招カザル来訪シャ~頼れる相棒は世界を喰らう者~ 作:あったかお風呂
一切の光が遮られ、界の意志の加護さえ届かぬような昏い深淵の中にイリの意志はいた。
イリの意志を覆うその闇こそがイリの無尽蔵の食欲──宿業<カルマ>。
イリの意志はその闇に飲み込まれようとしていたが──イリにとってはいつものことだ。
そう、いつものことなのだ。
いつも食欲に呑まれて我慢できずに全てを喰らってきた。
──世界を。
──後継者を。
──自身の願いさえも。
いつものことだ。
いつものことなのに──いつもとは違ってイリの意志は抵抗している。
いつも通り全てを喰らってしまえば楽になれるのに抗っているのだ。
「何故? 不明……。抵抗ハ無意味……ソレハ理解シテイル。ナノニ何故我ハ抗ッテイル?」
どうせ我慢しきれずに全てを喰らうことになる。
それを一番理解しているのはイリの意志自身だ。
今までに何度も繰り返してきたのだから当然だろう。
だが無駄だと分かっていながらも未だにイリの意志は抵抗を続けていた。
イリの意志自身その理由が分からず疑問を抱くがその答えは記憶となって甦った。
『ギ……ギィイ……失イタクナイ……?』
『そうです。大切だと思ってるから失いたくないんです。大切だから、好きだから守りたいんです』
いつかのアティとの会話が想起される。
それはベルフラウを守った理由が分からないと言ったイリとアティとの会話の記憶だった。
「大切……失イタクナイ……好キ……守リタイ……」
かつてアティの言ったその言葉、それらに該当するのは当然──。
「……ベルフラウ」
ベルフラウが大切だから、失いたくないから、好きだから、守りたいから。
だから敵わぬと分かっていても、無駄だと思っていてもイリは食欲に抵抗しているのだ。
他者のために勝てない相手に挑む、それはまるで──イリを倒した勇者たち、そしてイリを守るためにゼリーに立ち向かったベルフラウのような行為だ。
つまり今イリの意志がここまで抗うことが出来ているのは勇者たちやベルフラウから感じた『何か』によるものなのだ。
それを理解した瞬間。
イリの意志が光に包まれ──よく知る声に、喚ばれた。
イリの意志が喚ばれた先は疑似繭世界。
糸の層によって構成される空間に小さな蟲の姿をしたイリの意志が現れる。
馴染みのある白い蟲の姿を目にするとベルフラウは顔を綻ばせた。
「イリ!」
「異識体の意志!? ……ギシシッ! ダカラドウナルト言ウノダ? 我ニ……食欲ニ勝テタ試シノナイソイツヲ喚ンダトコロデ無駄! 無意味!」
宿業のイリデルシアはイリの意志が現れたことに僅かに驚くがそれを無意味だと評する。
「……」
宿業の言う通り今までに異識体の意志が食欲に勝てたことなどない。
一度も我慢出来ずに全てを喰らってきたイリはそれが分かっているのか反論することが出来ずにいる。
ベルフラウはいつもと違い弱弱しいイリに触れると励ますように笑いかけた。
「大丈夫よ、イリ。私がついてる。二人なら勝てるわ、絶対」
「軟弱! 惰弱! 虚弱! 他者ニ依存スル貴様ラデハ孤高ニシテ絶対デアル我ノ領域ニハ届カヌ!」
「あら、それはどうかしらね? イリの中にずっといたならあなたも知ってるはずでしょ? 私とイリが揃えば無敵だって!」
それを聞いてイリはベルフラウの顔を見上げる。
「(私とイリが揃えば、無敵なんだから!)」
ベルフラウは以前もイリにそう言ったことがある。
それを思い出したイリが見つめるベルフラウの表情はあの時と同じ勝利を微塵も疑っていない笑顔だ。
