どうか、ゆっくりまったりしっぽりとお読み下さい。
遠い昔――世界は数百、数千という国々が所狭しとひしめき合っていたという。
その多くは大戦を生き延びた人・魔・獣、といった代表的な種族の国だった。
だが、何事にも例外というものはあるもので、上記3種族(現、大種族)に属さない者達の国もあった。
その中に、見た目、運動能力、言語、その全てが人と寸分違わぬ種族がいたそうだ。
彼らと人とを分ける基準はただ一つ。
【異常なまでの献身】
彼らは人と同じように死を恐れ、喪失に嘆き、不条理に憤る。
だが、人が死に瀕した場合に限り、彼らは全ての人間らしさを排除する。
代わりに生まれるのが、ただ一つの意思。
何をしてでも救う。
「―イ…」
彼らはその性質上、可能であるのなら、あらゆる窃盗、あらゆる殺戮、そして……自殺すら許容した。
そんな彼らに救われたものは多くいたはずだ。
「―…リッ」
だが、愛すべき破綻者である彼らについて書かれた書物は決して多くはない。
それには理由があると私は睨んでいる。
「イリッ!!」
「はいッ!!?」
耳元からの大音量に驚いた少女は、つい先程まで熟読していた本を手放した。
報復とばかりに、本は無慈悲に少女の膝に直撃し、木葉色の床に転がる。
その表紙にはこう書かれていた。
『知られざる種族の謎』
また渋いのを読んで…と、少女を呼んだ女性は嘆息する。
その仕草を勘違いしたのか、みるみるうちに顔を蒼く染め上げる。
「す、すみません」
出たのは謝罪の言葉。
その固い態度に悲しくなる時期は過ぎた。
ただ、引き取ってから3年も経つのに、一向に態度が変化しないのは物悲しくもある。
そんな私情は、心の中だけに留めておけているだろうか?
表情に出たりはしていないだろうか?
そんな意味の無い自問自答を続ける生活に慣れたのは、女性が良い意味でも悪い意味でもあっさりとした性格だった事が大きい。
そうでなければ今頃、怒りのあまり少女を虐げるか、悲しみのあまり滂沱していただろう。
「気にしないで頂戴。それよりもイリ、少し時間あるかしら?」
「はい。何か御用ですか?」
打てば響く返事――といえば聞こえは良いが、響かなかった事など一度たりとも無かった。
むしろ…酷い話だが、響かない事を望んだときも多い。
そんな小さな感傷を懐くことも時が経つことで減ってしまった。
「このお弁当…お父さんが忘れて行ったみたいだから届けに行ってくれない?」
返事は聞かなくても分かる。
「はい」
表情や声色は豊かなのだが、応えることが変わらない。
いつだってこの少女は機械の様に返事をする。
「では、行ってきます」
ぺこり、と一礼。
その様子がなんとも愛らしい。
そう…愛らしいのだ。
親の贔屓目かもしれないが、この白い少女は非常に可愛らしい顔立ちをしていると思う。
生真面目そうにキュッと結んだ桜色の唇。好奇心に満ちたくりくりとした大きな銀色の目。彼女の性質をよく表した綺麗な笑みを浮かべる口元。
同性ですら惹き付けるその魅力は、この村にいる間は美点になるが、出た瞬間欠点にしかならない。だが、生まれ持った資質は切り離しようが無い。
だからこそ、ここにいる間に使い方を身に付けて欲しいのだが……今のところ、そんな気配は全く無い。
「はぁ」
悩みのタネが多いせいだろうか?
思わず零れた溜め息に苦笑する。
まだまだ自分は若い。そう思っていたけれど、案外若くもないのかもしれない。
たった今出かけて行った少女の姿を思い出す。
昔はあのくらい元気に動き回っていたものだ、と。
その思考こそが、年をとった証だという事には女性はまだ気付かない。
ぽかぽか、と暖かい日差しに照らされながら少女は歩を進める。
時刻は昼前。ちょうどご飯を作り始める時間帯で、村のそこかしこから良い匂いが漂ってくる。
その匂いを楽しみながら鼻歌混じりに進んでいく。村の外れ、村の外れへと。
家々が立ち並ぶ地帯を抜けて、作物が背伸びする大地も抜けて、辿り着くのはだいぶ朽ちてきた木製の看板の前。看板には『これより外界。モンスター注意』と書かれている。
ここは目指す場所ではないのだが、イリはいつもここで一度止まる。
左右を見渡して人目が無いことを確認する。
「モンスターさん。いますか?」
呼びかけるのは看板を無視した内容。だが、毎度の如く少女の望む存在は姿を現さない。
今回も同じで、数十秒待っても反応は無い。
はぁ、と溜め息を吐いてその場を立ち去る。
テクテクと歩くこと数分。日が中天に座した頃、少女は養父の元に着く。
村の建物のなかでもかなり薄汚れた建物で、もし初めて村に訪れる人がいたら絶対ここには寄らないだろう、と思わせるほど汚い。
そんな建物の中で養父はいつもの様に鉄を打っている。その横顔は建物とは正反対で、とても美しいとイリは思う。
美しい、と言っても単純に養父が美形だという訳でもなく、上手く表現できないが、生物に備わっている【美】が収束したからだと思っている。
