バンドリ短編集   作:星見秋

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変化

 かつての私の誇りは、今となっては埃に塗れていた。

 

 CiRCLEの倉庫に立てかけられたストラトキャスター。青いボディにはステッカーが貼りつけられていて、これがレンタル用のギターではないことを示している。

 ならば誰かが置き忘れたものか、というとそういうわけでもない。いや、捉え方によっては確かに忘れ物と数えられるかもしれないけれど。とはいえこれはうっかり置いてきてしまったというよりは意図してわざと置いてきたものだから、忘れ物という表現はやっぱり適さないように思う。

 私はギターを手に取り、ストラップを頭に通す。首と頭に少々の重みを感じ、私はなんだか懐かしくなった。

 ギターを触るのは数年ぶり──恐らく、いつかの新年会でかくし芸として披露したのが最後──だったのに、元来そうあるのが自然であるかのように、ギターは体にフィットした。

 袂を分かってから何年も経つとはいえ、人生の一部を共に駆け抜けた相棒だ。特に一時期なんか、それこそ「ギターは私の臓器」と言わんばかりに四六時中抱えていた。

 体が覚えているのだろう。私は埃だらけの青い流線型をそっと撫でた。それから撫でた指の先が薄黒く汚れているのを見て、苦笑い。

 現在の私にとってギターとは既に過去のランドマーク。以前の私が夢追い人だったことを示すアンティーク。もっとも今は今でまた夢追い人なのかもしれないけれど、当時の夢とは方向性が違う。少なくとも、ギター一本で生活したいだなんて夢はもう持っていない。

 そんな私が当時の私の象徴であるギターに触れて汚れたっていうのは、そりゃそうだよねって話だ。水と油は混ざり合わない。当時の私と現在の私は、それこそ対極とまでは言わないまでも、別人と言って差し支えないくらい変化している。何せ、現在の月島まりなにとってギターは不要なものだから。

 それでも私がギターを手に取ったのは、昔のことを思い出したくなったからだった。

 スタジオに移動し、消毒液を吹きかけた布でギターを拭く。それだけで埃とか、その他諸々の汚れは取り払われる。そうして錆びた弦を張り替えれば、ギターはあの頃と何ら変わりない姿へ復活を遂げる。アンプに繋いで弦を爪弾けば、現在の私の音が鳴る。

 シールドを差し込みながら、私は自分の内側に熱が灯っていくのを感じた。

 はやくギターを弾きたい。聴きたい。確かめたい。

 どういうふうに私がギターを鳴らすのか、現在の私の音はどのようなものなのか。私はわくわくしていた。

 時計は午前七時すぎ。CiRCLEは営業時間外で、人気のない店内は閑散としていた。普段は楽器と喋り声で賑やかな分、余計に印象深く感じた。

 多分、今日は一日中静かだろう。もちろん営業時間になったら騒がしくはなるだろうけど、いつもに比べればだいぶ静かなことになるんじゃないか。

 というのは、CiRCLEにはいろいろな常連客がいるけれど、その中でもとりわけ賑やかな子たち――Poppin‘Party。

 今日、彼女たちが高校を卒業するのだ。

「……ふう」

 私は息を吐き、チューニングを開始する。六弦、五弦、四弦、三弦、二弦、一弦、次々に調律しながら、ポピパの子たちに思いを馳せる。

 香澄ちゃんは大丈夫かな。家を出る前から泣きじゃくっていたりしていないかな。有咲ちゃんによると去年も一昨年も号泣していたらしいから、当事者となった今年はたいへんなことになっちゃいそうだけど。やっぱり有咲ちゃんが泣くな! って励ますのかな。でもその辺はどうなんだろう。沙綾ちゃんによると、有咲ちゃんも結構涙もろいところがあるらしいけど。……まあ、いざとなれば沙綾ちゃんがいるのかな。

 りみちゃんはどうだろう。話によればお姉さんが来るみたいだけど。お姉さんって、確かグリグリの牛込ゆりちゃんだったっけ。留学中って聞いていたけど、妹の卒業式のためにわざわざ外国から駆けつけるなんて、愛されてるなあ。

 気になるのはたえちゃんだ。あの子が感情に揺さぶられている姿を、失礼なことは分かっているんだけれど、私は想像できない。ポピパのメンバーだったらそういうのも見たことあるかもしれないけれど。