その笑顔と馬鹿馬鹿しいはずの理屈がイリに反抗の為の力を供給し始めた。
「ギィイ!」
「クダラナイ……馬鹿馬鹿シイ世迷言ヲ! 完全ナル個タル我コソガ唯一無二! 絶対無敵ノ存在ナリ! ソレヲ証明シテクレヨウ!」
狂竜の両腕が掲げられるとベルフラウと狂竜との間にメイトルパの翼竜ワイヴァーンとロレイラルの機械兵器ナックルボルトが出現する。
「召喚術!?」
イリの精神世界内であるこの疑似繭世界に召喚術で異界の存在を喚び出すことなどできない。
あれらはイリに捕食されて取り込まれた存在達の意志そのものだ。
「我ハ一ニシテ全! 全ニシテ一! 融合セヨ! 同化セヨ! 恭順セヨ! ヒトツトナレ!」
「私とイリは絆で繋がってるもの! 一つになる必要なんてないわ! それに……私はイリと触れ合いたい。抱きしめたい。キスだってしたい。同化なんてお断りよ!」
「肉体的接触……理解不要。価値絶無。『ブラストフレア』!! 『ダブルロケット』!!」
ワイヴァーンの口内に炎の揺らめきが灯ると火球ブレスが放たれる。
燃え盛る火球を燃えるような橙の魔剣で弾いたベルフラウに機械兵器の両腕が分離し推進器から火を噴出して迫る。
「イリ!」
「誅殺!」
ベルフラウに名前を呼ばれたイリはそれだけでベルフラウの意図を察してナックルボルトの右腕を糸の層に叩き落とす。
残った左腕を躱したベルフラウは右腕を踏み台にして跳び上がると狂竜の右腕へと不滅の炎を突き立てた。
「ギリッギィイイイ!? 断絶! 細断!」
浄火の魔剣に焼かれて狂竜の右腕が力を大きく損なう。
狂竜はベルフラウを鋭い爪で切り裂くべく左腕を振り上げるが──。
「サセルモノカ! 破滅セヨ!」
イリより放たれた紅い破滅の光が振り下ろされようとした左腕を貫くと断絶の一撃は阻止されてしまった。
「思い知ったでしょう? 私とイリは負けないわ。二人で積み重ねた思い出が私たちに力をくれるの」
「ギシギシッ! 愚カ! 記憶消去! 忘却喪失! 貴様ラガ依ッテ立ツモノガドレダケ脆イモノナノカ知ルガイイ!」
黄金の竜が嗤うと右翼が妖しげな光を放つ。
狂竜の翼はただ飛ぶだけのための器官ではない。
その翼自体が異識体の権能を宿しているのだ。
右翼が持つ権能の名は『失われし記憶』──記憶への直接干渉だ。
「え……あ……」
「……ベルフラウ?」
狂竜と対峙していたベルフラウの瞳から光が失われると、ベルフラウの様子がおかしいことに気が付いたイリが近寄るが──。
「蟲の召喚獣!? いやっ来ないで!」
ベルフラウが示した反応は拒絶。
イリを怯えたような目で見るベルフラウは身体を震わせてイリから距離をとった。
「……」
「絆……思イ出……ギリギシキリッ! 愚昧! 阿呆! 浅慮! 記憶ニ裏打チサレル物ガ、ドレダケ曖昧デ儚イカ思イ出シタカ? 異識体ノ意志ヨ」
イリが無言で見つめるベルフラウはもうイリの事を覚えていない。
ベルフラウがイリと積み重ねてきた記憶は狂竜の権能によっていとも簡単に消え去った。
イリは相変わらず怯えているベルフラウから目を離すと自身の宿業を睨み付ける。
「ソノ人間ノ記憶ガ失ワレテモナオ、我ニ刃向ウ気カ? モウ貴様ガ我ニ抗ウ理由ハ無イダロウ? 我トトモニソノ人間ゴト世界ヲ喰ラエ!」
以前、ベルフラウがイリにある質問をしたことがある。
『もしも私が記憶を無くしても、あなたは私の護衛獣でいてくれるかしら?』と。
あの時に返さなかった答えはもうイリの中で出ている。
