招カザル来訪シャ~頼れる相棒は世界を喰らう者~ 作:あったかお風呂
ディエルゴによる島の崩壊は食い止められ、名も無き島にはベルフラウたちや帝国軍たちが流れ着くより以前の平和が戻った。──いや、それはきっと正しくない。
アティたちの影響で閉鎖的だった各集落同士の交流が始まり、以前にもまして平和で賑やかな島になっていた。
平和になったのが嬉しいようで騒いでいた住人たちに別れの挨拶を告げたベルフラウは、初めて流れ着いた砂浜に座り込む。
そう、別れの挨拶だ。
ベルフラウは元々、工船都市パスティスにある軍学校の試験を受けるために定期船に乗っていたのだ。
島を覆う結界は消え去り、カイルたちの海賊船の修理も終えた。
本来の目的を果たす為、ベルフラウはこの島から去らなければならない。
「……イリ、憶えてる? ここが私とイリが初めて出会った場所よ」
「……ソウダッタナ」
「寂しいわね……この島から出なきゃいけないだなんて」
「……ベルフラウ。話ガアル」
「イリから話? 何かしら?」
いつも話題を振るのはベルフラウからで、イリからというのはあまり多く無い。
ベルフラウは興味深そうに隣にいる白銀の竜へと目を向けた。
「我ハ繭世界ニ帰ル」
「え……? 帰る……?」
「ソウダ。我ガ創造シタ世界ヘト帰還スル」
「どうして!? リィンバウムにいればいいじゃない!」
「我ハ繭世界ノ創造主デアリ、繭世界ノ意志。今ノ繭世界ハ意志ガ不在ナノダ。チカラヲ取リ戻シタ今コソ世界ノ意志デアル我ガ戻ラネバナルマイ」
「なによそれ!! 私とその世界、どっちが大事なのよ!!」
護衛獣に叫んだベルフラウはハッと気づく。
自分と世界。
それを比べようなどと驕りすぎている。
「ドチラガ大事……ギシッ! ギシシシ! 世界一ツト人間一人……比較ニスラナラヌ! 解答明白!」
その両者を天秤に乗せればどちらが重いかなど明らかだ。
「でも……それでも。……私を選んで。私とずっと一緒にいて」
自分がわからず屋だとも、自分が言っていることが傲慢なことだともよくわかっている。
だからといってここで引き下がるほどベルフラウのイリへの想いは弱くない。
ベルフラウは目を潤ませながら懇願する。
その要求はイリにずっとベルフラウの護衛獣でいろという要求。
イリに繭世界のエルゴであることを辞めろと言っているのにも等しい要求。
あまりにも不敬で、あまりにも傲慢すぎる言葉。
だがイリはそれを却下する言葉を出せなかった。
涙に濡れるベルフラウの瞳が、切なげな表情がイリの思考を惑わす。
目の前の光景が──ベルフラウが悲しんでいるという現実が──天秤を傾けた。
「……良カロウ。我ハ今暫ク、ベルフラウノ護衛獣デイルトスル」
「嬉しい。イリ、ありがとう」
イリの銀色の腕へ頬を寄せるベルフラウは安心したように笑みを浮かべる。
だがその安心の中に一抹の不安が生まれていた。
もしまたイリが帰りたくなったら?
