招カザル来訪シャ~頼れる相棒は世界を喰らう者~   作:あったかお風呂

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新シイ今日トコレカラ

 名も無き島だけでなくこの世界リィンバウムをも脅かす存在、イリデルシアの宿業<カルマ>とメルギトスの源罪<カスラ>が倒されそれを成した英雄たちが死闘の舞台となった遺跡を後にする。

 行きとは違い一行にイリとフランネルを加えたベルフラウたちが来た道を戻ると空に向かってそびえる大樹ユクレスが見えてきた。

 

「あの樹が見えたってことは……」

 

「はい、集落はもうすぐですよ。皆さん無事だといいんですが……」

 

 マグナに頷いたアティの顔には憂いの影が差している。

 心を弄ぶ操り糸によって争い合っただろう住人たちの身を案じてのことだった。

 

「……やはり被害無しとはいかないか」

 

 鋭くメガネを光らせるネスティの視線の先には傷ついた建物や倒れた住人達の姿があり、無事とは言い難い。

 それでも荒れ果ててはおらず、集落の被害は襲った危機を考えれば軽微と呼べるものだった。

 

「先生!! ベルフラウ!! 無事だったか!」

 

 ベルフラウたちの姿を見てホッとしたような表情で走ってきたのは集落の被害を最小限に押さえた功労者ヤッファだった。

 

「ヤッファさん!? 傷だらけじゃないですか!!」

 

 ヤッファの身体はいたるところに切り傷や打撲痕があり、暴れ出した住人たちとの激しい戦闘があったことをうかがわせる。

 

「丁度メイメイから報告を受けてる最中に住人たちが急に暴れ出してな。マルルゥに無事な連中の避難を任せて俺が暴れだした奴らを押さえてたんだが……つい今しがたまるで糸が切れたように暴れてた連中が倒れちまった」

 

 傷を見て慌てたアティに召喚術で治癒されるヤッファは痛みに顔をしかめつつもユクレス村を襲った惨事を語りだした。

 予想されていた通り、操り糸によって暴徒と化した住人たちが他の住人たちを襲っていたようだった。

 マルルゥに避難誘導を頼んだヤッファはユクレス村の護人として暴徒たちの鎮圧を行っていたが、ベルフラウたちの活躍により操り糸の効果も消え去ったようだ。

 

「他の集落の様子も心配ね……」

 

「メイメイが他の護人にも連絡してくれてるはずだが──」

 

「みなさんご無事ですか!?」

 

 ヤッファの言葉を遮った声と共に聞こえたのは翼が羽ばたく音。

 空を見上げたアメルの頭上にいたのはフレイズだった。

 

「あ……天使……」

 

「ファリエル様たちは既に集いの泉に集まっています。お疲れでしょうがみなさんもいらしてください」

 

 どうやら他の護人たちも無事らしく、安堵の溜息をついたアティは両手で頬を叩いて気合を入れなおす。

 疲れた身体に鞭を打ち、報告を待っているだろう護人のためにベルフラウたちは集いの泉へと向かった。

 

 

 

 島の中心であり四つの集落の中心部に位置する集いの泉にはキュウマ、ミスミ、アルディラ、クノン、ファリエル、メイメイの姿があった。

 

「よかった……みんな無事で」

 

「ええ、おかげさまで。アティ殿たちが元凶を止めてくれたのでしょう? お疲れ様でした」

 

 護人たちの無事な姿を見たアティが安堵するとキュウマが事件解決に尽力した英雄たちを労わる。

 

「集落の被害は無いとは言えませんが……」

 

「思ったよりも軽く済んだのが不幸中の幸いね。メイメイのお蔭で事態を把握できたのも大きいわ」

 

 ファリエルの言葉を引き継いだアルディラはメイメイの報告を受けて現状を把握すると各集落に機界出身の住人たちを派遣していた。

 それもあって暴徒たちによる被害を最小限に抑えられていた。

 

「それで……聞かせてもらえるかしら。あなたたち側の顛末を」

 

 各集落への伝令のために駆け回ったメイメイが報告を促すとベルフラウたちは語り始める。

 核識の間で行われた激しい戦いと今回の事件の犯人とも言える源罪──そしてそれが目覚めさせた宿業のことを。

 

 

 

 アティから遺跡の前で戦ったイスラやアズリアたち、そして源罪との戦いの顛末が語られるとそれに付け加えるように源罪の発生した原因となった傀儡戦争についてマグナたちが語る。

 最後にベルフラウがイリの精神世界内で戦った宿業のイリデルシアを名乗った存在の事を話し終えて口を閉じるとそれを聞いていた護人たちが神妙そうな顔をして沈黙した。

 

「……メルギトスは悪魔たちの王の中でも最もずる賢い存在として知られています」

 

 沈黙を破り、最初に口を開いたのはここにベルフラウたちを連れてきたフレイズだった。

 

「そのメルギトスの源罪がばら撒かれてこの島にやってきた……あんな趣味の悪いことをしたのはソイツだったわけね」

 

「……なにかあったんですか?」

 

 疲れたようにも哀しんでいるようにもとれるアルディラの表情を見て何か自分が把握していない事態が起こったことを悟ったアティが問うとため息を一つついたアルディラが言う。

 

「マスターが……ハイネル・コープスが私の前に現れたのよ」

 

「え!?」

 

「それだけではありません……私の元の主であり──」

 

「妾の良人リクトもまたハイネルと同じように妾たちの前に現れたのじゃよ」

 

 アルディラのマスターであり、ファリエルの兄でもあるハイネル・コープスとキュウマの元の主人であり、ミスミの夫リクト。

 この島の成り立ちに関わる戦いで死んだはずの二人が彼らの前に現れたというのだ。

 