 まあ、そういうのは私が詮索することじゃないかな。

 チューニングが整って、私はとりあえず、テキトーなところを押さえてピッキングする。

 じゃーん、太くて鋭い音が鳴る。

 さながらそれは暴力。鼓膜を鉄で殴りつけて痕を残すかのような。生き生きと、縦横無尽に動き回って人をぶん殴る、アグレッシブ。通り魔みたいな音。

 私は楽しくなってきて、さらに別のところを押さえて弾く。ピックで引っ掻き回して、その度に鳴り響く私の音。かつての私では考えられない、のびのびとした音。

 こんな音を作るんだ、現在の私。機材は同じものを使っている。技術についても、毎日何時間も音を合わせていた頃と比べれば当然劣る。けれど、音が変化しているのはそういう技術面によるものじゃなくて、精神面の変化。

 私を取り巻く環境だとか立場とかが変わって、年齢だって上がっている。その日暮らしの若いバンドマンと、待遇はともかく一応は正社員のおばさんとでは、見えているものだって変わってくる。

 そういう意味で、昔と今の私は別人と言えた。

 

 でも、さ。

 

 私はギターを弾き続ける。適当なコード弾きだけでは飽きたらず、昔よく弾いてた曲をやり始めて、店内に誰もいないことをいいことに熱唱。

 聴かれていたらめちゃめちゃ恥ずかしいけれど、誰も聴いていないかもしれない。姿の見えない誰かを怖がって歌わないなんて、そんなの勿体無い。だってこんなに楽しいのに。

 私はギターを弾いて歌う。夢が叶うことは誰かのおかげじゃないと謳うあるバンドの楽曲を腹に力を込めて歌い、その楽しさに酔いしれる。

 そうして、過去の自分を夢想する。

 

 ○

 

 初めてギターに触れたのは、中学生になってすぐ。

 中学に上がったお祝いということでお父さんがプレゼントしてくれたのだ。

 どうしてギターだったのかというと、その頃流行っていた曲をコンポで聴いていた(コンポ。当時はまだ、コンポという言い方が残っていた)私を見たかららしい。音楽が好きだと思われたのだろうか。

 確かに音楽は今でこそ仕事にするくらい大好きだけど、当時の私は好きか嫌いかで言ったら好き程度の好意だった。それはそうだろう。当時の私に今くらいの音楽への熱量があったら与えられる前に自分からギターが欲しいとねだっていただろうから。

  

 別に音楽が大好きなわけじゃなかった。だからギターを渡されたとき、私はあまりピンとこなかった。

 けれどギターを構えた私の姿を見て、お父さんは「様になってるね」と褒めてくれた。実際私も鏡で確認してみると、自分で言うのも何ではあるが、確かに似合っているように見えた。

 私の一番最初のモチベーションは、思い返してみればこれだったと思う。ギターをやる理由は似合っているから、なんていうファッション性。

 始める動機としては別にいいかもしれないけれど、続けていくにはちょっと弱い。こんな志では、音楽で生活しようと夢見ることは到底ないだろう。

 じゃあ、音楽が大好きになったのはいつの頃だっただろうか? というと、正直いつだか分からない。明確にこのとき私は音楽を大好きになりました! って言えるような特別な出来事は経験していない。ギターに触れていくうちに、だんだんと好きになっていったんだと思う。

 覚えたてのコードを意味もなく弾き散らかして、この音は私が鳴らしているんだと実感を覚えたとき。

 苦節の末、Fのコードを弾けるようになったとき。

 特に苦労もせずにチューニングできるようになったとき。

 知っている曲を演奏できるようになったとき。

 アルペジオをすんなり弾けるようになったとき。

 そういう体験を積み重ねていくうちに、私は音楽が大好きになっていた。

 だって、楽しかったから。ギターを弾くのは楽しい。音を紡ぐのは楽しい。曲を弾けるようになるのが楽しい。演奏が上手くなるのが楽しい。もちろん、誰かの音楽を聴くことだって楽しい。

 音楽って楽しいことなんだ。楽しくなけりゃ続けられないし、好きにだってならないだろう。ギターと付き合っていくうちに、私は音楽がとても楽しいものだということに気づいていった。

 高校生になるくらいには、臆面なく好きなものは音楽だと自己紹介できるようになっていた。

 

 バンドマンになったのは高校生のときだった。

 バンドメンバーは同じ高校の同級生。それも、Afterglowみたいにもともと仲が良い幼馴染で組んだんじゃなくて、高校で知り合った人たちで組んだ。そういう点ではポピパの子たちと一緒ってことになるのかな。

