残虐で優しい聖女(改訂版)   作:オミズ

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改訂版、第13話です。
適度に目を休めながらお読み下さい。


第13話 初めて

「おやすみなさい」

 

「ああ」

 

相変わらず素っ気無い少年―――クロスの返事にイリは苦笑する。これがこの少年の性格と言えばそうなのだが、少しくらい愛想というものがあってもいいのではないか、と思う。

 

そんな夜。馬車での生活も早いもので五日経とうとしている。

 

この五日間に特筆すべき出来事はなかった。

強いて言うのなら、よく分からない生き物の干し肉は食べる度に味が変わるという事を知ったくらいで、他は五日前と何も変わらない。

 

つまり、魔法を使えるようにはなっていないし、『魔』と『人』の争いは止む事は無かった。

 

「そうだ。一応伝えておく」

 

眠る前の考え事に浸っていると、クロスの声が耳に届いた。

 

「明朝にはイサシヨという小さな村に着く」

 

聞いた瞬間は、何を言っているのかが分からなかった。

 

村。そう、イリの住んでいた村以外にも村がある。それは想像もしていなかった常識だった。

よくよく考えればここは『人』の国。村が一つしか無い、なんていうのはあり得ない。国として纏まる意味合いが無くなる。だから、村ないしは町なんかが複数あるのは当然の事だ。

 

12年も生きてきて、この国のことすらたいして知らないというのはどうなんだろうか?

 

「そこで減ってきた食料なんかを補充するから、大人しくしていろ」

 

クロスは言葉を続ける。

だが、イリの耳には一語たりとも入っていっていなかった。

 

頭を占めるのは羞恥。

村に閉じこもって本を読み漁っただけで、全てを理解した気になって満足していた知識。でも、実際に理解出来ていたのは過去の知識。一番大切な現在の知識が不足している。

 

それ自体は、まだ勉強不足という事で無理矢理水に流せた。

だが、一番恥ずかしいのは今に至るまで全く気が付かなかったことだ。

 

世界を正そうとする人が知識不足とは、笑止千万を通り越して、正す気持ちがあるのかコイツと思われること間違い無しである。

この世界のことを大して知らないくせに、世界を正すなどとのたまった過去の自分は大層滑稽だっただろう。

だが、撤回するつもりはない。

 

ラヴァエの歪みを放置した世界。人・獣・魔の間に格差を引き起こし放置した世界。

 

それが正しいとはどうしても思えない。例え小娘の戯言だとか虚言だとか言われても、これだけは曲げてはいけないと思う。

 

そんなことを考えている内に、眠気の沼にイリは引きずり込まれて、そのまま脱出を諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きろ」

 

その言葉だけでイリの意識は覚醒に向かう。

一度睡眠の快楽に負けた際、この少年は無言でイリの頬に平手打ちをした。その威力の凄まじい事、あれから数日経った今も、ふとした瞬間にヒリヒリと痛む。

その悲劇を繰り返さない為にも、クロスの声が聞こえたら即座に起きる。イリは学ぶのだ。

 

体を起こすと目の前には相変わらずの干し肉。

今日の干し肉は美味しいだろうか、と半ば運試しの様な気分で手にとる。

 

イリが口を開いたタイミングで、クロスが口を開く。

 

「もう数刻もしない内にイサシヨに着く。食い終わったら降りる準備をしておけ」

 

イサシヨ。

なんてことのない小さな村なのだろうが、イリには特別なモノに見える。

自分が住んでいた村以外の村。まだ見ぬ人々の営み。まだ見ぬ景色。

その全てがそこに集まっている。

 

そう思うと居ても立ってもいられなくなり、思わず心の準備もせずに干し肉を齧ってしまった。

結果として、途轍もない酸味を味わい、暫くもだえることとなる。

 

もだえ終えた後、気を取り直して荷物の整理を始める。とは言っても、イリがするべき事など大して無い………どころか全く無い。伊達に着の身着のままに飛び出してきた訳ではない。

と、自慢できないことを自覚しつつも、事実なので反証はしない。

 

だから出来ることといえば相変わらずの魔法修行。

心を落ち着けて精神集中とは言っても、上手くいっていない現状、集中など出来るはずも無く魔法を使えない理由ばかり捜し求めてしまう。

 

血魔線の認識はした。だが『概念』の受け入れが上手くいっていない。魔法が使えないのはこれが原因だ。

つまり、『概念』を受け入れる知識が必要だ。

だが、イリの周りに居る情報源などクロスくらいしかいない。そのクロス相手に初日の時点で尻込みして質問できなかった。

そこまで思考を回すと一つの疑問が浮かぶ。

 

『概念』とは一体何なのか?

