招カザル来訪シャ~頼れる相棒は世界を喰らう者~ 作:あったかお風呂
海賊船へと戻ったアティたちの視界の先では島の大地が大きく揺れていた。
所々で地割れが起き、地面が隆起し、木々が倒れる。
この世の終わりではないかと思ってしまうようなその光景は島の住人たちの目に焼き付き、心に不安と焦燥を抱かせる。
「辛れぇな。俺たちの島なのに見てることしか出来ねえってのは」
「信じましょう。ベルフラウとイリを」
「そうね……。信じて待つしかないものね」
自分たちが住む島の危機なのに自身は何も出来ない、そのことがとても悔しくて苦しい。
甲板の上から島の崩壊を目にするヤッファがその心情を吐露すると、自分の生徒と護衛獣がこの島を守ってくれると信じて疑わないアティから声がかかる。
アルディラもそれに同意して、成り行きを見守ることにしたようだった。
「みんな、無事なの!?」
どこから現れたのか、傷だらけの姿で海賊船に近づいてきたのはメイメイだ。
「メイメイさん!? どうしたんですか!? 傷だらけで……!!」
それを目にしたアティが驚いたような声を上げるが、アティの姿を確認したメイメイはそれを上回る勢いで驚くと大声で叫んだ。
「せ、先生!? どうしてあなたがここにいるのよ!?」
「えっ? えっと??」
惚けた顔で混乱しているアティに腹をたてたのか、メイメイの口調は叱咤するような物に替わる。
「あなた、自分の役割分かってるの!? あなたは遺跡に残って、剣の力で共界線を繋ぎ止めないといけない、そうでしょう!?」
「遺跡にはイリが残ってくれてますよ」
メイメイはアティに役目を説くが、その返事は信じられないものだった。
島の共界の集合点である遺跡に共界線を喰らう異識体を残して来るなどと、正気ではない。
「は? な、何で!? あの異識体を遺跡に野放しにしてるっていうの!?」
「イリだけじゃありませんよ。ベルフラウも一緒です」
「先生あなた、自分の生徒が可愛くないの!? 異識体と一緒に置いてくるなんて!?」
「メイメイ、あなたさっきから……随分とイリのことを知っているみたいな口振りじゃない」
メイメイに詰め寄られるがその原因がわからずアティが首を傾げていると、そのやり取りを聞いていたアルディラが口を挟む。
「メイメイよ、教えてくれんか? イリが何者なのかをな」
騒ぎを聞きつけたのか集まってきた仲間たちの中からミスミがメイメイから核心を聞き出そうとする。
すると隠し通すわけにもいかないと判断したのかメイメイはベルフラウの護衛獣イリの──イリデルシアの全てを話しだした。
「……話すわ。異識体が何者なのか、何をしてきたのかを」
メイメイから語られたイリ……異識体<イリデルシア>の正体。
それはアティたちの想像を遥かに超えるものだった。
異識体とは界の意志に匹敵する存在、即ち意識体の一種。
界の意志たちが世界を作ったのと同じように、繭世界<フィルージャ>を作り出した異識体は共界線を刈り取って繭世界に引き込み、喰らっていたのだ。
共界線を失ったリィンバウムと、それを取り巻く四つの世界はやがて崩壊を始めた。
それでも満足しない異識体は崩壊を始めた世界をも喰らい始め、やがて界の意志を凌駕する存在になってしまったのだ。
「最終的に異識体は勇者たちによって討伐されたわ。それで事件は解決した……はずだった」
メイメイがそう締めくくると、皆が想像以上のスケールの話にあっけにとられていた。
リィンバウムどころか四界まで巻き込んだ壮大すぎる規模なのだから無理は無いだろう。
「世界……いや、五界の危機だったというわけですか」
「あまりにもとんでもねぇ話だなこりゃ」
ポカンと口を開けているソノラの傍でヤードとカイルが唸る。
今回の島の危機だとかそういう規模の話ではないのだ。
「しかし、それならばイリがディエルゴを終始圧倒していたのも分かりますね」
「ああ、界の意志を凌駕する存在なんだ。島の意志なんざハナからメじゃねぇだろうさ」
「それに、イリが送還術を使えたのにも説明がつきます」
「そうね。送還術を人々に授けたのは界の意志。授けた側と同種の存在ならば使えても可笑しくはないわ」
護人たちはメイメイの説明を聞いて各々抱いていた疑問を晴らし、納得した様子だ。
「イリさまの言う全てを喰らうというのは文字通り全て……世界そのものという意味だったのですね」
「全てを……世界を喰らう存在。だからこそイリは一人ぼっちで、感情を知らなかったんですね」
スクラップ場でイリとぶつかったクノンとアティはあの時にイリが言っていたことの真意を理解する。
「世界を喰らうとは……嫌な気だとは思っておったがそこまでじゃとはな」
戦慄するミスミの顔を見て我が意を得たかのようにメイメイはアティに訴える。
「わかったでしょう? アレがどういった存在なのか。あれは世界を滅ぼす存在なのよ!」
「イリが何者なのかは分かりました。でも私たちは仲間ですから。信じますよ、ベルフラウとイリを」
