げてやるよ」
「別に、兄さんのサンタ姿なんて見慣れてるから今更盛り上がりもしないわ」
いつも通り、志保は辛辣だ。
『初めて作ったシチュー』を食べた時も、有り得ないくらい罵倒された。
だけど、その辛辣さが今の俺には必要だ。
ドMとでも何でも言いやがれ。俺は辛辣で、時々可愛いところもあるこの妹が大好きなんだ。
「今日は、シチューだ」
何気なくそう呟いた一言を志保は受け取り、おれの方を振り向く。
「なら、味見しなくちゃいけないわね。りっくんにあの味のシチューを食べさせるわけにはいかないから」
あの時から、今日まで
志保の憎まれ口は『辛辣』だ。
だからこそ、今の俺がある───
「言ってろ」
家族な好きな俺でいられるのだ。