「それってイスラたちと同じ……」

 

 イスラとアズリアと帝国の兵士たちと同じく死者が現れる現象が集落でも起きていたというのだ。

 

「イリ、あいつらは一体なんなの? どうして死んだはずの人たちが現れたのよ?」

 

 死者たちを使い、アティたちのトラウマに付け込むようなことをしたのは間違いなくメルギトスの源罪。

 だがその源罪が使った力そのものはイリの力なのだ。

 力の持ち主である白い蟲に注目が集まると特に隠す気もないのか話し始める。

 

「影法師<ズィルゥ>ダ。記憶ヲ核ニ糸デ編ンデ生ミ出サレル。核トナッタ記憶ガ糸ニ投影サレテ実体ガアルヨウニ見エルダケダ」

 

「なるほどね……さしずめ糸は記憶の影を投影するためのスクリーンといったところかしら」

 

「だから空っぽで……うつろなの……?」

 

 ハサハの問いにイリが頷いたように身体を動かすと今度はファリエルがイリに問いかけた。

 

「じゃあ死者が蘇ったわけじゃないんですね?」

 

「否定。死者蘇生デハ無イ」

 

 死者たちが現れた現象が死者の蘇生ではないと知ったアルディラたちの表情は安堵と落胆が入り混じったものだった。

 ハイネルとリクトもイスラと同じく狂ったように襲い掛かってきた。

 アルディラたちは自分たちが倒したのが愛する人そのものではないと知って安堵をし、同時に彼らはもう帰ってこないのだと知って落胆したのだ。

 

「……いや、それでよい。あの狂ったようなリクトが妾の愛していたリクトでは無いと知れただけで十分じゃ」

 

 イスラと同じく口を裂けるほど開いて嗤っていたリクトの影法師の姿を思い返したミスミが首を振って脳裏の幻影を振り払うと重い空気を換えるためにメイメイが話題を宿業へと移した。

 

「メルギトスの源罪がやったのは死者の利用だけじゃないわ。異識体の食欲を叩き起こしたんでしょう? 私からしたら源罪よりもこっちのほうがよっぽど脅威よぉ。なにせ本当に世界が消えかねないんだもの」

 

 源罪によって目覚めた食欲の衝動のまま異識体が世界を喰らっていた可能性があった──それを考えたメイメイは肝を冷やす。

 

「もう大丈夫よ、メイメイさん。イリの中の宿業は私が倒したわ」

 

「倒したって言っても食欲なんだからまた──」

 

「心配しないで。私があいつからイリを守るから」

 

 勿論報告の中で宿業が倒されたのは聞いていたがそれでも懸念を抱くメイメイに対してベルフラウはさも当たり前のように言い切った。

 そのベルフラウに向けられるミニスの瞳は憧れからか輝いていた。

 

「かっこいい……」

 

「当然よ! 私の自慢のお母様なんですもの!」

 

 呟いたミニスにフランネルが胸を張っていると、ベルフラウは自身を見上げて顔を見つめるイリに気がつく。

 

「イリ、どうしたの? もしかして私に惚れ直したかしら?」

 

「アア」

 

「ほ、本当に!?」

 

 今までキリッとしていたベルフラウがだらしなく破顔するとそれを見たフランネルは嘆息をひとつ。

 

「お母様……台無しですわよ……」

 

 ふとフランネルがミニスに目を向けると目の前でかっこいい理想の女性像をぶち壊されたせいか何とも言えぬ表情を浮かべていた。

 

「ねぇフランネルちゃん……ベルフラウさんってかっこよくて素敵だとおもうけど……その……」

 

「お母様は見ての通り……時々なんというか……残念になるのよ」

 

 理想は所詮理想でしかないのだと思い知らされたミニスと自分の母親が理想像を壊して申し訳ないと思うフランネルが遠い目をしている間にも報告会は進行していった。

 

 

 

 遺跡で起こったことと集落で起きたことをそれぞれお互いに報告を終えるとアティがマグナたちに頭を下げる。

 

「マグナさんたちも本当にお疲れ様でした」

 

「この島の為に戦ってくれたんだもの、感謝してもしきれないわ」

 

 続いてベルフラウも頭を下げるとネスティとアメルが頭を上げるよう促した。

 

「いえ、そんな……メルギトスの源罪は僕たちとも関係があることですから」

 

「それに、私たちが好きで力を貸したんです」

 

「……ありがとうございます。お礼になるかわかりませんが遺跡の調査の手伝いは任せてくださいね!」

 

「あ……そういえばそれが目的だったんだっけ」

 

 アティに言われるまでこの島に来た目的を忘れていたらしいマグナが呟くとネスティが杖の先でその頭を軽く叩いた。

 

「君は馬鹿か!? リーダーがそれを忘れてどうする!!」

 

 兄弟子に叱られマグナが涙目になるとミスミが可笑しそうに笑いを零して話題を変える。

 

「さて、客人たちへのお礼も兼ねてここはひとつ──」

 

「お鍋を囲むのですよー!」

 

「お、おいマルルゥ!?」

 

 どこからか飛んできたマルルゥがヤッファの頭の上に乗ると元気に声を上げた。

 

「お鍋って……?」

 

「宴会ですよ。この島ではみんなで鍋を囲って宴会をするんです」

 

「戦いの疲れもあるでしょうし、ゆっくりしていきなさい」

 

 首を傾げたマグナにファリエルとアルディラが笑って答える。

 どうやらベルフラウたちがここに来るまでに宴会の準備の根回しがすんでいたようだ。

 

「いやしかし……集落の復興もあるだろうに甘えるわけには……」

 

