バンドリ短編集   作:星見秋

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ともあのです。


虚飾

 天文部室に、あのちゃんがいる。

 

 放課後の天文部室には西日が差し込んでいて、そのせいで陰陽のコントラストが明瞭に分断されていて、日向が紅くなっている分、日陰はより黒く濃くなっていて、部室の床にぺたんと体育座りするあのちゃんは日向の中にいるから、肌とか髪の毛とかがいつもより色づいているように見えて、毛先なんか陽光を吸収して真っ白に光っていて、白っていうのは数ある色の中でもなんとなく神聖な印象がある。例えば西洋絵画で描かれる神様は白い布をお召になっているイメージがあるし、それは天使の服にしても、天使の羽にしてもそう。神様とか天使とか抜きにしても、ウェディングドレスの色といったら純白だし、日本には白無垢なんていうものもあって、どちらにしても美しく神聖な印象を放っている。印象というのはあくまでも私がそう感じるというだけの話であり、もしかしたら世の中の人達は神聖だとは思っていないかもしれないけれど、どちらにしても私がそう感じたというのは厳然たる事実であって、つまるところ私は陽光を浴びるあのちゃんを神聖なもののように感じた。末端が真っ白に光っていて、差し込むの茜色のおかげで血色の良いように見える肌、――頬、唇。折り曲げたスカートから除く長い脚、それを抱える両腕。

 美しい。さっきから何度も美しいと言っているけれど、それだけ美しいと思っているということで、同じ語句を九官鳥のように連呼することは芸のないことだって自分でも分かっているけれど、私がそれだけ強く感じているんだってことを表現するのには、結局のところ連呼するのが一番効率的なんじゃないかって気がしていて、ただ「美しい」という三文字、「うつくしい」なら五文字だけれど、とにかくその程度の文字数であのちゃんの美しさを過不足なく伝えきることなんて到底不可能で、だったら様々な修辞法〈レトリック〉を用いて表現すればいい話なんだけれど、それはそれで純粋じゃないような気がする。――“気がする”。これもあくまで私の印象の話でしかない。でも、小手先の技術であのちゃんの美しさ、うつくしさ、を〈表現〉したところで、私がどれだけ美しいと思っているかは小指の爪の先ほども伝わらないという“確信がある”。「美しい(うつくしい)」という三(五)文字と「雲海の中、ぽっかりと開いた間隙から淡く降り注ぐ薄明のように神聖な美しさを湛えていた」という虚飾〈レトリック〉塗れの一文では、放たれる印象に明らかな差異があると、少なくとも私は思う。与える情報が多いのは後者の長文だけれども、形容詞いっこの方が余計な情報がない分純粋で、だから私の感情についてより正鵠を射た言い回しをするのなら短文の方が適していると思う。あのちゃんは、うつくしくて、美しくて、美しい。こんなに美しい存在と同じ部屋にいて同じ空気を吸っていることが俄に信じられなくなるくらい、あのちゃんは美しい。

 けれども、またもや認知の話をすることになるけれど、いくら信じられなくなったところで私とあのちゃんが同じ天文部室にいるということもまた確固とした現実で、でなければ私があのちゃんの姿を視認できるわけがないのだから、当然の話ではあるんだけど、そんな当たり前のことすらも忘れてしまうくらいあのちゃんが美しくて、と書くとまた「うつくしさ」に対する余計な装飾を追加することになってしまうけれど、実際に私は忘れていて、だからこそあのちゃんから呼びかけられたとき、私は心臓が口から飛び出るかと思ったくらい、仰天した。

