電気を点けてお読み下さい。
「…はっ!!」
ふかふかのベッドから起き上がる。辺りを見渡せば、もちろんイリの部屋。
その部屋の持ち主は、酷い目覚めだ、と苦笑する。
…悪夢なんて久しく見ていなかったせいか案外堪えたようで、噴き出た汗で全身がグショグショだ。鼻を動かせば、人様には嗅がせたくない匂いが刺激する。億劫な気持ちを誤魔化して、ベッドから抜け出して窓を開ける。
瞬間、心地良い風が全身を優しく通り抜ける。これならば少し無理して開けた甲斐があった、と一人頷く。
窓から顔を出してみると、住宅と森以外何も見えない事に気付く。まるで誰かを捕えているみたいだ、と突拍子ものない空想にくすくす笑う。
春風に頭が冷やされたのか、笑っている場合ではなかった事を思い出し、汗臭い部屋と自分を交互に見る。
とりあえず部屋はこのままにしておけば大丈夫だろう。問題は自分自身だ。
ぐっしょり濡れたワンピースを、おっかなびっくり鼻に近づける。
「んんッ!!」
思ったより臭う。
これは早急に何とかしないと『汗臭い女』の称号を入手してしまう!!
そう思ったや否や、開け放った窓から弾丸のように飛び出した。そしてそのまま器用に屋根を伝って地上まで降りる。後はただ記憶に基づく感覚に従ってだ走るだけ。
村の外へ真っ直ぐに、駆けて駆けて駆ける。風を切って進む感覚の気持ちよさに目的が上書きされそうになる。ときおり、視界が紅に染まるのも気にならない。それくらい熱心に、あるいは逃避するように走ってただ一箇所を目指す。村の敷居を超え、本能が発狂するのを静観しながら硬質の残響へ歩み続ける。
そして――――そして、足を止めた。
そこに広がるのは、見渡すかぎり死体に埋め尽くされた大地。その場所に、黒の少年は立っていた。
「よう」
この少年は誰だろうか?
気さくな態度に疑問を覚える…覚えるのだが、もっとナニカ別の事が気になる。それは決して見過ごしてはいけない出来事。この光景を造り出した源流。
一陣の風が脳を極寒に変えた
破棄された記憶が走馬灯の様に脳みそを埋め尽くす。心を破壊して破壊して破壊して―――その果てに『魔』が死んでいく姿が一際強く焼きついた。
「あなたはッ!!」
律する事も出来ずに、ただ初めての激情に駆られて、ちっぽけな少女は叫んだ。
あまりの怒りに言いたい―――否、突きつけたい言葉すら忘却して叫ぶ様はどれだけ滑稽だったのか。少年の顔に冷笑が浮かぶ。
それがまた少女の内を燃やす。
「あなたは何故彼らを殺すのですッッ!?私達と同じ…生き物なんですよッ!!」
「殺されるからだ」
一言。少年の放ったその一言だけで、幼い炎は消えかける。
それでも、ぐらぐら揺らいだちっぽけな自尊心を守る為に呟いた。
「…それでも、それでも殺すことないじゃないですか」
「俺に『死ね』と?」
少年が言った通りだとは分かってはいた。殺されそうな時に抵抗しなければ殺される事、殺しに来た相手を殺さなければ、いつまで経っても死から逃れられない事。
だから、少年のしたことは生き残るため。それを責める事など、イリには出来ない。
「答えられなくても別にいい。それより…精神の修復が随分早いじゃないか」
「……何を、言っているのです?」
当然の様にこぼれた言葉に少年は敏感に反応した。口元を歪め、憐れな物を見るような目で見た。
「…気にするな。独り言だ」
そう告げた少年が気になったが、訊いても答えてくれそうにない。
少年との関係上、談笑するわけでもない。だけど、なんとなくこの場から帰りにくい。
結果として、ジッと少年を見つめながら待機する事になる。
幾許の時が過ぎた。
お互い何をするわけでもなく、ジッと佇んでいるだけ。ここは休憩所ではない。運命次第じゃ今にも『魔』が襲い掛かってくる場。椅子のひとつもありゃしない。あるのは尽きぬ死の数々。
ここに居たって良いことはない。むしろ悪いものでも呼び寄せそうなものである。
そう思った矢先、ポツリと少年は呟いた。
「来たか」
聞き返そうと口を開きかけた時、気付いた。
「え?」
『魔』が存在していた。死んでいたはずの『魔』が。
死体の山からずぶずぶと湧き出てくる。
一目で理解した。
アレは駄目だ。アレに人間的反応など求めてはいけない。アレにあるのは本能による殺戮のみ。
ここにいたらアレの餌になるだけ。
逃げなくてはいけない。逃げなくてはいけない。逃げなくてはいけない。
なのに――なんで足が動かないのか?
