「はい。 『〜〜月〜〜日 以前と同じようにコーヒーを淹れているけれど、もう香りも味もよくわからない。 みんなは前と同じように美味しいといってくれているけど、私に気を使っているんじゃないだろうか。 みんなをそんな風に疑っている自分が嫌で嫌で仕方が』……う、うぅ、けほっ」
「小梅、トイレに行くことを許可するわ。 じゃあ次のページを……勝手に席を立つな!!!!!!!!!」
「殲滅戦ってなんだったっけ?」
「相手の車両を全部やっつけたほうが勝つんだよ」
試合前日、決戦の地となる北海道。
大洗戦車道チーム全員──一人を除く──が集まった建屋内、ほとんどの女子たちが驚愕に言葉を詰まらせていた。
「30輌に対して8輌で、その上突然殲滅戦、ですか?」
「予定されるプロリーグでは殲滅線が基本ルールになっていますので、それに合わせていただきたい」
「もう大会準備は殲滅戦で進めてるんだって……」
大洗学園艦廃校の黒幕……と、言えなくもない男、文部科学省役人、辻廉太の抑揚のない言葉を聞いて、まずみほは呆れを覚えた。
続けて絶望、困惑、そんな負の感情が胸の中でぐるぐると渦巻いて……
そして、最後に湧き上がったのは、かつてない怒りだった。
「……そこまで、しますか」
「はぁ、こちらとしてはプロリーグ基準の試合を推奨していく方針でして」
「はぁ、そうですか。 わかりました」
怒りが頂点に達すると一周回って冷静になるという。
そんな言葉を聞いたことはあったが体験したことはなかった。
しかし、たった今みほは理解した。
コレこそが『怒髪天を突く』という感覚なのだと。
「あぁ、それと……天翔エミリ選手はいらっしゃいますか?」
「エミリちゃんは貧血で今は横になってますが、何か?」
「いえ、戦車道の運営に関わる方々から、彼女については様々な議論がなされましたが……他スポーツの有名な高校への進学を勧めるように言われてまして、その旨を伝えておきたかったのです」
「なっ……は?」
「……? ……??」
秋山優花里が絶句し、みほはこの男は一体何を言ってるんだと理解にしばらく時間を要した。
「いえね、彼女の身体能力は素晴らしい、というか異常の一言ですが、こと戦車道という競技以外にその能力をあてがった方がいいのではないかという意見が多数派でしてね。 まあいないのであれば仕方がありません、君たちの方から伝えておいてください。 これ資料です。 では」
いうべきことは言った。
役人が背を向けて立ち去っていくのを、殆どの生徒たちが殺気立った目で睨みつけている。
そして、みほは、自らの間違いに気がついた。
先の怒りなどまだまだ甘かったと。
気がつけば血が出るほど握りしめていた拳の鈍痛がそれを表していた。
「あぁそれと言い忘れてましたが、戦車から人を攫うような行為は禁止です、それもしっかり伝えておくように、危険極まりないです」
「あ、それはわかりました」
こっちは納得だった。
その日の夜は、こちらの気分など知らないと言わんばかりの満天の星空だった。
周囲に明かりの一切ない広大な草原に一人たたずむみほは、地図と地形を照らし合わせながら様々な策を頭の中に練り上げていた。
思考の海に沈み込み、そしてホッと小さく息を吐く。
勝ちたい。
心の中にそんな想いが渦巻いていた。
コレほどまでに強い勝利への執着は、初めてだ。
「みほ」
「あっ……」
「やほー」
聞き慣れた声に振り向いてみれば、そこには寝込んでいたはずの天翔エミリと、会長の姿があった。
エミリの手には二つのマグカップ、会長の手にも一つ、漂う香りからして中身はコーヒーだろう。
「精が出るね、ほら」
「ありがとう……もう体はいいの?」
「もとからそう重傷でもない、心配することはないさ。 明日の試合はきっちり仕事をこなすとも」
「苦労かけるね、二人とも」
微笑みかけるエミリの顔を見るとスッと心が落ち着いていくのを自覚して、少し照れくさくなってみほはコーヒーを啜った。
いつもより、味が薄いかもしれない。
「どうする? 明日の試合」
「え?」
「辞退するという選択肢も、あるよね?」
いつになく弱気な杏の言葉に、みほは改めて、自分たちが絶望的な窮地に立たされていることを思い知る。
いつも不敵で、誰にも不安そうな姿を見せなかったのが角谷杏という少女なのに。
それをなんとか励ましてあげたい。
そう思ってみほが励ましの言葉を紡ごうとする。
「二人とも、少し私の話を聞いてほしいんだ」
しかしそれを遮ったのは、エミリだった。
「エミリちゃん?」
「まず、私は謝らなきゃいけないことがある……今回の試合、よりにもよって難敵中の難敵である大学選抜チームと戦う羽目になったのは私のせいなんだ」
「へ?」
突然何を言い出すのか?