「なぁっ!? 異識体を信じるっていうの!? お人好しなのはあなたの良いところだけどねぇ! 流石に限度ってものがあるわよ!!」
異識体の正体を知ってもなお、信じる意志を曲げないアティにメイメイが呆れるが──。
「それにメイメイさんの言う通りイリが界の意志を超える存在なら、私たちにはどうにも出来ませんよ。全員でかかったって敵いっこありません」
「ぐぅ。それは……そうなんだけど」
アティに核心を突かれてメイメイは何も言えなくなってしまう。
メイメイの言うことが真実なのなら、遺跡に残った異識体をどうこう出来る人物などいないのだ。
「信じて待ちましょう? 私たちに出来るのはそれだけですよ」
「あっあれ! 遺跡が!」
アティがメイメイを諭すと遺跡の変化に気づいたソノラが声を上げた。
ソノラが指をさす先に聳える遺跡が白い糸のような物に覆われていく。
重なり合う糸の層はやがて球体を形成した。
遺跡そのものを覆い尽くしたそれは卵のようにも繭のようにも見える。
「あれは……繭、よね?」
「異識体……一体何をするつもりなの?」
メイメイは異識体が何を仕出かすのか気が気でない。
異識体の動向次第ではこの島どころか世界が滅ぶのだから。
繭が形成されると、その頂点部分を銀色の翼のようなものが突き破って出てくる。
その光景は蛹から羽化する蝶を思わせる。
翼が大きく広がると繭を構成する糸が解けて崩壊を始めた。
その姿を隠していた糸の層が消えていき、翼の次にアティたちに見えたのは白銀の竜の頭部。
「まさか!? 狂竜!?」
別世界のメイメイが勇者たちの一人、誓約者アヤから受けた異識体に関する報告。
他者を喰らい続けた異識体が際限のない欲望と狂気の果てに黄金の竜の姿へと辿り着いたとアヤは言っていた。
竜とは魂の行き着く究極進化系だ。
元々界の意志を凌駕する力を有していた異識体は更なる進化を遂げ、界の意志の概念をも超越した邪神となる。
欲望と狂気によって竜へと至った異識体をアヤは異識体・狂竜と呼称した。
竜の姿を見たメイメイは異識体が狂竜になったのではないかと思ったのだ。
「銀色の竜……綺麗」
太陽の光を浴びて輝く白銀の竜を見たファリエルはその姿に目を奪われた。
光の粒子に包まれたような竜の姿はある種幻想的な光景だ。
異識体が他者を喰らい続けた果てに到達した、黄金の竜を狂竜とするのならば。
他者であるベルフラウと魂を響かせあった異識体の到達点である白銀の竜は──響竜。
島の住人たちの視線を一身に受けながら異識体・響竜は産声を上げた。
「完全無欠! 永遠不滅! 古今無双ナリ! ギリリッ! ギシャアアアアアア!」
異識体はその翼を大きく広げ、島の上空へと飛び立つ。
ベルフラウから受け取った力は異識体をして驚くべきものだった。
現在の力は黄金の竜の姿であった時と謙遜がないほどだ。
ただの人間の少女でしかないベルフラウにそんな力があるはずはない。
だが現にベルフラウは異識体に大きな力を供給している。
これがベルフラウから感じた『何か』なのか。
かつて自身を倒した人間たちから感じた『何か』なのか。
かつて異識体は自身に刃向かった人間たちが仲間がいるから負けないとのたまった時、それが不完全である証だと断じた。
依って立つには曖昧すぎるそれは現実からの逃避だと。
甘い願望に縋るのは不完全で弱い証だと。
人間たちが縋ったそれが、かつて完全なる個であった自身を打倒した力だというのか。
「理解……不能ッ!? ダガ……現実ニッ!? ベルフラウ……貴様ハ何者ナノダ!?」
思えば、異識体にとってベルフラウという存在は最初からわけのわからない存在だった。
自分の危険を省みずに異識体をゼリーたちから助けた。
異識体と共に食事を食べて、共に眠った。
異識体といると嬉しそうに笑った。
異識体に好きだと言った。
異識体とずっと一緒に居たいと言った。
そんな存在は今まで居なかった。
そんな存在は今まで知らなかった。
そんな存在が異識体は嫌いではなかった。
(「……嫌いではないなんて、そんな言い方じゃだめよ……ちゃんと好きって言って」)
そんな存在を異識体は好きになった。
他者を喰らう対象としてしか見てこなかった異識体が他者を好きになった。
ベルフラウの笑顔を見ると悪い気がしなかった。
ベルフラウが傷付けられた時には怒った。
復活した今でもベルフラウを喰らおうとは思えなかった。
ベルフラウの想いと、ベルフラウとイリの絆が有り得ない筈の奇跡を産んだ。
異識体がその身に宿した業──飽くなき食欲を抑えたのだ。
だから果てのないはずの食欲さえ、ベルフラウの笑顔が想起されると大人しくなった。
それどころかより強い力が異識体の内のベルフラウとの繋がりから湧き出すのだ。
「何故ダ……ベルフラウヨ! 何故コレ程マデノチカラヲ我ニ与エル事ガ出来ル!?」
「(私とイリが揃えば、無敵なんだから!)」
ベルフラウの笑顔と共に思い起こされたのは、遺跡に来る前にベルフラウが言った言葉。
ベルフラウと異識体が揃ったから、無敵になったのか?