「まあまあ、ここは素直に甘えようや。誘いを受けないのも失礼だぜ?」

 

 遠慮しようとするネスティだったが背を叩いたフォルテに諭されると既に歩き始めたマグナたちに続き宴会会場へと歩を進めた。

 

 

 

 ベルフラウたちが会場に着いた時には既に日が傾き、辺りが暗くなりかけていた。

 風雷の郷の住人が会場の中心にある組み木に妖術で火を付けると焚火が激しく燃えがって周囲を照らす。

 

「我々の勝利と力を貸して下さった客人たちに──」

 

 音頭をとったキュウマに皆が『乾杯』と続くとそれを合図にこの島流の宴会が始まる。

 

「ベルフラウさん、本当に大きくなりましたね」

 

 グラスを手にしたアティが自身の生徒を上から下まで観察するとベルフラウは恥ずかしそうに身をよじらせた。

 ベルフラウは恥ずかしさを誤魔化すためかグラス傾けるとその中で揺れる自分が持ち込んだ帝国産のワインを口に含める。

 

「もう、よしてよ。恥ずかしいですわ」

 

「すっかり大人になって……」

 

 自分が家庭教師として授業をしていたころのベルフラウの姿を脳裏に浮かべたアティは感慨深げに眼を細めた。

 

「先生……」

 

「先生、か……いつまでたっても私はあなたの先生ですからね」

 

「うん……」

 

 アティの瞳が潤み始めるとベルフラウの声も釣られてか涙声になっていく。

 二人の間でしばらく沈黙が流れるがそれは何者かがベルフラウの背を叩くことで破られた。

 

「おうおう、飲んどるかいのぉ! 嬢ちゃん、昔みたいにぶっ倒れてはいかんぞ」

 

 ベルフラウの隣に現れたのは立派なヒゲを生やしたジャキーニ。

 既に酔いが回っているのか顔を赤らめガハハと笑うその男はベルフラウに酒を飲ませたのが自分だったことをすっかり忘れているようだ。

 

「もう! 大丈夫に決まっているでしょう? 大人になったんだからお酒くらい飲めるわ!」

 

 先ほどまでのしんみりした空気を振り払うようにベルフラウの声は少し大きくなっていた。

 

「そういえば、そんなこともありましたね。たしかあの時は……」

 

「ちょっと先生!?」

 

 いつまで子ども扱いするのだと呆れたベルフラウだったが、アティがかつての光景を思い出すべく記憶の引き出しを開け始めるとベルフラウのすました顔に焦りが混じる。

 

「あの時嬢ちゃんが大声でプロポーズを……」

 

「ジャキーニも!? やめなさい!! 恥ずかしいじゃないの!!」

 

 ベルフラウが慌ててジャキーニの口を塞ごうとするが、時すでに遅し。

 

「面白そうな話をしてるじゃない」

 

 ベルフラウたちが騒いでいるのに気が付いたのか近くまで来ていたフランネルに聞かれてしまっていたのだ。

 

「フラン!? あなたは知らなくてもいいことよ! スバルたちのところにでも行ってなさい」

 

 娘に弱みを握られるわけにはいくまいと追い返そうとするベルフラウだったが、ジャキーニがフランネルに近づいて屈んでなにやら耳打ちするとその目論見は挫かれてしまった。

 

「へぇー! お母様がねぇ……へぇ……」

 

 ニヤニヤし始めるフランネルとは対照的にベルフラウの表情は青くなっていく。

 これからこれをネタに娘からからかわれ続けるかもしれない。

 だがそれだけならまだましといえるだろう。

 フランネルがこのことをパッフェルに伝える可能性があるのだ。

 そうなればベルフラウはメイドから生暖かい目で見られながら生活しなければならなくなってしまう。

 

「ねぇ……フラン。お願いがあるんだけど……」

 

「そうね……私、そのプロポーズ見てみたいわ」

 

「え?」

 

 ベルフラウの言葉を遮ったフランネルはお願いの内容を既に察しているのか要求を突きつけた。

 

「今みたいな宴会の時だったんでしょう? 丁度いいじゃない。もう一度お父様にプロポーズしてみせてちょうだいな」

 

 これは取引なのだ。

 今ここでフランネルにプロポーズを見せれば誰にもベルフラウの黒歴史を話さない、そういう取引だ。

 目を閉じてパッフェル他使用人たちの生暖かい眼差しを想像し──そしてイリへのプロポーズについて思考を開始したベルフラウはしばらく考え込むと口を開いた。

 

「……いいわよ」

 

「あら、呑むのね?」

 

「ベルフラウさん!? まさか昔みたいに酔っぱらって!?」

 

 フランネルの要求を呑んだベルフラウが昔のように酔ったせいでプロポーズをしようとしているのかと思ったアティだったが、ベルフラウからの返事にはある程度の冷静さが含まれていた。

 

「違うわよ!! ……丁度いい機会だと思ったの。もう一度やり直したいのよ」

 

「プロポーズを……ですか?」

 

「うん。私、行ってくるわ」

 

 そう言い残したベルフラウはアティたちへ背を向けるとイリのいる方向へ歩き出した。

 

 

 

 焚火に照らされる木製の机の上の白い大皿には丸みのある物体がいくつか置かれていた。

 その物体に近づいた円形の口はその周りに生えた牙を器用に動かし、口の中へと物体を押し込んでいく。

 白い蟲がそれを繰り返していくと瞬く間に皿の上の物は無くなってしまった。

 

「すごい……食べっぷり……」

 

「アメルのパンは美味しいからなぁ」

 