どうすれば自分とイリがずっと一緒にいられるのか、そればかりをベルフラウの思考が占めていた。
良く晴れた空と同じ色の大海原を掻き分けて一隻の木造船が進む。
マストに掲げられてはためく海賊旗が、その船が海賊船であることを示していた。
その船の一室は少し前までは椅子に腰掛ける少女の自室だった。
名も無き島での事件が解決された後、ベルフラウはイリ、アティと共に当初の目的地であった工船都市バスティスへ行き、軍学校の入学試験を受けた。
結果は見事合格。
ベルフラウは帝国軍学校の生徒として学校に通う日々を送っていた。
護衛獣のイリと共に学校生活を送っていたベルフラウだったが、現在は夏期休暇中だ。
丁度オウキーニとシアリィの結婚式があの島で行われるとの知らせを聞き、結婚式に参加するカイルたちに拾ってもらったのだ。
久し振りに名も無き島へと帰ったベルフラウたちは島の住人たちとの再会を喜び、積もる話に花を咲かせた。
特に島の子供たちはベルフラウが島から離れてから寂しがっており、マルルゥはベルフラウの姿を見たとたん泣いて飛び付いたものだ。
メインイベントである結婚式が始まると、タキシード姿で現れオウキーニとドレス姿のシアリィをベルフラウたち出戻り組を含めた島の皆が祝福した。
仲人を務めたのは勿論ジャキーニで、弟分の晴れ姿を見て男泣きしたジャキーニに続いて部下たちも泣き始めてしまい、新郎新婦共に困ったような嬉しいような表情をしていたのが印象的だった。
今ベルフラウが乗っているのは結婚式を終えた帰りの船の中だ。
船に揺られるベルフラウの記憶には結婚式の光景がまだ焼き付いていた。
ドレスに包まれたシアリィはとても綺麗で、並んで微笑む二人はとても幸せそうだった。
それを思い返したベルフラウは部屋の中をふよふよと浮かぶイリをチラチラと見てしまう。
現在のイリの姿はベルフラウの良く知る小さな蟲へと戻っていた。
バスティスへ向かうにあたって、巨大な蜘蛛の姿や白銀の竜の姿では都合が悪い。
あれではとても街には入れない。
もしも街に巨大な蜘蛛や竜が現れたら大混乱に陥ってしまうだろう。
どうしても離れたくないと白銀の竜にしがみついたベルフラウのためにイリは小さな蟲の姿に戻ったのだ。
自身に頻繁に視線を寄越すベルフラウの様子に気がついたのか、イリはベルフラウの前まで寄ってくる。
「ギィイ……ドウシタノダ? ベルフラウ」
イリに話しかけられるとベルフラウは肩を跳ねさせたが、二度深呼吸をして心を落ち着かせると覚悟を決めたように決意を瞳に込める。
「あのね、イリ。話があるの」
「ギィイ……?」
「私と……! 結婚して欲しいの!!」
ベルフラウは如何にも高級そうな、フワフワとした絨毯を踏んで掃除の行き届いた廊下を進む。
やがて木製の扉の前で脚を止めると、胸に手を当てて深呼吸をする。
何度も開けたことがあるはずのこの扉が今のベルフラウにはとてつもなく大きく、重い物に思えてしまう。
意を決して扉に手を添えて押すと扉から軋むような音が響き、ゆっくりと開き始めた。
「やあ、お帰り。可愛いベル」
開いた扉の先、陽の日が差し込む窓を背後に椅子に腰掛けて執務机に肘を置いて出迎えた声は気さくな男の声だった。
鼻のしたに髭を生やした男は目と口を弓なりに反らして、嬉しそうにベルフラウを出迎えた。
「ただいま、お父様」
その男こそが、帝国屈指の大豪商。
そしてベルフラウの父親でもある、ジャン・マルティーニその人だった。
「無事、軍学校に入学出来たみたいだね。おめでとう!」
「ええ、ありがとう。先生のおかげよ」
「彼女に家庭教師を頼んで正解だったみたいだね。学生生活は順調かな?」
話題が合格に関するものから学生生活についてのものに変わり、ベルフラウは授業や成績、そして学友たちとの生活について話し始める。
それを嬉しそうに聞いていたジャンだったが、イリという名が話の中に頻繁に出てくることに気づくと眉をひそめた。
「楽しんでいるみたいで何よりだよ。ところでベル、イリという名前が度々出たんだけど……」
「お父様、そのことで話があるの。私……結婚したい殿方がいるのよ!」
ジャンが思ったのはついにきたか、ということだった。
軍学校では様々な男と会うことになるだろう。
想定よりも早かったが、いつかは娘にそういう相手が出来るだろうとは思っていた。
「……結婚したい、か。近いうちにその男に挨拶してみたいものだね」
「えっと……それがね。イリには扉の前で待ってもらっているのよ」
「ほう。それではその男に会わせてもらえないかな?」