 

『概念』とは一口で言える。だが、イリの個人的な考えだと『概念』とは世界に等しいもの。天と地、時間と空間、現世と幽世、それら全ては世界の構成要素であり、『概念』と呼べるものなのだから。

だが、世界と考えると規模が大きすぎて、この小さな身体に取り込んだ瞬間、身体が内側から破裂してしまいそうな想像がイリを取り巻く。

 

そう思うと足が竦む。

世界を正すには止まっている時間などあってはならなくて、その事は分かっているはずなのに、本当に進んでしまっていいのか考えてしまう。

 

つまるところ怯えているだけ。

この怯えが解消されれば魔法を使うことは出来る。その確信はある。

だけど、肝心の怯えを解消する手段については皆目見当つかない。

八方塞りな現状を嘆くことしか出来ない。

 

軽く小突かれる感覚で、イリは思考の淵から浮かび上がる。

目の前には、刃渡り10cm程のナイフを無言でイリに向けているクロス。その目的が分からないイリは、ただクロスが次の行動を起こすのを待っているだけ。

10秒、20秒と過ぎて、30秒でようやくクロスは口を開いた。

 

「護身用だ。早く受け取れ」

 

その声は呆れを含んでいたが、呆れているのはイリも同じだ。

人に渡す刃物を、剥き身の刃のまま人に向けて、受け取るとでも思ったのだろうか?

イリ自身、自分は常識を知らないと認識しているが、こればかりは自分の方が正しいと思う。だが、念の為という言葉がある。イリは本当に正しいのかどうか自分の記憶と照らし合わせてみて気付く。

怪我をしても魔法で治せるではないか、と。

 

自分の常識の無さに内心頭を抱えつつ、これ以上クロスを待たせない為に急いでナイフを受け取る。武器を振るう気は未だに持てないが、力こそが正しいと認めた暁にはお世話になるだろうと思い、ナイフの様子を観察する。

ナイフは良く磨かれているようで、微妙に落ち込んでいるイリの顔が白金色の刃の内から、常識外れの間抜け、とイリに突きつけて馬鹿にする。

これ以上落ち込まないためにもナイフを仕舞おうと思い、首を傾げる。

 

これはどこに仕舞えばいいのだろう?

 

そんなイリの疑問に答えるように、懐を漁り始めたクロスが口を開く。

 

「服の裾を持って太ももが見えるようにしろ」

 

この要求を普通の少女に言っていたら、叩かれるか逃げられるか通報されるかの三択であろう。だが、ここにいるのは『聖女』。常識外れの思考を持ち、独自の感性で動く生き物。故に『人』の常識には当てはまらないだろう、とクロスは考えて、特に気遣うことなく要求した。

 

その結果として、イリの頭は混乱に陥っていた。

 

裾を上げて、太ももが見える位置まで上げて、何が見える?

下着が見える。

それがどうしたの?

恥ずかしい。

それがどうしたの?

恥ずかしい。

それがどう―――?

恥ずかし―。

それ――――――?

恥ず―――。

――――――――?

―――――。

 

完全なる自問自答の答えの出ない問いかけの連鎖。

イリは裾を摘んだまま静止していた。

 

そんなイリの様子など露知らず、ようやく目的に品を見つけたクロスは顔を上げる。目に映るのは体中の血を集めて真っ赤になった顔で、ワンピースの裾を摘んだまま固まっている少女。

その様子から、クロスは自分の考えが間違っていたことを認め、恥ずかしさに震えている少女にフォローの言葉を口にする。

 

「よく見えていたから今更気にするな」

 

この少年、女の機嫌が悪い時は生理の時、とのたまう阿呆である。そんな少年の放った一言は、特大の刃となってイリに突き刺さり、思考さえも停止させた。

そんなイリの様子にやはり気付かず、あまつさえ未だ動こうとしないイリに焦れて、彼女のワンピースを豪快に捲り上げた。

 

「ひっ!?」

 

突如感じた下半身の開放感に、思考停止という逃げ道すら奪われた。

半ば諦めに近い気持ちで目線を下げて、ワンピースの裾を頭に乗っけたまま作業をし始めた変態(クロス)

を視界に収めたイリは、乾いた笑みを作ることしか出来なかった。

 

そんな拷問の時間が数十秒続き、イリの精神が完全に叩きのめされたところでクロスの作業は終わった。

イリの太ももにはナイフケースが付けられ、一片の汚れ無くキラキラと輝くナイフが静かに収まっていた。これでナイフの収納場所に困る必要は無くなったが、こうなるならナイフなど意地でも貰わなければよかった、とイリは項垂れる。

 

「そのナイフは隠し持ってこそのものだ。お前の下着のように簡単には見せるなよ」

 