そう言いたげなみほと杏の顔を見て、普段の薄い笑いを浮かべた唇の端を少しだけ下げて、ポツポツと、エミリは語りだす。
「……今回戦う相手の隊長である島田愛里寿、私は彼女とそれなりに親しい仲だった。 出会ったきっかけは偶然で、それでたまたま気が合って、まあそれで寄港した日にあったり、連絡したりしてた……まぁ、つまり友達だったわけだ」
「あぁ、ボコミュージアムで出会ったんだね」
「ぼ、ボコミュージアム……?」
「まぁ、そうだな」
珍妙な響きの施設の名前に杏が若干疑問を覚えたが、とりあえず、今は流すことにする。
「そのつながりで、私は彼女の母である、島田流家元の島田千代さんとも少し話したりしたんだけど……実は、その千代さんに養子にならないかと誘いを受けている」
「えっ」
その言葉にみほはついに驚いた。
まさか対戦相手の少女一家とそこまで因縁があったとは思わなかった。
「その誘いを受けて、私は悩んだ。 普通なら断る必要のない話なんだろうがまぁ、その、なんだ、私は……ちょっと人には言いにくい秘密があってね。 それで、その話は断ろうと思ってたんだ。 その数日後、愛里寿から電話があった。 話された内容は、この廃校をかけた試合の依頼を断ったということと、養子の件に関してだった」
「え?断る?」
「あぁ、愛里寿は、愛里寿はな……私が思ってるよりずっと優しくて、素敵な子だった。 私が……義姉になる私が悲しい思いをするのは嫌だからと、この理不尽な試合を突っぱねると、そう言ってくれた、くれてたんだ」
なんとなく、話が読めた。
みほがそっと続きを促すと、エミリはやや迷ったように瞳を左右に揺らし、そしてまた、重そうな口を開く。
「私は、隠し事をしたくなくて、騙したくなくて、愛里寿には正直に養子の話は断る予定だと伝えた。 その後だ、愛里寿の様子が急におかしくなって、そして、電話を切られてしまった……それで今日に至るわけだ。 自惚れた発言に聞こえるかもしれないが、愛里寿が結局この試合を受けてしまったのは、私が愛里寿の期待を裏切ったからなんだと思う」
「……」
エミリの話に、二人は何も言えなかった。
コレは、口を軽々しく挟める問題ではない。
孤児であるエミリの境遇と、そして本人の抱える誰にも開かせない心の内側。
そして島田家との奇妙な因縁。
「仮に愛里寿が試合を断っていたとしたら、少なくとも対戦相手は他のチームに変わっていたはずで、それはおそらく戦う予定の大学選抜よりも劣る存在なのは明らかだ。 私が養子の話を受けていたのならこんなことにはならなかったかもしれない。 ……自分で言ってて恥ずかしいほどに自意識過剰な、妄言のようなくだらない話だけど……それでも……みんなを苦しめて、愛里寿も苦しめてしまってるんじゃないかと思うと、謝らずにはいられなかった」
沈黙が、あたりを包んだ。
杏は何も言わない。
言えるわけもなかった。
怒鳴れるわけもなく、慰められるわけでもない。
こんな時にどんな言葉をかければいいのかわからないくらいには、角谷杏は人生経験が浅かった。
「エミリちゃん」
それを突き破ったのはみほだった。
「みほ……」
「えいっ」
「あいた!?」
ポコン!