 小さい口ではむはむと両手で持ったパンを頬張るハサハと片手で持ったパンを噛みちぎり満足げに頬を緩ませるマグナがチラリと机の向かいを見ると、イリがすさまじい勢いでパンを喰らっていた。

 

「はーい! お芋のパン、焼き上がりましたよ!」

 

「お、きたきた」

 

「ギィィ!」

 

 アメルが今まさに焼き上がったパンを運んでくると待ってましたと言わんばかりにマグナとイリが反応する。

 アメルの作るパンは芋が混ぜられていてざらざらとした独特の食感が特徴的だ。

 イリはアメルが作った芋のパンがお気に召したようで、先ほどから夢中になって貪っていた。

 

「イリったらそのパンそんなに気に入ったのね?」

 

「あ、ベルフラウさん」

 

 イリの後ろまで来たベルフラウがパンを興味深そうに眺めるとマグナが顔を上げてその名を呼んだ。

 

「呼び捨てでいいわ。一緒に戦った仲間でしょ?」

 

「それじゃあ……ベルフラウ。イリがすごい勢いで食べてるけど、食欲は倒されたんじゃなかったのか?」

 

「食欲自体が根本から消えてなくなることは無いわ。それでも私が倒したから少なくなっているはず……なんだけど」

 

 ベルフラウがチラリとイリに視線を寄越すと相変わらずパンに齧り付く相棒の姿があった。

 宿業を倒したベルフラウ自身ですら本当に食欲が少なくなっているのか疑問を浮かべてしまう。

 

「世界を食べてたくらいだから……これでも少ない……のかも」

 

「なんというかスケールが違うなぁ」

 

 ハサハの言葉になるほどと頷くマグナは納得した様子。

 リィンバウムそのものと比べたらイリが食べたパンなど本当に微々たるものだろう。

 確かにと相槌をうったベルフラウは咳払いをして姿勢を直すとマグナへと向き直った。

 

「改めてお礼を言わせて頂戴。ありがとう。マグナたちがいなかったら勝てたかわからなかったわ」

 

「困ったときはお互い様じゃないか。俺たちも遺跡の調査を手伝ってもらう訳だし、助かるよ」

 

「そんなの当然よ。まだまだ足りないくらいだわ」

 

「ふふふ、こうして宴会まで開いてもらったんだからそれで充分ですよ」

 

 芋をふんだんに使った新しい料理を運んできたアメルが宴会場を見渡すと仲間たちが楽しそうに騒いでいる姿が目に入る。

 こうして楽しい時間を過ごせているのだからアメルにとっては十分すぎるお礼だった。

 

「……本当にありがとう。そういえば、ネスティの姿が見えないみたいだけど」

 

 新たな友人たちの優しさに感じ入っていたベルフラウだったが、マグナとアメルの近くにネスティの姿が無いことを意外に思ったらしい。

 

「ああ、ネスならあそこだよ。アルディラさんと話してるんだ」

 

「そっか……そういえば、二人とも融機人<ベイガー>だったわね」

 

 マグナが指差した先ではネスティとアルディラが皆と少し離れた場所で話し込んでいた。

 ロレイラルの種族である融機人の数少ない生き残りである二人には積もる話もあるのだろう。

 ここはそっとしておくべきだと判断しネスティとアルディラから視線を外したベルフラウは服の袖が糸に引っ張られたのに気づき、後ろを振り向くとフランネル、アティ、ジャキーニに加えてファリエルやミスミ等の住人達も集まりベルフラウを見ていた。

 先ほどの糸はフランネルからの『早くしろ』という催促なのだと察したベルフラウは溜息をつくとそのまま深呼吸をしてイリを見つめた。

 

「ねぇ、イリ。話があるの」

 

「我ハ贄ヲ喰ラッテイル最中デアル。後ニセヨ」

 

「……いいから聞きなさい」

 

 ベルフラウに声をかけられてもイリが構わず料理を貪っていると、ベルフラウの語気が強くなる。

 苦笑いしたアメルがイリの前から皿を取り上げるとイリは皿のあった場所を名残惜しそうに見つめた後しぶしぶベルフラウへと向き直った。

 

「何ノ用ダ」

 

「あのね、イリ。私と……結婚してくれないかしら」

 

「意味不明。理解不能。我トベルフラウハ結婚シテイルノデハナカッタカ?」

 

「私ね……自覚あるのよ。あなたが結婚や愛についてよくわかってないことをいいことに強引に結婚したって。オウキーニとシアリィの結婚式を見た時ね、思ったの。私もいけるんじゃないかって。結婚すればあなたとずっと一緒にいられるんじゃないかって。一緒に幸せになれるんじゃないかって思ったの」

 

 ベルフラウのやり方はあまりにも強引で、そして性急過ぎた。

 結婚や愛を理解していないイリや結婚に反対する父親にたいしてゴリ押しとも言えるやり方でことを進めた。

 

「……? ソンナコトヲセズトモ我ハベルフラウガ望ムナラ……」

 

「……本当に? だってあなた繭世界って場所の創造主なんでしょう? 私怖かったの。あなたが自分の世界に帰ってしまうんじゃないかって」

 

「……」

 

 あのプロポーズはつまり楔なのだ。

『ずっと一緒にいる約束』をすることで大切な存在をリィンバウムに繋ぎ止めるための楔。

 ベルフラウには創造主という立場の価値など分からないし、格が違い過ぎて想像すらできない。

 だがそれがイリにとって価値がある地位であるのなら、自身が生み出した世界に君臨することに価値があるのならベルフラウの傍から離れて行ってしまうかもしれない。

 ベルフラウはそれを恐れたのだ。

 既に一度、イリは帰ろうとしたことがあるのだから。

 そしてイリもベルフラウの恐れたことを否定しなかった。

 イリは復活を遂げ、更に『何か』の力を手に入れ響竜となった。

 その時点でイリの当初の目的は達成されており、リィンバウムに──ベルフラウの傍に居続ける理由が本来存在しないのだ。

 再び繭世界のエルゴとなるべく、繭世界へと舞い戻っていた可能性も十分あったと分かっているからこそ、イリには否定できなかった。

 