 どうやって知り合ったのかというと、ギターが上手に弾ける人ということでメンバーからスカウトを受けた。私が声をかけられていた時点でベースとギターボーカルとキーボードは揃っていたようだけれど、ドラムは未だに見通し立たず。加えてギターボーカルが始めてまだ一ヶ月も経っていない初心者だったから、ある程度ギターが弾ける人を加入させないといけない状況だったみたいだ。

 私は二つ返事で引き受けた。というのは、先方の事情に同情を覚えたからではない。誰かと一緒に音楽をやった経験がなかったからだ。

 個人でギターを弾き続けてきた私は誰かと共同で音楽をやったことがなかった。だから、誰かと一緒に音を鳴らすこと、共に音を作り上げることに興味があった。憧れていた、と言い換えてもいい。私はバンドというものに憧れていた。

 とはいっても、私の学校には軽音楽部なるものは存在していなかったから、憧れはあくまで憧れでしかなかった。現実にバンドが組めるとは私には思えず、実際に声がかけられるまで「バンドマンとしての月島まりな」は御伽噺のようなものだと捉えていた。

 思い返すに、月島まりながバンドマンになったのは私が体験した数少ない奇跡のうちの一つであった。

 そんなだったから、初めて音を合わせたときの衝撃は凄まじいものがあった。

 私の音が鳴り響いて、メンバーの音も鳴り響く。それらは融合し、一つの音楽となって、私の細胞を昂ぶらせる。

 音楽に神経が引っ張られた経験をしたのはあれが初めてだった。体が音に持っていかれてしまうかのような興奮。そんな音を自分自身が掻き鳴らしている歓喜。……なんて言ってみたけれど、正直どちらもあの感覚の中身を完全には表現できていない。言葉で表現できるようなものじゃないと思う。それほど言葉は万能じゃない。

 ただ、頭が空っぽになるほど楽しかった。楽しくて、面白くて、気持ちよかった。

 あのとき私たちは音楽をやっていた。おそらく、世界中の誰よりも音を楽しんでいた。

 

 バンドマンとなって最初の三年は、辛いことより楽しいことの方が多かった。

 それはそうかもしれない。あの頃の私は学生で、その中でも最も青くて瑞々しい高校生だった。主観的にはともかく客観的には親の扶養下に置かれ、辛く厳しい現実から守られていた。それに自覚的かそうでないかは人それぞれだけど、ともかくその上で高校生は青い春を送っていた。

 私は、というか私たちは自覚的ではなかった。楽しく演奏したり、楽しく学校に行ったり、楽しく遊んだり、楽しくライブしたりした。まだ若かった私たちは年齢の割には実力があると認められ、そこそこ人を呼び集めることもあった。

 あの頃の私たちの売りは将来性だった。いつも私たちを形容するときには接頭に「若き」という言葉がついていた。

 それが、いつも少し不満だった。

 上手くなってやりたかった。いつか上手くなって、若いだけと思っている人たちに風穴を開けてやる。……私は少しばかりギターが弾けたけれど、だからといって私たちは演奏が上手かったかと言われたらそうはならない。一人そこそこ弾けようと、全体の評価には繋がらない。

 けれど、いつか上手くなったらそういう人も見てくれるようになる。私たちを認めるようになるだろう。

 当時の私はそう考えていた。信頼に足る根拠も何もなく、ただ漠然とそう思い込んでいた。現実はそう甘くはないということを、高校生の私は分かっていなかった。

 だから、それは単なる願いでしかなかった。

 

 高校を卒業した後もバンドは続けていた。バンドメンバーはそれぞれ大学に進学したり、専門学校に通ったり、実家の家業を手伝ったりと、進路はまるでバラバラだった。

 同じバンドのメンバーという繋がりはあれど、他人であることは変わらない。自分の未来を選択できるのは自分だけ、他人に介在なんてできやしない。他人は他人でしかないんだから。同じバンドを組んでいたら同じ学校に通わなきゃいけない、同じ会社に就職しなきゃいけないなんてルールはない。