「我ハ異識体! 繭世界ノ創造主! ソシテ……ベルフラウノ護衛獣ナリ!」
「護衛……獣? 知らないわ……あなたを護衛獣にした憶えなんか──」
無い、と言い切ろうとしたベルフラウの言葉はその直前で止まってしまった。
ベルフラウの発言を止めたのは他でもないベルフラウ自身の魂。
ベルフラウがイリの事を忘れた今でもベルフラウとイリの魂は繋がっている。
今この瞬間もベルフラウとイリの魂は共鳴し、震え、響きあっている。
もはやベルフラウとイリの間柄はただの召喚師と護衛獣のそれではない。
ベルフラウとイリは魂を響かせ合う友──響友<クロス>とも呼べる関係なのだから。
イリと繋がり、響きあうベルフラウの魂は二人の関係を否定しようとする発言を中断させる。
そればかりか──。
「ぐぅっ……頭が……割れそう……」
ベルフラウの魂は失われた記憶を修復し始めた。
ベルフラウの記憶が失われていてもベルフラウの魂は憶えている。
魂に想いが刻まれている。
ベルフラウは激痛が走る頭を手で押さえると痛みのあまり顔を顰めて目を閉じる。
ベルフラウの魂がベルフラウ自身に絶対に忘れるなと叫び、思い出せと訴えかけているのだ。
「知っている……気がする。あなたのこと……護衛獣……違う。そうじゃない……あなたは……」
ベルフラウは痛みのためか頭を手で押さえながらも目を見開くとイリを愛おしい者を見る目で見つめた。
「そうじゃないでしょ? あなたは私の夫なんだから」
「ベルフラウ……」
「ごめんね。少しの間あなたのことを忘れてた……」
「記憶ヲ消シタハズダガ……? モウ一度消シテクレル!」
ベルフラウの記憶が戻るとそれを不可解に思った狂竜が再びベルフラウの記憶へと干渉を開始する。
「ベルフラウ!?」
またベルフラウの記憶が消されてしまうと心配したイリだったが、ベルフラウは痛みに耐えながらもしっかりとイリの名を呼んだ。
「心配しないで、イリ。もう二度とあなたのことを忘れたりなんかしないから!」
再度ベルフラウの記憶が消されるが、失われた記憶をベルフラウの魂がすぐさま修復した。
つまりもう『失われし記憶』はベルフラウに通用しない。
「アリエヌ!! 何故記憶ガ消エナイ!? 何故!? 何故!! 何故!!」
「残念だったわね。あなたなんかに私とイリの愛は引き裂けないわ!」
「意味不明! 理解不能! 解析不能! 却下! 却下! 却下!」
宿業のイリデルシアは記憶への干渉が効かないベルフラウを見て狼狽えると今まで閉じていた腹部の口を開いて咆哮を上げた。
その口には上下に鋭く巨大な牙が生えており、その隙間から赤黒い球体が口内にあるのが見える。
そしてその口が咆哮を上げたのと同時に黄金の竜の周囲にベルフラウの背丈ほどの大きさの紫色をした球体が四つ出現する。
紫色の球体が現れるとベルフラウは背筋が凍るような悍ましい視線を感じ──それらが眼であると察した。
「な、なによあれ……」
「呪眼ダ。アレガ動ク前ニ破壊シロ」
イリ曰く『呪眼』。
四つの呪眼はベルフラウに視線を向け、ベルフラウの心に恐怖を与え続けている。
あの呪眼が良くない物であるのはベルフラウも本能的に理解している。
イリの言う通り、呪眼が何かをする前に破壊するべきなのは明らかだった。
「呪眼……あれを壊せばいいのね?」
「存在拒絶! 存在否定! 存在消去! 認メヌ! 消エロ……消エロ! 消エテ無クナレェエエエエエ!!」