いつかキチンと説明できる日が来るのかな、と思いつつ養父の仕事が一段落するのを待つ。
5分程経ち、養父は額の汗を拭って笑った。
「何か用かい?」
どうやら弁当を忘れた事に気付いていないらしい。
先程までの鋭い瞳を綻ばせて、穏やかな瞳になった養父を見て、ワザとらしく溜め息を吐く。
「忘れ物ですよ?分かりませんか?」
煤で汚れた周りを見て、次に同じく煤で汚れた自分を見る。
「…清潔感、かな?」
「お弁当です」
くだらない返事を叩き切ってお弁当を突き出す。
養父は頭を掻きながらそれを受け取る。その所為で髪の毛から煤がぼろぼろと落ちてきてイリに直撃した。
「………」
イリは光の無い目でジッと見つめ、養父はにっこりと笑ってそれを受け止める。
そんな痛々しいほどの静寂は、そう長く続かなかった。
「それじゃ、お弁当ありがとね。仕事があるから帰ってて」
いっそ清々しいくらいに水に流そうとした養父に、イリはただニッコリと笑った。
「それで済むと思っていますか?」
その声はまるで神託を告げる聖女の様。
それを受け止める男は頭を垂れた。
「思ってる」
「んなわけないでしょうがッ!!!」
怒髪天を衝く。うねうねと宙で己の髪を蠢かせたイリは叫び、養父に詰め寄る。
その美しい体のあちこちに黒い汚れが付着して、常人以上に不潔そうに見える。
「この服真っ白なんですよ!?黒い煤なんて付いたら目立ちますよ!!」
零さないように必死で銀の瞳に雫を溜めている少女を見て、男は手を叩く。
辺りを見渡して、目的の物が見つかったのか、怪訝そうな少女の視線をものともせずに一直線に向かう。
手におさめたのはちりとり。
そんなもので何をするのか、といつの間にか泣き止んだ少女は興味津々で見守る。
養父はそこらじゅうに積もっている煤をかき集めると、脈絡もなくイリに放り投げた。
「ぅえ!?…げほっげほっ!!!」
当然、反応出来ずに全身に満遍なく煤がかかったイリは酷く咽る。
そんな少女に向けて、アホな養父はこう言った。
「真っ黒にすれば目立たなくなるよ」
「なるほど!!!」
アホなのは少女もらしい。
賛同の意を示した直後、地面に寝そべってゴロゴロ転がり始めた。
あはは~、とそれをほんわかしながら観察する養父。なんとも平和なものだ。
結局、イリは飽きるまで転がり続け、そのまま家に帰ったら養父共々怒られた。
太陽が隠れ、魔の者共が蠢き始める夜中。
少女はボロボロに擦り切れた本を取り出した。
タイトルは読み取れないが、内容はジッと目を凝らせば読み取れるくらいには薄れていない。
そんな古めかしい本をパラパラ、と慣れた様子でめくり、いつも通りのページで指を止める。
そのページの章は【大種族の格差】
内容を暗記するほど熟読した。だが、それでも毎日のように読む。
そこに憤りたくなる現状が、嘆きを覚えずにはいられない現状が記されているから。
少女は確かめるように字を指でなぞる。
さて、ここで大種族と呼ばれる、人・魔・獣、の3種族に着目してみよう。
この3種族が、なぜ大種族と呼ばれるのかは存じていると思う。現在、この世界に3種族以外の国が存在しないからだ。
さて、そんな大種族だが国内状況には格差がある。
まずは人。人はこの世界の緑溢れる土地の大部分を所有している。国土の面積で言えば二位だが、人口が一位なのは、肥沃な土地のおかげで基本的に飢える状況に追い込まれないからだ。
次に魔。魔は国土そのものいえば一位だが、その大半が荒れ果てた土地だ。そんな厳しい環境に関わらず、魔は人口が二位であるのは、基本的に食事を必要とせず、地面から魔力を吸い上げるだけで生きていけるからだ。
最後に獣。国土も人口も3位である彼らは一番苦しい状況にあるといえるだろう。人よりは強靭だが魔よりは貧弱な肉体。それなのに国土に緑が見える場所は少なく、食事をとらなければ生きていけない。だから、必然的に国民も痩せ細っている。
【必然的に国民も痩せ細っている】
この部分。この部分だけは我慢がいかなかった。
イリは自身のふっくらとした手を見る。櫛がスッと通る髪を撫でる。スベスベとした服を触る。
それら全てはイリの現状を表している。即ち――裕福だという事を。
獣――彼らが望んでも得られないものを、私は何の努力もせずに手にしている。
彼らが貧困に喘いでいる間に、私は幸福を得ている。
何て罪深いのか…。何でこの世界は平等ではないのか…。
そっと本と疑問を棚に戻して、ふかふかのベッドに寝転ぶ。
既に養父養母は眠ったのだろうか?眠る前に世界の秤の傾きを嘆いただろうか?
そんなこと知る術は無いけどそうだったとしたらいいな、と願い少女は目を閉じる。
【何故この世界は平等ではないのか?】
たった一つの疑問を置き去りにして。
ご読了ありがとうございました。
投稿ペースは遅く、文章は拙いですが、のんびり楽しんで少女の生き様を書いていきたいと思います。