 それでも私たちがバンドを続けていたのは、このメンバーでやる音楽が楽しかったからだ。

 大学には軽音サークルがあった。みんなの話を聴くに、どの大学にもあるんだと思う。

 でも、もしその大学で出会った人とバンドを組んだとして、音楽を楽しめるかは分からない。高校生活を共に過ごした私たちと、大学で会ったばかりの人同士で組んだバンド。そんなの、思い入れの強い方を選ぶに決まっている。

 この頃はまだ、音楽を楽しいと思っていた。

 

 音楽を楽しめなくなったのはいつのことだっただろう? というと、やはり思い出せない。気付いたら音楽が楽しくなくなっていた。ちょうど、好きになったときと同じように。

 でも、そのきっかけがなんだったかなら心当たりがある。

 多分、音楽でプロになろうと志したときだ。

 時間は決して止まらない。私たちを顧みることは一切なく、有無を言わさず進み続ける。私たちができることは、せめて置いて行かれないように走るだけ。

 それは分かっていたけれど、私たちはバンドを続けていたかった。

 七年くらい楽器を続けていれば、演奏もちょっとは上手くなる。私は中学から続けていたから、それこそ楽器歴は十年。二桁だ。

 バンド歴だって六年を超えていたわけで、そんなくらいになれば、他の有象無象よりは演奏が少しだけよく聴こえる。技術のある、よい演奏が出来るようになる。……そのときは、技術こそが演奏の良し悪しに直結すると思っていた。

 それに、私たちは音楽が好きだった。バンドも好きで演奏も好きで、メンバーのことも好きだった。

 そういう好きなことを仕事にできるのって素晴らしくない? 確かにどこかの会社に入って普通の人生を過ごすのも悪くはないと思うけど、音楽をやる人生って凄くいいと思う。

 だって、会社員やってる自分と音楽をやる自分。どちらがしっくり来るかなんて言うまでもない。音楽を仕事にできたなら、私はずっと音楽をやっていける。プロになったら、それが叶うんだって。

 私がプロになりたかったのは、音楽がやりたいからだった。

 けれど、プロになるには音楽を真剣にやらなければいけなかった。

 

 プロになると決めたはいいが、地元の学生バンドの中ならばともかく、インディーズ全体を俯瞰したときの私たちの立ち位置は取るに足らないものだった。

 プロを目指すには、楽器が弾けることが大前提。その上でいい演奏を行わなければ、誰かに見つけてもらえない。

 人の心を打つような、技術と歌を兼ね備えた音楽。

 誰かに名前を覚えてもらうような音。

 みんなに認めてもらうための音。

 私たちに必要なものはそういう音楽だった、と思い込んでいた。

 誰かに見つかるようないい演奏をしていたら、いずれ誰かに発見されてプロになれるかもしれない。……夢みたいな話。路上ライブをしていたらスカウトされてプロデビュー。

 そんなことが起こるかもしれないという希望を胸に、私たちは練習した。楽器を何時間も弾き、何時間も合わせ、見つけてもらえるにはどうすればいいか考えあった。何日も、何ヶ月も、何年も、それを続けた。

 けれど、誰にも見つけてもらえることはなかった。

 

 初めて「見つけてもらう」ことを第一に演奏した日のことをよく覚えている。あれは楽しくなかった。もちろんこれは今だから言えることで、当時はここまではっきりと言葉にできるほど自覚はできていなかった。

 ただ、違和感はあった。演奏しているのに、音を合わせているのに、私の体は私にあった。思考も、意識も、所有権は私が有していて、いつもの演奏だったら思考回路なんて音の奔流に流されてぶっ飛んでいくのに。

 あれは私たちのための演奏じゃなかった。みんなのための演奏だった。その「みんな」っていうのは誰か具体的な対象がいるわけじゃなくて、「世間はこういうものが好きなんだろう」っていう意味での「みんな」だった。

 今なら分かる。音楽って、やっぱり楽しくなきゃ駄目なんだ。全身全霊、私が楽しむためだけに音楽を弾く。他人のことなんて気にしない。気にする必要なんてない。だって、私が楽しいんだからみんなも楽しいでしょ? って。

 一○○パーセントのエゴイズム。みんな私たちについてきて。自分が楽しくないのなら、誰かを楽しませることなんて出来ない。

 いい演奏ってのは、こういうものを指すんだろう。他人なんて顧みず、ただただ自分本位で楽しみまくる。

 そういうスタイルが、一番凄くて素晴らしい。

 だから、私たちは見つけられなかった。それどころか、もともと応援してくれていた人たちも離れていった。私たちが楽しまずに演奏していることをどこかで感じ取ったのかもしれない。