みほがエミリの頭を軽く小突いた。
杏が目を白黒させる。
エミリも同様にみほの行動にあからさまに困惑していた。
「み、みほ? なにを」
「謝るのは私たちじゃなくて、愛里寿さんでしょ」
「え……」
「少なくとも、私に謝ることなんてない。 エミリちゃんにも、人には言えない悩みがあって、想いがあって、その中で必死で考えて、苦しんで、その結果出した答えなんだよね。 だからむしろ私が謝らなくちゃいけないの。 そんなエミリちゃんのことを少しもわかってなくて、いつも助けられてばかりだったから……だから、今更一つくらい迷惑かけたって、エミリちゃんが謝ることなんて全然ないの」
「……うんうん、そだね。 私も天翔ちゃんにはいろいろお世話になったよー」
強く、温かい言葉だった。
目を瞬くエミリの頬にそっと手を添えて、みほは真っ直ぐ見つめながら説いた。
「だからね、謝るのは愛里寿さんだけでいいと思うよ? 愛里寿さんは今、きっとエミリちゃんに拒絶されたと思って苦しんでる。 でもそれは違うって、勘違いさせちゃったことを謝って、しっかりと納得するまで説明してあげれば、きっとまた誤解を解いて仲直りできるよ。 エミリちゃんも、そうやって私とエリカさんを仲直りさせてくれたよね」
「みほ……」
「大丈夫だよエミリちゃん、私、勝つ! 勝って大洗を守って、愛里寿さんとエミリちゃんを仲直りのためのお話を出来るようにする! エミリちゃんが私をそうやって助けてくれたように、今度は私がエミリちゃんを助ける番だから!」
「……はぁー、ずるいなぁ、みほは」
みほの言葉にしばらく茫然自失としていたエミリは、少しだけ苦笑してからコーヒーを一気に飲み干した。
もう、冷めてるだろう、あまり美味しくはなさそうだ。
「……うん、そうだ、そうだよな。 天翔エミリ……今回くらいは、この試合が終わるまでは……変なこと、全部忘れよう」
「え?」
「ありがとうな、みほ。 目が覚めた。 そうだよな、謝らなくちゃな、愛里寿に」
顔を上げたエミリは、すっかり元のエミリだった。
嬉しくなって笑うみほと杏に、しかしまたも表情を引き締めたエミリはピシリと言い放った。
「しかしそれはそれだ。 お……私は、やっぱりどうしても今回のことに責任を感じてしまってる。 理解してるはずなのに感情が納得できてない」
「あぁー、それわかるかも……」
「だから……うん、誓いを立てるよ。 みほ、会長、何かカッターみたいなものはないかな」
「え?えっと……これなら、あるけど」
みほは懐の文房具入れから、やや古ぼけたカッターナイフを取り出した。
少し色褪せているが、刃の方は新品同様だ、交換したばかりらしい。
「うん、少し借りるよ、っと……」
「……って、え?」
「て、天翔ちゃん!?」
右手に握ったカッターナイフを、エミリは後頭部の方に持っていく。
そして左手には、長く伸ばして束ねた黒髪を握り、その根元に刃を当てて躊躇なく切り落とした。
「なっ、な、な、なにしてんの天翔ちゃん!?」
「エ、エミリちゃん……」
「はは、他人のモノマネだけど、少し重かったかな……みほ、私はきっと、この試合が終わったらまたいつもの私に戻るだろう。 でも、この試合の間だけは……私の変な秘密とか悩みとか、そういうの全部忘れて戦うよ。 そして、この切った髪に誓う。 みほがこの試合を勝つために全力を出すように、私もこの試合、なにがあろうとも勝利に導いてみせる。 それが私がやらかしたこのドタバタ騒ぎの、償いになるはずだから」
切り落とされた髪がサラサラと風に乗って消えていく。
いつもなびかせていたつやつやとした黒い長髪が消えて、ガラリと印象が変わってしまったエミリを、二人はしばらくの間呆然と見つめていた。
そして……
「……ば、ばかーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「おわぁ!?」
みほの叫びがこだました。
「なにしてるのエミリちゃん!? せっかく綺麗に伸ばしてた髪だったのに!あー!あーーー!!」
「そ、そんな叫ぶことなのか!?」
「いやー、天翔ちゃん……前々から妙にさっぱりしてるとこあったけど流石にこれは……えー……もったいなー」
「会長まで!?」
「あーーもーどうしよう、変なふうに切ったから後ろ髪がひどい事に……そうだ!秋山さん! 秋山さんに整えてもらおう! ほらいくよエミリちゃん!!!」
「ちょ、ま、みほ、引っ張らないで……!」
「……いやー、相変わらず仲がいいねー」
騒がしく去っていった二人を見送って、杏はため息をひとつ、涼しい空に吐き出した。
先ほどまでに胸の内に溜まっていた不安や恐れは、いつの間にか消えてしまっている。
「まあ、あの二人がいればどうにかなりそうだねぇー」
そんな軽口を叩きながら、杏も自分の寝床へと足を向けた。
寝不足でコンディション不調なんてアホな姿は晒せない。
今日は、よく眠れそうだった。
「わーーー!!わーーーーーー!! えみりんなんてことしてるのー!? か、髪、せっかくの綺麗な髪ががががががががががが!!」
「沙織さんまでそこまで騒ぐか!?」
「流石にこれはちょっと……」
「天翔さん、私でもそれは引く……」
「そ、そんなに……??」
「……天翔殿」
「あ、はい」
「こんなこと、もう二度としちゃ嫌です……」
「ご、ごめんなさい……」
「隊長」
「あぁ、わかっている」
「いくぞみんな。 一世一代の狩りの時間だ」
「存分に堪能しろ」
次回予告
ついに始まった大学選抜戦
今回ばかりは自身の何もかもを賭して勝ちを拾いに行くと誓ったエミリカス。
赤い襟巻きをなびかせた影が戦場を縦横無尽に駆け回る。
『戦車王5A's』
ついに、紅茶の園のあの人がその全力を露わにする。