「あの時プロポーズしたことには後悔はないわ。でもあの時の気持ちは純粋とは言い切れない。だからね、もう一度プロポーズしたいの。今度はちゃんとした気持ちで伝えたいし、あなたにちゃんと受け止めて欲しいから」

 

「……ソウカ」

 

 ベルフラウは姿勢を正すと船で口にした楔のための言葉ではなく、遺跡での時のように自身の想いを言葉にして吐き出す。

 

「私はあなたのことを愛しています。例えどれだけ姿カタチが違っていても、どれだけ存在が違っていても。私はあなたと一緒にいたいの。だから私はあなたに食べられてなんてあげない! 宿業が出てきたら私がまた倒すから! あなたをただ喰らうだけの存在にはさせないから! あなたに大切なモノを残させてみせるから! だから……私と幸せになってください!!」

 

 ベルフラウがそう言いきって頭を下げた時には宴の喧噪が収まってしんとしていた。

 元々ベルフラウのプロポーズを見物する予定だったフランネルたち以外もベルフラウとイリに注目し、イリからの返事を待っている。

 

「我ハ……」

 

「……」

 

 イリが言葉を発した時にごくりと鳴った音は誰の物であったのか。

 

「我ハ……ベルフラウニ感謝シテイル。マサカ本当ニ我ノ食欲ヲ倒セルナドトハ想像モシテイナカッタ。アレハ我ガ一度タリトモ勝テルコトハ無カッタ相手ダ。ベルフラウトナラ我ハ食欲ニスラ負ケヌ絶対無敵ノ存在デイラレル。ベルフラウトナラ我ハ願イヲ叶エラレル。存在シタ証ヲ残セル。ソノ為ニ……ベルフラウト居続ケル為ニ……我ヲ夫デイサセテクレヌダロウカ」

 

『存在』としてあまりにも違いすぎるイリには人のココロなどやはり理解できていない。

 それでも『ずっと一緒にいる約束』を破らない程度にはベルフラウとの夫婦生活を悪くはないと思っていた。

 人のココロがわからずともイリは自身の中に芽生えた『何か』を理解した。

 少なくともベルフラウを大切で、好きで、失いたくないと思っていることを自覚した。

 だからこそイリの意志が絶対に敵うことがない相手である自身の宿業に抗っていた。

 その宿業をベルフラウと共に倒した時──ベルフラウが自身を終わらない創造と捕食のループから連れ出したのだと理解する。

 イリが願った存在した証を残すためには己の業を止めてくれるベルフラウが必要なのだ。

 その為に──業を止めうるベルフラウと一緒にいるために──大切な存在となったベルフラウと一緒にいるために夫という立場にいる必要があるのなら、イリはベルフラウの夫でいたいと思うのだ。

 

「イリ……! 私……私……!」

 

 イリがベルフラウの想いを受け取って答えを返すとベルフラウはイリを強く抱きしめた。

 揺らめく焚火に照らされるベルフラウの顔には目の端から流れた涙が宝石のように煌めいてイリの白い身体へ落ちていく。

 ベルフラウは自身に抱かれる小さな存在が本当はとてつもなく巨大で強大な存在であることを知っている。

 イリデルシアは意識体で、別の世界の創造主で、世界を喰らってきた存在──だがそんなことはベルフラウにとっては関係ないのだ。

 ベルフラウにとってのイリデルシアはただの『大好きなイリ』でしかないのだから。

 

「先モ言ッタ通リベルフラウニ感謝シテイル。礼ヲシヨウ」

 

「いいのよ、御礼なんて……」

 

 大好きなイリからの礼の申し出を辞退しようとするベルフラウだったが──。

 

「望ミヲ言エ。何デモ応エル」

 

「な、なんでも……」

 

 イリが言葉を発した時にごくりと鳴った音は明らかにベルフラウのものだった。

 

「肯定! 全知全能タル我ガ願イヲ叶エテクレヨウ! 願イヲ言ウガイイ!」

 

「それじゃあ……キスしてほしい」

 

「……? ソレデヨイノカ? 我ナラバ新タナ世界ヲ創造シテ与エルコトモ──」

 

 異識体に乞うにはあまりにも小さすぎる願いにイリが再確認しようとするが、ベルフラウの願いが変わることは無い。

 

「そんなのいらないわ。あなたからの口付けがほしいの」

 

 ベルフラウの要求に困惑したイリはベルフラウの表情の変化に気づく。

 イリを見るベルフラウの瞳はどこか物欲しそうで、その唇はいつもより艶やかに見える。

 頬が朱く染まって見えるのはきっと焚火の光だけが原因ではないのだろう。

 イリの身体とベルフラウの胸が触れている箇所から高鳴る鼓動と共にベルフラウの情動がイリへと伝わる。

 

「ギィイイ……」

 

 未知のそれにイリが戸惑っているとベルフラウがイリの輪郭を確かめるように撫でて嬉しげに告げた。

 

「感じるわ。イリ、ドキドキしてる」

 

「我ガ……? 有リ得ヌ」

 

「本当よ。こんなにも私に伝わってくるんだもの。あなたにも私の気持ち伝わってる?」

 