落ち込むイリに容赦無く追い討ちを掛けるさまは、正に鬼畜であった。

 

「降りるぞ」

 

イリの精神状態など全く持って理解していないクロスは、そう言って項垂れているイリの手を引く。

 

「自分で降りれます」

 

イリはほんの少しぶっきらぼうに応えて、繋がれた手を振り解く。

少しだけ悪いことをしてしまった、と思ったがその勢いのまま、馬車から飛び降りる。

 

眼前に広がる景色に興味を覚えるものの、罪悪感から黙ってクロスに着いていくことにした。

馬屋を抜け、ポツリポツリと建つ家々の間を抜け、朝なのに薄暗い場所に着く。

そこは、木造の一軒家で看板も何も付いておらず、本当に食料が補充できるのか疑わしい外観をしていた。

 

クロスはそんな怪しい所のドアを躊躇いもせずに開け、振り返ってこう言った。

 

「ここで大人しくしていろ」

 

そうして、イリの返事も待たずにドアの向こうに消えていった。

ここまで怪しい臭いが嗅ぎ取れると、突っ込んでいく気も無くなる。おそらく、人様に迷惑を掛けることはしていないのだろうから、悪を嗅ぎ取れる知識を得るまでは黙殺しておくことにした。

 

さて、そうなるとやることもない。

となると魔法の練習しかないのだが、問題解決の糸口すら見つかっていない現状では練習どころではない。

問題解決の糸口を考えるにしたって、結局はイリ自身の心の問題であり、考えたところで深みに嵌るだけである。

 

やっぱりやることがないと判断したイリは、拾った枝で地面に落書きをし始めた。

人の形を書いて、あまり思い出したくはないが覚えている限りの血魔線を走らせる。さて、この血魔線にどうやって『概念』を―――?

 

不意にイリの背後に人が現れた。

クロスかと思い、振り向こうとして―――首元に鈍色のナイフを当てられた。

 

「動くな」

 

低い声。男性だということは分かったが、それ以外は全く持って分からない。

 

「あなたは誰ですか?」

 

故に質問した。声を出すことは禁じられていない。

だが、イリが声を出した瞬間、体を揺らした男は殺意を滲ませた声を出す。

 

「死にたくないのなら喋るな。歩け」

 

動くなと言ったり、動けと言ったり何だか無茶苦茶な人だなぁ、とイリは剥き出しの素足を蹴られながら思う。考え事を中断して動き出すと、足の攻撃は止まった。

 

向かう先は不透明。見えるのは男にとって都合の良い場所に連れて行っているということだけ。首元にナイフを突きつけられたまま歩いて10分程経っただろうか。イリの足を再度蹴ってイリを止めた男は命令を下す。

 

「服を寄越せ」

 

思わず、今日は厄日だ、と溜め息が出る。意識せず出た動きだったが、今この場でそれは不味い行動だった。

額に痛みが走る。その意味を理解しきる前に、額から垂れてきた血が教える。首元を見るとナイフはそこに無く、目の前にあった。

 

「嘗めるな。次は目を抉るぞ」

 

その声は殺意以外の感情を窺わせることなく、有言実行を本気で行うことが嫌でも分かる。

 

この場面において、イリは初めてこの男に恐怖を覚えた。

『魔』は純粋な殺意をぶつけてくる。そこには殺す以外の目的は無い。けれど『人』は違う。殺すまでの過程に、いたぶりを加える事が出来る。

それをこの男の言葉で気付いた。今、もう一度イリが溜め息を吐いたら容赦なく光を奪われる。それが逃げ出したくなるくらいに怖い。けれど逃げ出す余地など無い。

ふと、護身用ナイフの存在を思い出す。服を脱ぐと見せかけてナイフを取り、この男を切りつける。男は予期せぬ反撃にうろたえるだろう。その隙を突いて逃げ出せるかもしれない。

 

そこまで考えてイリは吐き気を堪えた。

人を切りつける。何を言っている?世界を正そうとするこの手で、正さなければいけない傷害を行うのか?

それは自身への冒涜だ。

 

「早くしろ」

 

再度響く声に体を震わせる。

脱衣の恥辱と逃亡への誘惑を纏めて諦めて、服に手をかけ脱ぎ去る。直接外気が体に触れる感覚に、他人の前で服を脱ぎ去ったという現実を突きつけられて、頭が恥ずかしさでいっぱいになり俯く。

この時間が一秒でも早く終わりを迎えることを祈ることしか出来ない。

 

イリの祈り空しく、男は何もしない。そう、ナイフへの言及は無いし、それどこか声すら発しない。

怪訝に思ったイリが顔を上げると、視界いっぱいに男の顔があった。驚いたイリは咄嗟に後ろに下がってしまった。

 

瞬時に失敗したと悟った。殺意に駆られた男による数秒後の惨劇は免れない。せめて最後まで記録するためにと目に力を入れる。

だが、予想とは異なり、男は魂を奪われたかのような呆けた顔でイリを見ていた。

 

これは逃げても大丈夫だろうか?