いつか娘に好いた男が出来ると予想はしていたが、それを受け入れるかは別問題だ。
自分の可愛い娘に手を出した不届き者の顔を一目見て叩き出してやるのだ。
軍学校に入学したばかりの青二歳、その上娘に手を出した愚か者。
どうせ碌でもない男に違いないのだ。
「イリ、入ってきて」
ジャンは開いていく扉を鋭く睨みつける。
両開きの扉から姿を見せたのは、白い蟲だった。
「は?」
ジャンが思わず間抜けな声を漏らしたのも無理はないだろう。
どんな男が入ってくるのかと身構えていたのに、入ってきたのはベルフラウの頭くらいの高さを浮遊する蟲。
人の形すらしていない異形。
これが亜人だったのなら、ジャンは困惑しつつも対応していただろう。
だが目の前の光景は彼の許容量を超えていた。
「お父様、紹介するわ。イリよ」
ベルフラウによれば、あの蟲こそがイリに違い無いようだった。
ジャンがチラリとベルフラウの顔を見ると、白い蟲を紹介し誇らしいような顔をしていた。
ベルフラウが当たり前のように蟲を紹介し始めたことで、ジャンはもしかしたら自分の常識が間違っているのではないかと疑ってしまう。
少し固まったジャンは首を振り、目の前の光景こそがおかしいのだと思い直すと恐る恐る口を開いた。
「えっえっと、まずは自己紹介してもらえるかな?」
「不敬! 厚顔! 無礼! 貴様カラ名乗ルガイイ!」
「えっ? ええっ!? た、確かに礼を欠いていたかもしれないな。僕はジャン・マルティーニ。マルティーニ家の当主、そしてベルの父親だよ」
身内が招待した客に対して先に名乗らなかったのが礼を欠いていたかもしれない、そう思いジャンが自分から名乗ると異形もそれに応えた。
「我コソハ異識体<イリデルシア>! 繭世界ノ創造主ナリ!」
「そ、創造主……?」
だが返ってきたのはジャンの理解を超えたもので、困惑混じりに聞き返してしまう。
「お父様、イリとの結婚を認めて欲しいの!」
混乱の渦に飲み込まれたジャンだったが、ベルフラウに結婚の承認を求められると慌てて拒否を口にした。
「み、認めん!! 認められるか!?」
「どうしてよ!?」
「ベル、よく見てみるんだ! お前の連れてきたイリとやらは人の姿をしていない! 化物じゃないか!」
よく見なくてもイリは異形の化け物だ。
ジャンは父として娘と化け物の結婚を認めたくなどなかった。
「そんなの関係ないわ! 私とイリは愛し合っているもの!」
「ギィイ……? 愛……??」
「関係無いだって!? そんなわけがあるか! 子供はどうするんだ!? ベルはマルティーニ家の跡継ぎなんだぞ!? その化け物と子供を作れるとでも言うのか!?」
「そ、それは……」
マルティーニ家は帝国随一の商家だ。
それを継ぐ立場にあるベルフラウは子供を作らないといけない、それを理解しているベルフラウは顔を伏せて言葉に詰まった。
「子供……? 可能ダ」
何やら困っている様子のベルフラウを見たイリが口を挟む。
ベルフラウは顔を上げてイリに食いついき、ジャンは呆けたように声にならない音を吐いた。
「本当!? 本当に子供を作れるの!?」
「へ?」
「創造主デアル我ニトッテ、生命ノ創造ナド容易イ」
イリは先ほど名乗った通り、繭世界の創造主だ。
一つの世界に存在する全ての事象を生み出したイリにとって生命の一つや二つを生み出すことなど容易いのだろう。
それを聞いたベルフラウは勝ち誇ったかのように鼻を鳴らした。
「ふふん、これで問題は解決したみたいですわね? さあ、結婚を認めて下さいな」
「ぐぬぅ……」
ジャンが視線をあちこちに彷徨わせ、否定の材料を探すが見つからない。
「……ベル、お前はまだ幼い。結婚するには早すぎるだろう」
ジャンに残された手は時間稼ぎだった。
ベルフラウが自分を見つめ直し、化け物から離れるのを待つしかない。
結婚出来る年齢までを時間制限とした賭けだった。
「それじゃあ!?」
事実上の敗北宣言にベルフラウは目を輝かせる。
「結婚出来る年齢まで待つこと、いいね」
「やった! やったわよイリ!」
ベルフラウはイリを抱きしめると今まで父親が見たことがなかった程の笑顔を浮かべ、イリを抱えて飛び出して行った。
あれから幾許の時が経ち、名も無き島にて再び結婚式が行われていた。
仲間たちと住人たちが見守る中、白いドレスに身を包んだ新婦は隣りの新郎と共に前へと進む。
是非自分が、と名乗り出て仲人を買って出たアティの前に新婦が進み出ると、アティは笑いかけた。
「ベルフラウさん、綺麗ですよ。とっても」