「チッ!!箱入り娘かよッッ!!」
いつの間にか懐に忍び寄っていた『魔』を、銀色の刃が貫く。一瞬で絶命した『魔』は私に生きた証だと言わんばかりに血を擦り付ける。
それらを全てコマ送りで見ていた。自分の事なのに、自分が体験している事なのに、どこか夢の様。その耽美な感覚を振り払うために一度目を閉じる。
世界は闇に包まれ、どこからか響く金属音以外何も無い。このまま閉じていれば終わるのかもしれない。心に宿ったその思いは、ただ通過していっただけ。心中に変わりはない。ただ、少しだけ目を開けるのが怖くなった。
それでも、私の中の冷静な部分が告げる。このまま目を閉じていても怖いだけだよ、と。
だから、迷いを振り払って目を開ける。
絶句した。
まず映ったのは視界を埋め尽くすほどの『魔』
次に映ったのはその侵攻をたった一人で、しかも私というお荷物を抱えながら防いでいる少年。その一手一手がふとした拍子に崩れてしまいそうな綱渡り。
あるときは、片足で引っ掛けた『魔』を別の『魔』にぶつけながら二本の刃で左右を薙ぐ。あるときは、『魔』が放つ魔法を受け流して別の『魔』に当てながら回し蹴りを放つ。
おかげで、ずっと棒立ちだった私は傷一つ負っていない。
彼は奮闘している。私を死神から守るために、死神に刃を振るっている。
だけど、私は何も選べない。
彼と共に『魔』を殺す事も、『魔』と共に彼を殺す事も。
彼には否定された。殺しに来る相手を生かす事を。だけど、一度否定されたからと言って折れるほど、私の信念はヤワではなかった。
どんな種族だろうが、どんな経歴を持っていようが、どんな思想を持っていようが、それら全てを私は救う。それだけは変わらない。
…だけど、何も出来ない。私にはこの殺戮を収めるほどの、言葉も技術も何も無い。
ならば、諦めるか?いいや、それだけは出来ない。
だから…一つ賭けをしよう。私の書いた台本通りに動けば花丸。それ以外はペケ。チップは私の信念。そんな単純な賭け。
前足に体重をかける。
このまま飛び出せば、彼の努力に泥を塗ることになる。
お前の良心はそれを許すのか?
後足はしっかりと地面を踏む。
愚問だろう。
許すも何も、
弦から放たれた矢の様に、素早く一直線に『魔』の元へ駆ける。
「嘘だろ!!?」
彼の驚愕も捨て置いて無心で駆ける。
直ぐ目前に迫った『魔』にけたましい警鐘が、頭を反響するのを他人事の様に聞く。
『魔』の硬くて鋭い爪が振り下ろされる。
私は右腕でその軌道を反対からなぞる。
「馬鹿野郎ッ!!!」
お腹の辺りへの圧迫感と浮遊感に包まれる。
緩慢な動作で顔を動かすと、彼の怒ったような恐れるような顔が映った。その変な表情以外のスペース全部に『魔』が蠢いている。
あまりの多さに視線を逸らすと、たった今傷つけたばかりの腕が目に入る。
はっきり言うと、腕の状態は悲惨だ。切れ込みが腕の長さの半分くらいまで入っていて、その部分から湧き水のように血が絶え間なく噴き出している。彼が割り込んで脱出しなかれば切断されていただろう。それなのに、痛みは全く感じない。
ボーっとしていると、今にも取れてしまいそうなくらい、ぷらんぷらんと揺れているのが気になるので、左手で押さえつける。
「今はなにも問わん。腕は押さえとけ」
簡潔にそう述べた少年は、軽やかな動作で少女とともに木々に紛れた。
ご読了ありがとうございました。
私の筆の遅さはどうにかならないものか……