 私たちは演奏が少し上手いだけの、ファンも若さも楽しさもないおばさん集団と化していった。

 過ぎ行く結婚適齢期。女としての商品価値は降下を繰り返し、楽器と結婚するのだろうかというような日々。

 不安定な生活というのは身も心もボロボロにする。先は見えないし、何なら高校生だったときよりもむしろバンドマンとしての状況は悪化しているし、どころか数年前、いや数日前の自分よりも駄目になっている感じすらする。私はただの駄目人間になりかけていた。実際底辺のバンドマンにとって駄目人間とは謗りではなく事実の指摘で、問題があるのは事実を指摘されたら謗りと受け止める方だ。

 夢追い人とはともすれば社会の孤児。具体的な駄目人間バンドマンの話はしないけれど、ほぼ破れかけている夢をなおも追い続ける人なんていうのはあまりいない。実際は無理だろうなと悟りつつも追う姿勢だけ見せて、その実大したライブも行えない――行ったところでチケットが捌けないのは分かりきっているから――人が殆どだ。

 末期の頃は私たちの中にもそういう雰囲気が立ち込めていた。みんなで集まっても、夢を追うよりどうやって夢を諦めようか探るような空気感が展開されていて、一度口を開ければ全員が注目する。

 もちろんこんな状況になってもまだ音楽を諦めたくない人は当然いるわけだから、やめたい人たちとやめたくない人たちでも対立が起こる。

 私は断固やめたくなかった。私にとって音楽は不可分の存在となっていた。例えバンドが解散しても、私は音楽をやり続ける。私は絶対に成り上がる。それにここまでやってきて、結局誰にも知られないままバンドを終わらせていいのか。

 今にしてみても荒んでいるなあと思う。この頃になると最早成り上がることが目的になっていたし、音楽の楽しさは二の次だった。いや、楽しさを殺して流行りものと思う音楽をやり続けてきた背景もあって、音楽を楽しいと思うこと自体を憎んでいたような気がする。

 そんな私とやめたい人との水が合うわけもなく、対立は深まるばかりだった。

 

 解散が決まったのは、私が折れたからだった。

 というのは、ふとギターを持たない自分をしてみたら、出来てしまったからだ。

 ギターを持たず、どこかの会社に通う自分。画一的なスーツを着て電車に乗り込み、人ごみに押し潰されながらもオフィスに向かって、えーと、こう、なんか事務作業する。正午になったら昼休憩し、しかる後に労働を再開し、勤務終了。満員電車に辟易しながら帰る私。

 あまり良い気分にはならない想像だった。単なる一般人の人生。そこには音楽もないしバンドメンバーもいない。けれど、現状への憂いも自分の情けなさも、未来への絶望もなかった。

 そう思った瞬間、あれほど信じていたはずの超満員の前でのステージが想像できなくなった。私がギターを弾いている光景が、私たちが世界に名を轟かせる幻想が、たちまちにしぼんで消えた。

 怖くなってしまったのだ。ギターで名を轟かせようと息巻いていた、自分自身の情熱が。そんなものを持っていた自分自身に恐怖した。そして一度消えてしまった以上、再点火させることはできなかった。

 私は冷静になってしまったんだ。

 

 実を言うと、解散したらめっきり音楽との関わりを絶とうと思った。ギターを売って、譜面も焼いて、私が音楽と関わっていた痕跡を全部消そうって。

 けれど解散が決まってから初めての音合わせで、その予定は崩れ去った。

 全員が久しぶりに自分勝手に弾いたのだ。

 割れんばかりに強く叩き散らかすドラム。陰から支えるのではなく。積極的に前に出て自己主張するベース。踊るような旋律のキーボード。それら全ての音を塗り潰すように悲鳴を上げるギター。

 どれも解散が決まる前までは絶対にやってこなかったアプローチだった。それはつまり抑圧からの開放。エゴイズムの放出。純度一○○パーセントの己。

 音が私を連れて行く。神経を、感性を、感覚を、体を、思考を全てぶっ飛ばして、高揚。快楽。笑顔。

 ああ、楽しいなあ。そうか、音楽ってこんなに楽しかったんだ。音を楽しむっていいなあ。

 気づけば私は泣いていた。笑って演奏しているのに、目からは涙が溢れてきた。演奏どころの話じゃないくらいの大粒の涙だ。でも、そんな私にメンバーは誰も反応しなかった。よく見てみたら、みんなも同じく泣いていた。