「ともりん、どうしたの? そんなにじろじろと私を見て」

 倒置法。あのちゃんの翡翠色の瞳が揺らめいて、怪訝な調子を帯びた声。――私は私で、体言止めの連投(これで三連投だ)。

「あっ、もしかして私の顔になんかついてた?」

 けれど、次に出た言葉は簡潔な疑問文(四連投)。あのちゃんは自分の顔を確認しようと、小物入れから手鏡を取り出す。

 私は慌てて声をかけた。

「そういうわけじゃないよ。あのちゃんの顔は、きれい。変なところなんてないよ」

「そ、そっか」

 あのちゃんは二回、ぱちくりぱちくりと瞬きしてから、なぜだか俯いて黙り込んだ。陽光の当たる角度が変わったことで、あのちゃんの顔面上に日陰が、色濃い黒が現れる。漆黒というほどではないけれど、そこに神聖さを見出すことはできなくて、もちろん髪の毛とか、今も光が当たり続けているところは白を纏っていて綺麗だけど、それだけではなくなっていて、美しくなくなったわけではない、ないけれど、この影は私が関与した結果として生まれたもので、そのことに私は少なからぬ嫌悪感を覚えてしまって、けれどもこの嫌悪感とはなんだろう、どうやって伝えればいいんだろう、というとそれがわからなくて、まず伝えるべきことなのか、伝える必要があることなのか、伝えたいことなのか、というとそういうわけでもなくて、そもそも、私が伝えたいことはあのちゃんのうつくしさとか神聖さだったはずで、私の嫌悪感とか、そういうことを精緻に伝えたところで何かいいことがあるのか、というとそんなものはなくて、そんなことを言い出したらうつくしさとか神聖さだって別に特段伝えてもいいことがあるわけじゃなくて、ただ私が自己満足するだけで、それは純然たるエゴの表出だ。聞き手が、あるいは読み手がどう感じるかなんて考慮だにしていない独善的な物語行為で、つまるところ自己陶酔だ。そんなものを発露したところで、あのちゃんは更に影へと沈んでいくんじゃないかって、そんな気分になる。

 そんな私の前で、あのちゃんは盛大に溜息を吐くと、半ば呆れたような声を発した。

「ともりんって、そういうところあるよね」

「え?」

「真っ直ぐすぎる言葉っていうかさ。考えとか難しくこねくり回さないで、思ったことを直接ぶつけてるっていうか。素直っていうか」

「え、ええ?」

 今度は私が目を瞬かせる番だった。だって、その指摘は私の内実からかけ離れている。地の私はもっと衒学的で、迂遠で婉曲的な思考経路を辿って言語を出力していて、だから、私が本当に思ったことを直接ぶつけてしまうと、ずっと喋り続けるヒトが出現してしまう。読点と連用形接続の助詞「て」で無意味に引き伸ばされた長文を一生――本当に一生、ずうっと喋り続けるだけの存在と化してしまうだろう。

「だから、そういうの羨ましいっていうか」

 いや、違うな、これじゃちょっと言い方がよくないな、とあのちゃんは小声、これがライブハウスだったら当然のように雑踏やら楽器の音やら聴衆の動作音でかき消されてしまうだろう、そして私とあのちゃんの二人しかいない静謐な天文部室でははっきりと音像を捉えられるくらいの声量で呟く。

「そういうの、いいなって思う」

 えっと。

「あ、ありがとう?」

 あのちゃんは嘆息した。

「燈ちゃんって、やっぱり素直だよねー……」

 

 〇

 

 ともりんが、すっごいまっすぐな視線で凝視してきている。

 もうほんと、すっごいまっすぐ。私しか視界に入ってないんじゃないかってくらい一直線。

 なんか、恥ずかしい。ここまで純粋な視線を向けられることなんてまずないから。

 だって、普通、視線には色々な感情が滲み出るものだ。愉快不愉快、好奇、嫌悪、関心、無関心。

 そよりんとか、りっきーとかはわかりやすく負の感情を宿すし、楽奈ちゃんに至っては滲み出るなんてレベルじゃないくらい無関心を表出させてくる。

 ……凄いよね。そよりんやりっきーはさておくとしても(そういう目を向けられるってことは、ある程度分かってやってるし)、人に対してあんなに無関心を示せるってのは、なかなかできることじゃないから。

 よくりっきーから野良猫って言われてるけど、確かにそういう一面は間違いなくある。

 ともすれば人より野良猫の方が近しい生態をしていると言われても、ふつうに納得しちゃうくらい(まあ、それでも「野良猫」って呼び方はどうなの? って思うけど。可愛くないし)。

 そんな楽奈ちゃんとは対照的に、ともりんはすっごく関心を向けてきている。

 人に対してここまで関心を示せるのかってくらいに、すっごく。

 それが、いたたまれなくなるくらい気恥ずかしい。

 