「ベルフラウノ気持チ……ダガ我ニハコンナモノ存在スルハズガ……」

 

「今まで知らなかっただけよ。これからもっと知っていきましょう。だから……ね?」

 

 お互いに想いを感じ合った二人の視線が混じり合うとベルフラウに促されたイリがぎこちなく口づけを落とし、宴会場を照らす焚火がいっそう激しく燃え上がった。

 

 

 

 ベルフラウたちの様子を会場の端で眺めている女性の姿があった。

 ずいぶんと酒を飲んだのか服と同じように顔も赤くしたメイメイは酒瓶から口を離すとメガネを外す。

 

「ベルフラウ……本当に大したものよ。あの異識体にああまで言わせるなんてね」

 

 メイメイの視線の先では再び皆が騒ぎはじめ、その勢いは先ほどよりも多くなったのではないかと思うほどだ。

 

「ベルフラウのプロポーズに乾杯じゃ!」

 

「ミスミ様!? 少し飲み過ぎでは!?」

 

「ベルフラウさん……イリ……幸せになってくださいね」

 

「そういえばアティ先生にはいい人はいませんの?」

 

「う゛っ」

 

「フラン、言葉は時に残酷な刃になるのよ」

 

「痛いです……子供の純真さが痛いです……」

 

「イリさまもお酒を飲まれてみてはいかがでしょうか」

 

「いいですね! どうなるのかちょっと見てみたいかも」

 

「我ニ泥酔ナド無効! 残念ダッナファリエルヨ」

 

「お兄ちゃん……ハサハ素敵なプロポーズ……待ってる」

 

「言われちゃいましたね、マグナさん」

 

「あはははは……」

 

 夜闇を明るく照らす焚火とその周囲で騒ぐ英雄たち視界に収めたメイメイの表情に浮かぶのは優しげな微笑み。

 

「王よ……聴こえていますか? あなたが守りたいと願ったものはこうして新たな時代の子たちに受け継がれています。……変なのも混じってはいますが、大丈夫。貴方の愛した世界は決して失敗作ではありません」

 

「何言ってるのよぉ? 失敗作に決まってるでしょ? 界の意志がそう判断したんだから! キシシシ!」

 

 自身の独白を否定した声が聞こえ、慌てて後ろを振り向いたメイメイが見た人影は──ヒラヒラと手を振るもう一人のメイメイだった。

 

「あんた……!」

 

「ずいぶんと久しぶりね。偽物に負けた挙句見逃されたなっさけない本物さん?」

 

 ディエルゴとの決戦が行われた日以来姿を見せなかった偽メイメイの出現にメイメイは激しく動揺する。

 

「今更何しに来たのよ!?」

 

「奥様の面を拝みに来たのよぉ」

 

「奥様……ベルフラウのことね?」

 

「そう! ベルフラウ・マルティーニ! 私の予想を覆したとんでもないニンゲン。私の予想ではディエルゴを倒した後、食欲を抑えきれない異識体がこの島を喰らっていたはずなんだけど……なんなのよ響竜って。全く、どうやって異識体をコマしたのやら」

 

 首肯した偽メイメイは己の予想した可能性を披露した。

 それはあったかもしれない可能性。

 復活したイリが宿業に呑まれ、召喚獣たちの楽園を喰らうIFの可能性世界。

 

「ベルフラウが真摯に異識体と向き合い続けた結果でしょう?」

 

 だが『楽園を喰らう者』が現れることは無かった。

 それはひとえにベルフラウがイリと向き合い──イリの業すらも受け入れて共に居ることを決意した結果なのだろう。

 

「向き合う? ……理解不能」

 

「偽物、あんたに一つ聞きたいことがあるのよ。影法師は記憶を核にしているのよね?」

 

 メイメイは自身と全く同じ姿をしている人物に質問を投げかけた。

 

「ええ、そうよぉ」

 

「だったら……異識体はアズリアやイスラ……そしてずっと昔の人物ハイネルとリクトの記憶を何処で手に入れたのよ?」

 

 その問いはあの報告会でイリに聞けなかった問いだった。

 アティやアルディラたちの心情を考えれば皆の前で出来る質問ではない。

 

「キシシシ! 奥様たちがディエルゴと戦ったあの日、異識体が共界線を喰らって復活したのは知ってる?」

 

「アティたちから聞いたわ。でもそれが影法師となんの関係があるっていうのよ」

 

「ねぇ、本物。おかしいと思わない? 共界線が喰われたはずのこの島は変わらずに存在しているのよ? 住人たちも自然も変わらない、何かが失われたようには見えていない! 共界線が失われたはずなのに!!」

 

 偽メイメイは両手を大きく広げてあの日この島に起きた異常事態を愉しげに語りだす。

 まるで答えあわせをしているかのように。

 

「住人たちの共界線も自然の共界線も喰われていない……?」

 

「そうよ! 奥様がこの島を守るために戦ったんだもの! だから異識体は喰らっても問題ないモノを喰らったの」

 

 イリは『島を守りたい』というベルフラウの意志を考慮して喰らっても島に影響が出ない範囲で共界線を喰らっていた。

 では、その喰らっても島に影響が出ないモノとは一体なんなのか? 