記憶が消えないベルフラウの存在を拒絶し、否定する狂竜の声が響く中ベルフラウは白い髪を揺らしながらイリと並んで呪眼へと駆ける。
「それで、どれくらい猶予があるの?」
「猶予ト呼ベル程ノ時間モ無イ」
「だったら……あれしかないわよね?」
全力がだせないのは宿業のイリデルシアだけではない。
イリの意志もまた宿業によって宿業以上に力を削がれている。
だが削がれているのならその分を埋めればいい。
宿業とは違い、イリは一人ではないのだから。
「行くわよ! 『抗ウガイイ』!!」
ベルフラウとの繋がりを通してイリに供給された力はイリの姿を変化させた。
白い翼の生えたイリの姿を見たベルフラウは呪眼へと向き直り不滅の炎で横薙ぎに切り裂く。
「まずは一つ目!!」
「『シュペル・スレイグ』!! 串刺シノ刑ニ処ス!!」
翼を広げたイリはまず自身の速度を高速化し、続けて爪を発生させると爪の先端が呪眼を貫いて串刺しにする。
「二ツ目ダ! 破滅セヨ!! コレデ三ツ目──」
さらにイリの口と砲門から放たれたビームが三つ目の呪眼を消滅させる。
だが──。
「ギシッギシャシャシャシャ! 鈍間! 愚鈍! 緩慢! 間抜! 卑小! 塵芥!」
狂竜の嘲笑と共に残った最後の呪眼が世界に溶けるように透けはじめる。
それは前準備だ。
狂竜最大の一撃のための、偽りの響融化のための前準備。
ベルフラウが魔剣を手に駆けるが──わずかに距離が足りない。
「もう少しなのにっ!!」
「『ヴァイア・スレイグ』!!」
完全に消えようとする呪眼はその直前に黒い魔力によってその動きを止める。
『ヴァイア・スレイグ』その効果は行動阻害。
イリによって呪眼は行動を阻止され──直後ベルフラウによって破壊された。
「これで全部!!」
不滅の炎を振り抜いて四つ目の呪眼を両断したベルフラウが狂竜を見ると攻撃を阻止されて怒り狂い、次の攻撃へ移ろうとしていた。
「貴様ッ!! 人間……矮小ナ塵屑ガ! 粉砕! 圧潰! 潰レヨ!」
狂竜は飛び上がると巨大な尾を勢いよくベルフラウへと振り下ろす。
その巨体から放たれる一撃は単純ではあるが攻撃範囲が広く威力が高い非常に強力なものだ。
ベルフラウが見上げる狂竜の尾は先が広がっており、面積が広く今から走っても躱しきれない。
巨大な尻尾がベルフラウの頭上へと迫るがベルフラウは微動だにしない。
それどころかそれを見上げながら余裕さえ感じる笑みを浮かべている。
それはきっと──彼女の相棒を信頼しているからだろう。
ベルフラウを叩きつぶさんと迫っていた黄金の尾はその途中で制止させられた。
黄金の尾を止めたのは──尾を掴んだ白銀の腕。
その姿は狂竜とよく似ている。
しかしその竜は白銀に輝く竜であり、狂竜とは明確に違う。
その竜こそかつて名も無き島の崩壊を止めた竜。
ベルフラウと魂を響かせ合ったイリの到達点。
白銀の竜──異識体・響竜。
響竜は掴んだ狂竜の尻尾を振り下ろしてその身体を糸の層へと叩きつけた。
疑似繭世界に大きな振動が響くと響竜は翼を大きく広げて狂竜へ吼える。
「全知全能! 永遠不滅! ギシシッ! 我トベルフラウガ揃エバ……無敵ナリ!」
「響竜……認メヌ!! 有ッテハナラヌノダ! 異識体ガ他者ト魂ヲ響カセ合ウナド! ソレニヨッテ進化スルナド!!」
起き上がった狂竜は体勢を立て直すと空中へと上昇して滑空するように響竜へ飛び掛る。
黄金と白銀、狂竜と響竜。
真逆の性質を持つ異識体の二つの到達点が激突した。
カルマがんばえー!
響竜VS狂竜はやりたかった。