 ともりんは、世界の捉え方が少し独特なんだと思う。

 と、改めて文章として書き出すと何だか失礼な言い回しだ。

 読む人次第では悪口と受け取られかねない、ちくちくとしたニュアンスの混ざった言葉。

 でも、これが私のともりんへの率直な印象だ。

 少しも濾過していない、純粋なお気持ちってやつ。

 だって路傍の石とかペンギンのグッズとかを大事そうに、宝物のように集めているのは、独特ではあるじゃん。

 ペンギンはまだ可愛いから分かるけど、石に関してはちょっと共感しかねるっていうか。

 地面にしゃがみこんで石のひとつひとつを拾い上げて、気に入ったものを持ち帰ることすらするんだよ。それは、私じゃ絶対にやんないことっていうか。

 まずもって、それだけ熱中できるほど好きなことが私にはなかった。

 ほら、私って大体のことはうまくできちゃってたから。正確には、うまくできているように見せつける——虚飾するのが得意だっただけなんだけど。

 内実はそんなことないのに、周りからはできているように見えるから称賛される。

 いやらしい話だけど、称賛って気持ちいいんだよ。だって、承認欲求が満たされる。

 承認欲求が満たされるというのは、そのまま自己肯定感の向上に直結する。

 というのは、称賛を真に受けちゃって、私が本当に凄いやつなのかもしれないって思っちゃう、ということ。

 自己肯定感が上がるっていうのは良いことのように聞こえるかもしれないけど、限度ってものはある。身の丈以上の自己肯定感は人生を狂わす毒物になりかねない。

 例えば、学校の成績がちょっといいってだけで海外の高校に留学しようとするとかさ。

 「留学」って、やっぱりなんかかっこいいじゃん。こう、私という存在がまるで世界レベルの逸材かのように思えるっていうか。

 つまり、留学するという行動自体を自己肯定感向上のための触媒にしていたんだ。

 だから、向こうで英語が全然話せなくて、コミュニケーションが取れなくて、周りから奇異の視線を向けられたとき、私の自己肯定感はあっさりと打ち砕かれた。

 何せ、言葉が通じない。私のあの時の英語力は贔屓目に見積もっても英語塾に通っている小学生の方が遥かに上手く扱えると確信できるレベルだった。

 もしかしたら意味とか通じていたのかもしれないけれど、それって例えば、ようやく歩けるようになったくらいの赤ちゃんが車道を指さして「ぶーぶー」とか、犬を指して「わんわん」とか言うみたいな感じだったんじゃないかな、って思っちゃう。

 ……らしくもなく卑小な自己評価だ。それだけ、あの留学期間は私の自負心をぼこぼこにしたってことなんだ。

 自負心のために留学したのに、自負心がボロボロになって緊急帰国した。

 緊急帰国って言うとまるで何かしらの要衝の人みたいな言葉だけれど、実際はただ逃げ帰ってきただけだから、まあダサい。

 もっと、留学するに足る夢とか目標みたいなものがあったら違ったのかもしれない。

 音楽が好きだからウィーンに行くとか、芸術が好きだからパリに行くとか、お芝居が好きだからロンドンの演劇学校に進学するとか、そういう明確な目標があったら挫折しても頑張れたのかもしれない。

 けれど私が好きなのは私――正確には『称賛される私』だったから、挫折したが最後立ち上がることはできなかった。

 つまるところ、単なる見栄っ張りだったんだよね。見栄の為に留学して、ぼこぼこにされた。虚飾を引き剝がされ、素の私を晒された。

 そのときまで、私は虚飾が虚飾であることに気づいていなかった。称賛を浴びていた姿がほんものの千早愛音だと思っていた。

 だからそれが嘘だとわかってしまったとき、私はすごすごと日本に帰るしかなくなっていた。

 挫折した時点で、海外で再起しようとするような気力は残らなかったんだ。

 

 そんな私に、ともりんは強い関心を注いでいる。

 目に入れても痛くないというかのように、注視している。

 思い上がりかもしれないけれど、石やペンギンに対して向けられるそれと、同じような色味でさえあるような気がして。

 いや、でも、そんなことあるかなあ? ともりんの、燈ちゃんのことをよく知っているほど、この直喩は信憑性にかける気がしてくると思う。

 だって、ともりんにとっての石やペンギンって宝物なんだよ?