 日頃からこんなに音を楽しめていたら、解散することもなかったんだろうなあとそのとき思った。けれど、今更そう出来たからといって解散を取り消そうとする人は誰もいなかった。

 バンドを解散することにしたからこそ取り戻せた、純粋に音楽を楽しむ気持ちを失いたくなかったのだ。

 

 ○

 

 いつの間にか止まっていた手を、私は再び動かしていく。

 アンプからは現在の私の音が鳴り響いて、それは演奏を楽しむ音。心からやりたいようにやっている音。他人の目なんか気にせずに、本能の赴くままに突っ走る音。

 ……バンドが解散してから、私は他のバンドの音楽を聴きまくった。現役の頃はなんだか自分の音楽と比較されてる気分になって、他人の音楽なんて聴けなかったんだけど、解散したからにはそんなことは関係ない。プロを目指してギターを続ける気にはもうなれなかったし。

 私は聴いた。聴いて、聴いて、いっぱい聴いた。そうして分かったのは、世の中にはいい音楽がいっぱいあるということ。心底楽しそうに自分の好みをぶつけていたり、自分本位の趣味みたいなジャンルをやったりしていて、聴いてるこっちも楽しくなってくる。

 そのとき、私は音楽って楽しくなくちゃ駄目だなって知見を得た。あまりにも遅すぎたけれど、私はようやく気づけたのだ。

 音楽って楽しい。楽しいから面白い。私は音楽が好きなんだって、中学生の頃に得た純粋な気持ち。それを、流行りものとかいうノイズには目もくれずひたすらに培養していたら、もしかしたらこうなれたんじゃないかって思いはないわけではなかったけれど。

 そう、だから、私は若くて音楽が好きな子たちを育てたい。音楽が好きな思いを大事にさせて、私たちみたいにならないようにサポートしてあげたい。誰かに見つけてもらえるような、そんなバンドにさせてあげたい。

 私は夢を叶えられなかった。けれど、誰かの夢を叶えさせることは出来るかもしれない。いや、叶えさせてあげたい。それが新たな私の夢。自分の内から強く出た、本当にやりたいこと。やりたいことを、やりたいように。

 そこにギターの出番はなかった。ギターは主役が持つべきものであって、脇役が持っていいものじゃなかったから。あくまで私にとってギターとは夢追い人だった私の象徴で、今の私にはいらないもの。だってギターを演奏することは、もう私の夢ではないからだ。

 それでも、私はたまにこうしてギターを弾く。もうほとんど、めっきり頻度も減ったけど。

 こうやってギターを弾いていると、この子と駆け抜けた思い出が走馬灯のように蘇ってくるんだ。別に死ぬわけでもないのにね。それほど濃い時間を過ごしたってことなんだろう。

 初めてギターに触った日。初めてバンドに入った日。演奏に違和感を覚えた日。普通の自分の想像に打ちひしがれた日……。

 人生、全てが正しいわけじゃない。客観的に見たら、間違ってた選択をしたこともいっぱいあったと思う。

 けど、現在こうして私がCiRCLEのスタッフをやっているのは、全て過去の月島まりなによるものだ。

 過去と現在は繋がっている。過去の私も現在の私も、月島まりなという同一人物だ。過去の私が演奏に違和感を覚えなければ、現在私は全く違う人生を送っているかもしれない。

 だから、私は過去の私が間違っているとは思わない。私は過去の自分の全てを肯定する。

 現在どれだけ間違おうが、最終的に全て正解になるんだ。

 

 ……時刻は午前九時に入ろうかというところだった。いつの間にかそんなに時間が経っていたらしい。

 香澄ちゃんたちの卒業式の様子を見に行きたいから、そろそろ追憶もやめにしなければいけない。

 けれど、最後に一曲だけ。

 たった一つ、見つけてもらった私たちの痕跡。

 解散が決まってから作った、私たちの最後の曲。

 心から楽しんで演奏できた、絶対忘れない私の永遠のヒットチャート。

 

 

「──『HOPE』」

 

 

 今頃高校生活最後の朝のホームルームを行っているだろう彼女たちに向けて、私は全力で楽しみながら歌い上げる。

 

 ……新しい世界へと飛び込んでいくあなたたちの旅路が、希望で満ち溢れたものでありますように。

 

 

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