アティから見て、幼さが抜けて妖艶さが入り混じったベルフラウは先生という贔屓目を抜きにしても美しい。
かつてこの島で暮らしていたときよりもベルフラウの背丈は大きくなり、アティに近づいていた。
小さな蕾はもう花へとなりかけていたのだ。
「ありがとう、先生」
ベルフラウが微笑みを返すと、生徒の成長が嬉しいのかアティは笑み深くしつつ目の端が濡れ始める。
少し感傷に浸っていたアティだが、皆の視線を感じると咳払いをして仲人としての役目に入った。
「新婦、ベルフラウは病める時も健やかなる時も新郎、イリデルシアを愛し続けることを誓いますますか?」
「誓います!」
力強く、素早く答えたベルフラウに頷き、アティはイリへと視線を向ける。
「新郎、イリデルシアはどれだけ辛く、苦しい時も新婦、ベルフラウと共に過ごし、愛し続けると誓いますか?」
「……」
「えっとイリ……?」
返事がないイリに小声で声をかけたアティはイリの発光体が明滅しているのに気がつく。
オウキーニとシアリィの結婚式の帰りの船の中でベルフラウがイリにプロポーズをした。
だがイリに結婚の意味が分かるはずもなく、その意味をベルフラウに問うたのだ。
その時、ベルフラウは『ずっと一緒にいる約束』だと答えた。
それなら、とイリは頷きベルフラウのプロポーズを受け入れたのだ。
その『ずっと一緒にいる約束』がどうしてこんな式典になっているのか、イリには分からなかった。
発光体をひたすら明滅させ、イリは困惑する。
隣りでドレスを着て、期待の目で見つめてくるベルフラウも。
式の進行が止まってしまい困った様子のアティも。
ベルフラウとイリを祝福する参加者たちも。
この状況そのものがイリにとって理解不能。
「イリ、誓ってほしいの。私とずっと一緒にいるって」
ベルフラウの言葉と、困り果てて無言の圧力を発し始めたアティに押され、イリは誓いを言葉にした。
「……誓オウ」
「それでは2人とも、誓いのキスを」
イリが誓いの言葉を口にしたことでほっとした様子のアティは結婚式を先へと進めた。
「……ギィイ??」
式典の次の段階への移行を告げるアティの言葉にイリが疑問符を浮かべるが、ベルフラウはイリの身体を両手で掴むと自分の顔に近づける。
「イリ、愛してる。ずっとずっと、一緒にいましょう」
「……ベルフラウガソレヲ望ムノナラ、共ニイヨウ」
「イリ、言わなくてもわかってるでしょう? お願い!」
今まで何度か同じようなことを繰り返したのか、イリはベルフラウの望む答えを察した。
「……愛シテイル」
それを聞いて我慢が出来なくなったように、ベルフラウはイリとの距離を零にした。
皆が固唾をのんで見守るなか、しばらく二人の影は重なったままだった。
マルティーニ家の屋敷に慌てた足音と声が慌ただしく響く。
「お嬢様!! フランお嬢様!! 待ってくださいよぉ!」
慌てて追い掛けるメイドに振り返ったのは、白い髪と青い瞳の少女だった。
「あら、パッフェル。使用人の分際でこの私の歩みを止める気かしら?」
「フランお嬢様! 困りますよぉ! 奥様からお嬢様と留守番しているようにって頼まれてるんですから」
「お母様……ね。あの人のことだからどうせ、またハネムーンとかって言ってお父様を連れまわしているんでしょう?」
「う゛っ」
マルティーニ家のメイド、パッフェルは図星なのか眉を下げて言葉を詰まらせる。
フランと呼ばれた少女の母親は七日に一度程度、彼女の父親を連れて旅行に出かけているのだ。
「私からお母様にガツンといってやらないといけないわ! お父様を独り占めするなってね!」
そう言うと少女は再び屋敷の入り口へと突き進んでいく。
「だから待ってくださいって! どこに行くつもりですか!?」
「言ったでしょう? ガツンと言いに行くって」
少女は屋敷の入り口を開けると大地を踏みしめる一歩を踏み出す。
「待ってなさい、お父様! お母様! このフランネル・マルティーニが会いに行きますわ!」
彼女こそが、ベルフラウとイリの魔力を混ぜてイリが生み出した二人の娘。
人間と異識体の響界種、フランネル・マルティーニ。
他者を喰らい続ることしかしなかった異識体がベルフラウと生み出した二人の証は、慌てて追いかけてくるパッフェルを尻目に敷地の門に手をかけ、旅立ちの門出を開いたのだった。
原作本編編はここまで。
・フランネル
フランネル・マルティーニ。イリとベルフラウの娘。イリとベルフラウの魔力を素にイリの力によって創造された。意識体と人間の響界種という、異端とされる響界種の中でも異端の存在。