荒唐無稽、滅茶苦茶な理屈だ。
しかし現に今は無敵といえる状態。
その理屈を否定する材料がない。
「我トベルフラウガ揃エバ無敵、カ……。キシキシ!」
その馬鹿しいはずの理屈が真実であるかのように思えてしまう。
白銀の竜の身体から魔力の糸が伸びると、島の各地の共界線へと接続される。
島を流れる共界線に接続し掌握、要を失い制御を失った共界線を再び束ねていく。
さらには崩壊した箇所に魔力を伸ばすと修復を始める。
かつて共界線を刈り取り、喰らうだけの存在であった自身が共界線の修復をしている。
しかも、かつてなら絶対にやらなかったであろうそれは、たった一人の少女の願いを叶えるために行われているのだ。
それが異識体には可笑しくて仕方がなかった。
たった一人のために行使された強大な力は崩壊した島の共界線を完全に修復した。
「イリ!!」
ベルフラウが見上げた空に飛び立った巨竜がベルフラウの頭上に戻ると、精一杯に手を振るベルフラウの体が糸に吊り上げられたかのように浮かび上がった。
「きゃあっ!?」
小さく悲鳴を上げたベルフラウが目を閉じると少しの浮遊感を感じた後、何かの上に乗ったのに気がつく。
ベルフラウが恐る恐る目を明けると、白銀の竜の掌の上に乗っていた。
異識体が翼を羽ばたかせ、上空へ上昇するとベルフラウは帽子が飛ばないように手で抑え、下を見下ろす。
ベルフラウの眼下に広がっていたのは名も無き島とそれを囲む広い海。
彼女たちが守った島の全景がベルフラウの視界に映っていた。
「凄い……。こうやって空の上から眺めるのなんて、初めてよ。ふふっ、こうやって見ると小さく見えるわね。あれが、貴方が守った島なのよ」
「……我トベルフラウガ、ダ」
異識体がベルフラウの発言を訂正すると、ベルフラウはパチクリと瞬きをして
、小さく笑う。
「そうね、イリ。私たちが守った島よね。……ありがとう、イリ。島のことも、この素敵な空のデートもね」
最後に付け加えた言葉を頬を染めたベルフラウが言うと、異識体は青空に咆哮を轟かせた。
アティたちが船の上から結末を見届けていると、響竜から伸びた糸が虹色に光って消え、島を襲う揺れが収まる。
隆起した大地とひび割れた地面は元に戻り始めた。
「地鳴りが……止んだ?」
「それどころか地割れが直っていくわ。……にゃはは、なんでもありね」
揺れが収まった島の様子を見てヤードは安堵し、異識体による修復の結果を見て乾いた笑いを漏らすメイメイは張り詰めていた気が抜けたのか甲版に膝をついた。
「あっ! 二人とも戻って来たみたい!」
空から降りてくる銀色の竜に気がついたソノラが声を上げて手を振ると、銀色の竜は船の近くに着陸し、ベルフラウを掌から大地に下ろした。
「アティ、迎えに行ってあげなさい」
「はいっ!」
アルディラに促され、自分の生徒の下にアティが駆け出す。
ベルフラウもそれに気づいたらしく、アティに向かって走り出した。
「お帰りなさい、ベルフラウさん!」
「ただいま! 先生!」
飛びついてきたベルフラウを受け止めて抱きしめたアティは異識体を見上げると微笑む。
「イリも、お帰りなさい」
「……戻ッタ」
異識体がぶっきらぼうに返事をすると、アティに抱きついていたベルフラウが頬を膨らませて異識体を振り返る。
「もうっイリ! そんなのじゃだめ! ただいまってちゃんと言うのよ!」
「……タダイマ」
「うん! お帰り、イリ!」
「ふふっ。お帰りなさい、イリ!」
ベルフラウとアティが嬉しそうに笑うと、仲間たちが船を降りて集まってくる。
青々とした空の暖かな日差しと柔らかな風がいつも通りの島を包む。
島を覆っていた凶妄は消え去り、名も無き島にようやく平穏が訪れた。
・nameイリデルシア→響界竜イリデルシア
class異識体→異識体・響竜
skill ????