あまりに男が呆けているものだから、イリの中で逃亡への欲求と男への恐怖が衝突を始める。何度かぶつかる内に逃亡へ比重が傾いていきいざ逃げようとした時に、男はイリに触れようと手を伸ばし――――親指以外を切断された。

 

傷口から溢れる血が地面を汚していくのを目に留めさえせずに、幽鬼のようなクロスがそこに立っていた。右手には愛用の剣。熱心に磨かれたおかげで銀色に輝いていた刀身は、紅で彩られていく。

刀身に注意を払うことも無く、男だけを見つめる。その表情は無に近い。ただ怒りだけはこの場にいる誰しもが感じ取れる。

 

男は夢幻のような気持ちから覚め、容赦の無い現実を向き合う。

現実は怒りだけを男に伝える。

その怒りは殺意と大差なく、自分の体の震えからどれ程の怒りを抱えているのかを敏感に感じ取る。体から分かれた指への未練も、傷口からの痛みも今はどうだっていい。今はただこの現実の怒りを鎮めなければいけない。一歩対応を誤れば殺される。それだけは御免だ。

 

少年は殺意を、男は生への渇望を宿し互いに向き合っていたために、一番目を離してはいけなかった少女を注意していなかった。

 

ぶちゅり

とても不快な音が響く。

ぶちゅり

響かせてはいけない音が響く。

ぶちゅり

音の主を探し、二人の男がそれを見つけた。

 

ソレは人の形をしていた。ソレは少女の姿をしていた。ソレは機械的に同じ作業を行っていた。

ぶちゅり

自身の手で、自身の指を切りつける。一度二度三度、彼女の望む形になるまで何度でも。

ぶちゅり

不意に少女の動きが止まる。傷口を愛おしそうに見つめ、ナイフを捨てて男たちの方へ歩み寄る。

一歩、二歩。不出来なペンキで地面を汚しながらも、確かな歩みで近づく。

 

少年は本能的に少女を避ける。すれ違いざま、微笑んでいる口元を見て総毛立つのを感じて。

ターゲットである男は最早夢幻と現実の区別すらつかない。それでもこれは夢だと信じ込む。そうしないと悪夢のような現実に押し潰されてしまいそうだから。

 

ついに少女は男の前に辿り着き綺麗な手で、血が噴出している男の手をとる。

そしてそのまま声を出す。

 

Heal(癒せ)

 

未だ成し得ていない奇跡(ペテン)を唱える。

それは疑う余地も無く成功し、男と少女の手の傷は治っていく。夥しく流れていた血は止まり、少女の指は不恰好ながらも動かせるくらいには回復した。だが、男の指は生えることは無く、その空白は埋まらない。

それを不思議そうに眺めた少女は、更なる治療のためにナイフを振りかぶり――――――――――少年に止められた。

 

「何故止めるのですか?」

 

「欠損したものは治らないからな」

 

「なら何故指を切り飛ばしたのですか?」

 

少女は問いかける。その声色に怒りを宿しながら。

対する少年は嗤う。あまりに『人』としてオカシイ思考回路に。

 

少年はもったいぶるように血に濡れた剣をしまい、一層笑みを深めながら答える。

 

「お前が危険に晒されていたからだ。それをよく覚えておけ『聖女(化け物)』」

 

「……分かりません。確かに私は危険を感じました。けれど、()()()()()()()()()()()

 私を使い潰すことで人が幸せになれるのなら、私の意思なんて無視して使い潰すべきでしょ

 う?」

 

理解に苦しむ、といった顔で『聖女(化け物)』は言う。自分を他者の食い物にしろと言う。それが当然で、それ以外に道は無いと彼女はそう思っている。

彼女が苦しむことで、同じく苦しむ他者がいることが分かっていない…いや、少年の発言から感じとれていない。

 

少年はそれを理解させようとは思わない。彼女は荒唐無稽な夢に向けて脇目も振らずに前進していて欲しい。だから進むべき道はしっかり見定めて欲しい。

 

これは老婆心というものなのかね、と自分に呆れながらも口を出す。

 

「お前は矛盾しているよ。全ての生き物を救うと言いながら、たった一つの命のために自分を使い

 潰そうとする。お前にとってどっちが大切なんだ?」

 




ご読了ありがとうございました。
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