 

「まさか!?」

 

「気づいたみたいねぇ! そう、答えは簡単よぉ! 異識体が喰らったのは──死者たちの魂!!」

 

 ディエルゴによって共界線を支配されていたこの島で死んだ者は転生できずに魂のまま島の中に囚われる。

 ベルフラウたちがかつて戦った亡霊たちはそうしてディエルゴに縛られた者たちだ。

 イリがあの日喰らった『喰らっても島に影響が出ないモノ』それこそがディエルゴによって囚われ、彷徨い続ける死者たちの魂の共界線だったのだ。

 

「……最低ね」

 

 嫌悪感を隠せないメイメイに対して偽メイメイは愉悦を前面に押し出して嗤う。

 

「最低? 最善の間違いでしょう? もしかしてあのまま全滅してディエルゴに支配されるのがお望みだった? それともディエルゴを倒す代わりに島の大部分が喰われて消えたほうが良かった?」

 

「だから最低って言ってるのよ」

 

 選択肢とはいえないそれを突きつけてくる偽物に吐き捨てるメイメイの表情は暗い。

 あの場では死者の魂を喰らうのが最善だったのかもしれない。

 理屈では分かっていても感情ではそれを認められないのだ。

 イリによって捕食された共界線はそのまま取り込まれた。

 だからこそイリはアズリアたちの記憶を使って影法師を作ることが出来た。

 そしてイリに喰われた以上、ディエルゴが倒された今でも死者たちは安らかに眠ることが出来ずにいる。

 

「まあまあ、結局丸く収まったんだからいいじゃないのよぉ。キシシ!」

 

 最終的にディエルゴは倒され、この島は変わらずに存在し続けている。

 結果だけ見れば偽物が先ほど言った通り最善といえるものだ。

 犠牲となった魂たちの存在を考慮しなければ、だが。

 

「ハア……。それであんたはどうするつもり? ベルフラウに会うの?」

 

 いくら言っても労力の無駄でしかないと悟ったメイメイは嗤う偽メイメイに大きくため息を吐くと眉間を指でほぐした。

 だが返事が返ってこないことに気が付いた本物のメイメイが顔を上げて周りを見渡すともう一人のメイメイの姿は消えていた。

 

「こうして遠目で拝むだけで充分よ。馬に蹴られたくないしねぇ」

 

 いつの間に移動したのか宴会場を望む崖の上に立つ人影はそう呟くとキシシと嗤って声と一緒に夜闇へ溶けていった。

 

 

 

 騒がしい宴から数日たち、アティたち協力の元遺跡の調査を終わらせたマグナたちは船を背に名も無き島の浜辺に立っていた。

 

「もう行っちゃうんですか?」

 

「この島に来て源罪の恐ろしさを再確認したんだ。世界中にばら撒かれた源罪はまた何処かで悲劇を起こそうとしているかもしれない」

 

 寂しそうに言うアティに後ろ髪引かれる思いがあるマグナだったが、彼には成すべきことがある。

 源罪はこの島に来たものが全てではない。

 メルギトスの悪意の種子は恐らく世界中に存在し、人々に負の感情をもたらすべく虎視眈眈と機会を窺っているはずだ。

 

「そっか……マグナは源罪と戦い続けるのね? あんなやつに絶対に負けちゃだめよ」

 

「ベルフラウも宿業に負けるなよ!」

 

「ええ、当然よ! お互いに勝ち続けましょう!」

 

 ベルフラウとマグナは互いに手を差し出して握ると両者のこれからの健闘を祈り合う。

 

「アルディラ、遺跡の調査の手伝い助かったよ」

 

「いいのよ、ネスティ」

 

 ネスティとアルディラは呼び捨てで呼び合うほど仲が良くなっていたようだ。

 

「本当によろしかったのですか? 遺跡が危険なものであるなら処分するのがあなたたちの任務なのでは……」

 

「大丈夫ですよ。この島には頼もしい抜剣者さんがいますから悪用なんてされませんよ」

 

「感謝します」

 

 天使のフレイズが天使の欠片アメルに頭を下げるとアメルは慌てて頭を上げるように促している。

 

「フランネル! 聖王国に遊びに来てね! 案内するわ!」

 

「ミニスも帝国に来たら私の屋敷によりなさいよね!」

 

 やがてマグナたちを乗せた船が出港し、大海原へと旅立つ。

 ベルフラウたちは水平線から見えなくなるまで船を見送っていた。

 

 

 

 マルティーニ家の当主の座をベルフラウに明け渡したジャン・マルティーニは自分が住む屋敷の離れで呼び出した人物を待つ間、記憶に想いを馳せていた。

 帝国でも格式が高いとして知られる軍学校を卒業した娘、ベルフラウ・マルティーニは実の父が驚いてしまうほど美しく育った。

 軍学校卒業後、軍に入らず父の仕事を手伝い始めたベルフラウは今までジャンが手を伸ばしていなかった分野に手を付けて、見事に利益を上げてその聡明さを披露した。

 父から見ても美しく聡明さを兼ね揃えた自慢の娘と言えるだろう。

 異形の化け物イリデルシアを愛してしまったということだけを除けば。

 

 娘が家庭教師と昔漂流した島から再び帰ってきて父に見せた表情は島に行く前よりも増して幸せそうな表情だった。

 あの忘れもしない結婚式の時もそうだった。

 父の心配を知らずに娘は実に幸せそうにしている。

 あの日ジャンがどれだけ苦悩したことか。

 何故自分の娘があの化け物と出会ってしまったのか、あの化け物と出会わなければ今頃娘は人間の男と結ばれてごく普通の幸福を享受できていたのではないかとジャンは思わずにはいられない。

 それと同時に分かってもいた。

 あの化け物は娘が抑えていなければならないと、娘があの化け物と出会っていなければ今頃このリィンバウムが存在していなかったかもしれないと。

 何故ベルフラウなのか、何故自分の愛おしい娘でなければいけないのかと運命を恨んだこともあった。

 運命を決めたのが界の意志ならば恨み言の一つでも言ってやりたいとさえ思ったこともあった。

 

「来たか……」

 