 それと同列視されているだなんて、これは思い上がりだよ。例によって勘違いしちゃっただけだ。

 でも、ともりんはずっと熱視線を向けてきている。

 それがやっぱり落ち着かない。

 ともりんの思惑がどうであれ、ずっと真剣な眼差しを向けられ続けていると、なんだか不安になってくる。

 それは、本当の私――虚飾とか、思い上がりとか、そういうのを全部取っ払った末に現れる、すっぴんのダッサい私を覗き込まれているような気分になるからだ。

 勿論、ともりんは既にそういう経緯で羽丘に来たことを知っている。一緒に迷子になろうって誓ったあの日に私自身が共有した。

 だから、ともりんには隠しているってわけじゃない。とはいえ、いたずらに指摘してほしいわけでもない。

 結局恥ずかしい過去であることには変わりはなくて、つまり黒歴史ってこと。

 掘り返してほしくない黒歴史なんて誰にでもあるでしょ? いや、楽奈ちゃんはあんまり想像できないけど、大体の人はあると思う。

 ともりんが向けてきている視線は、そういうものを地盤からひっくり返して露出させるかのごとく、力強さに満ちているものだった。

 だから、向けられると心がざわざわする。

 心臓を濡れ手できゅっと掴まれているような感覚。

 生殺与奪の権利が委ねられているという嫌悪感と緊張感が背筋をぞわぞわと這う。

 けれども、ともりんにそんな意図があるようには思えない。だって、人の恥部を悪意を以て暴こうとするような子じゃないから。

 この嫌悪、あるいは恐怖、は私が勝手に感じていることで、ともりんは私がそんなことを感じているとは露ほども思ってないはずだ。

 だって、ともりんと私は世界の見方が少し違う。

 私はこういう視線を放てない。ここまで興味を持てるものなんてない。目に何か入れたら痛いじゃん。

 そういうわけで、私は口を開いた。

「ともりん、どうしたの? そんなにじろじろと私を見て」

 果たして、ともりんはわかりやすく動揺した。

 もしかして私が視線に気づいていないって思ってたのかなあ。流石にそんなわけないと思うけど、そう疑っちゃうくらいの狼狽っぷりだ。

「あっ、もしかして私の顔になんかついてた?」

 私は鞄から小物入れを取り出し、手鏡で顔を確認しようとする。

 もとい、その振りをする。

 実際のところ、顔になんか付いてるとは思っていない。

 それに、顔を確認するんだったらスマホの内カメラの方がお手軽だ。

 それなのに手鏡を持ち出したのは、ともりんが返答するまでの時間猶予を伸ばすため。

 ともりんって言葉を出力するのに少し時間がかかるからさ。

 顔の確認という体を取れば、いくらでも間を持たせることができるんだよね。

 でも、このとときのともりんは即答だった。

「そういうわけじゃないよ。あのちゃんの顔は、きれい。変なところなんてないよ」

 ………………。

「そ、そっか」

 俯いて、ともりんから視線を逸らす。

 だって、今ともりんのあの眼を、視線を直視するなんてできない。できるわけない。

 あんな、虚飾を取っ払うみたいな、本質を見通すみたいな視線を投げかけておいてだよ? なに? 「きれい」とか、「変なところなんてない」とか。

 そんなの、殺し文句じゃん。本当にそう思ってないと言えないじゃん。ともりん、嘘下手だし。

 まあ「顔は」って部分は引っかかるけど、それは「顔になんか付いてる?」への返しなんだろうな。

 その部分について確認を取ったところで、「顔じゃなくて全部可愛いよ」みたいなこと言われたとして、それはなんか、言わせているみたいで嫌だ。いや、言ってくれる保証なんてないけど。

 ……そうだよ! 言ってくれる保証なんてない。おいおい私、また思い上がっているな?

 そんな独善的な妄想なんて、もはやただの自己陶酔だ。

 私は深く溜息を吐く。そうして顔を上げず、口を開く。

「ともりんって、そういうところあるよね」

「え?」

「真っ直ぐすぎる言葉っていうかさ。考えとか難しくこねくり回さないで、思ったことを直接ぶつけてるっていうか。素直っていうか」

「え、ええ?」

「だから、そういうの羨ましいっていうか」

 そこまで言ってから気付く。

 あれ? 私の今の言葉、刺々しくない?

 ちょっと、この期に及んで尚自分で自分を都合よく抱きしめようとする私に呆れていたというか。

 私への戒めばかりに頭がいって、ともりんへの配慮というか、オブラートに包んでいなかった気がする。

 自己内省から語気が過剰に強くなっちゃったというか。

 いや、違うな、これじゃちょっと言い方がよくないな。自己内省の感情を会話中に出したらいけない。

 ともりんは実際凄い。好きなものがあって、熱中できて、見栄とかもなくて、ずっと言葉をまっすぐ伝えている。自分の本質的なところを、詩という形にして曝け出している。

 それは私にとって、とても凄まじいことだった。

 けれど、あの言い方は良くなかったかな。なんか、嫌味っぽく聞こえてしまう。

 そんなつもりはなかったんだけど、無意識下の、というより薄々自覚してはいるけど絶対に言語化したくないから無意識下ということにしている、コンプレックスが丸々現れた、みたいな感じか。

 嫌なことを色々思い出していたから、つい出ちゃったのかもしれない。

 他に穏当な言い方、〈表現〉はないかなあ。私が考えていると

「え、えっと。あ、ありがとう?」

 当惑を露わにしながらも、ともりんはぺこりと頭を下げる。

 私は嘆息した。

 

「燈ちゃんって、やっぱり素直だよねー……」

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