「貴様ガ我ヲ呼ビ出ストハナ」

 

 待ち人が来るとジャンは追憶の旅路を中断して来訪者を向かえ入れる。

 扉を開けて部屋に入ってきたのはジャンの娘が愛する化け物イリだ。

 小さな異形は一切気後れする様子もなくジャンの前に進み出た。

 

「例の島から帰ってきたベルが嬉しそうに言っていたのだよ。夫婦仲を深めてきたとね。あの娘は君と居ると心底嬉しそうにしている。だから君にベルを預けたままにしておく。だがこれだけは言っておきたい。私の大事な愛娘に傷が一つでも付くようなことがあれば君を絶対に許さない」

 

「ギリッギシシ! 我ガ加護ヲ受ケタベルフラウヲ傷ツケル? 不可能! 不可侵!」

 

 イリは最悪の災厄であると同時に最強の守護者だ。

 誰がベルフラウに悪意を向けようと、世界中がベルフラウに敵意を向けようと、たとえ界の意志がベルフラウを害そうとしようともイリに守られる限りベルフラウに一切傷がつくことは無いだろう。

 ベルフラウを傷つけ得る本当の意味で敵と呼べる存在はあの宿業のイリデルシアだけしかいない。

 娘の安全を保証する加護は人間の男と結ばれた場合では得られないものだ。

 そう考えれば娘が目の前で浮遊する化け物と結ばれたことは悪い事ばかりでもないとジャンは気づく。

 

「それもそうか。君は界の意志をも超えた存在だったね。それに、君がベルをちゃんと守る気があるのもよくわかった。……イリデルシア。私のたった一人の大切な娘を幸せにしてほしい」

 

「却下。ベルフラウハ私ト幸セニナッテ下サイト言ッタ」

 

 圧倒的上位の存在に幸せにしてもらうのではなく二人で一緒に幸せになる、そこに娘の強さを垣間見たジャンは口元を緩ませると言葉を変えて言い直した。

 

「……そうか。じゃあ、私の娘と幸せになってくれないかな。義息子君」

 

「任サレヨウ。義父ヨ」

 

 自分よりも遥かに長い年月を生きたであろう存在を義理の息子と呼ぶことに可笑しさを感じたジャンは顎に手を当ててくつくつと笑い出す。

 イリは不思議そうにジャンの顔を見上げていた。

 

 

 

 多くの人々が行き交い賑わう帝都ウルゴーラの街角に最近開店したばかりの店があった。

 その店はサンドイッチ等の軽食を看板商品として売り出している店のようで、店先には食事用のテーブルと日光を遮るパラソルがおかれていた。

 椅子に座る二人の人影と浮かぶ小さな影は昼食を摂るベルフラウとフランネル、そしてイリだ。

 

「イリ、あーん」

 

 甘い声で言うベルフラウがイリの口元へと掴んだサンドイッチを運ぶと傍にいた通行人が美女と異形の組み合わせを見てギョッとする。

 それを微塵も気にした様子がない母の色ボケっぷりを娘が半目で睨みながら油で揚げた棒状の芋を手に取って無言で齧る。

 イリがサンドイッチを丸のみにすると今度はベルフラウが口を開いてイリに同じことをするよう催促した。

 まさか自分の父親がそれに応えるわけがないだろうと呆れかえるフランネルだったが、イリがサンドイッチを潰さぬよう器用に牙で掴みベルフラウの口の中へ入れると信じられない光景に目を見開いて硬直してしまった。

 数秒してフランネルが動きだし、現実を再確認するため両親の顔を交互に見るがベルフラウはそれに構わず蕩けた顔でサンドイッチを咀嚼して飲み込むと息を吐いた。

 

「はぁー……幸せ……」

 

 すでにあの島での宿業と源罪との戦いから一つの季節が去り新たな季節を迎えていた。

 あれからイリの食欲はなりを潜めている。

 だがあの戦いは終わりではなくむしろ始まりに過ぎない。

 これから永遠に続くであろうベルフラウと宿業のイリデルシアとの宿命。

 いつかまた宿業がイリの中で大きく膨れ上がり、再び世界を喰らおうとするだろう。

 だからこそベルフラウはいまひとときの平穏を噛みしめたいと思うのだ。

 

「お母様! お父様! 食べ終わったら早く行きますわよ!」

 

 娘の声に意識を戻したベルフラウがふと見ると既に食べ物は無くなっており、椅子から離れた声の主がベルフラウとイリを待っていた。

 

「ごめんねフラン。それで、次は何処に行くの?」

 

「そうね……お花畑に行きたいわ。お父様に花冠でも作ってあげようかしら!」

 

 白い髪をゆらりと踊らせて先に進むフランネルが、遅れて来る両親へ手を後ろで組んで振り返ると、イリが花冠を被った姿を想像したベルフラウが噴きだした。

 

「ふふふっ……それは似合いそうね」

 

「ソウナノカ?」

 

「お父様も少しは可愛らしくなると思うわ」

 

 ベルフラウとイリがフランネルに追いつくとイリを挟んで母と娘が笑い合う。

 良く晴れた空の下、親子は三人並んで次の目的地へと歩き出した。

 

 




小さな島で起こった世界を賭けた戦いは終わりを迎えた。
その戦いを知る者は少なく、ベルフラウの功績が歴史に残ることは無い。
だがベルフラウにとってそんなことはどうでもいいことだ。
彼女は名誉や富の為ではなくイリとフランネルとの日常を守るために戦ったのだから。

これにて予定していた全行程を終了。
ここまでお付き合いしていただきありがとうございました。
そして彼女たちの未来に幸有らんことを。

あとがき、解説等は活動報告にでも。

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